LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

11.5 地域経済のしくみ————————(その2)

 

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           (当農園のトマト(大玉))

11.5 地域経済のしくみ————————(その2)

 ところで、共同体としての地域連合体内で「新しい経済」を実現させ実施する際、その理念に照らし合わせてみたとき、生産物の「分配」の面においても、とくに大切にしなくてはならないことがある。

それは、「新・人類普遍の原理」を指導原理の一つとするということから必然的に言えることではあるが、共同体に対して協働して納税をするすべての家庭に生活の糧を供給する際、生存必需品の分配と生活必需品とでは、その対価に差を設ける必要がある、ということである。

 つまり、生物としてのヒトが生きて行く上で絶対に不可欠な「食」や「水」という生存必需品の分配と、生存必需品とまでは言えなくとも、人が人間として暮らして行く上で欠かせない生活必需品である「住」「衣」そしてその「住」「衣」を支える「燃料(とくに薪)」「エネルギー(電力とガス)」の分配とでは、その分配に支払う対価は当然区別され、両者の間には差を設けなくてはならないということである。

たとえば、前者の物品の分配に対しては無料またはほとんど無料にし、後者の物品の分配に対しては原価を負担するだけでよいとする、というように。

そこで言う原価とは、それらを「生産」し「製造」し、「分配」あるいは「供給」するのに実際に要した費用に基づく価格という意味である。

 繰り返すが、ここで考えている経済と経済システムの下では、資本主義経済あるいは市場経済とは違い、「利益」「収益」というものは考えないのである。

そしてこのことは、この国の与野党の政治家という政治家すべてがその意味を明確化するどころか、その条文を今や完全に空文化または死文化すらしているこの国の現行憲法第25条の言う「全ての国民は」「健康で文化的な」「最低限度の生活を営む権利」としての「生存権」を、ここでの「新しい経済」は、すべての国民である地域連合体住民に確実に保障することを意味する。

 

 さて、農業・林業・畜産業そして水産業と、工業・商業・サービス業の間での調和した経済システムの構築の仕方は以上の方法によるとして、ではそれによってできた経済システムの中で、上記の生存必需品と生活必需品の生産および分配はどのようにして実現されるのか。

 次にそれを考える。

確認するが、その場合、生存必需品と言えるものは、「水(飲料水)」「食」であり、生活必需品と言えるものは「住」「衣」であり、またその、その「食」と「住」「衣」とを支える「燃料(とくに薪)」「エネルギー(電力とガス)」である。

 そこでこれらを順番に考察して行く。

1)先ず生存必需品としての「水(飲料水)」の確保の仕方と分配の仕方について

 「水(飲料水)」については、「食」と同様に生物としてのヒトには絶対不可欠なものである。それと同時に水は、地球が熱化学機関として健全に機能し続けることができるための作動物質(3.2節)としても決定的に重要なものである。

 ところがその水についての状況は、日本だけではなく、世界でも、近年、すでに危機的な状況にある。それは、人間による河川や湖沼の汚染によるものであり、それがまた海にまで及んでしまっているというのがその一例だ。また気候変動に因ってかつてない大干ばつが地球上のいたるところで生じたり、またそれまでは水源となって来た氷河が、多くの場所で融けるだけではなく消滅してしまったりして、その結果、飲料用の淡水が圧倒的に不足してきていることに因る。そのため、生態系は劣化し、風景も一変してしまっているところも多い。

 幸い、私たちの国は未だこれほどの事態には至ってはいないが、しかし、私は、農業をしながら感じるのであるが、日本も、近年、干ばつと言える状況が発生し始めて来ているように思う。それは雨の降り方の変化からそう感じるのである。

 少なくとも私が農業に従事し始めた20年くらい前まではそんなことはなかったが、今では、雨が降らないときには、畑の野菜の根っこの附近まで土壌がカラカラになるほどに降らないという状態が続くことがある。その一方、一旦降るとなれば、まるで砂漠のスコールかというような様相を呈し、畑の土壌のうち栄養的にもっとも肥えた表土が押し流されてしまうほどに降るのである。

 こうした気象の激変により、野菜栽培も、そして聞くところによると果樹栽培も、これまで以上に栽培管理に手がかかるようになって来ている。

 ところでこの国は、国土の67%———今でもそうであるかどうかは疑わしい———が森林に覆われた傾斜地であるが、その森林が、実は今やいたるところ荒れ放題となっているのである。それは、既述したように、それなくしては国民は生きることさえ出来ないモノを供給してくれる産業の1つである林業が工業あるいは工業を中心にして設けられているシステムに否応なく従属させられ、つねにその犠牲にされて来た結果なのだ­­­­­————例えば、値段が安いからというだけで外在を輸入しては、国内の林業を成り立ち得ないようにしたというのがその一例だ————。

 例えば朝倉市で1時間に129.5ミリというとんでもない降雨があり、前代未聞の被害を出した「九州北部豪雨」であるが、それがあれほどの被害を出したのも、ただ単に豪雨のせいではないと私は思う。むしろ日本の森林がきちんと管理されていなかったということが最も大きな理由なのではないか、とさえ思う。実際、被害地をTVの映像で見る限り、流木はほとんどが直線材であることから樹種は杉か檜といった針葉樹と思われる。それも間伐もされていないらしく、ヒョロヒョロの木だ。それでは根の張り方も狭く、また浅い。

 豪雨などに強い森林にするには、宮脇昭氏が強調するように、針葉樹だけではなく、根を広く、また深く張る照葉広葉樹も混ぜた混交林とすべきなのだ。そして下草刈りも間伐も適宜やる。そうすれば、山肌の保水力も格段に上がる。それは豪雨に強くなることだ。

 ところが日本中の人工林ではそれが出来ていない。農林水産大臣はそうした状況を放置しっ放しだし、国土交通大臣は無関心なのだ。というより、大臣という大臣は、全て官僚任せにし、官僚のシナリオに乗っかるだけの操り人形なのだ。

 だから土壌の保水力の乏しくなったそこへ大雨が降れば、土中に浸透した雨は、そこに蓄えられることなく山肌の土壌と一緒になって流れ出してしまう。それが土砂崩れである。そこには当然大小様々な岩石も混ざる。

 その岩石の混ざった大量の土砂は、河川に流れ出れば、土石流となって一気に河川を下る。その時はかつて建設省が上流や中流のいたるところに設けてきたコンクリート堰堤や砂防ダムなどアッと言う間に土砂で埋め尽くしてしまう。水力発電所のダム湖の湖底もたちまち浅くして貯水能力を激減させてしまう。

 こうなるのも、森林を先ずきちんと管理して、山、とくに源流域や上流域の森林を強固にすることに目を向けず、国土交通省農林水産省林野庁)がバラバラに自然を「統治」して来た結果だ。そしてこれも、この国の政府の府省庁間の、“他の省庁の管轄に踏み込まない”ことを暗黙の了解事項とする「タテ割り制度」がもたらしたもので、結局はこの国が「合法的に最高な一個の強制的権威によって統合された社会」としての国家には未だなっていないからだ。

 こうした上中流域の森林の事情は、とくに夏場など、少しの間雨が降らなければ、すぐに川の水を枯らしてしまうか水量を激減させてしまうことを意味する。

 それは河川に棲む水生生物に対してはもちろん、中流下流域での水田での稲作にも深刻な影響をもたらすことになる。そして同時に、都市部の人々が生きるための水瓶であるダム湖の水量にもたちまち危機的状況をもたらすことにもなる。

 私たち国民は、この国の命の「水」は今こうした状況にある、ということを知っておく必要がある。

 そこで、ここでの主題である、「水」を巡って、今後想定される巨大台風や集中豪雨あるいは干ばつ等のいずれにも対処できるようにするにはどうしたらよいか、ということになる。

それはまた、「飲料水」はどのようにしたら安定的に確保できるか、地球が熱化学機関として健全に機能し続けることができるための作動物質(3.2節)としての水の自然循環は、どのようにして安定的に維持するか、ということでもある。

その際の基本的な考え方は、それぞれの河川の流域に暮らす人々が、祖国を愛する国民として、その河川の源流域での森林を、主体的に、協働で整備し管理することから始める、ということだと私は考える。それを「真の公共事業」(11.6節)として行うのだ。

それは、「森林は農林水産省の管轄域」、「河川は国土交通省の管轄域」などといった官僚の側の都合でつくりあげられてきた、何ら法的裏付けのあるものではなく、単なる慣例でしかない「タテ割り」という自然や社会をバラバラに分断統治する行政制度のあり方がもたらした現状をことごとく克服するための事業である。

 それを成功させるために、今度こそ政治家が住民の利益代表として、住民の先頭に立ち、具体的にそれをどう進めるか住民の声を公正かつ公平に聞き、それに基づく最善の政策ないしはシステムを議会で決めるのだ。そしてそのシステムの下で、地域連合体のみんなで協働して「水」を守り、また確保するのである。

その際、執行機関である役所の役人は、公僕として、主権者のその働きに奉仕する役に回るのだ。

2)生存必需品としての「食」すなわち「喰い物」の確保の仕方と分配の仕方について

 その際の基本的な手順は次のようになる。

手順の第1:地域連合体内で確保できる品目を可能なかぎり拾い出す。

手順の第2:得られると判った喰い物のうち、どの品目が生存必需品に属し、どの品目が生活必需品に属するかを選別し、整理する。

手順の第3:地域連合体の全住民の数と構成を考慮しながら、その人たち全員が少なくとも1年間を通じて、生きて、暮らして行けるための必要十分な各品目ごとの量または数を、質をも考慮しながら算出する。

手順の第4:それらの生産方法または確保方法を検討し、計画を立てる。

その際、他の地域や世界で行っている方法を単に真似をするのではなく、あくまでもその土地に固有な地理的、地形的、地質的、気候的、気象的、人口的、人口構成的、文化的、歴史的な諸条件や諸状況に着目し、その諸条件や諸状況を最大限生かすようにして生産する。

それでもどうしても実現することが不可能な場合、そのとき初めて他地域の方式を導入することを考える。

手順の第5:生産ないしは栽培の実施。

ここには、収穫までのすべての管理作業が含まれる。

手順の第6:生産物の収穫。

手順の第7:収穫物の住民各個人または各所帯への分配

その際、各個人または各所帯ごとに分配される生存必需品の種類と量、生活必需品の種類と量を、予め決められていたとおりに区分けする。

 

 以上が基本的な手順であるが、具体的には次のようになる。

手順の第1について

1.地域連合体の全人口の実態把握

 その地域連合体(以下、単に連合体と記す)に属する全人口とその年齢構成と一人ひとりの健康状態を調査する。

2.地域連合体内で必要とする品目、確保できる品目を可能なかぎりの拾い出す。

ただし、その場合、「三種の指導原理」からも明らかなように、農業と林業と畜産業と水産業のいずれであれ、化学的に合成された農薬あるいはそれに類する薬物は一切用いないで得られるものに限って拾い出す。

また、その場合、農業における栽培法においては、化石燃料を燃やして加温しながら栽培する、いわゆる「施設」の中での栽培という方法を採らず、あくまでも直接の太陽光の下で栽培する「露地」栽培を基本として、そこから確保できる品目だけに限定する。

また、まさかの時の補助的喰い物をも拾い出す。「まさかの時」とは、凶作時や干ばつや台風等の自然災害に因り予想外に確保できなかった時をさす。

 なお、ここでは「喰い物」の中には食用油をも含める。

 そこで農業分野から期待できる「喰い物」とはざっと次のようになると考えられる。

穀類、野菜、果実、キノコそして食用油の原料となる植物である。

穀類、野菜、果実についてその具体的な産物を挙げると次のようなものになる。

 米、麦(とくに小麦)、ソバ、ヒエ、アワといった穀類。

 小松菜、ほうれん草、ベカ菜、辛し菜、キャベツ、ブロッコリー、白菜、セロリ、シソ、モロヘイヤ等の葉物野菜。

 ジャガイモ、玉ねぎ、サツマイモ、大根(各種)、ニンジン、カブ、里芋、ヤーコン、レンコン、コンニャク等の根菜類。

 キューリ、ナス、トマト(各種)、ピーマン(各種)、カボチャ、苦瓜、白瓜等の果菜類

 さらには、リンゴ、柿、梅、ブドウ、スイカ、イチゴ、ナシ、サクランボ、キウイ、ブルーベリー、ミカン、プルーン等の果物類。

 食用油になる植物としては、小松菜、ベカ菜、辛し菜等の黄色い花の咲くいわゆる「菜の花」野菜のタネ、ひまわり、ゴマ、エゴマ、そしてオリーブ。

なお、食用油は同時に「燃料」にもなりうる。「燃料」とは、暖房に用いる際のもの、台所での調理に用いる際のもの、風呂を沸かす際のもの、その他農耕用や木材搬出用を含めた自動車用と重機用のもののことである。

 林業分野から期待できる「喰い物」とは、たとえば各種キノコ類、タケノコ、クリ、クルミ、山ブドウ、トチの実、アケビ、蜂蜜、蜂の子等々であろう。

 畜産業の分野から期待できるものは、家畜の肉、乳類、玉子類であろうか。

その際、飼育できる家畜の種類としては、豚、鶏、牛、馬、羊、山羊等となろう。

なお、これらの家畜の中には、皮革、羽毛といったものをもたらしてくれるものもあるし、馬のように、ゆくゆくは農耕に、あるいは連合体内での交通手段となってくれるものもある。

 水産業の分野からは、その地域が海辺であれば、魚介類等の海産物のすべてが、内陸部で、河川であれば、可能な限りの種類と量の淡水魚類とその他の水生生物全般ということになる。

ただしその場合、河川という河川は、地域の住民が「真の公共事業」の一環として総出で参加して、きちんと「整備」しては「浄化」し、また流域の家庭からの排水には合成洗剤や農薬等の化学合成物質、抗生物質、重金属などが一切混入しないよう規制する。そして河川では、可能な限り、流れをせき止める堰やダムの類いは撤去しながら、積極的に多様な淡水魚またはウナギ等の回遊魚を養殖する。

 また、その地域に湖沼があるならば、そこから水揚げされる可能な限りの種類と量の淡水魚やその他の水産物全般ということになる。

ただしその場合も、その湖沼は地域の住民が「真の公共事業」として総出で「整備」「浄化」するのである。

 その場合の「整備」とは、たとえば次のようなことをすることを意味する。

空き缶、ガラス瓶やその破片、ビニール袋類等を含むプラスティック類の撤去。物質循環を遮断する構造物の解体またはその構造物に通路を設けること。コンクリート護岸の自然護岸への改修、コンクリートでできた河口堰を含む堰や砂防ダムの解体または貫通路の設置。

 もちろんその河川や湖沼の特定範囲では、公的に許可を得た者以外は、魚釣りや水生生物の捕獲と採取は厳禁とするのである。

 またこうすることにより、回遊魚は海から河川の上流域または源流域まで遡れるようになり、山の大型動物(熊、狸、狐、鷲、鷹等)はそれだけを喰っても生きられるようになる。そうなれば、中流域での田畑での鳥獣被害をも減らせることが期待できるし、彼等をむやみに「駆除」しないで済む。

 このことは、林業分野でも同様で、現行のように針葉樹だけを植林するのではなく、そして放置するのではなく、照葉広葉樹との混交林にして山林を整備し管理する。具体的には下草刈り、間伐、枝打ち作業である。そうすれば、山は豊かになり、保水力は高まり、かなりの集中豪雨にも耐えられるようになり、餌が豊富になれば野生動物もそこだけで多様に棲息できるようになる。それは、人里での野生動物被害を最も自然な形で激減させられることを意味する。

 なお、その他、連合体のある地域内に田んぼがあって、そこに水を張ることで自然養殖が期待できる魚貝類があるならば、それらをも「地域の喰い物」の中に挙げる。

 こうした仕方で確保できると期待できるのは、ハヤ(ウグイ)、オイカワ、ドジョウ、ウナギ、ナマズ、鯉、沢蟹、ザザ虫、ミョウガ、であろうか。特にその地域が海に面していれば、これらの他に、現在、市場に出回っている沿岸魚介類のほとんどすべても含まれるであろう。

 そして次には、これらの農・林・畜産・水産業から得られる「食」のうち、どの季節にはどれが穫れるかを分類する。

 さらには、農・林・水産・畜産の4種の産業から得られる喰い物を基にして、連合体の位置する地域の気候風土の下でそれらを加工して得られると期待できる副産物についても、可能な限りたくさん拾い出す。

ただし、その場合、大規模な工場あるいは設備でなくても確保できるものであることが条件となる。

 具体的には、醗酵食品であり、醸造食品であり、薫製食品類等がある。

これらは、いずれも、保存可能食品となり得る。

たとえば、味噌、醤油、豆腐、納豆、酒、焼酎、どぶろく、ビール、ジャム、魚類の薫製、チーズ、バター等。

 こうして具体的に挙げてみると、いま私たちが日常食べている喰い物のほとんどすべてを、何とかそれぞれの地域連合体内で確保できそうであることが判ってくるのである。

手順の第2と第3については、基本のとおりである。

手順の第4について

 それら各品目の生産方法または確保方法を検討し、計画を立てる。

その計画を立てるのは、政治家のコントロール下で動く公務員(役人)である。

 具体的には、たとえば、次の手順で進める。

 ⅰ 各品目ごとに確保または収穫できる時期を明確にする。

 ⅱ その各品目ごとに、連合体の全住民が必要とする全量または全数を算定する。

 ⅲ その必要全量または全数を確保するために栽培ないしは確保を中心となって担当してくれる人々(農業者、林業者、水産業者、畜産業者)を公募する。

なお公募しても必要人数が集まらない場合には役所からお願いして生産担当者を決める。

 ⅳ 担当者は各自が担当する喰い物の種類の全量を生産または確保する準備をする。

 なおその喰い物が農産物のときには、それらの栽培ないしは生産に必要な農地の全面積を、担当してくれる人々に割り出してもらう。

その場合、できるだけ、耕作放棄地を活用する。

 ⅴ 連合体の政府は、喰い物の生産または確保を手伝ってくれる人々を公募する。

その中には、農業機械を扱える人、またそれを修理できる人、資材・道具・収穫物を運搬する車を扱える人をも含む。

 なお、そこで言う「喰い物の確保または生産に必要な資材・道具・機械類・タネ類・各種農業機械・農耕機械・運搬車」については、その必要量または必要数のすべてを、共同体の役所(の公務員)が議会の決定に基づく予算の下で用意し、生産を中心となって担当してくれる者に無料で貸与または供与する。

たとえば、種まき機、トラクター、田植機、草取り機、草刈り機、稲刈り用のコンバイン、麦刈り用のコンバイン、大豆の刈り取り用ハーベスター、米・麦の乾燥機ともみ摺り機と選別機、各種産物の搬送車、等々がそれである。

そしてこれらの機械の操作の仕方、運転の仕方、保全管理の仕方等々について、事前に講習を受けられるシステムを政府の側が整えておく。

また、生産または確保に携わってくれる人々やそれを手伝ってくれる人々には、然るべき指導者の下で、事前に、一定程度の実地講習を受けてもらっておく。これも役所の役割である。

 ただし、生産または確保の手伝いをしてくれる人々の数が多くなってくるにつれて、大型機械に拠る生産・確保から次第に小型機械に拠る生産・確保へと移行し、最終的には、ほとんど人手のみに拠る生産と確保へと、順次、移行して行く。

 つまり、大型機械による大量生産方式から、最終的には、燃料をほとんど使わなくて済む大量の人々の協働による計画的大量生産方式へと移行して行くのである。

これも、本質的に「三種の指導原理」と「都市と集落の三原則」と「人間にとっての基本的諸価値の階層性」とが一体不可分となった「環境時代」でのヒューマン・スケール化を重視した「新しい経済」を実現させるための必然的な過程と言える。

手順の第5について

計画に沿った生産ないしは栽培の実施の段階である。

 ここではそれぞれの喰い物の確保または生産の役割を中心となって担うことになった人の指示の下に、生産ないしは栽培を行って行く。

その際、収穫前までに行う作業としては、農業で言えば「草取り」「草刈り」「水やり」等である。あるいはこれからの気候の温暖化と紫外線の強化の中での農場での野菜の損失を防ぐための種々の管理作業である。

林業で言えば、「下草刈り」「間伐」「間伐材下ろし」「木を枯らす虫の駆除」「植林」といったものである。水産物そして畜産物の確保については、担当者の指示に従って作業をする。

手順の第6について

この段階ですることは、生産物を収穫または確保することである。

収穫物は一定の公共集積所(公共貯蔵庫)に運搬される。

その際、収穫または確保した生産物を直ちに食するものと、一時的に保存するものとに分ける。

 なお、食用油になる植物からは、収穫した植物ごとに異なった油として、精製後、確保し保存する。

手順の第7について

 公共集積所に集められたそれらを、予め定められていた種類と量ずつ、住民各個人または各所帯へ分配する。

 ただしその場合、各支所では、収穫物をただ配給すればいい家と、事情があってすぐに食べられるように料理した後に配給しなくてはならない家とに分ける。料理しなくてはならない家の分は料理する。

 これらの準備が出来たところから、各戸に配給する。

 

 以上が生存必需品の確保の仕方と分配の仕方についてであるが、生活必需品の確保の仕方と分配の仕方については、「地域経済のしくみ」の(その3)に続く。