LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

第1章 世界はなぜ混迷の度合いを深めて行くのか、そして日本はなぜ?

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第1章 世界はなぜ混迷の度合いを深めて行くのか、そして日本はなぜ?

いよいよ今回は、拙著「持続可能な未来、こう築く」を執筆し始めた出発点に当たる第1章に戻って公開します。

私の問題意識は、その表題に表現されたものから始まります。

世界は今、平和と安定に向かうどころか、ますます混迷を深め、未来に不安を抱く人の数を激増させています。

その傾向を示すごく近年の例は、領土拡大と勢力拡大の野心に基づく中国の世界における急速な台頭です。また米国は米国で、これまで歴代大統領が世界の諸国との間で築いてきた様々な取り決めを含む秩序から次々と撤退し始めていることです。しかもそんな中、米国と中国との間では、技術開発を含む経済と軍事の面で、世界を巻き込んだ形での覇権争い、あるいは新たな冷戦を始めたことです。そしてさらにそこへ、治療法もワクチンもない新型コロナウイルスによるパンデミックが生じ、文字通り世界規模で、膨大な数の死者を伴った経済的大混乱に陥っていることです。

本第1章の最初の節では、この新型コロナウイルスによるパンデミックという最新の状況による影響については新しすぎて言及出来ませんでしたが、それを除いては、なぜ世界は次々とこうした混迷傾向を深めるのか、その主たる理由ないしは原因と考えられるものについて、私なりに考察して、本書の出発点に据えようと思います。

ここでも、全体を三度に分けて公開します。

 

1.1 ますます混迷の度合いを深めて行く世界————————————その1

ベルリンの壁が崩壊し(1989年)、ソヴィエト連邦が消滅し(1991年末)、米ソの超大国を中心とした陣営間の対立、いわゆる東西冷戦が終結(1991年)してまもなく30年が経とうというのに、世界は、総じて、平和で安定した状態になるどころかむしろますます混迷の度を深めている。

そうした状況をもたらしている主な直接的原因の1つが、民族紛争であり、宗教対立、テロリズムの頻発であり、それによる政治難民の大量発生と、彼らの移動によってもたらされている人種対立である。もう1つは、その背後に大国間の対立を控えた小国間の代理戦争の頻発化である。もう1つは、資本主義経済システムの一環としてのグローバリゼーション(経済の世界化)とネオ・リベラリスム(新自由主義)の嵐が世界的に吹き荒れた結果、一方では途上国での財政破綻と経済危機、他方ではとくに先進国内での経済格差とその拡大が顕著になり、そのために、途上国と先進国のいずれの国内でも人々相互の間の分断と対立が深まっていることである。まだある。そこにさらに、加速度化している地球温暖化とそれに伴う気候変動によって住む場所を失った結果としての新たな難民の大量発生と彼らの移動と移動先での問題が加わり、事態を世界規模でますます複雑化させていることである。

第一次世界大戦の教訓として誕生した国際連盟は二度目の世界大戦を防げなかった。そしてその二度目の世界大戦の教訓として誕生した国際連合も、今、国連設立の第一目的である「国際の平和および安全を維持すること」がうまく機能しているようには決して見えない。

アメリカとソ連(当時)との間で、あわや核戦争勃発という瀬戸際まで行ったキューバ危機の事実(1962年)がそうだ。あるいはその後、これはあまり知られてはいないが、1973年には、同じく米ソ間でもう少しのところで核戦争勃発というところまで行った事実がそうだ。また、既述の通り、冷戦が終わった後にはむしろかえって混迷を深めてきてしまった世界の状況がそうだ。また、これまでの二度の世界大戦を通じて学んだ教訓に基づいて、とくにアメリカとヨーロッパを中心に築き上げられて来た世界平和実現のための秩序あるいは枠組みそのものも崩壊しつつあるようにさえ見えるのもその理由の1つである。

国連が当初の設立目的を果たし得ていたなら、こうはならなかったであろう。

このような地球規模の混迷が今なお進んでいる状況の中で、世界人類は、今後、どの方向に、何を根拠に、どのような道を辿って進んで行けばいいのであろう。どうすれば世界は安定を、また平和を実現できる日が来るのであろう。未だそれは見出し得てはいないのだ。

 

では、なぜこうした事態になるのであろう。

本書を記述するに当たって、スタートとしてのこの章のこの節では、こうした混迷状況に至っている現況をもう少し具体的に見つめてみると共に、どうしてそうなってしまったのかという主な原因について、私なりにざっと考察してみようと思う。そうすることで、本書執筆の動機と目的そして本書の位置付けをより明確にできるのではないか、と思うからである。

ただし、その場合、ここでは、その現況とそうなってしまった原因の考察を、アメリカを中心にしてみてゆこうと思う。

その理由は、かいつまんで言えば、第二次世界大戦後の世界では、アメリカがいい意味でも悪い意味でも世界に対して圧倒的な影響力をもたらしてきたし、今後も、アメリカがそうした面での力の維持のみに執着し続けるのなら、自身の傲慢な姿に自ら気付こうが気付くまいが、世界に対して圧倒的な影響をもたらし続けて行くであろうと私には推測されるからである。そしてその場合、そのアメリカの世界への影響のもたらし方は、総じて、いい面よりは悪い面の方向にいっそう顕著に現れ、いっそう世界秩序と安定を乱し、アメリカの影響を受けた国々をして、ますます混迷を深めてしまう事態を引き起こさせてしまうだろう、とも私は推測するからである。

すなわち、アメリカのみに注目する理由は、次の3つになる。

1つは、戦後、ソビエト連邦が消滅する前までは、ソ連と共に、世界に対して、経済力と軍事力を背景にしての政治面で最も大きな影響をもたらして来た国であること。

2つ目は、ソ連が消滅し、東西冷戦が終結した後には、事実上世界の一強となり、やはり世界に対して、経済力と軍事力を背景にして政治面で最大の影響をもたらし続けてきた国であること。

3つ目は、とくに「9.11」アメリカ同時多発テロ事件以後、アメリカの世界戦略の中では、軍事と経済の両戦略に、文字どおり世界を巻き込む形での大きな変化がアメリカ政権内に現れたように私には見えることである。それだけに、一層アメリカの動きは注視する必要があると私は思うからである。

そしてそのアメリカに注目する場合も、主として、政治経済外交環境の四つの側面について見て行こうと思う。ただし、その四側面は必ずしもつねに分離できる訳ではなく、互いに関連し合っている場合もある。

先ずは政治面についてアメリカの政治が世界に混乱を引き起こし、さらにその混乱を助長してきた経緯を見てみる。

アメリカは、第二次世界大戦の最中から戦後の2、30年間にかけて、その大戦を通じて世界から集めた莫大な富を背景に、世界に対して、圧倒的な支配力と影響力を見せた————それは政治面に限らず、経済、外交、軍事の面でも同様だったが————。その際、とくに元陸軍元帥マーシャルによって提案され、ヨーロッパの戦後復興に絶大な貢献をしたマーシャル・プランは有名である。そしてその後も、アメリカは、「自由の国」、「アメリカン・ドリームを持てて、それが叶えられる国」でもあるとして、世界中の人々からあこがれを持って眺められた。実際、1950年代は、アメリカ人自身、最も幸せと実感し得た時期だった。

それだけにアメリカは、世界中から頼られ尊敬されて、偉大な国と見なされた。その信頼と尊敬の下に覇権を不動のものとしたのである。時の大統領はF・ルーズベルトだった。

とは言え、アメリカが世界からそのように眺められ、実際あらゆる面で強い影響をもたらし得て来たのは、冷戦が終結した後のほんのしばらくまでだった。それは、期間にして、およそ40年から50年ということになる。

しかしルーズベルト大統領が急死し(1945年4月)、代わってトルーマンが大統領になると、アメリカ国内の状況も、世界の状況も急速に変化し始める。

トルーマン社会主義諸国家を封じ込めようとし、反共主義を明確に掲げた考えを発表する。いわゆるトルーマン・ドクトリンと呼ばれるものがそれで、これが東西冷戦を引き起こしてしまうきっかけとなるのである。第二次世界大戦が終わって2年も経たない1947年3月のことだ。

今でもアメリカでは、「冷戦になったのは、ソ連の世界規模の侵略に対抗するためだった」と思っている人が多くいるが、それは誤解だ。東西冷戦を生み出したのはソ連スターリンではなくアメリカだった。トルーマン大統領だった。

ではなぜトルーマンは自分の方から「冷戦」という事態を引き起こしたのか。

少なくともその時点ではたとえソ連アメリカに戦争を挑んだとしても、アメリカはいつでもソ連全土を破壊し得るだけの兵器を手にしていたし、またそれを独占していたのだから、ソ連を恐れる必要など全くなかったのに、である。その兵器とは世界最強の破壊力のある原爆である。その上、アメリカは、経済力においてもソ連に対して圧倒的に優位な立場にあったのだからである

そこにはトルーマンという人間の狭量と邪悪な性格が影響した。ソ連に対してルーズベルトのようには寛容をもって対応できなかったのだ。

またその背景には、トルーマンとその大統領府側近のスターリン指導力ソ連の持つ兵力・軍事力への恐怖もあった。

実際、第二次世界大戦では、連合国側に勝利をもたらす上で最大の功労者となり大戦を終結に導いたのは、これまではアメリカと一般には信じられて来たが、実際にはそうではなくソ連だった。ソ連は、第二次大戦での全死者数がおよそ7000万人と言われる中で戦死者2700万人も出しながら、その兵力・軍事力とスターリン指導力によってこの大戦を勝利に導いたのである。ナチス・ドイツの首都ベルリンを最初に制圧し、陥落させたのもソ連軍である。

トルーマンおよび彼の政府側近は、正にこのソ連の力に恐怖したのである。

実際トルーマンは根拠もなくこう言い始め、共産主義の恐怖を自国民や世界に対して煽った。

ソ連は世界征服を目論んでいる」、「スターリンが世界中に革命を広げようとしている」、と。

かと思えば、外からアメリカに侵略してくる者など上記の理由に拠りいようはずもなかったのに、「ソ連の侵略に抵抗しなければ我々の自由は打ち砕かれる」等々と怯えたのだった。

ソ連は、ソ連の指導部に歯向かう者たちには抑圧的な体制を押し付けていたのは事実だが、そのソ連アメリカに対して拡張政策をとるようになったのは、アメリカを中心とする西側がイデオロギーと安全保障の両面でソ連を脅かすようになってからである(「オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史」第4回「冷戦」)。

これ以降、冷戦は激しさを増して行く。

しかし、激しさは増して行くが、それだけにアメリカもソ連もそれぞれ自分の陣営に対しては、今まで以上に結束を強化する配慮をして行くのである。

そうした中で、東西冷戦の象徴としての「ベルリンの壁」がソ連側によって作られたし、あわや米ソ全面核戦争が勃発するのかと全世界を震撼させ、人類は地球上から消滅するかもしれないとの恐怖に陥れた「キューバ危機」が起る。

そのキューバ危機では、核戦争を土壇場でくい止めたのはソ連海軍の政治将校で潜水艦副艦長のアルヒーポフだった(「オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史」第6回「冷戦」)

しかしその後、ソ連国内の経済の低迷と政権内部での権力抗争に因り、ソ連は弱体化して行くことになる。結局、世界の半分の国々に厳然とした支配力を見せて来たソ連という国家はアッと言う間に崩壊し、消滅してしまうのである(1991年)。

この事実は、それまで、どんなに強大な国家とは見られて来ても、そして外からの侵略や攻撃に因らなくとも、壊れるときにはかくもあっけなく内部から壊れるものである、ということを世界に知らしめた。

こうして、44年間続いて来た冷戦も、ソ連消滅をもって終結するのである。

この冷戦の終結は、これまで双方いずれかの陣営に属さざるを得なかった国々と人々にとっては、超えるに超えられなかった世界的枠組みが突如消えてなくなってしまったことを意味した。結果として、残った一方の陣営である西側では、軽々にして、「自由主義の勝利」、「資本主義の勝利」ともてはやされた。また、ソ連によって抑えられて来たこれまでの東側においては、諸国家、諸民族、諸部族が突如、抑圧やしがらみから解放されることになった。

そしてこのときほど、世界の多くの人々には「平和が近い」と予感させたことはなかった。

しかし、である。実は、唯一残った超大国アメリカ、とくにその政府には、この時二つの大きな変化が起っていたのである。

その1つはアメリカは、ソ連崩壊が近いことを予測し始めた前後から、これまでの二大国間の緊張感から解き放たれ始め、その結果、西側陣営を引きつけたり束ねたりするためのこれまでのような配慮や、世界のリーダーたらんとする配慮を怠るようになって行ったことである。

その結果、それまでアメリカの力によって支配され統治されて来た国々、民族、宗派の人々も、東側の解放と同様、自らの解放を叫び、自らの存在を主張し始めたことである。

もう1つは、東西冷戦があり、それが過熱化して行く中で自らの存在意義を保ち、またその勢力を拡大して来た国防総省ペンタゴン)を中心とすネオコン新保守主義と訳されるネオ・コンサーバティズムの略)と呼ばれる勢力と大統領直下のCIA(中央情報局)は自分たちの存続を図るための新たな世界戦略として考え始めていたことである————「アメリカ新世紀プロジェクト」と呼ばれる政策である————オリバー・ストーン「もうひとつのアメリカ史」)

彼らには危機感があった。ソ連が消滅し冷戦が終わることは、そのままペンタゴン、とくにNSA(国家安全保障局)やネオコンの存在意義も大幅に低下し、それだけに人員や予算の大幅削減が必至となる、と見ていたからである。

そもそもネオコンとは、「自由や民主主義の価値を広めるためには武力行使も辞さない」とする考え方や政策を持つ人々のことである広辞苑第六版)

それは、アイゼンハワー大統領が退任時(1961年)に、アメリカ国民に向ってその存在を知らせ、警告して呼んだ「軍産複合体」という巨大な複合組織の中枢に根付いてきていた人々であったのだ。

そしてその軍産複合体こそ、アイゼンハワー大統領在任時から、その後、多分今日までもなお、肥大化し続け、世界に対して巨大なフランケンシュタインのごとくに振る舞い始めてゆくのである。実際、それは、アメリカの民主党共和党どちらの大統領さえもコントロールできないほどになっているのだ。

フリーのジャーナリスト ジェレミー・スケイヒルはこう言う。

「そのために、大統領がどんなに変わろうが、アメリカという帝国はびくともしません。アメリカの中核の組織は暴力的な軍隊を必要としており、その軍隊が取り澄ました自由市場を支援するというのが大前提です。共和党から出た大統領であろうと、民主党から出た大統領であろうと、恒久的な権力構造や諜報機関からブリーフィングを受けると、皆同じようになってしまうのです。遠い昔、この国で沈黙のクーデターが起き、国の指導者の選出プロセスを企業が完全にコントロールするようになったのです。その事実を理解しない限り、何も変わりません」(BS世界のドキュメンタリー「すべての政府はウソをつく(後編)」2017年2月2日)。

実はアメリカ人の間には、1840年代マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)」という思想———これを「神話」と呼ぶ人もいるが———が生まれた。それは“神の与えし膨張の宿命をアメリカは負う”、あるいは“予め明白に定められた運命”と理解されているもので、アメリカに神から与えられたとする運命感・使命感であるオリバー・ストーン「もう一つのアメリカ史」第一回)
しかしそれは、実際のところは、もともと彼らアメリカ人自身がヨーロッパからの移民であったのにも拘らず、それを忘れて、その当時としては、先住民のアメリカ・インディアンを虐殺したり彼らの土地を奪ったりするという蛮行や、また、アフリカから強制的に運んできた黒人を奴隷化しながら西部開拓を推し進めることをして来た自分たちの蛮行を正当化するためのものであった藤原正彦「国家と教養」新潮新書p.161)アメリカインディアンや、アフリカ系黒人を蛮人とみなし、彼らを文明開化させることこそアメリカに課せられた“明白なる天命”と、勝手に自分たちに言い聞かせたのである。

であるから、この理由づけから、神から与えられたこの美しい使命に抵抗する者は、神の意志に反する者として排除されても仕方がない、とする考え方となるのは必然だった。つまり、何と言うことはない、マニフェスト・デスティニーとは、アメリカの帝国主義的な領土拡大を正当化するためのものだったのだ。

ネオコンがその存続を掛けて新たな世界戦略を考えているちょうどその時、彼らにとっては、かつて日本軍によるパールハーバーへの奇襲があったと同じように運良く、「9.11」アメリ同時多発テロが起ったのだ。

もちろんそれは、アメリカ国民にとっては悲劇ではあったが、ネオコンとその彼らと同盟を結んでいた時のジョージ・W・ブッシュ政権にとっては好機となった。今こそ、そのアメリカ新世紀プロジェクト」なる新たな世界戦略を実行に移せる時だ、と映ったのである。

実際、ジョージ・W・ブッシュアメリカ政府は、「9.11」以降、“すべての国と地域が決断するときだ。我々(アメリカ)につくか、テロリストにつくか”と世界を恫喝する手に出たのだ。またその時ブッシュは、見えない敵であり、国家を持たない敵であり、あるいは戦術でしかないテロというものを標的にした「テロとの闘い」という名の、終り無き戦いの開始を宣言したのである。そしてその恫喝を非難する国連に対しては、「自分の意志に従わないなら、国連は無用のおしゃべりクラブだ」と言って虚仮にさえしたのだ。

このときにネオコンが自らの存続のために考え出したアメリカ新世紀プロジェクト」の主要な1つの目論見が、イランを叩くことを最終目的としながら、まずはアフガニスタンイラクをも含めて「悪の枢軸」と表現することによって、「敵国」としてでっち上げることだった。もう1つが、経済によって世界を牛耳ることだった。その方法こそが新自由主義(ネオ・リベラリズム)を土台とするグローバリゼーションだった。

ネオコンの考えるそのグローバリゼーションとは、蛮人たちの社会に存続して来た規制を徹底して緩和させては、あるいは撤廃させては公的制度を民営化させ、そこに成果主義を採用させてはそこから上がってくる利益を最大化させ、それをアメリカのネオコン仲間の巨大企業(ウオール街の大金融企業、IMF世界銀行)が、本主義の仕組みを巧妙に利用して吸い上げることができるようにしたものだった。そしてそれは、マニフェスト・デスティニーの根底に流れている、「蛮人たちを文明開化させることこそアメリカに課せられた明白なる天命」との思想に通じるものだった。

こうしてブッシュは、計画どおり、手始めにアフガニスタン政府を、過激派組織タリバンをかくまっているとしてその主権を平然と武力で蹂躙しては転覆させたのである。

次いで、ブッシュは、「フセインはテロリストを支援し保護している」とし、「イラク大量破壊兵器を所持している」と、コリン・パウエル国務長官(当時)をして国連にて堂々とウソの大演説をさせては世界中を騙してイラク戦争を起こした。フセイン大統領を裁判にも掛けずに殺害し、イラク政府を転覆させたのだ。その結果イラクはどうなったか。イラク社会は地獄さながらの大混乱に落とし入れられてしまったのだ。

実はアメリカがイラクをそのように何の再建策計画もないまま攻撃し、イラク国内を大混乱に陥れたことにより、その混乱状態の中から「イラクアルカイダ」として台頭して来た勢力が、その後、世界を震撼させることになるIS(イスラミック・ステート)なのである。

少々わき道にそれるが、このとき、コリン・パウエル演説の、あるいはブッシュ政権イラク戦争を起こそうとしている理由の裏付けを取ることもなく、世界でイの一番、イラクへの侵略戦争の全面協力の姿勢を表明したのが当時日本の首相だった小泉純一郎だ。

ところがその当の小泉は、自分の母国を恥さらしにする己の軽率な行為がISを生じさせる遠因を作ったこと、その結果自国のジャーナリストをISによって殺害させてしまったこと、また大量の難民を生じさせてしまったこと、その大量難民の越境移動がその後とくにEU内での分断の原因をつくったこと等に対しては、今もって自らのその人道的かつ道義的責任には一切言及してもいなければ、反省の色も微塵も見せてはいないのである!

そしてその直接の原因を作ったアメリカも、この大量難民を生じさせたことに何の責任を感じる姿勢も見せない。これも、結局は、マニフェスト・デスティニーなる使命感の発祥理由あるいはその記憶がそうさせるのかもしれない。

アメリカではその後、“政府の透明性を高める”、あるいは、“イラク戦争には反対する”と明言して世界の期待を担ってオバマが大統領になるのであるが、そのオバマは、当選してしまうと、ジョージ・W・ブッシュが始めた「テロとの戦い」を止めるどころかさらに規模と頻度を拡大して引き継いだのである。そして、自国民相互のみならず世界に行き交う通信さえも違法に傍受し、国家機密の保持を盾に、政府の内部告発者や記者をスパイとして歴代大統領の誰よりも多く、次々と訴追して行ったのである。また、オバマは、アフガニスタンイラクのほかに、アメリカとは戦争状態になってもいないパキスタン、イエメン、ソマリアなどでも、市民をも巻き込むドローン(無人攻撃機)による無差別の攻撃や暗殺を、ブッシュのときの8倍近くも回数多く指示したのである。

オバマは、「誰を殺しているのかも判らずに殺す」という正に「戦争犯罪」を重ね、暗殺を合法化しようとさえした。 “核をなくす”とスピーチをしただけでノーベル平和賞まで受賞すること自体おかしなことだが、実際、その後のオバマは、退任直前を除けば核廃絶の動きなどほとんどせず、むしろ彼が目ざしたところは、大統領選挙戦のときから巨額の選挙運動資金の援助を受けたウオール街の力を借りて、ブッシュを引き継ぐ形で世界を支配することであったのだ。

そのことはオバマの政権スタッフが主としてウオール街の有力メンバーだったことが裏付ける。

実際、そのウオール街の巨大金融投資会社は、戦後まもなくしてアメリカが創設したIMF世界銀行と共に、世界の国々にネオ・リベラリズムを広げ、次々と公的な規制を緩和させあるいは公共インフラを民営化させる中、人々の間で格差を拡大させながら巨大な富を手にして来ていたのである。

つまりオバマとは、見かけは清廉潔白そうで穏健的で知的イメージが強いが、その正体は、文字どおり「羊の皮を被った狼」(オリバー・ストーン)だった。

2017年、オバマに続いて大統領になったのは、「偉大なアメリカ」の再現を訴え、「アメリカ・ファースト」を全面に掲げたトランプであった。しかしそのトランプも、やっていることは、世界を大混乱に陥れるという点ではブッシュに劣らなかった。とりわけ彼は不動産業の世界でビジネスマンとしてのし上がって来ただけの人間であったがゆえに、それまで世界の人々が闘い取って来た自由を含む人権とか民主主義にはほとんど関心もなく、あるのはお金への欲、損得への拘りそして権力欲だけだった。だから何事にも集団の中での、あるいは集団を相手にしての交渉とか、他国との協調的関係の中で物事を進めるということは苦手とし、つねに1対1の関係に引きずり込んでの「取引」という感覚でしか臨むことができない男だった。したがって当然ながら物事を長い眼と広い眼で眺め考えることなどできず、そのときの思いつきや直観でものを語り、自分の成果を嘘も交えて誇大にアピールするだけの脳しかなかった。こんな人格だから、自ら任命した政府の要人でも、彼に意見する者は次々とクビにし、側近をイエスマンだけで固めて来た。だからたとえばケネディの時のようなブレインというブレインはおらず、国家安全保障の面でも、また世界の平和と安定の確保という面でも、指導者の器には程遠い、むしろ欠陥人間だった。というより、トランプは、それまで世界が築き上げて来た秩序を壊し、普遍的価値としてきた自由と民主主義を軽視し、世界をかき回すだけでしかない人物なのだ。

実際、そのトランプがやって来たことと言えば、たとえば次のようなものだ。

  • メキシコからの移民を拒否するための壁づくり。
  • ロシアとの間で合意して来たINF(中距離核戦力)全廃条約を破棄
  • 12カ国で進めて来たTPPからの離脱
  • 国連のユネスコからの脱退
  • イランと米英露など六カ国の間で結んだ「イラン核合意」を破棄
  • 29カ国が加盟して成る軍事協定NATOからの離脱に言及したこと
  • 197カ国加盟の地球温暖化対策「パリ協定」からの離脱
  • 第二次大戦後、4回の中東戦争(1948〜1973年)により、その帰属はイスラエルユダヤ人)とパレスティナ(アラブ人)の和平交渉で決めるべきとされて国際管理地となったエルサレムを、2017年12月、1948年に建国したイスラエルの首都と認定したこと
  • 世界規模で急速に台頭する中国に対して、経済と軍事の覇権を掛けた新たな戦争を開始したこと
  • かつてアメリカが「悪の枢軸」の一国と呼んだ北朝鮮に対して、ミサイル開発を承認したこと
  • 歴代政権がとって来たキューバとの和解政策を転換したこと

 

こうして、とくにジョージ・W・ブッシュ以降、オバマ、そしてトランプのアメリカはもはや「世界のリーダー」としての地位と威信は完全に過去のものとなった。というより、もはやアメリカは信頼と尊敬を基礎とする覇権を失っただけではなく、アメリカ自身が世界の秩序を掻き乱し、世界の平和と安定にとっての最大の脅威となり、世界秩序を壊す存在とさえ成り下がっているのだ。

そんな中、今後とくに世界全体にとってますます重大な意味を持ってくると考えられるのがアメリカと中国との関係だ。

今、アメリカと中国は、関税の掛け合いという形での貿易戦争をますます激しくしている。技術革新の面でも、とくにアメリカは、中国はアメリカの知的財産を盗用しては自国技術を飛躍的に発展させていると非難しながら熾烈な競争をしている。同じくアメリカは、中国に対して、海洋や宇宙そしてサーバー空間にまで急速に勢力拡大を図っているとして軍事面でも激しい覇権争いを展開している。

その様相は、さながら新冷戦だ。

中国のそうした動きに立ちはだかろうとするアメリカの言い分はこうだ。

ソ連の崩壊後、われわれは中国の自由化は避けられないと想定した。楽観主義をもって中国に米国経済への自由なアクセスを与えることに合意し、WTO世界貿易機関)に加盟させた。中国が豊かになって自由が広がれば、それは経済面だけではなく政治面にも拡大するだろうと期待したからだ。しかし中国は、世界で第2位の経済大国になった今もなお共産党による一党独裁で、むしろ国民は統制と抑圧による他国には例を見ない監視国家を築き、アメリカの期待を裏切った。アメリカが中国を助ける時代は終わったのだ。

 

池上彰「知らないと恥をかく世界の大問題10」(角川新書 p.27)

アメリカがこうした考え方をもって来た背景には、先のジェレミー・スケイヒルの言葉が物語るように、トランプの背後にあって、暴力的な軍隊を持ち、自由市場を支援しているアメリカの中核の組織————それは遠くは「マニフェスト・デスティニー」を信奉し、「自由や民主主義の価値を広めるためには武力行使も辞さない」とする倒錯した民主主義感覚を持つ国家安全保障問題担当の大統領補佐官ボルトンのようなネオコンを中心とした組織———の存在があると私は推測する。つまりトランプの動きは、彼は表ではいかに「アメリカ・ファースト」を叫ぼうとも、それはあくまでもアメリカの長年のそうした体制を背後に持ったもの、ということになるのではないか。

では、それに対して習近平の中国はどうかというと、中国は建国名を「中華人民共和国」と命名していることからも判るように、「中国は歴史的にも世界の中心となってきた華」とする中華思想———これは漢民族の思想———と、毛沢東以来の共産党を絶対とする国家体制を習近平は背負っているのだ。

つまりトランプも習近平も、互いに自国の建国の歴史以来の国家の体制を背負っているがために、そしてとくに中国のその体制とは、経済は共産党一党支配の下での市場経済とし、政治は共産党一党支配の下での社会主義による独裁という、理論的には到底調和し得ない体制であるがために、そしてそれはアメリカを中心とする世界の大勢の共通のルール、つまり「法の支配」の下での民主主義的自由主義市場経済という体制ともどうしたって相容れない体制であるがゆえに、互いに譲るに譲れない問題なのだ。譲ってしまったら、それまでの国家の体制を壊してしまうことになるからだ。

しかも、その両者の相剋に基づく新たな冷戦は、かつての米ソ冷戦時のイデオロギー対立とは異なっているのである。アメリカにとっても中国にとっても、経済的には両者密接に関わり合いながらも、建国の起源とその後の成り立ちの違いを背負った冷戦なのだ。

こうして、世界全体は今、米中という世界の第一と第二の大国間の相剋に巻き込まれてしまっているのである。

振り返ってみれば、アメリカも、私たち外部の者から見れば、我が身を顧みようとはしない思い上がりともとれるたとえば次に挙げるような様々な行為を、相手国の歴史や文化を無視して、世界統治のためと称しては、建国以来の「マニフェスト・デスティニー」を正当化させ、行使して来たのではなかったか。だから、今、軍事力強化を背景にして領土拡大や勢力拡大を強行し、また自国内の少数民族を虐待する中国ばかりを責められないのだ。

  • アメリカ先住民であるインディアンの土地を奪い、彼らを居留地に追いつめ、北米を白人のものとしてきたこと。
  • アフリカの黒人を大量に買い付け、彼らを奴隷として扱い、自国の経済発展に利用して来たこと。
  • アメリカのとって来た「単独主義」や「アメリカは例外」とする考え方、さらにはその延長上において「アメリカは世界の警察官だ」としたトルーマン以来の対外姿勢
  • その後のアメリカの中南米諸国への軍事介入という行為、そして遠くベトナムにまで行ってベトナム戦争を引き起こした行為
  • 第二次大戦中に蓄えた巨額の富を基にアメリカが戦後創設したIMF世界銀行が、その後、アメリ財務省の指示の下にアメリカの利益最優先のために活動して来たこと
  • また、最初は友好国として経済援助したり、軍事支援するために武器供与したりしても、その国の指導者が自信を深めてアメリカの言うことをそれまでのようには聞かなくなったりすると、それまでの友好的態度を一転させては、「悪の帝国だ」、「悪の枢軸国だ」、「ならず者国家だ」と非難し始め、その国の政権が主権を主張し自主路線をとろうとするか主権をアメリカに売り渡して追従するかで、アメリカはその後のその国の政権と国民の命運を大きく左右してきたこと

具体的には、もしそのとき、その国の政権が前者の主権を主張し自主路線をとろうとすれば、その国に対しては、アメリカは、「アメリカの安全保障を脅かす国だ」として、国際法も同盟国の意見をも無視し、もちろん相手国の主権をも無視して、一方的かつ先制的に転覆させてきたことオリバー・ストーン「もう一つのアメリカ史」)。

つまり、アメリカにとって利用価値がある間は支援するが、要らなくなったり、邪魔になったりしたなら躊躇なく、手段を選ばずに排除する、という利己的で独善的で傲慢な態度を取って来たこと。そしてそれを達成してはアメリカはたとえばこう言って来たことだ。“アメリカの偉大な伝統に輝かしい章が加わりました”(当時のダレス国務長官 同上の「もう一つのアメリカ史」第5回)

  • その場合も、転覆させた後には、その国の主権を無視して、アメリカにとって好都合なある種の支配体制を押し付けるという仕方を共通して取り、その場合も、その国を、将来どのような国にするか、そのためにどのように国づくりを進めるかという事前の方針はつねに何も持たなかったこと。

こうしたアメリカの国際社会に対する姿勢は、その関与の仕方には程度の差こそあれ、一貫して「アメリカ・ファースト」であったし、その姿勢はトルーマンをはじめアイゼンハワー大統領以降のどの大統領の時代にも共通だった。

こうしたアメリカの犠牲になった国と人々が、たとえば、日本の広島と長崎の人々をはじめ、フィリピン、中央アメリカ、ギリシャ、イラン、ブラジル、キューバコンゴインドネシアベトナム、カsンボジア、ラオス、チリ、東ティモールイラクアフガニスタングアテマラホンジュラス、アルゼンチン、ペルー、パキスタン、イエメン、リビアソマリア、ニカラグワ、エルサルバドル等々である(オリバー・ストーン「もう一つのアメリカ史」第1部)。

日本という一国だけについてみても、この国の内部では、たとえば以下に挙げる人々が、アメリカの利益に反する不都合なことを言う政治家であるとして、「資本主義の見えざる軍隊」と呼ばれるCIA(アメリカ中央情報局)の秘密工作により、あるいはワシントンとCIAに追随する日本の検察という、国民の公僕であるはずなのにアメリカに追従する官僚により潰されて来たのである。

鳩山一郎石橋湛山芦田均重光葵岸信介佐藤栄作田中角栄竹下登梶山静六橋本龍太郎小沢一郎鳩山由紀夫孫崎 享「アメリカに潰された政治家たち」小学館)。

これに対して、この国の他の政治家はもちろん、政治ジャーナリストも、メディアも、そして知識人も、全くと言っていいほどに、アメリカに対して無抵抗だったのだ。