LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

10.1 国民を信じずまた恐れて、「自由」と「多様性」を教えない政府文科 省の学校教育

 今回からいよいよ第10章の「教育」に移って、その内容を順次公開してゆきます。

昨年の8月3日に公開済みの、拙著「持続可能な未来、こう築く」の目次に沿ってゆきます。そちらを確認してみていただければ幸いです。

 

f:id:itetsuo:20210324211021j:plain

 

10.1 国民を信じずまた恐れて、「自由」と「多様性」を教えない政府文科省の学校教育

 近代という時代の幕開けを告げる大事件の一つに市民革命が挙げられる。

そしてフランス市民大革命のみならずその他の市民革命の起ったどこの国においても、そのとき掲げられる宣言文の中にはほぼ決まって「自由」という言葉が見られる。たとえば、“人間は何人(なんぴと)も生まれながらにして自由である”というような言い方で。

 ここで大事なことは、「何人も」という点と「生まれながらにして」という点だと私は思う。

前者の「何人も」は、人一般について言っているのではない。「人間」について、それも一人ひとりの人間を「個人」として見た時について言っているのだ。後者の「生まれながらにして」とは、裸で生まれついたその瞬間からという意味であって、国家が国民一人ひとりに与えるとか、国家が国家としてそれを保障するとかいうものでもない。むしろ自然の恵みのように、義務の履行などとは無関係に与えられ、備わっているものである、ということである。

そしてその状態は、何人たりとも侵してはならないものだし、侵されてもならないものだ、としているのである。

 そう主張する根底には、個々人にとって、自由がなかったら、それは、「人間として生きる」ことを不可能にする、あるいは「人間として生きる」に値しない人生にしてしまうという認識がある。そしてそれこそが近代に入って、人々が掴み取った価値観なのだ。それだけに自由は、とくに人間として主体的に生きようとする者であればあるほど、その人にとっては、命と同等、時には命よりも価値あるものとなる。だから、自由が阻まれているときには、それは命がけで勝ち取るだけの価値あるものと見なされてきたのである。

フランス市民大革命は人類史において、その最も象徴的な出来事だった。それまでの封建社会の桎梏に喘いできた人々、特に都市(シティ)に住む人々———市民(シティズン)と呼ばれる———によって成し遂げられたのである。

 

 ところで、ここで言う自由とは、もちろん、「何でも自分の好き勝手にできる」という意味のものではない。それでは却って、自分が自分の欲望の奴隷になっているに過ぎない状態だからだ。そうではなく、自分の生き方や運命を、誰に阻まれることもなく、自らの判断を経由して、選びとることができることであると同時に、それを選びとったことに因る結果については、言い訳することなく、いつでも自身で責任を持って引き受ける覚悟をも持つこと、を指す。

言い方を換えれば、自由であるとは、先ずは、刻々と目の前に変化しつつ展開する現実の中で、“自分にはこれしかない”とか“これしか選びようがない”、“選択肢はない”と考えてしまうのではなく、先ずは無数の選択肢がそこにはあると考えられる心の柔軟さを持つことであり、また持てることである。そしてその時、その無数の選択肢の中から何を選ぶかについては、自分を利するだけではなく他者をも利する選択肢———そこに「調和」の考え方に基づく「博愛」「友愛」の精神が生まれる———を自らの判断を経由して選びとることができ、さらにその選択の結果、目の前に現れる状況については、自ら責任を持って引き受けることなのである。

その意味で、「自由」はつねに「責任」が伴う。

 これが真の、あるいは本来の自由の意味だ。

 それだけに、真の自由、本来の自由とは、それを欲する当人にとってみれば、つねに、きわめて厳しいものであり、また覚悟を要求されるものなのだ。

 なお、ここで付言するならば、本書では、後に、憲法改正あるいは新憲法の制定の必要性についても考察するが(第16章)、現行の日本国憲法が認める自由とは“この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなくてはならない”と明記していることから(第12条)、今述べて来た意味での自由と解せるのに対して、たとえば自民党安倍晋三政権が出した「第二次憲法改正草案」で言う自由は、ここで述べた本来の自由とは、まったく似て非なるものである、ということだけは述べておきたいと思う。つまり、安倍の自由についての理解と認識は、読む者が軽蔑したくなるほど底が浅いものだ、ということだ。

それはまた、彼の「道徳観」にも如実に表れているのである。

 では平等についてはどうであろう。

 それは、人間は、生まれながらにして、つまり裸で生まれて来たその状態において、国籍・肌の色・人種・民族・宗教・信教・性別の違いとは無関係に皆同じ権利が与えられているということである。あるいは一人ひとりの人間を「個人」として見た時、誰もが、生きる権利においてはもちろん存在意義においても、余人をもっては代え難い価値をもっているという点において同等であり、誰もが掛け替えのない尊厳を持っているということである(4.1節での自由、平等そして調和についての再定義を参照)。

 つまりこの平等も、単に「他者と外見や格好が同じであるべき」とか、「他者と同じことを同じようにすべきである」とかいうことでは断じてない。また「男だから、皆同じにしなくてはいけない」とか、「女だから皆同じにしなくてはいけない」ということでもない。それではむしろ、それぞれ個性も能力も異なる一人ひとりを、一つの規格あるいは枠に押し込めてしまうことになるからだ。それでは今度は明らかに「自由」に反してしまう。

 そうではない。平等とは、精神の自由を保ちながら、一人ひとりが人間の「個人」として、誰もが、生きる権利も存在意義も同等であり、なおかつ一人ひとりは、誰もが、掛け替えのない尊厳を持っているということを、各自が自分の頭で認識し理解し、それをいつでも、どこででも行動に表せることなのである。

 近代という時代はこの自由と平等を人間の侵すべからざる基本的な権利とし、近代国家では、それを個々人の権利としてあまねく実現されることを目ざして、政治的社会的なすべてのしくみを組み立てて来たのである。

 このように考えれば判るように、それだけに、自由と平等は地球上の誰にも共通に当てはまる普遍的な価値でもある、とされてきたのである。

 では翻って日本を見たとき、世界で最初の市民大革命となったフランス革命から230年余を経た今日ではあるが、この日本では、「自由」そして「平等」という概念が、私たち国民一般の間に既述してきたように理解されてきただろうか。それ以上に、社会構成員一人ひとりの「生命・自由・財産」を安全に守ることを本来の目的とする国家ではあるが、その代理行政機構であるはずの政府は、国民一人ひとりに対して、自由と平等が本来の意味のままに理解されるような学校教育をして来たと言えるだろうか。また、自由と平等が本来の意味のとおりに実現される経済的・政治的・社会的な仕組みや制度を整えてきたと言えるだろうか。

 私は、そのいずれの問いに対しても、明確に「ノー!」と答える。

少なくとも日本は、明治期以来、表向きは、あるいは公式には、近代西欧文明を移入したことになってはいる。しかしながら私たちの祖父母、あるいは父母の時代から今日に至るまで、つまり文部省のときも、今の文科省になってからも、学校という教育の場で、その自由と平等について、児童生徒が正しく本来の意味のとおりに理解できるよう教えてきたことは一度たりともなかったし、今もない。

 そう断言できる根拠は、たとえば次の2つの事例からも明らかである。

 その一つは、アジア・太平洋戦争第二次世界大戦)で日本が完敗し、日本に連合軍が占領軍として入って来た直後、当時の文部省(の官僚)自身が著して発行した教科書に現れている。

そしてもう一つは、今日、全国の小中学生の全員に配られている、文科省お手盛りの道徳の教科書「心のノート」にそれを見てとれるからである。

 先ず前者について見る。

そこには、この教科書の最大の主張点であり、またこれまでの教育の反省点として、こう記されているのである。原文どおりに転載する。

 「 これまでの日本の教育———それは明治憲法による教育を言う———には、政府の指図によって動かされるところが多かった。(中略)

 がんらい、その時々の政策が教育を支配することは、大きなまちがいのもとである。

政府は、教育の発達をできるだけ援助すべきではあるが、教育の方針を政策によって動かすようなことをしてはならない。教育の目的は、真理と正義を愛し、自己の法的、社会的および政治的の任務を責任をもって実行していくような、りっぱな社会人を作るにある。(中略)教育の重要さは、まさにそこにある。

 ことに、政府が、教育機関を通じて国民の道徳思想をまで一つの型にはめようとするのは、最もよくないことである。今までの日本では、忠君愛国というような「縦の道徳」だけが重んぜられ、あらゆる機会にそれが国民の心に吹き込まれてきた。そのために、日本人には、何よりもたいせつな公民道徳が著しく欠けていた。

 公民道徳の根本は、人間がお互いに人間として信頼しあうことであり、自分自身が世の中の信頼に値するように人格をみがくことである。それは、自分の受け持っている立場から、いうべきことは堂々と主張すると同時に、自分のしなければならないことを、常に誠実に実行する心構えである。・・・・・・。」

 これを文部省が教科書として当時の児童生徒に向けて発行したのは、昭和23(1948)年10月から翌24(1949)年8月までのほんの束の間のことである。教科書の題名は実に「民主主義」。上記文章は、この教科書の292〜293ページからの引用である。

 この教科書はそれ以後用いられなくなった。その背景には、当時日本を占領統治していたアメリカの対日戦略に重大な変更があったためではないか、と私などは推測する。

 実際、連合軍最高司令官マッカーサー厚木基地に降り立った当初は、日本の軍国主義を完膚なきまでに叩き潰し、徹底的に民主化しようと考えていた(1945年8月30日)。

しかし、その後の経過を記せば、そのわずか7ヶ月後の1946年3月には米ソ冷戦が始まっている。

しかも、その2年後の1948年には、朝鮮半島には、8月に南に大韓民国(韓国)、9月には北に朝鮮民主主義人民共和国が成立することになる。さらにその2年後の1950年6月には、ソ連スターリンの指示と支援の下、金日成北朝鮮軍が韓国に突如攻撃してくるという格好で朝鮮戦争が始まったのである。

 そしてその時、日本国内では、敗戦による既成権力と既成勢力の崩壊、それに自由主義の国アメリカの影響もあって、自由主義と共に社会主義を歓迎する雰囲気が特に労働者の間に広まりつつあった。1947年1月には国内でゼネストが行われようとしていたのはその象徴的な表れと言える。

 こうした雲行きの中で、GHQマッカーサーは、日本国内においてもこれ以上社会主義が広まるのを抑えるためにゼネスト中止命令を発すると共に、対外的には、対ソ連、対中国、対北朝鮮を意識して、急遽、日本を対共産勢力に対する防波堤にする必要を感じたのである。

 私は、昭和23(1948)年10月に登場しながら、わずか10カ月足らずで文部省の官僚の手による、全国の学校に配られた題名が「民主主義」とされた教科書が消えてゆき、瞬く間に教育行政が反動化して行ったのには3つの理由があったのではないか、と推測する。

 1つは、日本国の内外での政治と軍事に関する情勢の急変に対するマッカーサーの占領統治政策の変更。

 もう1つは、マッカーサーは、日本を対共産主義勢力に対する防波堤とするために、そして東西冷戦の準備に有用な人物だと見なしたために、極東軍事裁判でA級の戦犯容疑者とされた岸信介児玉誉士夫笹川良一を含む19人を釈放したのであるが、実はそれに乗じて日本の戦前の軍国主義の官僚たちが甦り————岸信介はその典型————、彼らは政界へと復帰し、一旦は自由主義化・民主化へと歩み始めたこの国の政治を、教育行政をも含めて、反動化させ明治期に回帰させることを狙ったこと。

そして3つめの理由は、上記19人のA級の戦犯容疑者を釈放したGHQマッカーサーには日本の統治機構に対する大きな誤算があったことである。

それは、GHQマッカーサーも、日本の官僚組織は自分たちの母国アメリカと同様の成り立ちをしていると勘違いしていて、日本の官僚組織ないしは権力構造の実態には重大な問題と欠陥があることに気づいていなかったことである。したがってまた、その問題点を正確に掴もうとはしていなかったことである(K.V.ウオルフレン)。

 戦前から生き残っていた軍国主義官僚はその隙をついて甦って行ったのである。

 こうしてこの国の文部省による学校教育は、表面的にはどう繕おうとも、その本質においては、再び、戦前の欽定憲法下の教育に戻って行ったのだ。

そこでは、さすが天皇を頂点とする大家族国家とは唱えなかったものの、国家があって国民があるとし、国民一人ひとりの「個」や「個性」を無視し、あるいはそれらを認めず、自由も民主主義もその意味や価値は教えずに言葉だけにし、正義を教えずに秩序のみを教え、画一化という上辺だけの平等を叩き込む教育に戻って行ってしまったのである。

 では、後者の文科省お手盛りの道徳の教科書「心のノート」についてはどうであろう。

 文科省はその「心のノート」を通して、日本全国の児童生徒に、文科省の考える「日本人としての望ましい生き方」の根幹を道徳として教えようとしている———読者の皆さんには、ここで、前記文部省作成の教科書「民主主義」では、文部省の官僚直々に「政府が、教育機関を通じて国民の道徳思想をまで一つの型にはめようとするのは、最もよくないことである」とまで言い切っていた事実を思い出していただきたい———。

もちろんこの道徳の教科書「心のノート」は、文科省の官僚が自らつくったものであるから、「教科書検定」など無関係だし、不必要なものである。

 ではその中身とはどんなものか、実際に見てみよう。

中学校の「心のノート」の目次には23項目が挙げられている。そのすべてを列挙すると次のようになる。

「心も体も元気でいよう」、「目標に向かうくじけない心を大切にしよう」、「自分で考え判断してやってみる」、「理想を持って前向きに生きよう」、「比べてみようきのうの自分と」、「心を形にしていこう」、「温かい人間愛につつまれて」、「友という生涯のたからものを」、「異性を理解し尊重して」、「認め合い学び合う心を」、「自然のすばらしさに感動できる人でありたい」、「限りあるたった一つの生命だから」、「良心の声を聞こう」、「仲間がいてキラリと光る自分がいる」、「法やきまりを守る気持ちよい社会を」、「つながり合う社会は住みよい」、「不正を許さぬ社会をつくるために」、「私たちの力を社会の力に」、「大切な家族の一員だから」、「自分の学校・仲間に誇りをもって」、「郷土をもっと好きになろう」、「この国を愛しこの国に生きる」そして最後は「世界に思いをはせよう」———

 これらは一見したところ、どの項目も非の打ち所のないものばかりである。そして項目だけではなくその内容の説明も、とくに批判すべきところもないように私には見受けられる。

 しかし、その項目と内容の全体をもう少し注意深く眺めて行くと、そこには、既述の、人類が近代になって発見し、掴みとった普遍的な価値が見当たらないことに気付くのである。つまり、真の自由であり真の平等だ。

たとえば、それらについては、「心のノート」流の表現をすると、次のような表現でもあればいいのであるが、それがどこにも全く見当たらない。

「それぞれ顔が違うとおり、誰も、互いに異なった個性や能力を持っているのだよ。数学や理科の得意な子、国語や英語といった語学の得意な子、音楽や絵画といった芸術の得意な子、運動が得意な子、手先が器用で物を作るのが得意な子、誰をもやさしい気持ちにさせる能力にすぐれた子、というように。だから多様なんだ。そしてその誰も、人間として誰からもぞんざいに扱われてはならない尊厳があり、全く同等の生きる価値、存在する価値があるんだよ。だからどんな一人ひとりも、お互いに、人間として、相手を尊重し合わなくてはいけないんだ。」

「その一人ひとりは、誰も、みんな、何を思い、何を考え、何を信じ、何をどのように表現するかも自由なんだよ。」

「しかし、それらを実行するに当たっては、その結果については責任も伴うんだよ。」

 では、こうした人間個々人にとっての普遍的価値が「心のノート」に見られないという事実は一体何を物語っているのだろう。

 それは、作者である文科省の官僚がうっかり落としてしまったためなのだろうか。

私は決してそうではないと考える。むしろ、これは官僚が故意に、意図的に外したのだ、と断定さえ出来ることだと考えている。

 私は本節の冒頭で、人類の歴史とは、見方に拠れば、人間としての自由を戦い取るための歴史だった、との主旨のことを述べてきた。それは、とくに人間として主体的に生きようとする者であればあるほど、自由がなかったら、「人間として生きる」ことを不可能にする、あるいは「人間として生きる」に値しない人生にしてしまうという価値観に基づくものであり、それだけに自由は、誰にとっても、命と同等、時には命よりも価値あるものと見なされてきたからである。

したがって、いやしくも「道徳」を児童生徒に説こうとしている教科書だったなら、どんな人間にとってもそれほどに価値ある「自由」の概念を、“ついうっかり記載し忘れた”などということは断じてあり得ないのである。

 そこで、ここで少し、政府という行政機関に、実質的に国民を日々、統治している官僚の心の内をちょっと想像してみよう。本来ならば彼らは、総理大臣の指揮の下に動く各大臣の配下で、大臣にコントロールされながら国民を統治するというのが筋なのだが、この国では、既述のように、主権者である国民の利益代表であるはずのそうした政治家は、表向きはともかく、実質的には官僚やその組織の操り人形となっているだけなのだ。

その意味で、この国は、明治期以来、実質的に官僚独裁が行われているのである。

 そこで、その心のうちを想像する官僚は、何も文科省の官僚に拘らない。財務省でもいい。経済産業省でもいい。国土交通省でもいい。厚生労働省でも総務省でも、どこの府省庁の官僚でもいいのである。

 その場合、もし、日本国民一人ひとりが、「自分が何を考え、何を信じ、何をどう表現しようと、自由なんだ」などと考えるようになったなら、また国民一人ひとりが、「自分には決して踏みにじられてはならない人間としての尊厳があり、基本的権利がある。そしてそれは人類が見出して来た普遍的価値なのだ」などと考え、そして学校でも社会でもどこでもそのとおりに行動するようになったならどうであろう。つまり国民一人ひとりのものの考え方や生き方がそのように「多様」であったり「自由」であったりしたら、統治すべき立場の官僚の内心はどうなるであろう。

 それは、彼ら官僚にとっては、今様の言い方をすれば“やばい”となり、心穏やかではなくなるのではないか。なぜかといえば、国民の示すその多様性や自由に統治面で対応しなくてはならなくなるからだ。

 ところが、日本の官僚らは自由や多様性を身につけた国民を統治したことなど、明治期以来、一度もない。先輩から聞いてもいない。組織の記憶としてもない。それどころか、彼ら官僚自身が幼い時から祖父母や両親からは「和を大切にしろ」だとか「みんなに合わせろ」、「秩序を乱すな」、「協調性が大切なのだ」、「長い物には巻かれろ」といったことを口すっぱく言われて育ってきたのだ。そこでは、誰も、“誰もみんな、顔が違う通り、個性も能力も違うのだ、それを尊重しなくてはいけない”などとは教えられて来てはいない。

 それだけではない。同じく明治期以来、この国には、実際には琉球民族もい、アイヌ民族もい、ウイルタやニブヒと呼ばれる民族もいたのに(網野善彦「『日本』とは何か」講談社学術文庫p.321)、「単一民族の国だ」、「一言語で一文化の国だ」と教える文部省と文科省の教育行政の中で育ってもきたのだ。“この国は多様な民族から成り立っている”、などと教えられて来たことは一度としてないはずだ。

 だから、目の前に、多様性を大事にし、自由に振る舞う国民が大多数を占めるようになったなら、これまで先輩官僚がやってきたことをやってきた通りにするこが教育行政だと自らもお思い、また思わされてきた官僚にとっては、その国民をどのように統治したらいいのか、皆目判らなくなりパニックに陥ってしまうに違いない。

 したがってそんな事態は官僚らにとっては恐怖以外の何物でもなくなるだろう。

それゆえ、どんなことがあってもそんな事態だけは何としてでも避けなくてはならない、と考えるのではないか。

 ところがその反対に、もし、自分(たち)官僚が国民に向って何を発しても、発したそれが法的に裏付けのあることであろうとなかろうとそういうことには国民がことさら注意を払わず、また無関心であって、いつも国民みんなが足並みを揃えて従順に従ってくれたならどうであろう。

官僚にとってこれほど統治しやすく、思いどおりにさせてくれる国民は世界中どこにもいないと多分思えるようになるのではないか。そしてそれは、彼等にとってはこの上なく「愉快」であり「やりがい」を感じることにもなるはずだ。

 また、もし、自分たち官僚が、彼らには許されてはいない権力を行使して、自分たちの福祉や待遇や年金状況を、世の中の景気動向や政府の財政状況とは無関係に、そして民間とは段違いの高水準の状態を維持できるように仕組んでも、国民の利益代表である政治家がノーテンキであるためにそのことに気づかずに、国会ではほとんどそのままフリーパスとなったなら、どうであろう。

 官僚にとっては、この国は文字どおり「天国」となり、「我が世の春」を謳歌できるようになるのではないか。「公務員は全体の奉仕者だ」など糞喰らえ、という気分を常態化できるようになるのではないか。

 なお、補足的に言えば、実は今、官僚たちの間では次のことが仕組まれて、現実化してもいるのである(「週刊現代」平成28年5月28日発行)。

 民間よりも高い給料を確保できるようにしていること。休暇も取り放題に取れるようにしていること。国民一般よりもはるかに充実した福利厚生の制度をも維持できるようにしていること。国民一般の年金制度が近い将来実際に破綻しても、自分たちだけは高い退職金や年金を維持できるようにしていること。また公務上どんな失敗をしても、責任を問われないように、最悪でも辞めさせられるようなことはないようにしていること。さらには、これまで国民からさんざん非難されてきた「天下り」についても、それを自主的に止めるどころかむしろ慣例化させて、第二第三の人生を優雅に過ごせるようにしていること、等々である。

 こうなれば、官僚たちが、「オレはこの国の国民すべてをオレの手で動かしているんだ。オレは国民を自由に動かせるのだ」、「オレたちは国家を運営しているのだ」と思い上がるようになっても何の不思議もない。と言うより、政治家に政治など任せられるか、任せたならこの国はどうなるか判りはしないという考えを持ちながら、その政治家を選んだ国民を愚民視してさえいるのである(保阪正康「官僚亡国」朝日新聞出版p.19)。

 実際、近年、次々と明るみに出る政府各府省庁の官僚の様々な陰湿で狡猾な不正行為や不始末はこうした状況の積み重ねの結果であろう、と私は見る。

それはもう、眼に余るというより、“人間ここまで堕ちることができるのか”と思えるほどの堕落ぶり、人間劣化ぶりである。

 私は、「心のノート」に見るように、人間個人にとっての自由と平等の普遍的価値を正しく明確には教えないのも、また、日本の学校教育全体を通して、「人間は、誰も、生まれながらにして自由であり、かつ平等でもある」ということを明確に教えようとはしないのも、そうしたことを教えることは官僚にとっては不都合なことだし、それを教えたなら果たしてその結果がどうなるか、統治者として予測できないし恐怖だからだろうと推察する。そしてそれは既述の2.5節に述べて来た私が直接接触した官僚と役人の生態からも軌を一にするのである。

 官僚には、自分たちは特権的エリートであるという傲慢な意識と、その裏返しである愚民意識がある。つまり「公僕」などという意識など毛頭ない。ところがその反面では、強迫観念としての恐怖と不安を拭い去れないのだ。

 

 ところで、今、安倍政権の政府文科省は、教育委員会のあり方を見直そうとしている。

ますます深刻化している「イジメ」問題に対して、教育委員会が責任を持って対応し切れていない、責任を取る者がいない、ということが見直しの動機のようである。そのために、現行の教育長と教育委員長とを一体化させ、それを地方公共団体の長が任命できるようにする、というものだ。

 果たして安倍晋三は、こうすることで教育委員会はもっと真剣にイジメ問題に対応でき、イジメは減少させられる、解消させられるとでも本気で思っているのだろうか。

 もし本当にそのように思っているのだとすれば、やはり安倍晋三は、政治家一族の中で育った弊害として、人間というものを知らないのだ、と私は思う。と同時に、安倍はこの国のイジメ問題の本質と根本原因が判ってはいないのだ、と私は考える。

それに、もしそんなことでイジメを減らせられたり解消できたりするなら、もうとっくにイジメ問題はなくなっているのではないだろうか。

 私がそう考えるのは、日本のイジメ問題の本質と根本原因は、一言で言えば、日本の政府文部省と文科省が採ってきている教育内容と教育システムそのものにある、と私は考えるからだ。一言で言えば、文部省も文科省も、児童生徒を一個の自立した人間、それも個性も能力もそれぞれまったく異なる、尊厳を持った存在として教育しないからだ。それだけに、いじめ問題は決して教育委員会だけの問題ではない。

 元々日本の教育システムは「子どもたちに最良の環境を願う親たちの要求や知恵が結晶してできたものではない。それは、政府省庁の官僚たち、経団連・日経連などの組織にいる経済官僚たちの要求と利害を体して設計された、仕組まれた制度であり、高度に官僚主義化したビジネス社会に仕える従順な人間を生産するという役割」を担ったものでしかない(K.V.ウオルフレン「愛せないのか」p125)。

 だから文科省(の官僚)は、児童生徒一人ひとりを、人格を持った、能力も、個性も、価値観も、趣味も異なる多様な個あるいは個人としては見ていない。だからそれぞれの能力や個性を大切にしないし、それを育てようともしない。児童生徒同士の間でも、互いにそれを認め合い、それを互いに育て合うことが大切だとは教えない。むしろ、些末な知識、断片的な知識の詰め込み競争をさせては、それらをどれだけ正確にたくさん記憶できたかを確かめる試験を繰り返し行うことによって、その児童生徒の「能力」判定をし、その判定結果をもって児童生徒それぞれのその後の人生の選択肢さえも指定してしまう。すなわち、ここでも個人としての自由を尊重しなければ、その自由を励まして手助けする制度を設けようともしない。

 とにかく子どもたちは、いつでも、どこででも、校則は守らなくてはいけないと教え込まれる。それも、馬鹿げているとしかいいようのない些末な校則だ。ところがそれを破ると、ときには親が学校から呼び出されさえする。そしてその事実は、児童生徒本人の成績評価に影響し、進学にも影響することになる。

 つまりこの国の児童生徒は、その全員が、つねにある一定の枠組みの中に押し込まれ、精神の自由を抑圧され続けているのである。

それは必然的に、彼ら一人ひとりの深奥に名状しがたい敵意を生み、人によって程度の差こそあれ、他者や社会への憎悪や、反抗心、復讐心をも生む。その結果、本人も気付かないうちに、大なり小なりの人格障害を引き起こしてしまうのではないか。

 私は、こうしたことには、児童青少年の心理を研究している学者やカウンセラーだったら気づかないはずはないと思っている。しかし教育学者や教育評論家を含めて、彼らは、こうした致命的な欠陥を持つこの国の政府の教育行政の本質的欠陥を指摘しようとはせず、表面的でとりあえず的な対処を提案しているだけだ。政府を堂々と批判する勇気がないのだ。

 その意味で、彼らはこの国の児童生徒を裏切っているとも言える。しかしそれも結局は、真の愛国心がないからなのではないだろうか。

 今、この国には、不登校、引きこもり、虐待、自殺もどんどん増えているし、またこの頃の子どもや若者はすぐに「キレル」ともよく言われるが、こうした現象も全て、その根っこのところでは、集団主義とそれに従うことを強制し、児童生徒個人の自然な成長を抑圧するこの国の文科省によるこうした教育のあり方が最大の原因となっている、と私は確信する。

なぜなら、こんな教育行政の中で育った児童生徒たち一人ひとりに、 “今のままの自分でいいんだ”と、今の自分を自信と誇りを持って認めるところに育ついわゆる「自己肯定感」など持てるはずもないからだ。また「自己実現」を図ることもできないだろう。また、一人ひとりが、ありのままの姿を互いに認め合えないのだから、それぞれは自分の居場所を見出すこともできない。互いに寛容な心をも持ち得ないからだ。

 とにかくこうした状況は人間性と人格の形成期にある児童生徒本人にとってはもちろんのこと、この日本という国にとっても、極めて重大で深刻な事態だと私は思う。なぜなら、彼ら児童生徒ばかりではなく、今日、日本国籍を有する成人のほとんどは、かつて、大なり小なり、人間としての人格に障害を起こしてしまうこうした教育の下で育ってきているのだからだ。

 要するに官僚独裁によるこの国の政府は自国民を信頼してはいないのだ!

国民こそ、それも自由で多様な生き方をする国民こそ、国力の最大の源泉であり財産だ、という発想を持てないのだ。

そしてこの国の大臣は、そんな官僚たちに操られている、というわけだ。

 こうしてこの国は、真の国力をますます減退させてゆき、世界的に見て、日本は相対的にどんどん存在価値を失って行かざるを得なくなる。そしてそれは、日米安全保障条約を強化するとか、最新鋭の防衛力を装備し国力を高めるとか言うはるか以前の話だ。

 しかし、こうなるのも、文部省と文科省が、この国を背負って立ってゆかねばならない子供たちや若者たちに、明治期以来一貫して、人類の普遍的な価値である「自由」を、とりわけ精神の自由を与えずにむしろ抑圧し、多様性を保障してこなかったことの代償なのだ、と私は思う。

 となれば私は、主権者である国民の一人として、文科省は不要だと言うしかない。というより、特に文科省はもはや有害無益、存在しているだけで有害なのだ!