LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

17.1 本物の国家、持続可能な国家の建設に着手する旨の国民への説明

17.1 本物の国家、持続可能な国家の建設に着手する旨の国民への説明

 その場合に何と言っても先ず必要なことは、新選挙制度によって国の中央および地方に誕生して来た本物の政治家たちが、中央で、また地方で、国民ないしは住民のすべてに向けて、これからこの日本という国は、どういう根拠に基づいて、どういう国づくりを、どのような行程に沿って目指すのかということを、国民の誰もがわかる平易な言葉で、論理的かつ具体的に説明することだろう。

そしてそれに対する国民からの質問や意見を時間をかけてあますところなく聞き取り、それに対して、決してごまかしたり曖昧にしたりせずに、政治家たちも一緒に考え、正直に、かつ誠実に回答することであろう。

 そしてその上で、この前代未聞、日本国の命運をかけた、そして世界人類の存続に間違いなく貢献できるであろう、文字通り国家的大事業、人類史的大事業への国民の全面協力を呼びかけることである。

 振り返れば、私たちの先人は、かつて、幕末から明治維新への移行の時と、アジア・太平洋戦争敗戦前後でも大変革に遭遇している。

しかし、この二つの変革を行うにあたって共通していたことは、そこには国民一般の意思は一切汲まれてはいなかったことだ。つまり、国民の知らぬ間に、国民の代表である政治家ではなく明治維新の流れを汲む官僚たちが、いつの間にか「富国強兵」「殖産興業」を「国策」としてしまったし、戦後は、同じく国民の知らぬ間に、あるいは了解のないままに、いつの間にか「果てしなき経済成長」を暗黙の国策として来てしまった。

 しかし、今度はそれらとは全く違う。国民は一人ひとりが、そうした前例を教訓としながら、自ら、歩み出そうとしていることの動機・主旨・目的を理解し合意した上で、主体的・能動的に、その文字どおり前代未聞の国家的・人類史的大事業に参加するのである。

 

 しかし、その場合、中央政府連邦政府)の首相————大統領によって任命される————は、次の諸事項をも、国民に予め明確に伝えておくことも忘れてはならない。それは政治家全員が、国民から選挙で選ばれた「国民の利益代表」としての覚悟を示すためでもある。

その1つは、このような試みは、既述のごとく、日本の歴史始まって以来初めての試みであると同時に、世界のどの国を見渡しても前代未聞の試みであること。それだけに世界は注目しているであろうこと。

 1つは、またそれだけに国民を挙げてのこの挑戦は、幾たびか大混乱や予期せぬ事態にも直面するだろうが、それは、今後、ほぼ間違いなく遭遇することになるであろう一層大規模で長期にわたる惨事に対して、我々日本国民に対応力を身に付けさせ、生き抜く力をも増し加えてくれるであろうこと。

 1つは、そしてその試みは、困難ではあっても、その先には、国民の皆が希望と展望と誇りを見出せるようになるであろう試みであること。つまり、それは、国民がこれまでの漠然とした将来不安から解放されて、新生日本国(日本連邦)を建国する生みの苦しみの時であり、私たちの愛する子や孫が永遠に存続できるようにするための、国民みんなで助け合って乗り越えて行かねばならない試煉でもある。だから、私たちはその大事業に敢然と立ち向かうのだ、と。

 1つは、それに私たちがその試みに挑戦してみせることは、これからのあり方を模索する世界の人々に大きな勇気と示唆を与えることにもなろう、と。

 1つは、それに、日本は過去、太古の時代からは中国と韓国・朝鮮を通じて、またとくに明治以降は欧米から計り知れない文化と文明の恩恵を受けて来たが、いま、私たちが世界のどこよりも先駆けてこの大事業に挑戦することは、これらの国々に対して、幾分かの恩返しになるのではないか、とも。

 1つは、この試みは、既存の法律があり、現行の諸制度が生きている中で、それらを逐一作り替えては前進しながら、最終的には、これまでとはまったく異なる体制と理念を持つ国家を建設しようというものである、と。

 1つは、そしてその大事業には私たち政治家が本物の知識人の助言を得ながら、覚悟をもって国民の先頭に立つと誓う、とも。それは言い換えれば、この大事業は、そのすべての過程において、国民の政治的代表である私たち政治家が公僕である役人をコントロールしながら、全責任を持って行おうとするものである。これまでのように、官僚に依存したり放任したりは決してしない、と。

 

 こう説明することにより、国民は、一人ひとり、これから自分たちの祖国日本はどう変わり、どういう国になるのかが眼に見えてくるようになるだろうし、またそのことにより、国民の老若男女、健常者も障害者も、富者も貧者も、それぞれの覚悟が決まり、生きる目標も定まるようになるだろう。

 そして、その時点をもって祖国変革の大事業はスタートするのである。

 ただし、もちろんここで言う国民への呼びかけは、自由で自主的な参画を促すもので、あの全面的無条件降伏という結果を招いて終わったアジア・太平洋戦争へとつながっていった日中戦争に際し、人的および物的資源を統制し運用する広範な権限を政府に与えた「国家総動員法」(1938年)とはまったく似て非なるものである。