LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

2.6 国家とは何か、日本は国家か、なぜ国家でなくてはならないか —————その1

2.6 国家とは何か、日本は国家か、なぜ国家でなくてはならないか—————その1

 この国では、国家戦略とか国家権力、国家転覆、国家的危機、あるいは国家公務員、国家試験と、頭に国家なる文字を冠した言葉が時々聞かれる。ではその国家と国とは違うものなのか。

 もちろん違う。大違いだ。

ところがこの国では、私の見るところ、政治家の間でも、政治学者の間でも、また政治評論家や政治ジャーナリストの間でも、きちんと問題とされたことがない。学校でも教えない。

 それはそうであろう。既述してきたように(2.2節)、この国では、政治家の間でも、民主主義政治を行ってゆく上では、絶対に、それも正確に理解していなくてはならない基本的な政治的概念の一つ一つが、ほとんど曖昧なままにされてきたのだから。

例えば主権、権力とその成立の根拠、議会、最高権、政府、内閣、首相の役割、閣僚の役割、三権分立、民主主義、独立国、市民、人権、統治、自治、法の支配、法治主義専制、独裁、等々についてである。

 また、中央政府ないしはその中の各府省庁という本来役所のことを「クニ」と呼び、都道府県庁という、同じく「役所」であるそれらを「ト」、「ドウ」、「フ」、「ケン」と呼び、同じく役所である市町村役場のことを「シ」、「チョウ」、「ソン」と呼んで平気でいるのもその類に属する。

 この後者の例などは、今や、この国では、政治家も、政治学者も、政治評論家も、政治ジャーナリストも、もちろん役人も、そしてNHKを含むほとんど全てのメディアも、とにかくもう国中の人間が、その意味の違いも考えずに、重要な政治用語を、平気で混用している最も典型的な実例だ。

 この事実1つを取って見ても、この国の政治が今、中央から地方まで、体たらくも体たらく、もうシッチャカメッチャカとなるのは当たり前なのだ。

 

 しかし、以下で述べるように、特に国家と国のそれぞれの意味とその違い、中央政府とクニの違い、都道府県庁とト・ドウ・フ・ケンの違い、市町村役場とシ、チョウ、ソンの違いを、正確に理解しておくことは、決して大げさな言い方ではなく、私たち国民一人ひとりにとっては極めて重要なことなのである。特に緊急に国民あるいは住民の生命と自由と財産の安全が確保されねばならないような事態が生じたときには、あるいは国民にとって、「今すぐに助けに来て欲しい」というような緊急事態が生じたときには、これらが明確に区別されて理解されていることが絶対に必要となるからだ。

 ところが既述したように、この国では、国と国家が平気で混用されてきたことからも判るように、国民にとっての大惨事や大災難が生じたときには、決まって、対応が遅れてしまって、無用な犠牲者を出して来てしまったのだ。

 例えば、阪神淡路大震災の時、東日本大震災の時、西日本豪雨災害の時、九州北部豪雨の時の中央政府と地方政府の動きは迅速果敢であったろうか。

事実は、すべて出遅れた。出遅れただけではない。どれも、今以て被災された方々全ては救われてはいない。そしてその原因は、よく新聞が書いていたような「初動態勢の遅れ」といった性質の問題では決してないのだ。

 

 ではそもそも国家とは何か。そしてこの日本という国は国家なのか、そしてなぜ国家でなくてはならないのか。

 以下、これらの問いの答えを、一つ一つ、明確にしてゆく。

とは言っても、実は、表題に掲げた3つの問いのうち、第1の問いに対する答えは既に2.2節の中で明確にして来た————またそれは4.1節の定義集の中でも明らかになろう————。

第2の問いに対する答えについても、同2.2節にて間接的には明らかにしてきた。現在の政治家という政治家はすべて、一旦は辞めさせるべきだ、とする私の理由説明の中で、である。

ただ、第3の問いの答えだけは、未だ言及はしてこなかった。

 しかし、本節では、その第3の問いを含めて、改めて表題に掲げた3つの問いそれぞれに対する答えについて考え直してみようと思う。

なぜなら、それらの問いの答えには、特に私たち日本国民にとっては、その生命と自由と財産の安全確保のために、またこの国にとっては、この国が世界から価値のない国、信頼するに値しない国と見られないために、最大級に重大な内容を含んでいるからである。

 私がそう思った直接のきっかけは、西村経済再生担当大臣が2020年の1月頃から感染が始まった「新型コロナウイルス禍」に対する政府の対応に関して、3業種のガイドラインの概要の説明をしているとき、何の臆面もなくこう言ったことだ。

この日本の法体系はあくまでも要請ということであります。(2020年6月13日)

これには私は驚愕した。ここには、国家の大臣でありながら、法とは国家権力の物理的行使による拘束や制裁を受けるルールであるという、世界では当たり前に理解されているところの、法の最も基本的な特性すら知らないという事実が見て取れたからである。
要するに、政府の中枢である内閣の閣僚すら、「法律」と「要請」との違いも判ってはいないのだ。だから、法の裏付けもないのに、平気で「要請」を連発するのだ。そのことによって国民がどれだけ混乱させられるか推測もしないで。

 実は私には、これと同様な驚愕を感じたことが遥か昔にもあった。

それは、民主党が政権を執り、菅直人氏が2代目の総理大臣だった時のことである。

「3.11」の大地震の直後、大津波東京電力福島第1原子力発電所を襲い、その結果、原発が次々と全電源を喪失して、格納容器への冷却が効かなくなってしまったために爆発するかもしれないとなった時に、政府内の周囲の反対を押し切って、同氏が単身、ヘリコプターで現地視察したことである。

 この行為から、彼は、総理大臣でありながら、国家とは何かということも知ってはいなかった、と私は確信を持ったのである。

 もしその時、菅氏が「国家とは何か」を知っていて、なお、この日本国が本物の国家であったなら、政府の最高責任者であり最高司令官でもあった菅直人が、水素爆発が今にも起こるかも知れないという東京電力福島第一原発の現場上空に単身ヘリコプターで急行する(広河隆一「検証 原発事故報道」DAYS JAPAN)———実際にはそこに「原子力安全・保安院」のメンバー、「原子力安全委員会」の委員長も同行(3月12日6時19分)———などということは絶対にあり得なかったからだ。

 なぜなら、菅氏が、問題の原発上空に差し掛かった時、もしも不幸にして原発が水素大爆発を起こしたなら、総理大臣であり国の最高指揮官としての菅氏の生命はどうなるか。その時、この国は最高指揮官を失うことになる。そうなったら、あの大惨事の後、誰が政府の指揮を執ったと言うのであろうか。

 菅氏はあの時、多分、そんなことにも思いが至らなかったのだ。あるいは至っていたとしても、単身でも現地に急行して、視察し、帰ってきた方が、その後の政府内での指示がしやすいと考えたのかもしれない。

 どっちにしても、この事実だけからでも、私たち日本国民は何を知っておくべきだろうか。

それは、この国では、首相になるような政治家でさえも、国家について正確な理解もなければ、認識もないということだ。

 

 そのとき私は思った。ひょっとしたら、西村氏のような人物を任命した総理大臣安倍晋三も「法律」と「要請」との違いも知らないのではないか。否、それだけではない。大臣でさえこうなのだから、あるいは総理大臣になるような者さえ国家とは何かを知らないのだから、先にも述べて来たように(2.2節)、この国の政治家という政治家のほとんどが、政治家であったなら当然、そして絶対に知っていなくてはならない基本的政治用語のほとんどを知らないのも当然ではないか、と。

 それにしても、中央政府として新型コロナウイルス対策に当たるにしても、そしてそのコロナウイルスがいかに急速に国内で猛威を振るい始めたとしても、これは誰が普通に考えても管轄する省庁は厚生労働省のはずだから、厚生労働大臣一人いれば、その大臣の指揮統括の下で、態勢を組んで対処すれば済むはずと思われたのに、そのコロナ対策に当たる大臣が4人も総理大臣に任命されるなどということ自体(田村厚生労働大臣と西村経済再生担当大臣、河野太郎行政改革担当大臣、赤羽国土交通大臣)、やはりこの国では、閣僚を任命する総理大臣安倍晋三自身も、国家とは何かということを知らないのだ、と私は確信したのだ————もっとも、安倍晋三は、彼がよく国連などで口にしていた「法の支配」も民主主義も実際には知らなかったし、憲法とは何かすら知らなかったのだから、国家とは何かを知らないのも当然と言えば当然なのかもしれない————。

 

 そこで、改めて第1の問いである、国家とは何か。

世界的にも信頼されている確かな書籍に基づくと、その定義はこうなる。

 国家とは、「社会の構成分子たるあらゆる個人または集団に対して、合法的に最高な一個の強制的権威を持つことによって統合された社会のこと」(H.J.ラスキ「国家」岩波現代叢書p.6)。

または、「政府を公式に代表できる人または集団が存在していること」、あるいは「政治的な説明責任の中枢が存在していること」(カレル・ヴァン・ウオルフレン「人間を幸福にしない日本というシステム」毎日新聞社p.79)。

さらにはこう言い換えてもいいだろう。「国の進路を決めることができる、公式で、満足な舵取りとなる人または集団が存在していること」(同上書p.80)。

さらに私なりに言い換えると、国家とは、国民が、「この人に聞けば国の政治状況の全体を最終的な責任をもって説明してくれる人、あるいは説明できる人が政府の中枢でいてくれる国であること」、ということにもなると思う。

 つまり、世界の民主主義の国では、いずれも、ただ単に国であるだけではなく、上記のように定義される国家を成しているのである。

 これらの国家を定義の表現の中で特に重要なのは、次の語句であると私は考える。

それは、「合法的」に、「最高」な、「一個」の、「強制的権威」という言葉だ。また、「公式に」あるいは「公式で」という言葉であろう。

 なお、ここでの「合法的」、「最高」、「一個」、「強制的権威」に関連して、ジョン・ロックはその主著「市民政府論」の中でこう表現する。

「一切の政府の権力は、(中略)、それは臨機の命令、不明瞭な決定、恣意放縦であるべきではなく、したがって確定し公布された法によって行使されねばならないのである」(p.141)。なぜなら、「社会の構成員は社会の公の意志以外のものに服従の義務を負ってはいない」(p.153)からである。

 なお、「国の進路を決めることができる、公式で、満足な舵取りとなる人または集団が存在していること」が国家ということでもある、ということについてはもはや説明するまでもないであろう。

 補足すれば、ここでの「公式で」とは、「周知されて、定まった方式により」、あるいはジョ・ロックが説明に用いている「『社会の公の意志』により定まった方式により」といった意味なのであろう。

 なお、「権力」とは、幾度でも言うが、「他人をおさえつけ、支配する力」のことなのである(広辞苑)。

 こうして国家とは、あるいはその国が国家であるとは、どのようなものかが明確になったわけであるが、だがここで少し考えてみれば判るように、ここまでの国家の定義は極めて抽象的なものであって、実際には、あるいは現実は、たとえ「合法的に最高な一個の強制的権威を持つ者」あるいは、「政治的な説明責任の中枢」が存在していたとしても、それだけでその社会がいつでも統合される、すなわちその社会の構成員の全てが一つに統べ合わせられるとは限らないのである。

 そこで、いつでも統合されるためには、そのような者が存在していると共に、国の中央から地方あるいは末端に至るまで、次の意味で統治の体制が整っていることが必要になるのである。

それは少なくとも3つあると私は考える。

 1つは、国の中央から地方に至るまでの全ての公的組織・公的機関に関して、それぞれの役割と管轄事項と権限(計画と財源に関しても含まれる)と責任の区分とが憲法あるいは法の裏付けをもって明確となっていることである。

 1つは、もし合法的に最高な一個の強制的権威を持つ人から、あるいは政府を公式に代表できる人から、なにがしかの指示あるいは命令が下されるとしても、それは常に「法の支配」に基づいていなくてはならないということである。

 もう1つは、その指示と命令が、関係する国の公的組織・公的機関のすべてに、途中で滞ることなく、速やかに行き渡り、その指示と命令通りに実行される体制が整っていることである。

 ここに、「関係する国の公的組織・公的機関のすべてに、途中で滞ることなく、速やかに行き渡り」とは、必要な情報または伝達事項が中央から地方へという向きだけではなく、その反対に地方から中央へという向きにもという意味であり、また、それも、「縦」方向だけではなく、組織の境界を超えて「横」あるいは「水平」方向へも常にスムーズに伝達される、との意味である。

つまり公的組織・公的機関相互の関係が「縦割り」であったら、もうそれだけで、たとえ「合法的に最高な一個の強制的権威を持つ者」あるいは、「政治的な説明責任の中枢」が存在していたとしても、統合が阻害されてしまい、「統治の体制が整っていること」にはならず、したがってこの国は国家であるとは言えなくなるのである。

 なお、これは特に重要なことなので幾度でも繰り返すが、政府から国民に向ってなにがしかのことが発せられるということは、それは、国民をしてその発したことに従わせ、また支配することであるから、権力を行使することそのものだ、ということである。

その場合、国民はそれに従っても従わなくてもどちらでもいいとして政府がものを発することはありえない。それでは却って国民を混乱させてしまうし、そのようなものだったら社会に混乱を招くだけで、秩序は維持できないし、統合も不可能となるからである。

 その辺の事情は、司法における裁判所の判決と同様だ。判決は明らかに、国家としての権力行使だ。その中身は、白でもいいし、黒でもいい、あるいはその中間のグレーでもいい、などという判決は絶対にあり得ない。つねに白黒はっきりさせなくてはならない。

 権力を行使するということはそういうことなのである。

それだけに、誰が、いつ、どこで、どのような権力を、どのように行使したのか、そしてそれは合法的か、つまりすでに公布された法律に基づくものかということは、私たち国民は、主権者として、主権者の責任と義務において、常に最も注意深く政府の動きを監視していなくてはならないのである。

特に官僚を含む役人一般が権力を行使する場合には要注意だ。

というのは、彼らには、本来、権力は国民から負託されてはいないからだ。それは日本国憲法を見ても明らかだ。それは、彼らが立場上において「公僕」であり「国民のシモベ」という性格上、当然でもあり、仕方がないことでもあるのである。

そんな彼らが権力を行使しうる場合はただ一つ。すでに公布済みの法律を執行する場合のみである。それが「法の支配」ということなのだからである(山崎広明編「もういちど読む山川政治経済」山川出版社p.8)。

 ところで、例えば、各府省庁の官僚たちが、それぞれ、自分たちに好都合な専門家を恣意的に選任しては、審議会や各種委員会を立ち上げて、そこに専門家たちを招集することは明らかに権力を行使することである。が、そんな権力は彼らにはもともと与えられてはいないのである。もちろん、その審議会や委員会を立ち上げる際、自分たちの言いなりになる座長なり委員長を事前に選んでは、その審議会や委員会を裏で、あるいはその場で実質的に仕切るなどというのも、紛れもなく権力行使だ。

 ところがこの国では、官僚たちによるこうしたことが長いこと、当たり前のように行われてきた。それは担当大臣が、国民の代表としての自身の大切な役割であり責任でもある、官僚たちをコントロールするということを怠り、官僚たちを放任してきたからだ。というより、逆に大臣が官僚に操られるという始末だったからだ。

 実際、政府内の各府省庁にある200余の審議会が、一見は民主主義を装いながら、実質、どれほど日本の民主主義の実現を阻んできたか、私たちは知らなくてはならないのである。

 こうした事情から、政府の側も、国民に向かって発する内容は、「要請」などいった類の、場当たり的であったり随意のものであったりしては断じてならず、しかも発するどんな内容も常に「合法的」、すなわち公布済みの確定した法律に裏付けられていなくてはならないのである。「法の支配」を守るとは、そういうことなのだ。

 以上のことを踏まえて、既述した、西村経済再生担当大臣が臆面もなく発した、とんでもない、錯覚とも言える次の言葉を思い出していただきたいのである。

この日本の法体系はあくまでも要請ということであります。(2020年6月13日)

 

 次に第2の問いとして、この日本という国は国家か、国家と言えるか少なくとも明治維新以来今日まで、この国が本物の国家であったことは一度でもあるか、について考えてみる。

 理由説明は後回しにして、その答えを先に言えば、明らかに「ノー!」である。

この日本が国家、それも上記のように定義された国家であったことなど、今の今まで、一度としてない。

その根拠を以下に説明する。

その際、明治維新以降から今日までを2つの区間に分けて説明する。

前半は、明治維新以降からアジア・太平洋戦争敗北まで、後半は、その敗北時点から令和の今日まで。

 そこで、まずは前半の「明治維新以降から今日まで」についてである。

 明治維新とは、ご存知の通り、薩摩藩長州藩の二藩の西郷隆盛大久保利通木戸孝允らの下級武士たちが、政治権力を握り、日本を近代国家とするために行なった一連の政治過程のことである。

しかし、薩長政府が握ったその政治権力は、正当な手続きを経て手にしたものではなく、いわば、横取りしたものだったことはすでに述べたとおりである。

その結果、彼ら権力者たちは、自分たちの政権には正統性がないことに気づいていた。

 だから、大久保利通らは恐れた。いずれ民衆はそのことに気づき、自分たちが徳川幕府を倒したと同じように、自分たちの政権を倒そうとして立ち上がってくるのではないか、と。

 そこで、薩長政権にはいかにも正当性があるかのように国民に見せるための、彼らが考え出した秘策が二重権力構造だ。

それは、表には、あるいは公式には、国民の前には天皇を立て、その天皇に唯一最高の、というより絶対の権威と権力があると見せかけ、裏では、自分たちがその天皇を操る形で立ち回って、実質的な権力は自分たちが握り、それを行使する、という策だ。

そのために取ったのが天皇制だと私は思う。

天皇制とは、明治維新により成立し、明治憲法大日本帝国憲法)によって法的に確立させ(1889年)、昭和20年9月2日、連合国が日本に突きつけたポツダム宣言を受け入れることによって無条件降伏したその日まで続いた、天皇を「現人神だ」とまで祀り上げ、天皇には陸海軍の全てを指揮し統率することのできる権力である統帥権(軍事権)と、本来は政府が所持するはずの統治権(政治権)の両権力を大権として所持しているとした、天皇絶対の国家体制(国体)のことである。

 そしてその天皇制においては、天皇は単に立憲君主制に基づく国の主権者としての君主というだけではなく、統治権をも所持しているとされたがために、その地位は帝国議会である国会や中央政府の上にあるとされた。

 つまり天皇は、いわば、大統領と首相と党首の全ての権力を握り、その意味で「総統」と呼ばれたナチスヒットラーと同じような、表向きは独裁者としての権力を所持していたのである。

 ただしここで大事なことは、当時のこの国が、本当に、いつでも、こうした絶対権力を有する天皇の下に、社会全般が統合されていたなら、あるいは天皇が、いつでも、政治的な説明責任の中枢ばかりか軍事的な説明責任の中枢となっていたなら、あるいは、天皇が、いつでも国の進路を決め、舵取りとなり得ていたなら、それは、体制の善し悪しは別として、当時の大日本帝国という国は、名実ともに本物の国家であった、と言えたであろう。

 しかし、薩長政権が考え出した秘策は、天皇をして、天皇がいつでも大権を行使できる立場には置かなかった。

あくまでも天皇はそうした大権を持っていると国民には信じ込ませておきながら、実際には、薩長政権の寡頭政治家たちあるいはその後継官僚たちが、自分たちのことを「天皇のシモベ」、「天皇の官僚」ということにしながら、天皇を自分たちの都合のいいように利用する、というものだった。

そうした二重権力構造を持った日本は、先の「国家」の定義に照らし合わせてみれば明らかなように、日本は国家ではあり得なかった、あるいは似非国家でしかなかったのだ。

 しかし、そうした状態をさらに複雑したのが、日本の軍部の存在とその有り様だった。

その軍部の有り様とは、陸軍と海軍が互いに分裂していたことであり、また陸軍部隊でありながら、当時「支那」呼ばれた中国の東北部に駐屯していた関東軍が、事実上陸軍の中枢とは独立して行動していたことだ。その関東軍は、政府はもちろん天皇にさえも自分たちに都合の良いことしか伝えずに、また天皇の裁可を仰がずに、そして陸軍の中枢である参謀本部を無視する形で、独断専行してもいたからだ。

 この権力分散状態は、もはや国家どころではない。

 そうした権力分散状態が象徴的に現れるのが、いわゆる満州事変であり、日中戦争だった。

その日中戦争によって日本は泥沼にはまってゆき、そうした中で、アメリカとイギリスに宣戦布告し、同時に、日本は東南アジアにも侵略を開始して、アジア・太平洋戦争へと突き進んでいったのである。

 その結果は、もう日本国民だったら誰もが知っているとおり、連合国によるポツダム宣言を受諾しての無条件降伏という日本の完全敗北だ。

 

 では、後半のアジア・太平洋戦争敗戦後から今日まではどうであったろうか。国家と言えたのであろうか。国家であったのだろうか。

 この国では、総理大臣はいても、彼がその名の通りに政府全体、すなわち全府省庁の閣僚を「総理」しているのではない。指揮し統率しているのでもない。

そのことは、例えば、総理大臣が閣僚を任命はしても、閣僚が不祥事を起こした際、そして国民が罷免を要求しているときに、閣僚を任命した総理大臣は「ご自身が判断することだ」と言うばかりで、自分の判断と決断で辞めさせたことなど一度もないことからも判る。

 もちろん、各閣僚も、担当府省庁の官僚を統治し得ているわけではない。むしろ実態は逆だ。閣僚は配下の官僚と官僚組織の「操り人形」化している。そして官僚らにとっては、閣僚はしばらくすればいなくなる「お客さん」でしかない。そして総理大臣は、政府省庁の官僚と官僚組織にとっての「お飾り」的存在にすぎない。

つまりこの国では、総理大臣が何党の誰になろうと、実質的には官僚とその組織が国民全体を統治していることには変わりはない。

 こうした状態を少し具体的に言うとこうだ。

 政府————もちろん中央政府であるが————とは言っても、たとえば各府省庁間の関係はバラバラのままだ。閣僚はもちろん、内閣を「総理」する大臣もそれを放置してきた。個々の府省庁の官僚は————もちろん大臣も————、互いに他の府省庁の管轄範囲に踏み込んだり干渉したりすることはしないことを暗黙の了解事項としながら、横の連絡を絶ちながら————これがいわゆる「行政の縦割り」と言われる状態である————、各府省庁は自省の既得権を守るための行政、あるいは既得権の範囲を拡大するための行政を行って来ただけだ————そしてそのためには、本来彼らにはそうした権力行使は絶対に許されないことだが、自分たちの既得権益保持または拡大のために、好都合な立法を画策して来たのである。その代表的手段に一つが「審議会」だ————。

 その上、法律も、国会の政治家は国会の使命も知らず、またサボっていて作っては来なかったために、そして政府の政治家、すなわち総理大臣を含む全閣僚も、自分たちでは法案を作らずに、選挙当選時に国民から負託された権力を官僚に丸投げしてしまったので、各府省庁の官僚はそれをいいことにして、互いに他の府省庁の行政的縄張りを干渉しない、あるいはそれに抵触しない法律を作っては、専管範囲を互いに確保して、既得権を維持あるいはその拡大を図りながら行政を行って来たのだ。

 

 こうして、とにかく、この日本という国では、「政治的な説明責任の中枢」、「国の進路を決めることができる、公式で、満足な舵取りとなる人または集団」が存在した試しは一度としてないのだ。

 それに、この国では、統治上の指示・命令・情報・要求の伝達が、中央から地方へ、また反対に地方から中央へという「縦」方向だけではなくなく、組織の境界を超えて「横」方向へも常にスムーズに流れた試しもない。それを阻んでいるのが、中央政府から地方政府に至るまでの政府内組織間の「タテ割り」だ。

これが、国民の福祉の分断を始め、税金の無駄遣いや産業の分断、国土の分断等々、この国のあらゆる面にどれほどの弊害をもたらし、無駄を強いてきたか知れないのである。

 また、この国では、中央政府と地方政府との間で、それぞれの役割と管轄事項と権限と責任の区分が明確であった試しもないし、そもそもそのような区分は憲法にも法律にも、どこにも明確されてもいない————参考までに言えば、衆議院の解散についてだって、憲法にはどこにも明記はないのに、それのこじつけ的解釈により、総理大臣の専権事項だとされ、いつの間にかそれが「常識」となってしまっている————。

 こうした統治の体制の不備と欠陥により、例えば今回の「新型コロナウイルス」感染対策を巡ってでも、中央政府と地方政府との間でどれほどの混乱を招き、その結果、どれほど無意味に感染者を増やしてしまい、また死者を出してしまったかしれないのである。

 つまり、この日本という国は、今のところ、どういう観点から見ても、国家ではない、国家とは言えないということである。

 これが本節の表題の第2の問いの明確な答えである。

 

 では第3の問い、「どうして国は国家でなくてはならないか」についてである。

 この問いに答えるのには、もし国が国家でなかったなら、すなわち国家と言える統治体制を整えていなかったなら、どういうときに、どういうことが起こり得るのだろうか、ということを明らかにすればいいのであるが、その前に、国が国家でなくてはならない理由を考える上で、

皆さんには、次のような例を比喩として想像して見ていただきたいのである。

 それは、家庭でもいい、企業でもいい、団体でもいい、軍隊でもいい、あるいは海洋を運行する船舶や空を飛行する航空機でもいい、とにかく複数の人々から成るある集団を想定してみていただきたいのです。そしてそのとき、その集団を構成する一人ひとりの生命や自由あるいは財産を脅かすような緊急事態が発生したとしてみていただきたいのです。

 そしてそのとき、もし、その集団の全員に対して、起こっている事態の状況や、避難の仕方について、最終的な責任を以て説明できる者がいなかったなら、その集団内の人々のその後の行動や運命はどうなるだろうか、と。

あるいはまた、その集団の全員に対して、説明をする者がいたとしても、その者が一人ではなく複数であったなら、その集団内の他の人々の行動はどうなるのだろうか、と。

 前者の場合には、人々は、あまりにも突然のことであるがために、何をどう判断し、またどう行動したら判らず、みんなが個々ばらばらに行動するようになると予想される。そうなればパニックを引き起こし、集団はかえってより危険な状態に陥ってしまう。

 また後者の場合には、集団は、複数いる説明者の中の一体誰の説明を信じ、また従ったらいいのか判らなくなってしまい、そうなるとその場合も、かえって整然とした行動が取れなくなり、混乱を深めてしまいかねなくなる。

 こうなると、上記二つのいずれの場合も、集団内の人々は、救われる命も救われず、守られるべき財産も失ってしまうことになるかもしれない。

 家庭、企業、団体、軍隊あるいは客船や旅客機の例えの場合には未だ人の数もそれほど多くはないが、それが大都市や一国となったなら、その場合に最終的な責任を以て説明できる者がいなかったり、最終的な責任を持たずに説明する者が複数いたりしたなら、それこそ、大惨事になりかねない。特に大集団ともなれば、その中には様々な人がいるから、デマや誹謗や中傷も飛び交うかも知れない。あるいは特定の人たちをみんなで攻撃するために扇動する人も出てくるかもしれないから。

 こうしたことを想像してみただけでも推測はつくように、集団がこうした混乱に陥って悲惨な事態を招いてしまわないようにするには、つまり集団全体がまとまって整然と統一行動できるようになるには、その場合、少なくとも次の三つの条件が揃っていることが必要であることが判るのである。

1つは、その集団から事前に認められた、あるいは事前に合意を得た、時には強制的力を発揮しうる人が存在すること。1つは、そしてその強制的力の度合いは、集団内の他の誰が発する指示よりも上回っていること。つまり最高であること。1つは、その強制的力を発揮しうる人は一人に限られること。

 この三条件が揃っていて初めて、集団は安心してその人の下に行動できるのである。

 実はこうしたことは、ある特定の集団が、外部の集団と交渉ごとを行う場合にも全く同じことが言える。つまり「外交」においても、である。

 二つの集団が、それぞれ全員で交渉に当たることなど、通常、とてもできるわけはない。そこで、双方、誰かその交渉に当たれる人を定めなくてはならない。それも、それぞれの集団の全員から承認を得た人を。つまり、それぞれの集団を代表して、全権を与えられて交渉に当たれる人を、それも一人を、である。

 そうでなかったら、そんな二人が向かい合って交渉したところで、その場では何も決定はできないからだ。

そうなれば、その都度問題を持ち帰って、全員で対応方法を考えて、その答えを携えて交渉の場に戻らねばならなくなる。しかしいちいちそんなことをしていたのでは交渉にはならないのである。

 ただし、ここで、このような比喩を考える場合、一つだけ知っておかねばならないことがある。それは、ヒントを提示するときに述べたような社会の一般的な集団の場合には、たとえ上記三つの条件を兼ね備えた者が存在したとしても、国家の場合とは違って、その者には集団に対する強制「的」権威はあっても、法に裏付けられた強制力そのものは持ち得ないということである。

国家の場合には、その三条件を備えた者が発する指示や命令は、すでに確定し公布された「法律」に基づくものであるから強制力が伴う。だから、その場合、指示や命令に従わなければ法律をもって罰せられるのである。