LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

2.2 なぜ今、この国の中央と地方の全政治家を一旦は辞めさせる必要があるか——————その1

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金色の稲穂と八ヶ岳

本来ならば、拙著の原稿を公開するにあたりまして、その順序は、「はじめに」からとすべきなのですが、その「はじめに」については、すでにこれまで、その内容に近いことを記述してきましたので後回しにします。
おいおい公開します。

そこで早速、第1章「世界はなぜ混迷の度合いを深めてゆくのか、そして日本はなぜ?」第1節「1.1 ますます混迷の度合いを深めてゆく世界」から公開してゆこうかとは思ったのですが、それも今のこの国の政治状況を優先的に考慮して、後回しにします。

そして第2章「この国の全政治家を一旦辞めさせ、官僚制度をも全面的に創り換える」第2節「なぜ今、この国の中央と地方の全政治家を一旦は辞めさせる必要があるか」から公開してゆくこととしました。

 その理由は、今、この国も新型コロナウイルス禍で文字通り日本国民の命と健康が直接的に脅かされているというのに、その国民的危機を政治的策をもって救わねばならない立場の、国民から選ばれたはずのこの国の全国の政治家という政治家の相変わらずの自己への甘えからくる無為、無策、無脳、無責任な姿を目の当たりにするとき、やはり今は、この2.2節の公開を真っ先にすべきと私は判断したからです。
とにかく、彼ら政治家らが己の責務をきちんと果たさないが故に、そしてそれが真の根本的理由であるが故に、今、この国は大混乱に陥っているのですから。

とはいえ、この2.2節だけでも相当の分量となります。それを一気に読まれるのは、かなりしんどいかもしれません。

そこで、便宜上、これを3回に分けて掲載してゆきます。

ご了承ください。

 

 

2.2 なぜ今、この国の中央と地方の全政治家を一旦は辞めさせる必要があるか——————その1

政治家のすべてをここで一旦は辞めさせるべきである

前節では、一国におけるあらゆる社会制度の中で「政治」が何よりも最も重要であるとして、その根拠について私なりに述べて来た。

しかし、現状の日本を見るとき、また近代民主政治制度を取り込んだはずの明治時代以降の政治のあり方を見ても、私は、その政治を行うことを自らの使命とする日本の政治家という政治家のすべてをここで一旦は辞めさせる必要がある、と強く考えている。

その理由は、結論的にいえば、彼らは本来の政治家ではなく、言って見れば「政治家もどき」存在にすぎないからだ。
このまま現行の、そうした政治家もどきと言える人たちがこの国の表向きに過ぎない政治を行って行ったなら————つまり、これは後述するが、実質的な政治を行ない、国を動かしているのは「政治家」と呼ばれる彼らではなく、官僚を含めた、いわゆる役人であるからだ。政治家はその役人に操られて政治を行なっているだけであるからだ————日本は、そして日本の国民は、今後ますます頻繁に生じてくることがほぼ確実に予想される、いわゆる前代未聞の危機・前例のない危機に直面した時、現行の政治家たち、あるいはこれまでのタイプの政治家たちには、国民の生命と財産そして自由を守ることなど、ますます不可能になることは火を見るより明らかだからである。
つまり政治家という政治家は、議会を議会として機能させることもできなければ、政府を政府として機能させることもできないことが一層明白だからだ。

議会における政治家は、目の前で国民がどんなに苦境に喘いでいても、その国民の声を真摯に受け止めて、それを国民から負託された権力を持って新規の政策として立法化することは一向にせず、むしろ我関せずの、もっぱら政府任せの傍観者的態度だからである。
また他方の執行機関である政府の政治家は、例えば中央政府で言えば、その中枢である内閣を見ても、それを総理する安倍首相は閣僚を指揮統率もできず、しかも安倍を含め、菅官房長官、西村経済再生担当大臣、加藤厚生労働大臣そして赤羽国交大臣といった閣僚も相変わらず官僚に追随しているために、国民への指示という形での支配権の発し方はまったくバラバラで支離滅裂。
朝令暮改的ですらある。
その姿は、誰も、「支配権は、確定し公布された法によって行使されねばならない」とする近代民主主義政治のあり方を理論的に確立したジョン・ロックの特別の注意すら知らずに発しているだけだ(「市民政府論」鵜飼信成訳p.141)。
その上その指示も、強制力を持った定まった法に依るのではなく、「自粛」「要請」「特別なお願い」といった類の、その時だけの、全く主観的要望の表明にすぎない。
これでは、国民は何をどう判断し、どう行動すればいいのか全くわからなくなるのは当然だ。その指示に従うも従わないも、個人の判断によるのだからだ。

結果、国中が混乱の度合いを増すだけにしかならない。

こうした政治家という政治家の様を見ても明白なように、この国は、国民的危機に直面するたびに、議会も政府も事実上、なきに等しい状況に陥ってしまい、国民は速やかに救われないままとなってしまうのである。
とにかく、各大臣が発する国民への指示は、一体誰から出ているものなのか、その指示について最終的な説明責任を負っている者は誰なのか。
安倍晋三はそれについても一向に国民には説明しないし、またできないしで、国民には全く明かされないままなのだ。

なおここで言う「一旦」との意味は、例えば本書の後の章(第9章)にて私が提案する新選挙制度が実現され、それが実施され、まったく新しい、そして本物の政治家が育つまでは、という意味である。
それは、そこで私の提言する新選挙制度こそが、少なくとも従来の選挙制度の弊害から教訓として学んだ、真の民主主義に基づく、真の政治家を育てる選挙制度と言えるのではないか、と思うからである。

この国のすべての政治家を辞めさせるべきと私が考える理由または根拠としては、主なものでも5つはある。

 

政治家を辞めさせるべき5つの理由または根拠

理由その1

第1は、何と言っても、選ばれることを自ら望んで公約を掲げて立候補し、その公約が支持されて政治家となったはずなのに、したがって、その公約を、国会を含む議会で、法律なり予算を含む政策といった具体的な形にして実現して見せることこそ政治家としての最大の役割であり使命なはずなのに、この国の政治家という政治家は、国の中央でも地方でも、当選してしまえば、その役割や使命を当たり前のように反故にし、国民を裏切って平然としているからだ。

要するに、この国の政治家という政治家は、自分たちが国民から選ばれた国民の政治的な利益代表であるということの自覚と認識もなければ、「代表」ということの意味すら知らないし、未だに知ろうとさえしていないからだ。
そして彼らの約束事を約束事と思わないこうした言動が、どれほど国民の「約束を守る」という倫理観を劣化させているか、気づこうとさえしていないからだ。

それでどうして政治家と言えよう。
国民として、そのような者をどうして政治家にさせておけよう。

理由その2

第2は、今日、日本が抱える、あるいは直面している最重要課題を、その代表として、政治的に解決させるか、あるいは解決のめどを立てようとは全くせずに、無責任にもそれらのすべてを先送りては未来世代におっかぶせようとし、代わって、優先順位から見れば全く低い、言ってみればどうでもいい問題ないしは公約に掲げてもいなかった問題、つまり国民から合意も得られていない問題や憲法違反の問題を取りあげては議会での審議事項とし、しかもそれについて莫大な時間を費やしているからである。

しかも、議会でのその審議の仕方も、「言論の府」と呼ばれる議会の議会としてのあり方によるのではなく、文字どおりセレモニーホールでの儀式として行っているだけでしかないからだ。

それでいて、前例のない自然大災害や感染症拡大等によって、つまり既存の法令では対処のしようのない事態が生じ、国民の命と暮らしがこのままでは深刻な事態に陥ると観られる事態に対しては、本来はそんな時こそ国民の政治的利益代表として、困っている国民の要望を真摯に汲んだ上で緊急に臨時議会を開いてでもしてその要望を立法化・政策化して国民を救済しなくてはならないというときには、政治家という政治家は、本来は自分たちが国民から負託された権力と権限を持って役人を指示しコントロールして国民の要望に応えなくてはならないのに、立法機関としては全く動かずにむしろ行政任せ、すなわち役人任せにして、事態の成り行きを傍観しているか、役人の操り人形となって動いているだけなのだからだ。

つまり、現行の政治家では、議会も政府の内閣も、その本来の役目や機能を全く果たし得ないでいるからである。

理由その3

 

第3は、この国の政治家という政治家は、「主権者である国民から選ばれた」ということも深い意味も理解せずに、既述のように己のなすべき使命や義務を果たさずに、また公僕である役人をコントロールもせずに、己のなすべき使命や義務のほとんど全てを執行機関でしかない役所の役人に任せっぱなしであり、その結果、この国の中央政府でも地方政府でも、実質的に官僚(役人)独裁の行政の状況を生み出し、それについて何の罪悪感もなく、中央政府では総理大臣も閣僚も、また地方政府では首長も、相変わらず本質的にはこれまで歴代の先輩がしてきたと同じことを、先輩のしてきた通りにしているだけだからだ。
そしてそのことを、国会を含む議会の政治家も何も非難も批判もしないからだ。

要するに、現行政治家は、議会制民主主義の何たるかを知らないし、権力の根拠も知らなければ、政治家と役人とのあるべき関係についても知らないからだ。

これでどうして政治家と言えよう。こんなことで、この日本の国に、どうしてまともな政治が行われよう。

理由その4

第4は、この日本が主権国家として真に独立を達成しながら民主主義政治あるいは議会制民主主義を実現する上で、政治家として是が非でも知っていなくてはならない政治的重要諸概念とその体系も知らないで、政治家をやっているつもりになっているだけだからだ。

理由その5

そして第5は、自分を政治的代表として選んでくれた国民に対して、忠誠心がないだけではなく愛国心も見られないことである。

したがって、母国の建国の歴史を含めて、正しい歴史認識も無いからだ。

 

5つの理由または根拠の意味

理由その1について

この国の政治家という政治家は、自ら政治家になることを志し、選挙の際に有権者の前に自ら公約を掲げても、その公約が支持されてひとたび当選してしまうと、その公約を議会で法律なり政策という形で実現して見せて選挙民との約束を果たすことを誰もしないからだ。
そして、見るからにそれに対して些かの自責の念、良心の呵責も感じられないからだ。それでいて、ほとんどの政治家は、本来執行府でしかない政府が政府提案として提出してくれる議題にもっぱらと言っていいほどに依存しているのだ。

つまり、この国の現行の政治家という政治家は、国会議員から地方議会の議員に至るまで、ほとんどの者は、国民あるいは住民を騙して来たし、今もそうだ。

これでは、民主主義政治を根本から不可能としてしまう。
そしてその民主主義実現の始まりである「選挙」ということの意味を全く有名無実化させてしまう。選挙の際、候補者は一体何のために公約を掲げるのか、そもそも選挙とは一体何なのか、誰のために行うのか、となる。

これでは、直近の例で言えば、「森友学園問題」、「架計学園問題」、「桜を見る会」だとか「IR疑惑」どころではない。この国の民主主義の実現にとって、もっともっと根本問題が放置されたままなのだ。

理由その2について

辞めさせるべきと考える第2の理由は、日本は今、国の中央としても地方としても、緊急に対処して解決させるかあるいは解決の目処を立てておかねばならない最重要課題が山と積み残されている。

ここで言う最重要緊急課題とは、たとえば次のようなものだ。

この日本という国を本物の首相を持ち、本物の政府を持って、政治家が官僚をきちんとコントロールできる統治の体制を整えた本物の国家とする問題(平時はともかく、とくにこの国に大惨事または非常事態が生じたとき、国民の生命と自由と財産が最優先かつ最速で守られるようにするため)、食糧とエネルギーの国内での100%自給の問題人口減少問題(これは単に労働力減少という経済的観点からだけではなく、人口構成における少子化と高齢化の適正比率の問題、人権的観点から見た、他民族である移民や難民の受け入れ問題と日本国民との法的関係のあり方の問題)、国家の財政問題(この国の中央と地方の政治家が自分たちの役割を放棄して予算案づくりを官僚(役人)任せにしてきたがゆえに膨らませてしまった超巨額の政府債務残高の返済の仕方を確定させる問題、国家の予算を役人任せではなく、国民の要望を聞いて政治家が組む問題、徴税額を決める問題)、教育問題(いわゆるセクハラやパワハラを含む広義のイジメ問題はもちろん、自由や民主主義の価値をきちんと教えない教育内容、教科書検定問題、一人ひとりの個性と能力を尊重しない教育行政のあり方等をも含む)、福祉厚生問題(看護師数の圧倒的不足と待遇改善問題、高齢者介護の施設数の不足と介護のあり方の問題、介護士の数的圧倒的不足問題と待遇改善問題、人間の尊厳を第一にした介護者のあり方および終末医療と介護のあり方の問題)、今や全人類的問題となっている環境問題(この中には、温室効果ガス排出規制の問題、化石エネルギーから自然エネルギーへの全面転換の問題、未来永劫にわたって人間による安全管理という負荷をかけ続ける原発の全面廃止と廃棄物処理の問題、農業分野における農薬の使用を止める問題、山野での乱開発を止める問題、大規模公共事業の是非の問題も含まれる)、ますます進む社会資本の老朽化と劣化に総合的に対応する問題、ますます危機が増大する感染症対策問題(グローバル経済が続けられるかぎり、また今後、温暖化がますます進行するかぎり、熱帯地方からの感染症の原因生物やウイルスが国境を越えて持ち込まれる可能性がますます高まるが、それに対する、医療と防災を含めた耐性のある本物の国家体制づくり問題)等々がそれである。

ところが、どの中央の政治家も地方の政治家も、次期選挙に当選したいという思いと、支持者に負担を強いる政策提言をして支持を失いたくないという損得勘定からであろうか、こうした最重要課題の克服に自身としても議会としても取り組まねばと、議会の各政党や会派に、そして国民に、自らが先頭に立ってそのための負担を負って行こうではないか、と呼びかける者は皆無なのだ。
先送りすればするほど、より深刻な事態となって跳ね返ってくることは自明なのに、である。それは皆、将来世代、未来世代に負わせることになる。

それでいて、優先順位から見れば全く低い、言ってみればどうでもいい問題ないしは公約をしてもいなかった問題、つまり国民から合意も得られてもいない政府提案の議題ばかりを議会で取り上げ———その議題の中には、憲法違反の議題もあれば、正規の手続きを無視して解釈を変えるだけで憲法の改正あるいは法律の改正をしたことにしてしまう問題もある———、それについて莫大な時間を費やしているのだ。

では国会議員が自らの使命を果たさずに、依存し期待しているその政府提案の議題とはどのようにしてできてくるのか。

それは、タテ割りとなった各府省庁の官僚が自分たちの所属府省庁の既得権を維持あるいは拡大するための法律や政策案をバラバラに作成したものが各府省庁の官僚のトップである事務次官が相互に全員了解した法律案・政策案だけが内閣に提出されてくるのであるが、それを閣議において、閣議とは名ばかりで、各閣僚が15分か20分程度で全員がサインをして「閣議決定」したものなのである。

つまりこの時点で、この日本国の政治と行政は官僚独裁の道を開き、またそれを受け入れているのだ。つまり政府の中枢である内閣は、立法府である議会が議決したものを執行するというのが本来の使命であるが、その機能を全くと言っていいほどに果たしてはいないのだ。

そしてそのことは、言い換えれば、国会も、国会議員も、政府も、首相を含む閣僚も、揃ってこの日本という国を真の国家とすることを、自ら率先して不可能としているということだ。

なぜなら国家とは、「社会の構成分子であるあらゆる個人または集団に対して、合法的に最高な一個の強制的権威を持つことによって統合された社会」のことで、合法的に最高な一個の強制的権威を持つ存在などあり得ようはずはないからだ。

ではそのようにして閣議決定されて議会に提出された議題に基づいて、議会ではどのように進められるか。
それがまた、民主政治の原則を踏み外した、全く邪道な仕方によるのだ。

具体的には、人類が長い経験の中でたどり着いた智慧である三権分立原則、とくにそのうちでも立法権と行政権の相互の独立という原則を全く無視し、最高権である議会の議場に、政府の人間を招き入れては、与野党議員が政府の人間(首相、閣僚あるいは高級官僚)に向って質問するだけ、というものだ。
“これはどうなっているのか”、とか“あれはどうなっているのか”とか、“総理にお伺いしたい”といった類いの「代表質問」あるいは「一般質問」と呼ばれるそれだ。

しかもその質問と答弁のやり取りが全く儀式なのだ。NHKはその様をよく「論戦」などと表現するが、とんでもないことだ。
それはNHK自身が論戦とは、さらには議論とはどういうことかを知らない証拠なのだ。

国会も地方議会も、予め質問者の順序が決められていて、質問内容も答弁側に官僚を通じて事前通告されており、質問時間も決められた上で進行して行く。脱線は許されない。
しかもそこでは、一方の質問者はTVの向こうに注視しているであろう視聴者や支持者を意識してか、“私は今、議会でこれだけの活躍をしていいますよ”とばかりの演技をもったいぶってして見せる。
他方の答弁する側も、自分の考えを自分の言葉で答える訳ではない。
答える力もない。
下手に答えようものなら、「失言」問題となって、責任を問われかねないのだ。だからつねに官僚任せでいる。もちろん答えられるような勉強もしていない。
官僚や役人がその日の朝までに作文した想定問答集の中からその場に合った答えの文章をその場で拾い出してはそれを棒読みするだけだ———答弁する際、その答弁すべき内容を捜すために、紙を幾枚かその都度めくっているあの姿をご覧になった読者もさぞ多いことではないだろうか———。
そんなことは、文字さえ読めれば、小学生でもできることだ。中には、その作文中の母国語すらまともに読めない、元、母国の主権をアメリカに売り渡した総理大臣の孫であるという、祖父と同様、国民の前では尊大な態度を取りながら、一方、自分より権力ある者の前では卑屈そのものの態度をとって見せる閣僚もいる。

たとえば「未曾有」を「ミゾウユ」と読み、「有無」を「ユウム」と読んで見せるのである。そんなご仁が日頃、「日本人」とか「日本文化」を誇りとし、「美しい日本」を口癖にするのである。
母国語への無知だけではなく、日本には世界に誇る伝統文化としての「恥の文化」もあるということもどうやらご存じないようだ。

しかも、質問者の質問も、そのほとんどは、なぜそんなことをここで質問するのか、と思われるようなことばかりだ。
普段、自ら進んで役所を訪ね、自身が疑問に思う問題の担当役人を捜し、その者に徹底的に質せば済む話ではないかと思われるようなことばかりなのだ。
議会で質問するなら、その結果だけを踏まえて、もっと本質的、根本的、根源的なところに踏み込んで、国民が最も関心と疑惑を抱いている点に切り込めばいいのである。

しかも、議会で質疑応答するのは、そのときたまたま降って湧いた政治的疑惑の問題や、社会で話題となっている問題や、選挙の時にはおくびにも出さなかった政権からの提出案件についてである。

その時たまたま降って湧いた政治的疑惑とは、たとえば森友問題や架計問題、そして既述の「桜を見る会」や「IR疑惑」といった類いだ。

政権が選挙のときにはおくびにも出さなかった案件とは、たとえば特定秘密保護法やいわゆる「戦争法」と呼ばれる平和安全法制整備法と国際平和支援法だ。
あるいはこれまで保守政権がずっとその解釈で来た憲法9条についての個別的自衛権は容認しているというそれを、文面はそのままにして「解釈」の仕方を変えるだけで憲法改正したことにしてしまおうとする、文字どおり自国憲法(第96条)を無視し虚仮にする案件のことを言う。

とにかく国権の最高機関である国会を含めて、地方公共団体での最高権である地方議会を含めて、議会がこんな状態では、本来立法府である議会が、行政府に過ぎない政府に従属している姿である。
というより、国民から選ばれた代表である議会が、自ら、政府の独裁を許している姿なのだ。

 

——————つづく

理由その3以降は後続の記事で述べることにします。