LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

5.2 日本人の生き方は「お上」と呼ばれた官僚を含む役人一般から見倣った生き方 ——————その1

 

f:id:itetsuo:20200929104731j:plain

そば農園と透き通った秋晴れ

今回公開する内容は、前回公開した5.1節「私たち日本国民一般に見られるこれまでの『もの考え方』と『生き方』の特徴」(その1その2)に続くもので、果たして日本国民一般は、どうしてそうしたものの考え方と生き方を身に付けるようになったのかということについて、私なりの見解を記述したものです。

それは、私たち日本人としては、もの考え方や生き方にそうした特徴があることをただ単に知っておくというだけではなく、どうしてそういうものの考え方や生き方をするようになってしまったのかということまでを知っておくことが、特に今後、国際化がますます進む中で、外国人と接するときに、あるいは、一人ひとりが、これからの時代を生きぬいて行ける生き方を模索する上で大変有効なことなのではないか、と私は考えるからです。

なお、本節も、全体は長文なため、前節と同様、便宜的ではありますが、「その1」と「その2」に分割して公開します。

 

5.2 それは「お上」と呼ばれた官僚を含む役人一般から見倣った生き方——————その1

私たち日本国民の多くは、世界の民主主義国の人々からは異質と思われてしまうようなこうしたものの考え方を、また生き方をなぜするようになってしまったのだろうか。

それは私たちの遠い祖先の時代からだったのだろうか。そしてそのものの考え方と生き方は、自分たちが生きる気候風土の中で自ら身に付けて来たものなのだろうか(第1の問い)。それとも外から、つまり誰かに意図的に植え付けられたか、誰かから学んだものなのだろうか(第2の問い)。もしそうだとすれば、一体誰から植え付けら、あるいは学んだのだろうか(第3の問い)。そしてそれは、何のためだったと考えられるか(第4の問い)

さらには、なぜそのようなものの考え方や生き方が日本の社会では誰からも疑問も持たれずに当たり前になってしまったのであろうか(第5の問い)。そしてそうしたものの考え方や生き方は日本の社会に結果として何をもたらしたのであろうか(第6の問い)。

これらの問いとその答えについては、私たち日本国民にとっては、今こそ、真剣に考えてみなくてはならないきわめて重要なものだと私は思う。なぜなら、前節で述べて来た特徴としてのものの考え方や生き方こそは、何かと私たち日本人が世界から誤解される根本的でかつ最大の原因となっているのではないかと私には思われるからである。またそれは、今後この国に想定される環境的原因ないしは政治的原因に因る様々な危機的状況に際して、それを主体的に対処して行けるようになるか否かに密接に関わることでもあると私には考えられるからである。

それだけに、その答えを私たち日本人自身が自ら探り当て、それを冷静に見つめ、それを総括して顧み、そこから、これからの時代に相応しいと考えられるものの考え方や生き方を見出し得るか否かということは、上記のことの裏返しとして、次のようなきわめて重大な意味を持っていることと私は思うのである。その1つは、とにかく、本当の意味での国と国民の全体の危機に遭遇した際に、自力で克服できるようになるかということである。そしてそれが可能となるためにも、もう1つは、私たち日本人が本当の意味で世界の人々と「人間」的に対等に付き合えるようになり、日本と日本人が世界から正当に理解され信頼され、価値ある国とみなされるようになっているかということである。そして私は、この二つこそが、安易に軍事超大国との軍事同盟に依存するよりも確かな、祖国の真の安全保障になるのではないか、と私は考えるのである。

本来なら、先の6つの問いとその答えについては、日本の文化と歴史を一緒に研究する日本の研究者に明らかにしてもらいたいのである。

しかし私の見て知る限り、それらの問いに対する明確なる答えあるいはそれに関する示唆を与えてくれている研究者と著書はほとんど見受けられないように思われるのである。

例えば加藤周一の「日本人とは何か」山本七平の「日本人の人生観」は今とくにここで明らかにしたい「日本人と政治との関わり」あるいは「日本人の政治意識」という観点からみたとき、私にはとても不十分であった。むしろ政治的視点を避けているのではないか、とさえ思えた。丸山真男の「日本の思想」は前二者に比べると日本人のものの考え方の特徴を多面的に捉え、また分析しているが、やはり私がここで求めている問いに対する答えを提示している個所あるいはその答えを得る示唆を与えている個所は見当たらなかった。

むしろその点、外国人の方が政治との関わりの観点をも含めて私たち日本人のものの考え方や生き方を正確に観察し、捉え、分析したものを残していると私には思えた。

たとえば既述のルース・ベネディクトの「菊と刀である。そしてとくにK.V.ウオルフレンの「日本/権力構造の謎」をはじめとする日本と日本人に関する多くの著書がそれである。後者の著者の著書中でも「人間を幸福にしない日本というシステム」「なぜ日本人は日本を愛せないのか」の両書は、私とっては文字どおり“目から鱗が落ちる”思いだった。

私はその書の中で、安藤昌益という思想家の存在を初めて知ったのである。

この思想家は、西欧世界で、古代ギリシャ時代から延々と続く知的伝統の中で生まれたような人物ではない。鎖国政策を執ったあの江戸時代、言ってみれば、外国からは知的情報が一切入らない社会的状況の中に誕生した人物なのだ。安藤はそんな社会にありながらも、独自の哲学的かつ政治的思想を育てたのである。彼は、その主著「自然真営道」の中で、徳川封建制度をも本格的に、しかも全く独創的かつ合理的な精神を持って批判してもいる。ウオルフレンは、そんな安藤の存在を知らしめてくれたのは英国の優れた日本歴史研究家E.H.ノーマンであると紹介している。ノーマンは、日本の歴史家や研究者さえ知らなかった安藤を、あるいはその政治性ゆえに紹介を憚られていた安藤を、故人となった狩野亭吉博士を通じて掘り起こし、全世界に知らしめてくれたのだ、と高く評価している。

この事実を知った私は、「やっぱりそうか」と思うと同時に、やはり残念でならなかった。

ここで「やはり」と私が言うのは、私たち日本人は、私の見るところ、自分が目にしたり耳にしたものを自分で感じ、判断し、評価するということはなかなかしないし、むしろそれを避けてしまうこと。そうではなく、他者、それも著名な外国人が評価したときに初めて自分もそれに追随して評価するという場合が圧倒的に多いことを知っているからだ。

要するにこれも、よく人は「自分らしく」という言い方はするものの、実はその自分は「真の自分というものを持っていない」ことを証明していることでもあると私は見るのであるが、5.1節で述べて来たように、みんながやっていることや言っていることにただ合わせているだけなのだ。だからその評価は決してその人の心からのものではない。だから一時はそのことでブームにはなっても、しばらくするとみんなで忘れてしまうのだ。そしていつもそんな調子だから、物の価値や文化・芸術の価値等々への評価眼や審美眼は一人ひとりにも社会的にも一向に高まらないし深まりもしない。

実際、歴史的に価値あると思われるもの、文化的に価値あると思われるもの、自然的価値あると思われるもの等々が、経済活性化の名の下にどんどん失われて行っているし、それに対して大多数の人はほとんど平気または無関心の様子だ。たとえば一度失われたなら取り返しのつかない歴史的街並であり歴史的に決定的に大切な建築物といわれるものについてがそうだ。あるいは日常用いる道具や農具や大工道具、また植物染め等々に対する伝統の職人技、いわゆる「匠の技」についてもだ。その価値に外国人が着目して、初めてそれに目を向ける。でもそれは本当にその価値が心底から判った訳ではないから、時と場所が変わればすぐに忘れてしまう。

こうしたものの考え方や生き方の特徴は、この国では、様々なところで、頻繁に見受けられる。その最も象徴的な例が日本のある人がノーベル賞を受賞することになったと伝えられたときの文字どおり国を挙げての対応の仕方なのではないか、と私は思う。

それまでその人が長いこと地道な努力を積み重ね、また成果も上げていることをたとえ周囲は見聞きして知っていたとしても、これといってそのことでその人をとくに褒め讃えたり、また励ましたりするということをしないでいたのに、スエーデン科学アカデミーが、あるいはノーベル財団がその人にノーベル賞を授賞すると発表すると、途端に、日本のメディアというメディアは連日、その人とその功績を大々的に取り上げるし、それにつられて国民大多数も大喝采する、またそれに後れをとってはならないと教育行政を司る文部省・文科省もあわててその年の秋の叙勲で文化勲章授与を発表したりするというのがそれだ。

 

そこで私は、日本人の一人として、あくまでも本書を構成する上での観点から、ここでは、世界の民主主義国の人々からは異質と思われてしまうこうしたものの考え方を、また生き方を、どのようにして身に付けるようになってきたのか、上記著書を参考にさせてもらいながら、私自身も直接見聞きした体験をも合わせて、私なりに整理してみようと思う。

そこで先の6種の問いに対する答えであるが、私はそれをどうやって見出そうかと長いこと思案した。そしてあるときふと気付いたのである。そうだ、そうした日本人のものの考え方や生き方の特徴を最も典型的かつ象徴的に示しているのは役所の人々ではないか、と。

ここで言う役所とは、市町村役場であり、都道府県庁であり、また中央政府の各省庁である。そこで働く、一般に「役人」と呼ばれる、少し前までは、多くの日本国民から「お上」とも呼ばれて来た人々である。

なお役人を「お上」と呼ぶようになった歴史的背景については、7.1節にて詳述するのでそちらを見ていただくとして、結論を先に述べれば、自分たちに権力を握る正統性のないことを知っていた明治期の官僚は、黒子に回って天皇を利用し、政治家よりも天皇の僕(シモベ)であるとする官僚(役人)こそ頼れる存在、彼らこそ住民のために何かをしてくれる存在だと国民にそう思わせるように計らってきたからなのだ。その点について、ウオルフレンはこう言う。天皇を最大限利用しながら欺瞞に満ちた統治策によって国民を統治した国は、世界中どこの国の歴史を見ても、日本以外には多分例がなかっただろう(K.V.ウオルフレン)−−−−

いずれにしても、こうして、国民・住民にとっては、政治家ではなく「お上」の方こそ苦情を訴える相手、また聞いてもらえる相手、と思わされてきたのである。

それを象徴的に示す行動の一例が、住民の役所への「陳情」という、あの奇妙な、あるいは不可解な行為であろう。

役所に陳情したところで、役人ができることは知れているのに、である。なぜなら役人は、陳情された内容に対しては現行法の範囲内でしか対処できないからだ。むしろ国民がそこで行使すべきは請願権であろう。その権利こそ、現行日本国憲法にて保障されている権利だからだ(第十六条)。というより、世界の民主主義国の憲法には、この請願権こそ明記され保障されているのである。それなのに何かにつけて役所の役人に「陳情」するという訴え方をする人の方がいまだに圧倒的に多い。そしてそれを、政治家も見て見ぬ振りを続けている。

こうなるのも、学校で一人ひとりの権利ということがきちんと教えられてこなかったからであり、また、政治家こそが選挙で住民から選ばれた住民の代表であり、それゆえに、彼らこそが住民の要望や意思を聞き取り、それを議会に持ち寄ってはそこで政治家どうしで議論して住民の要求に応える政策となし得る立場である、ということも教えられてこなかったからなのであろう、と私は考える。

とにかく住民が暮らしの上で困ったことに直面した時、それを解決して欲しいとして役人に陳情するというのは、とくにその訴える問題が前例のない事態であったならなおさらのこと、民主政治制度から言えば筋違いなのだ。国民が、住民として自分たちの実情を述べ、善処を要請する相手は、あくまでも自分たちが選挙で選んだ自分たちの代表である政治家のはずだからである。なぜなら、政治家こそが主権者からの要請を受けてそれを実現するための政策を決定でき、住民が納めたお金(税金)の使途を決定できる立場だからである。

役所の役人はといえば、議会が議決して公式の政策や法律または条例となったそれを受けて、それをその通りに執行することが主たる役割なのだからだ。

以上の考察から、この国の人々が何かにつけ見せるそのものの考え方や生き方というのは、この国の気候風土の中から身につけたものというのではなく、むしろ「お上」という名の役人(官僚をも含む)が仕組んだ風潮の中で、お上の方針に沿うように振る舞うのがよいことだといった風潮が社会に定着し、その結果、役人のしているとおりにもの考え方や生き方を学び取って来たのではないか、と私は推測するのである。

では実際のところ、役人自身の見せるそのものの考え方や生き方とは、どういうものなのか。

それを知るのに私にとって大いに参考になったのは、たとえば次の著書である。

宮本政於「お役所の掟」講談社1993年4月、並木信義「通産官僚の破綻」講談社+α文庫1994年5月、古賀茂明「官僚の責任」PHP新書佐藤栄佐久「知事抹殺」2009年9月平凡社、古賀茂明「日本中枢の崩壊」2011年5月 講談社、等———、また役所の外部の人が役人について著した書物を読んでみても———屋山太郎「官僚亡国論」1993年11月新潮社、大前研一「平成官僚論」1994年6月 小学館毎日新聞取材班「霞ヶ関しんどろーむ」1994年8月、毎日新聞特別取材班「住専のウソが日本を滅ぼす」1996年4月、保阪正康「官僚亡国」2009年9月 朝日新聞出版、等々。

とにかくこれらの書に見える役人のものの考え方や生き方で共通しているのは現状維持に拘る、というものだ。現状を変えようとしたり、変革や改革るいは改善しようとしたりすることを極度に嫌う。
そして、一旦決めたことや始めたことについては、途中でどんなに客観的状況が変化しても、自分たちのメンツにこだわり、あるいは自分たちのやっていることには誤りは無いと思い込みたいし、また思い込ませたいのか、再検討することも再考することもなく、最後までやりきってしまう。そしてたとえ失敗しても、決してそれを認めようとはしない。
したがって少しの反省もしないし、責任を負うこともしない。もちろん自分たちがやって来たことを検証するということも、総括し、そこから教訓を引き出すということもまったくしない。だから彼らは自分たちのとってきた行為の経緯、そしてその結果については、正確な記録を公文書として残そうとすることはしない。むしろそこに失敗があったりうまく行かなかったりした場合にはとくに、それに関連する文書や資料は破棄するか隠そうとさえする。だから行動の管理の仕方も、文書や資料の管理の仕方も杜撰そのものだ。とにかく自分たちの足跡を残したくはないのだ。

そしてつねに「集団主義」や「集団の論理」を重視し、「ムラ社会」を構成し、「みんなと違うことはいけない」、「他より目立ってはいけない」と、構成員一人ひとりが、お互いに他者に無言で強いる。

何事も、「みんなで合意して決め、みんなでやったんだ」という意識を共有し、その意識の下で行為する。だから、個人としての責任意識などあろうはずはないし、育ちようもない。

失敗を認めようとはしないが、もはやどうやっても責任から逃げ切れないとなった時、初めて謝罪する。謝罪するとは言っても個人としての責任意識がないから、そしてトップの指示ないしは命令の下に行動して来たのではなく集団主義で行動して来たから、とにかくできるだけ大勢居並んで国民に頭を下げて見せる。それも頭を下げている時間が長ければ長いほど謝意を表したことになると考えているのか、そしてその下げ方も定型化させて、みんなまったく同じようにいつまでも下げ続ける。でも頭を上げたその表情は決して二度と繰り返すまいという決意をにじませたものではない。

とにかく、役人ほど、つねに言い逃れられる道、つまり「逃げ道」を用意しながら仕事をしている輩はいない。役人ほど、人から評価され、立身出世できる道、つまり「花道」に拘る輩はいない。

実際私は、ある役人からこういう話を聞かされて、言い得て妙なその表現に、思わず笑い出してしまった記憶がある。

“生駒さんねー、役人を動かそうと思ったら花道をつくってあげることです。と同時に、逃げ道をも忘れずに用意してやることです。”

そして役所ほど「創造的能力」・「独創的能力」・「真の指導者的能力」等を不要としている組織はない。役所ほど「人物」、「人格」、「人間性」、「能力」ではなく、「役職」・「格」・「上下関係」・「序列」・「肩書き」を重視する組織はない。「個人」あるいは個人としての「自由」や「多様性」も認めようとしない組織はない。また「抜きん出た才能」も不要とし、むしろそうした能力ある者を抑え込み、潰そうとする風潮すら作る集団はない。

また、役所ほど、その内部で、「ねたみ」・「イジメ」・「差別」・「ハラスメント」がまかり通っている組織もない。そういう意味で、役所はイジメの巣窟なのだ————日本の社会では「イジメ」が学校でも企業や団体でも深刻な事態を生じさせ、そのことが頻繁に報道されるが、実は役所こそが、歴史的に今日もなお、イジメが半ば公然とはびこっているのだ————

その一方で、役所ほど、国民へのではなく、自分たちの組織への「忠誠」を厳しく要求し、「滅私」や「悪平等」を暗黙に押し付け、「犠牲」や「忍従」を強いる組織もない。

役所ほど人間関係が「上辺だけ」、「形だけ」で、そのくせ一人ひとりはとにかく「保身」に拘り、「自分(たち)が安泰」であればそれで良しとする組織もない。それだけに「自分(たち)の利益」をつねに最優先する。憲法で言う「全体の奉仕者」などまったくの言葉だけだ。このことも私は彼ら役人と直接接して、幾度となく肌で感じてきた。

だから、客観的状況が変化すればそれに対応して内部組織も変えなくてはならないはずなのに、そんな外部のことなどおかまいなしに、役人ほど自分たちの仕事や部署がなくなったり、縮小されることを何より怖れ、嫌い、そのことに断固抵抗する人々はいない。

役所ほど「本音」と「建前」を使い分けながら、そのくせ、「公」と「私」を平気で混同させる組織はない。

因みに、次のものは、国家公務員倫理カードに「倫理行動規準セルフチェック」として記されているものだ(2020年9月12日「報道特集」UTYテレビ山梨

・国民全体の奉仕者であることを自覚し、公正に職務を執行していますか?

・職務や地位を私的利益のために用いていませんか?

・国民の疑惑や不信を招くような行為をしていませんか?

・公共の利益の増進を目指し、全力を挙げて職務に取り組んでいますか?

・勤務時間外でも、公務の信用への影響を認識して行動していますか?

ただし、この倫理カードと5つのセルフチェック項目を作成したのはどうやら国家公務員倫理審査会のようであるが、この審査会とその構成員は会長1名、委員が4名(うち一人は官僚)から成っていて、それは内閣から任命されているようであるが、どのような客観的根拠に基づいて、公正に選任されたものか、私は知らない。

何れにしても、森友問題の時といい、架計問題の時と言い、あるいは2.5節にて述べてきた内容からも明らかなように、私たち自身が国土交通省の官僚や山梨県庁県土整備部と同県庁内の高速道路推進室そして北杜市役所道路河川課の役人らの私たち市民に対する傲慢で狡猾で平気で嘘を言い、国民の金を国民の了解もなく勝手に使う態度等に接してきた事実と照合しても、公務員に関するこのような「倫理行動規準セルフチェック」など、単なる「建前」でしかないことかがはっきりするのである。倫理審査会も、内閣閣僚たちも、官僚を厳正にチェックなどしていないのだ。

外に向っては自分たちは法に従って仕事をしていると言いながら、「内規違反」も平気でやる。役所ほど、「憲法」や「法律」を軽視し、むしろ「慣例」・「慣行」・「前例」を重視し、「根回し」・「不文律」・「馴れ合い」・「人脈」・「派閥」・「学閥」をも重視し、論理や理性ではなく、また知性でもなく、「情実」が絡んで動く組織はない。

役所ほど、「閉鎖的」で、外の世界の「常識」・「共通の価値」・「正義」・「大義」といった価値に無関心な組織はない。

役所ほど、国民には平気で「ウソ」をついたり「ごまかし」たりし、また事実や真実を「隠し」ながら、いつでも自分たちのやっていることを「正当」らしく、あるいは「国民のためにやっている」と見せる欺瞞的組織はない。

とどのつまりは、役人ほど、主権者である「国民」を信頼せず、「民主主義」を軽視し、「人権」を軽視し、「官尊民卑」を暗黙のうちに当たり前とする組織はない。 

こうしてみると、役所あるいはそこに働く役人が見せる姿は、正に前節に述べてきた私たち日本国民一般の「ものの考え方」と「生き方」そのものであることに気付くのである。

両者の力関係からすれば、あるいは歴史の経過から見れば、役人が庶民からそれを学び取ったとは考えにくく、庶民の方が役人から学び取ってきたと考える方が自然だと考える。

振り返ってみれば、この国には、いつの頃からなのか私にははっきりしないが、古くから次のような言い回しが格言あるいは箴言のごとくに人々の間になされてきている。

————「波風は立てるな」、「長いものには巻かれろ」、「触らぬ神(お上)には祟りなし」、「臭いものには蓋をしろ」、「見ても見ぬ振りしろ・聞いても聞かぬ振りしろ・知っても知らぬ振りしろ」、「見ザル・言わザル・聞かザルが大事だ」、「出る釘は打たれる」。

かと思えば、「本音と建前を使い分けろ」、「もっと大人になれ」、「うまくやれ」、「丸くなれ」、「もっと現実的になれ」、「理想だけじゃ食ってはいけぬ」、「理想と現実は違う」、「理屈だけじゃ世の中通らない」、「きれいごとだけじゃ通らない」、「清濁、合わせ持て」、「水に流せ」、「村八分にされるぞ」、「足を引っ張られるぞ」、「寄らば大樹の陰」、「内輪の恥は外にさらすな」、「内と外を峻別しろ」、「人の噂も75日」、「のど元過ぎれば熱さも忘れる」、「批判するより協調が大事」、「自分を主張するより、まず和」、「自分が我慢すればすべて丸く治まる」。そして比較的最近では、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」、・・・・・————。

これも、多分、役所の人々が見せる生き方から庶民が、生きる知恵というよりはあくまでも処世術として、本音ではなく建前として、学びとったものの考え方であり生き方なのではないか、と私は推量するのである。

 

以上のことから、先の第1の問い「自分たちで自分たちが生きる気候風土の中で身に付けて来たものなのだろうか」と第2の問い「それとも外から、つまり誰かに意図的に植え付けられたか、誰かから学んだものなのだろうか」、そして第3の問い「もしそうだとすれば、一体誰から植え付けら、あるいは学んだのだろうか」に対する答えのいずれもすでに明らかになったと言えるのではないか。そして第4の問い「それは何のためだったと考えられるか」に対する答えも。

では第5の問い「なぜそのようなものの考え方や生き方が日本の社会では疑問も持たれずに当たり前になってしまったのであろうか」に対する答えはどうであろう。

実はこれこそ、日本を世界の他の国々とは際立って異質な国民の国にしてしまった最大の理由を問うものだと私は考える。

私は、権力者であり支配者であった者たちの民衆統治の秘策が功を奏した結果だ、というのがその答えになると考える。もちろんその秘策というのは決して庶民の幸福のためのものではなく、権力者が自らの地位や立場を安泰なものとするためのものでしかなかったのであるが。

なお、これらの具体的な根拠説明は、次回、「5.2 それは「お上」と呼ばれた官僚を含む役人一般から見倣った生き方——————その2」にて述べようと思います。

畑の写真館2_我が家の農園の主力野菜

夏の暑さも和らぎ、だいぶ涼しくなり、季節の移り変わりを感じます。
読者のみなさまはいかがお過ごしでしょうか。
これまで「畑の写真館」として一回だけお伝えしてきましたが、今回はその2回目です。
これからは畑の野菜も秋野菜へと変わって行きますので、今回は、これまで我が家の農園で育ててきた夏野菜のうち、第一回目でご覧いただいたものを除く主なものを一括してご覧いただこうと思います。
まずはトマトです。
これには大玉トマトと中玉トマトの2種類があります。
その様子は次の通りです。

 

 

トマト

トマトは、中玉と大玉トマトを栽培しています。

        f:id:itetsuo:20200921235724j:plain

 

        f:id:itetsuo:20200921235922j:plain

ナス

次はナスです。
これも2種類あります。長ナスと丸ナスです。
次の写真がそれです。

                             f:id:itetsuo:20200922002840j:plain

 

                             f:id:itetsuo:20200922002921j:plain

        

                             f:id:itetsuo:20200925214240j:plain

 

ピーマン

なお、我が家の農園で育てる野菜はもちろんお米も、すべて、徹底的に無農薬栽培、無化学肥料栽培にこだわったものです。
キュウリについては、第一回の「畑の写真館」でお示しした通りです。
そこで次はピーマンです。
その様子は次の通りです。

         f:id:itetsuo:20200925214316j:plain

 


ゴーヤ

次はゴーヤですが、それは次のような状態です。

        f:id:itetsuo:20200922000152j:plain

        f:id:itetsuo:20200922000245j:plain

        f:id:itetsuo:20200922000340j:plain

 

カボチャ

次はカボチャです。
これについては、特に我が家の独特な栽培方法と生育過程が分かるようにお示ししましょう。

        f:id:itetsuo:20200925215147j:plain

        f:id:itetsuo:20200922000837j:plain 

        f:id:itetsuo:20200925215408j:plain
            

                             f:id:itetsuo:20200927005335j:plain

f:id:itetsuo:20200922002431j:plain

収穫後のカボチャ

サトイモ

次は、サトイモです。

         f:id:itetsuo:20200925215824j:plain   

                                  f:id:itetsuo:20200927005527j:plain

                                  f:id:itetsuo:20200927005637j:plain

                                  f:id:itetsuo:20200925215803j:plain

                                 

f:id:itetsuo:20200927010206j:plain

出来上がったサトイモ

        

サツマイモ

次はサツマイモです。
これについては、2列に植えたサツマイモの苗の蔓が伸びた状態しかお見せできません。

         f:id:itetsuo:20200925220157j:plain

 

ヤーコン

次はヤーコンです。
これは原産地が南米のアンデスとされ、現地では大根とみられている、根菜類です。
この光景を示すのが次の写真です。

        f:id:itetsuo:20200925220408j:plain

 

ジャガイモ

最後に、掘り起こしたジャガイモの収穫状況を示すものです。

        f:id:itetsuo:20200925220542j:plain

        f:id:itetsuo:20200925220608j:plain

 

以上が当園の主な夏野菜です。
実際にはこの他にまだ、パプリカ、セロリ、オクラ、シシトウ、モロヘイヤ、青シソ、ニラ、アスパラガスそして大豆もあります。
ところで皆さんはこれらの写真から気づかれたでしょうか。
我が家の農園では、既述のようにお米はもちろん全ての野菜についても完全無農薬で完全無化学肥料による栽培に徹していますが、それだけではなく、今では「有機栽培農家」を自称している農家さんでもほとんど当たり前に使用している「マルチ」と呼ばれる石油をもとに作られている農業資材すらも、昨今の気候変動の中では本当にそれを使わないではもはや育てられなくなっている種類の野菜を除いては、用いてはいないのです。






 

5.1 私たち日本人一般に見られるこれまでの「ものの考え方」と「生き方」の特徴——————その2(改訂版)

5.1 私たち日本人一般に見られるこれまでの「ものの考え方」と「生き方」の特徴——————その2(改訂版)

 前回の(その1)では、近い将来、この国もますます直面してゆくことになるであろうと推測される前代未聞の大災害や大惨事に対して、私たち日本国民は、これまでのようなものの考え方と生き方、そして今もなお続けているそのものの考え方と生き方を続けていて果たして大丈夫なのかと私には危惧されるものの内、最も重視しなくてはならないと私には考えられるものについて整理してきました。

 今回の(その2)では、少し観点を変えて、では、そうしたものの見方や生き方を特徴とする日本人一般は外の人たちからはどう見られてきたのかということを明らかにすると共に、そもそも私たち日本人は、どうしてこのようなものの考え方や生き方をするようになったのか、何がそう仕向けてきたのか、ということを考えてみようと思う。

 少なくとも今、それをきちんと考えておかないことには、これまででさえ近隣諸国を含むほとんど全ての国々から、“日本は一体何を目指しているのか、日本人は一体何をしたいのか”と見られてきているわけで(カレル・ヴァン・ウオルフレン「日本人だけが知らないアメリカ『世界支配』の終わり」徳間書店p.305)、今後、日本が、そして私たち日本国民が、何を大切にして国際社会の中で生きて行ったらいいのかということを迫られた時————実際には、今はすでにそういう状態にあると、私は考えるのであるが————、意義ある生き方についての発想は何も出てこないのではないか、と思われるからである。

 

(1)外国人の日本人への見方

 世界中のどこの国の人々にも、多かれ少なかれ、その国その地方独自の風土と歴史の中で育まれた固有のものの考え方とか生き方があるものである。そしてそれこそが文化といわれるものであり、人々はその文化の中でアイデンティティを身につけてゆくのである。

それだけにその文化は、それぞれ質の違いはあれど、いずれもそれぞれの風土と歴史の中で形成されて来たものであるだけに、どれが良くてどれが悪いとか言えるものではないし、また、一般に、相互に軽々に輸出したり輸入したりできる質のものでもない。

 当然ながら、この「風土と歴史」と「人々のものの考え方・生き方」との関係は、そのまま私たち日本人にも当てはまるはずである。

 しかし、である。そのとき、私たち日本人一般の行動様式、とくにものの考え方と生き方については、他所の国の国民のそれらとは顕著に異なっているのではないかと私には感じられるところが多々ある。それも、こんな時こそはと私には思える肝心な場面で見せるその姿においてである。

 たとえば、次のような時である。

————今、この国を変えたい、変えなくてはと思っている人は非常に多くなっていると私は思う。それであれば、それを実現する最も確実で手っ取り早い方法は、国民生活の今と近未来を決定的に左右する政治状況を換えることだと私は思うのであるが、ところが、その政治を換える絶好の機会の一つであるはずの選挙となると、なぜか投票率は低いままだし、結局は現状の社会をもたらして来た現政権を勝たせてしまう、という行動様式についてである。

 あるいは、「3.11」直後の東京電力福島第一原子力発電所炉心溶融に因る連続水素大爆発事故によって最大47万人の避難者・被害者を出し(2011年3月14日)、原発事故の恐ろしさと悲惨さは世界をも震撼させたはずであるにも拘らず、またその被害者の多くは丸10年経ってもなお被災3県(岩手、宮城、福島)で4万2565人もの人々が自宅にも戻れずに避難生活を強いられ続けているというのに(「サンデーモーニング東日本大震災から10年 2021年3月7日)、この国の政府は、その事故の検証も公式にしないまま、早々と国内原発の再稼働を決めてしまった、という行動様式についてである。

 あるいは、近いうちには、首都圏を含んで、南海トラフなる巨大地震が50%を超える確率で襲ってくるという専門家の見方があり、そしてそれが実際に起ったなら、最低でも何万人という規模の人が犠牲になるとも予想されている中で、国民のかなりの数の人々は、東京やその周辺に移り住もうとすることを避けようとするどころか、却って、東京一極集中をますます加速させてしまう、という行動様式についてだ。

 あるいは、今、地球規模で温暖化が進み、気候変動が進み、このままだと今世紀末には4度ないしはそれ以上高温化すると言われ、そのときには、人間はもはやこの地球上には住めなくなっているかも知れないとその方面の専門家のほとんどが警告しているのに、国民も、政治家も、ほとんど無関心なままでいる、という行動様式についてである。

 

 あるいは、人が人間として生きてゆく上で絶対に欠かすことのできない物を常備することを軽視したり疎かにしたりするものの考え方であり生き方についてである。もう少し具体的に言うと、それを食わねば生きてゆくことさえできない喰い物を自国内で自給しようという空気がほとんど見られないことであり、また、それがなくては日常の暮らしの中で、喰う物を食べる際の煮炊きもできなければ、寒いとき暖をとることもできないエネルギー資源を自国内で何とかして賄おうとする空気もないことである。そしてそれについては、日本人の生命と財産と暮らしを第一に守るべき使命を負っているはずの政府も全く同様であることだ。

 実際、この国の食料自給率はせいぜい38%前後のままだし、エネルギー資源の自給率は実に8〜11%程度のままなのである。

 では、そんな状態で、食料危機に直面した時には日本人はどうしたか。

例えば1993年の冷夏の時がそうだった。冷夏がたたってその年の秋には凶作で米が穫れず、不足に陥ったのだ。その時、日本国民、また国民の命と暮らしと自由を守るべき政府はどうしたか。

特に都市住民の多くは“食う米がない”と言ってはうろたえ、政府は政府で慌ててカリフォルニア米やタイ米を緊急輸入したのだ。幸い、翌年は例年並みにコメは穫れた。したがって前年緊急輸入した米は余ってしまった。すると日本国民はそれをどうしたか。家畜の豚の餌にしたのである。カリフォルニアの人やタイの人が誇りを持って育て、彼らも主食としている食糧を、である。

 エネルギー危機に直面した時はどうだったか。

 1973年のオイルショック時がそうだった。その時日本国民、また国民の命と暮らしと自由を守るべき政府はどうしたか。

国民はうろたえるし、時の総理大臣田中角栄は、三木武夫を特使として中東に派遣したのである。その時、三木はなりふり構わぬ、つまり恥も外聞もなく、「土下座外交」をしたのである。結果、見事に相手国にいいようにあしらわれたのだ。

 しかしである。その当時はまだそれでも日本に輸出してくれる国々があったからよかった。

でも、これからは、それも間違いなく期待できなくなる。温暖化が加速していることによって、それまで農業大国として穀類を輸出していた国々、例えば、ロシア、ウクライナ、オーストラリア、カナダ、アメリカといった国は近年、干ばつや大洪水等によって収量は年によって激減するようになっているからだ。そうなれば、必然的に、とても外国に輸出などしていられずに、「自国民を食わせるのが先」となる。となれば、これまでの「足りなくなったなら外国から買えばいい」という発想はもう通用しなくなるし、実際、その可能性はますます高まっているのである。

 

 世界において、日本人を知る上での最高の著書の一つと数えられるようになった「菊と刀」の著者ルース・ベネディクトも日本人についてこう書く。

その著書が書かれたのはおよそ70余年前の太平洋戦争中である。書くきっかけとなったのはアメリカ政府からの依頼だ。アメリカ政府は、日本はこれまで国を挙げて戦ってきた敵の中で最も気心の知れない敵と思ったのである。そこで、対日戦を有利に運ぶために、敵である日本人の性状を知る必要を感じ、彼女に調査研究を委嘱したのである。それで出来上がったものがこの書というわけである。

 彼女は、その著書の中で、日本人の行動の仕方について、矛盾の数々を明らかにしながらも、その不可解さに当惑さえしているのである。

“日本人は最高度に、喧嘩好きであるとともにおとなしく、軍国主義的であるとともに耽美的であり、不遜であるとともに礼儀正しく、頑固であるとともに順応性に富み、従順であるとともにうるさく小突き回されることを憤り、忠実であるとともに不忠実であり、勇敢であるとともに臆病であり、保守的であるとともに新しいものを喜んで迎え入れる。彼らは自分の行動を他人がどう思うだろうか、ということを恐ろしく気にかけると同時に、他人に自分の言動が知られないときには罪の誘惑に負かされる。彼らの兵士は徹底的に訓練されるが、しかしまた反抗的である。そしてこれらはいずれも真実である。”(「菊と刀講談社学術文庫 p.12)

 実際、第二次大戦中、日本兵は、ルース・ベネディクトからでなくとも、欧米からも次のように見られていたのだ。

“身の毛がよだつような相手でも、ヨーロッパでは敵は人間だった。しかし太平洋戦線では、日本人がまるでゴキブリかネズミのように見られていると判った”(従軍記者アーニー・パイル)

“思慮分別のないジャップは、人間らしさを示すものは何一つない”(雑誌TIME)

アメリカ人は日本人を人間以下の害虫とみなしている”(ワシントンのイギリス大使館

“日本人ほど忌み嫌われていた敵はいなかった”(歴史家アラン・メリンズ)

(以上、「BS世界のドキュメンタリー オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史(第3回)」より)

 そしてこれに近い見方は、あれから70年余を経た今もなお、形を変えて、今度は世界から見られているのだ。

たとえば、フリードマン・バートウは「嫌われる日本人」(NHK出版)という書を通じて、田麗玉は「悲しい日本人」(たま出版)を通じて、M.K.シャルマは「喪失の国、日本」(文芸春秋)を通じて。日本人である谷本真由美も「世界でバカにされる日本人」(ワニブックス新書)の中で同様なことを述べ恥じている。

 

 また以下のようなものの考え方や生き方も外国人をして唖然とさせるか、首を傾げさせてしまうものではないだろうか。

 その代表的で、一つの特徴的な性質を示すものの一つが、それまでのものの考え方や生き方そのものが、自身が生み出したものではなく外国から移入したものであったのに、ある出来事を契機に、それをも文字通り一夜にして捨て、新たに移入した生き方に切り替えて平然としている姿である。つまり全とっかえしてしまうものの考え方と生き方である。かと思えば、移入文化を取り入れるにも、それが自分たちのそれまでの文化とどこがどう調和しうるのかとか、それまでの文化とどう融合させたらいいのかということも考えないで、ただ取り入れようとする姿である。そこでは、既存文化に移入文化をただ混在させるだけだから、文化はごちゃごちゃになる。

 こうした生き方の具体例の一つが、幕末における「尊皇攘夷」論を唱えていた者たちが、西欧機械文明に屈服させられると、明治新政府下では、侍たちは髷(まげ)を落として「散切り頭」し、文字通り一夜にして、西洋風の建物である「鹿鳴館」では連日のように舞踏会に酔い痴れては、「文明開化」を謳歌した姿だ。

 次の例もそうであろう。同じく明治新政府は、国を統治するのに、江戸時代の制度や習慣から学びながらそれを止揚するというのではなく、最初からそれとは全く異質の西欧の文物そして法制度や社会制度の取り込みを図ったことであり、しかもその場合、その取り込み方は極めて御都合主義的で形だけのものでしかなかったことである。つまり、そこでは、「市民革命」によって近代をもたらした近代西欧にとってはその肝心要とも言える、例えば、自由、平等、人権、民主主義そして「法の支配」といった概念などには全く無関心だった。というより、それらは、これから大至急「殖産興業」、すなわち産業を興してこの国を富ませ、「富国強兵」、すなわち軍事力を備えて欧米列強に屈しない国にしようとする明治新政府にとってはむしろ不都合で厄介者でしかなかったのである。なぜなら、そのために「一民族・一言語・一文化」政策を採ろうとしていた明治政府にとっては、自由、平等、人権、民主主義そして「法の支配」という概念や考え方は邪魔物以外の何物でもなかったからである。

実際そのことは、その後すぐに国のあちこちに起こった「自由民権運動」に対する明治政府の苛烈なまでの弾圧の状況がそれを証明している。

 あるいは次の例もそうであろう。それは明治新政府がとった、いわゆる「廃仏毀釈」だ。

これは、いわば毛沢東のやった「文化大革命」と同じ類のもので、神道を国教化しようとするもので、この政策の結果、全国各地では、神道家などが中心となって寺院・仏像・仏具を破壊したり仏典を破棄したりし、さらには僧侶を強制的に還俗させたりしては、聖徳太子の時代以来、大々的に移入した仏教によって成る社会を否定したのである。

 次の例も、その顕著な事例であろう。それは、アジア・太平洋戦争の無条件敗北前後に見られた日本人のものの考え方と生き方である。

1941年、日本は、それも、陸軍大学校海軍大学校という超難関学校の卒業生の中でもとりわけエリート中のエリートからなる「作戦部」が、工業生産力が日本とは比較にならないアメリカを相手に戦争を挑んだのだが、その時、軍部は、ひたすら “鬼畜米英”を叫び、“大和魂”を叫び、反戦を唱える自国民を“国賊”、“非国民”呼ばわりしながら、突入して行ったのである。だが、その戦争もいよいよ敗北が決定的になってくると、今度は、軍部も政府も国民も、かつての威勢の良さはどこへやら、 “一億玉砕”を叫び始めたことである。

 それだけならまだいい。広島と長崎に原爆が投下され、同時にソ連軍が満州北方四島に怒涛のごとくなだれ込んで来ると、とうとう天皇は「敗北」宣言を発し、日本帝国の「無条件」の降伏を認めるのであるが、ところがその直後、マッカーサー連合国最高司令官として占領統治のために進駐してくると、今度は、つい先日までは「鬼畜米英」だった態度を、これも文字通り一夜にして豹変させて 、「アメリカ様々」、「マッカーサー様々」、「これからは民主主義の時代」と、大歓迎したことである。

 この時の日本人が晒した様を、戦後の日本の偉大な政治家となった重光葵はこう述懐している。“はたして日本民族は、自分の信念を持たず、支配的な勢力や風潮に迎合して自己保身をはかろうとする性質をもち、自主独立の気概もなく、強い者にただ追随していくだけの浮き草のような民族なのだろうか”(孫崎享著「戦後史の正体」創元社 p.41の『続 重光葵日記』)

 しかし私は、今もなお、大多数の日本人の生き方はその当時とは少しも変わってはいないと見る。生き方において、同じく信念も自尊心も見られない。調子のいい時には国を挙げて大騒ぎをするが、調子が悪くなると途端にみんなで意気消沈してしまう。失敗から学ぶこともせず、自分で自分の生き方を変えることもできず、自分より強者と見る者にいつも迎合し隷従する、無節操な生き方をする姿がそこにあるだけだ。そうなれば、時流にただ流されて、根無し草として、あるいは風見鶏として生きるよりなくなる。

 言語に関する次の事例もここでの具体例に含まれるのではないか。

それは、厳然と、立派な日本語があるのに、それをカタカナ言語にして表現して平然としている姿だ。それも特に、私の見るところ、TVによく登場するような、これも日本語で「評論家」「批評家」という立派な言葉があるのに、それを「コメンテーター」とあえてカタカナ表現で言われる人たちに頻繁に見られるのである。例えば「尊敬する」を「リスペクト」と言い、「共同する」を「コラボ」と言い、「分かち合う」を「シェアー」、「申し出る」を「オファー」と言う。また「危険」を「リスク」と言い、「使命」を「ミッション」と言い、「現実」を「リアル」と言い、「合意」を「コンセンサス」、「精神」を「マインド」、「証拠」を「エビデンス」、「技術革新」を「イノベーション」等々と。とにかく挙げたらキリがない。というより、最近は、公共放送と自称するNHKさえも、母国語をないがしろにしてザッピング、アーカイブ、ワーケーション、さらには「操業開始企業」を「スタートアップ企業」等々と平然と使う。もはやカタカナ言葉をもって母国語を占領させている感すらある。

 ところがこういう人に限って、私の経験では、書く書体は小学生以下、日本人として恥ずかしいような字を書く。果たして、こうした言い換えを好んでする人は、視聴者にはかっこいいと思われるんじゃないか、とでも思っているのだろうか。それとも、自分の英語知識をひけらかしたいからなのだろうか。少なくとも、言語とは、どんな言語も、自分の意思や感情を相手に伝達するための手段であることを考えるとき、そしてその場合、相手にとってより判りやすい言葉であることが求められることを考えるとき、相手がわからない言葉や知らない言葉を使ったらその目的を果たし得ない。そう考えたとき、どんなに国際化の時代だからといって、視聴者の中には、例えば高齢者で、日本語しかわからない人がいるかも知れないとは想像しないのだろうか。むしろ、安易にカタカナ表現をするよりは、それをなんとかして的確な日本語に翻訳して用いたほうが、相手にはより判りやすく伝わるのではないか、それにそうした方が、日本語そのものが一層豊かになるのでは、とは考えないのだろうか。それは、ある意味では、相手に対して無責任で、無神経な態度ではないか、と私などは思う。

 では果たして、例えばアメリカ人は、あるいはイギリス人は、フランス人は、ドイツ人は、イタリア人は、彼らが自国内にいるとき、日本の評論家たちと同じように、ちゃんと母国語言葉があってそれを知っていながら、あえて外国語に置き換えたものを混ぜて表現するだろうか。

私は、多分、それはないだろうと思う。それは、彼らは、おしなべて自国の歴史を知ると共に自国の文化を愛し誇りを持っていて、それが故に正しい自己認識とアイデンティティも明確のようだからだ。ただし、その場合彼らだって、その国固有の言葉、例えば「寿司」とか「柔道」「相撲」といった類のものは、そのまま使わざるを得ないだろう。

 

 もう一つの性質の異なる象徴的なものの一つが次のものであろう。

 それは、歴史を振り返るとき、私たちの国が成り立ち、文化的に、あるいは文明的に発展してくる経過で、筆舌に尽くしがたく多大な恩恵を受けてきた国々に対して、イザッとなれば、その時だけの自分たちの利益や損得の判断だけで、恩を仇で返すようなことをしてきたことである。

 この日本という国は、日本という国号が定まるよりずっと以前から、というより、卑弥呼の時代よりもさらにずっと前の縄文時代の終期(約2400年前)から、隣国の中国には筆舌に尽くしがたい恩恵を受けてきたのである。その一つが、中国からの水田稲作の伝来である。弥生時代以降は、その水田稲作が本格的に始まったとされている。

それだけではない。聖徳太子の時代には、大陸から仏教という文化を取り入れ、それを全国的に普及を図ってきたのである。そのことによって、当時の人々はどれだけ心に平安を見出し得たかしれないのだ。

 文字にしてもそうだ。この国にはもともと固有の文字はなく、中国から入ってきた漢字が中心であり、またそれを変形してひらがなを作り出してきたのである。

 また、聖徳太子以降、本格的となった律令制という制度も、この国が独自に考え出し生み出したものではなく、古代中国において発達して、隋や唐の時代に完成したものだった。なお、律令の律とは刑法に相当し、令とは行政法に相当する。

その律令制は、時の権力者がこの国を中国を模した中央集権による統治体制の国とするために、中国から取り入れた基本法典としての大宝律令養老律令に基づいて制度化したものなのである。

 このように、この国は、国を成り立たせる上でその土台となる制度や文化のほとんどを中国から移入し、その恩恵に与って国を発展させて来たのである。

 ところがそんな中国に対して、日本は近代に入って、中国を侵略した。それも専ら日本の都合だけによってである。日清戦争日中戦争がそれである。特に日中戦争では、日本の関東軍は、「天皇の軍隊」であると自称しながら、天皇直属の統帥部である大本営の中の陸軍を統括する参謀本部の指示にも従わずに独断専行して、南京大虐殺を含む様々な蛮行を繰り返したのである。

 そして今、この国は、この国の政府は、そして国民の大多数も、歴史も文化も国民性も全く違い、かつての敵国だったアメリカに主権すら譲り渡すようにして、そしてそのことにはほとんどの人は何の疑問も違和感も感じないかのように、政治、経済、社会、科学技術分野等々、ほとんどあらゆる分野で、対等に交流しているのならともかく、もっぱら追従しているのである。

 このように、日本人の、多分、世界からは決して本当には理解されることはなく、むしろ哀れみを持って見られ、軽蔑さえされかねないと思われるものの考え方と生き方を特徴として示す事例は挙げたらきりがないのである。

 

 そもそも、文化とは、その時代のその土地の気候風土の中での人々の集団としての共通の生き方の様式のことである。そのことを考えるならば、異文化の取り入れ方がいつも既述のような仕方である、あるいは仕方となるということは、文化そのものの持つ意義や大切さについての理解がない、と言っていいように私は思う。その意義や大切さが理解できないから、

移入しようとしているその文化が彼の地のどのような季候風土や歴史の流れの中で生み出され、どのように伝承されてきたのかということにはほとんど関心が向かないのであろう。

また、文化の持つ意義や大切さについての理解がないということは、自分たちの両親や祖父母、さらにはそれを遡った祖先たちの生き方にも関心を持たないということでもある。例えば、その人たちは何を大切にして生きてきたのか、どんな時にどんな知恵を絞って困難を乗り越えてきたのか、そしてそうした知恵はどう伝承してきたのか、等々ということについてである。

そしてその態度は、言い換えれば、先人の存在やその生き方に敬意を払わない、ということでもある。ということは、翻ってみれば、自分たち自身が、自分たちの今の生き方について、誇りを持って真剣に生きてはいない、ということでもある。

 ではそういう人たちは何を最も大切に生きているのだろうか。多分「お金」であり、「損得」であり、卑近な意味での「経済」なのであろう。そしてそういう人々からなる社会では、例えば文化遺産と言えるものや歴史的建造物と言えるものをアッという間に消滅させては、その前の物とは似ても似つかない今風の物に置き換えてしまっても何の苦にもならないのであろう。つまり、記憶や思い出を消し去ることを。

しかしそれは、過去を捨てて、あるいは否定し、未来も考えずに、今だけに生きる、それもその時だけのご都合主義に生きる、無節操で根無し草の生き方そのものとは言えないだろうか。

 こうした生き方をする限り、他方で、自分たちの言動に責任を持つこともせず、それをきちんと記録することもせず、公文書を改ざんしたりあるいは破棄したりし、失敗した時も、そこからは何も学ばず、不都合なことはむしろ無視したりなかったことにしたりしてしまうという生き方をするのも、ごく必然の成り行きなのではないだろうか、と私は思う。なぜなら、全ては同じ根っこから生じていることだと思うからである。

その根っことは、「親があり先祖があって自分は今ここにいる。自分は一人で生きているのではない。関わりを持った人々はもちろん国々もそうであり、見えない多くの人や他生物、ひいては自然そのものに生かされているのだ。そのお陰で生きていられるのであり、その恩は決して忘れてはならない、ましてやその恩を受けたものに対して仇で返してはならない」、という基本認識のことであり、それを欠いていることだ。

 

(2)人格を歪め、日本人を世界に通用し得なくさせてきた迷言

 では私たち日本人は、どうしてこのようなものの考え方や生き方をするようになったのか、何がそう仕向けてきたのだろうか。

 多分それは一朝一夕にしてそうなったのではなく、例えば以下に述べるような契機を通じて、日本の長い歴史の中で、身につけてきたものなのであろう、と私は推測するのである。

 その第一は何と言っても、日本に水田稲作という文化が入ってきたときではないか、と思う。その当時の稲作の仕方は今とはだいぶ違っていたとは思うが、それでも水田稲作は、基本的に、季節の移り変わりとか気候や天気の移り変わりの中で、制約された時間の範囲の中で一定の作業を終えなくてはならないことが多く、そのためには、今のように機械を使って作業することはもちろん、牛や馬といった家畜の力を借りてすることもなかったであろうことを考えると、どうしても集団で助け合わねばならなかった、ということが考えられる。そうなれば、そこでは「私」とか「個人」という意識は生まれようはなかったし、むしろそうした意識を持つことは邪魔でさえあったと思われる。したがってそうした社会では、必然的に、「全体との和を保つこと」、あるいは「全体と協調すること」というものの考え方や生き方こそが大切にされた訳である。

 もう一つは、聖徳太子が、権力闘争で乱れていた世の中に平安をもたらすためにということで制定した日本最古の成文法とされる「十七条憲法」による影響であろうと思う(井上茂「法の根底にあるもの」有斐閣 p.220)。特にその憲法全体を貫いている「和を以て貴しとし、忤うことなきを宗とせよ」という、今日もなお、至る所で聞かれるし、額にも用いられる「和」という一文字に象徴される精神である

そこで重要なことは、聖徳太子は「和」の大切さを説きながら、同時に、「忤(逆)らうな」と戒めてもいることである。今日、その和がどの程度聖徳太子が意図したように人々の間に理解され、また伝承されているかどうかについては疑わしいところであるが、ともかくその和が、雰囲気として私たちにもたらしている影響の大きさについては計り知れないものがある。

 もう一つ考えられるのは、室町時代に出現し、江戸時代には法的には廃止されたが、慣習法としては残ったとされる「喧嘩両成敗」という政策である。これは、武家の刑法の一つで、喧嘩をした者に対し、その理非にかかわらず、双方ともに制裁を加えるとしたものである。これはもともと戦国大名が領内の治安維持や家臣団の統制強化を目的としたものだが、こうなれば、武士のみならず庶民の間でも、善悪や正邪の判断などしてもしょうがないということになり、善悪をつけようとすること自身が無意味とされる空気が出来上がってゆくのは必然であったろう。物事が曖昧にされてゆく契機になったと考えられるのである。

 もう一つが、明治維政府の岩倉具視が発案したとされる「錦の御旗」という手口がもたらしたものであろう。その「錦の御旗」とは、どのようにしてそれを手に入れたのかはともかく、正統とされている者を後ろ盾を持てば、たとえ人々がどう思っていようとも、人々をして有無を言わせずに従わせることができる、ということを人々に学ばせた多分最初の印のことである。

 なお、人々一般に対してこれと同等の役割を持たせた格言に「勝てば官軍」がある。

これも、たとえどのような仕方によってであろうとも戦に勝ってしまえば、勝った者はその言い分を押し通せるし、人々はそれに従わねばならなくなるのだ、ということを人々に教えるのに大きな効果をもった格言であろうと私は思う。

 実はこうした「錦の御旗」や「勝てば官軍」と同じ手法を日常的に用いては自分たちの目論見や野心を実現させているのが、今日の日本政府の各府省庁の官僚たちである。それは彼ら官僚が、そんなことができる権力や権限など国民から負託されていないのに、自分たちが実現しようとしている法律や政策といった目論見に対して好都合な意見を述べてくれる者を「専門家」あるいは「有識者」として恣意的に選任しては————この行為自体が「法治主義」や「法の支配」を破っているのであるが————彼らを委員として立ち上げる審議会や各種の委員会がそれである。

その審議会や委員会では、各委員を担当官僚たちの仕切る方向でまとめてくれる座長あるいは委員長をあらかじめ選任しておくのである。

 そうしておいて、担当官僚は、自分たちの望む「答申」を出させるのである。そしてその答申をもって、彼ら官僚のボスである大臣に「お墨付き」が得られたとして、自分たちが兼ねて実現しようと目論んだ事業や政策あるいは法律の案を正当化して報告するのである。

 ここまでくれば、もう官僚たちの目論見はほとんど成就したも同然となる。なぜなら、この後は、こうして作られた各府省庁の案が事務次官会議に持ち寄られて諮られ、全員の合意が得られたものだけが「閣議」に諮られるのであるが、しかし閣議は、名ばかりのもので、事務次官会議が提出したものはそのまま閣僚たちに追認される。追認された事業案や政策案あるいは法律案は「閣議決定」されたとして、「国会は立法機関として国権の最高機関である」という憲法の原則を当然のごとくに無視して、総理大臣から発表され、それが公式の事業や政策あるいは法律となってしまうのだからだ。

 つまり、官僚たちにとっては、審議会や各種の委員会の「答申」は、「錦の御旗」と同様の意味を持つのである。その「答申」を以って官僚たちは「閣議決定」を通過させて「公式」の政策とさせてしまえるからである。

 このようにしてこの国では、官僚たちが、総理大臣と閣僚を操っているのである。しかしその事実は、官僚たちが組織を挙げてこの国を乗っ取っていることに他ならない。そしてその結果として、この国では、今もって「民主主義」も「議会制民主主義」も形だけで、真の意味では実現し得ず、真の国家にもなり得ずに、官僚独裁の国のままなのである。

 

 なお、製作者の真の意図はどこにあるのか私は知らぬが、「錦の御旗」や「お墨付き」とほぼ等々の意味と役割を持たせて、次々と主人公の配役を変えては、今なおこの国の多くの人々をして、その脳裏に「ものの考え方と生き方」について、大きな影響をもたらし続けているのが、TV番組の「水戸黄門」ではないか、と私は思うのである。もっと具体的に言うと、筋書きは毎回ほとんど定型化しているその番組の最後のいよいよというところで、格さんが “この紋所が目に入らぬか!”と言っては葵の紋が刻まれた江戸幕府の元副将軍の印籠を懐からおもむろに取り出しては面前のすべての者にかざして見せる場面ではないか、と私は思う。それを見せつけられた人々は皆、瞬時に平身低頭するのである。それはちょうど 「錦の御旗」と同じで、その「葵の御紋」は、それを目にする者すべてに有無を言わせぬ力を持って迫るのである。すなわち、その番組の製作者あるいはそのスポンサーは、視聴者に向かって、とにかく権威や権力には楯突くものではないと暗黙のうちに警告しているのである、と私は見るのだが、果たしてそれは考え過ぎなのだろうか。

 

 以上のような経過の中で生まれてきた生き方の格言が例えば次のものなのではないか。

————「波風は立てるな」、「長いものには巻かれろ」、「触らぬ神(お上)には祟りなし」、「臭いものには蓋をしろ」、「見ても見ぬ振りしろ、聞いても聞かぬ振りしろ、知っても知らぬ振りしろ」、「見ザル・言わザル・聞かザルが大事だ」、「出る釘は打たれる」、「本音と建前を使い分けろ」、「もっと大人になれ」、「うまくやれ」、「丸くなれ」、「もっと現実的になれ」、「理想だけじゃ食ってはいけぬ」、「勝てば官軍」、「理想と現実は違う」、「理屈だけじゃ世の中通らない」、「きれい事だけじゃ通らない」、「清濁、合わせ持て」、「水に流せ」、「村八分にされるぞ」、「足を引っ張られるぞ」、「寄らば大樹の陰だ」、「内輪の恥は外にさらすな」、「内と外を峻別しろ」、「人の噂も75日」、「のど元過ぎれば熱さも忘れる」、「批判するより協調が大事」、「自分を主張するより、まず和」、「自分が我慢すればすべて丸く治まる」。そして比較的最近の「赤信号、みんなで渡れば怖くない」、・・・・・————

 明らかにここには「個人」とか「個性」とか「自由」とか「人間の尊厳」とかいう概念や考え方を感じさせる表現は一切ない。それどころかそのようなものは全否定してさえいる。“とにかく周りの「みんな」と同じようにしなくてはいけない”、“「みんな」と対立してはいけない”、“良いことでも悪いことでも「みんな」がやっていることや言っていることに合わせなくてはいけない”、“たとえどこかおかしい、あるいは理不尽と思ってもそれを口に出してはいけない”、“批判してはいけない”、“逆らっては損、逆らっても無駄”等々という生き方をそれが強迫観念となるくらいまで諄々と言い諭している。それは、個とか個人とは無関係に、とにかく「全体との和を保つことが何より大事」、あるいは「全体と協調することが何より大切」という型あるいは枠にはめた生き方だ。

 このことからも、明治維新政府は、西欧の「自由・民主主義・人権・民主政治・議会政治」等々を移入したことにはなっているが、そしてアジア・太平洋戦争に無条件敗北して後の昭和の政府は、「個人を尊重」し、「個人の幸福追求権」を認め、「主権在民」の「民主憲法」を取り入れたはずなのだが、それらはいずれも単に「体裁」を整えただけのことで、それでもって「欧米に追いついた」「欧米並みの国になった」としてきたのである。それらの異文化の底辺に流れている彼の地の人々の精神や思想を汲み取ろうとする姿勢などは全くなかったのだ。だから、彼らがそうした地点に到達するまでにどれほどの困難に直面し、どれほどの犠牲を払ったのかということへの配慮も共感も示し得なかったのは当然だし、ましてや彼らが生み出したそれらを導入し使わせてもらうことへの感謝の気持ちなどを表わすこともなかったのも当然だと私は思う。そして、彼らが確立した諸概念をも全く自分勝手に解釈しては理解したつもりになって用いている、というのも必然の姿だと思う。

 

(3)この国に見られる「リーダーシップ」論

 ところで、この国では、「日本国の失敗の本質」などというテーマと関連づけてリーダーシップということが識者や専門家の間で議論されることがしばしばある。特に「失われた10年、20年、30年」ということが巷で話題になるようになってからは顕著だ(猪瀬直樹戸高一成、小谷賢、他「日本国の失敗の本質」中央公論 2012年1月号別冊)。関係書籍も「リーダー(指導者)論」として、次々と出版されている。

 リーダーシップとはそもそも「指導者としての地位または任務あるいは指導権のことであり、指導者としての資質・能力・力量、統率力のこと」であるが(広辞苑)、そこで問題とされる資質・能力・力量、統率力とは、具体的には、先見性、戦略を立てる能力、情報収集能力、情勢分析能力、判断力、決断力、説得力、責任感に関するものであるはずである。

 しかし、日本のリーダーシップ論を耳にするたびに私は思う。

そのような資質や能力や力量としての統率力がたとえ求められたとしても、現実にそうした資質のすべてを満たしうる人物など、とりわけこの国では、明治期以来、果たして一人としていただろうか、と。否、それ以前に、そうした人物を育てようとする社会環境や教育環境など、この国に、今日まで、たとえ一時期なりともあっただろうか、と。

指導者を育てるとまではいかなくとも、例えば、確かな判断力を育てる教育、一人になっても孤独の中で物事を事実に基づいて理性的に判断し決断できる能力を養う教育などされて来たことがあったろうか。
溢れんばかりの情報が行き交っている中で、それらに溺れることなく、それらの中から真実と思われるものを適切に選択しては、それを自身の能力や人格の成長の糧にする能力を養う教育など、なされて来たことがあったろうか。自分の考えること、思うこと、信じることを誰はばかることなく主張でき、またそういう姿勢を互いに尊重し合っては、互いの言い分を本音で議論し、互いの思考や思想を高め合ったりまた深め合ったりする教育など、たとえ一時期なりともなされて来たことがあったろうか。いつでも「みんな」一緒で事を為し、ある一定の枠からはみ出すことも許されず、その中で秩序に従って従順であることが良いこととされてきたのではなかったか。
 だから、むしろ強烈な個性の持ち主は「はみ出し者」と見なされ、異端児扱いされて来た。質問ばかりする者は「厄介者」扱いされてきた。みんなの前で反対を意思表示することは「和」を乱す行為で、協調性のない態度だとされて来たのだ(第10章)。

 実際、この国の明治以降の文部省そしてその看板を架け替えただけの文部科学省の学校教育を振り返ってみても私はそう思う。

とくに国民一人ひとりが正しい自己認識を持てるようになるには正しい歴史教育がなされることが必須であるが、この国の政府文部省と文科省の官僚による教育は、かつて一度としてそうした教育ではなかった。むしろ彼ら官僚は、この国の正しい歴史の流れを系統的に因果関係の中で正しく教えることをあえて避けてきたのだ。特にこの国の明治以降の近代史においてはその傾向は際立っていた。歴史を単なる知識として、それも出来事の羅列や寄せ集めという形でしか教えてこなかった。だから生徒には、過去が整然とした流れの中で捉えられるようになることなどほとんどあり得なかった。その結果、生徒たちには歴史を敬遠させてしまい、無関心にさえさせて来た。自分の中で心理的な葛藤を起こすことなく、日本の歴史を受容できるようには教えられては来なかったのだからだ(K.V.ウオルフレン「愛せないのか」p.162)。多分、生徒たちの目には、この世界はいつも、広大な混沌の状態にしか見えないのではないか。

 それに、たとえ卓抜した能力あるいは資質や力量を兼ね備えた人物が組織や集団の中にいたとしても、その人物のそれを公正に認め遺憾なく発揮しうるような仕組みや体質を持った組織や集団が、かつてこの国のどこに存在しただろうか。

様々な分野での組織の長の選任方法についても、中枢あるいはその側近による情実人事であったり、派閥や学閥や閨閥、あるいは同郷の人間を依怙贔屓で抜擢したりするといったことが当たり前のように行われて来たではないか(「戦慄の記録 インパール 完全版 2017年12月10日 NHK BS1)。また「金権政治」がそうであるように、カネで権力を売り買いするようなことも当たり前のように行われて来たのではなかったか。そこには公正性も透明性もなかった。

 果たして、そのような実態を直視せずにリーダーシップ論を繰り返すことに一体どれほどの意義があるのだろうか。それはまるで、ありもしない架空の社会でのリーダーシップ論を交わしていることでしかないのではないのか、と私はつくづく思う。

 ところがこの国のその方面の識者たちは、そんな議論を大真面目にやっているのだ(「戦後70年と失敗の本質」2015年12月15日BSフジ)。

5.1 私たち日本人一般に見られるこれまでの「ものの考え方」と「生き方」の特徴—————その1(改訂版)

 今回は、拙著「持続可能な未来、こう築く」について、2020年8月3日掲載の目次の中の5.1節を公開しようと思います。

それは、第1章でも述べてきたように、今後、地球温暖化生物多様性の劣化が加速度的に進むことによって、ますます前代未聞の大災害や難題が世界あるいは地球に次々と生じてくるようになるであろうと予測されますが、果たしてその時、私たち日本国民の一人ひとりはこのようなものの考え方や生き方を続けていて大丈夫なのかと私には危惧されるものを整理したものです。

 本節も、全体は長いため、便宜上「その1」と「その2」に分けて公開します。

 

5.1 私たち日本人一般に見られるこれまでの「ものの考え方」と「生き方」の特徴                     ——————その1(改訂版)

  私たち日本人一般に見られる「ものの考え方」と「生き方」の特徴、それも、果たしてこのようなものの考え方や生き方を続けていて「いざっ」という時、あるいは「まさか」という時には大丈夫なのかと私には危惧される「ものの考え方」と「生き方」の特徴を示すと次のようになる。大きくは7つあると私は思っている。

ただしこれは私が思う日本人一般に見られる傾向であって、もちろんそうではないものの考え方や生き方をしている人はいる。しかしそれは例外と言っていい範疇に入る人々である。
  なお、ここでいう日本人とは、民族や人種に関わりなく、あくまでも「日本国籍を持つ人」の意味である。

1.「自分」を持たないし、「自分」に誠実ではない。「自分」を尊重しない。

 多くの人々の命と暮らしそして安全保障に共通に関わる問題が、自分の住んでいる地域に起こっても、また他所の地域や外国に起こっている時にも、ほとんどの人は、それを自分自身の問題として捉えない。だからそれを自分の頭で考えようとはしない。つねに周りの人の言動を気にしてそれに合わせようとしたり、特に著名人や「専門家」と呼ばれている人の言うことに影響を受け、あるいはそれに頼り、それに流されがちとなる。そしてそうしては安心している。

 ものの考え方や生き方において、自身を支えるものあるいは芯棒となるものがない。自分なりの価値規準や物事への判断規準を持たない。これが自分の生き方だ、これが自分だというものがない。主体性を持たないし、また持とうともしない。だから、いわゆるアイデンティティもない。生きる上での誇りもない。

 つまり、一人ひとりは、特に精神面において、自律できないし、したがって真の意味での自立あるいは独立はできてはいない。独立しようともしない。

 結局、こうして、一人ひとりは、自分の中に埋もれているであろう能力を自分で開発せずに、自分を周囲の人とは代わり映えのない人間、個性の乏しい人間に自分でしてしまう。それだけではない。物事の価値の軽重の違いをも特に区別せずに、また着手すべき物事の優先順位もつけずに、つまり何事もごちゃ混ぜにして対処しようとする(例えば自国の伝統的な文化のあるところへの外国文化の移入の仕方であり、都市の姿であり、文部科学省の教育行政のあり方)。

 その結果、社会を、集団を、画一的で均質的であるがゆえに耐性のない社会、活力のないものにしてしまう。

 

2.人が人間として生きてゆく上で絶対に欠かせないものや、本当に大切なものを軽視する。同じことであるが、出来事からその起こった原因や本質を客観的かつ科学的に汲み取らないし、また、そこに見られる「原理」や「真理」を軽視する。

 多くの人々の命と暮らしそして安全保障に共通に関わる問題が起こったときにはみんなで大騒ぎをするが、その場合も、なぜそれが起こったのかと、その出来事の原因を客観的かつ科学的に調査究明しようとはしない(好例が、第一次と第二次の石油ショック。冷夏によるコメ不足事態。東京電力福島第一原子力発電所炉心溶融による水素大爆発事故)。

 だから、起こったその事から、何も学ばないし学べない。“ここから何が言えるのか”という教訓を真摯に引き出さない。総括や検証もしない。その一部始終をあったままに整理して記録として残すということもしない。

 そうした態度は何かに失敗した場合も同様である。なぜ失敗したのかその原因を明らかにしようともしない。少なくともとことんその原因を突きとめようとはしないで適当に済ませてしまう。というより、その場合、その事に関わった当事者あるいは関係者は失敗の事実を隠そうとさえするし、証拠の文書類を焼却したり破棄したり改竄しようとさえする。

 また周囲も、起こった出来事だけに気を取られてしまう。つまり、目の前に起こった出来事の背後や背景に何があってこうした出来事が起こっているのか、事の本質は何か、とは問わないし、その方向に向けて調べようともしない。

つまり、いつも、目の前の出来事に対する対応・改良・修繕という対処療法だけに終わってしまう。そのため、その背後で進行している事態を見逃してしまって、気が付いた時にはもはや手遅れ、あるいは万事休す、という状態にしてしまいかねない。

 そして、こうしたことも、本当は根本は何も解決も克服もできてはいないのに、しばらく時間が経つと、誰もがまるで何事もなかったかのように、忘れて平気でいる。だから、同じ類の失敗を繰り返すし、その失敗を繰り返すたびに、事態や状況を一層悪化させてしまう(例えば、この国の中央政府の特に経済産業省の官僚らが主導する原子力発電行政と、それに操られる内閣総理大臣経済産業大臣)。

 

3.集団で何かを為そうとするとき、動機・目的・正義・大義・理念・原則・意味・公正性・透明性・客観性・各自の役割と責任を明確にしない。その結果、無駄で無意味な労力と時間と金と精神を費やしてしまう。

 何かを為そうとするにも、物事に対処するにも、動機と目的を明確にしない。正義や大義を問うこともしない。理念も問わない。物事の原則も問わない。物事や言葉の意味、また歴史的出来事の意味を問わない。

 また、この社会を根底から成り立たせている重要な言葉や概念の意味をも、いわゆる専門家と呼ばれている人も含めて、誰もが判ったつもりになっているだけで、曖昧なままに使っている(例えば、自然、経済、政治、主権、国家、自由、民主主義、権利、法の支配、法治主義三権分立、等々)。

現象や情勢を客観的情報やデータに基づいて理性的に判断することもしないし、自分たちがやっていることがうまくいかなくなったときにも、立ち止まって考えたり、引き返したりするということもせずに、最初に決めたことは、結果がどうなるか、どういう事態を招くかということも考えずに、最後までやってしまう。だからその場合、大抵は、大失敗ということになる(最大の好例が、アジア・太平洋戦争建設省官僚による長良川河口堰という大公共事業)。

 そしてその場合も、その実施や実行を指示する立場の上司や上層部は、明確な指示や命令を発するのでもなく、ましてや、「結果についての全責任は自分がとるから」として指示するのでもなく、決断の意思決定や命令をつねに曖昧にしてしまう。そうなれば、結果は大抵「失敗」に終わるが、その場合も、上司あるいは上層部は自ら責任を取ることは決してせずに、つねにその責任を部下あるいは他部署に転嫁したりし、あるいは末端の現場の者に責任を取らせて(例えば、詰め腹を切らせて)、事柄をうやむやにしてしまう。

 また、この国の特に政府省庁の官僚たちは、自分たちが所属する組織の組織構成の仕方においては、自分たちは公僕、すなわち「国民のシモベ」であるという原則(憲法第15条第2項)を無視し、その上、公正性や透明性あるいは客観性の確保ということは二の次にして、常に自分たちの組織の利益を最優先する組織の作り方やルール(法律)の作り方をする。経済産業省を例にとれば、その組織内に、原子力行政を推進する部署と、原子力行政の安全性をチェックする部署とを同居させるというのがそれ。つまり、それでは明らかに原子力行政の安全性は保障され得ないのに、アクセルを踏み込む部署と、ブレーキを踏み込む部署とを混在させるのである。混在させては、自分たちに好都合なように二つの相反する役割を担う部署を、その時々に恣意的に使い分けるのである。また総務省について見ると、同省は放送を含むメディア、特にジャーナリズムのチェックを受けるべき政府の一省庁であるが、同時に、放送を含むメディアを直接監督したり規制したりできるようなルールを官僚たちは法律として設けるのである。そうしては、官僚たちは、経産省の官僚たちと同様に、自分たちが公僕であるという原則を無視して、国民の「知る権利」を恣意的に統治するのである————実は官僚たちがこんな身勝手なことができてしまうのも、主権者の政治的代表である政治家たちが公僕としての官僚をコントロールするという本来の役割を果たさないで、逆に官僚たちに常に依存し追従しているからなのである————。

 

4.物事や出来事の「事実」や「真実」を直視しようとはせずに、つねに主観的で情緒的、かつ恣意的に見ようとする。

 自分(たち)にとって不都合な状況はあえて見ようとはしないし、不都合な情報は知ろうともしない。自分(たち)が知りたいことしか知ろうとしない。起きて欲しくないことは起きないことにしてしまうし、起きなかったことにしてしまう。同様に、醜いもの、汚いもの、不快なもの等も見ようとはしないし、見せようともしない。つまり、事実や真実、あるいはありのままの状況を重視せずに、つねに軽視し疎んじる。

 脅威となる相手と戦うにも、とかくその相手を知ろうとはせず、また相手の立場に立って相手の出方を考えようともしなければ、自分の力量も能力も客観的に知ろうとはしない。戦略も立てずに、場当たり的な戦術だけで対処しようとする。

 その一方では、時に「大和魂」を持ち出しては自分本位の大義に酔い痴れて、“とにかく頑張ろう!”とか、“バンザイ!”といった意味不明の雄叫びをみんなで上げては、情緒的に、あるいは精神論で対処しようとしてしまう(例えば、衆議院を解散するときの国会議員の万歳三唱)。

 

5.構成員の一人ひとりが本当の意味で自律的に自立ができていないがために、その集団や組織は、時にブレーキが効かなくなって暴走し、社会の秩序を乱す危険な存在となりうる。

 自分の属する集団や組織の利益や面子には異常なほど拘る。またその集団や組織の内部では「和」あるいは「和の精神」ということを理屈抜きで重視する。だからその集団や組織は、内部の一人ひとりが、既述のように、精神的に自立も自律もできていないがために、また価値基準や善悪の判断基準が個々の内部で確立していないために、内心ではそれが不正あるいは不法行為と判っていても「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式にやってしまい、その結果、社会にとっては極めて秩序を乱す危険な存在となる。

 また、そのような集団や組織の不祥事が明るみになったり、不正や不法行為が社会から糾弾されたりした時には、組織の最高責任者が一人国民の前に出てきて真摯に事の真相と経緯を説明して誠実に謝れば、それでも人々は幾分かは溜飲が下がるのに、それをしないどころか関係者みんなでゾロゾロ出てきては、揃って頭を一定時間下げ続けるだけで「謝った」ことにしてしまうのである(例えば、企業犯罪における社会的けじめの付け方)。つまり、中身の真実さや誠実さよりも、外見や格好あるいは形式ばかりを重視するのである。

 一方、そうした様を見つめる側も、それで「ミソギは済ませた」としてしまうのである。だから、同じようなことがアッチでもコッチでも頻繁に起こるし、また繰り返される。

 結果、この国の人々の道徳心や倫理観はとどまるところなく低下してゆき、社会は乱れ、恥ずかしい国、学ばない国、みすぼらしい国、救われない国、軽蔑される国になってゆく。

 

6.歴史を軽視し文化を疎かにしてきたために、イザッ災難という事態に直面した時に、「手本となるもの」や「支えとなるもの」が記憶になく、対処できないまま大混乱に陥る可能性が大きい。

 歴史を学ぶということは、その時代、先人たちがどう生きたか、ということを知ろうとすることであり、またそこから何を教訓として引き出すかということである。一方、文化を知る、文化に関心を持つ、あるいは文化に理解を寄せるということは、その時代、先人たちは、集団で、どのような知恵を働かせて、どういう生き方や暮らし方を大切にしてきたかということを、尊敬の心を持って学ぼうとすることなのである。

 その際、決定的に大切なことは、歴史についても文化についても、「正しい」歴史や文化を知るということである。そしてそうあってこそ、その国の人々は、その国の国民としてのアイデンティティを身につけ、正しい自己認識を身につけ、正しい愛国心愛郷心を身につけるのである。

 しかしこの国では、特にアジア・太平洋戦争前後から今日までは、日本政府の官僚主導による意図的な方針の下、特に文部省そしてそれを引き継いだ文部科学省は、特にこの国の正しい歴史を児童生徒に教えることをあえて避けてきた。また文化についても、ありのままに、正しく教えることを軽視してきた。

そのため、私たち国民の多くは、その一人ひとりが、自分たちの祖父母を含む祖先たちの生き様を知らないし、また教えられてもいないから、本当の意味でのアイデンティティはもちろん、正しい自己認識も持てず、健全な愛国心愛郷心も育ってはいない。先人たちの知恵や工夫も知らない。

 その結果、私たち日本国民は、イザッ国難、イザッ大惨事という事態に直面したとき、見習うべき先人たちの知恵や発想の記憶を持たないがゆえに、対処法が判らないという事態に陥ってしまい、大混乱に陥ってしまうという可能性は大なのである。

 

7.自分たちの社会や集団に問題や難題が生じたとき、自分たちの「代表」を自分たちの手で選び、その者の統率の下にみんなで一致協力して事態の解決に当たるという体験を日常的にしていないことである。

 多くの人々の命と暮らしそして安全保障に共通に関わる問題が起こったときには、各人がバラバラではその問題に対処できないから、その場合はどうしても集団で事態に対処しなくてはならなくなる。が、その場合も、みんなで漫然と動いていてもそれは烏合の衆でしかなく、一向に事態は好転しないし克服もできない。したがってこのような場合にはどうしても関係者全員の合意の下に誰か指導者を一人選出し、その者に最高の一定程度の強制的権威と権力を与え、その者の指揮の下に、全員が一致協力して動くということが不可欠となる。

 ところがこの国では、どこの地域でも、どのような災害に直面した時でも、関係者たちだけの集団でそういう体制を整えて、一人の指導者の下で問題に対処するという方法をとったことはかつて一度としてなかった。集団で何かするにも、そうした権威と権限を持った指導者の下で行動するというのではなく、せいぜい取りまとめ役であり、面倒見のいい「世話役」を中心に共同行動するという仕方だった。そしてそれが「自治」活動とされてきた。

 しかしその場合も、本来であったなら、直近の「選挙」で選ばれた市町村議会議員や都道県議会議員が複数いるのだから、そしてその人たちこそ当該地域の住民の政治的利益代表なのだから、その政治家たちが協力し合って住民の意向や要望を速やかに聴きながら、必要に応じて緊急の臨時議会を開いて対策案を予算とともに議決し、それを当該地方政府に執行させればいいはずなのに————政治家にはそれができる権限と権力が主権者から負託されているのだから————、この国では、過去、どこの地域でも、そうした本来の自治の体制をもって問題に対処したことはなかった。

 しかし、こうした実態は地方に限らない。つまり「政治的利益代表」として、国民全体の生命と財産そして暮らしを第一に守るべき役割と使命を負った、そしてそのための権限と権力を主権者から負託された国会議員でも全く事情は同じだ。予算と政策を含む法律を作ることのできる権力である「立法権」そのものを、本来執行機関でしかない政府の官僚たちに丸投げしては、放任しているのだからだ。政府は政府で、その中枢である内閣すらも、それを構成する総理大臣や各府省庁の大臣らは、自分たちがコントロールしなくてはならない各府省庁の官僚という名の「国民のシモベ」に操られてしまっているのだからだ。

 これでは、今後、地球温暖化の加速、生物多様性の劣化の加速によって、頻発すると推測される大規模災害や大惨事には、この国はほぼ間違いなく無政府状態に陥り、私たち国民は救われる可能性はますます低くなる。というより、むしろその時には、先のアジア・太平洋戦争末期に旧満州にて実際にあったときと同じように、様々な情報を握っている官僚たちは、自分たちだけいち早く難を逃れる行動に出るのではないかとさえ推測されるのである。旧満州ソ連軍が大挙して突如攻め込んできたときに————それは2回目の原爆が長崎に投下された日であったが————、関東軍の官僚や将校たちは自国の民間人を置き去りにして自分たちだけいち早く逃げてしまった。その結果、日本政府の呼びかけに応じて満蒙開拓団として渡っていたおよそ155万の人々はソ連軍から守られることもなく、命からがら逃げ惑い、そのうち24万5千人近くは戦闘や飢餓そして集団自決で命を落とした。その結果残された多くの子供たちは中国人に預けられ残留孤児となった。また女性たちの多くはソ連軍にレイプされたりもした。残りの特に男たちはソ連軍によってシベリア送りとなり、ソ連独ソ戦で失ったおよそ2700万人の代わりの労働力として、長期にわたる過酷な環境下での抑留生活を強いられることになったのである。

 とにかく私たち国民は主権者として決して忘れてはならないのである。日本の官僚は、政府の官僚でも軍の官僚でも、その当時から今日もなお、イザっとなると、「公僕」としての立場など容易にかなぐり捨て、自分の利益を最優先して、冷酷非情となる傾向が強いのである。

そのことは、ニュースなどで報道される中央政府の各府省庁の官僚が打ち出してくる政策案————それを代わりに発表するのは閣僚なのだが————を長期にわたって注意深く観察しているとはっきりと見えてくるのである。

 

2.6 国家とは何か、日本は国家か、なぜ国家でなくてはならないか ————その2

2.6 国家とは何か、日本は国家か、なぜ国家でなくてはならないか————その2

f:id:itetsuo:20200908001226j:plain

市内にある湧水。夏を涼しくさせる。

 では、国が国家でなかったなら、すなわち国家と言える統治体制を整えていなかったなら、どういうときに、どういうことが起こりうるのだろうか。それを考える。

 それは、例えば、「3.11」、東日本大震災が起こった後の政府の対応を見れば判る。

国土交通省(の官僚とそれに追随する国土交通大臣)は、被災地の人々には、二度と再び津波に襲われないようにと、ただ被災地の盛り土やかさ上げ工事をし、被災者たちが住めるプレファブの仮設住宅を創ればそれでよしとしている風だったし、厚生労働省(の官僚とそれに追随する厚生労働大臣)は厚生労働省で、国交相とは全く無関係に、あるいは連絡を取り合うことなく、独自に避難所を設け、仮設住宅を建て、その後公営住宅を建設するという単線的な再建プランを示せばそれで自分たちの公僕としての役割は果たしたと思っているらしかった。

 実際、国交省(の官僚とそれに追随する国土交通大臣)はそのようないわばハードの面だけを作るだけで、被災地の人々の文化や価値観を最もよく知っている被災地の県庁や市役所または町役場と協力しあって、被災した人々がまた被災前のように、互いに人間らしく暮らせる街として再建するには、ソフト面でどういうことを考慮、どういうことを備えなくてはならないか、ということについては全く考えてはいなかった。厚労省(の官僚とそれに追随する厚生労働大臣)も、同じく、被災地の人々の生活ぶりを最もよく知っている被災地の県庁や市役所または町役場と協力しあって、被災者に対して、多様な復興の仕方を用意したり、被災者たちが自立に至る多様な選択肢というものは何も用意していなかった。

 その結果、被災者は6年を超えても9年を超えても、なお仮設住宅住まいを余儀なくされている。その間、展望を見出し得ないがゆえにストレスを抱え、仮設住宅住まいに疲れ、精神を病み、体を壊してしまう人が続出している。また再起する意欲をなくしてしまい、絶望の中で亡くなってゆく人、自らが自らの命を終わらせてしまう人も続出しているのである。

 ————実は少し余談だが、このほど(2021年1月15日)、私は、「3.11」からの復興のために設けられた「復興庁」に、あることを知りたくて、直接、そこの「被害者支援班(03-6328-0271)」に電話した。次の三つの事項について質問したのである。①現在もなお、仮設住宅住まいを強いられている人々の総数。②「3.11」以後、止むを得ず、故郷を捨てて、他県を含む別の場所に移住せざるを得なくなり、そこで暮らしている人々の総数。③遅々として進まない政府————中央政府だけではなく、地元の政府も含む————の復興・復旧対策に絶望して、「3.11」以降、自殺された方々の総数。

 ところが、である。驚くことに、その3つの質問に対して、3つとも、“そういったデータは取ってはいません”との返事だった。————

 これだって、いかに官僚が冷酷であるとはいえ、復興庁の大臣が、国民の代表として、“こうしたデータは重要だから、必ず調べよ。そして公式の記録として残せ”、と配下の公僕である官僚をコントロールし、指示していれば残せたはずだし、今後の教訓と成し得たはずなのだ!

 ところがこんなお粗末な状況なのに、今度は経済産業省の大臣は、配下の官僚に操られて、国内の既存の原発が再稼働できる道を開いたのだ。

 もし「3.11」が起こった時、この国が本物の国家であったなら、ということは、合法的に最高な一個の強制的権威を持つことによって社会を統合できる人または集団がいたなら、あるいは政府を公式に代表できる人または集団が存在していたなら、さらにあるいは、国の進路を決めることができる、公式で、満足な舵取りのできる人または集団が存在したなら、その時、その人物あるいは集団から災害復興関係府省庁の全てに緊急に指示・命令が下され、その指示・命令の下に関係府省庁の大臣同士が緊急に協議しまた相談し、またその時必要なら各大臣は配下の官僚に指示して災害復興関係の専門家を全国から政府に招聘して、その専門家の意見や助言を聞きながら、互いに大臣同士が連携し合いながら、政府が一丸となって、被災者救済に総合的かつ統一的に当たることができたはずなのだ。

そうすれば、被災地に起こった不幸な大事件は最少の数の被害者で収まったであろうし、またその後被災地に起こった悲惨な事態も、最少に抑えられたのではないか。私はそう思う。

 もちろんその時、政府として一致一丸となって災害復興に当たる際には、防衛大臣は、「シビリアン・コントロール」を徹底し、日頃、自らが自衛隊の幹部を集めては練りに練ってきた災害時あるいは国難時の自衛隊の動かし方を、他の府省庁の大臣と密に連携しながら、ここで実践的に実施するのである。

 

 また、次のようなことが生じるのも、この国が国家ではないからだ。

それは、ある新聞がトップに掲げた「パリ協定 きょう発効」という見出しの記事と、その隣にあった「日本、世界に逆行」という見出しの記事がそのことを示している(2016年11月4日付の朝日新聞)。

 その記事の中から私がここで言いたいことと関連する部分を、ところどころ引用してみる。

「世界はすでに二酸化炭素(CO2)排出を減らしながら成長する時代に入っている。その流れを決定づけ、後押しする仕組みがパリ協定だ。だが、日本政府や産業界は温暖化対策は経済成長を阻害するという意識にとらわれたままだ。(中略)各国は協定の締結を急ぎ、採択から一年足らずという異例の速さで発効した。(中略)。日本は別の方向に向かっている。(中略)。鉄鋼や電力などCO2を大量に排出する企業が発言力を持つ日本の経団連は(自然エネルギーの)導入に反対。政府もそうした声に引きずられて導入に後ろ向きだ。

 1997年の京都会議(COP3)で、日本は議長国として京都議定書をまとめ、世界を引っ張った。だが、パリ協定の合意に向けた交渉では影響力を示せなかった。すでに、世界から相手にされなくなりつつある。」 

 実際日本は、その後、「パリ協定」の実施ルールを採択したポーランドで開催されたCOP24においても存在感がなくプレーヤーではなかった、と長年にわたり温暖化交渉を見て来たNPO法人「地球環境市民会議」の早川光俊専務理事も言う(2018年12月17日 山梨日々新聞)。

 もしこの日本という国が国家であったなら、すなわち「社会の構成分子であるあらゆる個人または集団に対して、合法的に最高な一個の強制的権威を持つことによって統合された社会」であったなら、その「合法的に最高な一個の強制的権威を持つ者」の指示の下に、「社会の構成分子であるあらゆる個人または集団」は統合されているわけだから、例えば上記記事の中にある「鉄鋼や電力などCO2を大量に排出する企業が発言力を持つ日本の経団連は(自然エネルギーの)導入に反対。政府もそうした声に引きずられて導入に後ろ向きだ。」などということは起こり得ないのである。

 なぜなら、中央政府(の全閣僚はもちろん、その各閣僚の配下の全府省庁の官僚)はもちろん日本の社会の構成分子であるあらゆる個人または集団は、合法的に一個の強制的権威を与えられた者———それは普通は首相ということになろう———の下に統合されているのだから、日本国として「パリ協定」を締結しようとするCOP23に参画する場合には当然のことながら、その強制的権威を持った者が任命した者には日本国政府を代表した全権が託されていて、現場の会場で、政府を代表した意見を自らの判断と決断で発言し、それをもって、日本の存在感を世界に示し得たはずだからだ。

そしてその場合、締結されたパリ協定は、日本にとっては、合法的に最高な一個の強制的権威を持つ者が締結したことと同じ意義を持ち、それは日本の国の「国家の代理者」である日本政府として締結したことになるのである。

 そしてそのときは、そうした経緯の下で締結されたパリ協定には、日本の政府の全閣僚はもちろん、その閣僚の下に公務をする全官僚も、そして経団連という経済団体内部の官僚も、またその経団連内でどんなに発言力を持つ鉄鋼や電力の分野の大企業のCEO(最高経営責任者)も、無条件に従わねばならないのである。

 したがってそのとき、その締結された協定に抵抗したり、協定実施を妨害したり、サボタージュしたりすることは何人たりとも許されないし、もしそのような言動に及ぶ者あるいは法人がいたならば、その者や法人は国際協定に反逆する者であると同時に、合法的に最高な一個の強制的権威を国民から負託された者に逆らうことであり、それはすなわち民主主義政治体制という今様の国家体制(国体)への反逆者であり、同時に国賊ということにもなる。

だから、その場合には、そのような者あるいは法人は国家反逆罪に問われても仕方がないのである———ただしこれは、もしこの国において、そのような国家反逆罪を明文化する法律が国会において実定法としてつくられていたのならの話である。しかし残念ながらこの国では、政治家たちはこうした法律も作ろうともしなければ、それ以前に、国家とは何か、すら知らないのだ————。

 ところで、NPO法人「地球環境市民会議」の早川光俊専務理事が指摘するごとく、「パリ協定」の実施ルールを採択したCOP24でも日本は存在感がなくプレーヤーではなかった、ということから、では何がわかるか。

考えられることは2つある。1つは、COP24に日本から参加するために安倍晋三首相(当時)が任命した人物に、日本国政府を代表しての全権を託さなかったか、2つ目は、全権を託したとしても、安倍晋三総理自身が鉄鋼や電力などCO2を大量に排出する企業が発言力を持つ日本の経団連を統治できていなかったから、また安倍晋三自身もCOP に対して批判的あるいは消極的であったがゆえに、COP24の会場においては積極的な発言を控えるように指示したかのいずれかであろう。

 その場合も、前者のようなことは普通は考えられない。国際会議に、オブザーバーとしてではなく、政府代表として参加する以上、参加する人物に全権が与えられないなどということは普通考えられないからだ。

 いずれにしても、そうなれば、COP24に実際に参加した環境大臣丸川氏も、交渉経過の中で、賛成も反対も明確に意思表示も根拠説明もできずに、ただ会場の隅に、目立たないようにしているしかなかったというのは、十分に理解はできる。

 

 なお、日本政府のこうした外交姿勢については、実は京都議定書の時も同様だった。

日本は、「京都会議(COP3)」においては議長国として世界を牽引して、いわゆる「京都議定書」をまとめたのであるが、日本がまとめたこれも、経済関係省庁の官僚や関係産業界の経済官僚の協力が得られず、結果的には世界に公約したことを破リ、世界から非難されることになったのである。

 こうなるのも、議長国の議長になる者が合法的に最高な一個の強制的権威を持つ者から全権を委任された上で議長として「京都会議(COP3)」に参画したのではなく、ただ世界の趨勢に流されて、つまり、合法的に最高な一個の強制的権威を持つ者による明確な意思決定と指示に拠るのではなく、何とはなしに誰かが議長として臨んでおけばいいという程度で曖昧な形で選ばれた者が臨んだ結果か、それとも、そもそも合法的に最高な一個の強制的権威を持つ者など存在していない中で、今回日本が議長国になったので仕方がないから、形式上、誰かが議長をやっておけ、という程度で府省庁連合体である政府内で選ばれた者が議長を勤めただけかのいずれかであろう。

 どっちにしても、今や日本は、その結果、既に、世界の脱炭素革命の流れからもまったく取り残されてしまっているのである(NHKスペシャル2018年12月17日「激変する世界ビジネス “脱炭素革命”の衝撃」)。

 

 もう1つ、この国は国家ではない証拠を挙げる。

「パリ協定」の合意事項を実現するのにはほど遠い内容の「第5次エネルギー基本計画」などといった、「パリ協定」にまったく後ろ向きのエネルギー計画が、2018年、経済産業省の官僚だけの都合で作成されてしまったことである。

 問題はそれだけではない。そのように作られた基本計画が、既述したように、政府を構成する全府省庁の官僚のトップである事務次官が全員合意の上で内閣に提出され、それがわずか15分かそこらでそっくりそのまま追認される格好で「閣議決定」されてしまっていることだ。

つまり、この国の政府を動かしているのは、国民から選挙で選ばれた国民の政治的代表としての政治家————すなわちここでは閣僚————ではない。ほんら「国民のシモベ」たる官僚だ。ましてや、「合法的に最高な一個の強制的権威を持つ者」の指揮統括の下に動いているわけではない。

 この意味でも、この日本という国は、明らかに国家ではない。せいぜい国家もどき国家、似非国家でしかない。

 さらには、その結果、内閣とは本来、国権の最高機関と憲法が規定する国会が決めたことを執行するだけの執行機関の中枢であるに過ぎないのに、あたかも内閣が法制度を決めているかのように振る舞っていることに対しても、この国の国会議員も憲法学者政治学者も政治評論家もそして政治ジャーナリズムも、皆、見て見ぬ振り、知って知らぬ振りで、“内閣は三権の役割を逸脱し、立法権にも踏み込んでいるではないか”と抗議の声をあげたり、批判する者は一人もいない。

 

 次の例も、この国が国家ではないことを示すものである。それも、これはいわゆるシビリアン・コントロール文民統制)について、実態は、それが全くなされていないことを如実に示す一例である。

なおシビリアン・コントロール文民統制)とは、軍隊の指揮権が文民、すなわち軍人あるいは職業軍人の経歴を持たない人によって統制されること、をいう(広辞苑)。

 日本の領海や領空に入り込む不審船や不審機に対する対応に見るシビリアン・コントロールの実態について見てみよう。

ここでは不審船に対してである。

 海上自衛隊の「海上護衛行動」について具体的に言えば、現場で海上保安庁の船や海上自衛隊護衛艦が武器を使用してもいいのか、使用するにも相手の不審船ないしは不審機に砲撃していいのか、それともあくまで警告に留めるべきなのか、それについては現場では迷うはずである。問題はその時、防衛大臣も総理大臣も『どこまではしてもいいが、どこから先はやっては駄目だ』と明確に指示もできないことだ。「海上警備行動」をとるとは言っても、『どの程度の警告射撃をしたら国民が納得するのか』と自衛隊の官僚(海上幕僚長)が国民の代表であるはずの防衛大臣に尋ねても、せいぜい『12、3回の射撃でいいのではないか』という程度の答え方しかできない。明確な論拠をもって説明もできないのだ。

 またある官僚幹部が『(防弾チョッキも所持していないから)不審船への立入検査は危険』と進言しても、防衛大臣は、現場の状況を知ろうともせず、『(立入検査も)やらないで不審船には逃げられたと国会で答弁できるか』と言って怒るだけでしかないのだ。その上、事を起したとき、いったい誰がその責任をとってくれるのか、それも防衛大臣は現場隊員に明確にしないのである(NHKスペシャル 平成史第7回「自衛隊 変貌の30年〜幹部たちの告白〜」2019年4月24日NHK総合1)。

 これでは政治家が軍人をコントロール(統制)していることにはならない。軍人も、現場で、明確な指示と統制のない中で、自分の判断で下手に行動したら、自分に責任が及んでくるのではないかとも考えてしまうと、どうしたらいいのか、迷うばかりで、迅速な対応もできなくなってしまう。

 こうなるのも、文民である防衛大臣も首相も普段から実際の戦場あるいは紛争の現場の状況も知らなければ、現場に起こり得るあらゆる事態を想定しての、二重、三重に対応策あるいは戦略を考えようともしていないからなのだろう。戦場あるいは紛争の現場の状況は、今もなお、世界中、どこかで起こっているのだから、視察しよう、現場の状況を知ろうと思いさえすれば、いつでも視察できるはずだ。それに、日頃、戦争とは、兵の役割とは、将校の役割とは、ということさえまともに考えてはいないようにも見える。だから少し「想定外」の事態が生じると、もうあたふたするしかなくなるのである。

 というより、一旦、戦闘地域に行ったなら、そこではもはや何が生じるか判らず、「想定外の事態」などとは言ってはおれないことすら理解できていないのだ。それに、この国の防衛大臣は、一歩対応を誤れば、国と国との軍事的衝突に発展しかねないということも覚悟をもって考えてはいないし、祖国を防衛するということがどういうことかということも、まったく判ってはいないように私には見える。

 とにかく、このようなことで、緊迫した現場の隊員は、どうして確信を持って祖国と国民を守る行動を取れようか。

 自衛隊が国連の平和維持活動PKO(Peace−Keeping Operations)の一部隊として海外に派遣された場合についても、事情は全く同様だ。

果たして、『命令を出す人間はその決断とともに(それから後の人生を)生きて行かなければなりません。その責任は抱え続けるものなのです。』(元アメリカの在日米海軍司令官ロバート・チャプリン)という覚悟は、日本の文民(首相や防衛大臣)にあるのだろうか。

こんなことだから「日報」問題をも起こしてしまうのであろう。

 

 また、こういう実例もある。これも日本国は国家ではない何よりの証拠だ。

これは2019年7月にあったことである。

それは、「老後30年で、夫婦世帯で必要な金額」はいくらになるかということで、政府を構成する厚労省金融庁経済産業省が国民に示した金額が次のようなものだったことだ。またそのことについて、各府省庁の担当大臣は誰もそれを互いの大臣間で調整することもしなければ、国民を迷わせたことを謝罪もしなかったことだ。また総理大臣も全く無関係を装ったことだ。

厚労省は「約2000万円」、金融庁は「1500万円〜3000万円」、経済産業省は「2895万円」をそれぞれバラバラな額を示したのである。

ふるさと納税」という制度についても、農林水産省総務省は対立している、という事実もこの国が国家ではない証拠だ。

 キャッシュレス化を進めたい経済産業省(の官僚とそれをただ追認している経済産業大臣)と、札を新たな札に切り替えて、紙幣の流通を増やしたい財務省(の官僚とそれをただ追認している財務大臣)との間で省益をめぐる対立が起こるということも、国家では決して起こりえないことであるが、そこへさらに、総理大臣としての安倍、政府の長と自称する安倍が、その状況がどうして起こっているのか、それを自分の責任においてどう統制しようとしているのか、それについて国民に最終的な責任を持って説明しようともせず、むしろ放任しているというのも、この国が国家ではないことを如実に証明する一例なのだ。

 

 以上、いくつかの実例を箇条書きしてきたが、これらから判るように、この日本では、統治システムのどの一要素も、最終的には誰の支配下にもないのである(K.V.ウオルフレン「システム」p.79)。こうして、この日本という国は、どういう観点から見ても国家ではないことはもちろん、国家でないどころか、日本は、「官僚独裁主義によって維持されている秩序保持のための大がかりな統治のシステムそのものすら、つまるところコントロールされずに野放し」状態になっている社会でさえあるのだ(K.V.ウオルフレン「システム」p.124)。

 それも、もっと言えば、この日本は、戦後はとくに二重の意味で国家ではなかったし、今もなおそのままだ、と言える。

1つは、この国は、既述の通り、社会の構成分子たるあらゆる個人または集団に対して、合法的に最高な一個の強制的権威を持つことによって統合されているどころか、バラバラな統治組織によって、バラバラに統治されている国であるという意味において。もう1つは、近代国家であるための三要素である「領土・国民・主権」のうちの主権を自ら放棄した国でもあるという意味においてである。なおここでいう主権は、主権在民という意味での主権という意味ではなく、「その国家自身の意思によるほか、他国の支配には服さない統治権力」としての主権である。そしてこの後者に関しては、この国の政府の自分より大国と思えてしまう外国に対する外交姿勢一般について言えることであるが、特にアメリカに対しては、例えば「日米地位協定」あるいはその背後で日米の間で、当時の吉田茂によって交わされた「密約」としての「交換公文」(孫崎享「戦後史の正体」創元社 p.150)そして「日米地位協定合意議事録」(山本章子「日米地位協定中公新書 p.58)に象徴されるように、顕著である。

そして後者に属するもう一つ根拠は、この国の現行憲法第9条自体が、その第1項で、国際法上、世界のどの独立国にも保証されている「交戦権」という主権を自ら放棄していることである。

 以上、結論として、この日本という国は、今のところ、世界の本物の民主主義国の間でいうところの国家ではないがために、この国を実際に誰が国民に対して責任を持ちながら舵取りをしているかも曖昧だし————官僚たちが実質的に独裁しているとはいえ、彼らも、立場上、日本の進むべき道までは決めることはできないのである————、したがって国として、何を何のためにしようとするかも決められず、目指す目的地も、そこに至る航路も誰も決められないままず、世界という大海の洋上で、その時吹いている風邪任せにして、国丸ごとただ漂流し続けている国である、ということだ。

 このことが私たち国民すべてにとって、どれほど恐怖であり、また不安でもあるかということは、言うまでもないであろう。

 ところが実態はこうした状態なのに、この国の総理大臣を含む全閣僚は、この真実には一切触れない。その上、地球温暖化と気候変動によって、多分間近に迫っているであろう食糧危機やエネルギー危機にも一切触れないし、この国の人口減少や天文学的な額に達してしまっている借金(政府債務残高)についても触れようともせず、ただ「国の安全保障」だけを繰り返しているのである。

 歴代の総理大臣以下、閣僚も、そして一般の国会議員についても、日本国とその国民に対してこれほど無責任で無能なことはないのだ!

 彼らは「日の丸」(国旗)の前では恭しく頭を下げてみせるが、それは見せかけで、実際には、彼らには愛国心などかけらもないのかもしれない。

 

 では、もし日本が本物の国家、それも民主主義を実現した国家となったなら戦前から戦後の今日までの歴代の日本政府、すなわちその間の内閣総理大臣および閣僚そして官僚たちのやって来たことやそのやり方については、具体的には何がどのように変わると期待できるだろうかそのことについてもここで少し考えておこうと思う。

 その総論的答えとしては、先ずは中央政府では、総理大臣は本来の内閣を真に総理する大臣となり、政府内全組織に対して統括し、指揮できるようになるだろう。また、総理大臣に任命された閣僚は閣僚で、総理大臣の指揮の下で、国会の議決内容に従って、内閣が閣議決定した執行方針に基づいて、配下の全官僚を指揮監督しながら、執行させることができるようになるだろう。

 その場合、総理大臣の元には、権力にはおもねずに、あくまでも国民の生命と自由と財産の安全保持を第一に考えて、大所高所から、また科学的合理的見地から国家目標や国家戦略を提言できる本物の知識人たちが政府の頭脳(ブレイン)として集められるようになるだろう。

 また、国民の生命と自由と財産を守るための行政を行う上で、必要な情報は、細大漏らさずに総理大臣の元に最速で集まるようになると同時に、総理大臣が国民に向けて発した事柄も、最速で、国の末端の地方自治政府にまで伝達され、その自治体の権限を侵さない範囲で、直ちに執行されるようになるだろう。

 また、こうした統治が国の全体に対して速やかに行われるようになるためには、中央政府内の各府省庁間での、官僚たちが「互いに他の府省庁の管轄範囲に踏み込まない」などといった勝手な理屈をつけては戦後ずっと設けてきた「タテ割り」などという悪弊も、首相と全閣僚、さらには全国会議員を含む全政治家の結束の下に撤廃されるようになるだろう。

そして、各府省庁の官僚の人事評価権や罷免権は、同憲法第15条第1項に拠り、国民の代表としての担当大臣が行使することになり、官僚を含む役人一般は、同じく憲法第15条に拠り、各府省庁の大臣の監督下で真の「公僕」としての公務員となり、常に大臣の指示のもとに公務を行うようになるだろう。

 こうして、これまでの官僚が当たり前にやってきた、闇での、あるいは非公式に権力を行使することなどまったく不可能となる。官僚の「官尊民卑」の思想も維持できなくなる。

 そして、これまで、官僚たちが互いに所属府省庁の既得権を維持するために、そしていかにも民主主義的手続きを踏んだかのように装っては国民の目をごまかしてきた「審議会」制度も完全に撤廃される。これまで幾度となく国民から非難されながらも官僚たちが続けてきた産業界への「天下り」や「渡り鳥」も完全に不可能となる。つまり、公務員も、民間企業人と同様、定年で退職すれば、基本的にはそこで現役は終わり、となる。もちろん役人だけが天国と国民から思われるような税金の無駄遣いも、各担当大臣のコントロール下では、不可能となる。

 予算についても、これまでは執行機関が立てていて、それを当たり前として来たが、これからは、憲法も改正されて、国民から納められたお金の使途は、公僕に拠って決められるのではなく国民の利益代表である政治家によって国会にて、あるいは国会の委託を受けた複数の公認会計士を含めた公正で中立なる第三者機関によって、使途の優先順位を明確化した上で決められて行くようになるだろう。それは一般会計予算のみならず、特別会計予算についてもである。

 その結果、これまで官僚が自分たちの既得権維持のために設けて来た「国家的事業」ないしは「公共事業」は興せなくなるだけではなく、産業界を優遇する巨額の無駄遣いもできなくなり、高級官僚の「天下り」も不可能になる。

そうなれば、これまでは「財政の健全化」などと全く口先だけで済まされてきた超巨額の政府債務残高も順調に返済されて行くようになると並行して、国民の福祉向上の実現と教育の質の向上の実現も最優先の政治課題となってゆくだろう。

 外交も、定まった国家目標や国家戦略に基づき、「合法的に最高な一個の強制的権威を持つ者」によって全権委任された者を通じて、つねに日本の存在を世界に知らしめられるまともな外交が行われるようになるだろう。

 一方、中央政府が真の指導者を持つ真の政府となると共に、都道府県庁や市町村役場という地方政府も、共にそこでの真の指導者を持つことになり、国全体の統治の体制が整うようになる。

すなわち、都道府県庁の役人も、市町村役場の役人も自主的・主体的自覚が高まり、公務員は真の公僕となり、真の「自治」体となり、それだけ中央政府に支配されたりすることなく、各地域の実状や特殊性に合った行政が行われるようになる。

 そして今後は、地球温暖化が進む中で、ますます頻繁に生じることになるであろう、次々と登場してくる新手のウイルスのパンデミックをも含めた自然大災害時(巨大地震時、大洪水時、巨大津波時、大豪雨時、巨大台風通過時)にも、国家として、必要で正確な情報を地方政府を通じて速やかに収集し、それを時々刻々国民に流すとともに、被災者を最大限迅速に救済しては、必要な検査や適切な医療を施し、またそれを継続できる国家を挙げての危機管理体制も出来上がって行くようになるだろう。

 食糧もエネルギーも自国で、あるいは各地域で自給できるようになるだろう。

 

 以上、こうしたことが次々と実現されて行くことによって、非常事態あるいは国民的大惨事がいつ生じても国民はそれを冷静に受け止められるようになり、冷静沈着に対処できるようになるのである。

もちろんその時、これまでのように官僚や役人の利益が真っ先に守られるようにして政策や対策が打ち出されるというようなことはなくなり、いつでも主権者である国民の生命と自由と財産が第一に守られ、国民の人権と幸福が真っ先に考慮される統治が行われるようになる。

 

 また、国民や産業界に発せられることは全て、そしていつでも、明確に定まり公布された法律に基づいてなされるようになる。これまでのような、定まった法律もないのに、曖昧な形での指示や要請や勧告あるいは目安が発せられるというようなことはなくなる。

 したがってそこでは、たとえば安倍晋三がしょっちゅうやってきたような、憲法条文や法律条文を恣意的に解釈変更してはそれを執行するという行為は「法の支配」に挑戦する行為、民主主義とは逆行する専制的行為として、あるいは国賊として、無条件に国会にて弾劾されるようになる。つまり、もはや安倍晋三がやってきたようなことはできなくなるのである。

 また官僚についても、会議録など、官僚が記録して残すべき公文書を残さなかったり、これまでの公文書を改ざんしたり、またそれを破棄したりする、ということもできなくなる。

もしそれをしたなら、直ちに担当大臣によって、躊躇なく断罪されて、罷免されるようになるからだ。

 

 とにかく、国が本物の国家となるということは、国会が質問の場ではなく、正真正銘の立法府となり、名実共に国権の最高機関となることだ。

そしてその国会も、議論されるテーマについてはつねに優先順位が考慮されて議論され、立法されて行くようになるだろう。

それは同時に、あくまでも政府は議会が議決した法律なり政策を執行する機関となり、その政府の中枢である内閣は、議会が議決して公式の政策となったそれをいかに効率よく迅速に執行して成果を上げられるかという執行方法を閣僚同士で議論して決定するための機関となることを意味する。それはまた、官僚たちが組織を挙げて出して来た案を各閣僚が合意の署名をして追認してはそれを「閣議決定」として来た、またそうしてはあたかも重要な政策を立法府の審議を経ずとも実行してしまえるかのように、それを正当化するための手段に使ってきた(内田樹(たつる)赤旗日曜版2014.3.16付)これまでの閣議閣議決定のあり方は根本から変わることをも意味する。

 また、国が本物の国家となるということは、司法も、国会はもちろん、政府内閣からも独立して、「三権分立」あるいは「三権独立」が真に行われる国になるということでもある。

 

 なお、この国が本物の国家となる上で、もう一つ、どうしても実現させねばならないことがある。それは、いわゆるシビリアン・コントロールと言われる「文民統制」に関することである。

この国では、「5.15事件」や「2.26事件」が結果的に軍部の独走を許し、それが中国侵略になり、アジア・太平洋戦争へとのめり込んで行き、その挙句に国を無条件に降伏しなくてはならないような敗北をさせてしまったことの教訓として、このような事件を二度と起こさないようにするために、シビリアン・コントロールを口先だけで済ますのではなく、「文民統制を貫ける、国民にとって安全で信頼できる、兵に対する統治機構」(K.V.ウオルフレン「日本の知識人へ」窓社p.164)というものを政治家によって考え抜き、例えばクーデターといった非民主的暗躍などを防止する二重三重の法や諸条件を整備すると共に、「厳格な文民統制を国民に保証できる実権と技術・知識・人材・経験をそなえた防衛大臣」をどうしても国民の手で育てる必要があるということだ。

2.6 国家とは何か、日本は国家か、なぜ国家でなくてはならないか —————その1

2.6 国家とは何か、日本は国家か、なぜ国家でなくてはならないか—————その1

 この国では、国家戦略とか国家権力、国家転覆、国家的危機、あるいは国家公務員、国家試験と、頭に国家なる文字を冠した言葉が時々聞かれる。ではその国家と国とは違うものなのか。

 もちろん違う。大違いだ。

ところがこの国では、私の見るところ、政治家の間でも、政治学者の間でも、また政治評論家や政治ジャーナリストの間でも、きちんと問題とされたことがない。学校でも教えない。

 それはそうであろう。既述してきたように(2.2節)、この国では、政治家の間でも、民主主義政治を行ってゆく上では、絶対に、それも正確に理解していなくてはならない基本的な政治的概念の一つ一つが、ほとんど曖昧なままにされてきたのだから。

例えば主権、権力とその成立の根拠、議会、最高権、政府、内閣、首相の役割、閣僚の役割、三権分立、民主主義、独立国、市民、人権、統治、自治、法の支配、法治主義専制、独裁、等々についてである。

 また、中央政府ないしはその中の各府省庁という本来役所のことを「クニ」と呼び、都道府県庁という、同じく「役所」であるそれらを「ト」、「ドウ」、「フ」、「ケン」と呼び、同じく役所である市町村役場のことを「シ」、「チョウ」、「ソン」と呼んで平気でいるのもその類に属する。

 この後者の例などは、今や、この国では、政治家も、政治学者も、政治評論家も、政治ジャーナリストも、もちろん役人も、そしてNHKを含むほとんど全てのメディアも、とにかくもう国中の人間が、その意味の違いも考えずに、重要な政治用語を、平気で混用している最も典型的な実例だ。

 この事実1つを取って見ても、この国の政治が今、中央から地方まで、体たらくも体たらく、もうシッチャカメッチャカとなるのは当たり前なのだ。

 

 しかし、以下で述べるように、特に国家と国のそれぞれの意味とその違い、中央政府とクニの違い、都道府県庁とト・ドウ・フ・ケンの違い、市町村役場とシ、チョウ、ソンの違いを、正確に理解しておくことは、決して大げさな言い方ではなく、私たち国民一人ひとりにとっては極めて重要なことなのである。特に緊急に国民あるいは住民の生命と自由と財産の安全が確保されねばならないような事態が生じたときには、あるいは国民にとって、「今すぐに助けに来て欲しい」というような緊急事態が生じたときには、これらが明確に区別されて理解されていることが絶対に必要となるからだ。

 ところが既述したように、この国では、国と国家が平気で混用されてきたことからも判るように、国民にとっての大惨事や大災難が生じたときには、決まって、対応が遅れてしまって、無用な犠牲者を出して来てしまったのだ。

 例えば、阪神淡路大震災の時、東日本大震災の時、西日本豪雨災害の時、九州北部豪雨の時の中央政府と地方政府の動きは迅速果敢であったろうか。

事実は、すべて出遅れた。出遅れただけではない。どれも、今以て被災された方々全ては救われてはいない。そしてその原因は、よく新聞が書いていたような「初動態勢の遅れ」といった性質の問題では決してないのだ。

 

 ではそもそも国家とは何か。そしてこの日本という国は国家なのか、そしてなぜ国家でなくてはならないのか。

 以下、これらの問いの答えを、一つ一つ、明確にしてゆく。

とは言っても、実は、表題に掲げた3つの問いのうち、第1の問いに対する答えは既に2.2節の中で明確にして来た————またそれは4.1節の定義集の中でも明らかになろう————。

第2の問いに対する答えについても、同2.2節にて間接的には明らかにしてきた。現在の政治家という政治家はすべて、一旦は辞めさせるべきだ、とする私の理由説明の中で、である。

ただ、第3の問いの答えだけは、未だ言及はしてこなかった。

 しかし、本節では、その第3の問いを含めて、改めて表題に掲げた3つの問いそれぞれに対する答えについて考え直してみようと思う。

なぜなら、それらの問いの答えには、特に私たち日本国民にとっては、その生命と自由と財産の安全確保のために、またこの国にとっては、この国が世界から価値のない国、信頼するに値しない国と見られないために、最大級に重大な内容を含んでいるからである。

 私がそう思った直接のきっかけは、西村経済再生担当大臣が2020年の1月頃から感染が始まった「新型コロナウイルス禍」に対する政府の対応に関して、3業種のガイドラインの概要の説明をしているとき、何の臆面もなくこう言ったことだ。

この日本の法体系はあくまでも要請ということであります。(2020年6月13日)

これには私は驚愕した。ここには、国家の大臣でありながら、法とは国家権力の物理的行使による拘束や制裁を受けるルールであるという、世界では当たり前に理解されているところの、法の最も基本的な特性すら知らないという事実が見て取れたからである。
要するに、政府の中枢である内閣の閣僚すら、「法律」と「要請」との違いも判ってはいないのだ。だから、法の裏付けもないのに、平気で「要請」を連発するのだ。そのことによって国民がどれだけ混乱させられるか推測もしないで。

 実は私には、これと同様な驚愕を感じたことが遥か昔にもあった。

それは、民主党が政権を執り、菅直人氏が2代目の総理大臣だった時のことである。

「3.11」の大地震の直後、大津波東京電力福島第1原子力発電所を襲い、その結果、原発が次々と全電源を喪失して、格納容器への冷却が効かなくなってしまったために爆発するかもしれないとなった時に、政府内の周囲の反対を押し切って、同氏が単身、ヘリコプターで現地視察したことである。

 この行為から、彼は、総理大臣でありながら、国家とは何かということも知ってはいなかった、と私は確信を持ったのである。

 もしその時、菅氏が「国家とは何か」を知っていて、なお、この日本国が本物の国家であったなら、政府の最高責任者であり最高司令官でもあった菅直人が、水素爆発が今にも起こるかも知れないという東京電力福島第一原発の現場上空に単身ヘリコプターで急行する(広河隆一「検証 原発事故報道」DAYS JAPAN)———実際にはそこに「原子力安全・保安院」のメンバー、「原子力安全委員会」の委員長も同行(3月12日6時19分)———などということは絶対にあり得なかったからだ。

 なぜなら、菅氏が、問題の原発上空に差し掛かった時、もしも不幸にして原発が水素大爆発を起こしたなら、総理大臣であり国の最高指揮官としての菅氏の生命はどうなるか。その時、この国は最高指揮官を失うことになる。そうなったら、あの大惨事の後、誰が政府の指揮を執ったと言うのであろうか。

 菅氏はあの時、多分、そんなことにも思いが至らなかったのだ。あるいは至っていたとしても、単身でも現地に急行して、視察し、帰ってきた方が、その後の政府内での指示がしやすいと考えたのかもしれない。

 どっちにしても、この事実だけからでも、私たち日本国民は何を知っておくべきだろうか。

それは、この国では、首相になるような政治家でさえも、国家について正確な理解もなければ、認識もないということだ。

 

 そのとき私は思った。ひょっとしたら、西村氏のような人物を任命した総理大臣安倍晋三も「法律」と「要請」との違いも知らないのではないか。否、それだけではない。大臣でさえこうなのだから、あるいは総理大臣になるような者さえ国家とは何かを知らないのだから、先にも述べて来たように(2.2節)、この国の政治家という政治家のほとんどが、政治家であったなら当然、そして絶対に知っていなくてはならない基本的政治用語のほとんどを知らないのも当然ではないか、と。

 それにしても、中央政府として新型コロナウイルス対策に当たるにしても、そしてそのコロナウイルスがいかに急速に国内で猛威を振るい始めたとしても、これは誰が普通に考えても管轄する省庁は厚生労働省のはずだから、厚生労働大臣一人いれば、その大臣の指揮統括の下で、態勢を組んで対処すれば済むはずと思われたのに、そのコロナ対策に当たる大臣が4人も総理大臣に任命されるなどということ自体(田村厚生労働大臣と西村経済再生担当大臣、河野太郎行政改革担当大臣、赤羽国土交通大臣)、やはりこの国では、閣僚を任命する総理大臣安倍晋三自身も、国家とは何かということを知らないのだ、と私は確信したのだ————もっとも、安倍晋三は、彼がよく国連などで口にしていた「法の支配」も民主主義も実際には知らなかったし、憲法とは何かすら知らなかったのだから、国家とは何かを知らないのも当然と言えば当然なのかもしれない————。

 

 そこで、改めて第1の問いである、国家とは何か。

世界的にも信頼されている確かな書籍に基づくと、その定義はこうなる。

 国家とは、「社会の構成分子たるあらゆる個人または集団に対して、合法的に最高な一個の強制的権威を持つことによって統合された社会のこと」(H.J.ラスキ「国家」岩波現代叢書p.6)。

または、「政府を公式に代表できる人または集団が存在していること」、あるいは「政治的な説明責任の中枢が存在していること」(カレル・ヴァン・ウオルフレン「人間を幸福にしない日本というシステム」毎日新聞社p.79)。

さらにはこう言い換えてもいいだろう。「国の進路を決めることができる、公式で、満足な舵取りとなる人または集団が存在していること」(同上書p.80)。

さらに私なりに言い換えると、国家とは、国民が、「この人に聞けば国の政治状況の全体を最終的な責任をもって説明してくれる人、あるいは説明できる人が政府の中枢でいてくれる国であること」、ということにもなると思う。

 つまり、世界の民主主義の国では、いずれも、ただ単に国であるだけではなく、上記のように定義される国家を成しているのである。

 これらの国家を定義の表現の中で特に重要なのは、次の語句であると私は考える。

それは、「合法的」に、「最高」な、「一個」の、「強制的権威」という言葉だ。また、「公式に」あるいは「公式で」という言葉であろう。

 なお、ここでの「合法的」、「最高」、「一個」、「強制的権威」に関連して、ジョン・ロックはその主著「市民政府論」の中でこう表現する。

「一切の政府の権力は、(中略)、それは臨機の命令、不明瞭な決定、恣意放縦であるべきではなく、したがって確定し公布された法によって行使されねばならないのである」(p.141)。なぜなら、「社会の構成員は社会の公の意志以外のものに服従の義務を負ってはいない」(p.153)からである。

 なお、「国の進路を決めることができる、公式で、満足な舵取りとなる人または集団が存在していること」が国家ということでもある、ということについてはもはや説明するまでもないであろう。

 補足すれば、ここでの「公式で」とは、「周知されて、定まった方式により」、あるいはジョ・ロックが説明に用いている「『社会の公の意志』により定まった方式により」といった意味なのであろう。

 なお、「権力」とは、幾度でも言うが、「他人をおさえつけ、支配する力」のことなのである(広辞苑)。

 こうして国家とは、あるいはその国が国家であるとは、どのようなものかが明確になったわけであるが、だがここで少し考えてみれば判るように、ここまでの国家の定義は極めて抽象的なものであって、実際には、あるいは現実は、たとえ「合法的に最高な一個の強制的権威を持つ者」あるいは、「政治的な説明責任の中枢」が存在していたとしても、それだけでその社会がいつでも統合される、すなわちその社会の構成員の全てが一つに統べ合わせられるとは限らないのである。

 そこで、いつでも統合されるためには、そのような者が存在していると共に、国の中央から地方あるいは末端に至るまで、次の意味で統治の体制が整っていることが必要になるのである。

それは少なくとも3つあると私は考える。

 1つは、国の中央から地方に至るまでの全ての公的組織・公的機関に関して、それぞれの役割と管轄事項と権限(計画と財源に関しても含まれる)と責任の区分とが憲法あるいは法の裏付けをもって明確となっていることである。

 1つは、もし合法的に最高な一個の強制的権威を持つ人から、あるいは政府を公式に代表できる人から、なにがしかの指示あるいは命令が下されるとしても、それは常に「法の支配」に基づいていなくてはならないということである。

 もう1つは、その指示と命令が、関係する国の公的組織・公的機関のすべてに、途中で滞ることなく、速やかに行き渡り、その指示と命令通りに実行される体制が整っていることである。

 ここに、「関係する国の公的組織・公的機関のすべてに、途中で滞ることなく、速やかに行き渡り」とは、必要な情報または伝達事項が中央から地方へという向きだけではなく、その反対に地方から中央へという向きにもという意味であり、また、それも、「縦」方向だけではなく、組織の境界を超えて「横」あるいは「水平」方向へも常にスムーズに伝達される、との意味である。

つまり公的組織・公的機関相互の関係が「縦割り」であったら、もうそれだけで、たとえ「合法的に最高な一個の強制的権威を持つ者」あるいは、「政治的な説明責任の中枢」が存在していたとしても、統合が阻害されてしまい、「統治の体制が整っていること」にはならず、したがってこの国は国家であるとは言えなくなるのである。

 なお、これは特に重要なことなので幾度でも繰り返すが、政府から国民に向ってなにがしかのことが発せられるということは、それは、国民をしてその発したことに従わせ、また支配することであるから、権力を行使することそのものだ、ということである。

その場合、国民はそれに従っても従わなくてもどちらでもいいとして政府がものを発することはありえない。それでは却って国民を混乱させてしまうし、そのようなものだったら社会に混乱を招くだけで、秩序は維持できないし、統合も不可能となるからである。

 その辺の事情は、司法における裁判所の判決と同様だ。判決は明らかに、国家としての権力行使だ。その中身は、白でもいいし、黒でもいい、あるいはその中間のグレーでもいい、などという判決は絶対にあり得ない。つねに白黒はっきりさせなくてはならない。

 権力を行使するということはそういうことなのである。

それだけに、誰が、いつ、どこで、どのような権力を、どのように行使したのか、そしてそれは合法的か、つまりすでに公布された法律に基づくものかということは、私たち国民は、主権者として、主権者の責任と義務において、常に最も注意深く政府の動きを監視していなくてはならないのである。

特に官僚を含む役人一般が権力を行使する場合には要注意だ。

というのは、彼らには、本来、権力は国民から負託されてはいないからだ。それは日本国憲法を見ても明らかだ。それは、彼らが立場上において「公僕」であり「国民のシモベ」という性格上、当然でもあり、仕方がないことでもあるのである。

そんな彼らが権力を行使しうる場合はただ一つ。すでに公布済みの法律を執行する場合のみである。それが「法の支配」ということなのだからである(山崎広明編「もういちど読む山川政治経済」山川出版社p.8)。

 ところで、例えば、各府省庁の官僚たちが、それぞれ、自分たちに好都合な専門家を恣意的に選任しては、審議会や各種委員会を立ち上げて、そこに専門家たちを招集することは明らかに権力を行使することである。が、そんな権力は彼らにはもともと与えられてはいないのである。もちろん、その審議会や委員会を立ち上げる際、自分たちの言いなりになる座長なり委員長を事前に選んでは、その審議会や委員会を裏で、あるいはその場で実質的に仕切るなどというのも、紛れもなく権力行使だ。

 ところがこの国では、官僚たちによるこうしたことが長いこと、当たり前のように行われてきた。それは担当大臣が、国民の代表としての自身の大切な役割であり責任でもある、官僚たちをコントロールするということを怠り、官僚たちを放任してきたからだ。というより、逆に大臣が官僚に操られるという始末だったからだ。

 実際、政府内の各府省庁にある200余の審議会が、一見は民主主義を装いながら、実質、どれほど日本の民主主義の実現を阻んできたか、私たちは知らなくてはならないのである。

 こうした事情から、政府の側も、国民に向かって発する内容は、「要請」などいった類の、場当たり的であったり随意のものであったりしては断じてならず、しかも発するどんな内容も常に「合法的」、すなわち公布済みの確定した法律に裏付けられていなくてはならないのである。「法の支配」を守るとは、そういうことなのだ。

 以上のことを踏まえて、既述した、西村経済再生担当大臣が臆面もなく発した、とんでもない、錯覚とも言える次の言葉を思い出していただきたいのである。

この日本の法体系はあくまでも要請ということであります。(2020年6月13日)

 

 次に第2の問いとして、この日本という国は国家か、国家と言えるか少なくとも明治維新以来今日まで、この国が本物の国家であったことは一度でもあるか、について考えてみる。

 理由説明は後回しにして、その答えを先に言えば、明らかに「ノー!」である。

この日本が国家、それも上記のように定義された国家であったことなど、今の今まで、一度としてない。

その根拠を以下に説明する。

その際、明治維新以降から今日までを2つの区間に分けて説明する。

前半は、明治維新以降からアジア・太平洋戦争敗北まで、後半は、その敗北時点から令和の今日まで。

 そこで、まずは前半の「明治維新以降から今日まで」についてである。

 明治維新とは、ご存知の通り、薩摩藩長州藩の二藩の西郷隆盛大久保利通木戸孝允らの下級武士たちが、政治権力を握り、日本を近代国家とするために行なった一連の政治過程のことである。

しかし、薩長政府が握ったその政治権力は、正当な手続きを経て手にしたものではなく、いわば、横取りしたものだったことはすでに述べたとおりである。

その結果、彼ら権力者たちは、自分たちの政権には正統性がないことに気づいていた。

 だから、大久保利通らは恐れた。いずれ民衆はそのことに気づき、自分たちが徳川幕府を倒したと同じように、自分たちの政権を倒そうとして立ち上がってくるのではないか、と。

 そこで、薩長政権にはいかにも正当性があるかのように国民に見せるための、彼らが考え出した秘策が二重権力構造だ。

それは、表には、あるいは公式には、国民の前には天皇を立て、その天皇に唯一最高の、というより絶対の権威と権力があると見せかけ、裏では、自分たちがその天皇を操る形で立ち回って、実質的な権力は自分たちが握り、それを行使する、という策だ。

そのために取ったのが天皇制だと私は思う。

天皇制とは、明治維新により成立し、明治憲法大日本帝国憲法)によって法的に確立させ(1889年)、昭和20年9月2日、連合国が日本に突きつけたポツダム宣言を受け入れることによって無条件降伏したその日まで続いた、天皇を「現人神だ」とまで祀り上げ、天皇には陸海軍の全てを指揮し統率することのできる権力である統帥権(軍事権)と、本来は政府が所持するはずの統治権(政治権)の両権力を大権として所持しているとした、天皇絶対の国家体制(国体)のことである。

 そしてその天皇制においては、天皇は単に立憲君主制に基づく国の主権者としての君主というだけではなく、統治権をも所持しているとされたがために、その地位は帝国議会である国会や中央政府の上にあるとされた。

 つまり天皇は、いわば、大統領と首相と党首の全ての権力を握り、その意味で「総統」と呼ばれたナチスヒットラーと同じような、表向きは独裁者としての権力を所持していたのである。

 ただしここで大事なことは、当時のこの国が、本当に、いつでも、こうした絶対権力を有する天皇の下に、社会全般が統合されていたなら、あるいは天皇が、いつでも、政治的な説明責任の中枢ばかりか軍事的な説明責任の中枢となっていたなら、あるいは、天皇が、いつでも国の進路を決め、舵取りとなり得ていたなら、それは、体制の善し悪しは別として、当時の大日本帝国という国は、名実ともに本物の国家であった、と言えたであろう。

 しかし、薩長政権が考え出した秘策は、天皇をして、天皇がいつでも大権を行使できる立場には置かなかった。

あくまでも天皇はそうした大権を持っていると国民には信じ込ませておきながら、実際には、薩長政権の寡頭政治家たちあるいはその後継官僚たちが、自分たちのことを「天皇のシモベ」、「天皇の官僚」ということにしながら、天皇を自分たちの都合のいいように利用する、というものだった。

そうした二重権力構造を持った日本は、先の「国家」の定義に照らし合わせてみれば明らかなように、日本は国家ではあり得なかった、あるいは似非国家でしかなかったのだ。

 しかし、そうした状態をさらに複雑したのが、日本の軍部の存在とその有り様だった。

その軍部の有り様とは、陸軍と海軍が互いに分裂していたことであり、また陸軍部隊でありながら、当時「支那」呼ばれた中国の東北部に駐屯していた関東軍が、事実上陸軍の中枢とは独立して行動していたことだ。その関東軍は、政府はもちろん天皇にさえも自分たちに都合の良いことしか伝えずに、また天皇の裁可を仰がずに、そして陸軍の中枢である参謀本部を無視する形で、独断専行してもいたからだ。

 この権力分散状態は、もはや国家どころではない。

 そうした権力分散状態が象徴的に現れるのが、いわゆる満州事変であり、日中戦争だった。

その日中戦争によって日本は泥沼にはまってゆき、そうした中で、アメリカとイギリスに宣戦布告し、同時に、日本は東南アジアにも侵略を開始して、アジア・太平洋戦争へと突き進んでいったのである。

 その結果は、もう日本国民だったら誰もが知っているとおり、連合国によるポツダム宣言を受諾しての無条件降伏という日本の完全敗北だ。

 

 では、後半のアジア・太平洋戦争敗戦後から今日まではどうであったろうか。国家と言えたのであろうか。国家であったのだろうか。

 この国では、総理大臣はいても、彼がその名の通りに政府全体、すなわち全府省庁の閣僚を「総理」しているのではない。指揮し統率しているのでもない。

そのことは、例えば、総理大臣が閣僚を任命はしても、閣僚が不祥事を起こした際、そして国民が罷免を要求しているときに、閣僚を任命した総理大臣は「ご自身が判断することだ」と言うばかりで、自分の判断と決断で辞めさせたことなど一度もないことからも判る。

 もちろん、各閣僚も、担当府省庁の官僚を統治し得ているわけではない。むしろ実態は逆だ。閣僚は配下の官僚と官僚組織の「操り人形」化している。そして官僚らにとっては、閣僚はしばらくすればいなくなる「お客さん」でしかない。そして総理大臣は、政府省庁の官僚と官僚組織にとっての「お飾り」的存在にすぎない。

つまりこの国では、総理大臣が何党の誰になろうと、実質的には官僚とその組織が国民全体を統治していることには変わりはない。

 こうした状態を少し具体的に言うとこうだ。

 政府————もちろん中央政府であるが————とは言っても、たとえば各府省庁間の関係はバラバラのままだ。閣僚はもちろん、内閣を「総理」する大臣もそれを放置してきた。個々の府省庁の官僚は————もちろん大臣も————、互いに他の府省庁の管轄範囲に踏み込んだり干渉したりすることはしないことを暗黙の了解事項としながら、横の連絡を絶ちながら————これがいわゆる「行政の縦割り」と言われる状態である————、各府省庁は自省の既得権を守るための行政、あるいは既得権の範囲を拡大するための行政を行って来ただけだ————そしてそのためには、本来彼らにはそうした権力行使は絶対に許されないことだが、自分たちの既得権益保持または拡大のために、好都合な立法を画策して来たのである。その代表的手段に一つが「審議会」だ————。

 その上、法律も、国会の政治家は国会の使命も知らず、またサボっていて作っては来なかったために、そして政府の政治家、すなわち総理大臣を含む全閣僚も、自分たちでは法案を作らずに、選挙当選時に国民から負託された権力を官僚に丸投げしてしまったので、各府省庁の官僚はそれをいいことにして、互いに他の府省庁の行政的縄張りを干渉しない、あるいはそれに抵触しない法律を作っては、専管範囲を互いに確保して、既得権を維持あるいはその拡大を図りながら行政を行って来たのだ。

 

 こうして、とにかく、この日本という国では、「政治的な説明責任の中枢」、「国の進路を決めることができる、公式で、満足な舵取りとなる人または集団」が存在した試しは一度としてないのだ。

 それに、この国では、統治上の指示・命令・情報・要求の伝達が、中央から地方へ、また反対に地方から中央へという「縦」方向だけではなくなく、組織の境界を超えて「横」方向へも常にスムーズに流れた試しもない。それを阻んでいるのが、中央政府から地方政府に至るまでの政府内組織間の「タテ割り」だ。

これが、国民の福祉の分断を始め、税金の無駄遣いや産業の分断、国土の分断等々、この国のあらゆる面にどれほどの弊害をもたらし、無駄を強いてきたか知れないのである。

 また、この国では、中央政府と地方政府との間で、それぞれの役割と管轄事項と権限と責任の区分が明確であった試しもないし、そもそもそのような区分は憲法にも法律にも、どこにも明確されてもいない————参考までに言えば、衆議院の解散についてだって、憲法にはどこにも明記はないのに、それのこじつけ的解釈により、総理大臣の専権事項だとされ、いつの間にかそれが「常識」となってしまっている————。

 こうした統治の体制の不備と欠陥により、例えば今回の「新型コロナウイルス」感染対策を巡ってでも、中央政府と地方政府との間でどれほどの混乱を招き、その結果、どれほど無意味に感染者を増やしてしまい、また死者を出してしまったかしれないのである。

 つまり、この日本という国は、今のところ、どういう観点から見ても、国家ではない、国家とは言えないということである。

 これが本節の表題の第2の問いの明確な答えである。

 

 では第3の問い、「どうして国は国家でなくてはならないか」についてである。

 この問いに答えるのには、もし国が国家でなかったなら、すなわち国家と言える統治体制を整えていなかったなら、どういうときに、どういうことが起こり得るのだろうか、ということを明らかにすればいいのであるが、その前に、国が国家でなくてはならない理由を考える上で、

皆さんには、次のような例を比喩として想像して見ていただきたいのである。

 それは、家庭でもいい、企業でもいい、団体でもいい、軍隊でもいい、あるいは海洋を運行する船舶や空を飛行する航空機でもいい、とにかく複数の人々から成るある集団を想定してみていただきたいのです。そしてそのとき、その集団を構成する一人ひとりの生命や自由あるいは財産を脅かすような緊急事態が発生したとしてみていただきたいのです。

 そしてそのとき、もし、その集団の全員に対して、起こっている事態の状況や、避難の仕方について、最終的な責任を以て説明できる者がいなかったなら、その集団内の人々のその後の行動や運命はどうなるだろうか、と。

あるいはまた、その集団の全員に対して、説明をする者がいたとしても、その者が一人ではなく複数であったなら、その集団内の他の人々の行動はどうなるのだろうか、と。

 前者の場合には、人々は、あまりにも突然のことであるがために、何をどう判断し、またどう行動したら判らず、みんなが個々ばらばらに行動するようになると予想される。そうなればパニックを引き起こし、集団はかえってより危険な状態に陥ってしまう。

 また後者の場合には、集団は、複数いる説明者の中の一体誰の説明を信じ、また従ったらいいのか判らなくなってしまい、そうなるとその場合も、かえって整然とした行動が取れなくなり、混乱を深めてしまいかねなくなる。

 こうなると、上記二つのいずれの場合も、集団内の人々は、救われる命も救われず、守られるべき財産も失ってしまうことになるかもしれない。

 家庭、企業、団体、軍隊あるいは客船や旅客機の例えの場合には未だ人の数もそれほど多くはないが、それが大都市や一国となったなら、その場合に最終的な責任を以て説明できる者がいなかったり、最終的な責任を持たずに説明する者が複数いたりしたなら、それこそ、大惨事になりかねない。特に大集団ともなれば、その中には様々な人がいるから、デマや誹謗や中傷も飛び交うかも知れない。あるいは特定の人たちをみんなで攻撃するために扇動する人も出てくるかもしれないから。

 こうしたことを想像してみただけでも推測はつくように、集団がこうした混乱に陥って悲惨な事態を招いてしまわないようにするには、つまり集団全体がまとまって整然と統一行動できるようになるには、その場合、少なくとも次の三つの条件が揃っていることが必要であることが判るのである。

1つは、その集団から事前に認められた、あるいは事前に合意を得た、時には強制的力を発揮しうる人が存在すること。1つは、そしてその強制的力の度合いは、集団内の他の誰が発する指示よりも上回っていること。つまり最高であること。1つは、その強制的力を発揮しうる人は一人に限られること。

 この三条件が揃っていて初めて、集団は安心してその人の下に行動できるのである。

 実はこうしたことは、ある特定の集団が、外部の集団と交渉ごとを行う場合にも全く同じことが言える。つまり「外交」においても、である。

 二つの集団が、それぞれ全員で交渉に当たることなど、通常、とてもできるわけはない。そこで、双方、誰かその交渉に当たれる人を定めなくてはならない。それも、それぞれの集団の全員から承認を得た人を。つまり、それぞれの集団を代表して、全権を与えられて交渉に当たれる人を、それも一人を、である。

 そうでなかったら、そんな二人が向かい合って交渉したところで、その場では何も決定はできないからだ。

そうなれば、その都度問題を持ち帰って、全員で対応方法を考えて、その答えを携えて交渉の場に戻らねばならなくなる。しかしいちいちそんなことをしていたのでは交渉にはならないのである。

 ただし、ここで、このような比喩を考える場合、一つだけ知っておかねばならないことがある。それは、ヒントを提示するときに述べたような社会の一般的な集団の場合には、たとえ上記三つの条件を兼ね備えた者が存在したとしても、国家の場合とは違って、その者には集団に対する強制「的」権威はあっても、法に裏付けられた強制力そのものは持ち得ないということである。

国家の場合には、その三条件を備えた者が発する指示や命令は、すでに確定し公布された「法律」に基づくものであるから強制力が伴う。だから、その場合、指示や命令に従わなければ法律をもって罰せられるのである。

2.3 そもそも政治家とは何か、役人とは何か、そして両者のあるべき関係とは何か—————その2

2.3 そもそも政治家とは何か、役人とは何か、そして両者のあるべき関係とは何か—————その2

 

昨日、安倍首相が体調の悪化を原因に辞意を表明しました。これからの政権はどうなっていくのでしょうか。私たち一人ひとりに直結する問題です。
今、改めて私たちは「政治」について考える必要性に迫られているのではないでしょうか。

 

今回の記事は前回の記事に続くものです。
以下のリンクから飛んでいただけますので、まずは「その1」を読んでいただき、本記事に目を通していただければ幸いです。

 

itetsuo.hatenablog.com

 

 

 

 

それは、私たち国民は少なくとも次の5つの事柄についても十分に理解している必要がある、ということである。

その1つは、政治家の最大使命である「立法」に関することである。

2つ目は、政治家に国民から負託された権力の行使の仕方についてである。

3つ目は、政治家は絶えず「既存の全法律の見直し」の必要性がある、ということについてである。

4つ目は、「権力の濫用者と闇権力の行使者」を厳罰に処する法律の制定についてである。

そして5つ目は、「議論」ということについてである。

第1の立法に関して。

これについては、さらに細かく見れば、次の3つになると私は考える。

政治家は、自分たちこそが法律をつくる立場である、ということの意味についてである。

立法するにも、極力曖昧さを残さない条文にしなくてはならない、ということの意味についてである。

政治家が最優先で定めなくてはならないのは、主権者である国民の福祉のための政策であり予算であり法律だということについて。

そこで⑴についてである。

「法律は政治家がつくる」とはよく言われることだが、そこには、とくにこの国の政治家が日頃やっていること以上にはるかに重大な意味と使命があるのではないか、と私は考える。それは、たとえば司法、すなわち裁判は政治家がつくった法律に基づいてなされることを考えてみただけでも推測はつく。

いかに独立した機関でなくてはならないとされる裁判所でも、そこを仕事場とする裁判官や検察官や弁護士は、あくまでも既存の法律に基づいて審理を重ねるのであるし、判決についても、たとえ新しい解釈がなされるにしても、あくまでも既存の法律と既存の判例に基づいて下される。

このことから判るように、裁判官や検察官や弁護士でさえも、彼らが判断する規準を創ってみせなくてはならないのが政治家だということなのだ。

ということは、政治家は、公約を掲げる時にも、議会で活動するときにも、つねにそこまで考えて行動しなくてはならないということである。

そしてそのことは、これまでは見られなかった風潮や価値観あるいは人権意識が社会の中に新しく生まれて来たり、これまでは法の対象とはなり得なかった事象や社会的に忌避されて来たことが無視し得なくなって来たりした場合とか、あるいはまた、前代未聞の大災害が起って、これまでの法体系の中では対応しきれない事象が次々と生じて来たりした場合などにはとくに重要な意味を持つことになる。

たとえば、2011年の東日本大震災とその直後の東京電力福島第一原発メルトダウン大爆発事故というどちらも前例のない大災害・大事故によって被災された人々は既存の法律や法体系によって、速やかにちゃんと救済されたか、救済され終えただろうか。2020年に日本のみならず世界中がその恐怖に脅えた「新型コロナ・ウイルス」に因るパンデミックという、これまた戦後になって前例のない事態に対して、この国の既存の法律と法体系はその感染拡大を最小限に抑えるために役に立ち得ただろうか。また感染してしまった人々を最も速やかに救済し得ただろうか。また、現場の医療従事者に対しては、肉体的かつ精神的疲労とストレスを緩和して、持続可能な医療態勢づくりに既存の法体系は有効に働いただろうか。また、感染拡大の中、一人ひとりの行動自粛の掛け声の中で仕事を失い、経済的損失を被った人々を速やかに救済するのに、既存の法体系は有効に作用し得ただろうか。

残念ながらそれらの問いに対する答えは、いずれも明らかに「ノー!」だ。

もちろんそこには、日本は「国家」ではない、という統治体制上の不備も手伝っていたことは間違いない。

ところがそんな中、小池都知事(当時)は、既存の法律では決してそんな権力など行使できない「首都封鎖(ロック・ダウン)」を公然と口にしたのだ。しかもそれに対しては、私の知るかぎり、ほんのわずかの人を除いては、“そんな権力行使は今の法律ではできないのだ”とは誰も指摘も批判もしなかったのだ。

私はその時にも思ったものだ。やはりこの国の国会議員も都知事も政治ジャーナリストも、そして政治学者や法学者さえも、権力————他者を押さえつけ、支配する力のこと————の行使には法律の裏付けが不可欠なのだという、本物の民主主義国では当たり前の政治原則も知らないのだ、と。そして彼らはいずれも政治の専門家ということになってはいるが、国民一人ひとりに判断を委ねるような「要請」は統治では無いし、統治していることにもならない、という理解も認識もないのだ、と。であれば、もはやこの国には政府はないということなのだから、国中が大混乱に陥ってしまうのは当たり前ではないか、と。

要するにここには、既存の法律には新事態に対応しうる力はないのだから、それを新たに、それも緊急に立法すればいい、という発想を誰も持っていなかったことだ。奇妙なことに、国会議員にさえその発想はついぞ見られなかった。

つまり、ここには、立法は何のために、誰のためにするのか、ということがほとんど理解されていない政治家の姿がある。では緊急に臨時議会を開き————そのためには現行日本国憲法第53条を生かし————、そこに専門家を招聘しては彼らの助言を真摯に仰ぎ、自国民の生命・健康を守るために新たな法律を国会にて大至急つくり、それを政府に執行してもらおうという発想もないのだ。

これでは、今後、温暖化の激化や政治家の怠慢と無責任に因るツケが主原因で、ますます頻発するであろう前代未聞の事態に国民は救われないままとなってしまう。

このように、政治家は、同じく「法律」に関わる立場であるとは言っても、裁判官や検察官や弁護士の役割や使命とは全く質を異にするのである。後者の立場はあくまでも「現行法に則り、それに依拠しながら解釈し判断する」立場であるのに対して、前者の政治家は、既存の常識あるいは通念を弁えつつも、必要に応じてそれには囚われずに、敢然と「法を創造しなくてはならない」立場だからである。

だから政治家は、ただ漠然と公約を掲げればいいのではない。つねに時代の変化を読み、前例のない事態、想定外の事態が目の前に起った時には、被災者・被害者の「生命・自由・財産」を最優先に守る観点から、専門家や知識人の助言を真摯に受け止めながら、人々をもっとも速やかに、かつ最も適切に救済できる新法をもって国民の信託に応えられるよう、平時から哲学を学び、法学をも学んでいなくてはならないのだ。

⑵について。

一般論から行こう。

例えば、社会の規則や集団の規則そして組織の規則というものが、明文化されてはいても、その表現が曖昧であったならどういうことになるだろう。

憲法も法律も規則である。規則(ルール)というものは、その集団に属する誰にでも、いつでも、公平に適用されなくてはならないものである。また規則というものは、そこに表わされたところ以上に及ぶどんな義務を課してもならないものである。

と同時に、とくに憲法や法律という公的な規則は、人々の合意に基づくものでなくてはならない。

そのためには、どんな公的なルールも、臨機のものであってはならず、「定まった」もので、かつ「恒常的」なものでなくてはならない。そうでなくては、その規則に縛られる人は安心できないからである。そのためには、先ずは文章として表わされたものでなくてはならない。その場合も、それを読む者だれもが、極力、たった一通りにしか解釈できないような表現でなくてはならない。その意味でその文章は曖昧であってはならない。曖昧さを残した文章にすると、必ず恣意的な解釈を可能とさせてしまうからだ。とくにその規則を適用したり運用したりする者———それは執行権を所持する機関の者、すなわち政府の官僚———に、その時の気分や状況に左右された「思いつき」や「気紛れ」を差し挟ませてしまう危険性があるからである。それでは、それに縛られる人からしたら、「いつでも、誰もが、公平に扱われた」ということにはならない。

では国会議員に限らず地方議会の議員も、上記のような条件を満たした明解な法律そして明確な条文にするためにはどうしたらいいか。それは、執行機関の者を一切入れず、国民・住民の代表である議員どうしだけで、後述するような「議論」を尽くし、その上で議決し、議決した内容を正確に明文化すればいいのではないか、と私は考えるのである。

⑶の、政治家が最優先で定めなくてはならないのは、主権者である国民の福祉のための政策であり予算であり法律だということについて。

どうしてこれが政治家としての心得となるか。

それは、この国の戦後政治を見ると、国民の福祉の実現以前に、産業界、とくに大規模産業を優遇する政治が一貫して行われて来たという事実があるからだ。そしてそうなったのも、幾度も述べて来たが、この国の政治家という政治家が国民に対する本来の責務を一向に果たさず、「果てしなき経済発展」、「果てしなき工業生産力の発展」こそ国力を高める道との強迫観念を持つ官僚や役人に権力を委譲し、彼らに立法を放任して来た結果なのだ。その結果、彼ら官僚は、公僕でありながら、主権者である国民の幸福よりもつねに産業の発展、とりわけ大企業の発展を最優先にしてきた。またそれをすることにより、官僚は、自分たちの専管範囲である業界に「天下り」して、第二の人生の就職先としてありつけたからである。

しかし先の政治家の定義からも判るように、政治家はあくまでも主権者である国民から選挙にて選ばれた国民の唯一の政治的利益代表であって、企業という法人から選ばれた人ではないのである。

であるから、政治家が最優先で定めなくてはならないのは、主権者である国民の福祉のための政策であり予算であり法律なのである。たとえ政治家が、あるいは政党が、特定の産業界ないしは企業からいわゆる「政治献金」を受け取っていたとしても、国民以上に、あるいは国民よりも優先して、その産業界や企業を税制面その他の政治面で優遇することは決して許されない。

もしその原則に逆って政治家ないしは政党が議会でその産業界や企業を優遇する何かを決めたなら、その場合の政治献金は、政治資金規正法の中身がどうであろうと、また献金する側とそれを受け取る側がどのような弁明を並べようとも、実体は賄賂という性格を持つことになる。直接的であれ間接的であれ、「見返り」あるいは「便宜」を求めた金であることは明らかだからだ。

政治家が政治を行う上でつねに最上位に置かれ、最優先されるべきは主権者である国民なのである。国民の福祉を実現し、またそれを向上させることなのである。それが民主主義ということだし、またそれをすることが政治家の主権者への忠誠ということなのだ。

 

第2の政治家に国民から負託された権力の行使の仕方についてである。

政治家が選挙時に国民から負託された権力の行使の仕方には二つの意味があるということである。

一つは言うまでもなく、各政治家が掲げて来た公約を実現するために、議会でそのための立法をするという権力行使の仕方。もう一つは、自分たちが議会で決めた政策を、政府に執行させるという権力行使の仕方である。

とくに中央政府ではその中枢である内閣の各閣僚は、国会が定めた政策を自分の担当する府省庁の官僚(役人)を指揮し統率して、議会が決めた政策どおりに最速かつ最高度の効率をもって執行するよう権力を行使しなくてはならないということである。

つまり政治家、とくに総理大臣と閣僚は官僚たちの操り人形であっては断じてならないということである。

こうしたことが政治家に義務づけられ使命とされているのも、「権力は人民に由来し、権力は人民が行使する」(広辞苑第六版)という考えに基づく「デモ・クラシー(民主主義)」に拠るものだ。

 

第3の、「既存の全法律の見直し」の必要性ということについて。

このことを真剣に考えなくてはならない理由としては、少なくとも3つはある、と私は日頃考えている。

1つは、この国の法律は、第1の⑶とも関係しているが、明治期の官僚たちが作った「殖産興業」という国策以来の流れを汲む戦後の「果てしなき経済発展」なる暗黙の国策の下で、ほとんどが官僚によって作られてきたものであり、その内容もほとんどが国民の福祉の充実を目的とするというよりもつねに産業を優先するという考え方を基本としたものであるから、というものである。世界的には、「近代」という時代が終わったいま、そしてこれからはポスト近代として、《エントロピー発生の原理》と《生命の原理》を時代の支配原理としてゆかねば人類はもはや生きられないという時代にあって(第3章を参照)、産業優先の法体系は根本から見直されなくてはならないからだ。

もう1つは、この国の既存の法律には、法の実質的作者であり運用者でもある官僚の恣意をいつでも差し挟める表現があり過ぎるほどあり、それがそのままになっているから、というものである。

法の運用者が恣意を差し挟めるということは、国民は「法の下での平等」原則が守られないことを意味し、その法を安心して頼れないということを意味するのである。

そして3つ目は、もはや時代遅れの内容のものがいつまでもそのままになっているものがかなりあるから、というものである。

法が時代後れということは、人権が適性に守られないということを意味するのである。

こうしたことも、言ってみれば、国民の生命と自由と財産を最優先に守ることを使命とする政治家の怠慢がもたらしている事態なのだ。

たとえば第2の例として「検察庁法」について見てみよう。

この法律は、三権分立の原則に立つとき、立法権からも執行権からも独立していなくてはならない裁判の場における検察官のあり方に深い関わりを持つ法律だ。

そうでなくとも、この国では、検察官の権限が異常に強大なのだ。

検察官は、犯罪や不祥事の容疑者について、捜査するもしないも、逮捕するもしないも、尋問するもしないも、そして起訴するもしないも、自分一人で決めることができる権限(自由裁量権)を持っている(K.V.ウオルフレン「システム」p.112)

これも、この国の政治家の民主主義への無理解と官僚依存という怠慢がもたらしてしまっている事態なのである。

六法全書有斐閣)によると、この法律は全36条、わずか1ページそこそこの分量から成る法律であるが、そんなわずかな法律条文の中に、上記のような異常に強大な自由裁量権を持つ検察の行動について、「・・・・することができる。」という表現が何と11カ所もある。「・・・と必要と認めるときは、・・・・」という表現は2カ所もある。

「・・・することができる」とは、法律を運用する者のその時の気分によっては、「・・・しなくてもいい」ということでもある。「・・・と必要と認めるときは、・・・・」とは、同じく法律を運用する者がその時「・・・を必要と認めないときには、・・・」ということでもある。

つまり、両者とも、法の運用者から見れば、その時の気分ひとつでどっちも選べる、ということだ。

私たち国民はこのことの意味することの危うさ、不公平さ、不公正さをよく考えなくてはならない。これは国民にとって重大なことなのだ。

法を運用するのは官僚である。法に基づいて量刑し、求刑するのは検察官で、裁定を下すのは裁判所判事である。そして検察官も裁判官も、この国では法務省の統轄下にある。とは言っても、法務大臣は—————法務大臣に限らず、すべての府省庁の大臣がそうであるが————配下の官僚を国民に成り代わってコントロールするという本来の職務を果たさずに、むしろ配下の官僚に追随しているから、検察官も裁判官も実質的には法務省官僚の手の中にある、と言ってよい。

したがってこのような条文から成る法の下では、いかに犯罪者に弁護士が付いて、「法の支配」とか「法の下での平等」を主張しようとも、私たち国民は誰もが公平に扱われる保障はないのである。

第3の例としては、例えば「民法」が挙げられる。「災害救助法」が挙げられる。

そこでここでは具体例として、今後ますます必要となると考えられる「災害救助法」について具体的に見てみる。

たとえば東日本大震災において、被災した人が、被災後丸9年を経たというのに、未だ、仮設住宅から出られず、また故郷に還られずにいるということ、しかも中には将来に希望を見出せず心を病んでしまった人や絶望の余り自殺した人がいるということは、災害救助法とは銘打っていても、実質的には法として機能していないということなのだ。

ただ仮設住宅を建てるとか土地のかさ上げをするといったハード面で対処していればいいというものでは決してない。被災者同士の励まし合いや国民の被災者への激励に任せておけばいいというものでも断じてない。

むしろ係累のすべてを失い、持つ物もすべて失い、打ひしがれている被災者の心に寄り添い、再起できるまでの長い道のりを支援するソフト面の対処をも総合的に法律がカバーするようでなくてはならないはずだ。こうした対処を阻んでいるのも、やはり政府省庁間での官僚たちによる「縦割り」だ。

そしてその状態をずっと放置してきているのも、やはり担当閣僚を含む総理大臣や与党政治家たちなのだ。

とにかく、今こそ全政治家は、既存の法律のすべてを、その内容の適否、時代に相応しいものであるか否か、表現が明確でいつでも誰もが公平かつ公正に適用される法になっているのか否か、そして内容についても、何が許されて、何が許されないかが明瞭であるか、等々について全面的にチェックし、不要であればそれを廃棄し、また必要であれば表現を改めるべきなのだ。

なお、この作業は官僚に任せておいてはいけない。そういう問題法律を意図的につくって来たのは官僚だからだ。

 

第4の、権力の濫用者と非公式権力の行使者を厳罰に処する法律を制定する必要がある、ということについて。

そもそも非公式権力または闇権力とはK.V.ウオルフレ氏が用いた言葉であるが、両方とも、定まった法律に裏付けをもたない権力のことを言う。

したがってそうした権力を行使することは何人たりとも許されないのだ。もちろん主権者でありながら被統治者でもある国民はそれを許さない。実際、ジョン・ロックも、「一切の政府の権力は、(中略)恣意放縦であるべきではなく、したがって確定し公布された法律に拠って行使されねばならない。」、「臨機の命令、不明瞭な決定によるべきではない」とその代表作である著書に明記している(p.141)。

それは、既存の定まった法律に基づいて判断できるような行為であったなら、国民から訴えられた時、裁判所もそれに対処しうるのであるが、非公式権力ないしは闇権力を行使されたなら、国民として、裁判に訴えようもなく、どのような法的手段をもってしても対抗のしようがないからである。それでは、国民は主権者たり得ない。

なお、権力の濫用が国と国民に対してどれほど深刻で悪い影響をもたらすかということは既に述べてきたが、非公式権力の行使も権力の濫用の内に入るのである。

とくにこうした非公式権力を頻繁に行使するのは中央府省庁の官僚である(後述する2.5節参照)

たとえば行政指導通達がそれだ。政令省令もそれに含められる。あるいは既述して来たような、所属府省庁の既得権の維持や拡大を目論んだ法律を実現するために、自分たちの方針にお墨付きを出してくれる「専門家」を恣意的に人選しては審議会を設立するというのもそれに含まれる。また審議会を設立した後、そこに集められた専門家を実質的に自分たちの意図する方向に仕切る、というのも闇権力の行使に当たる。

こうした権力行使が国民の目の届かないところで行われ、国民の代表である政治家もそれを見て見ぬ振りをし、いつの間にか審議会の結論が内閣で閣議決定され、国会を通って公式の法律なり政策なりになってしまうということが、国と国民にとって、また民主主義にとってどれほど危険なことか、容易に理解できよう。それは、言ってみれば、官僚とその組織にこの国全体が乗っ取られたことを意味するのである。そしてそれを閣僚も総理大臣も許している、ということなのである。

権力の濫用と言い、闇権力の行使と言い、それらは、通常よくメディアが報道する類いの犯罪に比べて国民や産業界に比較にならないほどの悪影響をもたらす、と私が強調するのはそのためである。

その意味で、このような権力の行使をした者は、国の主権者としての国民の義務として、あるいは市民として、容赦なく断罪に処する必要がある。現行日本国憲法も、“公務員を選定し、およびこれを罷免することは、国民固有の権利である”とは謳ってはいるが(第15条の1項)、今のところ、その条文は全く生かされてはいない。生かす法律も未だない。それは当然であろう。実質的に立法権を丸投げされている官僚たちがそのような法律を作るはずはないからだ。

つまり、政治家こそがこの国を、明治期以来ずっと官僚独裁の国にして来たのだし、見せかけの民主主義の国にしてきたのだ。

 

最後の5つ目の「議論」についてである。

例えば、国会でやっていること、地方議会でやっていることは議論と言えるだろうか。議論の名に値するだろうか。

私は全く違う、と思う。NHKなどはよく「国会論戦」とか「国会討論」などと表現してみせるが、論戦や討論どころか議論にもなっていないと言える。

やっていることは、既述して来たように、儀式場での茶番劇でしかない。言いっぱなしだし、聞きっぱなしだ。そして全てがあらかじめ国会対策委員会という名の談合の場で決められたスケジュールのままに進行してゆくだけだ。

本来、国会を含めて議会は、「言論の府」と言われるように議論の場、論戦の場でなくてはならない。

では、本当の議論とはどういうことであろう。そしてなぜ議論が必要なのであろう。

以下に、これについて、改めて考えてみる。

議論とは、辞書的には、「互いに自分の説を述べ合い、論じ合うこと。意見を戦わせること」(広辞苑第六版)とあるが、こと政治分野に関しては、政治家にとってはもちろん、政治家のやっていることを見つめる私たち国民にとっても、その程度の説明ではとても不十分であると私は考える。

そこで、本来、議論とは何か、ということである。

それは、そこに参加する誰もが、先ずは互いに相手に敬意を払いながら、先入観や固定観念、前例や慣例、さらには社会通念に縛られずに、自身の想像力や洞察力を豊かにし、そして歴史や哲学からも真摯に学びながら、長期的な視点を持ち、相手の意表をつくような指摘をし合い、そこに参加する者たちの思考のレベルを高め、幅を広げてゆけるような、きわめて柔軟かつ創造的で建設的なやりとりのことである。論戦も、読んで字のごとく、互いの持論を戦わせることで、議論とさほど違いはない。

だから、議論では、互いに持論を言いっ放しにするのではなく、また最初から結論ありきとするのでもなく、とにかく相手の言い分に理があると認められるときにはそれを謙虚に受け入れる心の用意を維持することも重要となる。

議論のための議論や、判り切ったことを尤もらしく語り合ったり、形だけのことをするだけだったら時間の無駄である。

では、なぜ議論をするのか。

もともと、政治家は、その一人ひとりが、国民(住民)全体の代表なのではなく、主権者ではあるが異なる主張や要望を持つ一定の集団を代表しているに過ぎない。

したがって、政党あるいは会派とは、国民(住民)の中のある部分の代表に過ぎないし、ある意見やある要求を共通に持った部分としての集団を代表しているに過ぎないのである。

議会とは、そうした全体の中の部分を代表した人々が集う場なのである。それだけに議会とは、各政治家が、自分が背負う一部の人々から託された要求であると同時に自らも支持者に約束した政策案(公約)を実現するために、多数の賛同が得られるように論理を組み立て、誠意を尽くしながら、また時には妥協点を捜しながら、他の政治家と前述した意味での議論をしては彼らを説得して、自分の訴えるところが公式に認められるように全力を尽くす場なのだ。

それだけに議論というものは、その性格上、つねにオープン、すなわち公開の中で進められねばならない。

ではこの国の議会では、国会を含めて、こうした意味での議論を、こうした目的を持って行っているか。

それは、これまで再三述べて来たように、全くの「ノー!」だ。

そもそもそうさせてしまう最大の原因がいわゆる「国会対策委員会」という名の談合の場の存在だ。

これが国会における自由闊達な議論を三重の意味で妨げている。1つは、オープンで公正な議論を不可能にしている。1つは、議論を形骸化させ、いっそう議会を儀式場化させてしまっている。1つは、最初から、「結論ありき」にさせてしまっている。

もちろん議会は、役所側の者に向って質問する場でもない。また従来のそのような質問は、決して議会の行政に対するチェック機能を果たしていることでもない。

質問したかったなら、普段から、役所(政府)に自ら足を運び、関係部署の役人に自分の知りたいことを尋ね歩き、必要なデータなり資料を提出させたらいいのである。彼らにはそれが公然と出来る権限と権力が主権者から与えられているのだから。

また、質問したかったなら、然るべき関係分野の専門家ないしは知識人を自ら訪ね、そこでじっくり尋ねたらいいのである。あるいは議会として然るべき専門家を複数招聘し、そこで全議員でさまざまな角度から質問したらいいのである。その場合の専門家とは、自己の研究の成果として掴みとった科学的真理を権力に媚びることなく、公正中立の立場で説明のできる真の知識人(6.3節を参照)でなくてはならない。

政治家のそうした真摯で積極的な行為には、有権者はきっと合意するであろう。

とにかく、敢えて国会で、自分を支持してくれた地元の有権者にこれ見よがしに一般質問なり代表質問という演技をすることはない。

そんな演技より、公約を政策として実現させてみせることこそ支持者の望んでいることなのだ。

それに、議会をそのような真に意味のある場にすれば、国民のお金である「立法事務費」や「政務調査費」の総額も格段に減らせるのである。「政党助成金」だってまったく不要にさせられる。

因に国会議員に配られる政党助成金は一人当たりおよそ4500万円だ(2012年9月11日 週刊ポスト。または2020年1月17日NHK BS101)。その額は、私たち国民に知らされており、また日本国憲法がその第49条でそれしか認めていない歳費という名の議員報酬およそ1600万円(平均)の実に3倍弱だ。政治家は、既述して来た実態でありながら、また「身を切る改革だ」などと言いながら、こういうお金だけは享受できる立法はしているのである。

正に税金泥棒としか言いようがない!

ただし、共産党だけは、そのような政党助成金は廃止されるべきとして受け取ってはいない。

なお、今、この国では、とくに地方の議会、それも過疎化の進んでいる地域、あるいは高齢化のとくに進んでいる地域での議会では、議会議員のなり手がいなくて、行く行くは議会が消滅するかも知れないといった深刻な状況にある。

しかし私は、こうなるのも、結局は、この国では、政府のかつての文部省と今の文科省が、子どもたちに、学校で民主主義を身につける教育をして来なかったことの必然的結果だと確信するのである。

文部省や文科省が、誰もその全人生を通じてほとんど役にも立たない瑣末の知識、断片的知識を覚えさせるという画一教育などせずに、むしろ互いに多様な個性や能力を認め合うように仕向け、問題が目の前に生じたなら、みんなで議論し、みんなで解決策を探し出し、それをみんなで協力し合いながら実行して問題を解決あるいは克服して行くという訓練を豊かにさせていたなら、今、いかに地方が高齢化し、また過疎化しているとは言っても、決して議員のなり手がいないなどといった状況にはならなかったと私は確信するのである。

 

では政治家が前述して来た5つの事柄を実行できるようになるには、どうしたらいいのであろう。

そのためには、日本の政治家は、先ずは、やはり、政治家とは何か、国民の代表となるとはどういうことかということを、たとえばジョン・ロックモンテスキュー、ルソーなど民主主義政治を理論的に確立してくれた先人・先哲たちの原点を読み、その内容を十分に理解することであろう。政治に対して独善的であってはならないし、自分たちの先輩がして来た事を真似していればいいというものではないからだ。そしてつねに物事の根幹を理解しておくことが必要なのだ。

次には、法とは何かをも、勝手な解釈によるのではなく、それらの先人からしっかりと学ぶことである。その上で、政治家は、「法は人間の権利の表現である」との基本的観点に立つことであろうと思う。

それには、人間とは何かから始まって、人権とはどういうことかを、自らとことん理解することである。いや、理解しているだけでは不十分だ。なぜなら、時代はつねに変化しているからだ。時代の変化とともに社会も変化して、人々の人権意識も変化するからだ。そうなれば人権の範囲も内容も変化し、たえず新しい問題を提起してくるようになる。そしてその新事態は政治に対しても必然的にこれまでにはない要求をして来るのである。

政治家がそれをすることにより、国家はその目的———国家の成員の最大の満足を得ることができるような条件を創り出すこと(H.J.ラスキ「国家」岩波現代叢書p.8)———を果たせるようになるのである。