LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

13.14 官僚制と官僚組織      ————————(その2)

 

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13.14 官僚制と官僚組織      ————————(その2)

 

2.官僚は何故こうなったか————その歴史的経緯

 では、現行の官僚たちはなぜこうも国民に対して傲慢で狡猾非情で醜悪な人間となったのか。

私は、そのきっかけは何も今に始まったことではなく、明治維新にその出発点はある、と考えるのである。

私がそう考える根拠は次のとおりである。

 幕末、坂本龍馬の尽力により、将軍徳川慶喜の了解の下、天皇への大政奉還が正式に決まっていたのに、それまで幕府を転覆して徳川の権力を我が物にしようと倒幕運動を展開してきた特に薩摩と長州の下級武士らにとっては、大政奉還などされたら、これまで一体何のために苦労してきたのかとしてその決定を不都合と見た彼らが、自分たちの武力の方が幕府軍のそれを上回ると見た上で幕府軍に対してあえて「鳥羽伏見の戦い」を仕掛けてそれに勝利し、天皇に返還されるべきだったその政治権力を横取りして明治政権を打ち立てたことからこの話は始まる、と私は見るからである。

 だから、そのようにして政治権力を手にして成立させた明治薩長政権は、当然ながら最初から政府樹立の正統性はなかった。決められた約束を守らなかったという事実もあるが、それ以上に、その政府は国民の支持を得て成立した政府ではなかったし、国民の合意の下に得た権力ではなかったからだ。

 ところが、幸か不幸か薩長政権の当時の寡頭政治家たちはそのこと、すなわち自分たちの政権には近代民主主義政治で言うところの「正統性」がないことに気づいていた。

それは、彼らは、日本の国の新しい形を決めるのに、632日間という長期にわたって欧米列強を含む世界一周の文明視察の旅を通じてである。いわゆる岩倉具視視察団と言われる視察団がそれだ。彼らが見聞してきた国は全部で12カ国。その視察の旅を通じて、特に当時、世界に対して少なからぬ影響力のあったアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア等の国々の政府は、いずれも「市民」と呼ばれる自国民の支持の下に成立していた政府だったことを知り、そして民主主義、政府、議会、市民、権力というものがどういうものかについても、かなりのところまで理解していたからだ。

つまり、自分たちのやったことは、非合法的でかつ非常手段に訴えての支配層間での政権移動であり、クーデターに過ぎなかったということを知っていたのである。

だから明治政権の寡頭政治家たち————西郷隆盛大久保利通木戸孝允伊藤博文岩倉具視山県有朋ら————は、自国民を恐れたのだ。

自国国民も欧米諸国の市民と呼ばれる国民と同様に民主主義に覚醒し、明治政府には正統性がないことに気付き、反政府行動をとって立ち上がってくるのではないか、と。

彼らが自分たちの地位のあやふやさに怯えたのはそれだけではない。日本に開かれた広い世界にも怯えていた。日本を改造する野心そのものも、彼らを恐怖で身震いさせていた。“果たして国家を運営する権利が自分たちにあるのか”、と。

 私は、その自国民を猜疑心を持って恐怖したそのことこそが、その後寡頭政治家亡き後の政権は後述する山縣有朋らの企てによって政治家ではなく官僚に引き継がれて行くことになるのであるが、それが今日に至るまで————たとえ途中、戦後になって民主憲法に変わっても————この国の政治の実権は政党政治の政治家ではなく、依然として官僚であったことと相まって、その過程の中で、官僚たちは非情で狡猾で冷酷という性格を身につけるようになった、と見るのである。

すなわち、彼ら官僚からすれば、“自国民は信頼せず、むしろ今後は、経済力を高め国力を上げる政策を通じて、国民の活力を最大限に酷使しよう”と。

 先述したカレル・ヴァン・ウオルフレンは言う。

「人々に対するこの恐怖心と、その結果としての人々への悪しざまな扱いこそが、多分、今日の日本につながった深刻な筋立ての核心部分であろう。それが、日本の政治的欠陥の根幹にある」

(「人間を幸福にしない日本というシステム」毎日新聞社p.337)。

 

 実際、その後、板垣退助らの自由民権運動が、特に関東地域と近畿地域を中心に起こってゆくことになったが、それに対しては、薩長政権は過酷なまでの弾圧を持って鎮圧して行ったのである。その運動で最も有名なものの一つに「秩父事件」がある(1884年)。それは、政府に対して貧民救済を訴えて起こした農民中心の武装蜂起事件である。

 そんな中、寡頭政治家の大部分の亡き後、その政権を継いだ官僚らは正統性のないことをごまかすためにある秘策を考えたのである。

それは、一言で言えば、自分たちのやっていることは全て天皇の御名において行われているものだから、そこに不正や間違いなどあるはずはないという筋書きを成立させることだった。

そのために彼ら官僚は、「天皇の意思」なる神話をでっち上げた。

まず天皇を、以前よりも目に見える形の公式の権力者として復帰させた。そして天皇に、“天皇の意思はこうあるべきだ”とそっと耳打ちしたのだ(カレル・ヴァン・ウオルフレン「人間を幸福にしない日本というシステム」毎日新聞社p.336)。

 しかし国民の前で、こうした、表向きは絶対権力者で統帥権統治権を併せ持つとする天皇を立て、その裏では官僚が実質的権力を掌握してそれを行使するという二重権力構造をでっち上げた当時の官僚らのこのペテン行為は、史上最大の政治的不正の一つなのである(カレル・ヴァン・ウオルフレン 「なぜ日本人は日本を愛せないのか」p.240)。

 では日本の官僚はどうしてここから、非情で狡猾で冷酷になって行ったか。

実はそこには、明治維新政府の寡頭政治家の一人であり、特に明治後期の寡頭政治の中心的指導者の一人となり、大正期に入っても長生きして絶大な権力を振い、舞台裏から日本を動かした最後の大物元老としての山県有朋の存在があった(カレル・ヴァン・ウオルフレン「日本という国をあなたのものにするために」角川書店p.47)。

彼の残した遺産の多くは、どれも、その後の日本にとっては望ましからざるものばかりであるが、その中でも特に本節の主題との関わりの大きい遺産として、次のものはぜひとも挙げねばならない。

それは、彼は、政党政治政党政治家を徹底的に忌み嫌い、持てる自らの権力の全てを使って政党政治の発展を阻止しようとしたことだ。

 

そのためには山県は、官僚を「天皇の官僚」と位置づけ、その官僚たちの権力が、選挙で選ばれた国民の代表である政治家によっては決して制限されない仕組みを築き上げた。

 例えば、今に残るその仕組みの一つが、国会が、表向き、あるいは憲法上は「国権の最高機関」としながら、実はそこでは、政治家同士の間で「立法」など全くせず、つまり立法すればこそ国会は最高権となるのだがそれをしないから国会を名ばかりにして、その上、「三権分立」という権力分散原則を無視しては政府の人間(総理大臣、閣僚、そして官僚)招き入れては、その彼らに国民の代表が代表質問や一般質問という名の「質問」をし、一方の答弁する者は者で、もっぱら官僚の作文を棒読みするという形態を今尚残していることだと私は思う。

 またそれと関連して、国会という議場の形態も、本来そこは満場、国民から直接選ばれた代表だけが集い議論する場であるのに、その最前列には、国民の代表である政治家の着席位置よりも一段と高い位置に官僚あるいは政府関係者が鎮座するという形態を今尚残していることだ。

 哀しいかな、そうした形態に対しても、根本的疑義を感じている風な政治家は、私の見るところ皆無なのである。

 つまり、日本の歴代の総理大臣を含めて政治家の誰も、民主政治を妨害するために山県の残した遺産から脱却できていないのである。

 とにかくこうして官僚は、明治憲法下では、山県によって「天皇のシモベ」と位置付けられたのだ。

このことは、官僚は「お上」=天皇の「召使い」「下僕」ということを意味するが、それがいつしか官僚が「お上」の代行をしていると国民には見られ、官僚自体が「お上」と呼ばれるようになって行ったのではないか、と思う。そしてまた、そのことによって、官僚自身も、自分たちのやっていることは全て天皇の御名において行われているものだから、そこに不正や間違いなどあるはずはないし、変更の余地もない、という意識になり、それが後々、「組織の記憶」となって、延々と引き継がれてきたのではないか、と私は推測する。

しかも、今や憲法も欽定憲法から民主憲法に変わって官僚の身分は「天皇のシモベ」から「国民のシモベ」へと変わったわけだから、官僚たちは今度は、国民に仕える立場となったのだと意識転換を図るべきだったのだが、相変わらず続く政治家たちの民主主義議会政治への不勉強と他者依存根性ゆえに、官僚たちは今もなお「お上」気分を抜けきれないでいるのだ。今もなお「官尊民卑」の思想を持ち続けているのはその証拠であろう。

その思想を象徴的に表しているのが多分、官僚の誰かが名付けたのであろう「天下り」だ。

これは、“「お上」が下々のところへ下りてくる”というイメージを表現しているからだ。

 とにかく、官僚の間では当たり前になっているこの「天下り」をいつまで経っても止めさせられないのも、同じく官僚の間では当たり前となっているタテワリと一般に呼ばれている「縦割りの組織構成」をいつまで経っても撤廃できないのも、また中央政府の一般会計予算額が、余程の理由がない限り毎年、対GDP比で世界最悪の政府債務残高を更新しながら「過去最高」を記録するのも、これ全て、国民から選挙で選ばれた政治家が、本来彼ら政治家には国民=主権者=「一国の主人公」の代表・代理として「国民のシモベ」たる官僚をコントロールする義務と使命がありながらそれをしないというだけでなく、最大の権力行使である立法や、国民のお金の使途を決める予算づくりすらももっぱら官僚に依存して来た結果なのだ。

 さらに言えば、この国がいっとき、“ジャパン アズ ナンバーワン”と呼ばれて世界の経済超大国になった時でさえ、国民は相変わらず「豊かな国の貧しき国民」のままでしかなかったのも、国民の幸せそっちのけで、国民の持つエネルギーを馬車馬の如く発揮させては工業生産力を果てしなく発展させて、国力の増強を図ってきた結果だ。

ところがそんな官僚を、長いこと、この国の国民は、「この国の官僚は優秀だ」と思わされてきたのである。

 既述のように、この国が「役人だけが幸せな国」、あるいは「『老後』も『再雇用』も役人はこんなに優遇される国」になったのも、全て同じ理由に因るものだ、と私は断定する。

 つまり、この日本という国は、見かけはどうあろうと、実態は、国民にとって、決して自由な国でも民主主義の国でもない。

むしろこの国は、「一度ある省庁に入ると、生涯、所属が変わらない」という制度を自分たちで作っては(古賀茂明「官僚の責任」PHP新書p.167)、各府省庁に所属する官僚たちが、それぞれ国民のお金の使途を勝手に決めてはその政策のための法律をつくり、その法律を好きなように解釈して許認可を与えたり与えなかったり、あるいはそれとなく脅したりしては、まるで自分たちこそが主権者だと言わんばかりにして恣意的に権力を行使できるように政治家たちがしてしまった、官僚主導というよりも官僚独裁の国なのだ(カレル・ヴァン・ウオルフレン「人間を幸福にしない日本というシステム」毎日新聞社p.83)。

 なお、参考までに言えば、山県有朋が残した負の遺産には、この他に、陸軍の創設、徴兵制の導入、軍人勅諭の制定、国体思想の形成発展への貢献等が挙げられるが、その中でも特に、その後の日本の進路に最も重要な意味を持つことになったものとして、陸軍の参謀本部を創設したことだ。

 このことがなぜ重要か。それは、これによって天皇統帥権が内閣から完全に切り離され、政治家が軍事に介入することは事実上不可能となったからだ。

統帥とは、陸海軍全てを指揮・統率することである(保阪正康「あの戦争は何だったのか」新潮新書p.25)。

その結果、その後、軍部は独走し、最終的には日本を破滅へと導いてしまったことは誰もが知っている。

 なお山県は、その後も長い政治生活を通じて、一貫して、政党政治家が真の政治権力を獲得することを恐れ続け、天皇制と軍部への文民の介入を完全に遮断しようとしたのである。

 そこで次は、公務員を採用するための採用方法についてである。

 

3.真に「公僕」と呼ぶにふさわしい公務員の採用基準

基本的には従来と変わらずに、試験による。

しかしその試験の際の試験問題は役人がお手盛りに作成するという従来の仕方によるのではなく、主権者である国民の代表、あるいは国民から委託された知識人が作る。

それは、とにかく、公僕=「国民のシモベ」となって国民に奉仕することを志す人たちには、次に挙げるような政治的基本概念については、概念の混用をしないようにして徹底的に理解しておいてもらわねばならないからだ。

実際、国家公務員試験をパスしてきたとされる官僚たちでも、そのほとんどは、私の知る限り、それらについて質問しても即答できなかった。

①あなた方は別名「公僕」とも呼ばれる公務員を目指しているが、では公務員とは何か?

②主権者とは何か?

主権者と公務員とのあるべき関係は何か?

③国家とは何か? 

国と国家との違いは何か?

④権力とは何か?

権力が権力として成立する条件は何か?

権力を行使するとはどういうことか?

例えば、自分たちが国民の代表である閣僚の指示命令も受けずに、勝手に自分たちに好都合な専門家を集めては審議会を立ち上げるということは権力行使になるか?

さらに、その審議会で、あらかじめ自分たち官僚同士で決めておいた方向に向けて審議会を仕切ることはどうか?

あるいは、同じく、自分たちが国民の代表である閣僚の指示命令も受けずに、勝手に地域住民を集めては、自分たちの実現したい事業についての説明会を開催したりするのはどうか?

 また、公僕に権力を行使することが許されているとすればどのような場合か、根拠を持って答えよ。

⑤「法の支配」とはどういうことか?

 「法治主義」とは何が違うか?

⑥政治家と公務員とのあるべき関係とは何か?

この国では「文民統制」と訳される「シビリアン・コントロール」とはどういうことか?

そしてそれが実現されていることは、誰にとって、なぜ重要なことか?

⑦法案を作成したり予算案を作成したりすることは権力を行使することとなるか?

そしてそれは政府のすることと考えるか?

民主主義議会政治の原則の観点から考えを述べよ。

⑧本来、自由とはどういうことと考えるか?

⑨民主主義とはどういうことと考えるか?

 専制主義、独裁主義とはどこがどう違うか?

⑩議会の役割と政府の役割の違いを述べよ。

そして、両者の関係はどうあるべきと考えるか?

民主主義議会政治の原則の観点から答えよ。

11なぜ国会は国権の最高機関とされるのか?

12憲法とは何か?

13国と中央政府の違い、都道府県や市町村と地方政府の違いを述べよ。

14いわゆる「縦割り制度」が国家にもたらす弊害を述べよ。

15 「国家」ないしは国の統治体制を盤石にするという観点から見たとき、「政令」や「省令」の存在は必要と考えるか否かについて、考えを述べよ。

16これまで度々国民の間から問題視されてきた官僚のいわゆる「天下り」や「渡り鳥」について、「法の下での平等」・「公正性」・「公平性」の観点から意見を述べよ。

 

4.この国を政治家が本物の国家とした上で、役人が「国民のシモベ」としての職責を果たせるようになるために

 上記の表題のことを実現することがこの国では本当に急がれていると私は考える。それは、この国が依然として本物の国家とはなり得ていないことが国民にとって極めて危険で恐ろしいことであるという理由の他に、すでに環境時代に突入してしまっているという私の認識において、その時代を持続可能な国として生き抜けるようになるためである。

それは、本節の冒頭に述べてきた通りである。

 

 そこで、本節のここからは役人ではなく政治家の役割である。その政治家とは、国会を含む全ての議会の政治家と、中央政府を含む全ての政府の長としての政治家を意味する。

 まずは国会の政治家たちが、名実ともに「国権の最高機関」として、この日本という国を統治の体制を完備した、近代諸国家が明確に定義した本物の国家としての仕組みを、「三権独立」の原則の下、内閣の関係者を一切介入させずに、議会の政治家同士だけで、必要に応じてその方面の専門家や知識人の力を借りて決定する。

 その際、特に重要なことは、「国権の最高機関」としての国会が、中央政府のみならず地方政府をも含めた「縦割りの組織構成」を、政府の各府省庁の大臣が、総理大臣の総指揮の下で、場合によっては大臣同士が協力しあって、何としても撤廃できるように、あらかじめ国家公務員と地方公務員についての公務員法を改正しておくことである。

すなわち、「縦割り」を撤廃することに抵抗したりサボタージュしたり、あるいはあくまでも自分たちに領分を守ろうとしたりする者は、憲法(第15条第1項)に依拠して、担当大臣がその者を「公僕としてあるまじき者」として、直ちに罷免できるようにしておくことだ。

もちろんこの立法は、国の基本法である憲法に依拠するものであるから、国家公務員法地方公務員法に優先することは言うまでもない。

 次に、本節のこれまでに述べてきた考え方に十分に沿うような様々な制度をも法的裏付けを持って定める。

 もちろんこれをするのも、政府関係者は一切含ませずに、国会そして地方議会の政治家同士だけでである。

つまり、議会の政治家という政治家はこの際、近代西欧が確立し、いま世界がそれに沿って行なっている民主主義議会政治制度とは何かを、例えばジョン・ロックモンテスキュー等の原典に立ち戻って、徹底的に勉強する必要があるのである。

 その上で、例えば、次のような法律を定める。

公務員採用試験制度とその中身と試験問題作成者を市民とすること。信賞必罰を考慮した担当大臣による配下の公務員の人事評価システム。配下の官僚に対するコントロールとチェックを担当大臣の義務とする法。配下の官僚に国民への説明責任を果たさせることを担当大臣の義務とする法。「法の支配」という原則を破った公務員、つまり法律に基づかないで権力を行使した者の処罰法。あらゆる会議での議事録、あらゆる事業での記録を正確に残すことの義務化。公文書を廃棄または改ざんした者への罰則規定。等々。

 なお、担当大臣による、上記の信賞必罰を考慮した配下の公務員の人事評価システムでは、己の出世のために、また「天下り」の世話になるために、自分が所属する省の利権拡大のために、あるいは個人益のためにばかり働いて、国民の要求に応えなかったり、国民の福祉実現のために働かなかったりした場合、あるいはその実態が根拠を持って国民から担当大臣に告発された場合には、そこに情実を含めずに、公正に判断される評価システムであることを特に重視する。そのような行為は明らかに「公僕」に反するからだ。

 

 次は政府の政治家(総理大臣・閣僚、首長)役割についてである。

その際、明確にしておかねばならないことは、政府はあくまでも執行機関であって、法律を作るところではないということである。法案や予算案という「案」についてもだ。

それは、閣議が法案を事実上公式の法律と決める場としてしまうような、国会の権威を傷つけるこれまでの行為は民主主義議会政治制度上、絶対に許されないからだ。

ましてやその閣議が、各省庁の官僚のトップである事務次官で構成される事務次官会議において全員合意の下で出してきた案件しか諮られることはない閣議とするなどは、言語道断だ。

それは、文字通り政治家が官僚独裁を容認することだからだ(古賀茂明「官僚の責任」PHP新書p.166)。

 なお、国会が決めた法律に基づき、それを政府として執行する際に、「政令」を設けることはやむを得ない場合はあっても、「省令」は縦割りを前提とするものである以上、廃止すべきだ。

 このことを前提に以下を述べる。

国会が決めたこうした諸法律を受けて、今度は、先ずは中央政府が、その内閣において、総理大臣の総指揮の下、各府省庁の大臣が、配下の官僚たちに指示あるいは命令し、コントロールしながら国会が決めたことを執行させる。その際、その執行過程を国民の代理としてきちんとチェックし、必要に応じて、官僚には国民に対して説明責任を果たさせる、ということを原則とする。

 次に地方政府においてはその長が、中央政府の対応から学びつつも、単に真似をするのではなく「自治体」としての個性を生かして、最良と考える役人対応を行う。

 なお、政府は、執行機関として、より良き公務員を育てるために、例えば次のような研修制度を設けることは、三権分立の観点からも違反しないと私は思う。

それは、官吏として採用された後の公務員について、定期的に————例えば5年おきに————民間企業に異動し在籍して、一定期間————例えば3ヶ月間位————民間企業人となって研修を受ける、というものだ。

 その制度を設ける理由ないしは目的は3つある。

1つは、「公僕」としてのコスト意識を高めるため

 民間企業では、どこも、どんな事業をするにも、全て、自分たちが働いて稼いだ利益を資金にして行われていること。また企業人一人ひとりの私的暮らしも、そうして上げた利益によって成り立っていることを理解すると同時に、役所では、自分たちは民間企業のように、自分たちが働いて得たお金で事業が成り立ち、自分たちの指摘暮らしが成り立っているわけではなく、国民・住民が納めてくれた税金によって全てが成り立っていることを理解し、その理解を通じて税金は一銭も無駄遣いはできないこと、そして公務による活動は全て、いつでも国民に説明できるよう会議でも常に正確な議事録を残し、事業についても、常に全て詳細記録を残すことが義務であることを認識させること。

1つは、民間企業では、経営者以下社員はどういうことで大変な思いをし、どういうことで悩んでいるかを知り、それを、公僕として、少しでも心の通った行政が国民・住民との間でできるよう活かすためでもある。いわば「公僕」として職に就いた時の初志と公僕としての使命と目的を忘れないようにするため。

 民間企業では、景気の動向いかんによって企業成績も社員の暮らし向きも左右されやすいのに対して、役所では、政治家が政治家としての使命を果たさずに役人に全てを依存し続けている限り景気動向にはほとんど影響は受けずに、また刑法に抵触するようなことをしなければ罷免されることもリストラされることもなく公務ができ、年功序列式に、基本的に毎年給与が上がり、昇格もして、私的暮らしもできることの「有り難み」を理解させること。

 そして自分たちは他者のお金を使って、誰のために、何のために働いているのか、その働いている目的をも忘れないようにするため。

1つは、効率的な業務のこなし方を学ぶため

 民間企業では、最大利潤を上げるために、絶えずコストを削り、無駄を省き、生産性を上げようとし、そのために仕事の効率化を絶えず図る。そして絶えず個人の企業利益への貢献度が問われ、それが評価へとつながる。

 一方、役所はどうか。

先に見てきたような体質を役人一人ひとりが本質的に身につけてしまっているこれまでの日本の役所では、そもそも重視されていることは民間企業とは決定的に違うことは容易に推測できる。

 

5.以上の制度改革で期待される効果

 以上のようにすれば、次のことが実現されることが期待されるのである。

とにかく本物の「公僕」としての自覚を持った本物の公務員の誕生。

そして閣僚のコントロールとチェックの下、公務を、法律に基づき、効率よくこなせるようになるため、公務員の数を大胆に減らせるようになる。

特に、第8章で明らかにしてきた「新国家」においては、中央政府、すなわち連邦政府は小さな政府になることから、連邦政府の行政事務職の人数は現行の50分の一から100分の一以下の、3000人から1500人もいれば多分十分となると推測されるのである。

 これは巨大な人件費削減になる。

 また、「縦割り制度」という悪しき慣習を廃止できることで、各省庁をそこに所属する官僚たちの「互助会」としてきた悪習を廃止でき、「天下り」「渡り鳥」をも同時になくせるようになる。

また予算案は政治家が国会で作ることになるために、税金の巨大な無駄遣いをなくせるようになると同時に、現在、天文学的な額に達している国の借金(政府債務残高)を、急速に減らして行けるようになる。

 とにかくこの国に、真の民主主義を実現し、真の国家となし、役人の不正を激減させられるようになる中で、この国を持続可能な国になり得る基礎ができることである。

 もちろんこれを実現する主役は私たち国民であり、その国民によって既述の新しい選挙制度(第9章)を通じて育てられた本物の政治家たちである。

 

 こうして、この日本を国民にとってやっと希望の持てる、主権在官ではなく、真の主権在民の国家に転換することが出来るのである。