LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

5.3 日本国民とドイツ人との生き方の比較 ————ヴァイツゼッカー大統領演説『荒れ野の40年』から見えてくる戦後のドイツ人の生き方を参考にして————————その2

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5.3 日本国民とドイツ人との生き方の比較

————ヴァイツゼッカー大統領演説『荒れ野の40年』から見えてくる戦後のドイツ人の生き方を参考にして————————その2

5.3節の「その1」では、とくに、ドイツはどういう動機と目的の下に戦後の経済復興と発展を目指し、またそれを実現させて来たかを国際社会との関わりの中で見て来ました。そして、日本は何を目指して、どのような考え方の下で経済復興と発展を目指し、またそれを実現させて来たか、をも見て来ました。

そしてそこには、両国の間には対照的とも言える違いがあったことが明らかになりました。

その違いが、今日、日本とドイツに対する国際社会の中での信頼度や尊敬のされ方、つまり世界における存在意義の違いとして現れているのです。

以下の「その2」では、先ず冒頭、戦後のドイツ人のものの考え方とそれに基づく生き方を最も象徴的に表現していると私には思われる、今は亡き、元ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の大統領(R.v.ヴァイツゼッカー)が連邦議会にて全ドイツ国民に向けて語りかけた演説の要所要所を抜粋しながら、そこから、なぜ彼らドイツ人がそんな生き方ができたかを、私なりに考えてみようと思うのです。

 

以下、岩波ブックレットNo.55『荒れ野の40年』」より。

(ⅠからⅨなるローマ数字は、大統領の演説文の翻訳本にあったものものをそのまま記したものです) 

ご臨席の皆さん、そして国民の皆さん

多くの民族が本日、第二次大戦がヨーロッパの地では終結を迎えたあの日を思い浮かべております。・・・・・。1945年5月8日はヨーロッパにおいてきわめて重要な歴史的意義を担った日であります。われわれドイツ人はこの日をわれわれだけの間で記念いたしておりますが、これはどうしても必要なことであります。われわれは判断の規準を自らの力で見出さねばなりません。自分で、あるいは他人の力を借りて気持ちを慰めてみても、それ以上の役には立ちません。ことを言い繕ったり、一面的になったりすることなく、能うかぎり真実を直視する力がわれわれには必要であり、げんにその力が備わっております。

われわれにとっての5月8日とは、何よりも先ず人々が嘗めた辛酸を心に刻む日であり、同時にわれわれの歴史の歩みに思いをこらす日でもあります。この日を記念するにさいして誠実であればあるほど、よりこだわりなくこの日のもたらしたもろもろの帰結に責任をとれるのであります。・・・・・。

1945年5月8日と(ヒットラーが政権についた)1933年1月30日とを切り離すことは許されないのであります(拍手)。1945年5月8日がドイツ史の誤った流れの終点であり、ここによりよい未来への希望の芽がかくされていたとみなす理由は充分であります。・・・・・。

5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを誠実かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、とりわけ誠実さが必要とされます。・・・・・。

・・・・・・。

一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。

人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きて来た方がた、その人たちは今日、一人びとり自分がどう関わり合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。・・・・・。

罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのです。

問題は過去を克服することではありません。

さようなことが出来るわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります(拍手)。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。

まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。何百万人もの死を心に刻むことは世界のユダヤ人一人ひとりの内面の一部なのでありますが、これはあのような恐怖を人々が忘れることはできない、というだけの理由からだけではありません。心に刻むというのはユダヤの信仰の本質だからでもあるのです。

忘れることを欲するならば追放は長引く

救いの秘密は心に刻むことにこそ

・・・・・・。

もしわれわれの側が、かつて起こったことを心に刻む代わりに忘れ去ろうとするようなことがあるなら、これは単に非人道的だというにとどまりません。生き延びたユダヤ人たちの信仰を傷つけ、和解の芽を摘みとってしまうことになるでありましょう。

われわれ自身の内面に、智と情の記念碑が必要であります。

5月8日は、ドイツの歴史のみならずヨーロッパの歴史に深く刻み込まれております。

・・・・・・。

苦しめられ、隷属させられ、汚辱にまみれさせられる民族が最後に一つだけ残りました。ほかでもないドイツ民族であります。この戦いに勝利を収める力がないなら、ドイツ民族など亡びてしまうがいい−−−−ヒトラーは繰返しこうのべております。われわれ自身が自らの戦いの犠牲となる前に、まず他の諸民族がドイツを発火点とする戦いの犠牲となっていたのであります。

・・・・・。

・・・・・・。

物質面での復興という課題と並んで、精神の面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。ここにおいて、他の人々の重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への覚悟が育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。

かつて敵側だった人々が和解しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか−−−−このことを忘れて5月8日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジツエ村で虐殺された犠牲者たち−−−−われわれは本当にその親族の気持ちになれるものでありましょうか。

ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信が次第に深まっていく必要がありました。

・・・・・。

故郷を追われたドイツ人は、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。

力のなかった初期のころのその場しのぎの言葉ではなく、今日にも通じる信条であります。

武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。

・・・・・。

5月8日の後の運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩わされることのない持続的な将来の安全を確保すること−−−−これこそ武力行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります(拍手)。

この人のように、相手が手を差し出すのを待つのではなく、自分の方から相手に手を差しだすことは、はかりしれないほど平和に貢献するものであります(拍手)。

・・・・・。

戦後4年経った1949年の本日5月8日、議会評議会は基本法を承認いたしました。

議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法の第一条(第二項)に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。

ドイツ国民はそれゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめる

5月8日が持つこの意味についても今日心に刻む必要があります。

ドイツ連邦共和国は世界の尊敬を集める国になっております。世界の高度工業国の一つであります。この経済力で世界の飢えと貧窮と闘い、諸民族の間の社会的不平等の調整に寄与する責任を担っていることを承知しております。

・・・・・。

ドイツの地において今ほど市民の自由の諸権利が守られていたことはありません。

他のどんな社会と比較しても引けをとらぬ、充実した社会福祉の網の目が人びとの生活の基盤を確固たるものとしております。

・・・・・。

傲慢、独善的である理由は毫もありません。しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。

・・・・・。

−−−−人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう(拍手)。

−−−−独裁下において、自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。

・・・・・。

戦いが終わって40年、ドイツ民族は今なお分断されたままであります。

・・・・・。

われわれドイツ人は一つの民族であり、一つのネーションであります。同じ歴史を生きて来たのでありますから、たがいに一体感を持っております。

1945年5月8日も民族の共通の運命として体験したのであり、これがわれわれを一つに結びつけております。

・・・・。

ドイツ民族も含めたすべての民族に対する正義と人権の上に立つ平和、ドイツに住むわれわれは、共にこれを希求しております。

大戦から40年たった今、過去についてかくも活発な論議が行われているのはなぜか−−−−この何か月かの間にこう自問したり、われわれに尋ねたりした若い人たちがおりました。25周年、30周年のときより活発なのはなぜか、というのであります。

これはいかなる内面の必然性に拠るのでありましょうか。

・・・・・。

ですから、40年というのは常に大きな区切り目を意味しております。暗い時代が終わり、新しく明るい未来への見通しが開けるのか、あるいは忘れることの危険、その結果に対する警告であるのかは別として、40年の歳月は人間の意識に重大な影響を及ぼしておるのであります。こうした両面について熟慮することは無意味なことではありません。

われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起こったことの責任はありません。しかし、その後の歴史の中でそうした出来事から生じて来たことに対しては責任があります。

われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は誠実さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることが出来るよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。

人間は何をしかねないのか−−−−これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。

道徳に究極の完成はありえません—−−−いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。

われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰返し克服していくだけの力がそなわっております。

ヒットラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。

若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。

・・・・・。

若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手を取り合って生きて行くことを学んでいただきたい。

民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。

そして範を示してほしい。

自由を尊重しよう。

平和のために尽力しよう。

法を遵守しよう。

正義については内面の規範に従おう。

今日5月8日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか(拍手)。

以上、引用終わり。

 

これを一読した直後、私は思った。

果たして、この国日本には、国会という場において、「ご臨席の皆さん、そして国民の皆さん」と静かに呼びかけ、自らが国の良心を代表し、省察しながら、感傷を排して国の来し方を回顧し、人間としての、また人間と人間との根源的な有りようについて、上記演説に見るような理性と高い倫理性に裏付けられた言葉で語りかけられる指導者がかつていただろうか、そして今いるだろうか、と。

実際、今や、同大統領が表明するように、ドイツは、「世界の尊敬を集める国になっており、世界の高度工業国の一つであり、その経済力で世界の飢えと貧窮と闘い、諸民族の間の社会的不平等の調整に寄与する責任を担っている(と自覚していることを)こと」を私たち世界は知っている。そして、「人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはない」国になっていることも、私たち日本を含めた世界は、よく知っている。

では、ドイツ人はなぜこうしたものの考え方とそれに基づく生き方ができたのか。

私は、こう思うのである。まずは自分たちの両親や祖父母への尊敬と愛、そして偉業を為した同胞の数多くの先人たちに対する民族としての誇り、一言で言えば祖国愛なのではないか、と。

その愛を裏付けるものの一例として、私は先に、廃墟と化した戦後のドイツ国内の諸都市を戦前の姿のままへと復元させたことを挙げたが、それだけではなく、先人の偉業については、それはもう思想から自然科学、法学、医学、芸術等々と、およそほとんどの知的領域に及ぶ。そしてその到達レベルは、ほとんどどれも、人類に対する偉業ともいうべきレベルのものばかりなのである。

そうした偉業とその偉業を為した人々を私が思いつくまま挙げてみても、ざっと次のようになる。

思想と哲学の面では、たとえば、カント、フィヒテシェリング、ショウペンハウエル、

フォイエルバッハヘーゲルマルクスニーチェ、ハイデッカー、ヤスパースシューマッハー

法学の面ではイエーリング。

農学(地力理論)と生化学の面ではリービッヒ。

音楽の面ではバッハ、ベートーヴェンブラームスワーグナーマーラー

医学・細菌学の面ではコッホ、精神分析学の面ではフロイト

文学の面ではゲーテ、シラー、ヘッセ、マン。

社会学ではウエーバー。経済学の面ではオッペンハイマー

自然科学の面ではX線を発見したレントゲン、大陸移動説のウエーゲナー、エネルギー保存則のマイヤー、エネルギー保存法則を数学的に定式化したヘルムホルツ、気体の圧力と温度との関係を法則化したボイルとシャルル、電磁波の存在を初めて実験的に確かめたヘルツ、不確定性原理ハイゼンベルク、量子仮説のプランクエントロピー増大法則のクラウジウス、そして相対性原理のアインシュタイン(正確にはユダヤ人)。

数学の面ではベッセル、ガウス、リーマン。

実際、これらの偉業はどれも生半可なものではない。いずれの分野のいずれを取っても、私には、単なる科学者自身の好奇心や関心に導かれて得られた成果という質のものをはるかに超えたもので、人間や社会や自然の本質あるいは根源に迫るような成果ばかりに見える。そしてそれらは、既成の概念や先入観あるいは既成の形式に囚われていたり、研究テーマの流行に囚われていたりしたなら到底ここまでには到達し得なかったであろうと思われる質のものばかりである。しかもそこには、どれも、何のためにそれを為そうとしたのか、明確な目的意識があったようにも思える。

だからこそこから得られた成果は、根源的であるが故に時代を超えて今日もなお世界中の人々に大きな影響を与え続けている。暮らしにおいて。思想において。芸術において。それだけにこれらはすべて、紛れもなく全人類の財産ともいうべきものとなっている。

ヴァイツゼッカー大統領の演説に見られるドイツ人の生き方は、こうした歴史的かつ文化的な背景に基づくものだったのではないか、と私は思うのである。そうした誇るべき伝統を汚すまい、とする。

ともあれ、ドイツの人々がこれだけの貴重なものをさまざまな面で残してくれ、また、ますます混沌としてゆく今の世界状況の中にあっても、また国内にはさまざまな対立要因を抱えながらも、世界に対して、政治、経済、文化、福祉、環境等の面で、原則あるいは本質的観点から一つの手本を示し続けてくれ、世界に一歩も二歩も先んじて挑戦して見せてくれている姿は、私たち人類全体にとって本当に救いであり、また励みでもある、とも私などは思う。

それは、見方を換えれば、ドイツの人々は、今の地球上の私たち人間に、意図せずして、次のことを彼らの知の伝統に基づき教えてくれているのではないか、とすら私は思いたいのである。

“つねに、「真実を直視」し、「言い繕うことをせず」、「一面的になったりすることなく」、「事実から学び、教訓から学び」、可能な限り物事の「根源」に立ち返り、「苦しさから逃げず」、「本質」に迫って考えよ!”、と。

 

それに対して私たち日本人の生き方とは、5.1節で述べたものを基本的な特徴とするものだった。

私は、その特徴を最も鮮やかに、そしてドイツ人とは対照的に、象徴する姿が、国民の中から出て、国民から選挙で選ばれ、国民を代表している政治家が、戦前や戦争の総括も検証もしようとせず、またその一人ひとり省察もしようとはせずに、そして一人では国の内外からの批判に耐えきれないために、相変わらず集団で靖国神社を参拝する姿だと思っている。

締めくくりとして、ドイツと日本について、そのそれぞれの政府と政治家が、戦後、自国民と周辺諸国に対して果たしてきたことの概略を、以下に、表にして整理し、比較してみる。

 

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私たち日本国民は、無条件降伏で終えたあの戦争に対して、戦後、
“あの戦争は、私たちにとって一体なんだったのか”、“何のための、そして誰のための侵略戦争だったのか”とその意味を深く問うたことがあっただろうか。とくに戦争を体験した人々は、“その戦争にはどのような態度と心構えで向かい合い、また敗戦後はどのように向かい合って来たか”と問うただろうか。そしてそこから得たもの・感じ取ったものを次世代に語り継ごうとして来ただろうか。

一方、戦後生まれの私たちは、どれほどの数の人が、“あの戦争はどう捉えたらいいのか”、そして“そこから何を学ぶべきか”と問うて来ただろうか。また、戦後の私たちは、“あの戦争に対して、戦後、日本政府は、そして天皇は、侵略国の人々に対してどのように向かい合って来たのか”、同じく、“あの戦争の結果、戦後、日本政府は、そして天皇は、自国民に対して、どのように向かい合って来たか”、反対に、“私たち国民は、日本政府に対して、また天皇に対して、あの戦争をめぐって、どのように向かい合って来たか”、等々と真摯に問うたことがあっただろうか。

 

国を守るためとされてきた安全保障においても、日本政府には、発想の根拠は経済しかなかった。

戦後、世界はサンフランシスコにて日本の独立を公式に認めてくれたのにも拘らず、戦後最初の総理大臣吉田茂は、全く歪んだ形でそれを利用した。国防と外交はアメリカに任せにして、軽武装という形を取ったのだ。

日米安全保障条約と、それに関連してとくに吉田茂が自国政府内においてさえも秘密裡にそして姑息で陰湿な手を使って締結した日米地位協定の中身を見れば明らかなように(孫崎 享「戦後史の正体」創元社p.115〜120)、卑屈そのものの内容だ。ドイツがアメリカと結んだ地位協定の内容とは全く異なったものとなっている(しんぶん「赤旗」日曜版2018年8月26日号)

米軍に対しては国内法は原則適用されず、基地の管理権もなし。米軍の訓練と演習に対して規制する権限もなし。しかも基地の内外に日本の警察権も及ばないというものだ。それはまるで日本はアメリカの保護国どころか植民地さながらの内容なのだ。この内容は、吉田茂という人物の人格と人間性そのものを反映した内容と取り決め方と言える。こんな前近代的で、非人間的、自ら主権を放棄した内容のものを吉田は日本の経済発展のためだけに受け入れたのだ。

この取り決めは、その後今日までの日本の運命を確定させたのだ。というのも、その後の歴代自民党政府は、アメリカに対してこの地位協定について改定交渉を要求したことは一度もなかった。

ともあれ、そこにある日本政府の姿は、超大国にひたすら追随する卑屈そのものの姿勢でしかない。自国民の人権擁護、自国民の真の幸福を優先する政府本来の姿はどこにもない。自民党と連立を組み続ける公明とて同じだ。ひたすら権力欲しさに、立党理念であるはずの「中道」政治をいつの間にかかなぐり捨てて、コバンザメのごとくに自民党にくっついているだけである。これも、「寄らば大樹の陰」に倣う卑屈そのものの姿だ。

一国の政府を構成する自民党公明党の政治家には、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」ヴァイツゼッカー大統領が演説で述べるような視点と反省はどこにもない。自民党政治家が靖国神社を参拝するのを、公明党は、同じ政権を担いながら、誰も批判もしない。ましては政権を離れる気配もない。

私たち日本国民の多くも、日本がアジアの多くの人々に加害して来た事実に無関心になり、あるいはそれを忘れてしまっている。というより、日本政府も私たち日本国民の多くも、日本もアジアの一部であり私たちもアジア人である、ということすら忘れている。

そのためか日本は、「経済大国」と呼ばれるようにはなっても、ドイツが周辺国と和解しながらEEC(欧州経済共同体)、EC(欧州共同体)を通じて執ったようには、アジアの復興と発展やアジアの人々の自立と人権の問題に貢献することもなかった。

こう言うと、日本政府は、“日本はODAでは世界一”と自負するかもしれないが、その実態は極めて眉唾物なのだ。「政府開発援助」と呼ばれるそれは経済援助というにはほど遠いものだからだ。相手国の事情や要望を満たしたり、相手国の自立を促したりするためのものではない。日本の企業の都合を押し付けるものであり、日本国政府が途上国を経済搾取して、日本の企業に莫大な利益が還流するようにしたもので、ヒモ付き援助とでもいうべきものだったからだ。しかもその援助金は日本政府が日本国民から取り立てた税金である。国民からの税金が、最終的には企業に流れるように政府の官僚と財界の官僚が一緒になって仕組んだものだったのだ。

また、そうした中、国民のほとんどは学校時代から人間性を軽んじ個性を軽んじる画一教育を押し付けられ、世界が普遍的価値とする自由も民主主義もまともに教えられないできた。

参考までに言えば、今日(2017年現在)、世界における男女平等の実現度ランキングは、調査された144カ国中、114位である。

戦後70年余経つ今、憲法では国の主権者とされた国民の中で、 “自分は市民である”という自覚を持っている者が果たしてどれだけのパーセンテージでいるだろう。自由とは何か、民主主義とは何かを明確に説明できる者が果たしてどれだけのパーセンテージでいるだろう。

実際この国は、戦後は、国民の代表である政治家によって政治が為されている国なのではなく、長いこと天皇に代わって「お上」と呼ばれて来た役人・官僚が実質的に主導する官主主義の国あるいは官僚独裁の国になっているのである。

 “自分は一国の最高責任者”と自称する総理大臣安倍晋三も、総理大臣として日本国を真の「国家」としないまま、戦後レジームからの脱却」と明治への懐古を唱えるだけで、国として進むべき道も目ざすべき目的地も定めないまま、アメリカに主権を委譲したまま、国を丸ごと漂流させ続けてきたのである。

 

「感情」「感性」は人の心を揺さぶることはできるが、その人を納得させて動かすことはできない。物事を構築することもできない。けれども芸術や芸能を育む。

一方、「論理」は、人の心を揺さぶることはできないが、物事の成り立ちやそのものへの理解を深めさせてくれる。したがって物事を構築する上で絶対的な力を発揮してくれる。また論理は、ウソを見破らせてもくれる。

私はドイツの人々は、この両方を「調和」させて生きてきたのではないか。そして今もそうして生きているのではないか、とさえ考えるのである。

でも、その両者の大元にあったのは、ドイツ人の祖国愛と祖国への誇りだったのではないか。