LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

5.2 日本人の生き方は「お上」と呼ばれた官僚を含む役人一般から見倣った生き方 ——————その1

 

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そば農園と透き通った秋晴れ

今回公開する内容は、前回公開した5.1節「私たち日本国民一般に見られるこれまでの『もの考え方』と『生き方』の特徴」(その1その2)に続くもので、果たして日本国民一般は、どうしてそうしたものの考え方と生き方を身に付けるようになったのかということについて、私なりの見解を記述したものです。

それは、私たち日本人としては、もの考え方や生き方にそうした特徴があることをただ単に知っておくというだけではなく、どうしてそういうものの考え方や生き方をするようになってしまったのかということまでを知っておくことが、特に今後、国際化がますます進む中で、外国人と接するときに、あるいは、一人ひとりが、これからの時代を生きぬいて行ける生き方を模索する上で大変有効なことなのではないか、と私は考えるからです。

なお、本節も、全体は長文なため、前節と同様、便宜的ではありますが、「その1」と「その2」に分割して公開します。

 

5.2 それは「お上」と呼ばれた官僚を含む役人一般から見倣った生き方——————その1

私たち日本国民の多くは、世界の民主主義国の人々からは異質と思われてしまうようなこうしたものの考え方を、また生き方をなぜするようになってしまったのだろうか。

それは私たちの遠い祖先の時代からだったのだろうか。そしてそのものの考え方と生き方は、自分たちが生きる気候風土の中で自ら身に付けて来たものなのだろうか(第1の問い)。それとも外から、つまり誰かに意図的に植え付けられたか、誰かから学んだものなのだろうか(第2の問い)。もしそうだとすれば、一体誰から植え付けら、あるいは学んだのだろうか(第3の問い)。そしてそれは、何のためだったと考えられるか(第4の問い)

さらには、なぜそのようなものの考え方や生き方が日本の社会では誰からも疑問も持たれずに当たり前になってしまったのであろうか(第5の問い)。そしてそうしたものの考え方や生き方は日本の社会に結果として何をもたらしたのであろうか(第6の問い)。

これらの問いとその答えについては、私たち日本国民にとっては、今こそ、真剣に考えてみなくてはならないきわめて重要なものだと私は思う。なぜなら、前節で述べて来た特徴としてのものの考え方や生き方こそは、何かと私たち日本人が世界から誤解される根本的でかつ最大の原因となっているのではないかと私には思われるからである。またそれは、今後この国に想定される環境的原因ないしは政治的原因に因る様々な危機的状況に際して、それを主体的に対処して行けるようになるか否かに密接に関わることでもあると私には考えられるからである。

それだけに、その答えを私たち日本人自身が自ら探り当て、それを冷静に見つめ、それを総括して顧み、そこから、これからの時代に相応しいと考えられるものの考え方や生き方を見出し得るか否かということは、上記のことの裏返しとして、次のようなきわめて重大な意味を持っていることと私は思うのである。その1つは、とにかく、本当の意味での国と国民の全体の危機に遭遇した際に、自力で克服できるようになるかということである。そしてそれが可能となるためにも、もう1つは、私たち日本人が本当の意味で世界の人々と「人間」的に対等に付き合えるようになり、日本と日本人が世界から正当に理解され信頼され、価値ある国とみなされるようになっているかということである。そして私は、この二つこそが、安易に軍事超大国との軍事同盟に依存するよりも確かな、祖国の真の安全保障になるのではないか、と私は考えるのである。

本来なら、先の6つの問いとその答えについては、日本の文化と歴史を一緒に研究する日本の研究者に明らかにしてもらいたいのである。

しかし私の見て知る限り、それらの問いに対する明確なる答えあるいはそれに関する示唆を与えてくれている研究者と著書はほとんど見受けられないように思われるのである。

例えば加藤周一の「日本人とは何か」山本七平の「日本人の人生観」は今とくにここで明らかにしたい「日本人と政治との関わり」あるいは「日本人の政治意識」という観点からみたとき、私にはとても不十分であった。むしろ政治的視点を避けているのではないか、とさえ思えた。丸山真男の「日本の思想」は前二者に比べると日本人のものの考え方の特徴を多面的に捉え、また分析しているが、やはり私がここで求めている問いに対する答えを提示している個所あるいはその答えを得る示唆を与えている個所は見当たらなかった。

むしろその点、外国人の方が政治との関わりの観点をも含めて私たち日本人のものの考え方や生き方を正確に観察し、捉え、分析したものを残していると私には思えた。

たとえば既述のルース・ベネディクトの「菊と刀である。そしてとくにK.V.ウオルフレンの「日本/権力構造の謎」をはじめとする日本と日本人に関する多くの著書がそれである。後者の著者の著書中でも「人間を幸福にしない日本というシステム」「なぜ日本人は日本を愛せないのか」の両書は、私とっては文字どおり“目から鱗が落ちる”思いだった。

私はその書の中で、安藤昌益という思想家の存在を初めて知ったのである。

この思想家は、西欧世界で、古代ギリシャ時代から延々と続く知的伝統の中で生まれたような人物ではない。鎖国政策を執ったあの江戸時代、言ってみれば、外国からは知的情報が一切入らない社会的状況の中に誕生した人物なのだ。安藤はそんな社会にありながらも、独自の哲学的かつ政治的思想を育てたのである。彼は、その主著「自然真営道」の中で、徳川封建制度をも本格的に、しかも全く独創的かつ合理的な精神を持って批判してもいる。ウオルフレンは、そんな安藤の存在を知らしめてくれたのは英国の優れた日本歴史研究家E.H.ノーマンであると紹介している。ノーマンは、日本の歴史家や研究者さえ知らなかった安藤を、あるいはその政治性ゆえに紹介を憚られていた安藤を、故人となった狩野亭吉博士を通じて掘り起こし、全世界に知らしめてくれたのだ、と高く評価している。

この事実を知った私は、「やっぱりそうか」と思うと同時に、やはり残念でならなかった。

ここで「やはり」と私が言うのは、私たち日本人は、私の見るところ、自分が目にしたり耳にしたものを自分で感じ、判断し、評価するということはなかなかしないし、むしろそれを避けてしまうこと。そうではなく、他者、それも著名な外国人が評価したときに初めて自分もそれに追随して評価するという場合が圧倒的に多いことを知っているからだ。

要するにこれも、よく人は「自分らしく」という言い方はするものの、実はその自分は「真の自分というものを持っていない」ことを証明していることでもあると私は見るのであるが、5.1節で述べて来たように、みんながやっていることや言っていることにただ合わせているだけなのだ。だからその評価は決してその人の心からのものではない。だから一時はそのことでブームにはなっても、しばらくするとみんなで忘れてしまうのだ。そしていつもそんな調子だから、物の価値や文化・芸術の価値等々への評価眼や審美眼は一人ひとりにも社会的にも一向に高まらないし深まりもしない。

実際、歴史的に価値あると思われるもの、文化的に価値あると思われるもの、自然的価値あると思われるもの等々が、経済活性化の名の下にどんどん失われて行っているし、それに対して大多数の人はほとんど平気または無関心の様子だ。たとえば一度失われたなら取り返しのつかない歴史的街並であり歴史的に決定的に大切な建築物といわれるものについてがそうだ。あるいは日常用いる道具や農具や大工道具、また植物染め等々に対する伝統の職人技、いわゆる「匠の技」についてもだ。その価値に外国人が着目して、初めてそれに目を向ける。でもそれは本当にその価値が心底から判った訳ではないから、時と場所が変わればすぐに忘れてしまう。

こうしたものの考え方や生き方の特徴は、この国では、様々なところで、頻繁に見受けられる。その最も象徴的な例が日本のある人がノーベル賞を受賞することになったと伝えられたときの文字どおり国を挙げての対応の仕方なのではないか、と私は思う。

それまでその人が長いこと地道な努力を積み重ね、また成果も上げていることをたとえ周囲は見聞きして知っていたとしても、これといってそのことでその人をとくに褒め讃えたり、また励ましたりするということをしないでいたのに、スエーデン科学アカデミーが、あるいはノーベル財団がその人にノーベル賞を授賞すると発表すると、途端に、日本のメディアというメディアは連日、その人とその功績を大々的に取り上げるし、それにつられて国民大多数も大喝采する、またそれに後れをとってはならないと教育行政を司る文部省・文科省もあわててその年の秋の叙勲で文化勲章授与を発表したりするというのがそれだ。

 

そこで私は、日本人の一人として、あくまでも本書を構成する上での観点から、ここでは、世界の民主主義国の人々からは異質と思われてしまうこうしたものの考え方を、また生き方を、どのようにして身に付けるようになってきたのか、上記著書を参考にさせてもらいながら、私自身も直接見聞きした体験をも合わせて、私なりに整理してみようと思う。

そこで先の6種の問いに対する答えであるが、私はそれをどうやって見出そうかと長いこと思案した。そしてあるときふと気付いたのである。そうだ、そうした日本人のものの考え方や生き方の特徴を最も典型的かつ象徴的に示しているのは役所の人々ではないか、と。

ここで言う役所とは、市町村役場であり、都道府県庁であり、また中央政府の各省庁である。そこで働く、一般に「役人」と呼ばれる、少し前までは、多くの日本国民から「お上」とも呼ばれて来た人々である。

なお役人を「お上」と呼ぶようになった歴史的背景については、7.1節にて詳述するのでそちらを見ていただくとして、結論を先に述べれば、自分たちに権力を握る正統性のないことを知っていた明治期の官僚は、黒子に回って天皇を利用し、政治家よりも天皇の僕(シモベ)であるとする官僚(役人)こそ頼れる存在、彼らこそ住民のために何かをしてくれる存在だと国民にそう思わせるように計らってきたからなのだ。その点について、ウオルフレンはこう言う。天皇を最大限利用しながら欺瞞に満ちた統治策によって国民を統治した国は、世界中どこの国の歴史を見ても、日本以外には多分例がなかっただろう(K.V.ウオルフレン)−−−−

いずれにしても、こうして、国民・住民にとっては、政治家ではなく「お上」の方こそ苦情を訴える相手、また聞いてもらえる相手、と思わされてきたのである。

それを象徴的に示す行動の一例が、住民の役所への「陳情」という、あの奇妙な、あるいは不可解な行為であろう。

役所に陳情したところで、役人ができることは知れているのに、である。なぜなら役人は、陳情された内容に対しては現行法の範囲内でしか対処できないからだ。むしろ国民がそこで行使すべきは請願権であろう。その権利こそ、現行日本国憲法にて保障されている権利だからだ(第十六条)。というより、世界の民主主義国の憲法には、この請願権こそ明記され保障されているのである。それなのに何かにつけて役所の役人に「陳情」するという訴え方をする人の方がいまだに圧倒的に多い。そしてそれを、政治家も見て見ぬ振りを続けている。

こうなるのも、学校で一人ひとりの権利ということがきちんと教えられてこなかったからであり、また、政治家こそが選挙で住民から選ばれた住民の代表であり、それゆえに、彼らこそが住民の要望や意思を聞き取り、それを議会に持ち寄ってはそこで政治家どうしで議論して住民の要求に応える政策となし得る立場である、ということも教えられてこなかったからなのであろう、と私は考える。

とにかく住民が暮らしの上で困ったことに直面した時、それを解決して欲しいとして役人に陳情するというのは、とくにその訴える問題が前例のない事態であったならなおさらのこと、民主政治制度から言えば筋違いなのだ。国民が、住民として自分たちの実情を述べ、善処を要請する相手は、あくまでも自分たちが選挙で選んだ自分たちの代表である政治家のはずだからである。なぜなら、政治家こそが主権者からの要請を受けてそれを実現するための政策を決定でき、住民が納めたお金(税金)の使途を決定できる立場だからである。

役所の役人はといえば、議会が議決して公式の政策や法律または条例となったそれを受けて、それをその通りに執行することが主たる役割なのだからだ。

以上の考察から、この国の人々が何かにつけ見せるそのものの考え方や生き方というのは、この国の気候風土の中から身につけたものというのではなく、むしろ「お上」という名の役人(官僚をも含む)が仕組んだ風潮の中で、お上の方針に沿うように振る舞うのがよいことだといった風潮が社会に定着し、その結果、役人のしているとおりにもの考え方や生き方を学び取って来たのではないか、と私は推測するのである。

では実際のところ、役人自身の見せるそのものの考え方や生き方とは、どういうものなのか。

それを知るのに私にとって大いに参考になったのは、たとえば次の著書である。

宮本政於「お役所の掟」講談社1993年4月、並木信義「通産官僚の破綻」講談社+α文庫1994年5月、古賀茂明「官僚の責任」PHP新書佐藤栄佐久「知事抹殺」2009年9月平凡社、古賀茂明「日本中枢の崩壊」2011年5月 講談社、等———、また役所の外部の人が役人について著した書物を読んでみても———屋山太郎「官僚亡国論」1993年11月新潮社、大前研一「平成官僚論」1994年6月 小学館毎日新聞取材班「霞ヶ関しんどろーむ」1994年8月、毎日新聞特別取材班「住専のウソが日本を滅ぼす」1996年4月、保阪正康「官僚亡国」2009年9月 朝日新聞出版、等々。

とにかくこれらの書に見える役人のものの考え方や生き方で共通しているのは現状維持に拘る、というものだ。現状を変えようとしたり、変革や改革るいは改善しようとしたりすることを極度に嫌う。
そして、一旦決めたことや始めたことについては、途中でどんなに客観的状況が変化しても、自分たちのメンツにこだわり、あるいは自分たちのやっていることには誤りは無いと思い込みたいし、また思い込ませたいのか、再検討することも再考することもなく、最後までやりきってしまう。そしてたとえ失敗しても、決してそれを認めようとはしない。
したがって少しの反省もしないし、責任を負うこともしない。もちろん自分たちがやって来たことを検証するということも、総括し、そこから教訓を引き出すということもまったくしない。だから彼らは自分たちのとってきた行為の経緯、そしてその結果については、正確な記録を公文書として残そうとすることはしない。むしろそこに失敗があったりうまく行かなかったりした場合にはとくに、それに関連する文書や資料は破棄するか隠そうとさえする。だから行動の管理の仕方も、文書や資料の管理の仕方も杜撰そのものだ。とにかく自分たちの足跡を残したくはないのだ。

そしてつねに「集団主義」や「集団の論理」を重視し、「ムラ社会」を構成し、「みんなと違うことはいけない」、「他より目立ってはいけない」と、構成員一人ひとりが、お互いに他者に無言で強いる。

何事も、「みんなで合意して決め、みんなでやったんだ」という意識を共有し、その意識の下で行為する。だから、個人としての責任意識などあろうはずはないし、育ちようもない。

失敗を認めようとはしないが、もはやどうやっても責任から逃げ切れないとなった時、初めて謝罪する。謝罪するとは言っても個人としての責任意識がないから、そしてトップの指示ないしは命令の下に行動して来たのではなく集団主義で行動して来たから、とにかくできるだけ大勢居並んで国民に頭を下げて見せる。それも頭を下げている時間が長ければ長いほど謝意を表したことになると考えているのか、そしてその下げ方も定型化させて、みんなまったく同じようにいつまでも下げ続ける。でも頭を上げたその表情は決して二度と繰り返すまいという決意をにじませたものではない。

とにかく、役人ほど、つねに言い逃れられる道、つまり「逃げ道」を用意しながら仕事をしている輩はいない。役人ほど、人から評価され、立身出世できる道、つまり「花道」に拘る輩はいない。

実際私は、ある役人からこういう話を聞かされて、言い得て妙なその表現に、思わず笑い出してしまった記憶がある。

“生駒さんねー、役人を動かそうと思ったら花道をつくってあげることです。と同時に、逃げ道をも忘れずに用意してやることです。”

そして役所ほど「創造的能力」・「独創的能力」・「真の指導者的能力」等を不要としている組織はない。役所ほど「人物」、「人格」、「人間性」、「能力」ではなく、「役職」・「格」・「上下関係」・「序列」・「肩書き」を重視する組織はない。「個人」あるいは個人としての「自由」や「多様性」も認めようとしない組織はない。また「抜きん出た才能」も不要とし、むしろそうした能力ある者を抑え込み、潰そうとする風潮すら作る集団はない。

また、役所ほど、その内部で、「ねたみ」・「イジメ」・「差別」・「ハラスメント」がまかり通っている組織もない。そういう意味で、役所はイジメの巣窟なのだ————日本の社会では「イジメ」が学校でも企業や団体でも深刻な事態を生じさせ、そのことが頻繁に報道されるが、実は役所こそが、歴史的に今日もなお、イジメが半ば公然とはびこっているのだ————

その一方で、役所ほど、国民へのではなく、自分たちの組織への「忠誠」を厳しく要求し、「滅私」や「悪平等」を暗黙に押し付け、「犠牲」や「忍従」を強いる組織もない。

役所ほど人間関係が「上辺だけ」、「形だけ」で、そのくせ一人ひとりはとにかく「保身」に拘り、「自分(たち)が安泰」であればそれで良しとする組織もない。それだけに「自分(たち)の利益」をつねに最優先する。憲法で言う「全体の奉仕者」などまったくの言葉だけだ。このことも私は彼ら役人と直接接して、幾度となく肌で感じてきた。

だから、客観的状況が変化すればそれに対応して内部組織も変えなくてはならないはずなのに、そんな外部のことなどおかまいなしに、役人ほど自分たちの仕事や部署がなくなったり、縮小されることを何より怖れ、嫌い、そのことに断固抵抗する人々はいない。

役所ほど「本音」と「建前」を使い分けながら、そのくせ、「公」と「私」を平気で混同させる組織はない。

因みに、次のものは、国家公務員倫理カードに「倫理行動規準セルフチェック」として記されているものだ(2020年9月12日「報道特集」UTYテレビ山梨

・国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正に職務を執行していますか?

・職務や地位を私的利益のために用いていませんか?

・国民の疑惑や不信を招くような行為をしていませんか?

・公共の利益の増進を目指し、全力を挙げて職務に取り組んでいますか?

・勤務時間外でも、公務の信用への影響を認識して行動していますか?

ただし、この倫理カードと5つのセルフチェック項目を作成したのはどうやら国家公務員倫理審査会のようであるが、この審査会とその構成員は会長1名、委員が4名(うち一人は官僚)から成っていて、それは内閣から任命されているようであるが、どのような客観的根拠に基づいて、公正に選任されたものか、私は知らない。

何れにしても、森友問題の時といい、架計問題の時と言い、あるいは2.5節にて述べてきた内容からも明らかなように、私たち自身が国土交通省の官僚や山梨県庁県土整備部と同県庁内の高速道路推進室そして北杜市役所道路河川課の役人らの私たち市民に対する傲慢で狡猾で平気で嘘を言い、国民の金を国民の了解もなく勝手に使う態度等に接してきた事実と照合しても、公務員に関するこのような「倫理行動規準セルフチェック」など、単なる「建前」でしかないことかがはっきりするのである。倫理審査会も、内閣閣僚たちも、官僚を厳正にチェックなどしていないのだ。

外に向っては自分たちは法に従って仕事をしていると言いながら、「内規違反」も平気でやる。役所ほど、「憲法」や「法律」を軽視し、むしろ「慣例」・「慣行」・「前例」を重視し、「根回し」・「不文律」・「馴れ合い」・「人脈」・「派閥」・「学閥」をも重視し、論理や理性ではなく、また知性でもなく、「情実」が絡んで動く組織はない。

役所ほど、「閉鎖的」で、外の世界の「常識」・「共通の価値」・「正義」・「大義」といった価値に無関心な組織はない。

役所ほど、国民には平気で「ウソ」をついたり「ごまかし」たりし、また事実や真実を「隠し」ながら、いつでも自分たちのやっていることを「正当」らしく、あるいは「国民のためにやっている」と見せる欺瞞的組織はない。

とどのつまりは、役人ほど、主権者である「国民」を信頼せず、「民主主義」を軽視し、「人権」を軽視し、「官尊民卑」を暗黙のうちに当たり前とする組織はない。 

こうしてみると、役所あるいはそこに働く役人が見せる姿は、正に前節に述べてきた私たち日本国民一般の「ものの考え方」と「生き方」そのものであることに気付くのである。

両者の力関係からすれば、あるいは歴史の経過から見れば、役人が庶民からそれを学び取ったとは考えにくく、庶民の方が役人から学び取ってきたと考える方が自然だと考える。

振り返ってみれば、この国には、いつの頃からなのか私にははっきりしないが、古くから次のような言い回しが格言あるいは箴言のごとくに人々の間になされてきている。

————「波風は立てるな」、「長いものには巻かれろ」、「触らぬ神(お上)には祟りなし」、「臭いものには蓋をしろ」、「見ても見ぬ振りしろ・聞いても聞かぬ振りしろ・知っても知らぬ振りしろ」、「見ザル・言わザル・聞かザルが大事だ」、「出る釘は打たれる」。

かと思えば、「本音と建前を使い分けろ」、「もっと大人になれ」、「うまくやれ」、「丸くなれ」、「もっと現実的になれ」、「理想だけじゃ食ってはいけぬ」、「理想と現実は違う」、「理屈だけじゃ世の中通らない」、「きれいごとだけじゃ通らない」、「清濁、合わせ持て」、「水に流せ」、「村八分にされるぞ」、「足を引っ張られるぞ」、「寄らば大樹の陰」、「内輪の恥は外にさらすな」、「内と外を峻別しろ」、「人の噂も75日」、「のど元過ぎれば熱さも忘れる」、「批判するより協調が大事」、「自分を主張するより、まず和」、「自分が我慢すればすべて丸く治まる」。そして比較的最近では、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」、・・・・・————。

これも、多分、役所の人々が見せる生き方から庶民が、生きる知恵というよりはあくまでも処世術として、本音ではなく建前として、学びとったものの考え方であり生き方なのではないか、と私は推量するのである。

 

以上のことから、先の第1の問い「自分たちで自分たちが生きる気候風土の中で身に付けて来たものなのだろうか」と第2の問い「それとも外から、つまり誰かに意図的に植え付けられたか、誰かから学んだものなのだろうか」、そして第3の問い「もしそうだとすれば、一体誰から植え付けら、あるいは学んだのだろうか」に対する答えのいずれもすでに明らかになったと言えるのではないか。そして第4の問い「それは何のためだったと考えられるか」に対する答えも。

では第5の問い「なぜそのようなものの考え方や生き方が日本の社会では疑問も持たれずに当たり前になってしまったのであろうか」に対する答えはどうであろう。

実はこれこそ、日本を世界の他の国々とは際立って異質な国民の国にしてしまった最大の理由を問うものだと私は考える。

私は、権力者であり支配者であった者たちの民衆統治の秘策が功を奏した結果だ、というのがその答えになると考える。もちろんその秘策というのは決して庶民の幸福のためのものではなく、権力者が自らの地位や立場を安泰なものとするためのものでしかなかったのであるが。

なお、これらの具体的な根拠説明は、次回、「5.2 それは「お上」と呼ばれた官僚を含む役人一般から見倣った生き方——————その2」にて述べようと思います。