LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

5.3 日本国民とドイツ人との生き方の比較 ————ヴァイツゼッカー大統領演説『荒れ野の40年』から見えてくる戦後のドイツ人の生き方を参考にして————————その1

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今、私は、インテーネット上にて、20数年来書き溜めてきた原稿を、「ブログ」として次々と公開しています。それは、当初は紙による単行本として出版しようと思ったものです。想定した書名は「持続可能な未来、こう築く」です。そしてその書の目次は、すでに8月3日に、やはりこのブログにて公開したものです。

実際に公開している原稿は、必ずしもその目次の順序に沿ったものではなく、その時のこの国の状況を見渡してみた時、今がそのタイミングと私なりに思われたものです。

今公開している原稿は第5章「私たち日本人一般の今日の生き方を顧みる」です。

すでに5.1節と5.2節を公開してきました。そして今回は5.3節を公開しようと思います。

 

なぜ私は5.3節を設けたか。

それは、私は、ごくごく近い未来、この日本という国は特に、国民の生命と自由と財産を守るために、解決させておくべきだった重大問題の全てを、政治家の無責任と怠慢ゆえに先送りして来たがために、今以上に困難で国民の死活に直結するような事態に次々と直面してゆくだろうと観ていますが、そんな時、これまでのものの考え方や生き方を続けていたのでは、ただうろたえるだけに終わるだろうと危惧しています。

ではどうしたらいいか。どうしたら、絶望に暮れることなく、目の前の事態を勇気を持って克服して行けるようになるか。

それを探るために、様々な面で一つの手本を次々と世界に先んじて示してみせるドイツ人のものの考え方と生き方を見つめてみて、参考にさせてもらおうと思ったからです。

今回も、この5.3節を2つに分けて、時間をずらして公開します。



5.3 日本国民とドイツ人との生き方の比較

————ヴァイツゼッカー大統領演説『荒れ野の40年』から見えてくる戦後のドイツ人の生き方を参考にして————————その1

 

前節までは、私は、異論や反論を持っておられる方もいるだろうことを想定しながらも、そのようなものの考え方や生き方を続けていたなら、それは世界のほとんどどこの国の人々からも異質と見なされて理解されないままになってしまい、その結果、この国はますます世界の中で孤立して行くことになるだけではなく、自らが自らに危機を招き、しかもその危機に対応できるどころか、かえって招いたその危機をさらに悪化させてしまうであろうと思われてならないものについて考察して来た。

次いで、ではそのようなものの考え方や生き方は、なぜ、そしていつ頃から、どのようにして私たちは身に付けてきてしまったのか、ということについても私なりに考察をしてきた。

そこで本章では、ではそのような危機を自ら招かないようにするには、また、不幸にしてそのような危機に直面してしまった場合でも、事態を悪化させることなく、その事態を自ら克服できるようになるには、今後、私たちはどのようなものの考え方や生き方を身につけて行ったらいいのであろうかということを考えてみたいのである。

私は、その場合、私たち日本国民にとって、今のところ、最も良き参考例となると思われるのはドイツ人のそれではないか、と思うのである。

その理由は次のようなものだ。

何と言っても日本とドイツは、1930年代、互いに同盟を結んで、ドイツはヨーロッパで侵略戦争を起こし、日本はアジア・太平洋地域で侵略戦争を起こした国という点で共通点があるからである。そしてその両国とも、最後は「無条件降伏」という完膚なきまでの敗北を連合軍から喫した国であるという点でも共通点があるからである。

 

しかし、ドイツを日本にとって良き参考例とする理由はそれだけではない。と言うより、それは比較する際の前提条件に過ぎず、むしろそれ以後の理由の方が重要なのだ。

それは、両国とも、敗戦後、経済面と軍事面で共にアメリカの援助を強く受けながら世界が瞠目するほどの経済発展を遂げた国であるのだが、その際、国民が母国を廃墟の状態から復興させ発展させようとした時の動機や目的の設定の仕方において、またその後の発展の仕方やさせ方において、両国の国民の間にはものの考え方と生き方の違いに因ると思われる大きな違いがあったことである。
そしてその結果としてと言っていいのであろう、第1章で述べてきたごとく、混迷を深める今日ではあるが、その中で、世界を冷静に見渡したとき、残念ながら日本とドイツに対する国際社会からの総体的な意味での信頼度や期待度には大きな開きができてしまい、それだけに世界における存在感という点でも、日独に対する見方の間には大きな開きができてしまっているのである。

その意味でドイツは、国土の面積の点ではアメリカやロシアや中国には遠く及ばないが————日本と比べても、面積はその93%、人口は72%————、私の見るところ、国としての政治や経済の在り方、福祉や教育の面においても、したがって本章で問題としている国民の人間としてのものの考え方や生き方においても、世界に対して、ある意味では手本を示し続けており、事実上の世界のリーダーとなり、世界を牽引しているとさえ言えるのである。そういう意味では、世界の大国になっているとも言えるのである。

ところで、国の偉大さ、その国が偉大であるかどうかというのは、何によって評価されるべきものなのだろうか。

それについては、例えばデモクラシーを生み出した古代ギリシャがよく「偉大な国」と呼ばれていることからも判るように、そして、ローマ帝国については決してそうは呼ばれていないことからも判るように、私は、その国が偉大であるかどうかは、国土や領土の広さとか、富の豊かさや経済力あるいは軍事力で評価されるべきものではなく、思想において決まるのではないか、と考える。
ただしそこでは、
一般に、人の行動は、その人が自分で気づいていようがいまいが、無意識のうちに、その人の人間としてのものの考え方、言い換えれば価値観を含めた思想ともいうべきものによって支配されている。あるいは、人は一般に、その人の人間としての思想ともいうべきものによって支配されながら行動するものだ、ということを前提としている。

したがって、その国が偉大であるかどうかは、そこの国の人々が、ものの考え方と生き方において、その後の人類の幸福にどれだけ大きな影響を与えるものを示し、またそれを残したかによって評価されるべきものなのではないか、と考えるのである。

そういう意味では、例えばトランプのイメージし主張する国は「偉大な国」どころか、むしろ経済力、あるいは軍事力という「力」に物を言わせ、「力」を根拠とするもので、それはむしろ人間性や倫理性を軽視するものであるだけに、国として、また国民から、一時はもてはやされることはあっても、歴史の中に生き続けられるものではない。

私は、ドイツこそまさしく偉大な国だと思う。そしてそれを成し遂げているドイツ民族こそ偉大な民族だと考える————もちろんだからと言って、それを理由として、他民族を排撃したり、ましてや優生学的に絶滅させようとするなどというのは全くの論外である————。

実際、本節で後述するように、彼らが人類のために為し、遺してくれたそれらは、自然科学のみならず、文学、芸術、医学等々、いずれの分野のいずれを取っても生半可なものではなく、人間のあり方や社会や自然の本質あるいは根源に迫るような成果ばかりに見えるのである。

日本も、特に明治期以来、医学や教育制度、政治制度、軍事制度等で、どれほどドイツから学んでいるかしれないのだ。

とにかく、民族として、これほど多くの功績を残してくれた民族というのは他にはないのではないか。

 

ではドイツはなぜそれができたのか。

そこで以下では、第二次大戦後、ドイツ国民は何をどのように考え、そして生きて来たのか、それを見てみようと思うのである。

それには、彼らが国際社会で何を為して来たか、また、今、何を為しているかを見ればいいのである。

ドイツは、私たちもよく知っているように、東西ドイツの統一を成し遂げ、今、EU欧州連合)に見るごとく、欧州を経済面だけではなく政治面でも統合を目指すという世界史に前例のない試みに、フランスとともに主導的立場で挑戦している。そしてそこに至る過程でドイツは、第二次大戦でドイツが侵略したすべての国々への賠償も完全に済ませてきている。
EU内では、財政危機・金融危機等の難問を抱える加盟国を支え、なお、シリアやイラクアフガニスタンからの政治難民をも100万人を超える規模で受け入れ、国内では手厚い人道的支援を継続している。

自国の安全保障の面においても、軍事超大国アメリカとは一定の距離を保ちながら、国際社会におけるアメリカの行き過ぎに対してはその都度、臆することなく、批判すべきところは理性的に批判するというようにして、公正で客観的な姿勢を保って来ている。その姿勢は今も変わってはいない。

それだけではない。

ドイツは早くから環境問題への対処も国を挙げて積極的に行い、その面でも、その政策や考え方は、世界に大きな影響を与え続けている———日本の環境分野の専門家たちの多くが、学界でも先を競って移入した「ビオ・トープ」・「クライン・ガルテン」そして河川におけるコンクリート護岸を自然護岸へと転換するという発想は、いずれもドイツが発案したものなのである。
日本には、もともと都市の中にも田舎にも、至る所に微小生物棲息空間があったのに、日本の環境学者たちはその自国の自然史は顧みずに、無批判的にドイツを真似し受け入れて来たのだ。

日本での「3.11」の直後、東京電力福島第一原発メルトダウンを起こし、大規模な水素爆発を起こした時にも、世界でいち早く自国の原発の廃止を決めたのもドイツだった。日本の学者は、その後、日本政府が原発再稼働を決めた際にも、ほとんど反応しなかったのだ————。

そしてドイツは、教育面や福祉面、そして文化や芸術・技能面においても世界の模範となることを積極的に進めている。教育面や福祉面では、その基本に人間の尊厳を重視するという考え方を、文化・芸術・技能面では、自国のそれらの伝統に誇りを持ちながら、それらを絶やさないという考え方とっているように見える。

その場合とくに日本国民として特にしっかりと見ておくべきではないかと私には思われるのは、こうしたドイツの人々の、教育・人権・福祉・環境・平和に対する彼らの自身への厳しいまでの生き方の根底には、侵略戦争を起した自国のリーダーを選んでしまったのは他ならぬ自分たちドイツ国民なのだ、その結果、ドイツは異民族とくにユダヤ民族と周辺他国にあれだけのことをしてしまったのだ、という深い、そして真摯な反省が見て取れることだ。

そしてドイツの経済復興の動機も目的も、そうした真摯な姿勢の中で定められてきたものだ、ということをである。ドイツは何のために経済発展を目ざすのか、と。

そして実際、彼らドイツ国民が定めたその目的とは、先の大戦で自国が侵略したすべての国々に対して、きちんと賠償のできる国になるためだ、というものだった。

しかしドイツは、実際には、長いこと、侵略国ということで周辺ヨーロッパの国々からは厳しい批判・非難を浴びせられ続け、信用できない国、警戒すべき国と見られ、様々な形で報復を受けて来た。
それでもドイツの人々は、自国の犯したこと、またそれに自分たちが加担してしまったことに言い訳をすることはなく、むしろその事実を悔恨とともに
心に刻みながら、つねに周辺諸国との和解を求め続けてきた。自国政府が設定した目的の実現に国を挙げて誠実に取り組み続けたのだ。実際、ナチ党員であって、戦争犯罪に手を染めた者に対しては、時効を認めずに、今なお、世界中にそうした者を探してもいる。

長い道のりだったが、その姿は、やがて、周辺ヨーロッパ諸国の中にも、「ドイツ、信用ならず、恐るべし」とのかつての見方を見直す動きが出始めた。そしてついには、被侵略国の方から和解の手が差し伸べられるようになったのだ————日本は、侵略国、例えば韓国であれ、中国であれ、フィリピンであれ、マレーシアであれ、タイであれ、シンガポールであれ、ビルマ(今のミャンマー)であれ、彼らの方からこのように歩み寄られたことは、一国としてあっただろうか————。

そのドイツは、連合国の敵国だったということで、第二次大戦の反省から誕生した国際組織である国連では常任理事国にこそなり得てはいないが、今では、国際的重要問題の議論ではほとんど決まって国連に招かれ、事実上の常任理事国扱いを受けている。

また、ドイツは、自国の建築文化やさまざまな生活文化等にも誇りを持地、それを維持し続けていることも世界によく知られている。

そのことは、たとえば、連合軍による空爆で廃墟となった自国の諸都市を戦争前の姿そのままに再現してみせたその生き方にも見て取れる。

またどの地方都市を訪ねても、周囲に美しい自然風景を保ちながら、見るからに「共同体」と見て取れる美しい集落ないしは小都市を形成しており、その土地固有の雰囲気を保ったたたずまいにアイデンティティと誇りとを見て取れるのである。
実際、それは、どこの小都市も田舎の集落も、住民同士が互いに協力し合って、大きさも形も質感も配色も統一させ、均整の取れた家並みや屋根並を形作っているのである。また伝統の職人技についても、ドイツは、その高い技術レベルを維持するために、若者の生きる道について、進学一色ではなく、職人への道を選択できる
マイスター制度を選択肢と設け、それを国を挙げて支援し続けてもいるのである。「ヴァルツ」と呼ばれる伝統的大工職人になるための若者の放浪修行制度もその一つ。

 

では、ひるがえって、私たちの国日本の政府および日本国民の、戦後から今日までのあり方はどうであったろうか。

なおその場合、国民から選挙で選ばれた政治家によって成る政府は、国民と別物なのではなく、むしろ政府のあり方は国民のあり方を投影していると考えるべきであろう、ということを前提に以下を考える。

従軍慰安婦問題が今なおくすぶっていることからも象徴されるように、侵略国に対する賠償問題や謝罪の仕方を含めて、日本政府は「法的には片付いている」と言っているばかりで、戦後70年余を経た今もなお、関係国すべての間での戦後処理は完全には終ってもいない。たとえばタイに対してがそうだ。領土問題も未解決問題を幾つも抱えている。

また世界で唯一、原爆が投下されたことについても、それをほとんど被害者として見るだけで、あるいは“この悲惨な事実を忘れない”と言っているだけで、なぜ日本が原爆を投下されねばならなかったのか、さらには、なぜ日本はあれほど無謀な戦争を始めたのかといった、そもそも侵略戦争を起こしたそのいきさつに関心を持つ者さえ、特に今はほとんどいないのだ。

それだけではなく、侵略戦争の経緯についてもそれがどのように行われて行ったのか、その戦争で日本は侵略した国の人々に何をしたのかということについても関心を持とうとする者もきわめて少ない。つまり私たちは加害者でもあった、との視点であの戦争を捉える者はほんの一握りでしかないのだ。

むしろ、私たち日本国民の多くは、“あの戦争は軍部が起こしたもので、オレたちには関係ない”という態度であり、あるいはせいぜい、“ああいう戦争は二度とゴメンだ”と言うだけだ。日本政府自身、とくに安倍晋三政権などは、戦争への反省どころか、あの戦争が侵略戦争であったことすら認めようとはしていない。こういうところが、すなわち世界が認める歴史を無視する言動をする者が政府の最高責任者となる国であるというところが、世界から、“日本には良心はあるのか”と見られてしまうのだ。

「朝日」「毎日」を含む日本の代表的商業新聞も、「公共放送」と自称するNHKも、自分たちが当時、いかに国民を騙して軍部の戦争遂行に協力したか、その反省すら、今日まで、公式には一度としてしていない————そうしたメディアの後身であり後継者たちは今、これも世界から異常視されている「記者クラブ」に群がっているのだ————。
彼らは、大本営の発表のままにウソの情報を国民に流しては戦争を煽り、自国民を戦場に送り出して来たのだ。また彼らは、従軍していながら、日本軍が戦地で多くの残虐行為を働いたことについても、その真実を本国に伝えようともして来なかった。むしろそれらの真実を覆い隠してさえ来たのである。

戦争責任の所在についても、この国の政府も私たち国民の多くも不問にし、あるいは曖昧にして来てしまった。開戦決定が御前会議において為されたものである以上、その戦争の最終責任は天皇にあることは明白だったのに、そして天皇自身もマッカーサーの前ではそれを認めていたのに、日本国と国民にとって最大のその問題が、その後の極東国際軍事裁判東京裁判)では最初から問われることはなく、国民もそれを問うことなく、今日に至ってしまっている。

言うなれば、私たち日本国民自身が自らの手で明らかにしなくてはならなかったこの国を破滅に導いたその戦争の最終責任の所在を、戦勝国という外国人に任せてしまったのだ———安倍晋三が象徴的だが、この国の中央と地方の政治家が、政治スキャンダルを起こした際、「遺憾」という言葉を口にしながら実際には何もしない来た生き方といい、何かと言い訳をしては責任逃れをする今日の日本中に蔓延している風潮は、このときから始まったのではないか、と私は見るのである———

日本国と国民のその後にとって決定的に重要なこうした総括を他者に放り投げてしまうような日本政府であったから、時の首相吉田茂が取った政策に見るごとく、主権を投げ捨てて、国防も外交もアメリカ任せにし、日本は、少しでも早く経済復興し、経済発展することそのこと自体を自己目的化したのである。その象徴的態度がやはり吉田茂が結んだ、それも岡崎勝男を使って秘密裡に結んだ日米地位協定孫崎享「戦後史の正体」創元社サンフランシスコ講和条約では公式に独立を認められたはずなのに、実態は、アメリカに追随するというよりはむしろ植民地状態を戦後70余年経った今もなお、沖縄の人々の意思を無視し、暮らしを犠牲にしたまま続けているのである。    

昨日まで“鬼畜米英”と叫んでは敵国としてきたアメリカに対して、負けた途端、苦痛も屈辱感も見せず、従属国、よくて被保護国となることを受け入れたことによって成り立って来た日米関係という国と国との関係は、かつて世界での国家間の歴史においてはまったくその例が見られないものなのだ(K.V.ウオルフレン)

廃墟となった国内主要都市復興のさせ方について日本政府のとった考え方もまったく同じだ。とにかく「経済発展最優先」とばかりに、そこに生きてきた私たちの先人の思いや生き様を形として残すことなく、つまり日本人の文化を大切にすることなく、また、たとえ空爆に遭わずに破壊を免れた都市でも、先人たちが築き上げてきたその街や家並みをもアッと言う間に取り壊してしまい、日本中に、これまでとは全く違う姿で、東京に似せた個性もアイデンティティも見られない都市を金太郎飴のように建設し続けてきたのだ。

山紫水明の国と私たちが世界に誇れたこの国の国土についても同じだ。山肌のいたるところを、他の方法は考えずに、無用なコンクリートで塗り固めては覆い、不要不急の、それも立派すぎる道路をあちこちに造っては生態系を破壊し、無惨な景観を現出させて来た。

伝統の文化や職人技についても、既述のとおり、市場経済と大量生産システムを無条件に受け入れては、廃れさせ、消滅へと追い込んで来てきてしまった。

つまり日本国政府は、「一つの民族、一つの天皇という王朝を126代という長きにわたって・・・」麻生太郎財務相)という言葉あるいはそれに類する言葉を口にしながら、実際には、民族としての記憶や智慧の継承を軽んじ、あるいは消し去ってきたのだ。

対外的にはどうか。

日本政府は日本を「ODA(政府開発援助)大国」などと自慢するが、その実態は、日本国民が納めたお金(税金)を使って、日本の企業を儲けさせることに主眼をおいた、見せかけの援助、「押しつけ型の開発」(アリフィン・ベイ)でしかなかった。相手国の、あるいは現地の人々の歴史や文化を尊重しながら、彼らが求めるものを与えたり、自立できるようにするための援助では決してなかった。

侵略戦争を始めた経緯を国民に今もって公式に教えないという日本政府の姿勢、この国が戦後、植民地状態を続けることになった日米地位協定を秘密裡に結んだ経緯も今もって国民に教えないという日本政府の姿勢は、国際社会が認める日本の真の「敗戦」の日は9月2日であるということを無視し続け、今もって毎年の8月15日を「終戦」の日とし記念日とし政府主催の公式行事としていることにもそのまま現れている。だから、国民には「ポツダム宣言」とその意味も教えようとはしない。それどころか、安倍晋三などは、首相でありながら、ポツダム宣言はつまびらかに読んだこともない”と何の躊躇も見せずにうそぶく。むしろ、戦後レジームからの脱却」と戦後の民主主義体制を否定して、明治への復古を唱えさえしている。

日本政府の戦後の学校教育行政についてもその基本的な考え方は同様だ。児童生徒一人ひとりの個性も能力も認めようとはせず、世界が基本的価値と認める自由や平等そして民主主義についても、その真の意味を教えようとはしてこなかった。

とにかく、政府は、国民に、真実や正義の価値も教えず、ひたすら秩序・和・協調性ばかりを児童生徒に強要して画一性・均質性・同質性ばかりを重視して来た。だから、多様性など育つはずもなく、不都合な真実は隠し、「侵略もなかった」、「南京大虐殺もなかった」等々としてきたのだ。

難民の受け入れについても、ドイツが100万人規模であるのに対して、日本が受け入れている条約難民の数はたったの750名だ(2018年末現在 日本政府の法務省)。

私たち日本国民はそうした自国政府の不寛容で共感力の乏しい姿勢にほとんど疑問も持たず、抗議もせず、むしろそうした政策に安堵さえ覚えているようにさえ私には感じられる。

さらには、アイヌの存在が日本政府に知れてから少なくとも150年以上は経つというのに、その政府がアイヌ民族を「先住民族」と明記したアイヌ施策推進法を施行したのは実に2019年になってなのだ。

 

実はこうした状態は、この国が、あるいは国民が次に示すような状態の国になることと必然的な関係にあることだと私は思うのである。

たとえば、働けど働けど豊かさ観や幸せ感を実感できない国。増大する一方のイジメを止められず、世界最多の自殺者を生んでいる国。少数者がいつも見捨てられてしまう国。生きる意義や目的を学校でも教えられないのに、人生の終い方だけは自己責任を強いられる国。大災害に遭っても被災者が何年経っても救われない国。男女平等実現ランキングは世界140の調査国中114位という国。子どもや女性の人権について国連や国際社会からしょっちゅう注意勧告を受ける国。京都議定書を議長国として締結しながらそれを自ら破る、国際公約すら守れない政府の国。世界の中で政治難民や気候難民の数は年々増える一方なのに、それを一向に受け入れようとはせず、産業界に役立つ人材だけ、それもいつでも解雇できる人間だけを期間限定で、あるいは非正規雇用という形で受け入れようとするだけの国。若いときには「社畜」として働かされ、老いては「自助」「共助」と自己責任を促されるだけの国。自国の安全保障を口にしながら超大国軍隊の軍人に同朋の人権を踏みつぶされても何の公式抗議もしない政府を抱える国。自国に希望も誇りも持てない国民の数が増える一方の国、・・・・。

では私たちの日々の暮らしの場であり空間でもある日本の都市の姿や田舎の小都市の姿はどうであろう。

建築設計者も施主も周囲の自然や家並み・屋根並みとの調和も考えずだた自己主張するだけの家を作り続ける国。だから街の景観は乱雑でバラバラになる一方。古き建物、由緒ある建物も、「経済合理性」の名の下に、すべてを、瞬く間に置き換えてしまう国。また「匠の技」とは言いながら、伝統の大工技や金物や染め物、焼き物、織物等の職人技についても、大量生産からなる市場経済の流れの中で衰退するに任せる政府の国。芸術や芸能の道についても同様だ。若者の人生の選択肢についても、小さい時から個性を殺され、能力を殺されながら、画一化に慣らされ、進学かサラリーマンとしての就社の道しかない国。

国際社会はそんな日本を、「エコノミック・アニマルの国」、つまり経済や金のことしか考えられない人々の国、「損得」という天秤でしか考えられない、人間らしい感情の見られない動物みたいな人々の国と見ている。あるいは「打ちひしがれた人々の国」(K.V.ウオルフレン「システム」p.14,16)とも見ている。打ちひしがれても打ちひしがれても、人間としての尊厳が傷つけられても傷つけられても、人間としての心の底からの異議の申し立てとしての叫びを発する勇気も気概も持ち得ない、腑甲斐ない人々の国との意味だ。

 

「窮鼠、猫を噛む」という諺がある。また野生動物でも昆虫の蜂でもそうであるが、攻撃されたり生存を脅かされたりしたなら相手が誰であろうと命がけで反撃する。特に子供を抱えている場合には。それが生物としての本能であり本性のはずだ。

それなのに日本国籍を有するという意味での私たち日本人は、その本能を示し得ない。それは、インドのガンジーのように、無抵抗主義を通し、その後に自国の独立を勝ち取るといった明確な思想を自分なりに持ってそうした態度を示しているのではない。

では一体何を怖れて、生物としての本能すら政府に、あるいは力ある者に示し得ないのだろう。これでは、自分の権利を他人の足下に投げ棄てること、自分自身に対する人間の義務に違反すること(イエーリング「権利のための闘争」岩波文庫p.14)であり、ドイツのカントの言うように、『自ら虫けらになる者は、後で踏みつけられても文句は言えない』(同上書p.13)立場に成り下がってしまうではないか。

そんな民族は————この場合、日本民族とかヤマト民族などというのはない、ということは置いておくとして————、世界の他民族から真に信頼され、同じ人間として見なされることなどあり得ないはずだ。実際、国際社会からの既述の日本評価は定着して既に久しいのである。

 

私がドイツを比較の対象とする際、参考にしたのは、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領(当時)が1985年5月8日、ドイツの敗戦40周年にあたって西ドイツ(旧)の連邦議会において全自国民に向けて行った演説内容である。

当時、ヴァイツゼッカー大統領はドイツ人の間ではもちろん世界的にも絶大な信頼があり、またドイツのアイデンティティ、ドイツの良心を代表している人物とも目されていた人物である。

その演説は、日本で翻訳されたとき「荒れ野の40年」との題が付されていることからも判るように、そこには、ドイツの人々が敗戦直後から40年間に辿ったものの考え方と生き方における苦悩と葛藤の軌跡が大統領の言葉をもって表現されている。

できればこの演説の全文を掲載したいところではあるが、そうも行かず、私の主観に基づいて引用せざるを得なかったため、演説の主旨が正確に伝わらなかったりするかもしれない。その点はどうかご容赦いただきたいのである。

その演説は、自国民に向ってこう呼びかけるところから始まる。

ここで、演説の実際は、「その2」に回そうと思います。