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八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

17.2 「新国家建設構想立案国民会議」の設立による新国家建設構想の立案と国家創建着手に向けた基本方針(考え方・方法・手順)の明確化

 

17.2 「新国家建設構想立案国民会議」の設立による新国家建設構想の立案と国家創建着手に向けた基本方針(考え方・方法・手順)の明確化 

 新生日本国の建設に着手するにあたり、先ず大統領は、全国民に向けて、「新国家建設構想立案国民会議」(以下、国民会議 9.1節を参照)を早急に立ち上げると発表する。また、同時に、その国民会議を法的にも保障すると補足する。

その国民会議とは、文字どおり、国民の全階層の代表からなる、その新国家の構想を練るための主体となるものである。

 そこで、本節では、この国民会議の設立の手順と、その国民会議の法的裏づけ、そしてそれが設立された後、その国民会議によって新国家の建設構想を立案する際の基本的な考え方と方法とをあらかじめ明確にしておく。

 

国民会議設立の手順と国民会議の法的位置付け

 この会議の構成員は、新選挙制度(第9章)によって誕生した本物の国会議員からなる新中央政府連邦政府)の下で設けられた国民会議設立のための超党派委員会(以下、超党派委員会)によって集められる。

 ただし、その場合、超党派委員会によって何が進められるにしても、その際特に重要なことがある。それは、進めるべき作業の全てを政治家たちで互いに分担し、各自の秘書の手助けの下に直接行い、そこには官僚は一切関わらせないことである。なぜならば、そうした場面で官僚を介在させると、彼らは、過去からの組織の記憶の中で培って来た習性として、自分たちが所属する組織の利益確保や既得権益の拡大と維持を最優先して狡猾に動くからである。したがって、官僚の力を少しでも利用しようという場合には、必ず政治家が、事前に、自分には憲法第15条第1項と2項による主権者の代表としての公務員への罷免権や考課権を含む人事権があることを明示した上で、具体的な指示を彼らにし、しっかりとコントロールしなければならないのである。そして、政治家が官僚を含む役人一般を常にコントロールするというのは、国民の代表としての当然の義務なのである。これまでがそうであったように、政治家がその義務を果たさなかったなら、またしても、この国を国民が主人公(主権者)としての民主主義の国ではなく、官僚が実質的な主権であるかのような官主主義による官僚独裁の国にさせてしまうからである。

 私のこうした主張を裏付ける一つの実例を、2022年11月の終わりころ、日本国民の間で大問題となった政治的問題から拾う。

それというのは、その時の岸田文雄内閣が、これまでのこの国の基本政策としての「専守防衛策」と、「今後は原発の新規建設はしない」との政策の両者を大転換した経緯そのものに、政治家————この場合には各省庁の大臣である閣僚であるが————がその義務を果たさなかったなら結果はどうなるかということが如実に現れているからである。

 私は先に、この国の中央政府閣議というものがどういう経緯で開かれ、そこには何が議案として提出され、それがどのように決定されるかという実態について述べて来た(2.5節)。

ここでも、そこで述べたと同じような仕方で進められたということが、はっきりと見て取れるのである。それは、官僚という公僕ないしは「国民のシモベ」には本来決して与えられてはいない、他者を支配して動かすという意味での権力を、官僚たちは自分たちの権益獲得のために、闇で、しかも恣意的に行使しては、予め自分たちと族議員たちとの間だけで決めた目的を果たすという、文字通り、狡猾そのものと言っていい手口だ。

 その時の閣議決定に至るまでの経緯については、某民放局がわかりやすい図表にしてまとめてくれたものがあるので、それを掲載させていただく。以下に掲載する写真は筆者がその時のTV画面を撮影したものである。

 この写真が示している図表の中の、官僚が設けたと思われる各種の会議あるいは小委員会と称する会議体の委員構成の仕方と会議体での会議の実際の進め方、そして各委員への発言のさせ方には特に注目していただきたいのである。

BS-TBS「報道1930 ▼岸田総理に直撃“日本の大転換”決断の瞬間▼安倍氏不在の舞台裏は」より 2022/12/27

 具体的には、上記図表中の上段の、「反撃能力の保有は不可欠」と「幅広い税目による公民全体での負担」という結論を決めた「有識者会議」なるものの構成員の実際と、その全4回にわたる会議数と、各委員への発言のさせ方についてである。

とは言ってもこの図表では「有識者会議」の実際の構成員が誰なのかは不明だが、この会議を設立したのはほぼ間違いなく防衛省財務省の官僚であろうから、その場合の会議の構成員については、防衛省財務省の官僚にとって好都合と思われる者————それは、彼らが予め族議員との間で定めた狙いとしての結論を引き出す上で好都合な意見を述べてくれる者で、この場合には彼らの所管する産業界、例えば兵器メーカー各社や増税を支持する専門家ら————から、恣意的に選任しているものと思われる。

 

 また、上記図表中の下段の、「原発の新増設」と「60年超も運用を可能に」なる結論を決めた「経産省 原子力小委員会」とそれを支持した「政府GX実行会議」なるものの構成員の実際と、その会議開催数と、各委員に対する発言のさせ方についてである。これらの過程はほぼ間違いなく経済産業省の官僚によって行われたものと推測される。

 実際、12回開催された「経産省 原子力小委員会」の委員構成は、「21人中 脱原発派は2人」、つまり残る19人は原発推進賛成派となっていたし、続いて5回開催されたとする「政府GX実行会議」については、委員構成13人中、原発容認発言者が9人で、原発慎重発言者が1人という構成になっている。しかも、原発容認発言者の中には、中部電力ENEOSそして三菱商事など、民間メンバーであり、かつ利害関係を有する者が含まれていたのである。

 

 なお、ここで明確にしておかねばならない、やはり重要なことがある。それは、防衛省財務省そして経済産業省に限らずどの省庁であっても、そこに所属する官僚たちが民間人を恣意的に選任して集めたり、また集めて設けた会議体を自分たちの思い通りに仕切ったりするなどということは、それ自体権力の行使にあたるのであって、本来、絶対に許されることではないということである。そのことも私たち国民は主権者として知っておかねばならない。

なぜならば、官僚たちはあくまでも公僕すなわち「国民のシモベ」であって、国民に奉仕する立場(憲法第15条)。その彼らには、「他人を押さえつけ、支配する力」(広辞苑)としての権力など与えられるはずはないし、実際私たち国民は主権者として、彼らにそんな力は与えてはいない。彼らは公務員試験に合格しただけの身分なのであって、私たちの政治的代表ではない。私たちがその権力を与えているのは、私たちが選挙で選んだ、私たちの代表である政治家だけなのだ。その場合の権力も、政治家が掲げた公約を法律なり政策なり、また予算なりの形にして実現するための、そのためだけの権力なのだ(ジョン・ロック「市民政府論」岩波文庫p.151)。

 なのに、彼ら官僚は、私たち国民の目を盗んで、彼らには与えられてはいない権力を闇で行使しているのである。

 ところが、この国の政治家という政治家は、これまで随所で述べてきたように、国民に成り代わって「国民のシモベ」をしっかりと監視し、またコントロールするという重大な使命をまったく果たしてはいない。むしろ、官僚や官僚組織に対しては実質的に野放し状態だ。それをいいことにして官僚たちは、彼らには付託されてはいない権力を闇で行使しては、国民の利益はそっちのけにして、彼らだけの利益を実現しているのである。その利益とは、例えば、自分たちに好都合な法律を既述のような手口で成立させては、自分たちの業界への専管範囲を拡大し、自分たちの組織内でのポストを増やし、また同じ組織内の先輩官僚たちの「天下り先」を確保し、そうすることによって自分はその所属組織内での評価を高め、出世し、また栄転できるように図る、というものだ。

 これから判るように、そこには国民のより良い幸福を実現するという考えは一切ない。

 

 つまりは、官僚たちが会議体を設立する時の手口はいつも決まって同じで、まことしやかに出来レース」をやって見せているのだ。だからそれぞれの会議体の進行のさせ方も、表向きは座長あるいは委員長を立てながらも、司会あるいは議事進行は自分たち官僚がその場を仕切り、自分たちが予め決めた結論に「お墨付き」を与える答申がなされるように、満座の委員を誘導するのだ。

 このことからわかるように、官僚たちが政府内に設ける会議体は、いかにもいろいろな方面から専門家を呼び、彼らの間で民主的な議論をしてもらい、その結果得られた結論であるかのように外に向かって発表するが、それは全くの嘘で、いずれの会議体も、関係官僚たちの目論見を隠すための手段としての隠れ蓑にすぎない。委員会のメンバーとして選ばれる方も官僚の意図を察して、あるいは了承して委員になる。したがって、当の官僚にしてみれば、委員構成が決まった瞬間、すでにその会議体としての最終結論は出たも同然なのだ。たとえ、その過程で、何回その会議体が開催されようとも、である。多分、担当官僚も、自ら望む委員構成ができた瞬間、内心ほくそ笑んでいることだろう。あとは答申を出してもらう時まで、自らがその会議体を仕切りながら、その会議がいかにも民主主義的に行われていたかのように装うだけなのだから。

 なお、こうした一連の政策の大転換という結論を閣議決定の後、この閣議決定の内容について国民の声を幅広く聞くという主旨の下に行われるかもしれない「パブリックコメント」についても、私たちが、山梨県北杜市で、国土交通省が実現を目論んでいる「中部横断自動車道(北部区間)」建設の賛否を問うという建前の下で行われたパブリックコメントの場合と手口は全く同じで、まことしやかな「出来レース」が行われることは間違いない。

 

 とにかく私たち国民は、あくまでも主権者として、官僚たちにこのような狡猾で卑劣な手口でもって、彼らに好都合な政策を決めさせてはならないのだ。新聞等のジャーナリズムも、官僚たちのこんな手口に騙されないよう、細部にわたって絶えず監視していなければならない。その時の監視の向けどころは、権力を行使する者は「法の支配」に拠って行使しているのか、という点だ。なぜかといえば、「法の支配」は、よく総理大臣や外務大臣が、特に国連や外国の首脳らとの外交の場で口にするように、自由と民主主義と同様に、「人類の普遍的価値」だからだ。

 したがって、このような会議体を官僚たちに作らせ、一見、まことしやかな手順を踏んで出された結論であるかのように官僚たちにふるまわせてしまうのは、配下の官僚たちの監督責任のある各省庁の大臣がその義務を果たしていないことの現れであって、その意味で、大臣すなわち閣僚こそその最大の責めを負わねばならないのであるし、またそんな閣僚を任命した総理大臣なのだ。

 

 以上の理由を踏まえながら、超党派委員会は、次の役割を果たすのである。

 

⑴ 国民会議委員の募集とその設立

全国から「新生国家建設のための構想づくりに愛国心と強い責任感のある人々」を募集し、その中から次の条件を確約できる人のみを、徹底した透明性を維持した中で、社会のすべての階層から満遍なく選任する。

 なお、超党派委員会は、男女の多様な意見を取り込むために、国家を構成する個々のシステムあるいは制度の設計に参加する国民会議の委員として選任する数は男女同数とする。

ただし、その委員の選任に際しては、現行の社会システムにおいてすでに利害関係を有する者は除外する。

①公平中立の立場で、基本理念を羅針盤として、国家の社会システムや制度の設計に貢献する。

②会議の途中経過について外部に公表できるのは国民会議議長のみとし、各委員は決して口外しないこと。それは、いたずらに国民の間に混乱を生じさせないためである。もし、口外したことが明らかになった場合には、それまでのその委員に国家から支払われた報酬はすべて没収されること。

③招集の連絡があった際には、毎回参加し、討論に加わること。

④また、国家の社会システムや制度を設計してゆく際、既存の現行法との関わりには一切こだわらずに、総合的に見て最良と思われる案を忌憚なく提案できる。なぜなら、国を生命主義の国家とするには既存の法体系は何れにしても全面的に書き換えねばならないことだし、また、後に成立した法律が既存の法律に優先されるからである。

⑵ 国民会議議長の選任

 超党派委員会は、集まった国民会議委員の中から、「互選」という形式で、国民会議を代表する議長を選任する。

⑶ 各分野の専門家の選任

 国民会議の委員が国家の個々のシステムあるいは制度の設計のために議論する際、専門的立場から助言や情報を的確に与えられる専門家をも、全国から、徹底した透明性を持って、公正に選任する。

⑷ 国民会議の法的位置付け

 国民会議は現行の国のあり方や諸制度を超えた新国家を建設する上での構想を立案することのみを使命とする国民各層の代表から成る機関であるゆえに、超党派委員会は、国民会議に対して、新国家建設構想に関するその権威は立法機関としての国会の権威と同等であり、同時に、その権力は他のあらゆる国家権力機関から完全に独立しているものとして、立法をもって位置付ける。

ただしその国民会議は、国内の政策、法律、予算を議論して議決することを主たる使命とする国会とは立場を明確に異にする。

 

Ⅱ 国民会議による新国家の建設構想の立案に着手する際の基本的な考え方と方法

⑴ 新国家建設構想の基本的な理念と新国家の「目的」と「理念」と「形」の確認と最終検討

国民会議の各委員が選任されて国民会議が設立されたなら、国民会議議長(以下、議長)の下で、委員全員で、先ずは新国家を構想する際の基本的な理念であり羅針盤と、その新国家が目指すべき「目的」と「理念」と「形」を確認し、同時に、それらの妥当性についての最終的な再検討を行う。

 その場合の基本理念とは、三種の主導原理(4.2節)と都市および集落としての三種の原則(4.4節)そして、人間にとっての基本的諸価値が持つ階層性(4.3節)である。

また、目指すべき新国家の「目的」と「理念」と「形」は第8章にて明らかにしてきたものである。

⑵ 新国家の建設構想の立案に際しての基本的な考え方と方法

 それは、一言で言えば、基本理念の連続性と一貫性の確保ということである。

具体的には、国家を構成する個々のシステムあるいは制度は互いに内的あるいは質的に連続性を持っていて、なおかつ、それらの個々のシステムや制度は、どれも、先の基本的な理念が持つ考え方や精神に貫かれていることである。

 この国は、明治期以来今日まで、国を構成するすべてのシステムや制度は、一つの理念のもとに連続性を持ち、一貫性を持つというようには作られてはおらずに、どちらかといえば、常に目先を見ただけの、あるいはよその国がとっているものをいいとこ取りしたモノマネでしかなかった。だからそこには、相互のシステムや制度の間には内的あるいは質的に連続性はなかった。いってみれば継ぎ接ぎだらけであり、すべてがゴチャゴチャだった。

 しかしそうなったのは必然でもあった。そうしたシステムや制度の基本を作ってきたのは、この国では、本来その役割を持つ国会ではなく中央行政府、それも明治期の官僚たちだったし、その国会も、中央政府も、当時の列強に侮られないようにと、形の上で、ただ追いつけ、追い越せとやってきただけで、本当の意味で民主主義や民主主義政治を実現する上では何を知り、何をシステムや制度として作らねばならないかということについては、民主主義政治の先達である欧米からは真摯には学んでは来なかったし、また、多分、全くと言っていいほど勉強もして来なかったからだ。そしてそうした状態を、この国のすべての政治家たちは、その後、官僚に依存していたいがために、今日までずっと放置してきたのだ。

 だが新国家においては、国土全体を、また社会全体を、法体系全体を、一つの理念に貫かれた連続的全体を成すようにするのである。つまり、国を成り立たせるシステムの各要素である経済、政治、教育、福祉(保健・医療・看護・介護・子育て)、科学、技術、文化、金融、財政、等々の全ての分野が、その根底において、共通に、「三種の主導原理」と「都市および集落としての三種の原則」そして「人間にとっての基本的諸価値が持つ階層性」に寄って貫かれている、となるのである。

 したがって、その「都市および集落としての三種の原則」により、それを実現するためにも、現状の47都道府県と1718の市町村の行政区画を解体し、地域連合体とに再編成することも国民会議の役割に含める。

 なおこれらの理念を実現する上で、専門的立場から国民会議各委員に助言する専門家も、各々は専門分野を持ちながらも、しかしそこに埋没したりそこだけに執着したりするのではなく、常に周囲との間で連続的一貫性を保つようにしながら、そして目指すべき国家の全体像を見失わないように留意しながら、助言するのである。

国民会議各委員の構想づくりにおける担当部署の決定

 国民会議を構成する各委員は、新国家の構想作りに着手するに当たって、自分の担当したい分野を自己申告し、議長はそれをできる限り尊重するようにして、各担当分野を決める。

決まった後、いよいよ具体的なシステムや制度の設計の作業に取り掛かる。

⑷ 構想立案期間

国民会議が新国家の構想立案に与えられる期間は二年間とする。

悠長に構えていられる時間はもはやこの国にはないし、人類にとってもないからだ。