LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

15.4 世界の平和と安定の保障のための提言    ————(その2)

 

15.4 世界の平和と安定の保障のための提言    ————(その2)

 ではそう考えた時、国連は、現状、既述のような使命を果たしているだろうか。あるいは今は果たしてはいなくとも、このままで、今後は果たして得るようになるだろうか。

 どちらについても明らかに「ノー!」である。

何故ならば、例えば、かつての東西冷戦下でアメリカが起こしたベトナム戦争イラク戦争でも国連は「世界の平和と安定」を保障し得なかった。一方、同じく冷戦下、旧ソ連が起こしたアフガニスタン侵攻や、ソ連崩壊後、つまり東西冷戦終了後のロシア(プーチン)が起こしたチェチェン紛争やシリアの内戦時でも同様だった。とりわけこの度(2022年2月24日から)のロシア(プーチン)のウクライナ侵攻においては、国連は「停戦」を呼びかけることしかできずに、全くの無力さを世界にさらけ出したのだからだ。

 

 では国連が既述のような使命を果たしうると考えられる国連改革案を具体的に考えようとするとき、少なくとも、あらかじめどういうことを確認しておく必要があるのだろうか。

それは次の事実ではないだろうか。

(1)今日、日本語で「国際連合」と意訳され、あるいは表現され、「国連」と略称されることになった組織が設立されたのは1945年6月26日である。そして、その時の加盟国は全51カ国であったこと。

 その組織の設立目的は次の3つとされていた。

ⅰ)国際の平和および安全を維持すること、ⅱ)人民の同権と自決の原則の尊重に基礎を置く諸国間の友好関係を発展させること、 ⅲ)経済的、社会的、文化的または人道的性質を有する国際問題の解決、ならびに人権および基本的自由の尊重を助長奨励することについて、国際協力を達成すること。

(2)なお、その組織への加盟国とは、第二次世界大戦において、アメリカ、イギリス、フランス、ソビエト社会主義共和国連邦ソ連)、中華民国の5カ国を中心とする、いわゆる戦勝国としての「連合国」と呼ばれる国のグループであったこと。つまり、その連合国と敵対し、あるいは交戦状態にあった枢軸国とも呼ばれていたドイツ、イタリア、日本の三国及びその同盟国であったブルガリア王国(現在のブルガリア共和国)、ハンガリー王国(現在のハンガリー共和国)、ルーマニア王国(現在のルーマニア共和国)、フィンランド共和国の7カ国はそこには含まれてはいなかった。

(3)そしてその7カ国とは特定されてはいないが、日本で言う「国連憲章」には、通称「敵国条項」と呼ばれている第53条と77条と107条の3条が、1995年に国連=「連合国」総会で死文化が確認されたとはいえ、2022年のいまだに抹消されずに残されていること。

 その敵国条項とは、日本で言う国際連合の母体である連合国に敵対していた枢軸国が、将来、再度侵略行為を行うか、またはその兆しを見せた場合、国際連合安全保障理事会(略して安保理)を通さずに軍事的制裁を行うことができると定められた条項のことである。

(4)ここで、元々の英語表記では「the United Nations」とあったものを、日本が————日本政府であろうと私には思われるが————、なぜか「国際連合」と表現したことについて。

 それは、一言で言うと、「the United Nations」とあったものを「国際」連合と表現したのは不適切だったのではないか、ということだ。

理由は二つある。一つは、最初から英語表記の「the United Nations」をそのまま「連合国」と訳していれば、その「連合国」の憲章に「敵国条項」があるのももっともだとして日本国民にも正しく理解できていたであろうからだ。もう一つは、「敵国条項」というものが憲章にあり、そこでは、連合国と枢軸国を区別していたにも拘らず、その組織を、いかにも世界のほとんどの国が加盟しているかのような印象を与えがちな呼称だからだ。

 したがって今後は、その組織全体のあり方が再検討されるまでは、少なくとも拙著では、国際連合という表現は止めて、正しく「連合国」と表現してゆく。国連憲章という日本的表現も、同じように改めて、正しく「連合国憲章」と表現してゆく。その方が、その組織に対して、誤った理解や認識は、極力避けられるだろうからだ。

(5) その「連合国」なる組織において、先の3つの目的の第1の「国際の平和および安全を維持すること」を実現するために次の決定が為された。3つある。

①“「連合国」の迅速かつ有効な行動を確保するために”との理由の下、「主要な責任を負う機関は安全保障理事会である」として、安保理に責任を負わせるようにしたこと(「連合国憲章」第24条1項)。②その安保理の議決内容は、「連合国」全加盟国に対して法的拘束力がある、としたこと。③安保理は、「平和に対する脅威、平和の破壊および侵略行為に関する行動」に基づく強制措置の発動も決定できるとしたことだ(「連合国憲章」の第7章)。

(6)ところが、その加盟51カ国の中で、アメリカ、イギリス、フランス、ソビエト社会主義共和国連邦ソ連)、中華民国の5カ国だけが次のような特別の地位と特別な権力が、どのような経緯によってかについては筆者である生駒には不明だが、とにかく与えられたこと、あるいはこの5カ国自身が主張して手に入れたか、したことである。

 その特別な地位とは、「連合国」の中枢を占める安全保障理事会の構成国の中で、「常任」理事国となることであり、特別な権力とは、その5カ国のいずれにも、その5カ国のうちのどの一国でも安保理決議を拒否すればその決議は成り立たないことにするとした権力のことで、「拒否権」と呼ばれるものである。

 実際、2022年現在、これまでに常任理事国が拒否権を行使した回数は、国別で、次のようになる。

  ロシア   120回

  アメリカ   82回

  英国     29回

  フランス   16回

  中国     17回

 

 ただし、ロシア時代とソ連時代での拒否権行使回数と、中華民国時代と中華人民共和国時代のそれらについては、私には不明。

 つまり、上記5カ国のいずれの国からであろうとも、こうした拒否権が行使されるたびに、「連合国」が創設時に掲げた先の3つの目的の中で最も重要な第一目的である「国際の平和および安全を維持すること」は実現されないままに来たのである。つまり、「連合国」は、その組織内での主要な責任を負うとして設けられてきた機関であるはずの安全保障理事会は、その機能を果たせないままで来たのだ。

 その結果、世界の紛争当事国の国民や民族は、どれほど悲惨な目に遭わされてきたことか。またその結果、世界には、どれほどの難民を生むことになったことか。

参考までに言えば、今年(2022年)には、プーチンウクライナ侵攻も手伝って、世界で1億人に達しているのだ。

(7)「連合国」との名称の国際組織の総会については、すべての加盟国の代表で構成され、一国一票制による表決手続きがとられていながらも、そこでの決議事項が加盟国に対する「強制力」にも「拘束力」にもならず、勧告的効力しか持たないとしたことである。

(8)しかし、「連合国」という名の組織が設立された当時は、「枢軸国」とも呼ばれたドイツ・イタリアそして日本の敗戦国は加盟していなかったし、「連合国」という組織を構成する5カ国以外の諸国は、実質的に、軍事的にはもちろん政治的にも経済的にも当の5カ国に頼らざるを得なかったから、5カ国の常任理事国化、そしてその5カ国に責任を持って「連合国」という組織を運営してもらうためには、拒否権を与えるということもやむを得なかったかもしれないが、その後、世界には多くの独立国、すなわち主権国家が誕生するとともに、「連合国」という名の組織を構成する主権国家の数も当初の51カ国にさらに142カ国が加わって、現在(2021年4月)、加盟国は全193カ国となっていること。

(9)しかも、193カ国のそれぞれの国は、国土の大きさや人口には違いはあっても独立国となった以上、主権国家となったことである。すなわち、193カ国相互の関係は、それぞれの主権に拠り、互いにどの国との関係においても対等な関係を維持できるようになったこと。

(10)さらには、1947年頃から顕著になってきたいわゆる「米ソ冷戦(東西冷戦)」も、1991年にソ連が消滅したことにより終わり、世界の秩序は激変したこと。

(11)また、ソ連が消滅したことにより、ソ連という社会主義共和国の連邦を構成していた支分国のいくつかはソ連陣営を離れたし、残った国はロシアを含めて独立国家共同体(CIS)となったこと。

 その意味では、安保理常任理事国としてのソ連はなくなったのだから、安保理常任理事国は4カ国となったはずなのに、その手続きがどのように公正に行われたのか不明だが、今度はロシアが常任理事国の地位にとどまっていることである。

(12)それに、「連合国」なる組織が設立された当初は、原爆を保有する国は一国もなかったが、その後、アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国の順で保有することになった。

そして1968年7月、アメリカ合衆国中華人民共和国、イギリス、フランス、ロシア連邦の5カ国、および非批准国以外の核兵器保有を禁止することを主な内容とする、略して核拡散防止条約(NPT)が締結されたが、その後、そのNPTも実質的には破られて、今や、インド(1974年)、パキスタン(1998年)、イスラエル(核実験実施は未確認。しかし、保有していると信じられている。NPTには加盟していない)、そして北朝鮮(2006年)も保有するようになっていること。

(13)このように、日本で言う国連が「連合国」という正式名称で設立された1945年6月以来、いくつかの矛盾や問題を含みながら、そしてその後、主権国家の加盟国の数も設立当初に比べて4倍弱に激増しているのにもかかわらず、しかも、温暖化と生物多様性の劣化という人類存続に関わるいわゆる地球環境問題が深刻化している中でも、その骨格部分である安保理常任理事国制度とその常任理事国には拒否権が与えられているというところは、全く変更されてもいなければ、改良もされてはいないこと。

 

 では以上の事実経過を踏まえるならば、そこから何が判り、何が言えるだろうか。

第1には、設立後、多くの国が独立し、またその国々が加盟してきても、「連合国」=「戦勝国」という意識を今なお変えることができないでいる、ということである。

第2には、5カ国こそ世界の中核であって、その他の国とは、たとえ主権国家とは言え、対等ではない、という意識のままでいること、と、その意識の下で奢りが見え隠れすることである。

 

 なお、日本名「国際連合」なる組織が誕生してくるまでの経緯は次の通りである。

 まだ第二次世界大戦中だった1941年8月14日、英国のウインストン・チャーチル首相とアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が、第二次世界大戦終了後を見越して、アメリカとイギリス両国の世界政治に対するあり方の原則を「大西洋憲章」との名称の下で共同宣言として発表したのである。発表場所は、大西洋上に浮かぶ戦艦「プリンス・オブ・ウエールズ」の甲板上においてである。

 その大西洋憲章は次の8項目の原則から成っていた。

〔1〕戦争勝利国といえども領土は不拡大、〔2〕国民の合意なき領土変更の不承認、〔3〕国民の政体選択の権利の尊重と、奪われた主権の回復、〔4〕通商と原料の均等な解放、〔5〕各国間の経済協力、〔6〕ナチス暴政の打倒と、恐怖と欠乏からの解放、〔7〕海洋航行の自由、〔8〕武力使用の放棄と、恒久的な一般的安全保障体制の確立。

 そしてこの大西洋憲章が発表されたおよそ4ヶ月後の1942年1月1日には————日本が真珠湾奇襲攻撃をしたおよそ3週間後のこと————、26カ国が大西洋憲章の8原則を実現するために「連合国(the United Nations)共同宣言」として署名し、発表したのである。

 実はこの時、「連合国」という呼称が初めて公式に登場したのである。

それは言うまでもなく、当時交戦状態にあった敵対国としての、既述のいわゆる「枢軸国」を念頭に置いての呼称だった。

そしてここで大事なことは、この「連合国(the United Nations)共同宣言」には、当時のソ連も中国(当時は中華民国)も加わっていたということ、つまり、ソ連も中国も、先の8項目からなる大西洋憲章の原則を認め、それを実現することを26カ国相互の間で約束していたことだ。

そしてこのことは、米英の「大西洋憲章」から26カ国による「連合国(the United Nations)共同宣言」へと発展し、これがさらに、後に日本では「国際連合(国連)」と呼ばれることになる国際組織の名称「連合国」へと結実してゆくことになることを考えると、そのことは、特に本節において「世界の平和と安定の保障のための提言」を考える上では、極めて重要な意味を持ってくるのである。

なぜなら、ソ連中華民国も、たとえその後両国は、独立国家共同体(CIS)となってロシア連邦となり、中華人民共和国となったとはいえ、両国とも、当初の1941年の「大西洋憲章」の8項目を受け入れているからだ。

 しかしながら、史実から言えば、ソ連は、そしてそのソ連安保理常任理事国を引き継いだロシア連邦は、第二次大戦後から今日まで、少なくとも2度はこの大西洋憲章を破っている。

 1度目は第二次大戦終了間際から終了後にわたって、日本の固有の領土である「国後・択捉・歯舞・色丹」の島々、いわゆる「北方四島」を領土として奪い、ソ連領土を拡大したことであり、2度目は、ソ連崩壊後、独立国家共同体(CIS)となったその構成国の一つであるロシアは、2014年、ウクライナに戦争を仕掛け、クリミヤ半島を戦争勝利国として奪い、それを自国領土として拡大したことである。
 つまり、ソ連も、その後のロシアも、自ら大西洋憲章の原則を認め、それを実現することを宣言したことを破っているのである。

 

 では、どういう考え方を根拠に、現行の国際組織「連合国」を改革していったらいいのか、またどういう考え方を根拠にしたら改革ができそうであろうか。

 これは大変困難な問題だ。なぜならそれは、これまで常任理事国とされて来た米英仏中露の国々が拒否権を行使することなく、一緒に改革案を考え、考えたそれを受け入れてくれるようになるか、ということでもあるからだ。

 そこで私は改革案を創出する際の基本的な考え方としてこう考えたのである。

先ずは、現行の「the United Nations」として表現される「連合国」という組織とその成り立ちに関しては重大な欠陥があることは常任理事国とされる米英仏中露も認識しているであろうということを前提とする。その上で、新しい国際組織への加盟を目指す目指さないはともかく、どの国も反論のしようのない考え方あるいは原理と言ってもいいものを土台にして改革案を議論しようと言えば、さすがの米英仏中露も議論に乗ってくるであろう、ということ。そして当の5カ国を含めた、現在「連合国」に加盟している全ての国の代表がその「どの国も反論のしようのない考え方あるいは原理と言ってもいいもの」を土台にして議論して決まった「連合国」改革案であったなら、現行の「連合国」に加盟している全ての国は、多分受け入れてくれるのではないか、と。

 私の考える「どの国も反論のしようのない考え方あるいは原理と言ってもいいもの」とは次の7つである。

 

①もはや、「戦勝国」とか「戦敗国」とか、「連合国」とか「枢軸国」とか、また「民主主義国家」とか「専制国家」とか、「西側」とか「東側」といった、これまで対立を前提として用いられてきた用語や概念は、この際、一切用いることは避ける。

というよりは、もはや世界人類は、過去を省みながらも、その過去を乗り越え、それらの概念を止揚して議論に臨むこと。

②実際、今、世界人類の目の前には、地球規模の温暖化による気候変動および異常気象の頻発と生物多様性の消滅という自然界における食物循環を成り立たせない事態が懸念される中で、食糧不足問題や水不足問題を含む様々な被害が世界中で起こっていて、人類の存続が危ぶまれていて(IPCC報告書)、国同士が、あるいは民族同士が、あるいは部族同士が、また人種間であらそってなどいられない状態であること。

 特に戦争は、敵味方双方の人間を大量殺戮し、地球の自然環境を最大規模に破壊する行為なのだからだ。

③現行の「連合国」に加盟している国は、どの国も主権国家であり、そしてその主権には、上下の関係はなく、また、人口規模や国土面積、また経済力等にも無関係であって、全て互いに対等である。

④その主権を持った国の代表同士が集まる総会は今後生まれてくる真の意味での全世界的国家連合としての新組織における最高意思決定機関であるとすること。

⑤したがってその総会が議論して議決した結果は、憲章であれ、組織ルールであれ、最終的な結論である。

⑥そしてその新組織は、「the United Nations」のように、第二次世界大戦時での枢軸国の存在を想起させるようなものではなく、名実ともに全世界的国際組織とするために、その組織の呼称は「the International Union of Nations」、すなわち、文字通りの「世界国家連合」とすること。

⑦なお、ルールづくりに参画するしないは各主権国家の自由であるが、しかし一度その新組織としての確定したルールを受け入れたなら、それは、その後、厳守しなくてはならない。

 

 では、こうした原理に基づいて議論されて議決された結果として設立されたとする新組織としての「世界国家連合」の最大の使命と役割は何とするか。

それをこそ、世界全体の平和と安定を保障しつつ、同時に、既述の【人類共通の価値】、【人類共通の大義】、【人類共通の正義】を新時代のパラダイムとして地球上に実現すること、とするのである。

 そのためには、その「世界国家連合」は、世界連邦の政府ともなるべきなのだ。そしてその政府の下で、その政府によってコントロールされる世界連邦軍をも創設するのである。

その「世界国家連合」の維持と世界連邦軍の維持には、加盟している全ての国が、その国の一人当たりのGDPに比例する形で費用を負担し、また人口に比例する形で兵を送って協力するのである。

 

 人類が存続できるかどうかは、実際、2030年までに、人類として具体的に温暖化を抑えるためにどれほどの対策の手を打てるかにかかっているとIPCC報告は警告を発している。

それは、我々人類が生かされている地球の自然が、もはや人間の諸活動によって、その自然を維持するための大気・水・栄養の大循環がいたるところで分断され、その結果、発生した「汚れ」としてのエントロピーは大気圏外に捨てられないまま、地球表面上に充満している結果であろう、とも解釈できる(第3章)。

 したがって、もはや人類は、これからの環境時代においては、どこの国とであれ、侵略を含めて、武力に頼って現状変更を試みようとしたり、戦争を仕掛けたりすることは、その国がその行為をどんなに正当化しようとも、人類的そして地球的見地に立てば、すべて、現在世代と未来世代の全人類の存続の可能性を狭めてしまう犯罪行為なのだ。

民族同士の、部族同士の、宗派同士の、さらには人種同士の争いや紛争はもうやめるべきだ。

 私たち人間は、真の意味でもっと「進歩」し、「向上」なくてはいけないのだ。