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八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

9.3 議会を三権分立の原則の上に立つ本物の「言論の府」とするために

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9.3 議会を三権分立の原則の上に立つ本物の「言論の府」とするために

 私は先ずはじめに次のことを明確にしておきたいと思う。

それは、本節の以下に述べることは、国会においてであれ、都道府県議会そして市町村議会においてであれ、すべての議会に共通して言える、ということである。

ただ、国会は拘束力を持つ法律を制定する機関、地方議会は、法的な拘束力は持たないが、住民の意思を総意として反映した条例という、その地方公共団体としての最高のルールを制定する機関、という違いがあるだけである。

 さて、この国の国会は、日本国憲法が第41条で規定しているような国権の最高機関という立法府としての機能を十分に果たし得ているだろうか。

もちろんここで国会が国権の最高機関であるとされる根拠は、国民から選ばれた国民の代表が集まって、民主的に議論して、全国民に共通に、また公平に適用される拘束力のある法律を制定できる国の唯一の立法府であるがゆえである。それはジョン・ロックにいわせれば“他人に対して(拘束力を持つ)法を定めることのできる者は、その者に対して必ず優越していなければならぬからである”(「市民政府論」岩波文庫 p.152)。

 しかしながら、既述のとおり(2.2節)、日本では、戦後から現在までのところ、国会は本当の意味では立法をしていない————多分、明治期から戦前までもそうであろう、と私には推測される————。政治家は、国民から、当選したならば、自分が掲げた公約を国会に行って、ぜひ政策や法律として実現して欲しいと支持され、また乞われたがゆえに政治家になれたのだから、政治家になった以上は、議会にて、国民と交わした約束であるその公約を立法化しなくてはならないし、むしろそれこそが政治家としての最大の役割だし使命のはずなのに、この国の政治家は、政治家になってもそれをしないのだ。

 これは、すなわち、この国の政治家は揃って国民を裏切っているということであるし、「国会は国の唯一の立法機関」としての機能を果たし得ていないことでもある。

 それどころか、法律を作るための議論らしい議論もまったくしてはいない。しているのはただ「質問」だ。それも、三権分立という政治原則を公然と破りながら、執行機関である政府側の者を議場に招き入れては、彼らに向っての質問である。

 日本国憲法を読んでみると、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、・・・、議院に出席することができる。」とある(第63条)。また、「答弁または説明のため(国会より)出席を求められたときには、(内閣総理大臣その他の国務大臣は)出席しなくてはならない」とある(同条文)。

 つまり、内閣総理大臣その他の国務大臣が国会に出席することは義務ではない。もちろん義務であるはずもない。常時国会にいる必要もない。三権分立の原則から当然のことである。

この原則は、長い議会政治の歴史の過程での教訓に基づき生み出された先人たちの知恵の結果なのである。

それなのに、この国の国会の政治家は、それがあたかも自分たちの役目であるとでも錯覚しているのであろう、政府の者を招いては、それも、官僚までも招き、その彼らに質問しているのである————なお、こうした国会議員の政府に対する質問行為を称して、“議会が政府をチェックしているのである”と言う輩がいるが、それはとんでもない間違いだし錯覚である。チェック機能を果たすとは、もっと別のことだからである(2.2節を参照)————。

そしてそういう行為については、質問する方も、答弁する方も、誰も、いささかの疑問にも感じていない風でさえある。

 実は私は、こうなるのも、この国では、国会議員ですら、民主主義議会政治はどのようにして生まれてきたのか、また民主主義議会政治のあり方とはどうあることか、ということについて、いかに不勉強で無知であるかということの証左であると思っている。

つまり、彼ら政治家は、議会の政治家も、政府の政治家も、そうした民主政治の成立過程を勉強もせず、これまで、この国の先人あるいは先輩たちが明治期以来やってきたことを、やってきた通りに、何も考えずに、ただやっているだけなのだ。

 

 では、法律を実質的に作っているのは誰か。

それは政府の各府省庁に属する官僚たちだ————政治家たちが、国民を裏切って、彼らに国民から負託された立法権という権力を官僚たちに丸投げしている結果である————。

その作り方も、極めて問題があるが、そこでも、政治家は、国民の代表でありながら、全くと言っていいほどにコントロールはしておらず、官僚らに放任したままだと推測される。

 ここからは、あくまでも私の推測によるものであることをお断りしておきたい。

それはどういうことかというと、彼ら官僚は、自分が所属する府省庁に関わる法律だけを作っている。それぞれの府省庁、皆そうだ。そして、その内容も、官僚同士がはるか昔に決めた各府省庁の専管範囲という、いわば「ナワバリ」領域をはみ出して他の府省庁の専管範囲を侵犯しないように、そこは細心の注意を払って法案を作成している。

つまりこれこそが政府内組織間の「縦割り」の根源となる行為なのである。

 そうやってできてきた各府省庁からの法案は、最終的には内閣法制局と呼ばれる部署でその内容がチェックされ調整される。チェック項目は3つと考えられる。1つは、各府省庁から出された法案は、他の府省庁のナワバリを犯す内容となっていないか。2つ目は、各府省庁から出された法案の中身は、互いに重なり合った部分はないか、3つ目は、既存の法律との間で齟齬や矛盾がないか。

つまりここでは、各法案の中身が、例えば、国民の利益の実現を最優先するものとなっているかどうかということについては全くチェックはされない、と私は確信する。

 何れにしても、この内閣法制局も、立法府である国会に属する機関ではなく、執行機関である政府に属する一部署だ。

 ではそうやって作られた法律案はその後、どういうプロセスを経て、いわゆる「政府提案の法案」として国会に上程されるのであろう。

 それは、先ず各府省庁の官僚のトップである事務次官が全員集まる会議————かつてそれは事務次官会議と呼ばれていたが、今は事務次官連絡会議と呼ばれている。これも、国民の批判をかわすためでしかないと考えられる————に諮られる。そしてそこで全員の合意が図られた法案だけが、閣議に諮られる。

その閣議は、総理大臣と閣僚とから成る。

 では閣議に提出された法案は十分に議論されるのか。

とんでもない。議論という議論など全くと言っていいほどなされず、むしろ15分かそこらで終わってしまう、官僚のトップたちが提案してきた法案の、総理大臣以下全閣僚の事実上の追認式でしかない(菅直人)。それが「閣議決定」と呼ばれるものであり、時に、メディアに報道されるものだ———時折、NHKのTVなどに映し出される閣議に入る前の総理大臣を含む全閣僚の姿を見ていただきたい。両肘を掛けて深々とふんぞり返りながらいかにも得意げに居並ぶあの姿と姿勢を、である。これが、これから真剣に国民の福祉のための議論に臨もうとする者たちの姿と言えるのだろうか。なぜ、議論するのにあんな両肘をかけられ、ゆったり寄りかかれる椅子が必要なのであろう。なぜ議論するのに、討議資料を置くテーブルすらないのであろう———。

 とにかく、こうして「閣議決定」された法案が「政府提案」として国会に上程されるのである。時には、そのまま国会の審議や議決を経ずに、政府が独断で執行してしまうこともある。

それが許されざる独裁、である。

 ところが、ではこの後、国会はどうしているか。

それは、既述の通り、ただ政府提出の法案を巡っての、事前通告を前提とした、“あれはどうなっているのか?”、“これはどうなっているのか?” という類の政府側の者への質問であり、あるいは“総理の御見解を伺います”というお尋ねであり、それに対する総理大臣または閣僚の官僚の作文を読み上げる形での答弁だ。彼らが答えられなければ、官僚が直接答弁することもままある。

 このことから判るように、この国では、法律は実質的には執行機関の官僚がつくっている。

それは、国会の政治家が、選挙当選時以来、国民から負託された「法律を作ることのできる権力」という最高の権力を、国民を裏切って、そっくり政府の官僚に移譲しているからだ。

 では、なぜ法律を作る権力が最高の権力か。権力とは「他人をおさえつけ支配する力」であることを前提とするとき、ひとたび作られた法律は、例外なく全国民をおさえつけ、支配するものとなるからである。

 したがって、この国の国会は、断じて国権の最高機関となり得てはいない。国権の実質的最高機関となっているのは、これまでの記述からも判るように、むしろ政府だ。それも、政府の総理大臣や閣僚ではない。実質的な権力を持っているのは官僚であり、彼らの組織だ。

総理大臣や閣僚は、官僚のお膳立てに従って動かされているだけなのである。

 なお、このことを地方の議会と政府との関係に当てはめてみると、都道府県議会では、都道府県庁の役人がそれぞれの所属部署の専管範囲が他部署のそれを侵さないように作った条例案について、都道県議会議員による知事に対する質問が行われる。

また、市町村議会では、全く同様にして、市町村役場の役人が他部署の専管範囲をおかさないようにして作った条例案について、市町村議会議員による市町村長に対する質問が行われる、となるのである。

 

ところで、皆さんは、国会であれ、地方議会であれ、議会とは、本来、国民の代表が集う場であり、それだけに国であれ地方公共団体であれ、最高の権力機関であり、民主主義の殿堂とされ、言論の府であることを前提とするとき、その各議場での椅子の並び方や配置を見て、不可解に思われないだろうか。

たとえば国会の本会議場について。

 私は次の3点において、大いに疑問に思う。

1つは、本来は、常時いる必要のない政府の側の者が座る席がなぜ常設の席として設けられているのか。それもなぜそれらは、国会での政治家たちの座る席の真正面で、国会の政治家と向き合う形で設けられているのか、という点だ。

設けるのなら、もっと片隅でもいいのではないか、ということである。

1つは、しかもなぜそれら政府側の者の座る席は、国民の代表である政治家たちの椅子の位置よりも、高く設けられているのか、なぜ、高さに差が設けられているのか、という点である。

1つは、議会全体の流れを仕切る正副議長の席が、なぜ政府側の者が座る席に近い位置に設けられているのか、という点だ。

 

 そもそも三権分立を原則とし、しかも憲法でも国権の最高機関とされる国の唯一の立法機関である国会において、執行機関の者が決まって国会の中に国会議員と一緒にいること自体、既述の三権分立原則から違反していることなのだ。その上、その彼らは議員席の真っ正面前に、議員席に向かい合う形で、最高機関に準ずる執行機関の者なのに、国民から直接選ばれた国民の代表を見下ろすように、国会議員たちが掛けている椅子の位置よりも一段と高い位置に鎮座している。

 これは、明らかにおかしい。それに、実際、本物の民主主義の国であったなら、当然三権分立の原則を厳守しているが、それだけに、そのような国で、日本のようなこんな国会の議場形態を取っている国は、世界中どこにもない。

にもかかわらず、そんな議場の状態を“これはおかしいではないか”、と疑義を正す政治家は、私の知る限り、民主憲法になって以来今日まで、一人もいない。

 これも先に述べたこととも共通しているが、私は、この事実も、この国の政治家という政治家は、国会議員であれ、地方議員であれ、「議会」というものの民主主義政治が行われる上で持つ意義とその重大さが、やはり全くと言っていいほどに理解もしていないと断言できる証左だと思う。

そしてこうしたことも、現行の政治家という政治家は、やはり、一旦はどうしても辞めてもらうしかない、と私が強く主張する理由の一つとなるのである(2.2節)。とにかく議会を知らずに議会を開催しているつもりになっているのだからだ。

 

 実は、この配置関係は明治時代に、帝国議会としての国会開設当初(1890年)からのものなのである。

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関口宏のもう一度!近現代史『明治16年〜秩父事件伊藤博文が初代総理』

2020年1月11日(土) BS-TBS

 

 私は、議会がこうした配置関係になるのには、当時の明治政府の、もっと言えば、やはりここでも山県有朋の、ある明確な意図が働いていたのだと思う。

 自由民権運動や国会開設を求める運動が民衆の間に激化して来た頃には、明治政権設立当初の少数独裁者の中のとくに三傑と言われた西郷隆盛木戸孝允大久保利通は物故していた。山県有朋だけはその後、最も長く生き(大正時代の1922年まで)、元老として絶大な権力を持ち続けたのである。

 その彼は、国力を高めるために、徴兵制を導入し、日本陸軍を創設した。そしてその彼は、一方では、政治における代議制という考え方そのものを非常に嫌悪し、政党政治家を忌み嫌い、官僚を天皇のシモベの地位に置き、選挙で選ばれた政治家が日本の官僚制を決して掌握できないように一連の複雑なルールをつくったのである。山県有朋が「近代官僚制の父」と呼ばれるようになった所以である(K.V.ウオルフレン「人間を幸福にしない日本というシステム」毎日新聞社 p.139あるいは「日本という国をあなたのものにするために」角川書店 p.47)。

 私は、既述の帝国議会におけるこうした配置関係は、こうした考え方を持ち、しかも当時、伊藤博文と並んで政権内で最大の力を持っていた山県の影響力の下につくられたのではないか、と確信を持つのである。

つまり、国民から選ばれた代議士であっても、その彼らを官僚たちよりも下に置いて見る、という、山県有朋の歪んだものの見方に基づく議場設計がなされたのではないか、と。当時、近代西欧の文物がどんどん入ってきて、自由とか民主主義とか人権という考え方が広まりつつあったが、それをもひどく嫌悪する山県有朋だったのである。

 では議場の最前列に、議員と向かい合って、議員よりも一段と高い位置に坐るのは誰か。

いうまでもなく、天皇のシモベとされた明治政府の上層部の官僚たちであったろう。

とにかく、政府というものは、主権在君の下、天皇の権威を維持するためにのみあると考えている山県有朋にとっては、議会は、単に国の内外に近代国家の体裁を整えたとアピールするための、かたちだけのものでしかなかった。実際、その後山県有朋は、首相になった時、議会に対して「超然主義」をとった。すなわち、政府は議会の政党に影響を受けずに活動をするとしたのである(「関口宏のもう一度!近現代史 2020年1月25日 BS-TBS」)。

 そこで私にはまた疑問が浮かぶ。

では、そうした欽定憲法下の議会の配置関係が、民主憲法下の戦後になってもなお継続されているのか。そうでなくても、議会は、政治の行われ方を示す象徴的存在でもある。なのになぜ、それを、民主憲法下の今の政治家は問題としないのか、と。

 やはりこの事実からも明瞭なように、この国の政治家という政治家は、民主主義の国において「議会」というものの持つ意義とその重大さが全くと言っていいほどに理解もしていないのだ、と私は断言する。逆に言えば、この観点からも、この国は未だ真の民主主義の国にはなっていないということなのだ!

こんな状態の議場に少しの違和感も感じている風もなく、その議場で、議会の人間が政府の人間にひたすら「質問」してという様は、やはりこの国の政治家は、揃いも揃って「議会ごっこ」をしているだけなのだ、としか言いようがない。

 

 では国会を、文字どおり「言論の府」として、国民の代表だけによる本物の議論をしながら、各議員が掲げてきた公約を法律として実現する場とするにはどうしたらいいだろうか。

もちろん現行の議場配置は、根本的に変えるのである。

 その時の要点は9つあると私は考える。

なお、ここではもはや政党は存在していないことを前提としている。したがって「与党」とか「野党」といった概念ももはやない。

 

1つは、議会には執行機関である政府側の人間(総理大臣、閣僚、官僚)は一切入れないこと。

どうしても質問しなくてはならない場合もあるので、その場合には、限られた人だけが入って、議場の隅に設けた待機席にて待機してもらう。

2つ目は、議論し合う政治家同士は、二手に別れて、向かい合って座れるようにする。

3つ目は、その場合、誰もが、自由な席に座れるよう、各々の席には名札を置かない。

4つ目は、議論の流れを仕切る議長と副議長は、二手に別れた議論の集団の両者を見つめられるように両者の中間の端に位置する。と同時に、正副議長は、議場全体を眺められるようにするために、他の人々の位置よりも一段階高い位置に席を設ける。

5つ目は、書記は、正副議長の前に位置する。

6つ目は、議題と政策内容に関わる専門的知識について助言をしていただくために、あるいは関係資料を提供していただくために、議題に関係する多様な専門家が待機して座れる席を設ける。

7つ目は、補助員は正副議長の真正面反対側に、議論の推移を注視して座る。

彼らは、議論の進行に伴って明確になってくる必要資料およびデータを迅速にその議論の場に提出することを役割とする。

彼らは、その都度、議長からの指示を待って機動的に動くのである。

8つ目は、政府の役人が座る席も設ける。彼らは、補助員の要請に基づいて、必要な資料のすべてを、隠蔽したり改竄したりすることなく、ありのままを速やかに提供する義務を負う。

9つ目は、正副議長の背後に、議会の成り行きを監視し、また傍聴する国民の席を、正副議長の同じ高さあるいはそれより幾分高い位置に設ける。

 

 上記内容を補足するとこうなる。

 第1のそれは、まず三権分立を厳格に維持するためである。

 第2のそれは、一問一答形式のやりとりではなく、同じ人が何回でも意見を述べられるように、また同じ人が何回でも答弁できるような雰囲気を作り、前例や固定観念にとらわれない自由闊達な議論ができる場とするためである。

 第3との関係では、議論するのに、議員の序列や席順とか、当選回数とかいったことなど全く無関係だからだ。

 なお、議論する政策テーマごとに、議論に入る前の賛成側と反対側に分かれて向き合う、ということも考えられる。

その場合には、当然ながら、坐る場所は議論するテーマごとに換わることになる。

 第4の正副議長については、議事の進行を常に一般国民の立場と目線で仕切ることができるようにするために、一般国民とする。特に、その場合、大学の法学の専門家あるいは法曹界の弁護士が相応しいのではないかと私は考える。

 第5の書記については、議会が議会の責任において採用した人とする。

 第6の専門家あるいは知識人については、あくまでも議事進行過程で、議長あるいは議員の要請に基づいて、しかるべき助言をしていただいたり、あるいは資料を提出していただくために、議論の行方を見守っていただく。

 第7の補助員については、国会の事務局によって独立に委嘱された公務員とする。

すなわち、行政機関とは無関係な職員とする。

 第8の役人とは、各府省庁の官僚あるいは地方政府の役人のことであるが、彼らは、補助員の要請に応えるべく、政府の職員として、関係府省庁の必要な資料のすべてを、隠蔽したり改竄することなく、ありのままを速やかに提供するために待機する。

 第9の一般国民については、その座る位置が正副議長と同じ位置、またはそれより幾分か高くなるのは、国民こそ、国家の主権者であり主人公だからだ。

 以上述べてきた配置関係を具体的に図で表すと次の右図のようになる。

 

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 左図が現状を、右図が私の考える立法府としての本来の議会の姿、議場の配置関係である。

そして右側のそれこそが、行政府からも完全に独立し、真に自由闊達な議論ができ、名実共に国民の要求に基づいた公約を公式の政策として迅速に決定できる立法府の配置図ではないか、と私は思う。

 なおこの配置関係は、国会だけではなく、すべての地方議会においても同様に適用されるようにするのである。

 ただしその場合、守られねばならない事項が二つはあると私は思っている。

その1つは、地方議会の議場は、これまでは、どこの地方公共団体でもほとんど例外なく執行機関である役所の敷地、あるいは役所の看板を掲げた敷地の中、さらにはその敷地の中に建つ役所の建物の中にあったりするが、今後は、三権分立を徹底するという観点から、そうした設置の仕方は止めて、議場も議会事務局も、役所のある敷地とは独立した敷地内に設けるべきであろう、ということである。

 また二つ目として、議会事務局も、政府からは完全に独立した、議会が議会独自に採用した人々によって構成されるべきである、ということだ。

実は、これまでは、その議会事務局の構成員は、ほとんどどこの地方公共団体でも、役所からの、有期の持ち回りよってなる職員あるいは非正規職員だけだったからである。

これでは、事務局職員は出向して来た古巣である役所の者に何かと気遣い、あるいは従属してしまいかねず、また、二、三年もすれば元の役所に戻るのだからという気持ちも手伝って、政治家の議会活動の支援や政治家への有効な情報提供に専念できないきらいがあるからである。

 

 最後に一言。

国会あるいは地方議会での議論あるいは論戦の最終的な目的は、その議会の場で、多様な価値観を持ち、多様な政策案を持つ政治家どうしが、その政治家どうしだけで真摯な議論を重ね、みんなで一致点を探ってはそれを政策あるいは法律として議決することであることは言うまでもない。

 しかし、全議員の間でどんなに活発な議論をするにも、これだけは互いに守らねばならないと思われる、議論の際の最低限のルールはあるように私は思う。

それは、互いに「人間」として尊重し合うことである。

議論の相手の人格を尊重することである。野次を含めて、非難・中傷はしないことである。

議論の相手の思想・信条・信教は厳に尊重することである。意見が違い、考え方が違い、価値観が違っても、それを表明できる権利があることを認め合うことである。つまり「表現の自由」は厳守するのである。

 国会はもちろん議会という議会は、国権の最高機関として、あるいは地方公共団体の最高機関として、その権威を高め、人々の信頼と尊敬を高めるためには、つねに、上記のルール以外は制約されるものは何もないという条件の下で、福沢諭吉が言うところの「多事総論」(丸山眞男「文明論の概略」岩波新書)を、国民の注視する中で展開して見せられる場とならねばならない、と私は思うのである。

 事前の国会対策委員会という談合や、儀式ばった質疑応答など、論外だし、茶番でしかない。