LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

12.3 土地の所有権と「三種の指導原理」

12.3 土地の所有権と「三種の指導原理」

(2)土地を所有することの意味 −−− 所有権と義務

 では、上記のような意味と特性を持つ土地を所有する、あるいはそれを財産・資産として持つということはどういう意味を持つのであろう。ここに「上記のような」の意味を明確にすると、それは、土地というものは最初から、他の一般商品とは本質的に異なる特性を持ち、そして不可避的に、「公」的どころか自然の一部を成しながら、多様な全生命を生かしてくれているという価値を持っているものであるにも拘らずその土地を独占的かつ排他的に我が物とするということであり、そうなれば、土地の土壌としての特性を殺してしまったり、分割という行為が伴いがちとなり、それに隣接する土地との間での水と大気と栄養の循環が遮断されてしまいがちになるということだ。そしてそれは、既述の《エントロピー発生の原理》の説明の中で「自然循環」という観点から明らかにして来たように(第4章)、人類の存続を可能とさせる条件を成り立たせなくなる可能性が大きくなることでもある。

 それだけに、土地を私的に所有したり、私的利益を得るために売買したりするということは、それだけで、本来なら、自然法にも背くことであると同時に、人類全体の価値・財産を私物化することであり、人類の大義にも反することなのだ。

 ところが、特にこの国では、明治期以降、土地の私的所有が認められ、その所有者は、土地をどのように使おうと、誰に拘束されることなく、またいかなる法律に拠って制約を受けることもなく、まったく自由であるとされてきた。それが、「土地所有権の絶対性」という考え方である。

 したがって、今ここで注意深く検討しなくてはならないことは、その土地の私的所有が自然と社会に対してどのような影響をもたらすか、ということである。

なぜなら、そもそも公的性質の物を私的に所有するということ自体が矛盾しているからだ。

もうそれだけで、解決し難い様々な問題を発生させてしまう可能性を秘めているからである。

それは、例えば、ヒトにとっても生物一般にとっても、また地球の自然全体にとっても決定的な意味のある、しかし土地と同じように、個々に切り離すことも数えることも本質的に不可能な「空気」あるいは「大気」の部分を手に取って、これはオレの物だ、と主張すること、あるいは主張できるとすることと同じことだからだ。

 物事は、それを創ろうとした段階での考え方や論理の中に、あるいはそれを実行しようとした段階での考え方や論理の中に、矛盾を含んでいたなら、その矛盾を解消しないのまま組み立てられた制度や仕組みは、早晩、必ず、様々な厄介な問題を次々と露呈させてきて、最初のうちはともかく、やがてはその問題に対して改良や改善あるいは改革といった対処ではどうにもならない事態に至ってしまうものだ。

 実際、そうしたことは、人間の歴史が無数の場面で証明している。

 しかし人間の行動が見せるそうしたことは、人間の歴史においてだけではなく、自然に対してももたらすように私は思う。

人間のやっていることや人間が作り上げた社会的制度や仕組みが、その本質において、自然の仕組みのありように矛盾していたり、自然とは相容れないものであったりしたならば、それは、早晩、自然を壊す方向で働くと同時に、そうした制度や仕組みを作った人間は自然から手痛いしっぺ返しを受けることになるものだ、と私は思う。なぜなら、人は人間である前に、生物としてのヒトであり、その生物としてのヒトは、たとえ自分ではどう思おうが、結局は自然の枠組みから飛び出すことはできないどころか、自然の摂理の中で生かされているからだ。

 以上の文脈から、なぜ私が、「土地を所有することの意味」について考察しようとするか、推察いただけたことと思う。つまり、他の一般商品とは本質的に異なる特性を持ち、そして「公」的どころか自然の一部を成しながら、その表面近傍では多様な全生命を生かしてくれているという価値を持っている土地を所有する以上、あるいはそうした土地を所有できると考える以上、そこにはそれ相当の極めて重い義務が伴うはずだ、あるいは伴わなくてはならない。そうでなくては、その所有者のやっていることは、社会ともまた自然とも帳尻が合わなくなり、早晩、自然と人類の存続を不可能とする事態を生じさせてしまうことになる、と私は確信するからである。

 

 では、なぜ私は、土地を所有することには重い義務が伴うということの根拠を今、明確にしておこうとするか。

それは、とくに日本は、国土が狭いのに人口分布は極度に大都市に偏っていることにある。そしてそのことは、いずれ、都市人口の地方移転という問題を引き起こさないではいないであろうとの推測されることにある。

それはどのような場合か。

いわゆる「南海トラフ」といった巨大地震の前後の場合である。地球温暖化の激化の中で、世界と国内での食糧危機が起る前後の場合である。あるいは巨大都市ではインフラなどが老朽化して使えなくなって、もはや暮らして行くことが出来ない状況になって来た場合等々である。

あるいは、この国の人口減少現象と、この国の中央政府と地方政府が累積させて来た天文学的額の政府債務残高(借金)による行政機関が機能し得なくなる状況と、地球温暖化と気候変動がもたらす問題の3つが重なって、現行の巨大都市ではもはや人々は暮らして行くことができなくなって、田舎への大規模かつ分散型の疎開を余儀なくされたような場合である。

 尤もその時には、環境問題は今以上に誰もが実感できるほどに深刻化してしまっているであろうから、その時には、この「土地を所有すること」とその「義務」の問題は、多分多くの人にはごく自然に納得されるのではないか、と私は推測する。

 それにその時、巨大都市から地方への人口の大移動が起こり、地方には新たに小都市なり集落をつくるということになれば、どうしても「計画」ということが必要になるわけであるが、そのとき、土地所有についての私権が無制限に保障されているところでは、つまり「土地所有権の絶対性」などといった時代錯誤で、独善的な考え方がはびこっているところでは、「計画」など成り立つはずもないからだ。言い換えれば、「計画」は「私権の制限」を前提にして初めて成り立つものだし実効性を持つものだからだ————本来なら、この国での都市「計画」ということを真に意味あるものとするためには、「帝都東京」を構想した、少なくとも明治時代初期の段階で、既にこのことを国を挙げて議論しておくべきだったと私は思う————。

 

 ところで、そもそも土地所有ということは歴史的に見て、いつから、どのようにして生まれて来たのであろうか。

それを今は西欧について見てみようと思う。

 元々土地と人との関わりは、アフリカで誕生した人類が森を出て、草原に降り立ったときから始まったものだ。

そしてその関わり方については、その後、他のさまざまな出来事の繰り返しと同様、「規則」の時代と「放任」の時代、つまり「計画」の時代と「自由」の時代とを歴史の中で繰返して来た。その中で、土地を所有する権利という考え方が近代に入ってから始まった。

発端は「囲い込み」と呼ばれる行為が行われるようになってからである。

囲い込みとは、畑や牧場を柵で囲んで、その中での他人の耕作や放牧を禁じてしまうことを言う。要するに、一定の区画された土地を独占的・排他的に支配できるよう周囲を囲ってしまうことである。その行為による土地への支配は「絶対性」という法律用語に置き換えられ、ここに「土地所有権の絶対性」という概念が出来上がったのである。

 なお、この土地所有の権利を初めて論理的に明らかにしたのはジョン・ロックだった(「市民政府論」岩波文庫p.31〜55)。彼のその論理をここで確認しておこうと思う。

 彼は、経済学の分野のアダム・スミス、自然科学の分野のアイザック・ニュートンらとともに近代という時代を確立した一人である。とくにジョン・ロックは政治思想の面で近代という時代の人々の命運を確定させてしまった人物である。

 その彼の論理を私がここで引用する理由は2つ。

1つは、彼によって確立された「近代の財産権」は何を根拠としているかを知っておくことそのものが重要であるというだけではなく、以下に示すように、日本の土地所有権、それも特異な財産権に潜んでいる問題点を明らかにする上で役立つと考えるからである。2つ目は、その近代の財産権の根拠の限界を知ることで、環境時代にふさわしい新しい所有権ないしは新しい財産権のあり方というものを探り出し、その新所有権ないしは新財産権にかかわる権利と義務の関係を探り出す上でも大いに参考となると考えるからである。

 彼は次のような論理に基づいて主張して行く。引用が少し長いがご容赦いただきたい。

 先ずは、「たとえ自然の事物は共有のものとして(神に)与えられていても、人間は、自分の主人であり、自分自身の一身およびその活動すなわち労働の所有者であるがゆえに、自分自身のうちに所有権の大きな基礎を持っていた」とする。その上で、「そうして彼が自分の存在の維持ないし慰安に用いたものの大部分を成すものは完全に個人のものであり、決して他人と共有ではなかった」という根拠と、「土地にその価値の最大の部分を与えるものは労働であって、それ無しには土地は殆ど(人間にとって)無価値になってしまうであろう」という根拠を挙げ、その根拠の下に、もともと人類共有物である土地を私的に所有できるのは次の条件が満たされる時だけであると結論づけるのである。

「その個人の所有する労働をもって土地に(自然状態にあったとき以上の)価値を与えて手に入れたものであること」、またその際、「その所有できる量の限界あるいはそれが自分の正当な所有権の限界を超えたかどうかは、その財産の大きさ如何にあるのではなく、その土地の価値を有効に生かし、また駄目にしない限りにおいてである」と。

 その理由はこうだ、と彼は言う。

「世界を人間に共有のものとして与えたところの神は、同時にそれを生活の最大の利益と便宜とに資するように利用すべき理性をも彼等に与えたのだから」。したがって、「たとえ土地を(囲い込みで)所有あるいは所有権を獲得した後であっても、彼の所有に帰したものが適当に使用されないで(その価値が)滅失したとすれば、彼は万人に共通な自然の法に違反したのであり、処罰されねばならない。彼は隣人の持ち分を侵したからである」と。

 これから明らかなように、ジョン・ロックは、もともと土地は人類の共有物だとしながらも、それだけにそれを所有できるのは、そこに自身の労働をもって土地に自然状態にあったとき以上の価値を与え、かつ、その価値を有効に生かしている場合に限る、としていることである。

 しかし、当時はそれで人を納得させられたかもしれないが、今日的観点からするとロックのこの思想と論理には重大な欠陥があることが判る。

それは次の2点においてだ。

 1つは、前節で見て来たように、「土地」は本来、あらゆる生命がその上で生かされている場であり、人間はその土地と他生命によってこそ生かされている、という視点がないこと。つまり、ロックにとっては、土地は、他生物との共有のものではなく、あくまでも「人類」の共有物、という考え方であったことである———これこそが、環境時代の指導原理の一つとして、あるいは生命主義を構成する一原理として、私が「新・人類普遍の原理」を設けた理由である———。

 2つ目は、個人の所有する労働を加える前の自然物としての土地は、人間にとっての経済的価値とはむしろ反比例するかのように、その生態学的働きは最大であった、という視点もなかったことである———しかしこのことは、近代には「他生物」という視点がなかったこと、したがって生態系という概念もなかったことを考えれば仕方がなかったとは言えることであるが———。

それは、土地は、人間の労働が加えられ、人間にとっての経済的価値、不動産的価値、資本主義的生産手段としての価値が高まれば高まるほど、そうした人間の諸行為によって、土地は不可避的に遮断されたり分断されたり汚染されたり破壊されたりし、自然状態にあったときよりも生態学的働きは下がって行くことになるからである。

 日本では、1980年代の特に後半に日本中の多くの人々が巻き込まれて踊り狂ったバブル経済が1990年代のはじめ(1991年)に崩壊するが、それまではいわゆる「土地神話」というものが信じられて来た。それは、土地を商品と見立てた上での、「地価は決して下がることはない。だから買っておいて損はない」、という土地に対する特異な価値観のことである。

そこには、ジョン・ロックの言う、人類共有物である土地を私的に所有できるための2つの条件すら、踊り狂った人々の視野にはまったく入ってはいなかった。

そこでの取得目的は、ほとんどもっぱら投機の対象としてであった。人間がそこに家を建てて住むためというケースは全体の中のほんの一部に過ぎず、また、資本主義経済的な意味での生産の三要素(土地・資本・労働)の一つとして確保するというものでもなかった。

 とは言え、バブルの時に限らず、明治期以降、日本での土地所有のあり方については、今日に至ってもなお、一貫して、所有者には次のような態度が、それも露骨に見られたのである。

「ここはオレの土地だ。それをどう使おうが、他人にとやかく言われる筋合いのものではない」、かと思えば、「道路をつくろうが何ができようが、オレは絶対にここから立ち退きはせん」といった類いの態度である。

 そしてこの態度こそ、日本における「土地所有権の絶対性」という言葉で表現されるもので、およそ都市にあっても集落にあっても、その態度は「共同体」という概念、あるいは公共的利益とは真っ向から対立したのである。

それは、その土地では、一般に、労働も生産活動も伴わない上に、余りにも独善的で排他的であるがゆえである。

 ではその結果、どうなったか。

この国では、まともな「都市計画」はどこにおいても成り立たず、都市計画という考え方そのものをほとんど無意味化させたのである。計画を立てたところでその「土地所有権の絶対性」に阻まれて、計画は一向に進まなかったのである————しかし、それであっても、この国のどこの市町村役場も、当時の自治省、今の総務省の官僚による法にも基づかない通達により、5年おきごとに、見せかけの「都市計画」あるいは「総合計画」もどきものを作らされてきたのである。そしてその計画は、どこの市町村役場も、そこの職員が手作りしたのではなく、ほとんどどこも、外部業者に税金を使って作らせたのである。市町村名を換えれば、どこの市町村にも使えるような内容の総合計画を————。

 その結果、この国では、どこの大都市でも、またどこの地方都市でも、大きさも、形も、色調も、質感も、全くバラバラなビル群から成る都市の姿が出来上がり、まったくバラバラな家並みの住宅街が、つぎつぎと出来てきたのである。

 もちろん、都市や住宅街がこのような姿になってしまった背景には、「土地所有権の絶対性」という考え方がはびこっていただけではなく、住民側にも、市町村役場といった行政府側にも、自分たちは「共同体」の一員であり、その共同体は「自治体」である、だから自分たちの共同体は自分たちの手で作るという当事者意識、あるいは主体者としての自覚が決定的に乏しかったことがあり、中央政府に追従するのが当たり前という考え方もしっかり定着していたことが挙げられる、と私は考える。要するに、「自治体」とは名ばかりだったのである。

 

 では既述の日本的「土地所有権の絶対性」という考え方はなぜ生じてしまったのか。

私はその主たる原因はこの国の憲法にある、それも財産権を規定する第29条にあると考える。

 それを見てみよう。

財産権を規定する日本国憲法の第29条にはこうある。

① 財産権は、これを侵してはならない。

② 財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。

私有財産は、正当な補償の下に、公共のために用いることができる。

 この条項がどうして問題と私は考えるか。それは、たとえばドイツの憲法ドイツ連邦共和国基本法またはボン基本法)と比較してみれば判りやすい。

所有権と公用収用に関して明記するドイツ憲法第14条には、相続権をも含めて、次のようにある。

① 所有権および相続権は、これを保障する。その内容および限界は、法律でこれを規定する。

② 所有権には義務が伴う。その行使は、同時に公共の福祉に資するものでなくてはならない。

③ 公用収用は、公共の福祉のためにのみ、認められる。公用収用は、法律により、または補償の方法および程度を規定する法律の根拠に基づいてのみ、これを行うことが許される。その補償は、公共の利益および関係者の利益を正当に衡量して、決定されなくてはならない。

補償額につき争いがあるときは、通常裁判所に出訴することができる。

 この両者を比較してまず眼につくことは、日本国憲法では「財産権」という表現をしていて、財産という物に対しての権利を考えているのに対して、ドイツ憲法では、財産そのものではなく、その財産を所有すること、あるいは財産を所有する仕方に関する権利としての「所有権」を考えていることである。

 この点について言えば、一般に人間の権利や義務は、直接的には、物に対してではなく行為や状態に対して意味を持つ概念であることを思えば、日本国憲法よりもドイツ憲法の表現の方が適切だということになる。言葉の意味や概念をより深く考えた表現になっているからだ。

 次にドイツ憲法ではその第2項で、「所有権には義務が伴う。その行使は、同時に公共の福祉に資するものでなくてはならない」としているのに対して、日本国憲法では、第1項に「財産権は、これを侵してはならない」と言っているだけで、その権利を行使するには、ドイツのように、同時に義務をも伴う、とは言っていないことである。

 この違いが意味することは決定的に重要なことだ

さらには、日本国憲法第3項では、「正当な補償の下に、公共のために用いることができる。」としていて、あくまでも「できる」という恣意性が入り得る余地を残した表現になっているのに対して、ドイツ憲法の第3項では、「公用収用は、公共の福祉のためにのみ」「認められる」として、恣意性が入り込める余地を封じている。

 その結果、日独両国の憲法は、その第3項で共通に公用収用に対する補償を明記しつつも、日本では、第3項の主張がほとんど姿を消してしまい、第1項のみがまかり通る結果になっているのである。

 そのため、日本では、「公共」との言葉が冠せられる施設の建設のために土地を収用しようとすると、その土地を財産として持つ個人は、「財産権」を盾にして、「ゴネ得」という言葉が横行するように、ゴネルことによって不当なまでの補償金を手にするまでは手放さない、という事態が頻繁に生じてしまう。

当然その場合、そのツケは直接的には工事の後れとなって、あるいは工事完成不可能という形で国民に跳ね返ってくることが多くなるだけではなく、地価全体を上昇させ、インフレを招き、生活を圧迫して内需拡大を阻害して、個人資産差を拡大させ、ひいては国民の大多数の勤労意欲や労働観にも悪影響をもたらす。

 それだけではない。財産権を規定する憲法条文の表現の曖昧さも原因して、憲法条文は実効力のない単なる言葉だけになってしまっていて、実態との間に落差を生じさせてしまっている。そのため、公共ないしは公共の福祉という概念に対する国民の理解をも薄弱なものとさせたり歪めさせたりもしているのである———つまりこの観点からも、現行日本国憲法は、第9条だけではなく、また第25条だけでもなく、この第29条も書き換えなくてはならない絶対的必要性があるのである———。

 実はこうした日本とドイツの憲法の表現の差———それは結局のところ、どれだけそのことに関して深く、多面的に考えているかどうかの違いの結果でもあるのだが。なお、こうした日本人とドイツ人との「ものの考え方」と「生き方」の違いについては第6章を参照———が、たとえば、両国の都市と集落の姿の違いとなって現れている、と私は解釈する。それだけではない。そこに住む人々の美的感性の違いにも、郷土愛の違いにも、国籍を問わず多様な人々をいつもオープンな心で受け入れるもてなしの心にも決定的な違いとなって現れていると思うのである。

 そのことは、一度でもヨーロッパの都市でも田舎の集落でも訪れたことのある人ならば、ドイツに限らずに、私がここで言わんとしていることの意味を直ちに理解していただけるものと思う。

 ドイツを含めて、ヨーロッパの諸都市は、ほとんど例外なく、それを構成する建物群は、どれも大きさも形も配色も質感も統一と均整がとれている。また田舎の集落も、ほとんど例外なく、それを構成する住宅群については、どの家も、大きさも形も配色も質感も統一と均整がとれている。

 その全体的姿は、都市でも集落でも、美的景観に対して、明らかにある一定の約束を共有しながら、一団としての個性を毅然と貫いているように見える。そしてそこから醸し出される雰囲気には、見る者に品格すら感じさせてくれる。田舎の集落などは、自然の中にスッポリと寡黙に、しかし誇らしげに佇んでいる、といった感じだ。

そして、都市や集落を構成する要素と言うべき建物、住まい、教会、道路、公園、河(川)、橋、護岸、標識、看板等々、どれをとっても、その形や色彩そして質感は見る者の目にどぎつくはなく、だからいつまでも見飽きることもなく、それぞれがその場所の中にしっくりと、しかも素朴な雰囲気を漂わせて納まっている。それは文字どおり、個と群れとの調和———「調和」の定義は第5章を参照———、個と場所との調和が保たれた姿だ。そしてその個々の物がつくり直されるにも、それまでの形質を壊すことなく受け継がれ、全体としての調和のとれた姿が何十年、何百年と、そのまま子々孫々によって維持され、継承されても来ているのだ。

 一方、日本の都市や田舎の集落の姿はどうだろう。既述のとおりである。

どこの都市も、地方の集落でも、こうしたドイツやヨーロッパの姿とは正反対である。

ビルというビルも家々も、その形や大きさや色彩や質感もまったくバラバラ。

街には電柱が乱立し、そこにはこれ見よがしにけばけばしい宣伝広告が貼られている。電線はクモの巣のように道路に覆い被さり、歩く人を圧迫する。看板も、目につきそうなところならどこにでも立てられ、携帯電話のための電波中継塔や高圧送電用鉄塔は、ただ「便利さ」のために、周辺住民の人体への影響など全く考慮されずにいたるところにそびえ立ち、道路には白く浮き立つガードレールやカーブミラーがここかしこに設けられ、道路面上には意味も判らない白線が至る所に引かれ、場所によってはガラス破片が混入されているのか、キラキラ光る道路さえある。

 これらはどれも、控えめということはなく、また全体との調和への配慮もまったく見られない。その露骨さ、あからさまさ、どぎつさは人々の感性を麻痺させるだけなのだ。そしてそれらは、人々の視界を遮り、見る人接する人の心までけばけばしくさせる。品位などどこにも感じさせない———実はそれは、住む人の心の有りようとも連動して、心の穏やかさ、やさしさを失わせてもいるのだ、と私は思う———。

 そしてそうした家々の幾つかも、その他の建築物も、昨日まであった姿が消えたかと思えば、その直後、それまでとはまるで違う姿形や色彩や質感の建築物が、突如として出現する。

それは住む人にとっても余りに落ち着かない。人が勤めを終えて、あるいは学校を終えて帰宅したとき、思わずホッとできるのは、そこには昨日と変わらぬ様の我が家があり、それが迎えてくれるからであろう。もしそんな我が家が、帰るたびに外観を変え、内装を変えていたならどうであろう。「落ちつく場」、「気が休まる場」となるだろうか。「我が家」と思えるだろうか。

それは、自分の「居場所」の有無を言う以前の話だ。

 結局のところ、そうやって日本の都市は、どこも、都市の姿に「経済の活性化」は不要なのにそれのみを持ち込み、全体としてはバラバラで無個性、人間的な暖かみの感じられない、むしろ殺伐とした雰囲気を醸し出してしまっている。そしてそれがまた、住む人々、行き交う人々の感性にも、心の有りようにも、日々、働きかけ続け、人々をいっそう互いに孤立させているのである。

 

 ところで、同じ憲法条文の中にありながら、互いに鋭く対立し矛盾する概念であった「公共の福祉」と、とくに土地についての「財産権」あるいは「所有権」については、19世紀以降のヨーロッパはどうやって克服してきたのであろう。それを見てみる。

 ヨーロッパ諸国は、このようなとき、次のように2つの側面から立体的に観察して結論を引き出して来たのだと言う(篠塚昭次「土地所有権と現代 歴史からの展望」NHKブックス)。

 先ず、「都市計画」ないし「国土計画」が地域住民または国民全体の福祉を直接の目的とするような「社会的事業」であるか、それとも個別企業または総資本の利益を直接の目的またはそれと同質的な目的とするような「営利的事業」であるかを検討する必要があるのだ、と。

つぎに、提供(収用)を予定される土地が所有者にとって「生活のかかっている土地」つまり「生存権的財産権」であるか、それとも「大土地所有」またはそれに準ずる「自由権的財産権」であるかを検討しなければならないのだ、と。

 その上で次の4つの場合が想定されてくるのである。

 第一に、「社会的事業」のために「自由権的財産権」を提供させること、は条理にかなったことであるとして土地を提供させる。

 第二に、これとは反対に、「営利的事業」のために「生存権的財産権」を提供させること、は条理に反していようからその場合には土地は提供しなくともよい、とする。

 第三に、「社会的事業」のために「生存権的財産権」を提供させることは、社会保障制度の充実度によって条理にかなったりかなわなかったりするから、社会保障制度の面を考慮して土地を提供してもらうかもらわないかを決める、という。

 第四に、「営利的事業」のために「自由権的財産権」を提供させることは、両者の間に「持ちつ持たれつ」の相互依存関係が本質的に認識できるならば取り立てて困難な問題は生じないと考えられるから、その場合には双方に土地を提供してもらうか否かは任せる、とするのである。

 ヨーロッパでは「土地所有権」が「公共の福祉」とぶつかった時にはこのようにして解決して来たのである。今日、ヨーロッパに見られる都市の姿はその結果なのだ。

 

 実はヨーロッパにこうした考え方ができる根底には、土地の所有と利用の仕方に関して、日本とは本質的に異なる次のような明確な思想があるのである。それを日本と比較してみる。

なお、ここでは、東西ドイツがまだ統一される前の資料に基づいていることをお断りする。

【ヨーロッパ(とくに旧西ドイツ、フランス、スエーデン、イギリス)】

①土地は人間にとって不可欠なもので、増加させることは出来ない。それに、一度壊すと再生できないものを、自分でつくったものと同じに扱うことは理にかなってはいない。

したがって土地に対しては、他の財産よりもはるかに強く公共の利益による制約が働くのであり、その利用を個人の任意に委ねることは許されない。

②土地の自由な商品市場への放置は、地価の高騰を招き、それは土地の高密度利用や個人の不当な利益をもたらす。それは市民の共同体である都市に対する挑戦であり、個人の平等に対する挑戦でもある。

③したがって、土地市場に対する国家の介入は必然であり、①で見た土地商品の特異性からして正当である。

 そして、土地の自由な商品市場の都市および個人に対する挑戦は、都市(という共同体)が土地を取得すること、および都市が建築をコントロールすること、つまり建築に不自由をもたらすことによって初めて防衛される。

④都市が、都市および個人を保障するためには、法律が制定されねばならず、都市による土地取得および建築規制は、土地所有権から建築権を分離することによって、その思想的な、そして実定法的な基礎が与えられる。

【日本】

①土地の利用権を強化することによって人間の生存権が維持される。

②土地所有者の当該土地の使用・収益・処分については絶対的自由の権利が保障される。

 

 こうしてみると、私たち日本人は、日本(人)とヨーロッパ(人)との間では、人間が互いに人間としてよりよく生き、幸せを感じて生きて行けるようになるためには、何をどう考え、どうすべきかという、物事に対する考え方の幅の広さと奥行きの深さと思考の柔軟さにおいて、格段の違いがあることに気づかされるのである。

 そしてそこには、やはり、世界に先駆けて近代という新しい時代を切り開き、新しい文明を確立させ、それを持って世界を牽引してきた人々と、自分では新しい文明を切り開こうとはせずに、他者が築いたものを、彼らがどうしてそうした時代と文明を築いたかその根本の動機や思想を彼らの歴史とともに理解しようともせずに、手っ取り早く取り込んでは、常にうわべだけを見て、それを真似し、あわよくば彼らのレベルを超えることにこそエネルギーを注ぎ、それを進歩と錯覚しては生きがいを見出してきた損得だけに拘ってきた人々、そして今だに拘り続けている人々との間での、生き方と価値観の違いが明確に現れているとは言えないだろうか。

 

 いま私たち人類は、日本人、ヨーロッパ人、その他の世界の人々を問わず、つまり人種や民族を超えて、人類として共通に、地球温暖化、気候変動、異常気象、生物多様性の消滅といった、どれも私たち人類が史上かつて直面したこともない人類の存続を脅かす大問題に直面している。そしてその深刻度は日に日に深まっている。

 しかしそれらの大問題は、今日までの経緯を振り返ってみる限り、主に工業先進国に住む私たちがもたらしてきたものと言える。そしてそれらの問題は、私たちがあらゆる経済活動と暮らしを通じて、土壌を、水質を、大気を汚染するようなことを至る所で為し、結果として広く物質の循環を滞らせ、あるいは遮断するようなことをしてきた結果でもある。

しかもこうした人類に脅威をもたらし、その死活にも直結する大問題を生じさせている最大の原因をつくっているのは、ほとんどが、人間が集まり住む都市であり集落であり、それらを結ぶ通路———陸路と空路と海路———だと考えられる。

 このことは、人類の存続を考える時、単に温室効果ガスの総排出量を抑えるということだけではなく、土地の利用の仕方そのものをも、人類全体として同時に考え直さなくてはならないことを示唆しているのである。

 そしてこのことは、少なくともこれからは、土地の私的所有はもちろん公的に所有する場合にも、自然は人間が幸福になるためのものという価値観はもちろんのこと、土地は人間だけのもの、人間のためにあるものという価値観をも、資本主義経済と社会主義経済といった経済システムの違い如何に拘らず否定されねばならない、ということをも示唆している。

その場合も、ただ否定されれば良いというだけではなく、土地は人のみならず他生物も共存する場であるとの考え方を包含した価値観へと止揚されて行かねばならないということである。なぜなら、結局はそれが人類存続にとって、《生命の原理》を実現させる方向にも、《エントロピー発生の原理》を実現させる方向にも合致するからである。

つまり「土地は人のみならず他生物も共存する場であるとの考え方を人類が共有すること」が人類共通の大義の1つともなる、と考えられるのだ。

 「規制」とか「計画」というものが土地を含んで理解されているところでは、厳密な意味での「土地所有権」あるいはその「絶対性」という概念は成り立ち得ないということである。なぜなら、「土地所有権の絶対性」がまかり通っているところでは、そもそも「計画」とか「規制」は成り立たず、無意味とならざるを得ないからだ。「規制」または「計画」は土地の独占的・排他的支配を否定するところから、あるいは否定を前提に、出発するからだ。つまり、「規制」や「計画」は、「土地所有権の絶対性」とは「絶対的に」矛盾するのである。

 この日本という国では、どの都市、どの地域においても、その都市・地域の「計画」とか「総合計画」なるものを掲げているが、それは、既述のような動機と経緯によりつくられる物であって、それ自体は、これまでの文脈から明らかなように、決して実行し得ない性質のものだ。

 つまり中央政府の一省庁である総務省は、国内の全市町村にそんな国民の金の無駄遣いをしょっちゅう強いているわけである。それも自分たちの省庁の存在意義と権力・権威を全国に知らしめたいがためだ。———中央政府の一省庁のこうした無意味で無駄な国民への強制がまかり通ってしまうのも、すべて、この国が本物の国家ではないことに起因する。

国家ではないとは、ここでの土地所有権に関して言えば、合法的で最高な一個の強制的権威を持つ者であるはずの内閣総理大臣が、土地所有権の絶対性を自分たちが恣意的に活用できる状態を維持しながら土地行政を司る国土交通省と、地方公共団体に対して自治の本旨を説きながら、実際には自主財源を確保する権限と計画権限を相変わらず与えずに、つまり真の自治体とはしないまま、むしろ自分たちの既得権力と権威を維持するために自分たちの恣意を押し付けることしか考えない総務省とを、「縦割り」というこれまでの互いに疎通がなくバラバラな状態のままに放置するのではなく、両省の官僚の全員に向って、各自は真の「全体の奉仕者」として、国民の福祉の向上のために現行憲法の第29条の全3項目を厳正に履行せよ、と指示し統轄しないことを言う。あるいは官僚が今していることとその意味や理由を、国民に国民が納得行くよう説明せよ、と関係官僚の全員に向かって指示しコントロールするという、説明責任の中枢を担わないことを言う。

 それは言い換えれば、政治家、とくに執行機関である政府の中枢の内閣を構成する総理大臣と閣僚が、主権者から負託された権力を正当に、そして公正に行使して自分たちの本来の最大の役割と使命を果たすということを、まったくと言っていいほどにしていないことを意味する(第2章を参照)———。