LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

5.2 日本人の生き方は「お上」と呼ばれた官僚を含む役人一般から見倣った生き方——————その2

5.2 日本人の生き方は「お上」と呼ばれた官僚を含む役人一般から見倣った生き方——————その2

f:id:itetsuo:20201001102956j:plain

以下は、前回の「その1」に続くものです。

(以下のリンクから飛んでいただけます)

 

itetsuo.hatenablog.com

 

 

前回では、世界の民主主義国の人々からは異質と思われてしまうようなものの考え方を、また生き方をなぜ私たち日本国民の多くはするようになってしまったのだろうかということを考える上で、あらかじめ私は6つの問いを発した。

「その1」では、そのうちの初めの4つまでは、私なりに考えるその答えを説明してきた。

 

今回の「その2」では、残る2つの問い、————(第5の問い)としての、なぜそのようなものの考え方や生き方が日本の社会では誰からも疑問も持たれずに当たり前になってしまったのであろうか。そして(第6の問い)としてのそうしたものの考え方や生き方は日本の社会に結果として何をもたらしたのであろうか————に対する答えを、やはり私なりに説明しようと思う。 

まずは、その第5の問いに対する私の答えの説明からである。



日本国民をしてそうさせ得た秘策には私は少なくとも三つあったと考える。

一つは、権力保持者聖徳太子が政争明け暮れる国内を束ねるために「十七条憲法」をもって打ち出した、「和の精神」である。

二つ目は、豊臣家を滅ぼして全国統一を成し、その後260年余続くことになる江戸時代の基礎を築いた徳川家康が打ち出した「喧嘩両成敗」という統治策である。

そして三つ目は、幕末、水戸藩の学者会沢正志斎が、その著「新論」をもって当時の支配者に授けた庶民・国民に対する統治の仕方の真髄としての秘策、「知らしむべからず、依らしむべし」である。

以上の三つを順を追って説明する。

 

一つ目について。

その第1条にはこうある。「和を以て貴しとし、忤(さから)うことなきを宗とせよ」。

この「和」という言葉が、1400年近くを経た今日もなお、日本中のいたるところで目にし、耳にするところからも、その効果の大きさのほどが判ろうというものだ。

 

二つ目について。

この統治策が教えていることはこういうことである。

「喧嘩は社会の平安を乱す行為だ。その喧嘩をしたなら社会の平安を乱し騒ぎを起こすことになるのだからどっちが正しい悪いの問題ではない。だから喧嘩をした両者を成敗する。」

「成敗」とは「懲らしめること」、あるいは「裁き」「取り計らうこと」広辞苑第六版)である。

こうなれば、誰かとの間で問題が起こって険悪になったとき、一方の自分はどんなに正しいと思い相手の方に非があると思っても、その相手と喧嘩をしてしまったなら、事の顛末をどんなに権力者に説明しても判ってはもらえず、却って自分の方も一緒に悪者にされて処罰を受けることになってしまう。

そうなれば、先ず普通の人だったら堪えてしまおうとするだろう。“たとえ罰せられようと、正しいものは正しい、理不尽なものは理不尽なのだから”といった信念で喧嘩も辞さないとするのは難しくなる。

そしてそうしたことが繰り返されてゆけば、そのうちには、社会の中には、正義を問うことも、何が正義で何が悪かといった判断をすること自体も「そんなことで悩んだってしようない」とする風潮がはびこり、「泣き寝入り」しなくてはならなくなる。

またそうなれば、自分がどんなに肉体的あるいは精神的に苦痛と感じられる扱いを受けても、あるいは自分がどんなに人間としての尊厳を踏みにじられても、行為に訴えることはできず、ついには、“何を言っても無意味だ”、“我慢するよりない”となってしまう。

そこではもはや、理不尽を訴える気持ちは萎縮し、苦痛を苦痛として感じ取る感覚も麻痺してしまい、その苦痛をもたらす相手の攻撃を斥ける勇気も萎えてしまうだろう。さらには、自分には人間として侵されてはならない尊厳があるということすらどうでもいいことになってしまうかもしれない———もちろんその時代には、「人間の尊厳」などという概念すらなかったのであるが———。

 

三つ目について。

これは幕末、水戸藩の学者会沢正志斎が、その著「新論」をもって当時の支配者に授けた次の秘策の中の真髄だ。

「一般庶民には国家のルールが厳然と存在することを認めさせ、そうしたルールが彼らにとって良いものであることを理解させよ。だが、そうしたルールがいかなる内容のものであるかは彼らに知らせるべきではない」(K.V.ウオルフレン「愛せないのか」p.85)。

要するに、“庶民には政治の上での、あるいは統治する上での真実は明かすな。しかし、国家あるいは世の中には庶民が守らねばならない規則が厳然としてある、しかもそれは庶民にとって良い規則なのだとだけ説明しておけばいい。その中身については知らせる必要はない”、というものである。

会沢正志斎こそ、当時の支配者に彼等の地位の安泰の図り方を教科書をもって教えた最初の人物だった。

そしてこの秘策こそ、その後今日までつづく、官僚や役人の庶民・民衆・大衆・平民の統治策の基本となったものなのだ、と私には考えられる。

しかし、近年、国民に対する統治策という点では、この会沢正志斎の秘策よりもはるかに手の込んだ、陰湿で、卑劣な策としての法律が安倍晋三政権の下で成立してしまった。

特定秘密保護法」という法律のことである。政府にとって都合の悪い情報は「特定秘密」だからと役人が指定することで隠してしまうことができる法律であり、国民の「知る権利」を奪うことを目的とした法律である。しかもその場合、何を根拠に特定秘密と指定するのか、その規準がきわめて曖昧なのだ。というより、恣意的裁量を可能とするために、故意に不明瞭にしてあると思われる。

したがって、市民やジャーナリストが情報をとろうとすれば、それだけで罪に問われる可能性をも秘めた法律だ。しかも、複数者で秘密を漏洩させることや情報をとろうと協議しただけで、「共謀罪」まで適用されてしまいかねない法律だ。

しかもこの法律は「ムチ」という厳罰だけではなく「アメ」をも用意している。それは、自首すれば刑を軽減あるいは免除する、という規定をも盛り込んであることだ。

だから、スパイを団体内部に潜り込ませ、その内部で煽動したり、あるいは内部のある特定の人物だけに自首を働きかけて内通者をつくったりすることで、事件をでっち上げることもできる。囮捜査も可能とさせるものだ。

こうして、「特定秘密保護法」という法律は政府にとって不都合な団体を弱体化あるいは瓦解させることもできる法律なのだ。しかも多くの冤罪をもつくり出す可能性も高い法律である。

 

ところで

こうした法律を、本来、国民の「生命・自由・財産」を第一に守るべき使命を担っているはずの、国民から選挙で選ばれた国会議員が、国会で成立させてしまったのだ。

この法律の成立に執着して精力的に進めたのが安倍晋三だったのだが、そもそもこの法律は安倍の独自の着想になるものではなく、その筋書きを作り、法案を作ったのはここでもやはり官僚だったと私は推察する。

その動機は、安倍も官僚も同じで、国民に対する恐怖だったのだろうと推察する。

つまり、この国は、すでに本書の随所で触れてきたように、統治体制が至る所で不備なために、本当の意味での国家では決してない。最終的な政治責任を負って、全政府省庁の官僚たちを統括しながら指揮あるいは指示を発せられる人間も部署もこの国にはいないのだ。つまり船長不在の国なのだ。
だから政治家たちはよくシビリアン・コントロールなどと口にはするが、実質的には内閣総理大臣という立場をも含めて、政治家(閣僚)にはこのコントロールをやりきれる者などいない。そのような訓練もしていなければ、非常事態のとき対処しうる戦略もない。

そしてそれは何も今に始まったことではない。この国がアジア・太平洋戦争に突入する以前からずっとそうだった。だから、自衛隊違憲か合憲かはともかく、事実上軍隊であるそれの動かし方1つ満足に知らないし、動かせないのだ。だから、外国船との間の小競り合いが生じたときとか、PKOでの現地での自衛隊の指揮を満足に取れないのだ。

だからこの国に、近い将来、どういう形であれ大惨事が生じたとき、阪神淡路大震災オウム真理教サリン事件や東日本大震災の時以上に、首相や閣僚そして官僚たちには統治する自信がく、無政府状態になるのが恐怖なのだ。それは、明治期以来の官僚の心理と少しも変わらない。

そもそもこの国の政府は、政府とは言っても、国民の代表つまり政治家からなる本物の政府ではない。国民の信頼と支持に基づく政府ではない。そうではなく、事実上官僚とその組織に乗っ取られた政府だ。その官僚らは組織としての記憶も手伝って、国民を信頼などしてはいない。むしろ国民をいかに自分たちに都合よく働かせ、経済を発展させて、自分たちの地位を安泰にさせるかということで、国民をごまかし通してここまでやってきただけなのだ。

要するに安倍も官僚も、公的な立場とは言え、自分たちのやっていることが国民に知られなければ知られないほど、何をやるにも好きなようにできるから好都合なのだ。国民・庶民は、そのものの実体を知らなければ知らないほど、そのものに畏れや不安を抱いてくれる。「理由も実体も判らないが、何かがあるんだろう」と。

人間の不安は無知から生まれるのだし、その無知は恐怖をもたらすからだ。そしてそういう人々の不安と恐れを抱く心理は、権力者に対して立ち上がろうとする気力をも抑止する。

それこそが正に「新論」が権力者に教えているところなのである。

その抑止力を一層高めるためには、「何事にも無関心であることがいい」、「何事も、曖昧がいい。物事、そう簡単に白黒決着付けられるものではないからだ」等々といったものの考え方や生き方を国民に吹き込むことが効果的なのだ。その方が、自分たちの地位を安泰にしてくれるからだ。

 

そこで第6の問い、「そうしたものの考え方や生き方は日本の社会に結果として何をもたらしたのであろうか」の答えについてである。

その答えについては、私はズバリこう結論づける。

相互不信と、人により程度の差こそあれど、精神を歪ませられた人々の急増である、と。

それは当然であろう。他生物とは違い、感情と精神を持つ人間は、本来のあるべき自然の状態を恒常的に抑圧され続けたなら、それをもたらすものに対する憎しみの感情と精神に何らかの異常をきたし、いびつにさせられてしまうと私には思われるからだ。

だからそういう社会では、人は互いに、人間として尊重し合えない。

だからそういう社会では、人は互いに、真に強固な絆では結ばれ得ない。

だからそういう社会は、耐性のある社会を築き得ない。

和気あいあいとしているのはあくまでも表向きのこと、上辺だけのことだ。語り合い、議論しているのはあくまでも建前についてだ。本音ではない。真実についてではない。

だからそういう社会では、お互いを深いところでは理解し合えないし、共感もし合えない。

だから結局、回り回ってその社会は、互いに、信頼し合えない社会となる。

深いところで信頼し合えなければ、何事も本当の力を発揮し合えないし、始めてもすぐに崩れてしまう。

では、そもそも人が他者を信頼するとは、あるは互いに信頼し合うとは、どういうことであろう。そしてそれはどのようにして可能となるのだろう。

辞書には「信頼」とは、信じて頼ること、とある広辞苑第六版)。

しかし人が人間として社会に生きる場合、信頼についてのその説明だけでは到底不十分なのであって、たとえば次のように理解するのがより納得しやすいのではないか、と私は思う。

「こちらが黙っていても、その人がその人に与えられた社会的あるいは立場上の役割や義務をきちんと理解できていて、それらをきちんと果たすことができ、その結果としての責任をもちゃんと取れるとこちらが信じることができること、あるいはそのことをこちらもその人も互いに信じ合えること」、だと。

この国では、とくに最近、そこらじゅうでたとえば次のような事態が続発している。

企業による検査データの改竄、著名学者による実験データの改竄と捏造、政治家の公約不履行、政治家の使命放棄、首相による約束事(憲法)の無視と破壊、官僚による公文書のずさんな管理、官僚の権力の恣意的行使、自動車メーカーや家電メーカーに拠る自社製品のリコール等々。

こうなるのもこの国では「信頼」が、言葉だけで、とくに上記の意味での「信頼」として理解されていないからではないか、と私は思う。この国の学校教育でもそれを教えてはいない。言葉だけだし、その言葉の意味についても判ったつもりになっているだけなのだと思う。

人間相互の真の信頼関係は、互いに「本音」つまり「真実」を語り合っている者どうしの間にのみ成り立つものだと私は考える。社会についても同様で、その社会がその構成員一人ひとりにとってどれだけ信頼しうるものかどうかは、構成員一人ひとりが常にどれだけ本音で、つまり真実を語っているかどうか、また真実を語り合える状況になっているかにかかっている。

それはそうであろう。真実でないものに対して、「建前」を言い合うだけの関係で、人はどうして信じられようか。

だから、今のままであったら、この日本という国はますます上記した意味での社会の国となって行って脆弱になるし、国際社会からも信を失って行くことになるのは必然だ。

それは、それだけ自分で自分(自国)を危機に陥れて行くことなのだ。

 

以上のことから、本節冒頭の6つの問いに対する答えはすべて得られたことになるのではないだろうか。

なお私は、最後にこれだけは補足しておかねばならない。

それは、5.1節にて述べて来た私たち日本国民一般のものの考え方と生き方の特徴は、歴史的に権力者から植え付けられ、また自らもそれを受け入れて来たものであるとは言え、私たち国民も、もし彼等官僚と同じ立場、同じ状況の中に立たされたなら、その時は、それまで官僚を批判し非難して来た人々も、私自身も含めて、同じように振る舞う可能性が極めて高いということだ。

それは、私たち日本国民の大多数は、小さい時から、家庭でも学校でも、また社会でも、また組織の中にあっても、「和」や「協調性」あるいは「波風を立てるな」ということを頭の芯にまで叩き込まれ、個を確立させることもなく、みんなと一緒に同じように振る舞うことや横並びを良しとして、集団の中に埋没して生きる生き方をしてくることにこれといってさしたる疑問も違和感も持たずに来たのだからだ。そしてそれを、そのように仕向けてきたのはやはり官僚であり役人なのではないか、と私は思うのである。