LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

10.6 文部科学省を廃止する

 今回は、今まで公開してきた章のうちで、未公開のままにしてきた節のいくつかを発信してゆこうと思います。
それが拙著「持続可能な未来、こう築く」の中のどの部分に当たるかということについては、2020年8月3日に公開した同著の「目次」をご覧いただきたいと思います。

 

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10.6 文部科学省を廃止する

 なぜ文部科学省を廃止するのか。

その理由を一言で言えば、本章の各節で述べてきたことからも判っていただけるのではないかと思うのであるが、この省庁は、もはや存在すること自体、日本国と日本国民にとって、百害あって一益もないからである。

それに、この省庁でも、他省庁と同様に、官僚が閣僚を操って実質的に教育行政を主導しているのだろうが、その官僚自身、私が彼らの言動を長く観察した結果から推測するに、そもそも教育とは何か、子供たちに何をどう教えることなのかということが、口には出せないが、実際には皆目判らなくなっているのではないか、とさえ思う。それだけではない、国を成り立たせ、社会を成り立たせ、国民一人ひとりが自信と誇りを持って暮らせるようになるにも、全ては教育から始まるということも判ってはいないのではないか、とも思う。

それは、教育の根本や究極の目的は既述してきたように(10.3節)、科学技術は進歩し、社会は変化しても、人間そのものや人間の本性は例えばクレオパトラの時代からだってそう変わっていないのだから、100年前であろうと1000年前であろうと不変のはずなのに、この国の文部科学行政は朝令暮改そのもので、例えば小学校に英会話を導入してみたり、パソコンを導入してみたり、また大学共通試験の内容を変えてみたりと、その時の世の中の情勢に左右されてしまって、猫の目のようにクルクル変わることから判る。かつてはこの国でも「教育は、国家百年の計」などと言われたものだが、それも今は遠い昔のことだ————後述するイスラエルの教育の基本は、2000年以上にわたって今だに不変だという(M.トケイヤー著 箱崎総一訳「日本人は死んだ」日新報道出版部p.172)————。

その結果、この国では、学校は出ても、それがたとえ大学であっても、人間性はほとんど磨かれないし深められもしない。それどころか「同調圧力」とやらによって主体性を自ら押さえ込んでしまう。結果、「私」というものを持てないから、あるいは「個としての自分」を確立できないから一匹狼になることもできず、むしろ集団の中に埋没しないではいられなくなってしまう。こうしていつも、心のどこかで、誰かと繋がっていないではいられなくなってしまう。だから、孤立に耐えられるだけの強靭さは一向に育たない。

 もちろんそうしたところでは、独創など生まれることも育つこともないはずだ。

なぜなら、独創とは、「独」の文字が付く通り、誰も考えたことのないことを、誰も考えようともしていないことを、誰が見ているわけではない中で、たった一人、絶えず考え、思考を深めてゆく先に生まれるものだし、その中で育つものだからだ。

 この国の大学入学者のパーセンテージは世界も認めるように、非常に高いものがある。ところが、日本のノーベル賞受賞者のパーセンテージはとなると、受賞者が発表されるとそれこそ日本中が歓びに沸き返るが、実は、既述してきたように、人口あたりに換算すると非常に低い位置に留まっているのである(10.2節)。それも、これからの日本では、これまでの文科省教育とその行政の下では受賞者はいなくなるのでは、とさえ世界でささやかれている。

 しかし、2000年以上教育の根本方針を変えてはいないとされるユダヤ人は、10.2節での表はあくまでも国別なために現れていないが、民族としてみたならば、歴史上、ユダヤ民族の数に比してノーベル賞受賞者数は最も高いパーセンテージを占めているのである。それも、並みの天才ではない、ご存知、フロイトマルクスアインシュタインといった、世界中に影響をもたらし、世界を動かすほどの天才が次々と輩出している。

 翻って、日本はどうか。このような世界を動かすほどの受賞者はどれほどいたであろう。世界を動かすほどの独創はどれだけあったろう。

 こうなるもの至極必然なのだ。

 ともかく、イジメ、そしてそれによる自殺、不登校、引きこもり、そしてこれらの数の多さとそれが年々記録を作っているという事実、さらには“誰でもいいから殺したかった”とか、“人を巻き添えにして死にたかった”という事件も益々増えている日本。

栄養失調や伝染病で死んでゆく子供達は世界にたくさんいるが、子供や若者がこのような死に方をする国は世界の他にあるだろうか。異常すぎる。

こんな状態を続けるのも、根本を辿れば文部省及び文部科学省が原因を作ってきたのである。

 しかもこうした事件に対して、起こる度に、対処法は決まってその場限りのものだ。政府文科省の官僚も、官僚に引きずられる大臣も、またこの国の教育関係の専門家も、決して根本の原因を除去しようとはしない。

 したがって、この国がこのまま文部科学省の学校教育を続けていったなら、日本人および日本国は国力を低下させるどころか世界の中で衰亡してしまい、日本人はバラバラになってしまうのではないか、とさえ私は危惧する。

 なおここで言う「日本人」とは、歴史学者の言う「日本国籍所有者という意味以外では、日本人なんてものは、ない」(森巣博「無境界家族」集英社 p.212。なおこれは網野善彦「『日本』とは何か」講談社学術文庫p.320に拠る)という意味での日本人である。

 

 そこでその廃止論をより鮮明に根拠づけるために、今日の文科省の前身である文部省誕生以降の歴史的経緯について見てみる。

 以下の展開については、7.1節および2.5節とも対応させながら読み進めていただければより判りやすいと思います。

 文部省が設置されたのは、1871年(明治4年)である。初代文部大臣は薩摩藩士の森有礼だった———以下、文部省設置とその方向を定める上で関わった官僚は、すべて薩摩と長州の下級藩士からなる官僚とみなすことができる、と私は思う———。

 なお以下は、その大部分が、山住正己「文部省廃止論」———教育・文化の自立のため———(『世界』主要論文選の中の1論文。p.900 岩波書店)による。

 文部省の最初の大仕事は学校制度(学制)を整えることだったが、そこでは既に、政府(官僚)は、教育について強力な中央集権を目ざしていた。そして森有礼の下、当時高まりつつあった自由民権運動を抑圧し、富国強兵策を推進するためにも、統制を強め、教科書検定制を採用した。

 この時期に文部省の性格を形作ったのは、教育立法について勅令主義を登場させたことである———それをしたのは、既述して来たように、寡頭政治家たちの後を引き継いだ明治薩長政権の官僚たちである。彼らは自分たちの政権には正統性がないことを自覚していたのであるが、その事実を覆い隠すためと、自分たちが黒子となって天皇を裏で動かすことによって、自分たちの政権のしようとしていることを国民の前に正当化するためであった、と考えられる———。

 勅令とは、議会の「承認」ではなく協賛を経ずに天皇の大権によって発せられる命令のこと。この勅令によって、すべての学校のあり方を、文部省は、天皇の大権に拠って規定しようとしたのである。言い換えれば、当時の薩長政権の官僚がこの勅令主義を発案したことにより、自分たち政府(文部省)で教育全般を思いのままに左右できる道を開いたことを意味する。

 そしてそのとき見逃してならないことは、この勅令主義の根底には、薩長政権の官僚の、国民大衆への不信と蔑視があり、そうした見方から由来する国会軽視、すなわち民主主義軽視があったことだ。

 そしてもう1つ、文部省の中央集権の行政機構を成り立たせ、教育現場の隅々までを統制下に置こうとする野心を成立させて来たものに、形の上では文部大臣の諮問機関とされる審議会がある。たとえば、教科用図書検定調査審議会、教育刷新審議会、中央教育審議会がそれだ。

 文部省関係のこうした諮問委員会は、1896(明治29)年に設置された高等教育会議が最初である。しかしそこでの委員はいずれも文部大臣の任命に拠る者であった。

 こうした諮問委員会は敗戦に至るまで、ずっと何らかの諮問委員会が設けられ続けて来たが、それらはすべて、政府の、というより文部省の政策を先取りするものであり、教育の民主化を目ざすものではなかった———実際、大臣の諮問機関とされた委員会とは言っても、その委員は、先ずは文部省の担当官僚が委員候補を人選ないしは推薦するわけで、その推薦した者を大臣が形式的に任命するということであって、実質的には、官僚が任命したようなものであり、文部省として着手しようとする政策に賛同してくれて、それを答申してくれそうな官僚にとって好都合な人物だけが委員となれた、ということである————。

つまり、審議会とは、一見、有識者の意見を聞き、各界の代表者の声を聞いて、それをまとめて大臣に答申する、民主的な委員会のようには見せているが、実態は、文部省の官僚がしたい政策を、担当官僚が委員会を座長を通じて牛耳る中で、答申してくれるよう誘導するだけの、いわば文部官僚の「隠れ蓑」なのである————なお、審議会のそうした「隠れ蓑」的な特性は、文部省の審議会に限らず、その後政府内に作られる全ての審議会について共通である。そしてそれは、戦後から今日に至っても変わらない————。

 戦後、文部省は、文部省設置法に拠り、新たな出発をすることになった(1949年)。

その設置法第4条「文部省の任務」の一つにはこうあった。

「民主教育の体系を確立するための最低基準に関する法令案、その他教育の向上および普及に必要な法令案を作成すること」 

 ここでは「民主教育」という言葉さえ用いていることに注目したい。

しかしわずかその三年後の講和条約発効の年(1952年)、文部省設置法は大改訂が行われ、

「民主教育」の語を含んでいた条項は削除され、文部省の任務は簡潔に次のように規定されることとなった。

「文部省は、学校教育、社会教育、学術および文化の振興および普及を図ることを任務とし、これらの事項および宗教に関する国の行政事務を一体的に遂行する責任を負う機関とする。」

 なお、文部省の体質と能力———それはそのまま文部科学省に引き継がれることになるのでもあるが———についても一言触れると、既にこれまでの文脈からも明らかなように、また文部省が設置された当時の動機からしても明らかなように、文部省の官僚は、人間としての基本的権利、つまり基本的人権が絡んだ問題日本の真実の歴史に関する問題、そして秩序よりも正義が問われる問題には、自身で判断する能力はもちろん決断する能力もない、ということだ。その類いの問題に直面した際には、ただ問題を先送りし続けるか、世界のどこかを真似るしかなかった。その姿勢は今も変わってはいない。

 だからたとえば、基本的人権が絡んだ問題として、イジメや虐待の絡んだ問題、男女の平等権の絡んだ問題、そして今後ますます重大な問題となると予想される同性婚の問題、性的マイノリティの人権に関する問題、外国人をも含む労働者の人権問題———これは厚生労働省にも関わりを持つが、同省の対応能力も、同じ官僚が対応するのだから、文科省と大同小異だ———、そして移民や難民の受け入れと彼らへの人間的対応の仕方の問題等があるが、それらについては、文部省、そして今日の文科省の官僚は、自身で判断する能力も決断する能力もなく、その類の問題は先送りし続けるか、世界のどこかを真似て対処するしかないのである。

 また日本の真実の歴史に関する問題としては、例えば「日本国」建国の真実の時期の問題、日本人というのはそもそもあるのかという問題、日本人は単一民族とされてきたがそれは真実かという問題、あるいは従軍慰安婦の問題の真実とは、という問題、あるいは南京大虐殺の真実という問題、「北方四島」の領有権問題の真実とは、等といった問題が挙げられようが、それらについても、先の文部省の官僚同様に、今日の文科省の官僚も、自身で判断する能力もなければ決断する能力もなく、その類の問題は先送りし続けるしかないであろう。

 だから、これらの諸問題の真実を書いた小中高校の歴史教科書に対しては、文科省の官僚は、たぶん、すべて「検定不合格」としてしまうであろう。

もちろん検定は本質的に検閲であり、それは現行日本国憲法第11条の「国民の基本的人権の享有」、検閲を禁ずる第21条の「表現の自由」に明らかに違反する。つまり、官僚自ら、これから日本国を背負って立つ若者たちに祖国の真実の歴史を教えようとはせず、むしろ相変わらず明治期以来の官尊民卑の姿勢に拘っては、自分たちに不都合な真実は教えようとはせずに、日本国の民主主義政治体制、すなわち今様の「国体」に反逆しているのだ。

 もし日本の政治家が民主主義を、そして基本的人権を真に理解し得ていたなら、主権者である国民の代表として、官僚のこうした傲慢不遜で官尊民卑の時代錯誤の姿勢を鋭く糾弾し、現行憲法第15条の第1項に拠り、そうした官僚をことごとく排除するための実定法を定めるのだろうが、残念ながら既述して来たように(2.2節)、むしろ官僚に依存し、官僚の操り人形と化している現行の総理大臣を含む閣僚一般にそれを期待することはまず無理、と言うしかないであろう。

 

 ところで、再三記述してきたように、私たち国民はすべて、実はこうした文部省の体質をつくり上げて来た背後には、明治の元勲山県有朋がいたことを決して忘れてはならないのである。

山県有朋、彼は、とにかく性格的にもまったくよこしまな人間であり、政府というものは、天皇の権威を維持して行くためにのみ存在するものだとし、官僚を国民のシモベではなく「天皇のシモベ」とし、民主主義を徹底して忌み嫌い、その官僚の権力が、選挙で選ばれた国民の代表によって決して制限されない仕組み、あるいは選挙で選ばれた政治家が日本の官僚制を決して掌握できないように、一連の複雑なルールをつくった人物だ。また、近代日本の陸軍を創設し、軍部の大本営の中枢を成す参謀本部をも創設し、「徴兵制」を導入した人物でもある(K.V.ウオルフレン「システム」p.139、「日本という国をあなたのものにするために」角川書店 p.47)。

 以上を総合して、では先の問い、文部省の体質をそっくり受け継いだ現在の文科省については、私たち国民は主権者として、果して存続させることが妥当なのだろうか。

 答えは明瞭である。

もはや文科省は存在していること自体、有害無益なのだ、と。

むしろ存続すればするほど、この日本をますます世界に通用し得ない劣等国にしてしまうことは明らかだ。

 しかし、そうは言っても、その問題の文科省を廃止できるのは官僚ではない。私たちが選挙で選んだ国民の代表である政治家なのだ。政治家が、国民の声を聞く中で真の国益とはどうすることかを国会内で徹底的に議論し、決めることだ。

ただ、2.2節に既述して来たような政治家という政治家の体たらくな実態の中で、果してその際、国民から負託された公式の権力を最大限正当に行使し、官僚を憲法第15条に基づき、毅然としてコントロールし、文科省を廃省にすることができるだろうか。
残念ながら、それは無理と言うしかない。