LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

1.2 世界をそうした混沌へと陥れている本質的原因

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主峰赤岳に雪が来た晩秋の八ヶ岳連峰

今回公開するのは、当初、紙による単行本として世に出そうと考えた拙著「持続可能な未来、こう築く」の目次(2020年8月3日、公開したもの)の1.2節です。

前回の1.1節に続くものです。

今回は、これまで初めてのことですが、この節全体を、一度で公開しようと思います。

文章はやはりこれまでの一回の公開分量と同様に少し長いですが、お読みいただけましたら幸いです。

1.2 世界をそうした混沌へと陥れている本質的原因

1.1節では、今、混迷の度合いをますます深めている世界について述べてきた。そしてそこでは、私は、世界をそうした混迷に陥れている最大の元凶はアメリカであるとして、そのアメリカの政治と経済のあり方とそれに基づく世界戦略、そして環境政策のありかたについて概観してきた。

一方、私たちの国日本はどうかというと、この国も世界の他国と同様に、というよりどこの国よりもアメリカの影響を受けて来ながら、今、国内はあらゆる面で行き詰まりを見せているが、日本のその深まりゆく混迷の原因はそれだけではない、むしろこの国が独自に抱える原因の方が大きく、その原因とは政治家のあり方だとして、それについても私なりに見解を述べて来た。

しかし、先進民主主義国であれ、日本であれ、これらの国々が呈している今日の混迷の深まりというのは、私は、いずれも、言ってみれば表層に現れた現象に過ぎないと考える。

すなわち物事は何でもそうであるが、現象として現れているその奥深いところには、そのように現象させる本質的原因ないしは理由があるものだ、と私は考えるからである。それについては、K.マルクスもこう言っている。“本質は現象する”、と。

ではここで言うその本質的原因とは何か。

それが問題であるが、それについては、私は、近代という時代が持って誕生した、近代を他の時代と区別して特徴づけるものの考え方ものの見方そのものが持っていた欠陥である、と考えるのである。その欠陥がここへ来て至る所で急速に表面化し、表面化しただけではなく、それを放置しておいたがゆえに、その欠陥による矛盾を深め、それがもはや解決不能な状態にまで至ってしまっているのだ、と考える。

それはちょうど、どんな生命体でも、それが誕生した時に持っていたDNAの特質が、その生命体のその後の成長過程で関わり合いを持つ様々な客観的状況の中で、必然的に目に見える現象として現れて来るのと似ている。

なお、ここに言う「ここへ来て」とは、資本主義経済が本来の「資本主義の精神」を忘れて暴走し始めた時を指す。そして「近代という時代が持って幕を開けた本質的特徴」とは、ソクラテス以来西欧に脈々と受け継がれてきた知的伝統の下で、近代の黎明期に打ち立てられ、その後近代を主流となって支配することになった自然観であり世界観であり社会観であり人間観であり価値観————それらを一言で表現すれが思想、とも言える————が持つ特徴を指す。

その思想を注意深く見つめたとき、もはやそれらの内実の多くはそのままでは通用し得ない時代になってしまっているということである。それだけにいつまでもそれらの思想を疑問にも思わずに当たり前として維持に執着していたなら、矛盾はますます激化し、世界も、また日本も、ますます混迷を深めて行くことになり、ついには人類の存続にも関わることになる、ということである。

因に、近代を主流となって支配して来た価値観の1つに「豊かになることがいいことだ」とするものがある。それは物質主義を土台にしての「便利になることがいいことだ」とか「快適になることがいいことだ」といったものから成っているが、では、果たしてその価値観は、結果として、今、世界に、また日本に何をもたらしているだろうか。

これを克明に観察してみただけでも、それらが、今日、地球の自然に、そして世界の国々の社会に、そして世界の人々にどれほど深刻な事態を生じさせているかが判るのである。

実はそれについて記述したのが、後の7.4節である。

思想は私たち人間一人ひとりにとってとくに重要なものだ。その理由は、結局は思想が、私たち人間が自分たちの生き方をどうするか、社会をどのように組織するかを決定してしまうからだ。思想が私たちを究極においてコントロールするからだ(K.V.ウオルフレン「愛せないのか」p.302)

思想なくして資本主義も社会主義共産主義も生じ得なかった。また思想なくして社会主義共産主義の崩壊も生じ得なかった。つまり、思想が世界を最も強力に支配しているのである。

しかしここで重要なことは、例えば、戦争には侵略者が起こす邪悪な戦争もあれば侵略者から祖国を防衛する正義の戦争もあるように、思想にも人間の精神にとって良い思想と悪い思想があることだ。

悪い思想とは毒のようなものである。精神は、体が毒に反応するほどすぐに激しく反応することはないが、時間が経つにつれて効いてきて、私たちの精神を狂わせたり破壊したりすることになる。そうなると、私たちは、どんなに強靭な精神力を持っていようとも、自分の精神をコントロールする力を失う。またそのとき、その人がどんなに数多くの知識を持っていようとも、自分の生き方や社会のあり方や物事のあり方に対する判断力をも失ってしまう。そして実際、社会で見られる犯罪の多くは、この悪い思想に染まった結果であることが多い。

以下に述べる近代の自然観・世界観・社会観・人間観・価値観とは、当時はそうした性質を持ったものだとは誰も気付かなかった。あるいは長期的に見たならばそれらが遠い未来にどういう結果をもたらすかということについても誰も無関心だった。でも、結果である今日から振り返ってみれば、それらの思想は、そのような弱点をも内に秘めた思想だったということになる。そして今、世界中で生じている貧富の格差とその拡大、いよいよ深刻化する環境問題、テロリズムの頻発化、覇権主義大国主義への執着、拝金主義や物質中心主義への拘り、等々は正にその結果なのではないか、と私は考える。

では、近代が生み出した思想としての自然観・世界観・社会観・人間観・価値観とはどういうものだったのか。先ずはその特徴について確かめてみる必要がある。

それらの主たる内容は、私なりに整理すると、概略的には次のようになる。

「自然観」について

自然はそのどんな部分を取り出しても性質は同じ(均質性)であって、どちらの方向について見てもその性質は同じ(等方性)である。対象を任意の大きさの部分に分割しても、全体として持っている性質・性状は損なわれず(分離可能性)、部分に分けた各々に作用を施した効果の総和は、全体に及ぼした作用による効果と同じ(加算性)であり、またそれらの部分を足し合わせればいつでも元の全体になる。

だから自然は、分割可能で、細分化でき、眼に見えるように客観化でき、計量でき、加工・改造・操作・制御・管理・支配が可能である。だから自然は、要素に分解し、それをよく観察することで、よりよく理解し認識できる。

そして自然の空間は無限である。資源も無限である。そしてその自然は、あくまでも人間の幸福実現のためにある。その自然の中には他生物がいるだけで人間はいない。

そして自然についてはこう観るのだ、とする。

「一切の先入見と謬見を捨て去り、経験(観察と実験)を知識の唯一の源泉とし、帰納法を唯一の認識方法とすることによって自然を正しく認識できるし、この認識を通じて自然を支配することができる。またそのことを可能とさせることこそが科学の最高課題なのだ。知は力なり。数学はあらゆる物事の源泉として、何よりも強力な知識の道具なのである。

そして、そうやって自然や社会を見つめる際、自我あるいは個こそすべてを観る中心であり、宇宙観の中心に据えられるべきものなのだ。」

「自然は整然と秩序立っている。だから、社会も、経済もそうあるべきだ。」

「世界観」について

空間は無限だ。人間が利用できる資源も無限で無尽蔵だ。人類は生産力を高めて物を生産し、自然から解放されることで果てしなく自由になり、豊かになり、進歩し、発展しうる。

その発展の仕方は右肩上がりに直線的だ。

「社会観」について

自然は整然と秩序立っていて、その要素に分解することによりよく理解できるし、その各要素を足し合わせれば元の全体になる。

それと同様に社会も、そのように要素に分解し分割すればよりよく理解できるし、秩序を維持できるし、機能を果たせる。それらの要素はたし合わせればいつでも全体になる。

「人間観」について

自然は人間が幸福になるための手段であるという自然観からも判るように、人間は自然の一部を構成するものではない。人間は自然の外にいる。自然の中には他生物はいても人間はいない。

だから人間は、自然界に生きる万物の霊長であり、自然を支配する資格が与えられる。

そしてその人間は、生まれながらにして自由かつ平等であり、自分の生命や財産はもちろん、人間の自由や個性そして自分の身体が為す労働も自分の所有であって、それらは、ともに不可侵で基本権である。そしてその基本権を所有し社会を担う政治的主体が市民である。

「価値観」について

自然を人間のために支配し、そこから無尽蔵にある資源を取り出し、それをもってより「便利」で、より「快適」な物をより多く生産することで人間は「進歩」し、右上がりで「豊か」になり、より「幸せ」になる。

そして科学や技術は、こうした過程を推進して行くための道具である。

 

近代という時代は、これらの思想が人々の心を広くとらえて、それが主流となり支配的となって行った時代である。あるいは、これらの思想が土台となって、その上に法律を含め、経済の仕組み等、すべての社会的諸制度やルールが築かれ、また確立されて行った時代だと私は考える。

一方、それらの仕組みや諸制度のすべてを駆動し、かつ人々の暮らしをも可能とさせるエネルギーを提供してくれた資源が、初めは木炭であり、石炭であり、後に石油になり、それと並行してウランであった。いわゆる化石資源、または今日、再生不能資源と呼ばれる資源である。そしてその資源の持つ能力を最大に発揮するための機械やエンジンや道具がつくられて行った。

近代において主流となったこうした自然観・世界観・社会観・人間観・価値観を確立するうえで大きな貢献をした人々がたとえば次のような人たちだった。

ベーコン、デカルト、カント、ホッブス、ロック、モンテスキュー、ルソー、アダム・スミスニュートン

彼らが後世に与えた影響、遺した功績を概略的にまとめると次のようになる。

ベーコンは、とくに学問において、学問は科学であり、その科学は「方法」と結びついたものであるべきと考えた。そのことから、彼は自然を支配するための科学的方法論について説いた(ジェレミー・リフキン「エントロピーの法則」竹内均祥伝社p.55〜71)。その方法論とは、観察する者と観察されるものとを分け、客観的知識があれば、人間は自然界を支配することができるとして、人間の「知性」の力を礼賛したことである。“知は力なり”とはベーコンの言葉である。

ここに「知性」とは、ものを客観視した上での理論的な分析の力のことであり、したがって直接的には価値を判断しないままの現象理解力であり、事実を事実としてはっきりさせるという力のこと。あるいは知性とは事実の確定と、客観的分析の力のことである。

したがって知性は事柄そのものを事実として明らかにするだけで、その明らかにされた事柄の意味というか価値というものについての判断を控え、ただ冷静に、主観性を離れて事物のあり方を問うだけなのである。だから知性にはどうしても、それだけとしては一面性、断片性、抽象性がつきまとう。またある種の冷たさも伴う。要するに知性の本質とは、思想のない明晰さであり、要(カナメ)の取れた扇のようにバラバラだということである。

だから知性は、そのままで智慧であるわけはない。

この知性に対する言葉として「理性」がある。それは、全体的な統一と綜合の能力であり、理想を立てる能力、この理想に向けて現実を整え導いて行く能力、と言えるものである。智慧の力、あるいは精神の力と言ってもよい(真下真一「学問と人生」真下真一著作集1 青木書店 p.96、真下真一「学問・思想・人間」青木書店p.14)

近代の科学技術に求められた能力は知性のみだった。というより、既述のような質の知性こそがいわゆる「科学」なるものの直接の担い手となってきたのである。

参考までに言えば、とくにギリシャ時代には、学問という科学は事物の形而上学的な「理由」を問うことに主眼を置いていたのである(ジェレミー・リフキン「エントロピーの法則」祥伝社形而上学とは、「現象を超越し、その背後にあるものの真の本質、存在の根本原理、存在そのものを純粋思惟により、あるいは直観によって探究しようとする学問」のことで、神、世界、霊魂などがその主要問題となる広辞苑第六版)

デカルトの功績とは、中世まではなかった「個としての人間」、「自我をもった人間」を発見したことである。彼はそこに到達するのに、これまでの知識のすべてを疑わねばならないとした。その挙げ句、こうして疑っている自己の存在だけは疑い得ぬと気づき、その「自我をもった人間」の発見に至った。発見したその「我(われ)」すなわち自我あるいは個をこそ彼は自分の哲学と宇宙観の中心に据えたのである。

この「個」ないしは「自我」の発見の意味するところが、当時としてだけではなくその後の世界にとってもどれほど大きな出来事であったかということは、次のように考えれば容易に理解できる。

その個または自我を中心に据えて初めて、そこから例えば自由や平等という概念が権利として導き出されたこと、同時に、その自由や平等という権利を身につけた市民が生み出されて行ったこと、またその市民が、自由や平等を実現させるためのしくみを持った社会というものを考え出し、国家というものを創り出していったこと、そしてそうした動きの総体が近代という時代を確立させて行ったことを、である。

しかし私は、この発見をしたこの時、既にデカルトは大きな勘違いをしていた、あるいは大きな見落としをしていたと考えるのである———もちろんそれは、結果論としてのことで、その時代としては、あるいは南アジアや東アジアとは違う宗教的伝統を持つヨーロッパでは、やむを得ないことではあったとも考える———。

それは、彼としてはこうしてすべてを疑った最後に到達し発見し得た自己の存在であるが、実はその自己自身が、たとえ彼がそれを彼の哲学や宇宙観の中心に置こうが置くまいが、実際にはその彼自身が彼を外からも内からも取り巻くこの大いなる自然とは切り離せない形でその自然によって生かされているという事実に、そしてそれはいかんともし難い普遍的真理であるということに気付いてはいなかったのではないか、ということである。

彼がその普遍的真理とは違う結論に到達し、それを真理としたことそれ自体が、その後に幕を明けることになった近代という時代とその延長線上に生きて来た私たち近代人を否応なく混乱と混迷へと陥れて行くことになった最大の根本的な原因の一つとなってしまった、と私は考えるのである。

そのデカルトが、後世に、それも科学のあり方に対してだけではなく社会的諸制度のあり方に対してももたらした絶大な影響には、さらにもう二つある。

そのうちの一つは、彼の提唱した対象を認識する方法論としての「要素主義」という認識論だ。

それは普通「分析の方法」とも呼ばれるもので、次のような手順をもって説明される。

認識しようとする対象を、先ずできる限り小さな部分に分割せよ。そして、その微小部分について充分に分析せよ。分析が終ったなら、論理の順序に従って見落としのないように組み立てよ。そうすることにより対象は理解できるだろう、というものである槌田敦エントロピー現代書館p.74。詳しくは、野田又夫デカルト岩波新書p.67を参照)

もう一つは、彼の哲学と認識論とに微妙に関係したことであるが、それは、デカルトの変心によるものである。

当時、デカルトとほぼ同時代に生きたガリレオが教会権力によって処刑されるのを免れるために自説の「地動説」を撤回してしまったことはよく知られてはいるが、デカルトの場合もそれと同様に、当時の教会権力に恐怖を抱き、教会権力の介入を避けるために、彼の哲学や宇宙観では、感覚的なものや精神的なものは議論の対象とはせず、物理的な実体のみを扱うと宣言してしまったことである槌田敦同上書)

結果的に、科学の世界においてはそれ以後、感覚的なものや精神的なものは議論の対象とはされなくなってしまったのである。

このことの意味することもどれほど大きなことであったかは、以後、科学は物質や物体に関してだけは進んでも人間の精神や心の面の探究においては大きく後れをとってしまったことを思い起こせば容易に理解できるところである。

なおデカルトの要素主義について、それが後世に与え、今もなお世界はその影響下にあることを考えると、ここでどうしても補足しておかねばならないことがある。

それは、彼自身気付いていたとは思われないのであるが、彼の要素主義には本質的な問題点が少なくとも三つはあったことだ槌田敦エントロピー現代書館p.74〜78)

一つは、部分に分ける前に全体を通覧するという作業が行われないという点。つまり全体における部分の位置の認識をしないで、とりあえず部分に分けてしまうという方法が持つ問題点である。二つ目は、どこまで分けたら要素にたどり着くのか判らないことである。三つ目は、たとえそのように要素に分けた結果、その要素について何らかの知見が得られたとしても、それを再度組み立て上げる方法がないという点である。要素に分けるときに既にそれぞれの関係を切り捨ててしまっているので、組み立てるときには単純に足し算をするしかないからである。しかし、“部分の総和はあくまでも全部であって、全体ではない”のだ。

ところがこの要素主義がその後の世界の科学のあり方に絶大な影響をもたらした。

その結果、元々その内部には何の区別も仕切りもない自然であれ社会であれあるいは人間を、別の言い方をすると、もともと連続していて一つの全体を成している自然と社会と人間を、全体を通覧するという作業を行わないままに、またどこまで細分化したら判らないままに、それらを対象とするとき、主観的に、際限なく分割し分類して来てしまったのである。

自然であったら、たとえば物理、化学、生物学等といったように。さらに物理学は物理学で、核物理、物性物理、流体物理等といったように。他の科学分野でも同じである。

その結果今では、学問分野は限りなく細分化されてしまい、それぞれの分野には「専門家」あと呼ばれる人たちが登場して来ているのであるが、反面、全体を見通せる人あるいは各要素は全体とどのように関わっているかということを見通せる人はほとんどいなくなってしまっている。それどころか、同じ専門分野の者でさえ、他の研究者のやっている研究内容が判らないという事態すら生んでいる。

社会に対しても状況は同様だ。

したがってそれに関する学問である社会学をとってみても、それを構成する分野は数えきれないほどある。

そのほんの一実例であるが、私たちのごく身近な役所(政府)についてもまったく同様の状態だ。

中央政府省庁について見れば、国も社会も自然もそして人間との関係も、元々は互いに切り離せない部分の全体から成っているものであるのに、それを役所内では、経済産業省国土交通省厚生労働省文部科学省財務省等々と組織割りをし、そのそれぞれに統治対象を振り分けている。ところがその際、それぞれの府省庁間には境界が設けられていて、互いに相手の専管領域には踏み込まないことを暗黙の了解事項としているため、自然も、国土も、社会も、人間も、そこで分断されてしまっていて、連続性はない。行政の「タテ割り」と呼ばれるのがその状態を作っている。その上でそれぞれの府省庁が経済制度、政治制度、教育制度、金融制度、税制度、福祉制度、都市計画制度、国土計画制度、自治制度等の法制度を、他府省庁との関係を切り離して別々につくっては運用しているのである。

市役所についても同様で、元々市という地方公共団体は、住民・土地・自然等々の全体として成り立っているものを、役所の役人の狭くまた近視眼的判断で、市民課、道路課、河川課、農政課、林政課、税務課、土地政策課等々と組織割りをし、その各組織に対象を分割統治させている。

こうして統治することを役所は当たり前としている。つまり、自然と社会と人間との関係を、統治者の都合によってズタズタに引き裂いて来てしまっていることに気付いてはいないのだ。

人間についても事情はまったく同様だ。

たとえば人間を診る医学の世界についてみても明らかであろう。人間という一個の全体を内科、外科と分けるところから始まって、今は際限なく細かく分割分類され専門化されてしまっている。その結果、各々の分野の臨床医師も病理医師も、隣の科のことはさっぱり判らず、また判ろうともせず、全体としての人間そのものについては、心や精神の面をも含めて、医学関係者の誰も、説明できない状態となってしまっている。

そのためか、今や、患者を人格と尊厳をもった生身の人間としてではなく、ともすれば「医学の発展のため」という美名の口実の下で、研究論文の材料としてしか観られないようにもなっている。

私は、科学にしても医学にしても、また統治組織のあり方にしても、日本のみならず今日の世界中にこうした状況を生み出してしまったその根底には、関係者はそれを意識していようがいまいが、遠くデカルトの「要素主義」という認識論があり、それが支配して来てしまった結果なのではないか、と考える。

そのため、科学は、「進歩」したと言われれば言われるほどそれぞれの分野間の隔たりが大きくなるだけで、綜合は遠のくばかりとなっている。“今、私たち人類は時代の大きな転換点に立っている”と言う人は結構いるが、ではこの先どういう時代に直面しようとしているかについては誰も言わない。と言うよりは、近代の科学や技術は原爆を生み、生命そのものを操作するまでに至り、人工頭脳AIを生み出しては来たが、その過程で細分化されてしまった学問や科学技術は、全体をますます見えにくくさせ、この先の時代をますます展望させにくくさせてしまっているのだ。

でもそれは、私は必然の結果だと思う。

そこで私見であるが、こうした世界あるいは時代の混迷と混沌の事態を救うのが、実はあの「万能の天才」と評価されるレオナルド・ダ・ヴィンチものの見方であり発想の仕方なのではないかと私は思うのである。デカルトよりもおよそ140年も前に生きた彼は自然と社会と人間に向き合うとき、そこには仕切りや区別は一切設けなかった。と言うより、何に向き合うときにも、それら対象は相互に内的関連性を持つ、あるいはある一定の法則に貫徹された一つの全体と観て接した。しかもその態度は、何ものにも囚われることなく、対象をつねに正確に観ようとしていた。だから、そうした態度でものを観れば観るほど、観たものは彼の頭の中で互いに結びつけられ、綜合され、統一され、世界への理解はますます広がり、また深まって行かざるをえなかった。近代に至ってこそ科学だ芸術だ技術だと区別して表現するが、彼にとってはそられは一体であり、区別はなかったのだNHKスペシャル ダヴィンチ・ミステリー2 万能の天才の謎 2019.11.17)

私は彼の不朽の名作「モナリザ」は彼のそうした態度の半ば必然的成果だったのではないか、と見る。

私は彼のこうしたものの見方と考え方こそ、今日、混沌へと迷い込んだ世界を救い出してくれ、行くべき道と目ざすべき姿を見出させてくれるのではないか、と思うのである。

もはや、自我を世界の中心に据えて世界を観る見方や、物事を分割して観ては対処する仕方、精神世界と物質世界を区別して観る見方をするデカルトを超えるべきなのだ———そして私も、本書では、できる限りそうした態度を貫いて行きたいと思ったのである———

ではニュートンのもたらしたものは何か。

彼は運動についての三つの法則(慣性の法則、力と加速度の法則、作用反作用の法則)を発見した。

それは単純明快で、天体の運行についてもその将来を数学的方法によって正確に予測できたことから、これこそ人間が長い間探し求めてきた宇宙の本質を説明する法則であるかのように信じられたのである。このことから、ニュートンは、人間に対して、人間が神に代わるのに必要な道具を提供したといえる。

ニュートンの提示した世界は、自然のすべてが数学的法則によって従属させられる世界であり、物の質は一切考えず、世界を量的にだけ考える、生命のない機械的世界であった。

そしてその運動法則は宇宙の本質を説明する法則であるかのように信じられたがゆえに、ニュートンの示した方法に従えば、人間社会も、無秩序で混乱した状態から、秩序があり完全に予測可能な状態へと徐々に進行して行くと考えられるようになった。

そして彼のその運動法則は産業革命への道を開き、さらにはその後の機械万能論的文明を築き上げることにおいて決定的な役割を果たしたのである(ジェレミー・リフキン「エントロピーの法則」、竹内均訳 祥伝社

ロックはどうだったか。

彼はニュートンの宇宙の法則に従う秩序ある宇宙論に触発され、その宇宙の法則と社会の働きの関係を探ろうとした。いったい何を基盤にしたら混乱した社会は秩序ある宇宙のように形成されるのか、と。そしてそこから彼は、ある主張に到達する。

人間は自分自身のためにのみ努力する存在だから、無用な主観や伝統を排除しさえすれば、そのような人間によって形成される社会は、その個人個人の財産を保護し、財産の増大を図れば全体が豊かになるのだから、これこそが社会の最終目的であり、国家を形作るための唯一無二の方法なのだ、と。

こうして、ロックは「自然を否定することは、幸福につながる」とし、ロックにとっての政府の目的は、新たに発見された自然に対する支配力を活用し、富を生産する自由を国民に与えることであるとした。また国家における社会の役割は、物質的繁栄を達成するために、自然への征服をさらに推進することである、としたのである。

さらにロックは、自然から労働を通じて引き出した価値としての富を所有することは社会的正義であるばかりか、さらなる富を生み出すための人間の義務でもあると主張した。

ロックが開いた啓蒙期以来、個々人は、生産と消費という享楽的な活動に翻弄され、人生の意味や目的を模索する暇もなくなり、人間の欲求と渇望、夢と希望といったものもすべて、物質的な利己主義の追求によって満たされるとして、そうした生き方に明け暮れるように決定的に方向づけられたのである。

彼の著書「統治二論」は、それまでの王権神授説を否定し、人間の平等と人民の政府改廃の権利を明らかにし、とくにそのうちの後編に当たる「市民政府論」はアメリカ独立宣言の原理的核心となり、フランス革命にも決定的な影響を与えたのである。

その後もロックの考える政府や国家が次々と出来て行った。

こうして彼は、近代の人間の運命を決定づけるほどにとくに大きな影響を世界中にもたらしたのである。

アダム・スミスも、ニュートン体系の一般概念を反映するような形で経済理論を打ち立てようとした。その著書「国富論」の中でスミスは、自然法則に従って運動する天体と同じように、経済も同様の行為を示すと述べている。

経済法則を効率というスローガンの下で追求したスミスは、経済組織にとってもっとも効率のよい方法とは自由放任主義であり、現象をそのままに放っておき、人間の行動を何ものも阻害しないようにすることだ、とした。

スミスもまた、人間活動のすべての基盤は物質的欲望の満足であると信じていた。

だから、あるがままに自己を満足させようとする欲望、つまり、誰にとっても自己に利益をもたらす活動こそが最良の方法であるとする認識に立った。

ロックが社会に対して行ったのと同様に、スミスは経済から道徳を画然と切り離したのである。道徳を経済に持ち込むことは“見えざる手”を否定することでしかなく、経済活動を不自然な方向へと向わせるもので、逆効果でしかない、とした。

この“見えざる手”こそ、スミスから見れば、経済過程を支配する自然の法則なのである。

 

今、世界では、先進国と言われる国ほど、人口減少は高齢化とともに進み、生産性は伸び悩み、とくにどの国でも消費の大部分を支えている中間層と呼ばれる人々の賃金も伸び悩んでいる。そんな中で経済的格差は極度に拡大する方向にあり、とくに資本主義を牽引して来たアメリカでは、今や人口の半分の人々の富を合わせた額より多くの富を400人が握っているという事態に至っている。世界では、超富豪者8人の総資産は、世界の半数の人々の総資産とほぼ同等と言われるまでになっている。

その結果として生じ、また激化しているのが、社会における「分断」と「対立」であり、テロリズムの頻発化であり反グローバリズムを掲げるポピュリズムである。

しかしこうした分断や対立をもたらした直接的な原因は資本主義経済とそのシステムにあると言える。マルクスが「人がお金を商品に投資して、より多くのお金を獲得することを目的としたシステム」と定義した資本主義は、その目的を実現するには、商品である物をつくっては壊し、壊してはつくることを不可避とした。

その際、物を再度つくるのにも、前と同じ物をつくっていては売れないし、より多くのお金を獲得できないから、人々にとってより価値あると思える物や、より購買力を高める物をつくる必要がある。つまり、資本主義は、それを維持し、また発展させるためにはシュンペーターの言う「創造的破壊」が不可欠だった。

その創造的破壊を維持して行くために必要とされたのが科学と技術であり、またそれらの進歩と発展だった。

つまり効率の向上をもたらす「技術革新(イノべーション)」が資本主義発展のエンジンとなって来たのである。

ただし、ここで忘れてならないのは次のことである。

資本主義発展のエンジンとなる科学や技術の担い手になったのは、既述のごとく、あくまでも「知性」であったということだ。理性ではない。

その科学とは、既述の自然観に基づき、またデカルトの要素主義に基づくもので、全体を分割しても、その個々の部分を足し合わせればいつでも全体になるという考え方から成っているものだ。部分相互の生きた関わりなどは考えてはいない。そして技術とはあくまでもその科学を法則的に応用したものだ。

その上資本主義は、マルクスの言う目的を達成させるにあたって、既述のとおり道徳は不要として来たのである。さらに、その資本主義そのものの根底には、M・ヴェーバーの言う「プロテスタンティズムの倫理や資本主義の精神」以前に、これも既述のとおり、「近代の自然観」、すなわち、自然はあくまでも人間が幸福になるための手段としてある、というそれが占めていたのだ。それは、人間は自然を支配する権利を神から与えられていて(聖書の中の「創世記」)、人間が自然からどれだけ収奪しようとかまわないという思想に通じ、人間は万物の霊長だという考え方にも通じている。だから、近代の価値観の中には、他生物の存在は、最初からなかった。人間一般としての自由・平等・友愛という価値観もなく、あったのは、市民個人としてのそれらだけだった。

ところで、自然は人間のためにあると考えられながら、その人間が生んだ資本主義は、社会に貧富の差を生み、それが今や極端なほどに拡大し続けている。

したがって、そこで言う「人間のためにある自然」は、実際には、人間一般にとっての自然ではなく、超裕福になって行く人々のための自然となってしまっているのである。

しかもその自然は、「創造的破壊」を不可避とする資本主義によって、そこに科学と技術が動員されながら、ますます大規模で大量に収奪されて行き、地球の自然を保って来た多様な生物種間の循環のメカニズムや共生のメカニズムはますます破壊され消滅を余儀なくされて来ているのである。

それは、言い換えれば、炭酸ガスやメタン等の温室効果ガスが加速度的に大量に自然界に放出されることにより、それに伴って生じるエントロピーという「汚れ」が宇宙に捨てられることもなく地球上に貯め込まれていることを意味する(第3章を参照)。そしてその状況は、ちょうど、ある一定の広さの密室空間の中にいる人が、自分が生きて生活することで生じさせている炭酸ガスの捨てどころがなくなり、呼吸困難に陥っている状況に似ており、これを放置しておいたなら、やがては死を迎えざるを得なくなるという状況に似ている。

マルクスは「資本主義はその矛盾ゆえに亡びる」と言った。またシュンペーターも、「資本主義は、その成功ゆえに自壊する」と言った(2018年1月20日 NHKBS1スペシャル「欲望の資本主義2018〜闇の力が目覚める時〜」)

しかしそれらはいずれも、資本主義という経済のしくみの観点からの予言であり予測でしかない。

それに対して私は、近代が生み出し確立させて来た既述に代表されるものの見方(思想)と生き方そのものによってこそ、またそれらに支えられて成り立って来た資本主義経済とそのシステムそのものによってこそ、このままでは、たとえ核戦争が起こらなくとも、また化石資源が枯渇に至らずとも、人類は他生物を巻き添えにしながら亡びる、それも遠からずして必然的に、と推測するのである。

当然その過程のどこかの段階で、資本主義は否応なく維持できなくなる。つまり、いま世界はますます混迷の度合いを深め、制御できないまでに混沌として来ているが、そうなるのは、表面的には、確かにマルクスの言う通りであり、またシュンペーターの言う通りでもあるのだろうが、根源的かつ本質的には、近代の黎明期前後に打ち立てられ確立されて来た思想そのものが最初から内包していた欠陥のゆえであろう、と私は観るのである。

1.1 ますます混迷の度合いを深めて行く世界————————————その3

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1.1 ますます混迷の度合いを深めて行く世界————————————その3

これまでの「その1」と「その2」では、世界はなぜ混迷の度を深めてゆくのかという私の疑問の下に、その最大の元凶であるアメリカを中心にして、政治面と経済面と環境面に焦点を当てて、その具体的な様について見てきました。

この「その3」では、では日本は主にどういう理由から、国内での混迷を深めて来たのか、ということについて、ここでも私なりに考察してみようと思います。

 

では翻って日本の深まり行く混迷状態は何からもたらされ、何が原因となっているのであろうか。

それを考える場合にはっきりさせておかねばならないことは、もちろん日本の場合も、世界の他国と同様に、というより、政治、経済、軍事の面では特に、最終的には常に主権を投げ出してアメリカの言いなりになってきたのであるから、他国以上にアメリカの影響を強く受けて混迷を深めてきたと言えることである。が、しかし、日本の混迷とその深まりは、決してそれだけに因るのではないと私は考える。というよりそれらに因る影響よりももっと卑近な理由によってこそ他国には見られない混迷ぶりを見せ、それを深めて来たと私は考えている。

ではその、この国自身が抱える、この国が混迷を深める卑近な理由とは何か。

それは、一言で言ってしまえば、政治家の政治家としてのあり方である。

それはどういうことを意味するのかというと、1つには、この国の政治家は、中央でも地方でも、そのほとんど全員と言っていいほどに、本物の民主主義国の政治家に見られる、政治家としての使命や役割を全く果たして来てはいない、というより政治家としての使命と役割は何かすら知らないで政治家をやっているつもりになっているということである。もう1つは、この国の政治家は、政治用語や法律用語についてさえ、その意味内容をとかく曖昧なままに使ったり、あるいは国権の最高機関であるとする憲法をも無視しながら、憲法や法律に定められた手続きを踏まずに、三権分立の原則に言う執行機関に過ぎない政府内の内閣での閣議決定だけで憲法や法律の条文の持つ意味を変えたことにしてしまったり、ということを頻繁に繰り返して来ているということである。

前者の実例の一つが、この国の政治家は、政治家として為すべき最も重要な使命である、国民との約束としての公約を、条例をも含めて自ら立法するということを全く果たしていないことであるし、また、主権者である国民から選ばれた代表として、官僚を含めた広い意味での公僕である役人をコントロールするということもしていないことである。というよりも彼ら政治家らは、役人をコントロールするどころか、逆に、実質的には、役人の操り人形と化してしまっていることである。

こんないい加減なことをしている国は世界中どこにもない。少なくとも本物の立憲民主主義の国では。

これでは、国民の代表であり、それだけに国民のリーダーでもある政治家自身が、法があらかじめ定めている「手続き」を無視し、あるいは「手続き」を無視する官僚を放任したままであり、国と社会の秩序を維持するための法を乱しているわけだから、それを常に見せつけられている国民の側も“政治家がやっているんだから、オレたちだってそうするんだ”として、国も社会も混迷を深めて行かないはずはないのだ。

後者の実例としては、象徴的に言えることは、政治家としては当然知って、理解していなくてはならない重要な言葉あるいは概念を知らないで、あるいは知らないのに知ったつもりで使っているということである。

例えば、権力だ。主権だ。国家だ。民主主義だ。三権分立だ。議会だ。あるいは選挙についてだ。

前者の例については後に詳述するとして(2.2節)、ここでは特に後者の実例が意味することについて考えてみようと思う。

政治家は、自分に付託された権力が何に依っているかを知らない。というより、そもそも権力とは何か、それすら正確には知らない。だから、その権力を他人、特に執行権に属する役人に移譲して平然としている。つまり、有権者あるいは国民から自分に付託された権力は他者に移譲してはならない、ということも知らないのである。それでいて、「政治は権力だ」ということだけはよく口にするのである。

また政治家は、それぞれ、日本は独立国であると、あるいは主権国家とは気持ちの中では思っているかもしれないが、実態は日本は独立国ではない。少なくとも本物の独立国ではない。日本が独立国あるいは主権国家と言えるためには、どこの国に対してもいつでも主権を行使できなくてはならない。ところが大国、特にアメリカに対しては全くそれができないでいる。というより、アメリカに対する姿勢は、迎合し、卑屈そのものだ。言うべきことすら言えないのだ。

そんな状態だから当然この国には主権はない。主権をいつでも行使できる国ではない。

こんなことだから、この国の政治家という政治家は国家の意味も知らない。

なぜなら、辞書を引いてみればわかるように、国家を成り立たせる要素は三つあり、その一つが主権であるからだ。他の二つは国民と領土である。

つまり主権を行使できないこの日本という国は国家ではないのだ。少なくとも真の国家ではない。

例えば憲法第9条を見てみよう。そこで言う「交戦権」は主権の一部なのである。ところがその憲法9条はそれを否認ないしは放棄している。これでは、万が一、この国が外国から侵略あるいは攻撃された時、一体どうするというのか。交戦権を放棄しておいて、私たち国民はどうやって国土と自分たちの生命と自由と財産を守ろうというのか。

そもそもこんな大切な交戦権を否認ないしは放棄した状態だから、自衛隊違憲だとか、専守防衛だとか、これまでは憲法は個別的自衛権しか認めていなかったがこれからは集団的自衛権を容認する、と憲法を、正規の変更手続きを踏まずに、解釈を変えるだけで改憲したことにするという、世界の立憲主義に立つどこの国もしていないような、国民にはまともに説明もできないような暴挙を政府はしてしまうのだ。

こうした一連の経緯自体、ますますこの国を混乱させてしまうことではないか。そしてこの場合、日米安全保障条約など無関係なのである。

それに、国が国家と言えるためには、もう一つ重要な条件がある。それは、政治的説明責任の中枢が存在していることだ(カレル・ヴァン・ウオルフレン)。あるいは社会の全構成員をいつでも統合できる、合法的で最高な一個の強制的権威を持った人または集団が存在していることだ(H.J.ラスキ)。ところがこの国では、事実上政治家よりも官僚あるいは官僚組織の方が力があり、政治家はほとんど常に官僚の作文を読んでいることからもわかるように、あるいはそれを読まねば状況説明ができないことからもわかるように、政治的説明責任の中枢も、社会の全構成員をいつでも統合できる、合法的で最高な一個の強制的権威を持った人または集団も未だ存在しない。すなわちその面でも、この国は、今のところ国家ではないのだ。それでいて、政治家は平気でこの国は国家であるような言い方をする。要するに、国家とは何かを知らないのだ。それでも、総理大臣や閣僚を含めて、どの政治家も平然としている。

そしてそれ自体、この国を混乱させていることなのだ。

民主主義についても同様だ。政治家らは国民から付託された最大の権力である立法権を役人らに移譲して、官僚(役人)に独裁を平然と続けさせている。総理大臣も閣僚も「閣議決定」をよく口にするが、実態は、閣議の議題設定の仕方も官僚と官僚組織に乗っ取られた形だ。それは、国民から選ばれた政治家自身が民意を無視し、つまり民主主義を無視して官僚主導という官主主義を放任していることなのである。

このことも、どれほどこの国の混迷の度合いますます深めているか知れないのである。

三権分立についても同様だ。だいたい、なぜ三権、すなわち、立法権と執行権と司法権とを分立させなくてはならないか、その理由すら知らない。「国権の最高機関」と憲法が明記する国会を含む地方の全ての議会という議会でも、議会が議決したことをその通りに執行することを本来の役目とする政府の者を議会に招き入れては、しかもその彼らを自分たちよりも高い位置に座らせて、もっぱらその者らに質問することを以って議会の役割と錯覚している姿がそれだ。

そしてそれは、政治家が、議会とは何かを知らない姿でもある。

選挙についても全く同じだ。彼らは、選挙は誰のためにあり、何のためにするものなのかも知らない。そのためにこの国の選挙は、どこもかしこも決まって儀式だ。そんな状態だから、何のために公約を掲げるのか、その意味も知らない。だから、当選してしまえば、自らが掲げた公約を実現させる責任が国民に対してあることなどケロッと忘れてしまう。それとも忘れた振りをしているだけなのか。そしてそのことに少しの自責の念も示さない。

実はこうした政治家の状況は、政府・憲法・法律・自由・正義・多様性・公正・公共といった言葉あるいは概念等に対しても全く同様の状況なのである。

それだから、議会と政府との関係のあるべき関係も知らない。したがって政治家と役人との関係のあり方についても、本来どうあるべきかを知らない。

私がそのように言う1つの根拠を示す例が次のものである。

この国の首相は「閣議決定した」ということを、よく、そして平然と口にする。しかしそれは、日本国憲法が明記する「国会は国権の最高機関」(第41条)を全く蔑ろにしていることに他ならない。

それはこういう意味である。憲法がそこで言う「最高」とは、これ以上の権力を持った機関はないという意味であって、したがって、内閣は国会よりも権力順位が低いということを言っていることでもある。それは当然であろう。内閣の権威は国会の権威に由来するものだからだ。だからこそその内閣が最高機関である国会に先んじて政策を決定してしまうというのは、次の2つの意味で間違っているのだ。

一つは、本来内閣は、国会が議決した政策を、その通りに「執行」することを主たる役目とする機関なのであって、「政策」を決定できる機関ではないという意味においてである。つまり内閣が閣議において決定できるのは、あくまでも国会が議決して公式の政策となったものを、つまり国民が合意した政策をいかにして効率よく、ということは、最少の財源と最小の時間とコストをもって実行し、最大の効果を上げるかという方法上のことであるのだからだ。そしてそれは三権分立の原則から必然的に言えることなのである。もう一つは、最高機関である国会に先んじて、あるいは国会を無視または軽視して、内閣が政策を決定しているという点においてである。

そしてこの2点が意味していることは、内閣が議会制民主主義を無視して「独裁」をしているということなのだ。

もう一つ重要な例を挙げよう。

それは、「衆議院の解散権は首相の専権事項である」ということが、まことしやかにまかり通っていることについてである。

それについては、例えば今は総理大臣となった菅義偉官房長官時代から、平然とそれを口にしていた。

そこで私は、その辺を内閣府の法制局に聴き確かめてみた。すると、その根拠は憲法第7条と69条だと言う。ところがその両条文をどう読み返してみても、その根拠とやらを正当化できない。「衆議院の解散権は首相の専権事項である」ということがそこからは読み取れないのだ。というより、両条文は衆議院の解散権とは全く別のことを言っているのだからだ。

要するに、現行日本国憲法には「衆議院の解散権は首相にある」ということなど、どこにも言ってはいない。言い換えれば、歴代のどの自民党政権の誰が最初に言い出したのか判らないが、「衆議院の解散権は首相の専権事項である」ということを自分たちの都合で主張したいがために、かと言って現行憲法内では他に持ち出せる条項がないから、仕方なしに憲法第7条と69条を持ち出してきて、でっち上げたに過ぎない、と私には考えられるのである。

そもそも権力順位が最高でもない内閣が、というより自分の権力や権威はそれに由来するという、自分よりも権力順位が上位にある国会(の中の衆議院)を解散することができるという理屈など、論理的に考えてみれば直ちに判るように、成り立ちうるはずはないではないか。

ところが、それを、政治家や政治ジャーナリストはもちろん政治学者すら気づいている風はない。あるいは気づいていても、それを堂々と意見具申する勇気がないからなのか。

いずれにしても、こうしたことも、どれほどこの国全体の混迷の度合いを深めさせてしまうか、明らかなのだ。

そもそも、国民から選ばれた議員からなる衆議院であれ参議院であれ、それを解散することができるとかいうことは、国民の意思を無にするか否定することなのだから、民主主義的にみれば、この上なく重大なことなのである。それだけに、その辺のところが憲法に明記されていないということ自体、私はやはり、この面から見ても、現行憲法は欠陥憲法だと考える。

尤もそうなったのも、元はマッカーサーが作った憲法だからであろう。アメリ連邦議会には、上院であれ下院であれ、「解散」はないからだ。

さらに言えば、中央政府と地方政府————地方政府とは都道府県庁であり市町村役場のこと————の間での権限の違いやそれぞれの管轄事項は何なのか、言い換えれば日本国を構成している主体は何なのか、そしてそれらの法的地位や権限は何なのか、ということも、是非とも憲法条文として盛り込まれるべきことなのではないか、と私は考える。

この国では、阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、あるいはすでに何回もあった各地方での集中豪雨による災害でも、その都度決まって「初動体制の遅れ」という言い方がなされ、救われるべき命が救われないままにされてきてしまったが、これも、地方政府と中央政府との間での権限の違いやそれぞれの管轄事項、またそれぞれの法的地位が憲法によって明確化されておれば、「初動体制の遅れ」など解消され、犠牲者も最小限に留めることができたのではないか、と私などは考えるのである。

しかし実態はそうしてこなかった。それも、紛れもなくこの国の政治家という政治家の怠慢と無責任のもたらした状況なのだ。

憲法9条を問題とし、自衛隊をどうみなすかという議論もいいが、この国が「近代」という時代を超えて、前途多難な新時代を生き抜いてゆく上で、世界の中でどのような立ち位置を占め、どういう航路を歩み、どのような国づくりを目指してゆくのかという、もっともっと大局的で長期的な見地に立って、新憲法のあるべき内容を、国民全体で議論する必要があるのではないだろうか。

衆議院の解散権は首相にある」という条文を憲法に加えるべきか否かということも、その議論の中には当然含まれてくるのではないか、と私は考えるのである(16.3節)

 

政治家の用いる経済用語にしてもそうだ。

この国の政治家は、しょっちゅう「資本主義」、「自由主義」、「保護主義」等々といった言葉を発するが、それらも、聞いていると、全くその意味を正確に捉えて使っているとは思えない。いや、それ以前に「経済」という用語についてすら、その正確な意味、あるいは本来の意味を捉えて使っているとは思えない。しかも、政治家によって使い方や理解の仕方は互いにバラバラに見える。

そもそもこの日本という国は資本主義の国なのか、自由主義の国と言えるのか。

確かに表向きはそう呼ばれてはいるが実体は違う。この国は本物の資本主義の国ではなかったし、今もそうではない。自由主義の国でもない(第11章)

政治家の用いる用語で、曖昧なままにしている用語はまだある。

その意味はここではいちいち明確にしないが、例えば、「自然」、「社会」、「自由」、「平等」、「愛国心」、「個人主義」、「国家主義」等がそれだ。

 

最後に、私はここで、日頃、ますます気になって来ていることについて触れておこうと思う。それは、やはり言葉の誤用についてであり共同体である社会というものを民主主義的に成り立たせ、それを維持させる上でカナメとなる言葉ないしは概念の用い方についてだ。

それは、政治家も、また政治評論家もメディアも、ほとんど全てと言っていいほどの人が、中央政府、都庁、道庁、府庁、県庁、市役所、町役場、村役場のことを、国(クニ)、都(ト)、道(ドウ)、府(フ)、県(ケン)、市(シ)、町(チョウ)、村(ソン)と呼んで平然としていることだ。それぞれ対応する両者の言葉も概念も全く異なるものであるのに、である。

それが誤用であることは、たとえば、「あなたのクニはどちらですか」と言った時のクニは中央政府のことを指しているのではないことをちょっと考えてみただけでもすぐに判断できるからだ。また、「ケン内での感染状況は」と言ったときのケンは県庁を指しているのではないこともすぐに判断できるからだ。

前者の中央政府、都庁、道庁、府庁、県庁、市役所、町役場、村役場はあくまでも執行機関を指す。もっと言えば、そこは、いずれも、役人と一般には呼ばれる公務員が、国民の代表である政治家が議会で定めた政策を、政治家の指示とコントロールの下で、執行する機関であり、通常、役所と呼ばれているところなのだ。

それに対して後者の国(クニ)、都(ト)、道(ドウ)、府(フ)、県(ケン)、市(シ)、町(チョウ)、村(ソン)は国民や国土・郷土や文化等を含めたその全体を指す。両者は互いに明らかに異なるのだ。

ところが、この国の中央政府と地方政府の役人はもちろん政治家という政治家も、いや政治家のみならず政治学を専門とする政治学者も政治ジャーナリストという、それはもうほとんど全てと言っていいほどの人々が、この違いを意識せずに用いている。公共放送と自任するNHKを含む全メディアもだ。その状態は、もう、国民全体が思考停止となって、ただただ惰性に流されている状態だ。

これでは、この国の社会を成り立たせる統治の体制が曖昧にならないはずはなく、結果として、国全体が、混乱を深めて行かないはずはないのだ。

 

ところで、ではこの互いに似通った両者の言葉の意味の相違を明確にして用いることが私たち国民にとってどうして重要なことなのか。

それは、私たち国民は「国会の政治のあり方を最終的に決める権利」を持った主権者であり、役所に働く役人は、公僕として、その国民全体に奉仕することを主たる役割とする人々だからだ。

それだけに私たち国民はそうした自覚を常に持たねばならないと同時に、国に対して責任を負っているのだ。

なお役人は公僕であるとの意味は、決して身分を言っているのではない。社会における役割の違いを言っているだけなのだ。だから、役人も、それぞれ公務を離れて地域に戻り、家庭に戻れば、主権者の一員なのだ。つまり、役所にいる限り、あるいは公務を行う上では、という意味である。

そしてこの、国民の主権者としての自覚と、役人の公僕としての自覚とそれぞれの区別は、国を民主主義の国として成り立たせ、またそれを維持してゆく上で、絶対に必要なことなのだ。

それに、役所を、あるいはそこに働く役人を国民や国土・郷土や文化等を含めたその全体を代表しているかのような表現のままに放置しておくことは、この国を、都を、道を、府を、県を、市を、町を、村を、そこでの主人公は、日本国憲法が主権者と認める国民ではなく、役所あるいはその役所の役人であるかのような誤解ないしは錯覚を国民に与え、それを根付かせてしまうことを意味するからだ。そしてそれは、この国は、明治以来、実質的には官僚独裁の国で来たのであるが、今もなお、その延長線上にあることを国民自身がそれを意識するしないに関わらず、認めてしまうことでもある(2.2節、2.5節、5.2節、7.1節)

一国にあって、統治システムの中での主権者と奉仕者との関係が、現状、実質的にこれほどに逆転してしまい、そしてそのことに国民の圧倒的多数が依然として何とも思っていない、あるいは何とも思わなくさせられたままでいるということは、それ自身この国の危機であると同時に、真の民主主義を実現させる上で、これ以上の障害はないのではないか。

社会を成り立たせているこのような重要概念や基本的諸概念の意味が正しく理解されず、また共有化もされずに、むしろこのように誰も疑問にも思わずにしょっちゅう当たり前のように誤用されて行ったなら、人々の共同体としての社会は、その秩序も仕組みも混乱を深めて行かないはずはない。そしてこのような事態が継続されて行ったなら、小学校、中学校、高等学校や大学でも、あるいは学界でも議会でも、言語の共通の理解の上に立った議論などできなくなり、したがって、たとえ結論が出たとしても、その結論に対する理解も人それぞれ違ったものになってしまう。それでは、議論が大切だからと言ってどんなに議論しようとも、その議論が社会をよりよくする実効的な力にはなり得ないどころか、そのような議論は不毛で、時間の無駄でしかなくなる。あるいは表層的で、形式的なものにならざるを得なくなる。

 

こうした実態を見るとき、私たちは改めて次の事を、一人ひとりしっかりと脳裏に焼き付ける必要があるように私は思うのである。

それは、私たちが今当たり前に考えているこの国の政治体制を成り立たせている諸概念やその組み立てのすべては、他所の国々の人々、具体的には近代西欧諸国の人々の命がけの体験によって創り上げられて来たものであって、私たちの先人が考え出したものでもなければ掴みとったものでもない、ということだ。

それを私たちは、何の苦労もなく使わせてもらって、日々の暮らしを安全に成り立たせようとして来ているのである。それは、彼の国の人々に対してどんなに感謝しても感謝しきれるものではないほどに有り難いことだと私は思う。

したがって、それらを使わせてもらっている以上、用いているそれら一つひとつの用語の意味を曖昧に済ませるわけにはいかない。一人ひとりがきちんと理解し、消化し、血肉にする必要がある。それが、そうした諸概念の体系化を成し遂げてくれた彼の地の先人たちに対する礼儀であるし、義務でもあるのではないか、と私は思うのである。

その上で、もし、ある特定の概念について、疑問なり矛盾なりを感じたり、あるいはより適正な概念を見出し得たりしたなら、その時こそ、既存の概念の修正を社会に堂々と問うたらいいのである。

1.1 ますます混迷の度合いを深めて行く世界————————————その2

1.1 ますます混迷の度合いを深めて行く世界————————————その2

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刈り入れを間近にする我が家の稲田
(この稲田ももちろん無農薬で無化学肥料の完全有機栽培による稲田です)

同じタイトルの「その1」ではアメリカの政治が世界に混乱を引き起こし、さらにその混乱を深めてきた経緯について見て来ました。

「その2」の今回は、アメリカが、経済面でもまた環境面でも、どれほど自分本位に、世界の混迷を深めてきたかということについて、事実に基づき、見てみようと思います。

 

次は、経済面からみた、アメリカの混迷ぶりが世界に及ぼした影響についてである。

マックス・ヴェーバーが「資本主義の精神」と呼ぶ精神がすっかり衰退して見る影もなくなっても、その精神とはまったく形を換えた、人間の「欲」そのものに支えられた資本主義を、世界の中心となって世界を先導して来たのはアメリカだった。

ここに「資本主義の精神」とは、“高度の責任感の伴った、あたかも労働が絶対的な自己目的であるかのように励む心情”とでも言うべきもので、それを天職義務とするような精神のことであるマックス・ヴェーバープロテスタンティズムと資本主義の精神」大塚久雄岩波文庫)。

天職、それは、神の召命と世俗の職業という2つの意味から成り、私たちの世俗の職業そのものが神からの召命だとする考え方を示している。より正確に言えば、世俗そのもののただ中における聖潔な職業生活、これこそが神から各人に使命として与えられた、聖意に叶う大切な営みなのだ、とする考え方のことである。この天職義務こそ、近代初期の資本主義の精神の核心を成していたのである。

しかし、その後、その精神は資本主義経済の発展過程ですっかり影を潜めてしまう。が、それでもまだ、“勤勉に働けば、働いた分のお金が得られる”、“生産性を上げれば、それに見合った報酬が得られる”という考え方は残っており、それが、多少の格差は避けられなかった中でも、資本主義として受け入れられて来た。

しかし、1980年代から1990年代になると、世界、とくに発展途上国の間では、その資本主義はさらに激変して行く。「貧困の撲滅」という呼びかけの下で始まったグローバリゼーションとそのイデオロギーとしてのネオ・リベラリズム新自由主義)が世界的に広がりを見せるのである————この時期、ヨーロッパでは、「鉄のカーテン」が破られ、東西ドイツは統一され、またその直後、ソ連という国家は消滅したのである————。そうした流れを仕組んだのは、既述のように世界銀行IMFと一体となったウオール街だった。彼らの大多数は、ここでも、マニフェスト・デスティニーなる思想の下で、「自由や民主主義の価値を広めるためには武力行使も辞さない」とする考え方や政策を持つネオコンと同盟を結んでいたのではないかと私は推測する。

その彼らの掲げるネオ・リベラリズムとは、保護主義とは正反対で、それぞれの国に、関税の撤廃、金融の自由化、資本の移動の自由化等々を実現させ、その国の政府の規制を最小限にして、それまでの公共・公益部門を民営化させては企業の経済活動を最大限自由にすることを狙ったものである。

 

ではそれを世界中に広めた結果、世界はどうなったか。

国よっては財政危機、金融危機を招き、貧富の格差を極端なまでに拡大させ、生活困窮者を急増させてしまった。

というよりそもそもグローバリゼーションとは、多国籍企業といわれる巨大企業が世界的な事業展開をして市場を独占することが可能となるように、規制を緩和することだった。

だからそのグローバリゼーションは、その結果として、次のような事態や現象を生み出す性質をもともと本質として持っていた(ヘレナ・ノーバーク監督のDVD「幸せの経済学」より)。

その事態・現象とは8つある。

1つは、人を不幸にする。2つ目は、人々の間に不安を生み出す。3つ目は、自然資源を浪費する。4つ目は、気候を激変させる。5つ目は、人々の生活を破綻させる。6つ目は、人々の間に対立を生む。7つ目は、国民の税金を大企業にばら撒くことである。8つ目は、誤った会計の上に成り立つ。

アメリカはかねてより、超強大な軍事力をもって世界を従えようとしてきたのであるが、実はその超強大な軍事力を維持し得ているお金というのは、自国民からのお金ではなく、ほとんどが世界からの借金なのだ。米国債を買わせては手にするという方法で集めた外国からの借金なのだ。

その手法は軍事力保持に限った話ではない。アメリカ国民の大量消費社会の借金を賄っているお金の大部分もそうした手法で集めた外国からの借金だし、後述するウオール街の金融業界が各国の国民からの巨利を貪る「いかさま博打」をしてはグローバル・バブルを引き起こし、その詐欺行為が破綻したときに生じた超巨額の負債を尻拭いするのに充てられたお金もそうした手法で集めた借金なのである。

しかもその借金というお金のほとんどは、それを貸した債権国にとっては、貸したら最後、返してももらえないお金となってしまう性質のものだ。もしアメリカがそれを返したなら、途端にアメリカの経済は崩壊し、同時に世界の経済も崩壊してしまうからだ。

こうしたことから判るように、アメリカが世界を相手に尤もらしい論理を組み立てて構築してはそこに可能な限りの国を巻き込みながら支配して来た世界経済システムとは、その実態は、いわば「他人のフンドシ(借金)で相撲を取る」類いのものだったのだ。しかもそこでは、そうした負い目を負った立場もわきまえずに、つねに自国に最優先的に利益をもたらすこと、すなわち「アメリカ・ファースト」、もっと言えば、政府を金の力で動かす巨大グローバル企業群と、そこに資金を提供する投資家とウオール街の巨大金融企業に最大の利益をもたらすことを第一に考えたものだった。

このように、アメリカは、戦後のどの時代をとっても、その対外姿勢は、軍事援助の仕方についてはもちろん経済支援の仕方についてもすべて「アメリカ ・ファースト」に基づくものだったのだ。決して互恵あるいは「ウイン、ウイン」を考えてのものではない。つねに、それが「アメリカにとっての国益」となるかどうかだけでアメリカの対外姿勢は決まって来たのだ。だからその姿勢も、状況が変わればすべては変わってしまい、昨日まで敵対していた国も、今日からは武器援助するということもしょっちゅうあったし、またその反対もあったのである(孫崎 享「戦後史の正体」創元社)。

アメリカが中心となって戦後すぐに設立した「国際」機関であるIMF世界銀行アメリカの利益を第一とするために設立されたものだし、またそれらのその後の世界各国への経済支援の仕方も、結局のところ、アメリカ政府(財務省)の手足になって、アメリカの利益を第一とする仕方だったのである。GATTO(関税と貿易に関する一般協定)、そしてその後のWTO世界貿易機関)もその例外ではなかった。

次のような一連の動きも、結局はアメリカの利益第一とするためにアメリカ中心に設けられて来たものだ。

遺伝子組み換え技術を特許として認められるように仕組んだこと。本来、自然物なのだから「特許」などというしくみや考え方とは馴染むはずはないのに、である。それは、自国の特定産業が世界の種子を独占できるようにするためだった。

デリバティブ金融派生商品)」などといった、実質的に賭博商品としか言いようのない金融商品を合法化したり、現物取引とは反対に、現物など目の前にないのに、将来の一定期日にその現品の受け渡しや決済を約束するというギャンブルまがいの取引である「先物取引き」を合法化したりしたこともそうだ。実際、原油穀物といった世界の人々の暮らしに直結する物ですら、それらの価格は今もなお「先物取り引き」という手法によって操作されているのである。

それだけではない。巨大多国籍企業群にとっては、今後は巨大利益を生むと目をつけた農業や医療・医薬・農地・土地・水・教育・介護・看護等々のあらゆる分野における、国家間での様々な経済協定(たとえば、TPP、FTAEPA、TiSA、RCEPそして日本政府が事実を隠すために命名した物品協定TAG)にしてもそうだ。それらは、ウオール街や巨大多国籍企業そして巨大金融企業がアメリカ政府と一体になって仕組んだルールだ。それが、アメリカ政府によって各国に加盟を呼びかけられ、各国政府も、アメリカとの交易上、仕方なく加盟せざるを得なくなったものだし、今後もそうした押し付けは続けられてゆくのだろう。

いずれにしても、そうした動きは、エントロピー発生の原理》が教える「人類存続可能条件」とはまったく無関係に進められている。また生物多様性の原理を含む《生命の原理》ともまったく無関係に進められているのである。それは、とりもなおさず、人類がアメリカの先導に従うことで、こぞって破局へと突き進もうとしていることでもある。

日本について見れば、グローバリゼーションという世界的動きの中で、アメリカが日本をネオ・リベラリズム新自由主義)の手法を用いて経済支配を一段と強めた典型例の一つが郵政の民営化であった。

ジョージ・W・ブッシュ政権のアメリカが世界中を騙して起こしたイラク戦争にいち早く「全面協力」を表明したのは既述したように小泉純一郎であったが、その小泉がブッシュに迎合して日本国民を裏切り、竹中平蔵を起用して「構造改革」と称して強行したのがその「郵政民営化」だった。

預金者から預けられている「日本の資産」とも言うべき超巨額の預貯金を日本政府が管理している限りアメリカの自由にはならないから、小泉と竹中は、アメリカに協力して、預金者の預貯金をアメリカの巨大金融企業が合法的にかすめ取ることができるようにするために郵便局を民営化したのである。

その際の小泉と竹中の取った手法は、具体的には、アメリカの国債を買うようにアメリカから巧妙に仕向けさせ、そして “かすめ取らせる”ことだった。

つまり、小泉純一郎竹中平蔵も、吉田茂と同様に、国を売ったのだ。つまり、売国奴なのだ。

アメリカがかすめ取った日本人のそのお金は、既述のごとく、アメリカ政府は、超巨額の軍事費に充てることも出来たし、その軍事費のために生じた超巨額の財政赤字を埋め合わせることにも使えたのである。

実際、小泉政権下の2003年頃から、日本国民のお金は急速にアメリカ国債を買い続けることに使われ、2008年末には日本の一般会計の国家予算よりもはるかに多い1兆ドル(100兆円)のアメリカ国債という売れない紙くずを溜め込んでしまっていたのだ。

ちなみに、2013年10月時点で見ると、日本はアメリカ国債を1兆1000億ドル、中国は1兆3000億ドルをアメリカから買わされて持っている(広瀬隆氏の「資本主義崩壊の首謀者たち」)。

 

このように、アメリカが自国の経済力を成り立たせているお金も、また、ネオコン「自由や民主主義の価値を広めるためには武力行使も辞さない」としては他国に「自由と民主主義」を押し売りする際にちらつかせる軍事力を成り立たせているお金も、そのほとんどは、外国からの借金なのだ。その借金も、これも既述の通り、それを貸した債権国からすれば、貸したら最後、返してももらえないお金とされてしまうお金なのである。

要するにアメリカ政府の言う「アメリカ・ファースト」は、何のことはない、日本を含む協力国を踏みつけにしての「アメリカ・ファースト」なのだ。

こんな状態が、世界的混迷を深めないはずはない。

 

次に環境問題についてである。これまで述べて来たようなアメリカの態度は、地球温暖化・気候変動への取組姿勢という観点からも同様に言える。

今、全世界の人々に、目に見えて脅威を抱かせている地球温暖化そしてそれが主原因で生じているとされる気候変動という問題についても、また目にはなかなか見えにくい生物多様性の消滅という事態に対しても、それを世界中でもっとも加速させているのは間違いなくアメリカなのだ————確かに、今や、温室効果ガスを最も排出しているのは中国となってはいるが————。アメリカ人は、一人当たり、世界中のどこの国の人々よりも多くの化石資源を消費し、どこよりも多くの農薬を多投し、どこよりも多くの食糧を消費し、またどこよりも多くのゴミを出し、どこよりも多くの残飯を出している。その生き方も暮らし方も、人類の存続にとってまさに最大の脅威となっているのだ。

電気の消費量についてみてみても、そのことは次のとおりはっきりする。

アメリカ人一人の電気の消費量は、フランス人なら1.5人分、日本人とイギリス人なら2.2人分、ドイツ人なら2.6人分、南アフリカ人なら5.0人分、中国人なら10.0人分、ナイジェリア人なら61人分に相当するBS世界のドキュメンタリー「地球が壊れる前に〜ディカプリオの黙示録」全篇 2017年12月5日NHKBS1

 

また廃棄物の量についても同様だ。

自然界にとって有害な電気・電子機器の廃棄物は、世界で1年間におよそ5000万トン出ているが、そのうちの950万トンはアメリカが出している。

1989年に採択された「有害な電気・電子機器の廃棄物の手続きによらない輸出入を禁止する条約」であるバーゼル条約(世界190カ国が条約に批准)も、アメリカは未だ批准(あとの一国はハイチ)さえしていないし、しかも米国は廃棄家電のリサイクルさえ行ってはいない。

1992年「リオデジャネイロでの地球サミット」において157カ国の代表が署名した生物多様性条約にも、ブッシュ・シニア大統領だけが署名を拒否したままだ。

また周知のように、地球温暖化を何としてもくい止めようとする世界の人々の悲願として成立した京都議定書「パリ協定」からも脱退している。

エネルギー資源の採掘方法についてみても、温室効果がCO2の20倍とも70倍とも言われるメタンガスを排出させながら土壌生態系を破壊してしまう「水圧破砕法」によるシェール・ガス開発を自国内で積極的に行いながら、その手法によるガス開発をアフリカ、アジア、ヨーロッパにも押し付けている。

その他、火力発電所からの温室効果ガスの量も世界最大、自動車から輩出される温室効果ガスの量も世界最大、北極海の油田開発による海洋汚染の量も世界最大である。さらには、そこへ、石油開発を巡って、イラクやクエートやサウジアラビアへの干渉も続けてもいる。

海岸付近が平地で、低地からなる国や地域では、人々の多くは海面上昇や海岸の浸食、あるいは巨大化したサイクロンによって移住を余儀なくされている。

しかしそうした災害に遭っているのは、その多くが、地球温暖化をもたらすような暮らしとはまったく無縁な暮らしをして来た人々である。と言うより、アメリカの進めて来た既述のネオ・リベラリズムによるグローバリゼーションという世界的経済支配戦略によって貧困な暮らしを強いられて来た人々だ。

その人々の多くは、今、住み慣れた地を離れ、気候難民(かつての米副大統領「ゴア」氏の造語)となって都市へと流入している。南アジアのバングラデシュがその代表例だ。人々は首都ダッカへと大移動を始めている。しかし流入したそこにも仕事はなく、人々は街にあぶれているのである。

 

以上、政治、経済、軍事、環境という面から、自身が混迷に陥り、そしてそれをますます加速させているアメリカによる世界への影響ぶりを見て来た。これらのことからはっきりするのは、もはやアメリカは「世界の救世主」ではないことはもちろん「世界の警察官」でもないということだ。そして、とくにF・ルーズベルト大統領以降築き上げて来た世界の覇権も、今やまったく地に堕ちた。つまり、アメリカ=世界のリーダー」は幻想に終ったのだ。むしろ今のアメリカの存在自体が、世界の主権国とそこの人々にとっては、平和と安定を乱し、「それぞれの国の安全保障を脅かす国」、「帝国主義的・支配的力を振り回す悪の帝国」でしかなく、文字どおりの「ならず者国家」と成り下がった存在、さらには「世界を壊すだけの存在」としか映らなくなっているのである。「偉大な国」どころではない。

もちろん、そのアメリカの姿と存在は、世界人類にとってばかりではなく他生命にとっても同様で、彼らの生存権を最も脅かしている国でもある。

言い換えれば、その姿は、正に、「自由や民主主義の価値を広めるためには武力行使も辞さない」とするネオコンが中心となっている軍産複合体を帝王とする「現代のローマ帝国「狂気の巨人」と言ってもよく、自らが自らを御し得ない国家、自分で自分の姿がまったく見えなくなってしまった国となっているのである。

事実そのアメリカは今、自国内では、貧富の格差は世界一、自由・平等も喪失させ、アメリカン・ドリームをも消滅させ、国民の間ではかつてない分断を生じさせ、肥満や心身の健康障害を蔓延させ、世界最大級の暴風雨をもたらすハリケーンや干ばつや大洪水、森林火災そして竜巻等の巨大自然災害をも頻発化させ、世界で最も顕著な形で、克服困難な矛盾を自ら生み出しながら、しかもそれを深刻化させてしまっているのである。

ところがここで極めて残念なことに、そのアメリカが自ら壊れゆき、また世界の人々のアメリカに対する幻想が壊れて行くとき、同時に世界もまた壊れ、混迷の度合いはいっそう深まって行っていることなのである(K.V.ウオルフレン「アメリカとともに沈み行く自由世界」徳間書店

 

第1章 世界はなぜ混迷の度合いを深めて行くのか、そして日本はなぜ?

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第1章 世界はなぜ混迷の度合いを深めて行くのか、そして日本はなぜ?

いよいよ今回は、拙著「持続可能な未来、こう築く」を執筆し始めた出発点に当たる第1章に戻って公開します。

私の問題意識は、その表題に表現されたものから始まります。

世界は今、平和と安定に向かうどころか、ますます混迷を深め、未来に不安を抱く人の数を激増させています。

その傾向を示すごく近年の例は、領土拡大と勢力拡大の野心に基づく中国の世界における急速な台頭です。また米国は米国で、これまで歴代大統領が世界の諸国との間で築いてきた様々な取り決めを含む秩序から次々と撤退し始めていることです。しかもそんな中、米国と中国との間では、技術開発を含む経済と軍事の面で、世界を巻き込んだ形での覇権争い、あるいは新たな冷戦を始めたことです。そしてさらにそこへ、治療法もワクチンもない新型コロナウイルスによるパンデミックが生じ、文字通り世界規模で、膨大な数の死者を伴った経済的大混乱に陥っていることです。

本第1章の最初の節では、この新型コロナウイルスによるパンデミックという最新の状況による影響については新しすぎて言及出来ませんでしたが、それを除いては、なぜ世界は次々とこうした混迷傾向を深めるのか、その主たる理由ないしは原因と考えられるものについて、私なりに考察して、本書の出発点に据えようと思います。

ここでも、全体を三度に分けて公開します。

 

1.1 ますます混迷の度合いを深めて行く世界————————————その1

ベルリンの壁が崩壊し(1989年)、ソヴィエト連邦が消滅し(1991年末)、米ソの超大国を中心とした陣営間の対立、いわゆる東西冷戦が終結(1991年)してまもなく30年が経とうというのに、世界は、総じて、平和で安定した状態になるどころかむしろますます混迷の度を深めている。

そうした状況をもたらしている主な直接的原因の1つが、民族紛争であり、宗教対立、テロリズムの頻発であり、それによる政治難民の大量発生と、彼らの移動によってもたらされている人種対立である。もう1つは、その背後に大国間の対立を控えた小国間の代理戦争の頻発化である。もう1つは、資本主義経済システムの一環としてのグローバリゼーション(経済の世界化)とネオ・リベラリスム(新自由主義)の嵐が世界的に吹き荒れた結果、一方では途上国での財政破綻と経済危機、他方ではとくに先進国内での経済格差とその拡大が顕著になり、そのために、途上国と先進国のいずれの国内でも人々相互の間の分断と対立が深まっていることである。まだある。そこにさらに、加速度化している地球温暖化とそれに伴う気候変動によって住む場所を失った結果としての新たな難民の大量発生と彼らの移動と移動先での問題が加わり、事態を世界規模でますます複雑化させていることである。

第一次世界大戦の教訓として誕生した国際連盟は二度目の世界大戦を防げなかった。そしてその二度目の世界大戦の教訓として誕生した国際連合も、今、国連設立の第一目的である「国際の平和および安全を維持すること」がうまく機能しているようには決して見えない。

アメリカとソ連(当時)との間で、あわや核戦争勃発という瀬戸際まで行ったキューバ危機の事実(1962年)がそうだ。あるいはその後、これはあまり知られてはいないが、1973年には、同じく米ソ間でもう少しのところで核戦争勃発というところまで行った事実がそうだ。また、既述の通り、冷戦が終わった後にはむしろかえって混迷を深めてきてしまった世界の状況がそうだ。また、これまでの二度の世界大戦を通じて学んだ教訓に基づいて、とくにアメリカとヨーロッパを中心に築き上げられて来た世界平和実現のための秩序あるいは枠組みそのものも崩壊しつつあるようにさえ見えるのもその理由の1つである。

国連が当初の設立目的を果たし得ていたなら、こうはならなかったであろう。

このような地球規模の混迷が今なお進んでいる状況の中で、世界人類は、今後、どの方向に、何を根拠に、どのような道を辿って進んで行けばいいのであろう。どうすれば世界は安定を、また平和を実現できる日が来るのであろう。未だそれは見出し得てはいないのだ。

 

では、なぜこうした事態になるのであろう。

本書を記述するに当たって、スタートとしてのこの章のこの節では、こうした混迷状況に至っている現況をもう少し具体的に見つめてみると共に、どうしてそうなってしまったのかという主な原因について、私なりにざっと考察してみようと思う。そうすることで、本書執筆の動機と目的そして本書の位置付けをより明確にできるのではないか、と思うからである。

ただし、その場合、ここでは、その現況とそうなってしまった原因の考察を、アメリカを中心にしてみてゆこうと思う。

その理由は、かいつまんで言えば、第二次世界大戦後の世界では、アメリカがいい意味でも悪い意味でも世界に対して圧倒的な影響力をもたらしてきたし、今後も、アメリカがそうした面での力の維持のみに執着し続けるのなら、自身の傲慢な姿に自ら気付こうが気付くまいが、世界に対して圧倒的な影響をもたらし続けて行くであろうと私には推測されるからである。そしてその場合、そのアメリカの世界への影響のもたらし方は、総じて、いい面よりは悪い面の方向にいっそう顕著に現れ、いっそう世界秩序と安定を乱し、アメリカの影響を受けた国々をして、ますます混迷を深めてしまう事態を引き起こさせてしまうだろう、とも私は推測するからである。

すなわち、アメリカのみに注目する理由は、次の3つになる。

1つは、戦後、ソビエト連邦が消滅する前までは、ソ連と共に、世界に対して、経済力と軍事力を背景にしての政治面で最も大きな影響をもたらして来た国であること。

2つ目は、ソ連が消滅し、東西冷戦が終結した後には、事実上世界の一強となり、やはり世界に対して、経済力と軍事力を背景にして政治面で最大の影響をもたらし続けてきた国であること。

3つ目は、とくに「9.11」アメリカ同時多発テロ事件以後、アメリカの世界戦略の中では、軍事と経済の両戦略に、文字どおり世界を巻き込む形での大きな変化がアメリカ政権内に現れたように私には見えることである。それだけに、一層アメリカの動きは注視する必要があると私は思うからである。

そしてそのアメリカに注目する場合も、主として、政治経済外交環境の四つの側面について見て行こうと思う。ただし、その四側面は必ずしもつねに分離できる訳ではなく、互いに関連し合っている場合もある。

先ずは政治面についてアメリカの政治が世界に混乱を引き起こし、さらにその混乱を助長してきた経緯を見てみる。

アメリカは、第二次世界大戦の最中から戦後の2、30年間にかけて、その大戦を通じて世界から集めた莫大な富を背景に、世界に対して、圧倒的な支配力と影響力を見せた————それは政治面に限らず、経済、外交、軍事の面でも同様だったが————。その際、とくに元陸軍元帥マーシャルによって提案され、ヨーロッパの戦後復興に絶大な貢献をしたマーシャル・プランは有名である。そしてその後も、アメリカは、「自由の国」、「アメリカン・ドリームを持てて、それが叶えられる国」でもあるとして、世界中の人々からあこがれを持って眺められた。実際、1950年代は、アメリカ人自身、最も幸せと実感し得た時期だった。

それだけにアメリカは、世界中から頼られ尊敬されて、偉大な国と見なされた。その信頼と尊敬の下に覇権を不動のものとしたのである。時の大統領はF・ルーズベルトだった。

とは言え、アメリカが世界からそのように眺められ、実際あらゆる面で強い影響をもたらし得て来たのは、冷戦が終結した後のほんのしばらくまでだった。それは、期間にして、およそ40年から50年ということになる。

しかしルーズベルト大統領が急死し(1945年4月)、代わってトルーマンが大統領になると、アメリカ国内の状況も、世界の状況も急速に変化し始める。

トルーマン社会主義諸国家を封じ込めようとし、反共主義を明確に掲げた考えを発表する。いわゆるトルーマン・ドクトリンと呼ばれるものがそれで、これが東西冷戦を引き起こしてしまうきっかけとなるのである。第二次世界大戦が終わって2年も経たない1947年3月のことだ。

今でもアメリカでは、「冷戦になったのは、ソ連の世界規模の侵略に対抗するためだった」と思っている人が多くいるが、それは誤解だ。東西冷戦を生み出したのはソ連スターリンではなくアメリカだった。トルーマン大統領だった。

ではなぜトルーマンは自分の方から「冷戦」という事態を引き起こしたのか。

少なくともその時点ではたとえソ連アメリカに戦争を挑んだとしても、アメリカはいつでもソ連全土を破壊し得るだけの兵器を手にしていたし、またそれを独占していたのだから、ソ連を恐れる必要など全くなかったのに、である。その兵器とは世界最強の破壊力のある原爆である。その上、アメリカは、経済力においてもソ連に対して圧倒的に優位な立場にあったのだからである

そこにはトルーマンという人間の狭量と邪悪な性格が影響した。ソ連に対してルーズベルトのようには寛容をもって対応できなかったのだ。

またその背景には、トルーマンとその大統領府側近のスターリン指導力ソ連の持つ兵力・軍事力への恐怖もあった。

実際、第二次世界大戦では、連合国側に勝利をもたらす上で最大の功労者となり大戦を終結に導いたのは、これまではアメリカと一般には信じられて来たが、実際にはそうではなくソ連だった。ソ連は、第二次大戦での全死者数がおよそ7000万人と言われる中で戦死者2700万人も出しながら、その兵力・軍事力とスターリン指導力によってこの大戦を勝利に導いたのである。ナチス・ドイツの首都ベルリンを最初に制圧し、陥落させたのもソ連軍である。

トルーマンおよび彼の政府側近は、正にこのソ連の力に恐怖したのである。

実際トルーマンは根拠もなくこう言い始め、共産主義の恐怖を自国民や世界に対して煽った。

ソ連は世界征服を目論んでいる」、「スターリンが世界中に革命を広げようとしている」、と。

かと思えば、外からアメリカに侵略してくる者など上記の理由に拠りいようはずもなかったのに、「ソ連の侵略に抵抗しなければ我々の自由は打ち砕かれる」等々と怯えたのだった。

ソ連は、ソ連の指導部に歯向かう者たちには抑圧的な体制を押し付けていたのは事実だが、そのソ連アメリカに対して拡張政策をとるようになったのは、アメリカを中心とする西側がイデオロギーと安全保障の両面でソ連を脅かすようになってからである(「オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史」第4回「冷戦」)。

これ以降、冷戦は激しさを増して行く。

しかし、激しさは増して行くが、それだけにアメリカもソ連もそれぞれ自分の陣営に対しては、今まで以上に結束を強化する配慮をして行くのである。

そうした中で、東西冷戦の象徴としての「ベルリンの壁」がソ連側によって作られたし、あわや米ソ全面核戦争が勃発するのかと全世界を震撼させ、人類は地球上から消滅するかもしれないとの恐怖に陥れた「キューバ危機」が起る。

そのキューバ危機では、核戦争を土壇場でくい止めたのはソ連海軍の政治将校で潜水艦副艦長のアルヒーポフだった(「オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史」第6回「冷戦」)

しかしその後、ソ連国内の経済の低迷と政権内部での権力抗争に因り、ソ連は弱体化して行くことになる。結局、世界の半分の国々に厳然とした支配力を見せて来たソ連という国家はアッと言う間に崩壊し、消滅してしまうのである(1991年)。

この事実は、それまで、どんなに強大な国家とは見られて来ても、そして外からの侵略や攻撃に因らなくとも、壊れるときにはかくもあっけなく内部から壊れるものである、ということを世界に知らしめた。

こうして、44年間続いて来た冷戦も、ソ連消滅をもって終結するのである。

この冷戦の終結は、これまで双方いずれかの陣営に属さざるを得なかった国々と人々にとっては、超えるに超えられなかった世界的枠組みが突如消えてなくなってしまったことを意味した。結果として、残った一方の陣営である西側では、軽々にして、「自由主義の勝利」、「資本主義の勝利」ともてはやされた。また、ソ連によって抑えられて来たこれまでの東側においては、諸国家、諸民族、諸部族が突如、抑圧やしがらみから解放されることになった。

そしてこのときほど、世界の多くの人々には「平和が近い」と予感させたことはなかった。

しかし、である。実は、唯一残った超大国アメリカ、とくにその政府には、この時二つの大きな変化が起っていたのである。

その1つはアメリカは、ソ連崩壊が近いことを予測し始めた前後から、これまでの二大国間の緊張感から解き放たれ始め、その結果、西側陣営を引きつけたり束ねたりするためのこれまでのような配慮や、世界のリーダーたらんとする配慮を怠るようになって行ったことである。

その結果、それまでアメリカの力によって支配され統治されて来た国々、民族、宗派の人々も、東側の解放と同様、自らの解放を叫び、自らの存在を主張し始めたことである。

もう1つは、東西冷戦があり、それが過熱化して行く中で自らの存在意義を保ち、またその勢力を拡大して来た国防総省ペンタゴン)を中心とすネオコン新保守主義と訳されるネオ・コンサーバティズムの略)と呼ばれる勢力と大統領直下のCIA(中央情報局)は自分たちの存続を図るための新たな世界戦略として考え始めていたことである————「アメリカ新世紀プロジェクト」と呼ばれる政策である————オリバー・ストーン「もうひとつのアメリカ史」)

彼らには危機感があった。ソ連が消滅し冷戦が終わることは、そのままペンタゴン、とくにNSA(国家安全保障局)やネオコンの存在意義も大幅に低下し、それだけに人員や予算の大幅削減が必至となる、と見ていたからである。

そもそもネオコンとは、「自由や民主主義の価値を広めるためには武力行使も辞さない」とする考え方や政策を持つ人々のことである広辞苑第六版)

それは、アイゼンハワー大統領が退任時(1961年)に、アメリカ国民に向ってその存在を知らせ、警告して呼んだ「軍産複合体」という巨大な複合組織の中枢に根付いてきていた人々であったのだ。

そしてその軍産複合体こそ、アイゼンハワー大統領在任時から、その後、多分今日までもなお、肥大化し続け、世界に対して巨大なフランケンシュタインのごとくに振る舞い始めてゆくのである。実際、それは、アメリカの民主党共和党どちらの大統領さえもコントロールできないほどになっているのだ。

フリーのジャーナリスト ジェレミー・スケイヒルはこう言う。

「そのために、大統領がどんなに変わろうが、アメリカという帝国はびくともしません。アメリカの中核の組織は暴力的な軍隊を必要としており、その軍隊が取り澄ました自由市場を支援するというのが大前提です。共和党から出た大統領であろうと、民主党から出た大統領であろうと、恒久的な権力構造や諜報機関からブリーフィングを受けると、皆同じようになってしまうのです。遠い昔、この国で沈黙のクーデターが起き、国の指導者の選出プロセスを企業が完全にコントロールするようになったのです。その事実を理解しない限り、何も変わりません」(BS世界のドキュメンタリー「すべての政府はウソをつく(後編)」2017年2月2日)。

実はアメリカ人の間には、1840年代マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)」という思想———これを「神話」と呼ぶ人もいるが———が生まれた。それは“神の与えし膨張の宿命をアメリカは負う”、あるいは“予め明白に定められた運命”と理解されているもので、アメリカに神から与えられたとする運命感・使命感であるオリバー・ストーン「もう一つのアメリカ史」第一回)
しかしそれは、実際のところは、もともと彼らアメリカ人自身がヨーロッパからの移民であったのにも拘らず、それを忘れて、その当時としては、先住民のアメリカ・インディアンを虐殺したり彼らの土地を奪ったりするという蛮行や、また、アフリカから強制的に運んできた黒人を奴隷化しながら西部開拓を推し進めることをして来た自分たちの蛮行を正当化するためのものであった藤原正彦「国家と教養」新潮新書p.161)アメリカインディアンや、アフリカ系黒人を蛮人とみなし、彼らを文明開化させることこそアメリカに課せられた“明白なる天命”と、勝手に自分たちに言い聞かせたのである。

であるから、この理由づけから、神から与えられたこの美しい使命に抵抗する者は、神の意志に反する者として排除されても仕方がない、とする考え方となるのは必然だった。つまり、何と言うことはない、マニフェスト・デスティニーとは、アメリカの帝国主義的な領土拡大を正当化するためのものだったのだ。

ネオコンがその存続を掛けて新たな世界戦略を考えているちょうどその時、彼らにとっては、かつて日本軍によるパールハーバーへの奇襲があったと同じように運良く、「9.11」アメリ同時多発テロが起ったのだ。

もちろんそれは、アメリカ国民にとっては悲劇ではあったが、ネオコンとその彼らと同盟を結んでいた時のジョージ・W・ブッシュ政権にとっては好機となった。今こそ、そのアメリカ新世紀プロジェクト」なる新たな世界戦略を実行に移せる時だ、と映ったのである。

実際、ジョージ・W・ブッシュアメリカ政府は、「9.11」以降、“すべての国と地域が決断するときだ。我々(アメリカ)につくか、テロリストにつくか”と世界を恫喝する手に出たのだ。またその時ブッシュは、見えない敵であり、国家を持たない敵であり、あるいは戦術でしかないテロというものを標的にした「テロとの闘い」という名の、終り無き戦いの開始を宣言したのである。そしてその恫喝を非難する国連に対しては、「自分の意志に従わないなら、国連は無用のおしゃべりクラブだ」と言って虚仮にさえしたのだ。

このときにネオコンが自らの存続のために考え出したアメリカ新世紀プロジェクト」の主要な1つの目論見が、イランを叩くことを最終目的としながら、まずはアフガニスタンイラクをも含めて「悪の枢軸」と表現することによって、「敵国」としてでっち上げることだった。もう1つが、経済によって世界を牛耳ることだった。その方法こそが新自由主義(ネオ・リベラリズム)を土台とするグローバリゼーションだった。

ネオコンの考えるそのグローバリゼーションとは、蛮人たちの社会に存続して来た規制を徹底して緩和させては、あるいは撤廃させては公的制度を民営化させ、そこに成果主義を採用させてはそこから上がってくる利益を最大化させ、それをアメリカのネオコン仲間の巨大企業(ウオール街の大金融企業、IMF世界銀行)が、本主義の仕組みを巧妙に利用して吸い上げることができるようにしたものだった。そしてそれは、マニフェスト・デスティニーの根底に流れている、「蛮人たちを文明開化させることこそアメリカに課せられた明白なる天命」との思想に通じるものだった。

こうしてブッシュは、計画どおり、手始めにアフガニスタン政府を、過激派組織タリバンをかくまっているとしてその主権を平然と武力で蹂躙しては転覆させたのである。

次いで、ブッシュは、「フセインはテロリストを支援し保護している」とし、「イラク大量破壊兵器を所持している」と、コリン・パウエル国務長官(当時)をして国連にて堂々とウソの大演説をさせては世界中を騙してイラク戦争を起こした。フセイン大統領を裁判にも掛けずに殺害し、イラク政府を転覆させたのだ。その結果イラクはどうなったか。イラク社会は地獄さながらの大混乱に落とし入れられてしまったのだ。

実はアメリカがイラクをそのように何の再建策計画もないまま攻撃し、イラク国内を大混乱に陥れたことにより、その混乱状態の中から「イラクアルカイダ」として台頭して来た勢力が、その後、世界を震撼させることになるIS(イスラミック・ステート)なのである。

少々わき道にそれるが、このとき、コリン・パウエル演説の、あるいはブッシュ政権イラク戦争を起こそうとしている理由の裏付けを取ることもなく、世界でイの一番、イラクへの侵略戦争の全面協力の姿勢を表明したのが当時日本の首相だった小泉純一郎だ。

ところがその当の小泉は、自分の母国を恥さらしにする己の軽率な行為がISを生じさせる遠因を作ったこと、その結果自国のジャーナリストをISによって殺害させてしまったこと、また大量の難民を生じさせてしまったこと、その大量難民の越境移動がその後とくにEU内での分断の原因をつくったこと等に対しては、今もって自らのその人道的かつ道義的責任には一切言及してもいなければ、反省の色も微塵も見せてはいないのである!

そしてその直接の原因を作ったアメリカも、この大量難民を生じさせたことに何の責任を感じる姿勢も見せない。これも、結局は、マニフェスト・デスティニーなる使命感の発祥理由あるいはその記憶がそうさせるのかもしれない。

アメリカではその後、“政府の透明性を高める”、あるいは、“イラク戦争には反対する”と明言して世界の期待を担ってオバマが大統領になるのであるが、そのオバマは、当選してしまうと、ジョージ・W・ブッシュが始めた「テロとの戦い」を止めるどころかさらに規模と頻度を拡大して引き継いだのである。そして、自国民相互のみならず世界に行き交う通信さえも違法に傍受し、国家機密の保持を盾に、政府の内部告発者や記者をスパイとして歴代大統領の誰よりも多く、次々と訴追して行ったのである。また、オバマは、アフガニスタンイラクのほかに、アメリカとは戦争状態になってもいないパキスタン、イエメン、ソマリアなどでも、市民をも巻き込むドローン(無人攻撃機)による無差別の攻撃や暗殺を、ブッシュのときの8倍近くも回数多く指示したのである。

オバマは、「誰を殺しているのかも判らずに殺す」という正に「戦争犯罪」を重ね、暗殺を合法化しようとさえした。 “核をなくす”とスピーチをしただけでノーベル平和賞まで受賞すること自体おかしなことだが、実際、その後のオバマは、退任直前を除けば核廃絶の動きなどほとんどせず、むしろ彼が目ざしたところは、大統領選挙戦のときから巨額の選挙運動資金の援助を受けたウオール街の力を借りて、ブッシュを引き継ぐ形で世界を支配することであったのだ。

そのことはオバマの政権スタッフが主としてウオール街の有力メンバーだったことが裏付ける。

実際、そのウオール街の巨大金融投資会社は、戦後まもなくしてアメリカが創設したIMF世界銀行と共に、世界の国々にネオ・リベラリズムを広げ、次々と公的な規制を緩和させあるいは公共インフラを民営化させる中、人々の間で格差を拡大させながら巨大な富を手にして来ていたのである。

つまりオバマとは、見かけは清廉潔白そうで穏健的で知的イメージが強いが、その正体は、文字どおり「羊の皮を被った狼」(オリバー・ストーン)だった。

2017年、オバマに続いて大統領になったのは、「偉大なアメリカ」の再現を訴え、「アメリカ・ファースト」を全面に掲げたトランプであった。しかしそのトランプも、やっていることは、世界を大混乱に陥れるという点ではブッシュに劣らなかった。とりわけ彼は不動産業の世界でビジネスマンとしてのし上がって来ただけの人間であったがゆえに、それまで世界の人々が闘い取って来た自由を含む人権とか民主主義にはほとんど関心もなく、あるのはお金への欲、損得への拘りそして権力欲だけだった。だから何事にも集団の中での、あるいは集団を相手にしての交渉とか、他国との協調的関係の中で物事を進めるということは苦手とし、つねに1対1の関係に引きずり込んでの「取引」という感覚でしか臨むことができない男だった。したがって当然ながら物事を長い眼と広い眼で眺め考えることなどできず、そのときの思いつきや直観でものを語り、自分の成果を嘘も交えて誇大にアピールするだけの脳しかなかった。こんな人格だから、自ら任命した政府の要人でも、彼に意見する者は次々とクビにし、側近をイエスマンだけで固めて来た。だからたとえばケネディの時のようなブレインというブレインはおらず、国家安全保障の面でも、また世界の平和と安定の確保という面でも、指導者の器には程遠い、むしろ欠陥人間だった。というより、トランプは、それまで世界が築き上げて来た秩序を壊し、普遍的価値としてきた自由と民主主義を軽視し、世界をかき回すだけでしかない人物なのだ。

実際、そのトランプがやって来たことと言えば、たとえば次のようなものだ。

  • メキシコからの移民を拒否するための壁づくり。
  • ロシアとの間で合意して来たINF(中距離核戦力)全廃条約を破棄
  • 12カ国で進めて来たTPPからの離脱
  • 国連のユネスコからの脱退
  • イランと米英露など六カ国の間で結んだ「イラン核合意」を破棄
  • 29カ国が加盟して成る軍事協定NATOからの離脱に言及したこと
  • 197カ国加盟の地球温暖化対策「パリ協定」からの離脱
  • 第二次大戦後、4回の中東戦争(1948〜1973年)により、その帰属はイスラエルユダヤ人)とパレスティナ(アラブ人)の和平交渉で決めるべきとされて国際管理地となったエルサレムを、2017年12月、1948年に建国したイスラエルの首都と認定したこと
  • 世界規模で急速に台頭する中国に対して、経済と軍事の覇権を掛けた新たな戦争を開始したこと
  • かつてアメリカが「悪の枢軸」の一国と呼んだ北朝鮮に対して、ミサイル開発を承認したこと
  • 歴代政権がとって来たキューバとの和解政策を転換したこと

 

こうして、とくにジョージ・W・ブッシュ以降、オバマ、そしてトランプのアメリカはもはや「世界のリーダー」としての地位と威信は完全に過去のものとなった。というより、もはやアメリカは信頼と尊敬を基礎とする覇権を失っただけではなく、アメリカ自身が世界の秩序を掻き乱し、世界の平和と安定にとっての最大の脅威となり、世界秩序を壊す存在とさえ成り下がっているのだ。

そんな中、今後とくに世界全体にとってますます重大な意味を持ってくると考えられるのがアメリカと中国との関係だ。

今、アメリカと中国は、関税の掛け合いという形での貿易戦争をますます激しくしている。技術革新の面でも、とくにアメリカは、中国はアメリカの知的財産を盗用しては自国技術を飛躍的に発展させていると非難しながら熾烈な競争をしている。同じくアメリカは、中国に対して、海洋や宇宙そしてサーバー空間にまで急速に勢力拡大を図っているとして軍事面でも激しい覇権争いを展開している。

その様相は、さながら新冷戦だ。

中国のそうした動きに立ちはだかろうとするアメリカの言い分はこうだ。

ソ連の崩壊後、われわれは中国の自由化は避けられないと想定した。楽観主義をもって中国に米国経済への自由なアクセスを与えることに合意し、WTO世界貿易機関)に加盟させた。中国が豊かになって自由が広がれば、それは経済面だけではなく政治面にも拡大するだろうと期待したからだ。しかし中国は、世界で第2位の経済大国になった今もなお共産党による一党独裁で、むしろ国民は統制と抑圧による他国には例を見ない監視国家を築き、アメリカの期待を裏切った。アメリカが中国を助ける時代は終わったのだ。

 

池上彰「知らないと恥をかく世界の大問題10」(角川新書 p.27)

アメリカがこうした考え方をもって来た背景には、先のジェレミー・スケイヒルの言葉が物語るように、トランプの背後にあって、暴力的な軍隊を持ち、自由市場を支援しているアメリカの中核の組織————それは遠くは「マニフェスト・デスティニー」を信奉し、「自由や民主主義の価値を広めるためには武力行使も辞さない」とする倒錯した民主主義感覚を持つ国家安全保障問題担当の大統領補佐官ボルトンのようなネオコンを中心とした組織———の存在があると私は推測する。つまりトランプの動きは、彼は表ではいかに「アメリカ・ファースト」を叫ぼうとも、それはあくまでもアメリカの長年のそうした体制を背後に持ったもの、ということになるのではないか。

では、それに対して習近平の中国はどうかというと、中国は建国名を「中華人民共和国」と命名していることからも判るように、「中国は歴史的にも世界の中心となってきた華」とする中華思想———これは漢民族の思想———と、毛沢東以来の共産党を絶対とする国家体制を習近平は背負っているのだ。

つまりトランプも習近平も、互いに自国の建国の歴史以来の国家の体制を背負っているがために、そしてとくに中国のその体制とは、経済は共産党一党支配の下での市場経済とし、政治は共産党一党支配の下での社会主義による独裁という、理論的には到底調和し得ない体制であるがために、そしてそれはアメリカを中心とする世界の大勢の共通のルール、つまり「法の支配」の下での民主主義的自由主義市場経済という体制ともどうしたって相容れない体制であるがゆえに、互いに譲るに譲れない問題なのだ。譲ってしまったら、それまでの国家の体制を壊してしまうことになるからだ。

しかも、その両者の相剋に基づく新たな冷戦は、かつての米ソ冷戦時のイデオロギー対立とは異なっているのである。アメリカにとっても中国にとっても、経済的には両者密接に関わり合いながらも、建国の起源とその後の成り立ちの違いを背負った冷戦なのだ。

こうして、世界全体は今、米中という世界の第一と第二の大国間の相剋に巻き込まれてしまっているのである。

振り返ってみれば、アメリカも、私たち外部の者から見れば、我が身を顧みようとはしない思い上がりともとれるたとえば次に挙げるような様々な行為を、相手国の歴史や文化を無視して、世界統治のためと称しては、建国以来の「マニフェスト・デスティニー」を正当化させ、行使して来たのではなかったか。だから、今、軍事力強化を背景にして領土拡大や勢力拡大を強行し、また自国内の少数民族を虐待する中国ばかりを責められないのだ。

  • アメリカ先住民であるインディアンの土地を奪い、彼らを居留地に追いつめ、北米を白人のものとしてきたこと。
  • アフリカの黒人を大量に買い付け、彼らを奴隷として扱い、自国の経済発展に利用して来たこと。
  • アメリカのとって来た「単独主義」や「アメリカは例外」とする考え方、さらにはその延長上において「アメリカは世界の警察官だ」としたトルーマン以来の対外姿勢
  • その後のアメリカの中南米諸国への軍事介入という行為、そして遠くベトナムにまで行ってベトナム戦争を引き起こした行為
  • 第二次大戦中に蓄えた巨額の富を基にアメリカが戦後創設したIMF世界銀行が、その後、アメリ財務省の指示の下にアメリカの利益最優先のために活動して来たこと
  • また、最初は友好国として経済援助したり、軍事支援するために武器供与したりしても、その国の指導者が自信を深めてアメリカの言うことをそれまでのようには聞かなくなったりすると、それまでの友好的態度を一転させては、「悪の帝国だ」、「悪の枢軸国だ」、「ならず者国家だ」と非難し始め、その国の政権が主権を主張し自主路線をとろうとするか主権をアメリカに売り渡して追従するかで、アメリカはその後のその国の政権と国民の命運を大きく左右してきたこと

具体的には、もしそのとき、その国の政権が前者の主権を主張し自主路線をとろうとすれば、その国に対しては、アメリカは、「アメリカの安全保障を脅かす国だ」として、国際法も同盟国の意見をも無視し、もちろん相手国の主権をも無視して、一方的かつ先制的に転覆させてきたことオリバー・ストーン「もう一つのアメリカ史」)。

つまり、アメリカにとって利用価値がある間は支援するが、要らなくなったり、邪魔になったりしたなら躊躇なく、手段を選ばずに排除する、という利己的で独善的で傲慢な態度を取って来たこと。そしてそれを達成してはアメリカはたとえばこう言って来たことだ。“アメリカの偉大な伝統に輝かしい章が加わりました”(当時のダレス国務長官 同上の「もう一つのアメリカ史」第5回)

  • その場合も、転覆させた後には、その国の主権を無視して、アメリカにとって好都合なある種の支配体制を押し付けるという仕方を共通して取り、その場合も、その国を、将来どのような国にするか、そのためにどのように国づくりを進めるかという事前の方針はつねに何も持たなかったこと。

こうしたアメリカの国際社会に対する姿勢は、その関与の仕方には程度の差こそあれ、一貫して「アメリカ・ファースト」であったし、その姿勢はトルーマンをはじめアイゼンハワー大統領以降のどの大統領の時代にも共通だった。

こうしたアメリカの犠牲になった国と人々が、たとえば、日本の広島と長崎の人々をはじめ、フィリピン、中央アメリカ、ギリシャ、イラン、ブラジル、キューバコンゴインドネシアベトナム、カsンボジア、ラオス、チリ、東ティモールイラクアフガニスタングアテマラホンジュラス、アルゼンチン、ペルー、パキスタン、イエメン、リビアソマリア、ニカラグワ、エルサルバドル等々である(オリバー・ストーン「もう一つのアメリカ史」第1部)。

日本という一国だけについてみても、この国の内部では、たとえば以下に挙げる人々が、アメリカの利益に反する不都合なことを言う政治家であるとして、「資本主義の見えざる軍隊」と呼ばれるCIA(アメリカ中央情報局)の秘密工作により、あるいはワシントンとCIAに追随する日本の検察という、国民の公僕であるはずなのにアメリカに追従する官僚により潰されて来たのである。

鳩山一郎石橋湛山芦田均重光葵岸信介佐藤栄作田中角栄竹下登梶山静六橋本龍太郎小沢一郎鳩山由紀夫孫崎 享「アメリカに潰された政治家たち」小学館)。

これに対して、この国の他の政治家はもちろん、政治ジャーナリストも、メディアも、そして知識人も、全くと言っていいほどに、アメリカに対して無抵抗だったのだ。

5.3 日本国民とドイツ人との生き方の比較 ————ヴァイツゼッカー大統領演説『荒れ野の40年』から見えてくる戦後のドイツ人の生き方を参考にして————————その2

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5.3 日本国民とドイツ人との生き方の比較

————ヴァイツゼッカー大統領演説『荒れ野の40年』から見えてくる戦後のドイツ人の生き方を参考にして————————その2

5.3節の「その1」では、とくに、ドイツはどういう動機と目的の下に戦後の経済復興と発展を目指し、またそれを実現させて来たかを国際社会との関わりの中で見て来ました。そして、日本は何を目指して、どのような考え方の下で経済復興と発展を目指し、またそれを実現させて来たか、をも見て来ました。

そしてそこには、両国の間には対照的とも言える違いがあったことが明らかになりました。

その違いが、今日、日本とドイツに対する国際社会の中での信頼度や尊敬のされ方、つまり世界における存在意義の違いとして現れているのです。

以下の「その2」では、先ず冒頭、戦後のドイツ人のものの考え方とそれに基づく生き方を最も象徴的に表現していると私には思われる、今は亡き、元ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の大統領(R.v.ヴァイツゼッカー)が連邦議会にて全ドイツ国民に向けて語りかけた演説の要所要所を抜粋しながら、そこから、なぜ彼らドイツ人がそんな生き方ができたかを、私なりに考えてみようと思うのです。

 

以下、岩波ブックレットNo.55『荒れ野の40年』」より。

(ⅠからⅨなるローマ数字は、大統領の演説文の翻訳本にあったものものをそのまま記したものです) 

ご臨席の皆さん、そして国民の皆さん

多くの民族が本日、第二次大戦がヨーロッパの地では終結を迎えたあの日を思い浮かべております。・・・・・。1945年5月8日はヨーロッパにおいてきわめて重要な歴史的意義を担った日であります。われわれドイツ人はこの日をわれわれだけの間で記念いたしておりますが、これはどうしても必要なことであります。われわれは判断の規準を自らの力で見出さねばなりません。自分で、あるいは他人の力を借りて気持ちを慰めてみても、それ以上の役には立ちません。ことを言い繕ったり、一面的になったりすることなく、能うかぎり真実を直視する力がわれわれには必要であり、げんにその力が備わっております。

われわれにとっての5月8日とは、何よりも先ず人々が嘗めた辛酸を心に刻む日であり、同時にわれわれの歴史の歩みに思いをこらす日でもあります。この日を記念するにさいして誠実であればあるほど、よりこだわりなくこの日のもたらしたもろもろの帰結に責任をとれるのであります。・・・・・。

1945年5月8日と(ヒットラーが政権についた)1933年1月30日とを切り離すことは許されないのであります(拍手)。1945年5月8日がドイツ史の誤った流れの終点であり、ここによりよい未来への希望の芽がかくされていたとみなす理由は充分であります。・・・・・。

5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを誠実かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、とりわけ誠実さが必要とされます。・・・・・。

・・・・・・。

一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きて来た方がた、その人たちは今日、一人びとり自分がどう関わり合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。・・・・・。

罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのです。

問題は過去を克服することではありません。

さようなことが出来るわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります(拍手)。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。

まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。何百万人もの死を心に刻むことは世界のユダヤ人一人ひとりの内面の一部なのでありますが、これはあのような恐怖を人々が忘れることはできない、というだけの理由からだけではありません。心に刻むというのはユダヤの信仰の本質だからでもあるのです。

忘れることを欲するならば追放は長引く

救いの秘密は心に刻むことにこそ

・・・・・・。

もしわれわれの側が、かつて起こったことを心に刻む代わりに忘れ去ろうとするようなことがあるなら、これは単に非人道的だというにとどまりません。生き延びたユダヤ人たちの信仰を傷つけ、和解の芽を摘みとってしまうことになるでありましょう。

われわれ自身の内面に、智と情の記念碑が必要であります。

5月8日は、ドイツの歴史のみならずヨーロッパの歴史に深く刻み込まれております。

・・・・・・。

苦しめられ、隷属させられ、汚辱にまみれさせられる民族が最後に一つだけ残りました。ほかでもないドイツ民族であります。この戦いに勝利を収める力がないなら、ドイツ民族など亡びてしまうがいい−−−−ヒトラーは繰返しこうのべております。われわれ自身が自らの戦いの犠牲となる前に、まず他の諸民族がドイツを発火点とする戦いの犠牲となっていたのであります。

・・・・・。

・・・・・・。

物質面での復興という課題と並んで、精神の面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。ここにおいて、他の人々の重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への覚悟が育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。

かつて敵側だった人々が和解しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか−−−−このことを忘れて5月8日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジツエ村で虐殺された犠牲者たち−−−−われわれは本当にその親族の気持ちになれるものでありましょうか。

ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信が次第に深まっていく必要がありました。

・・・・・。

故郷を追われたドイツ人は、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。

力のなかった初期のころのその場しのぎの言葉ではなく、今日にも通じる信条であります。

武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。

・・・・・。

5月8日の後の運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩わされることのない持続的な将来の安全を確保すること−−−−これこそ武力行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります(拍手)。

この人のように、相手が手を差し出すのを待つのではなく、自分の方から相手に手を差しだすことは、はかりしれないほど平和に貢献するものであります(拍手)。

・・・・・。

戦後4年経った1949年の本日5月8日、議会評議会は基本法を承認いたしました。

議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法の第一条(第二項)に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。

ドイツ国民はそれゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめる

5月8日が持つこの意味についても今日心に刻む必要があります。

ドイツ連邦共和国は世界の尊敬を集める国になっております。世界の高度工業国の一つであります。この経済力で世界の飢えと貧窮と闘い、諸民族の間の社会的不平等の調整に寄与する責任を担っていることを承知しております。

・・・・・。

ドイツの地において今ほど市民の自由の諸権利が守られていたことはありません。

他のどんな社会と比較しても引けをとらぬ、充実した社会福祉の網の目が人びとの生活の基盤を確固たるものとしております。

・・・・・。

傲慢、独善的である理由は毫もありません。しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。

・・・・・。

−−−−人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう(拍手)。

−−−−独裁下において、自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。

・・・・・。

戦いが終わって40年、ドイツ民族は今なお分断されたままであります。

・・・・・。

われわれドイツ人は一つの民族であり、一つのネーションであります。同じ歴史を生きて来たのでありますから、たがいに一体感を持っております。

1945年5月8日も民族の共通の運命として体験したのであり、これがわれわれを一つに結びつけております。

・・・・。

ドイツ民族も含めたすべての民族に対する正義と人権の上に立つ平和、ドイツに住むわれわれは、共にこれを希求しております。

大戦から40年たった今、過去についてかくも活発な論議が行われているのはなぜか−−−−この何か月かの間にこう自問したり、われわれに尋ねたりした若い人たちがおりました。25周年、30周年のときより活発なのはなぜか、というのであります。

これはいかなる内面の必然性に拠るのでありましょうか。

・・・・・。

ですから、40年というのは常に大きな区切り目を意味しております。暗い時代が終わり、新しく明るい未来への見通しが開けるのか、あるいは忘れることの危険、その結果に対する警告であるのかは別として、40年の歳月は人間の意識に重大な影響を及ぼしておるのであります。こうした両面について熟慮することは無意味なことではありません。

われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起こったことの責任はありません。しかし、その後の歴史の中でそうした出来事から生じて来たことに対しては責任があります。

われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は誠実さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることが出来るよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。

人間は何をしかねないのか−−−−これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。

道徳に究極の完成はありえません—−−−いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。

われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰返し克服していくだけの力がそなわっております。

ヒットラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。

若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。

・・・・・。

若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手を取り合って生きて行くことを学んでいただきたい。

民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。

そして範を示してほしい。

自由を尊重しよう。

平和のために尽力しよう。

法を遵守しよう。

正義については内面の規範に従おう。

今日5月8日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか(拍手)。

以上、引用終わり。

 

これを一読した直後、私は思った。

果たして、この国日本には、国会という場において、「ご臨席の皆さん、そして国民の皆さん」と静かに呼びかけ、自らが国の良心を代表し、省察しながら、感傷を排して国の来し方を回顧し、人間としての、また人間と人間との根源的な有りようについて、上記演説に見るような理性と高い倫理性に裏付けられた言葉で語りかけられる指導者がかつていただろうか、そして今いるだろうか、と。

実際、今や、同大統領が表明するように、ドイツは、「世界の尊敬を集める国になっており、世界の高度工業国の一つであり、その経済力で世界の飢えと貧窮と闘い、諸民族の間の社会的不平等の調整に寄与する責任を担っている(と自覚していることを)こと」を私たち世界は知っている。そして、「人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはない」国になっていることも、私たち日本を含めた世界は、よく知っている。

では、ドイツ人はなぜこうしたものの考え方とそれに基づく生き方ができたのか。

私は、こう思うのである。まずは自分たちの両親や祖父母への尊敬と愛、そして偉業を為した同胞の数多くの先人たちに対する民族としての誇り、一言で言えば祖国愛なのではないか、と。

その愛を裏付けるものの一例として、私は先に、廃墟と化した戦後のドイツ国内の諸都市を戦前の姿のままへと復元させたことを挙げたが、それだけではなく、先人の偉業については、それはもう思想から自然科学、法学、医学、芸術等々と、およそほとんどの知的領域に及ぶ。そしてその到達レベルは、ほとんどどれも、人類に対する偉業ともいうべきレベルのものばかりなのである。

そうした偉業とその偉業を為した人々を私が思いつくまま挙げてみても、ざっと次のようになる。

思想と哲学の面では、たとえば、カント、フィヒテシェリング、ショウペンハウエル、

フォイエルバッハヘーゲルマルクスニーチェ、ハイデッカー、ヤスパースシューマッハー

法学の面ではイエーリング。

農学(地力理論)と生化学の面ではリービッヒ。

音楽の面ではバッハ、ベートーヴェンブラームスワーグナーマーラー

医学・細菌学の面ではコッホ、精神分析学の面ではフロイト

文学の面ではゲーテ、シラー、ヘッセ、マン。

社会学ではウエーバー。経済学の面ではオッペンハイマー

自然科学の面ではX線を発見したレントゲン、大陸移動説のウエーゲナー、エネルギー保存則のマイヤー、エネルギー保存法則を数学的に定式化したヘルムホルツ、気体の圧力と温度との関係を法則化したボイルとシャルル、電磁波の存在を初めて実験的に確かめたヘルツ、不確定性原理ハイゼンベルク、量子仮説のプランクエントロピー増大法則のクラウジウス、そして相対性原理のアインシュタイン(正確にはユダヤ人)。

数学の面ではベッセル、ガウス、リーマン。

実際、これらの偉業はどれも生半可なものではない。いずれの分野のいずれを取っても、私には、単なる科学者自身の好奇心や関心に導かれて得られた成果という質のものをはるかに超えたもので、人間や社会や自然の本質あるいは根源に迫るような成果ばかりに見える。そしてそれらは、既成の概念や先入観あるいは既成の形式に囚われていたり、研究テーマの流行に囚われていたりしたなら到底ここまでには到達し得なかったであろうと思われる質のものばかりである。しかもそこには、どれも、何のためにそれを為そうとしたのか、明確な目的意識があったようにも思える。

だからこそこから得られた成果は、根源的であるが故に時代を超えて今日もなお世界中の人々に大きな影響を与え続けている。暮らしにおいて。思想において。芸術において。それだけにこれらはすべて、紛れもなく全人類の財産ともいうべきものとなっている。

ヴァイツゼッカー大統領の演説に見られるドイツ人の生き方は、こうした歴史的かつ文化的な背景に基づくものだったのではないか、と私は思うのである。そうした誇るべき伝統を汚すまい、とする。

ともあれ、ドイツの人々がこれだけの貴重なものをさまざまな面で残してくれ、また、ますます混沌としてゆく今の世界状況の中にあっても、また国内にはさまざまな対立要因を抱えながらも、世界に対して、政治、経済、文化、福祉、環境等の面で、原則あるいは本質的観点から一つの手本を示し続けてくれ、世界に一歩も二歩も先んじて挑戦して見せてくれている姿は、私たち人類全体にとって本当に救いであり、また励みでもある、とも私などは思う。

それは、見方を換えれば、ドイツの人々は、今の地球上の私たち人間に、意図せずして、次のことを彼らの知の伝統に基づき教えてくれているのではないか、とすら私は思いたいのである。

“つねに、「真実を直視」し、「言い繕うことをせず」、「一面的になったりすることなく」、「事実から学び、教訓から学び」、可能な限り物事の「根源」に立ち返り、「苦しさから逃げず」、「本質」に迫って考えよ!”、と。

 

それに対して私たち日本人の生き方とは、5.1節で述べたものを基本的な特徴とするものだった。

私は、その特徴を最も鮮やかに、そしてドイツ人とは対照的に、象徴する姿が、国民の中から出て、国民から選挙で選ばれ、国民を代表している政治家が、戦前や戦争の総括も検証もしようとせず、またその一人ひとり省察もしようとはせずに、そして一人では国の内外からの批判に耐えきれないために、相変わらず集団で靖国神社を参拝する姿だと思っている。

締めくくりとして、ドイツと日本について、そのそれぞれの政府と政治家が、戦後、自国民と周辺諸国に対して果たしてきたことの概略を、以下に、表にして整理し、比較してみる。

 

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私たち日本国民は、無条件降伏で終えたあの戦争に対して、戦後、
“あの戦争は、私たちにとって一体なんだったのか”、“何のための、そして誰のための侵略戦争だったのか”とその意味を深く問うたことがあっただろうか。とくに戦争を体験した人々は、“その戦争にはどのような態度と心構えで向かい合い、また敗戦後はどのように向かい合って来たか”と問うただろうか。そしてそこから得たもの・感じ取ったものを次世代に語り継ごうとして来ただろうか。

一方、戦後生まれの私たちは、どれほどの数の人が、“あの戦争はどう捉えたらいいのか”、そして“そこから何を学ぶべきか”と問うて来ただろうか。また、戦後の私たちは、“あの戦争に対して、戦後、日本政府は、そして天皇は、侵略国の人々に対してどのように向かい合って来たのか”、同じく、“あの戦争の結果、戦後、日本政府は、そして天皇は、自国民に対して、どのように向かい合って来たか”、反対に、“私たち国民は、日本政府に対して、また天皇に対して、あの戦争をめぐって、どのように向かい合って来たか”、等々と真摯に問うたことがあっただろうか。

 

国を守るためとされてきた安全保障においても、日本政府には、発想の根拠は経済しかなかった。

戦後、世界はサンフランシスコにて日本の独立を公式に認めてくれたのにも拘らず、戦後最初の総理大臣吉田茂は、全く歪んだ形でそれを利用した。国防と外交はアメリカに任せにして、軽武装という形を取ったのだ。

日米安全保障条約と、それに関連してとくに吉田茂が自国政府内においてさえも秘密裡にそして姑息で陰湿な手を使って締結した日米地位協定の中身を見れば明らかなように(孫崎 享「戦後史の正体」創元社p.115〜120)、卑屈そのものの内容だ。ドイツがアメリカと結んだ地位協定の内容とは全く異なったものとなっている(しんぶん「赤旗」日曜版2018年8月26日号)

米軍に対しては国内法は原則適用されず、基地の管理権もなし。米軍の訓練と演習に対して規制する権限もなし。しかも基地の内外に日本の警察権も及ばないというものだ。それはまるで日本はアメリカの保護国どころか植民地さながらの内容なのだ。この内容は、吉田茂という人物の人格と人間性そのものを反映した内容と取り決め方と言える。こんな前近代的で、非人間的、自ら主権を放棄した内容のものを吉田は日本の経済発展のためだけに受け入れたのだ。

この取り決めは、その後今日までの日本の運命を確定させたのだ。というのも、その後の歴代自民党政府は、アメリカに対してこの地位協定について改定交渉を要求したことは一度もなかった。

ともあれ、そこにある日本政府の姿は、超大国にひたすら追随する卑屈そのものの姿勢でしかない。自国民の人権擁護、自国民の真の幸福を優先する政府本来の姿はどこにもない。自民党と連立を組み続ける公明とて同じだ。ひたすら権力欲しさに、立党理念であるはずの「中道」政治をいつの間にかかなぐり捨てて、コバンザメのごとくに自民党にくっついているだけである。これも、「寄らば大樹の陰」に倣う卑屈そのものの姿だ。

一国の政府を構成する自民党公明党の政治家には、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」ヴァイツゼッカー大統領が演説で述べるような視点と反省はどこにもない。自民党政治家が靖国神社を参拝するのを、公明党は、同じ政権を担いながら、誰も批判もしない。ましては政権を離れる気配もない。

私たち日本国民の多くも、日本がアジアの多くの人々に加害して来た事実に無関心になり、あるいはそれを忘れてしまっている。というより、日本政府も私たち日本国民の多くも、日本もアジアの一部であり私たちもアジア人である、ということすら忘れている。

そのためか日本は、「経済大国」と呼ばれるようにはなっても、ドイツが周辺国と和解しながらEEC(欧州経済共同体)、EC(欧州共同体)を通じて執ったようには、アジアの復興と発展やアジアの人々の自立と人権の問題に貢献することもなかった。

こう言うと、日本政府は、“日本はODAでは世界一”と自負するかもしれないが、その実態は極めて眉唾物なのだ。「政府開発援助」と呼ばれるそれは経済援助というにはほど遠いものだからだ。相手国の事情や要望を満たしたり、相手国の自立を促したりするためのものではない。日本の企業の都合を押し付けるものであり、日本国政府が途上国を経済搾取して、日本の企業に莫大な利益が還流するようにしたもので、ヒモ付き援助とでもいうべきものだったからだ。しかもその援助金は日本政府が日本国民から取り立てた税金である。国民からの税金が、最終的には企業に流れるように政府の官僚と財界の官僚が一緒になって仕組んだものだったのだ。

また、そうした中、国民のほとんどは学校時代から人間性を軽んじ個性を軽んじる画一教育を押し付けられ、世界が普遍的価値とする自由も民主主義もまともに教えられないできた。

参考までに言えば、今日(2017年現在)、世界における男女平等の実現度ランキングは、調査された144カ国中、114位である。

戦後70年余経つ今、憲法では国の主権者とされた国民の中で、 “自分は市民である”という自覚を持っている者が果たしてどれだけのパーセンテージでいるだろう。自由とは何か、民主主義とは何かを明確に説明できる者が果たしてどれだけのパーセンテージでいるだろう。

実際この国は、戦後は、国民の代表である政治家によって政治が為されている国なのではなく、長いこと天皇に代わって「お上」と呼ばれて来た役人・官僚が実質的に主導する官主主義の国あるいは官僚独裁の国になっているのである。

 “自分は一国の最高責任者”と自称する総理大臣安倍晋三も、総理大臣として日本国を真の「国家」としないまま、戦後レジームからの脱却」と明治への懐古を唱えるだけで、国として進むべき道も目ざすべき目的地も定めないまま、アメリカに主権を委譲したまま、国を丸ごと漂流させ続けてきたのである。

 

「感情」「感性」は人の心を揺さぶることはできるが、その人を納得させて動かすことはできない。物事を構築することもできない。けれども芸術や芸能を育む。

一方、「論理」は、人の心を揺さぶることはできないが、物事の成り立ちやそのものへの理解を深めさせてくれる。したがって物事を構築する上で絶対的な力を発揮してくれる。また論理は、ウソを見破らせてもくれる。

私はドイツの人々は、この両方を「調和」させて生きてきたのではないか。そして今もそうして生きているのではないか、とさえ考えるのである。

でも、その両者の大元にあったのは、ドイツ人の祖国愛と祖国への誇りだったのではないか。

 

5.3 日本国民とドイツ人との生き方の比較 ————ヴァイツゼッカー大統領演説『荒れ野の40年』から見えてくる戦後のドイツ人の生き方を参考にして————————その1

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今、私は、インテーネット上にて、20数年来書き溜めてきた原稿を、「ブログ」として次々と公開しています。それは、当初は紙による単行本として出版しようと思ったものです。想定した書名は「持続可能な未来、こう築く」です。そしてその書の目次は、すでに8月3日に、やはりこのブログにて公開したものです。

実際に公開している原稿は、必ずしもその目次の順序に沿ったものではなく、その時のこの国の状況を見渡してみた時、今がそのタイミングと私なりに思われたものです。

今公開している原稿は第5章「私たち日本人一般の今日の生き方を顧みる」です。

すでに5.1節と5.2節を公開してきました。そして今回は5.3節を公開しようと思います。

 

なぜ私は5.3節を設けたか。

それは、私は、ごくごく近い未来、この日本という国は特に、国民の生命と自由と財産を守るために、解決させておくべきだった重大問題の全てを、政治家の無責任と怠慢ゆえに先送りして来たがために、今以上に困難で国民の死活に直結するような事態に次々と直面してゆくだろうと観ていますが、そんな時、これまでのものの考え方や生き方を続けていたのでは、ただうろたえるだけに終わるだろうと危惧しています。

ではどうしたらいいか。どうしたら、絶望に暮れることなく、目の前の事態を勇気を持って克服して行けるようになるか。

それを探るために、様々な面で一つの手本を次々と世界に先んじて示してみせるドイツ人のものの考え方と生き方を見つめてみて、参考にさせてもらおうと思ったからです。

今回も、この5.3節を2つに分けて、時間をずらして公開します。



5.3 日本国民とドイツ人との生き方の比較

————ヴァイツゼッカー大統領演説『荒れ野の40年』から見えてくる戦後のドイツ人の生き方を参考にして————————その1

 

前節までは、私は、異論や反論を持っておられる方もいるだろうことを想定しながらも、そのようなものの考え方や生き方を続けていたなら、それは世界のほとんどどこの国の人々からも異質と見なされて理解されないままになってしまい、その結果、この国はますます世界の中で孤立して行くことになるだけではなく、自らが自らに危機を招き、しかもその危機に対応できるどころか、かえって招いたその危機をさらに悪化させてしまうであろうと思われてならないものについて考察して来た。

次いで、ではそのようなものの考え方や生き方は、なぜ、そしていつ頃から、どのようにして私たちは身に付けてきてしまったのか、ということについても私なりに考察をしてきた。

そこで本章では、ではそのような危機を自ら招かないようにするには、また、不幸にしてそのような危機に直面してしまった場合でも、事態を悪化させることなく、その事態を自ら克服できるようになるには、今後、私たちはどのようなものの考え方や生き方を身につけて行ったらいいのであろうかということを考えてみたいのである。

私は、その場合、私たち日本国民にとって、今のところ、最も良き参考例となると思われるのはドイツ人のそれではないか、と思うのである。

その理由は次のようなものだ。

何と言っても日本とドイツは、1930年代、互いに同盟を結んで、ドイツはヨーロッパで侵略戦争を起こし、日本はアジア・太平洋地域で侵略戦争を起こした国という点で共通点があるからである。そしてその両国とも、最後は「無条件降伏」という完膚なきまでの敗北を連合軍から喫した国であるという点でも共通点があるからである。

 

しかし、ドイツを日本にとって良き参考例とする理由はそれだけではない。と言うより、それは比較する際の前提条件に過ぎず、むしろそれ以後の理由の方が重要なのだ。

それは、両国とも、敗戦後、経済面と軍事面で共にアメリカの援助を強く受けながら世界が瞠目するほどの経済発展を遂げた国であるのだが、その際、国民が母国を廃墟の状態から復興させ発展させようとした時の動機や目的の設定の仕方において、またその後の発展の仕方やさせ方において、両国の国民の間にはものの考え方と生き方の違いに因ると思われる大きな違いがあったことである。
そしてその結果としてと言っていいのであろう、第1章で述べてきたごとく、混迷を深める今日ではあるが、その中で、世界を冷静に見渡したとき、残念ながら日本とドイツに対する国際社会からの総体的な意味での信頼度や期待度には大きな開きができてしまい、それだけに世界における存在感という点でも、日独に対する見方の間には大きな開きができてしまっているのである。

その意味でドイツは、国土の面積の点ではアメリカやロシアや中国には遠く及ばないが————日本と比べても、面積はその93%、人口は72%————、私の見るところ、国としての政治や経済の在り方、福祉や教育の面においても、したがって本章で問題としている国民の人間としてのものの考え方や生き方においても、世界に対して、ある意味では手本を示し続けており、事実上の世界のリーダーとなり、世界を牽引しているとさえ言えるのである。そういう意味では、世界の大国になっているとも言えるのである。

ところで、国の偉大さ、その国が偉大であるかどうかというのは、何によって評価されるべきものなのだろうか。

それについては、例えばデモクラシーを生み出した古代ギリシャがよく「偉大な国」と呼ばれていることからも判るように、そして、ローマ帝国については決してそうは呼ばれていないことからも判るように、私は、その国が偉大であるかどうかは、国土や領土の広さとか、富の豊かさや経済力あるいは軍事力で評価されるべきものではなく、思想において決まるのではないか、と考える。
ただしそこでは、
一般に、人の行動は、その人が自分で気づいていようがいまいが、無意識のうちに、その人の人間としてのものの考え方、言い換えれば価値観を含めた思想ともいうべきものによって支配されている。あるいは、人は一般に、その人の人間としての思想ともいうべきものによって支配されながら行動するものだ、ということを前提としている。

したがって、その国が偉大であるかどうかは、そこの国の人々が、ものの考え方と生き方において、その後の人類の幸福にどれだけ大きな影響を与えるものを示し、またそれを残したかによって評価されるべきものなのではないか、と考えるのである。

そういう意味では、例えばトランプのイメージし主張する国は「偉大な国」どころか、むしろ経済力、あるいは軍事力という「力」に物を言わせ、「力」を根拠とするもので、それはむしろ人間性や倫理性を軽視するものであるだけに、国として、また国民から、一時はもてはやされることはあっても、歴史の中に生き続けられるものではない。

私は、ドイツこそまさしく偉大な国だと思う。そしてそれを成し遂げているドイツ民族こそ偉大な民族だと考える————もちろんだからと言って、それを理由として、他民族を排撃したり、ましてや優生学的に絶滅させようとするなどというのは全くの論外である————。

実際、本節で後述するように、彼らが人類のために為し、遺してくれたそれらは、自然科学のみならず、文学、芸術、医学等々、いずれの分野のいずれを取っても生半可なものではなく、人間のあり方や社会や自然の本質あるいは根源に迫るような成果ばかりに見えるのである。

日本も、特に明治期以来、医学や教育制度、政治制度、軍事制度等で、どれほどドイツから学んでいるかしれないのだ。

とにかく、民族として、これほど多くの功績を残してくれた民族というのは他にはないのではないか。

 

ではドイツはなぜそれができたのか。

そこで以下では、第二次大戦後、ドイツ国民は何をどのように考え、そして生きて来たのか、それを見てみようと思うのである。

それには、彼らが国際社会で何を為して来たか、また、今、何を為しているかを見ればいいのである。

ドイツは、私たちもよく知っているように、東西ドイツの統一を成し遂げ、今、EU欧州連合)に見るごとく、欧州を経済面だけではなく政治面でも統合を目指すという世界史に前例のない試みに、フランスとともに主導的立場で挑戦している。そしてそこに至る過程でドイツは、第二次大戦でドイツが侵略したすべての国々への賠償も完全に済ませてきている。
EU内では、財政危機・金融危機等の難問を抱える加盟国を支え、なお、シリアやイラクアフガニスタンからの政治難民をも100万人を超える規模で受け入れ、国内では手厚い人道的支援を継続している。

自国の安全保障の面においても、軍事超大国アメリカとは一定の距離を保ちながら、国際社会におけるアメリカの行き過ぎに対してはその都度、臆することなく、批判すべきところは理性的に批判するというようにして、公正で客観的な姿勢を保って来ている。その姿勢は今も変わってはいない。

それだけではない。

ドイツは早くから環境問題への対処も国を挙げて積極的に行い、その面でも、その政策や考え方は、世界に大きな影響を与え続けている———日本の環境分野の専門家たちの多くが、学界でも先を競って移入した「ビオ・トープ」・「クライン・ガルテン」そして河川におけるコンクリート護岸を自然護岸へと転換するという発想は、いずれもドイツが発案したものなのである。
日本には、もともと都市の中にも田舎にも、至る所に微小生物棲息空間があったのに、日本の環境学者たちはその自国の自然史は顧みずに、無批判的にドイツを真似し受け入れて来たのだ。

日本での「3.11」の直後、東京電力福島第一原発メルトダウンを起こし、大規模な水素爆発を起こした時にも、世界でいち早く自国の原発の廃止を決めたのもドイツだった。日本の学者は、その後、日本政府が原発再稼働を決めた際にも、ほとんど反応しなかったのだ————。

そしてドイツは、教育面や福祉面、そして文化や芸術・技能面においても世界の模範となることを積極的に進めている。教育面や福祉面では、その基本に人間の尊厳を重視するという考え方を、文化・芸術・技能面では、自国のそれらの伝統に誇りを持ちながら、それらを絶やさないという考え方とっているように見える。

その場合とくに日本国民として特にしっかりと見ておくべきではないかと私には思われるのは、こうしたドイツの人々の、教育・人権・福祉・環境・平和に対する彼らの自身への厳しいまでの生き方の根底には、侵略戦争を起した自国のリーダーを選んでしまったのは他ならぬ自分たちドイツ国民なのだ、その結果、ドイツは異民族とくにユダヤ民族と周辺他国にあれだけのことをしてしまったのだ、という深い、そして真摯な反省が見て取れることだ。

そしてドイツの経済復興の動機も目的も、そうした真摯な姿勢の中で定められてきたものだ、ということをである。ドイツは何のために経済発展を目ざすのか、と。

そして実際、彼らドイツ国民が定めたその目的とは、先の大戦で自国が侵略したすべての国々に対して、きちんと賠償のできる国になるためだ、というものだった。

しかしドイツは、実際には、長いこと、侵略国ということで周辺ヨーロッパの国々からは厳しい批判・非難を浴びせられ続け、信用できない国、警戒すべき国と見られ、様々な形で報復を受けて来た。
それでもドイツの人々は、自国の犯したこと、またそれに自分たちが加担してしまったことに言い訳をすることはなく、むしろその事実を悔恨とともに
心に刻みながら、つねに周辺諸国との和解を求め続けてきた。自国政府が設定した目的の実現に国を挙げて誠実に取り組み続けたのだ。実際、ナチ党員であって、戦争犯罪に手を染めた者に対しては、時効を認めずに、今なお、世界中にそうした者を探してもいる。

長い道のりだったが、その姿は、やがて、周辺ヨーロッパ諸国の中にも、「ドイツ、信用ならず、恐るべし」とのかつての見方を見直す動きが出始めた。そしてついには、被侵略国の方から和解の手が差し伸べられるようになったのだ————日本は、侵略国、例えば韓国であれ、中国であれ、フィリピンであれ、マレーシアであれ、タイであれ、シンガポールであれ、ビルマ(今のミャンマー)であれ、彼らの方からこのように歩み寄られたことは、一国としてあっただろうか————。

そのドイツは、連合国の敵国だったということで、第二次大戦の反省から誕生した国際組織である国連では常任理事国にこそなり得てはいないが、今では、国際的重要問題の議論ではほとんど決まって国連に招かれ、事実上の常任理事国扱いを受けている。

また、ドイツは、自国の建築文化やさまざまな生活文化等にも誇りを持地、それを維持し続けていることも世界によく知られている。

そのことは、たとえば、連合軍による空爆で廃墟となった自国の諸都市を戦争前の姿そのままに再現してみせたその生き方にも見て取れる。

またどの地方都市を訪ねても、周囲に美しい自然風景を保ちながら、見るからに「共同体」と見て取れる美しい集落ないしは小都市を形成しており、その土地固有の雰囲気を保ったたたずまいにアイデンティティと誇りとを見て取れるのである。
実際、それは、どこの小都市も田舎の集落も、住民同士が互いに協力し合って、大きさも形も質感も配色も統一させ、均整の取れた家並みや屋根並を形作っているのである。また伝統の職人技についても、ドイツは、その高い技術レベルを維持するために、若者の生きる道について、進学一色ではなく、職人への道を選択できる
マイスター制度を選択肢と設け、それを国を挙げて支援し続けてもいるのである。「ヴァルツ」と呼ばれる伝統的大工職人になるための若者の放浪修行制度もその一つ。

 

では、ひるがえって、私たちの国日本の政府および日本国民の、戦後から今日までのあり方はどうであったろうか。

なおその場合、国民から選挙で選ばれた政治家によって成る政府は、国民と別物なのではなく、むしろ政府のあり方は国民のあり方を投影していると考えるべきであろう、ということを前提に以下を考える。

従軍慰安婦問題が今なおくすぶっていることからも象徴されるように、侵略国に対する賠償問題や謝罪の仕方を含めて、日本政府は「法的には片付いている」と言っているばかりで、戦後70年余を経た今もなお、関係国すべての間での戦後処理は完全には終ってもいない。たとえばタイに対してがそうだ。領土問題も未解決問題を幾つも抱えている。

また世界で唯一、原爆が投下されたことについても、それをほとんど被害者として見るだけで、あるいは“この悲惨な事実を忘れない”と言っているだけで、なぜ日本が原爆を投下されねばならなかったのか、さらには、なぜ日本はあれほど無謀な戦争を始めたのかといった、そもそも侵略戦争を起こしたそのいきさつに関心を持つ者さえ、特に今はほとんどいないのだ。

それだけではなく、侵略戦争の経緯についてもそれがどのように行われて行ったのか、その戦争で日本は侵略した国の人々に何をしたのかということについても関心を持とうとする者もきわめて少ない。つまり私たちは加害者でもあった、との視点であの戦争を捉える者はほんの一握りでしかないのだ。

むしろ、私たち日本国民の多くは、“あの戦争は軍部が起こしたもので、オレたちには関係ない”という態度であり、あるいはせいぜい、“ああいう戦争は二度とゴメンだ”と言うだけだ。日本政府自身、とくに安倍晋三政権などは、戦争への反省どころか、あの戦争が侵略戦争であったことすら認めようとはしていない。こういうところが、すなわち世界が認める歴史を無視する言動をする者が政府の最高責任者となる国であるというところが、世界から、“日本には良心はあるのか”と見られてしまうのだ。

「朝日」「毎日」を含む日本の代表的商業新聞も、「公共放送」と自称するNHKも、自分たちが当時、いかに国民を騙して軍部の戦争遂行に協力したか、その反省すら、今日まで、公式には一度としてしていない————そうしたメディアの後身であり後継者たちは今、これも世界から異常視されている「記者クラブ」に群がっているのだ————。
彼らは、大本営の発表のままにウソの情報を国民に流しては戦争を煽り、自国民を戦場に送り出して来たのだ。また彼らは、従軍していながら、日本軍が戦地で多くの残虐行為を働いたことについても、その真実を本国に伝えようともして来なかった。むしろそれらの真実を覆い隠してさえ来たのである。

戦争責任の所在についても、この国の政府も私たち国民の多くも不問にし、あるいは曖昧にして来てしまった。開戦決定が御前会議において為されたものである以上、その戦争の最終責任は天皇にあることは明白だったのに、そして天皇自身もマッカーサーの前ではそれを認めていたのに、日本国と国民にとって最大のその問題が、その後の極東国際軍事裁判東京裁判)では最初から問われることはなく、国民もそれを問うことなく、今日に至ってしまっている。

言うなれば、私たち日本国民自身が自らの手で明らかにしなくてはならなかったこの国を破滅に導いたその戦争の最終責任の所在を、戦勝国という外国人に任せてしまったのだ———安倍晋三が象徴的だが、この国の中央と地方の政治家が、政治スキャンダルを起こした際、「遺憾」という言葉を口にしながら実際には何もしない来た生き方といい、何かと言い訳をしては責任逃れをする今日の日本中に蔓延している風潮は、このときから始まったのではないか、と私は見るのである———

日本国と国民のその後にとって決定的に重要なこうした総括を他者に放り投げてしまうような日本政府であったから、時の首相吉田茂が取った政策に見るごとく、主権を投げ捨てて、国防も外交もアメリカ任せにし、日本は、少しでも早く経済復興し、経済発展することそのこと自体を自己目的化したのである。その象徴的態度がやはり吉田茂が結んだ、それも岡崎勝男を使って秘密裡に結んだ日米地位協定孫崎享「戦後史の正体」創元社サンフランシスコ講和条約では公式に独立を認められたはずなのに、実態は、アメリカに追随するというよりはむしろ植民地状態を戦後70余年経った今もなお、沖縄の人々の意思を無視し、暮らしを犠牲にしたまま続けているのである。    

昨日まで“鬼畜米英”と叫んでは敵国としてきたアメリカに対して、負けた途端、苦痛も屈辱感も見せず、従属国、よくて被保護国となることを受け入れたことによって成り立って来た日米関係という国と国との関係は、かつて世界での国家間の歴史においてはまったくその例が見られないものなのだ(K.V.ウオルフレン)

廃墟となった国内主要都市復興のさせ方について日本政府のとった考え方もまったく同じだ。とにかく「経済発展最優先」とばかりに、そこに生きてきた私たちの先人の思いや生き様を形として残すことなく、つまり日本人の文化を大切にすることなく、また、たとえ空爆に遭わずに破壊を免れた都市でも、先人たちが築き上げてきたその街や家並みをもアッと言う間に取り壊してしまい、日本中に、これまでとは全く違う姿で、東京に似せた個性もアイデンティティも見られない都市を金太郎飴のように建設し続けてきたのだ。

山紫水明の国と私たちが世界に誇れたこの国の国土についても同じだ。山肌のいたるところを、他の方法は考えずに、無用なコンクリートで塗り固めては覆い、不要不急の、それも立派すぎる道路をあちこちに造っては生態系を破壊し、無惨な景観を現出させて来た。

伝統の文化や職人技についても、既述のとおり、市場経済と大量生産システムを無条件に受け入れては、廃れさせ、消滅へと追い込んで来てきてしまった。

つまり日本国政府は、「一つの民族、一つの天皇という王朝を126代という長きにわたって・・・」麻生太郎財務相)という言葉あるいはそれに類する言葉を口にしながら、実際には、民族としての記憶や智慧の継承を軽んじ、あるいは消し去ってきたのだ。

対外的にはどうか。

日本政府は日本を「ODA(政府開発援助)大国」などと自慢するが、その実態は、日本国民が納めたお金(税金)を使って、日本の企業を儲けさせることに主眼をおいた、見せかけの援助、「押しつけ型の開発」(アリフィン・ベイ)でしかなかった。相手国の、あるいは現地の人々の歴史や文化を尊重しながら、彼らが求めるものを与えたり、自立できるようにするための援助では決してなかった。

侵略戦争を始めた経緯を国民に今もって公式に教えないという日本政府の姿勢、この国が戦後、植民地状態を続けることになった日米地位協定を秘密裡に結んだ経緯も今もって国民に教えないという日本政府の姿勢は、国際社会が認める日本の真の「敗戦」の日は9月2日であるということを無視し続け、今もって毎年の8月15日を「終戦」の日とし記念日とし政府主催の公式行事としていることにもそのまま現れている。だから、国民には「ポツダム宣言」とその意味も教えようとはしない。それどころか、安倍晋三などは、首相でありながら、ポツダム宣言はつまびらかに読んだこともない”と何の躊躇も見せずにうそぶく。むしろ、戦後レジームからの脱却」と戦後の民主主義体制を否定して、明治への復古を唱えさえしている。

日本政府の戦後の学校教育行政についてもその基本的な考え方は同様だ。児童生徒一人ひとりの個性も能力も認めようとはせず、世界が基本的価値と認める自由や平等そして民主主義についても、その真の意味を教えようとはしてこなかった。

とにかく、政府は、国民に、真実や正義の価値も教えず、ひたすら秩序・和・協調性ばかりを児童生徒に強要して画一性・均質性・同質性ばかりを重視して来た。だから、多様性など育つはずもなく、不都合な真実は隠し、「侵略もなかった」、「南京大虐殺もなかった」等々としてきたのだ。

難民の受け入れについても、ドイツが100万人規模であるのに対して、日本が受け入れている条約難民の数はたったの750名だ(2018年末現在 日本政府の法務省)。

私たち日本国民はそうした自国政府の不寛容で共感力の乏しい姿勢にほとんど疑問も持たず、抗議もせず、むしろそうした政策に安堵さえ覚えているようにさえ私には感じられる。

さらには、アイヌの存在が日本政府に知れてから少なくとも150年以上は経つというのに、その政府がアイヌ民族を「先住民族」と明記したアイヌ施策推進法を施行したのは実に2019年になってなのだ。

 

実はこうした状態は、この国が、あるいは国民が次に示すような状態の国になることと必然的な関係にあることだと私は思うのである。

たとえば、働けど働けど豊かさ観や幸せ感を実感できない国。増大する一方のイジメを止められず、世界最多の自殺者を生んでいる国。少数者がいつも見捨てられてしまう国。生きる意義や目的を学校でも教えられないのに、人生の終い方だけは自己責任を強いられる国。大災害に遭っても被災者が何年経っても救われない国。男女平等実現ランキングは世界140の調査国中114位という国。子どもや女性の人権について国連や国際社会からしょっちゅう注意勧告を受ける国。京都議定書を議長国として締結しながらそれを自ら破る、国際公約すら守れない政府の国。世界の中で政治難民や気候難民の数は年々増える一方なのに、それを一向に受け入れようとはせず、産業界に役立つ人材だけ、それもいつでも解雇できる人間だけを期間限定で、あるいは非正規雇用という形で受け入れようとするだけの国。若いときには「社畜」として働かされ、老いては「自助」「共助」と自己責任を促されるだけの国。自国の安全保障を口にしながら超大国軍隊の軍人に同朋の人権を踏みつぶされても何の公式抗議もしない政府を抱える国。自国に希望も誇りも持てない国民の数が増える一方の国、・・・・。

では私たちの日々の暮らしの場であり空間でもある日本の都市の姿や田舎の小都市の姿はどうであろう。

建築設計者も施主も周囲の自然や家並み・屋根並みとの調和も考えずだた自己主張するだけの家を作り続ける国。だから街の景観は乱雑でバラバラになる一方。古き建物、由緒ある建物も、「経済合理性」の名の下に、すべてを、瞬く間に置き換えてしまう国。また「匠の技」とは言いながら、伝統の大工技や金物や染め物、焼き物、織物等の職人技についても、大量生産からなる市場経済の流れの中で衰退するに任せる政府の国。芸術や芸能の道についても同様だ。若者の人生の選択肢についても、小さい時から個性を殺され、能力を殺されながら、画一化に慣らされ、進学かサラリーマンとしての就社の道しかない国。

国際社会はそんな日本を、「エコノミック・アニマルの国」、つまり経済や金のことしか考えられない人々の国、「損得」という天秤でしか考えられない、人間らしい感情の見られない動物みたいな人々の国と見ている。あるいは「打ちひしがれた人々の国」(K.V.ウオルフレン「システム」p.14,16)とも見ている。打ちひしがれても打ちひしがれても、人間としての尊厳が傷つけられても傷つけられても、人間としての心の底からの異議の申し立てとしての叫びを発する勇気も気概も持ち得ない、腑甲斐ない人々の国との意味だ。

 

「窮鼠、猫を噛む」という諺がある。また野生動物でも昆虫の蜂でもそうであるが、攻撃されたり生存を脅かされたりしたなら相手が誰であろうと命がけで反撃する。特に子供を抱えている場合には。それが生物としての本能であり本性のはずだ。

それなのに日本国籍を有するという意味での私たち日本人は、その本能を示し得ない。それは、インドのガンジーのように、無抵抗主義を通し、その後に自国の独立を勝ち取るといった明確な思想を自分なりに持ってそうした態度を示しているのではない。

では一体何を怖れて、生物としての本能すら政府に、あるいは力ある者に示し得ないのだろう。これでは、自分の権利を他人の足下に投げ棄てること、自分自身に対する人間の義務に違反すること(イエーリング「権利のための闘争」岩波文庫p.14)であり、ドイツのカントの言うように、『自ら虫けらになる者は、後で踏みつけられても文句は言えない』(同上書p.13)立場に成り下がってしまうではないか。

そんな民族は————この場合、日本民族とかヤマト民族などというのはない、ということは置いておくとして————、世界の他民族から真に信頼され、同じ人間として見なされることなどあり得ないはずだ。実際、国際社会からの既述の日本評価は定着して既に久しいのである。

 

私がドイツを比較の対象とする際、参考にしたのは、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領(当時)が1985年5月8日、ドイツの敗戦40周年にあたって西ドイツ(旧)の連邦議会において全自国民に向けて行った演説内容である。

当時、ヴァイツゼッカー大統領はドイツ人の間ではもちろん世界的にも絶大な信頼があり、またドイツのアイデンティティ、ドイツの良心を代表している人物とも目されていた人物である。

その演説は、日本で翻訳されたとき「荒れ野の40年」との題が付されていることからも判るように、そこには、ドイツの人々が敗戦直後から40年間に辿ったものの考え方と生き方における苦悩と葛藤の軌跡が大統領の言葉をもって表現されている。

できればこの演説の全文を掲載したいところではあるが、そうも行かず、私の主観に基づいて引用せざるを得なかったため、演説の主旨が正確に伝わらなかったりするかもしれない。その点はどうかご容赦いただきたいのである。

その演説は、自国民に向ってこう呼びかけるところから始まる。

ここで、演説の実際は、「その2」に回そうと思います。

 

5.2 日本人の生き方は「お上」と呼ばれた官僚を含む役人一般から見倣った生き方——————その2

5.2 日本人の生き方は「お上」と呼ばれた官僚を含む役人一般から見倣った生き方——————その2

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以下は、前回の「その1」に続くものです。

(以下のリンクから飛んでいただけます)

 

itetsuo.hatenablog.com

 

 

前回では、世界の民主主義国の人々からは異質と思われてしまうようなものの考え方を、また生き方をなぜ私たち日本国民の多くはするようになってしまったのだろうかということを考える上で、あらかじめ私は6つの問いを発した。

「その1」では、そのうちの初めの4つまでは、私なりに考えるその答えを説明してきた。

 

今回の「その2」では、残る2つの問い、————(第5の問い)としての、なぜそのようなものの考え方や生き方が日本の社会では誰からも疑問も持たれずに当たり前になってしまったのであろうか。そして(第6の問い)としてのそうしたものの考え方や生き方は日本の社会に結果として何をもたらしたのであろうか————に対する答えを、やはり私なりに説明しようと思う。 

まずは、その第5の問いに対する私の答えの説明からである。



日本国民をしてそうさせ得た秘策には私は少なくとも三つあったと考える。

一つは、権力保持者聖徳太子が政争明け暮れる国内を束ねるために「十七条憲法」をもって打ち出した、「和の精神」である。

二つ目は、豊臣家を滅ぼして全国統一を成し、その後260年余続くことになる江戸時代の基礎を築いた徳川家康が打ち出した「喧嘩両成敗」という統治策である。

そして三つ目は、幕末、水戸藩の学者会沢正志斎が、その著「新論」をもって当時の支配者に授けた庶民・国民に対する統治の仕方の真髄としての秘策、「知らしむべからず、依らしむべし」である。

以上の三つを順を追って説明する。

 

一つ目について。

その第1条にはこうある。「和を以て貴しとし、忤(さから)うことなきを宗とせよ」。

この「和」という言葉が、1400年近くを経た今日もなお、日本中のいたるところで目にし、耳にするところからも、その効果の大きさのほどが判ろうというものだ。

 

二つ目について。

この統治策が教えていることはこういうことである。

「喧嘩は社会の平安を乱す行為だ。その喧嘩をしたなら社会の平安を乱し騒ぎを起こすことになるのだからどっちが正しい悪いの問題ではない。だから喧嘩をした両者を成敗する。」

「成敗」とは「懲らしめること」、あるいは「裁き」「取り計らうこと」広辞苑第六版)である。

こうなれば、誰かとの間で問題が起こって険悪になったとき、一方の自分はどんなに正しいと思い相手の方に非があると思っても、その相手と喧嘩をしてしまったなら、事の顛末をどんなに権力者に説明しても判ってはもらえず、却って自分の方も一緒に悪者にされて処罰を受けることになってしまう。

そうなれば、先ず普通の人だったら堪えてしまおうとするだろう。“たとえ罰せられようと、正しいものは正しい、理不尽なものは理不尽なのだから”といった信念で喧嘩も辞さないとするのは難しくなる。

そしてそうしたことが繰り返されてゆけば、そのうちには、社会の中には、正義を問うことも、何が正義で何が悪かといった判断をすること自体も「そんなことで悩んだってしようない」とする風潮がはびこり、「泣き寝入り」しなくてはならなくなる。

またそうなれば、自分がどんなに肉体的あるいは精神的に苦痛と感じられる扱いを受けても、あるいは自分がどんなに人間としての尊厳を踏みにじられても、行為に訴えることはできず、ついには、“何を言っても無意味だ”、“我慢するよりない”となってしまう。

そこではもはや、理不尽を訴える気持ちは萎縮し、苦痛を苦痛として感じ取る感覚も麻痺してしまい、その苦痛をもたらす相手の攻撃を斥ける勇気も萎えてしまうだろう。さらには、自分には人間として侵されてはならない尊厳があるということすらどうでもいいことになってしまうかもしれない———もちろんその時代には、「人間の尊厳」などという概念すらなかったのであるが———。

 

三つ目について。

これは幕末、水戸藩の学者会沢正志斎が、その著「新論」をもって当時の支配者に授けた次の秘策の中の真髄だ。

「一般庶民には国家のルールが厳然と存在することを認めさせ、そうしたルールが彼らにとって良いものであることを理解させよ。だが、そうしたルールがいかなる内容のものであるかは彼らに知らせるべきではない」(K.V.ウオルフレン「愛せないのか」p.85)。

要するに、“庶民には政治の上での、あるいは統治する上での真実は明かすな。しかし、国家あるいは世の中には庶民が守らねばならない規則が厳然としてある、しかもそれは庶民にとって良い規則なのだとだけ説明しておけばいい。その中身については知らせる必要はない”、というものである。

会沢正志斎こそ、当時の支配者に彼等の地位の安泰の図り方を教科書をもって教えた最初の人物だった。

そしてこの秘策こそ、その後今日までつづく、官僚や役人の庶民・民衆・大衆・平民の統治策の基本となったものなのだ、と私には考えられる。

しかし、近年、国民に対する統治策という点では、この会沢正志斎の秘策よりもはるかに手の込んだ、陰湿で、卑劣な策としての法律が安倍晋三政権の下で成立してしまった。

特定秘密保護法」という法律のことである。政府にとって都合の悪い情報は「特定秘密」だからと役人が指定することで隠してしまうことができる法律であり、国民の「知る権利」を奪うことを目的とした法律である。しかもその場合、何を根拠に特定秘密と指定するのか、その規準がきわめて曖昧なのだ。というより、恣意的裁量を可能とするために、故意に不明瞭にしてあると思われる。

したがって、市民やジャーナリストが情報をとろうとすれば、それだけで罪に問われる可能性をも秘めた法律だ。しかも、複数者で秘密を漏洩させることや情報をとろうと協議しただけで、「共謀罪」まで適用されてしまいかねない法律だ。

しかもこの法律は「ムチ」という厳罰だけではなく「アメ」をも用意している。それは、自首すれば刑を軽減あるいは免除する、という規定をも盛り込んであることだ。

だから、スパイを団体内部に潜り込ませ、その内部で煽動したり、あるいは内部のある特定の人物だけに自首を働きかけて内通者をつくったりすることで、事件をでっち上げることもできる。囮捜査も可能とさせるものだ。

こうして、「特定秘密保護法」という法律は政府にとって不都合な団体を弱体化あるいは瓦解させることもできる法律なのだ。しかも多くの冤罪をもつくり出す可能性も高い法律である。

 

ところで

こうした法律を、本来、国民の「生命・自由・財産」を第一に守るべき使命を担っているはずの、国民から選挙で選ばれた国会議員が、国会で成立させてしまったのだ。

この法律の成立に執着して精力的に進めたのが安倍晋三だったのだが、そもそもこの法律は安倍の独自の着想になるものではなく、その筋書きを作り、法案を作ったのはここでもやはり官僚だったと私は推察する。

その動機は、安倍も官僚も同じで、国民に対する恐怖だったのだろうと推察する。

つまり、この国は、すでに本書の随所で触れてきたように、統治体制が至る所で不備なために、本当の意味での国家では決してない。最終的な政治責任を負って、全政府省庁の官僚たちを統括しながら指揮あるいは指示を発せられる人間も部署もこの国にはいないのだ。つまり船長不在の国なのだ。
だから政治家たちはよくシビリアン・コントロールなどと口にはするが、実質的には内閣総理大臣という立場をも含めて、政治家(閣僚)にはこのコントロールをやりきれる者などいない。そのような訓練もしていなければ、非常事態のとき対処しうる戦略もない。

そしてそれは何も今に始まったことではない。この国がアジア・太平洋戦争に突入する以前からずっとそうだった。だから、自衛隊違憲か合憲かはともかく、事実上軍隊であるそれの動かし方1つ満足に知らないし、動かせないのだ。だから、外国船との間の小競り合いが生じたときとか、PKOでの現地での自衛隊の指揮を満足に取れないのだ。

だからこの国に、近い将来、どういう形であれ大惨事が生じたとき、阪神淡路大震災オウム真理教サリン事件や東日本大震災の時以上に、首相や閣僚そして官僚たちには統治する自信がく、無政府状態になるのが恐怖なのだ。それは、明治期以来の官僚の心理と少しも変わらない。

そもそもこの国の政府は、政府とは言っても、国民の代表つまり政治家からなる本物の政府ではない。国民の信頼と支持に基づく政府ではない。そうではなく、事実上官僚とその組織に乗っ取られた政府だ。その官僚らは組織としての記憶も手伝って、国民を信頼などしてはいない。むしろ国民をいかに自分たちに都合よく働かせ、経済を発展させて、自分たちの地位を安泰にさせるかということで、国民をごまかし通してここまでやってきただけなのだ。

要するに安倍も官僚も、公的な立場とは言え、自分たちのやっていることが国民に知られなければ知られないほど、何をやるにも好きなようにできるから好都合なのだ。国民・庶民は、そのものの実体を知らなければ知らないほど、そのものに畏れや不安を抱いてくれる。「理由も実体も判らないが、何かがあるんだろう」と。

人間の不安は無知から生まれるのだし、その無知は恐怖をもたらすからだ。そしてそういう人々の不安と恐れを抱く心理は、権力者に対して立ち上がろうとする気力をも抑止する。

それこそが正に「新論」が権力者に教えているところなのである。

その抑止力を一層高めるためには、「何事にも無関心であることがいい」、「何事も、曖昧がいい。物事、そう簡単に白黒決着付けられるものではないからだ」等々といったものの考え方や生き方を国民に吹き込むことが効果的なのだ。その方が、自分たちの地位を安泰にしてくれるからだ。

 

そこで第6の問い、「そうしたものの考え方や生き方は日本の社会に結果として何をもたらしたのであろうか」の答えについてである。

その答えについては、私はズバリこう結論づける。

相互不信と、人により程度の差こそあれど、精神を歪ませられた人々の急増である、と。

それは当然であろう。他生物とは違い、感情と精神を持つ人間は、本来のあるべき自然の状態を恒常的に抑圧され続けたなら、それをもたらすものに対する憎しみの感情と精神に何らかの異常をきたし、いびつにさせられてしまうと私には思われるからだ。

だからそういう社会では、人は互いに、人間として尊重し合えない。

だからそういう社会では、人は互いに、真に強固な絆では結ばれ得ない。

だからそういう社会は、耐性のある社会を築き得ない。

和気あいあいとしているのはあくまでも表向きのこと、上辺だけのことだ。語り合い、議論しているのはあくまでも建前についてだ。本音ではない。真実についてではない。

だからそういう社会では、お互いを深いところでは理解し合えないし、共感もし合えない。

だから結局、回り回ってその社会は、互いに、信頼し合えない社会となる。

深いところで信頼し合えなければ、何事も本当の力を発揮し合えないし、始めてもすぐに崩れてしまう。

では、そもそも人が他者を信頼するとは、あるは互いに信頼し合うとは、どういうことであろう。そしてそれはどのようにして可能となるのだろう。

辞書には「信頼」とは、信じて頼ること、とある広辞苑第六版)。

しかし人が人間として社会に生きる場合、信頼についてのその説明だけでは到底不十分なのであって、たとえば次のように理解するのがより納得しやすいのではないか、と私は思う。

「こちらが黙っていても、その人がその人に与えられた社会的あるいは立場上の役割や義務をきちんと理解できていて、それらをきちんと果たすことができ、その結果としての責任をもちゃんと取れるとこちらが信じることができること、あるいはそのことをこちらもその人も互いに信じ合えること」、だと。

この国では、とくに最近、そこらじゅうでたとえば次のような事態が続発している。

企業による検査データの改竄、著名学者による実験データの改竄と捏造、政治家の公約不履行、政治家の使命放棄、首相による約束事(憲法)の無視と破壊、官僚による公文書のずさんな管理、官僚の権力の恣意的行使、自動車メーカーや家電メーカーに拠る自社製品のリコール等々。

こうなるのもこの国では「信頼」が、言葉だけで、とくに上記の意味での「信頼」として理解されていないからではないか、と私は思う。この国の学校教育でもそれを教えてはいない。言葉だけだし、その言葉の意味についても判ったつもりになっているだけなのだと思う。

人間相互の真の信頼関係は、互いに「本音」つまり「真実」を語り合っている者どうしの間にのみ成り立つものだと私は考える。社会についても同様で、その社会がその構成員一人ひとりにとってどれだけ信頼しうるものかどうかは、構成員一人ひとりが常にどれだけ本音で、つまり真実を語っているかどうか、また真実を語り合える状況になっているかにかかっている。

それはそうであろう。真実でないものに対して、「建前」を言い合うだけの関係で、人はどうして信じられようか。

だから、今のままであったら、この日本という国はますます上記した意味での社会の国となって行って脆弱になるし、国際社会からも信を失って行くことになるのは必然だ。

それは、それだけ自分で自分(自国)を危機に陥れて行くことなのだ。

 

以上のことから、本節冒頭の6つの問いに対する答えはすべて得られたことになるのではないだろうか。

なお私は、最後にこれだけは補足しておかねばならない。

それは、5.1節にて述べて来た私たち日本国民一般のものの考え方と生き方の特徴は、歴史的に権力者から植え付けられ、また自らもそれを受け入れて来たものであるとは言え、私たち国民も、もし彼等官僚と同じ立場、同じ状況の中に立たされたなら、その時は、それまで官僚を批判し非難して来た人々も、私自身も含めて、同じように振る舞う可能性が極めて高いということだ。

それは、私たち日本国民の大多数は、小さい時から、家庭でも学校でも、また社会でも、また組織の中にあっても、「和」や「協調性」あるいは「波風を立てるな」ということを頭の芯にまで叩き込まれ、個を確立させることもなく、みんなと一緒に同じように振る舞うことや横並びを良しとして、集団の中に埋没して生きる生き方をしてくることにこれといってさしたる疑問も違和感も持たずに来たのだからだ。そしてそれを、そのように仕向けてきたのはやはり官僚であり役人なのではないか、と私は思うのである。