LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

13.4 居住形態

13.4 居住形態

 本章では、「三種の指導原理」に基礎を置く、国家としての主要な仕組みの具体的な姿について考えようとしているのであるが、果たしてその際、居住形態ということについてまで考えることが妥当であるかどうかについては私は正直言って迷うところである。それは、居住形態というものは多分に文化に関わることであり、その種のものについては、本来、個々人の自由の問題であって、宗教や道徳のあり方を国家の法によって規制すべきではないのと同様の理由で、国家の法によって強制されたり規定されたりすべきものではないからだ。なぜなら、人によって、また事情により、様々な居住形態がありうるからである。

 しかし私は、日本のアジア・太平洋戦後から後の今日に至るまでの世相の変化を、メディアによるドキュメンタリー番組を通じてその実態を見てくるにつけ、そこには負の社会現象ともいうべき歓迎すべからざる現象が特に近年に至るほどに世の中に急速に増えてきていることを知り、なぜそうなるのかを仕切りに考えるのであるが、しかしよくよくそのことを突き詰めて考えてゆくと、それは、戦後から生じ始めてきて、今日ではそれが全く疑問にも思われなくなって「当たり前」となって来ている国民一般の、ある価値観の共有を前提とする居住形態に最大の原因があるのではないか、と私はそう仮説を立てたい気持ちにさせられるのである。

 そこで私が言う「負の社会現象」とは、例えば、イジメであり、いろんな種類のハラスメントであり、引きこもりであり、登校拒否であり、鬱であり、虐待や暴力や傷害であり、殺人であり、孤独死であり、最も痛ましいのは自殺である。育児放棄や、それによる虐待・暴力・殺人というのもある。

 そしてそれらの数は、概して、年々、「過去最多」を更新してさえいるのである。

 

 もちろんこうした社会現象は、実際にはたった一つの原因や理由で生じることはなく、様々な要因が重なり合って生じていることではあろう。例えば、この国の政府のやって来た経済とそのシステムや制度の在り方に因る、ということもあろう。また、教育とそのシステムのあり方に因る、ということもあろう。そしてその場合の原因や理由についても、すべてが同等の重みを持っているのではなく、軽重の差あるいはより本質的であるか否かの違いがあることであろうと思う。

 私はそう考えつつも、上に記した様々な「社会」現象が生じてくる、そしてそれがますます頻発してくるより本質的な原因あるいは理由は、居住形態あるいはその形態を成り立たせる、構成員一人ひとりが持つある共通の価値観にあるのではないか、と推測するのである。

 その根拠は次のものだ。

 人は誰も、年を取ってから覚えたことや学んだこと、あるいは体験したことは、感激や感動の度合いもわずかであって、すぐに忘れてしまいがちなものであるが、幼い時に覚えたことや学んだこと、体験したこと、また感激したり感動したりしたことは、年を取ってからも、また認知能力が衰えてもしっかりと記憶にあるものだ。それに、幼い時に形成された性格や性質は、年老いてからもなかなか変わらないものである。

 “鉄は熱いうちに打て”とか、“三つ子の魂、百までも”と言われるのはそのためであろう。

こうしたことが格言となるのは、その人の育った環境が、またその人がそのことを体験した年齢が物心着くまでであること、人格や性格が形成されてしまう前までであることがどれほど重要であるかということを示している。その際、その家庭が経済的に裕福であるとかないとか、親が高学歴であるとかないとか、教育熱心であるとかないとかといったことは直接的な原因にはならないし、本質的な理由ではないことを示している。またその意味では、その人が、それからの人生を生きてゆく上で、それもただ生きてゆくだけではなく「人間」として生きてゆく上で、遺伝的要素の重みはそれほど大きくはない、ということをも示しているのである。

 つまり本当に大切なことは、その人が生まれてから物心が付くまで、あるいはその人のものの考え方や生き方、すなわち人格や性格が形成されてしまうまでの間、その人にとっては最も身近な世界である家庭こそが決定的な影響をもたらすことになるのではないか、それもその家庭がどれだけ多様な「人間」たちによって構成されていたかということが決定的になるのではないか、と私は思うわけである。

そこで私の言う「多様な人間たち」とは、年齢的にも違う、つまり生きた時代も違う、価値観においても違う、生きて体験してきた内容も違う、生き方も違う人間たちのことだ。

 だから、私は居住形態、すなわち家庭を構成する人間の多様な構成を重視するのである。

もちろん家庭と居住形態とは違う。家庭と言った場合には、その家庭を構成する一人ひとりのものの考え方や生き方そして価値観が大きく意味を持つが、居住形態はあくまでも形式のことでありあり様のことだ。でも両者は互いに「調和」の関係(4.1節の「調和」の再定義を参照)にあるはずである。

 

 資本主義経済の発展過程において、人々は、産業界に踊らされて、また人々もそれを望んで、「核家族」化を進めてきた。

望んだ理由は、主に“お互いに気楽でいい”だった。

 私は、先に、「便利さ・快適さを追い求めることが意味するもの」について考察してきた(7.4節)。

 そこで得られた結論は、次のものだった————。

「近代」の工業文明が生み出した産物は、どれも、例外なく、その産物によって「実現された便利さ」という正の面よりも、「便利さを実現したとき、あるいはそれを実現する過程において、不可避的に同時に生じさせてしまった不都合で望ましからぬこと」という負の面の方が、内容的にも種類的にもそして規模的にも圧倒的に多いということである。

 そこで言う「負の面」とは、人間そのものを、また人間の集合体である社会そのものを、さらには人間を生かし社会を成り立たせて来た自然そのものをも破壊し、汚染し、害毒を撒き散らすものでしかなかったということである。

 言い換えれば、そのことは、人間に豊かさをもたらすとして科学技術が生み出した産物が実際に人間と社会と自然に対してもたらした「便利さ」など、並行して生じさせられた負の面からすれば、まったく取るに足らないほどのものだった、ということでもある。

 そのことを裏付ける真実はまだある。

それは、科学技術の産物を用いれば、人力による効果や結果よりもはるかに大きな効果や結果を生むために、どうしても対象に対して傲慢になり、自身も傲慢になりやすい。その結果として、先人たちがずっと抱き続けてきた人智や人力を超えたものへの畏敬の念や謙虚さを忘れてしまうことである。結果として、“災害は忘れた頃にやってくる”(寺田寅彦)どころか、かえって危機を招いてしまいかねなくなっている。また実際に招いても、対応し得なくなってしまっている。

 また、次に挙げるような傾向の全ても、「便利さ」をもたらすと喧伝された科学技術の産物が結果としてもたらしてきたものだ、と私は確信する。

例えば、根気の要ることや手間のかかることを「めんどくさい」として敬遠する傾向。我慢することや待つことができなくなる傾向。努力することや継続することを避けようとする傾向。経過や経緯を問うことなく結果のみをすぐに求める傾向。他者を思いやる力や想像する力を失いつつある傾向。一人ひとりをますます利己主義的にさせては孤立させてしまう傾向。その地の気候風土や歴史の中で培われて来た人間関係を円滑に保って生きるための智慧とも言うべき伝統の生活文化にますます無関心となる傾向。創造力や思考力をどんどん失いつつある傾向。好奇心や探究心をますます失いつつある傾向、等々のことである。

 要するに、「便利さ」をもたらすとされる物を手に入れることに拘れば拘るほど、人間を、社会を、そして自然をダメにしてしまうし、実際そうして来てしまったのだ。

 今日、スマホSNSが世界中で広がってきているのは、そうした傾向への反動なのではないか。しかし、それとて、ある意味では仮想空間での人と人との繋がりでしかないために、言い方を変えれば、実際に手と手を触れ合って、あるいは体と体を触れ合って、相手の呼吸を感じあっての繋がりではないために、そうした繋がりを求める一人ひとりに本当の意味での生きる上での勇気や自信を与えてくれるものとはなり得てはいないのだ。

そのことは例えば、頭で覚えたことというのはすぐに忘れてしまうが、体で覚えたことはいつまでも忘れないでいる、という経験を思い出してもらえばすぐに理解できよう。

 そこで、私は、以上のことから、次のような教訓が得られるのではないか、と記してきた。

 “人間、誰でも、楽(らく)すると、それは、必ず、いつか、どこかに、楽(らく)した分の何倍、否、何十倍、何百倍ものツケとして回ってくる。”

 ここで言う「楽する」とは、本来その人がその人の身体でその時にすべきことを、他の人に代わりにやってもらって目的を果たしたり、機械を使って目的を果たしたりして、その人自身の労を省くことを言う。

 また「ツケ」とは、本来その人がその人の身体でその時にすべきことをしないで済ませてしまったことの代償を言う。

 ツケがどういう形で、どれだけの規模で、どのように回ってくるか、それはそれぞれの場合で異なるのである。

 なお、私たちが拘り、また産業界からも踊らされてきた「便利な物」や「快適な物」とは、実際には、ヒトが生物として生きてゆく上ではもちろん、人間として生きてゆく上でも不可欠な物では決してなく、「あれば便利」、「あれば快適」といった程度の物でしかなかったのだ。

 

 実はここでも全く同じことが結論として言えるのではないだろうか。

私たちあるいはその先人たちが核家族を望む最大の理由を“お互いにその方が気楽でいい”としたその結果が、例えば先に記した負の社会現象ではないか、と言えるのではないか、と私は思うからである。

もう一度それを記せば、イジメ、ハラスメント、引きこもり、登校拒否、鬱、育児放棄、虐待、暴力、傷害、殺人、孤独死、自殺、等々である。

 

 そこで、ここでは、居住形態のあり方としての家族構成のあり方について、私なりに考察してみようと思う。

 人間は生きている間には、さまざまな人とさまざまなところでさまざまな関わりをつくってゆく。というより、生きるとは、ある意味では、そういうことなのかもしれない。

 その関わり方において最も濃密なのは何と言っても自分自身との関係においてであるが、その次に濃密なのが家族あるいは肉親どうしの関係、ということになる。

 実はその切っても切れない家族または肉親との関わりの中で、誰もがいつかは必ず直面しなくてはならなくなるのが、あるいはいつかは必ず関わらなくてはならなくなるのが家族や肉親の「誕生」「老い」「病」そして「死」であり、また自分自身の「病」「老い」「死」だ。

 たとえば、幼い子どもにとっては、母親が身近なところで弟か妹を出産することを通して、いのちが誕生することの意味を知る。昔話をよくしてくれ、よく遊んでくれたおじいちゃんやおばあちゃん、そんな大好きなおじいちゃんおばあちゃんでも、いつかは老いて体が動かなくなり、自分のような小さい者の助けをも要るようになる姿を見て、老いの意味を実感として知る。

どんなに強いお父さん、どんなにやさしいお母さんでも、時には病気になったり怪我をしたりして苦しむ姿を見て、病にかかることの意味をしっかりと知る。また、いつまでも自分のそばにいてくれると思っていた最愛の家族があるとき死んで行く姿を見て、死ぬということの意味を知る。

 さらに言えば、おばあちゃんがお母さんにわが家伝来の漬け物の漬け方とか雑煮の造り方とかお節料理の造り方、お正月の飾り付け、着物の着方等々についていろいろ伝授している姿を見て、文化の意味とそれを伝承することの大切さを知る。

 生まれて間もない弟や妹の育児の仕方も、その弟や妹が病気や怪我をした時などの応急の仕方などもおじいちゃんやおばあちゃんがお父さんやお母さんに教えている姿を見て育つ。

 自分も、兄弟が多くいればいるほど、その中での喧嘩や助け合いを通じて、他者は自分とは違う、自分にはどうにもならない存在であることを知りながら自我を育て、兄弟愛を育ててゆく。家族の誰かが困った時や辛い時には家族みんなで助け合い、励まし合うことを体で知る。

 家族の一人ひとりは、自分だけではなく、家族みんなのこと、家族みんなの立場を考えて振る舞っている姿を見て、共に生きて行く智慧を学ぶ。

 こうした家庭内での体験は、これから成長してゆき、学校や社会という家庭の外の人間集団である社会に巣立って行く子どもにとっては、どれも、彼のその後の人生観や人間観に決定的な影響を与えるのである。それも、とくにこの時期にどれだけ豊かな家族愛に恵まれ、家族の中の人間同士がお互いにお互いのことを思い合い、助け合う姿を体験しておくことは、その後の彼や彼女の人生に計りしれない影響をもたらすのである。

 しかし、その場合も、こうしたことを体験し実感できるのは、おじいちゃんおばあちゃんがい、お父さんお母さんがい、お兄ちゃんお姉ちゃんあるいは弟妹がい、しかもその人たちが絶えず身近にいて、それぞれが家族として生きる姿を見せ合うことで初めて可能となることなのだ。

 核家族という家族構成にあってはそうはいかない。少なくとも世代を超えた関係の中でのいたわり合いとか助け合いの心や、近い世代ではあっても自分とは違う価値観を持った者がいないような家族構成にあっては、通常は育ちにくいのではないか。

だから「他者」との付き合い方も判らない。むしろ、核家族だと、そばにいるのはほとんど親だけだから、いつも、何でも、自分の思い通りにできると思い込んでしまいやすい。

幼い子どもにとっては、いのちの誕生とか肉親の死を間近に見ることもほとんど無い。老いというものの姿も、病気にかかった姿も、間近に見ることはほとんどない。

 核家族は、戦後、夫婦とその未婚の子女からなる家族のあり方ということでアメリカから入って来て流行し、それがその後いつの間にか日本社会でも一般化した家族形態のあり方であり、そうした生き方の背後には、核家族は、人類に普遍的であり、あらゆる家族の基礎的単位であるという主張が込められてはいたが(広辞苑第六版)、それは、あくまでも資本主義的、大規模大量生産的工業社会のあり方、あるいはそこに参画する人々の労働力の提供の仕方と連動した家族構成でしかなかった。

したがって、そこでは、一個の人間の生涯は、生まれた時から死ぬまで、どうあるべきかということを人間としての尊厳までも考慮してのものではなかったのではないか、と私は考える。

 その核家族居住は、ひとたびその暮らし方を始めると、お互いが健康でさえあれば、確かに他者に気兼ねの要らない暮らしが出来るので、それはそれなりに快適な暮らし方と感じられよう。つまり「目先」を満足させてくれる暮らし方の形式だった。

 しかし、その暮らし方は、それぞれの人生の中のかなり長い期間にわたるものとなって行くうちに、初めの頃に感じた快適さや気軽さとは違って、予期せぬさまざまな問題を生じさせるかなり悩みの多い暮らし方であることが次第にはっきりと感じ取れるようになってゆく。

 それは、一言で言えば、核家族の夫婦にとっても、また核家族から離れて暮らす祖父母から見ても、共に、今と将来の生活に対する不安と孤独と言ってもいい類いのものだ。

 具体的には、核家族の成員にとってのそれは、育児や家庭教育の方法が判らないことから来る妻の不安。妻自身が病気になった時に支えてくれる者が身近にいないことから来る不安と孤独。妻が自分一人で家を守らねばならないところから来る不安と孤独。妻が自宅を長期に留守にする時の不安。子どもが学校や社会で、異性を含む他者と巧く人間関係を築けなければ築けないで、そのことからくる不安。いろいろな時節の儀式や行事への対応の仕方が判らないことから来る不安、等々である。

 一方、核家族から離れて暮らす祖父母にとっては、ますます老いて、自分の体が自分で思うようにならなくなり、病気がちになる自分たちの老後の生活への不安と孤独。ましてや、いつかどちらか一方がいなくなった時の生活上の不安と孤独。社会との交流の機会が年々少なくなって行くことから来る孤独。

 しかしそうした不安を若夫婦、特に妻と、老夫婦の双方が抱えながらも、世の中では相変わらず次のような現象が進んでいるのだ。

例えば、「出産は産院任せ」、「幼児は保育園任せ」、「子どもは学校と塾任せ」、「婚活も業者任せ」、「夫は会社任せ」、「妻はパート任せ」、「祖父母はデイサービス・老人ホーム任せ」、「病気も死ぬ時も病院任せ」、「葬儀は葬儀屋任せ」、さらには「着付けは着物着付け教室任せ」、「料理は料理教室任せ」、「趣味のことは趣味の会任せ」、等々といった現象だ。

 

 ところで、誰にとっても、人生の中で、避けられない生・老・病・死という事態にあって、上記のような各施設に、当たり前のように委ねられてしまう、あるいは自らを委ねてしまうということは一体何を意味するのだろう。

それは、少なくとも、家族あるいは自身の人生を他者の手に委ねてしまうことであり、他の家族や肉親との関わりをほとんど断ってしまうことだ。それは、当人が直面している、あるいはいずれ直面する生・老・病・死のとき、家族みんなで共にその事態に向かい合い、思いを共有するのではなく、よく言って辞退、悪く言って忌避することでもある。

 たしかに家族の一員のそのような事態にあって、他の家族が互いにそれに関わり合ったなら、その期間が長引けば長引くほど、家族としては、一般には辛く、苦しい。そういう辛さや負担を家族にかけていると判っている当人の方は、心はもっと辛いだろう。そして看る人、看られる人の間には葛藤や確執が絶えないかもしれない。

 しかしそれが、真の生きるということであり、真の人生なのではないだろうか。人の一生とは、そうしたことすべてを包含した全体を言うのではないだろうか。

そしてその全体を家族みんなで共有し合うことで、相互の絆は本当の意味で深まり、またそれを土台にして、学校でも社会でも、家族一人ひとりは、自信と誇りを持って生きて行けるようになるのではないだろうか。

 だから、家族を一人施設に預ける、あるいは自ら身を施設に委ねるということは、その者を隔離して隠し、あるいは自らを隔離し、みんなの目には触れないようにしてしまうことだ。それは、家族みんなで対処したならば愛の絆が育ち深まるであろうせっかくの機会を、家族みんなで放棄してしまうことを意味する。またそれは、人間の本性から湧き上がる歓びも悲しみも辛さも、共有することなく過ごしてしまうことを意味する。

そしてそれは、未婚の子女である成長過程にある子どもにとってはとくに、余りにももったいない機会を失ってしまうことなのではないか、と私は思う。

 要するに、資本主義経済システムと連動した核家族居住は、それまでの長い期間、大家族居住を通じて育まれ伝承されて来た、社会的存在としての人間の生き方の基本のほとんどを失わせてしまうだけではなく、人間相互の関係を孤立化させてしまう最大の原因の一つともなって来たのだ。

 最後に、大家族居住がもたらしてくれるものを、私なりに改めて簡単に整理すると、次のようになる。大きくは4つあると考える。

 第一は、何と言っても、人間を、命を、大切にする生き方を最も身近なところで学べる居住の仕方である。

 第二は、人間の生き様や過去の出来事の教訓を、過去から未来へと伝えることを、最も身近なところで可能にさせてくれる居住の仕方である。

 第三は、核家族は、親子二代しかいないために、大いなる時間の流れの中にあっていつも「今」というほんの一点しか見ようとはしない傾向があるので、時代の変化というものを実感として捉えにくいが、大家族居住は、時代の変化を教えてくれる者が家族にいるお陰で、時代の変化に敏感になれ、各成員は、家族の中だけではなく、社会においても、時代の流れの中での自身の位置付けについても、より捉えやすくなる居住の仕方である。

 第四は、その家族にとってはもちろん、地域的にも、国家的にも、最も負担少なくして、人々に最も確実な安心をもたらしうる居住の仕方である。

 以上の考察からすると、これからの居住形態としての家族構成は、最低でも三世代居住が望ましいのではないかと、私は考えるのである。