LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

5.1 私たち日本人一般に見られるこれまでの「ものの考え方」と「生き方」の特徴——————その2

5.1 私たち日本人一般に見られるこれまでの「ものの考え方」と「生き方」の特徴——————その2

 

 では、第2に、私たち日本人は、概して、どうしてこうしたものの考え方と、それによる生き方をするようになったのか、という観点から見てみる。

 

 例えば、アジア・太平洋戦争に完敗して、国土は焦土と化し、経済は壊滅状態になったときの国としての復興のさせ方を見ても、それは、それまでは国を挙げて「鬼畜米英」としてきたのにそれをケロッと忘れて、アメリカをモデルとしながら、国土の防衛と経済支援をもっぱらアメリカに期待し、アメリカの技術を取り込んでは、成し遂げてきたのである。もちろん日本国民も一生懸命に働いた。

 もっと時代を遡れば、江戸幕末から明治維新という一つの時代の終った時にも、それ以降の経済発展のさせ方は、それまではもっぱら「尊皇攘夷」を掲げていたのに、それもケロッと忘れて、西欧の文明や文物そして諸制度を取り込み、それを普及させることで時代を乗り切って来た訳である。

そしてそうしたときに共通に見られたのは、それまで日本人の生き方であり文化としてきたものを、それこそ一夜にして捨て、あるいは排斥してしまい、新しく取り込んだ文明ないしは文化と、両者の良し悪しや、両者を調和させることも一切考えずに、ほとんど全取っ替えをしたことである。前者での例を挙げれば、「鬼畜米英」の生き方だけではなく、家族制度や道徳観についてもそうである。後者の例としては、「尊皇攘夷」の転換だけではなく、「鹿鳴館文化」や「廃仏毀釈」が挙げられる。

 

 さらに遡れば、聖徳太子の時代には、大陸から仏教という文化を取り入れて、それを聖徳太子自ら、全国的に普及を図ってきたのである。

また、聖徳太子以降、本格的となった律令制という制度も、この国が独自に考え出し生み出したものではなく、古代中国に発達して当時の中国の隋や唐の時代に完成したものだった。それを、時の権力者がこの国を中央集権国家による統治体制とするために、中国から取り入れて設けた基本法典としての大宝律令養老律令に基づいて制度化したものなのである。

 なお、律令の、律とは刑法に相当し、令とは行政法に相当するもの。

 律令制の時代をさらに遡れば、稲作文化もそうだ。

 日本では、縄文時代の終期(約2400年前)には中国から水田稲作が伝来し、弥生時代以降は、その水田稲作が本格的に始まったとされている。

 

 なお、そうした日本人が自身の生き方を急変させるそのさせ方を見た場合、例外の時期があった。それは、上記のような外国文化の影響を強く受けた時代と時代との間に挟まれた時代としての、日本が鎖国をした時代、すなわち江戸時代である。そしてその時代こそ、日本独自の、つまり日本人自身が日本人自身の手で創造した文化が花開いた時代なのである。

それが、例えば浮世絵であり、人形浄瑠璃、落語、俳句、歌舞伎、また武士道、数寄屋建築、等であった。そしてそうしたものこそ、今、世界的にその価値が注目されているのである。

 このように、日本人は、その歴史の大部分を、他者の創造した文化を取り込み、取り込んだそれとそれまでの自分たちの文化との調和も特に考えずに、言い換えれば自分たちの先人たちの生き方を尊敬をもって受け継いで生かすという発想は持たずに、ほとんど全取っ替えという仕方で、いわば文化の断絶をさせながら、新しいものを普及させては「我が物」として来たのである。そしてその場合、そうした異文化の移入の仕方については、日本人のほとんど誰も、異議を申し立てもしなかったし、排斥もしなかった。むしろ無批判に受け入れてきたのである。

 つまり、ここに、日本人の自国文化の伝承と異文化移入の仕方に対する、世界とは全く異質の姿が見え、それは、自国文化への誇りや愛国心という意識を持たない時流に流されるだけの姿なのである。そして、そうした「異文化の真似や模倣としての取り込み方」そのものが日本の文化とさえなってしまい、それが今日もなお、大方の日本人のものの考え方と生き方の土台を成してしまっているのである。

 なお、この場合の文化の中には、物事の考え方や、またその判断の仕方はもちろん、科学技術の取り込み方も含まれる。

 

 なお、ここでさらに追加すれば、日本人がこうした文化への対応の仕方をしてきたのは、次のような事情が背景にあったからではないか、と私は考えるのである。

 それは、一つには、日本が水田稲作という文化を取り込み、それを発展させる中では、「個人」という概念も意識も生まれ得なかったこと。むしろ、個とかなんとかいったこととは無関係に、「和を保つことが何より大切」、あるいは「協調性が大切」という考え方や生き方こそが主流となって行ったのではないか、ということである。

 また、鎖国が行われた江戸時代には、こうした風潮が出来上がっていたところへ、権力者・統治者によって「喧嘩両成敗」という考え方が広められたことだ。

 これは、喧嘩をした時、たとえ正義を主張しても、喧嘩そのものが世の中の秩序を乱す行為であって、それ自体が悪いことだとされてしまうことで、そうなれば、庶民の間には、善悪や正邪の価値判断などしてもしょうがないということになり、善悪をつけようとしたところで無意味、とされる風潮も加わって行ったのではないか、ということである。

 さらには、明治維新政府が掲げた「錦の御旗」というでっちあげられた威厳が、当時の明治の社会にもたらした効果である————発案したのは岩倉具視とされている————。

この「錦の御旗」が後世にもたらした効果は、真実のほどはともかく、正統なる後ろ盾を持てば、たとえ人々がどう思っていようとも、人々を黙らせてしまえるということを権力者に学ばせたことであり、人々には、たとえ理不尽な行為といえども、戦に勝ってしまえば、その者は威張っていられるものなのだ、ということを教えたことだ。

 そうして、もう一つは、同じ明治薩長政権が、自分たちの正統性の無さを繕うための策の一つとして、天皇神武天皇以来の万世一系の現人神とする神道を国教とし、これまで日本の文化の土台を成してきた仏教を「廃仏毀釈」なる政策によって排撃し、日本人に根付いたそれまでの仏教に基づくアイデンティティを一夜にして転換させるようなことをしてしまったことである。つまり、神仏に関わること、人々の信仰に関わることを、政府はいとも簡単に覆してしまうのだ、という政府の文化軽視の姿を庶民に見せつけたことだ。

 そして、日本人に既述のような生き方をさせるようになったきわめつけの原因とは、次の事実ではないか、と私は考えるのである。

それは特に明治期以降から敗戦まで言えることで、国民は、特に政府文部省によって、日本という国は、「天皇」を頂点として、それも、神話の世界の人物、つまり嘘の話を持ち出すまでして、二千六百年余にもわたって縦の関係で結ばれて来た大きな家族社会である、と幼少の時から大人になってもなお頭に叩き込まれてきたこと。つまり、自国政府に嘘を公式に教えられてきたことである。

 またその中で、特にアジア・太平洋戦争中は、国民は政府によって設けることを奨励された例えば「隣組」制度によって、互いに監視させられ、国策に異議を唱える者は「国体」に背く者として「国賊」扱いにされ、また「治安維持法」などで厳罰に処せられてきたのである。

 つまり、私たち日本人は、ずっと、権力者・統治者・支配者によって個人を押し殺すことや、理不尽をも受け入れることを相互監視の中で強要され、それを「仕方がない」としてきたことである。

 そしてこうしたことの繰り返しの中で、国民の多くには、意識していようがいまいが、いつしか、どこにいても、集団の中にいる限り、あるいは「世間」の目を気にして、“とにかく周りの「みんな」と同じようにしなくてはいけない”、“「みんな」と対立してはいけない”、“良いことでも悪いことでも「みんな」がやっていることや言っていることに合わせなくてはいけない”、“たとえどこかおかしい、あるいは理不尽と思ってもそれを口に出してはいけない”、“批判してはいけない”、“逆らっては損、逆らっても無駄”等々という意識が、強迫観念として根付くようになってしまったことであろう。

 

 では、第3に、私たち日本人のこうした「ものの考え方」と「生き方」は、どのような質の人間を作ってゆくことになると考えられ、その結果、将来的にどのような問題をもたらし、どのような危険性を招くことになると推測されるか。

 

 それは、日本が日本として国際社会の中で生きてゆく上で、また国民が国民として行き続けてゆく上で何が本当に大切なことか、何を最も優先させなくてはならないことかということの判断を適正にはできなくなり、道を誤ってしまうことになるのではないか、ということである。

 例えば、それがなくては生きてゆくことさえできないものを、また、「便利がいい」、「快適がいい」と言っても、それがなくてはそれさえ叶わないものを欠いていて平然としていられるものの考え方と生き方であり、それを自分たちの手で守らなかったなら「自国」つまり「自分(たち)の国」などとは言ってはいられない国土を他者(米軍)に守ってもらっていて平然としていられるものの考え方と生き方である。

 果たしてそれで「独立国」と言えるのか。独立国の国民としてのありようなのか。果たしてそれで「主権者」と言えるのだろうか。

 私は、余りにもノーテンキで軽薄なものの考え方であり、生き方ではないか、と思うのである。

 そして国民のこうしたありようは、全てに当てはまるように思うのである。

 

 果たして私たち日本国民は、今まで述べてきたような、異質としてのものの考え方や生き方をそのままにしておいて、「日米安全保障条約を堅持!」とか、「憲法第9条を守れ!」などと声高に主張することにどれだけの意味があるのだろう。

 むしろ私たち日本国民は、おしなべて、目を向ける方向、考える方向がとんでもなく間違えてはいないだろうか。

 このような国民の国が「先進国」、すなわち他国に「手本」を示せるような国であるはずはない。

むしろ、この国は、戦後間もなくして、重光葵が喝破したごとく(孫崎享「戦後史の正体」創文社p.41)、ものの考え方と生き方において世界の劣等国の道を歩んできたのであり、近い将来、日本国と日本国民は、このまま行けば、多分、世界で最も惨めな末路を迎えることになることはほぼ確実ではないか、と私は心から案ずるのである。

 

 なお、以上述べてきたようなものの考え方をし、生き方をしていると、副次的には、例えば次のような状態をももたらすことになるのではないか、と私は危惧するのである。

 それは、起こりうる事態を推測あるいは想像できなくなることだ。だから、事前の対応策など考えられなくなる。いつも後手に回る。先を見越した長期的な計画(グランドデザイン)や、全体をにらんだ戦略は立てられない。

 重大な選択を迫られた時、あるいはどうしても選択しなくてはならなくなった時、自分で判断できなくなる。したがって決断もできない。

 それはそうであろう。それができるためには、現状の問題点を含んだ全体、現状がどのように推移してゆくのかを見極めるためのより多くの正確で客観的な情報、相手あるいは対象の特性と能力、自身の対応能力、そして複数の選択肢がある時、どれかを合理的に選び取る判断力が求められるのであるが、そうした能力を磨くことを怠ってきたのだからだ。

だから、そうした状況の中で、半ば破れかぶれに選択された道は、主観的で、手前勝手な読みに基づくものである可能性が高く、それだけに、どうしても破綻しやすい、あるいは破綻することが目に見えているのである。

 

 また、こうしたものの考え方や生き方をしていると、「自分」というものを持てなくなるのだから、自分を支えてくれる芯棒となる思想あるいは価値観も身につくはずもない。そうなると、孤立することに耐えられるだけの強靭性も育ちにくくさせてしまうし、情緒的にも未熟なままとさせてしまいやすい。

 また、こうしたものの考え方と生き方をしていると、それは、本来「自由」を求める人間に対して、無意識なりとも、抑圧された感覚や社会に対する不信感や鬱屈した感情を蓄積させてゆきやすくなり、他者に対して優しさも寛容な心も持てなくさせてしまいやすくなる。

私は、何らかのきっかけを通じて、その感情が、自分(たち)とは違うものの考え方や生き方をすると自分が思うに人たちに対する暴力的言動として現れたのが、イジメであり、パワーハラスメントであり、セクシャルハラスメント等々なのではないか。そして、自分の存在が認められず、自分が自分でないかのようにさせられてしまうことへの無意識の抗議が、例えば、引きこもりであり、登校拒否あるいは不登校なのではないか、と考える。

 また、“とにかく誰でもいいから殺したかった”とか、“とにかく誰かを殺して、自分も死にたかった”という類の犯罪も、結局は、こうした鬱積した気持ちの表現方法なのではないか、と私は見るのである。

 またこうしたものの考え方と生き方をしていると、国民をして、特に学者や研究者に対して、真に独創的な発想あるいは思想をも育ちにくくさせてしまうのではないか、と私は思う。なぜなら、独創とは、普通、一人孤独の中で自らを維持しながら思惟を深めてゆく中でこそ生まれて来るものだからだ。

 また、こうしたものの考え方と生き方をしていると、一人ひとりをして、民主主義的な感覚をも育ちにくくさせてしまう。なぜなら、民主主義は垂直構造あるいは縦構造の社会では育たず、水平構造あるいは横の対等構造の社会であって初めて育ち、広がるものだからだ。

 もちろんこうしたものの考え方と生き方をしていたなら、真の国際性、すなわち国際社会に通用する道徳感情も育ちようがないのである。

なぜなら、国際社会に通用する道徳感情とは、日本人の間にあるような相対的な基準あるいは状況によって変わってしまう基準に拠る道徳感情ではなく、個人的感情であると同時に絶対的な基準に拠る感情であるからだ。

 

 ところで、この国では、「日本国の失敗の本質」などというテーマと関連づけてリーダーシップということが識者や専門家の間で議論されることがしばしばある。関係書籍も「リーダー(指導者)論」として、次々と出版されてくる。

リーダーシップとはそもそも「指導者としての地位または任務あるいは指導権のことであり、指導者としての資質・能力・力量のこと、つまり統率力のこと」であるが広辞苑第六版)、そこで問題とされるリーダーシップとは、具体的には、先見性、統率力、戦略を立てる能力、情報収集能力、情勢判断力、決断力、説得力、責任感というものに関するものだ。

しかし、そうした議論を目にするたびに私は思う。

そのような資質や能力や力量としての統率力がたとえ求められたとしても、現実にそうした統率力のすべてを満たしうる人物など、とりわけこの国に、明治期以来、果たして一人としていただろうか、と。
否、それ以前に、そうした人物を育てようとする社会環境や教育環境など、この国に、今日まで一時期なりともあったことがあるだろうか、と。

指導者を育てるとまではいかなくとも、例えば、確かな判断力を育てる教育、一人になっても孤独の中で物事を事実に基づいて理性的に判断し決断できる能力を養う教育などされて来たことがあったろうか。
溢れるような情報を手にする中で、それらを総合し、その中で優先順位を考え、打つべき手を見出せる能力を養う教育など、なされて来たことがあったろうか。自分の考えること、思うこと、信じることを誰はばかることなく言え、またそれを互いに本音で受け取り合って議論し合え、互いの思考や思想を高め合いまた深め合う教育など、一時たりともなされて来たことがあったろうか。

実際、一度もなかった。いつでも「みんな」一緒で、同質であることがいいこととされ、個性を押さえつけられてきた。
むしろ強烈な個性の持ち主は「はみ出し者」と見なされ、異端児扱いされて来た。質問ばかりする者は「厄介者」扱いされてきた。みんなの前で反対を意思表示することは「和」を乱す行為で、協調性のない態度だとの教育がなされて来たのだ。

それに、たとえそのような卓抜した能力あるいは資質や力量を兼ね備えた人物が組織や集団の中にいたとしても、その人物のそれを遺憾なく発揮しうるような仕組みや体質を持っているような組織や集団が、かつてこの国のどこに存在しただろうか。

様々な分野での組織の長の選任方法についても、中枢あるいはその側近による情実人事であったり、派閥や学閥や閨閥、あるいは同郷の人間を依怙贔屓で抜擢したりするといったことが当たり前のように行われ、あるいはカネで権力を売り買いするようなこともしょっちゅう行われて来たのではなかったか。そこには公正性も透明性もなかった。

果たして、そのような実態を直視せずに脇においておきながら、リーダーシップ論を繰り返すことに一体どれほどの意義があるのだろうか。それはまるで、ありもしない架空の社会でのリーダーシップ論を交わしているだけではないのか。それは、例えば「日本国の失敗の本質」というようなテーマで議論する場合にも同じことが言える。それでは現状を無視した上での議論でしかないのである。

ところがそんな議論をその道の専門家とされているような人たちが大真面目にやっているのだ。

 

そこで私は思うのである。こうなってしまうのも、結局のところ、彼ら自身が、既述の3つのものの考え方と生き方の特徴を、これまでそれぞれが生きてくる中で、自分で気づかないうちに、頭の髄にまで染み付かせてきてしまっているからなのではないか、と。
そしてそれは、さらに突き詰めれば、この国の明治期以来の文部省、そしてその看板だけを架け替えた文部科学省の学校教育の中身がもたらしたものだったのではないか、と。

とくに国民一人ひとりが正しい自己認識を持てるようになるには正しい歴史教育が為されることが必須であるが、この国の政府文部省と文科省の官僚による教育は、そういう教育はかつて一度としてしてきたことはなかった。
むしろ彼ら官僚は、この国の正しい歴史の流れを系統的に因果関係の中で正しく教えることをあえて避けてきたのだ。児童生徒一人ひとりの個性や能力を伸ばすという点においてもである。単なる知識として、それも出来事の羅列や寄せ集めという形でしか教えてこなかった。だから生徒には、過去が整然とした姿で捉えられるようになることなどほとんどあり得なかった。
むしろ歴史を敬遠させてしまい、無関心にさえさせて来た。自分の中で心理的な葛藤を起こすことなく、日本の歴史を受容できるようには教えられては来なかったのだからだ
(K.V.ウオルフレン「愛せないのか」p.162)。多分、生徒たちの目には、この世界はいつも、広大なカオス状態にしか見えなかったのではないか。

果たしてそうした実態の中で、あるいはそうした実態を直視し、それを謙虚に反省するということのない中で、リーダーシップ論を展開させることに、一体どれほどの意味と意義があるというのか。それも互いに識者と自他共に任じている者同士が、である。

 

 次の「5.2節」では、私たち日本人一般がこれまで述べてきたようなものの考え方や生き方をするようになった理由を、もう一つ別の観点から考察してみようと思う。