LIFE LOG(八ヶ岳南麓から風は吹く)

八ヶ岳南麓から風は吹く

大手ゼネコンの研究職を辞めてから23年、山梨県北杜市で農業を営む74歳の発信です/「本題:『持続可能な未来、こう築く』

第8章 創建を目ざす国家の「理念」・「目的」・「形」

 

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第8章 創建を目ざす国家の「理念」・「目的」・「形」

 この国は、明治維新以来これまで、「殖産興業」・「富国強兵」という公式の国策の下で、戦後は「果てしなき経済発展」・「工業生産力の果てしなき増大」を公式にではなく暗黙の国策としてきた。そして、確かに、1980年代後半では、世界も目をみはるほどの、アメリカに次ぐ、というよりこのまま行ったらアメリカさえ追い抜くのではないかと思われるほどの経済超大国となった。

 本当ならばその時、私たちは「もう、明治からの国の目的は達したのだから、ここら辺で、方針を変え、考え方も変えて、新たな目標に向かって歩みを進めよう」とすべきだった、と、私は思う。

でもそれを言う政治家は誰もいなかった。知識人もいなかった、少なくともメディアによく出てくるような知識人の中には。

 その後、「バブル経済」の崩壊で、この国全体は、今度はそれまでとは打って変わって、急坂を転げ落ちるように勢いをなくし、誰もが自信を失って行った。もうあれから30年が経とうというのに、いまだに立ち上がれてはいない。世界的に温暖化が進んでいるというのに、行くべき新たな道も見出し得ていない。何を重視し、どのような価値観の下で歩んで行くべきかということについても、政治家も知識人も、誰も明確には打ち出し得ていない。

 そういう経過をたどってきたこの国であるが、その中でも、私たち日本国民は、確かに、おしなべて物質的には豊かにはなった。欲しい物は、だいたいの人が手に入れることができた。

 そこで疑問を発したくなる。では、果たしてそれで、私たちは一人ひとり、本当に幸せになれたのだろうか。人間として、他者を大切にしながら、成長し得たのだろうか。

 その答えは、私には、今日の人々一般の物の考え方や行動様式、そして生き方に見事に現れているように見える。あるいはその答えは、多くの人が、自分の将来や国の将来に不安を抱いていて、むしろ昔を懐かしんでいるその世相に現れているように見える。

 

 これまでの《第1部》では、私は、もはや「近代」という時代はどういう角度から見ても終った、否、既にとうに終わっていて、実際には新たな時代に突入してしまっているとの認識を示して来た。もちろん近代が終ったということは、その時代の主流を占めて来た資本主義経済あるいはそれにまつわるグローバル市場経済が通用する時代も終わった、またその経済を支えて来た化石資源を土台としたエネルギーシステムが通用する時代も終わった、近代を主流として支配して来た価値観や思想が通用する時代も終わったということをも意味する、とも述べてきた(1.3節)。

 したがってこれらをワンセットとする時代支配要素をこれ以上継続することに執着することは、結果として、人類は、今度は自分で自分の首を絞めてしまう、言い換えれば、経済を発展させられるどころか、経済を発展させようとする行為そのものが却って発展のための足かせとなってしまい、生きて行くこと、存続させて行くことさえ自分で不可能とさせてしまうことを意味する、とも述べて来た。

 それは、今この地球に生じている気候変動を、引き返すこともできないほどに激化させてしまうことになるだけではなく、人間がその恩恵によって生かされて来た生物多様性をも決定的に消滅させてしまい、その結果として、極めて深刻な食料危機や資源不足を招くことになるということがかなりの確率をもって言えるということでもある。またそれは、多分先進国と言われてきた国ほど、その社会には格差と分断がいっそう激化し、社会はいっそう不安定化し、本来共同体であったはずのその社会を崩壊させてしまい、それこそ、ホッブスが言うところの、万人の万人による闘争状態へと突入して行ってしまうことになるということでもある、と私は考えるのである。

 

 以上の捉え方は世界一般に対する私の推測であるが、しかし目を向ける先を日本に限定すると、私は、日本は、世界一般のそれよりはずっと早く、しかも全般的な危機という形で直面するであろうという認識を持っている。それだけ日本は様々な意味で脆弱だ、と見るのである。

そしてその脆弱性を生じさせている最大の根拠は、私は、この日本という国は統治体制が不備であるということ、すなわち真の国家ではないこと、未だに真の国家にはなり得ていないことである、と考えている。

 そのことは、すでに、例えば、阪神淡路大震災でも、その後に起ったオウム真理教によるサリンばらまき事件の時にも証明されていたと思っている。東日本大震災と、その直後の東京電力福島第一原発炉心溶融による水素大爆発時ではそれがもっとはっきりとした形で証明されたと思っている。

 つまりこの国は、イザッ国難というとき、被害者・被災者となった国民はその生命と自由と財産が速やかに救われることはないどころか、むしろ、半ば見捨てられてしまうような国なのだ。

 それが証拠に、「3.11」とその直後の東電福島原発の大爆発が起こってからまる9年が過ぎたというのに、未だに1万3千人に近くの人が仮設住宅住まいを強いられ続けている。200人以上の人が政府の対応の遅さと劣悪さに希望を見出せなくなって自殺しているのである————しかもこうした数字のデータを示して見せてくれたのは、「3.11」の復興のために中央政府内に設けられた「復興庁」ではない。むしろそこでは、そうしたデータは取っていない、とさえ言う。示してくれたのは、福島県庁であり岩手県庁の職員なのだ­­­­————。

 しかし、気候変動等がもっと進む今後は、被害状況はそんなものではとても済まない、と私は推測する。そしてその都度、この国の政府は間違いなく「無政府状態」に陥ると予想している————実際、今起こっている新型コロナウイルス感染爆発に対しても、もうすでに、実質的に無政府状態に近い状態に至っているのだ————。

 先に、私は、日本は、世界一般よりはずっと早く、全般的な危機に直面するであろうと言ったが、こうした事実に基づいてもっと先を見ると、この国の私たち民は、このままでは、経済先進国など全く幻想と化し、国民全体が生きてゆくことさえできない惨めな末路を迎えることになる、とも想像するのである。

 そこで、ここでは、この国がそんな惨めな国になるのは何としても避け、いや、ただ避けるだけではなく、もっと積極的に、この日本という国を国民一人ひとりが心から誇りに思える国に変えるには、私たち今を生きる国民は、何をどうしたらいいか、ということについて考える。

それは言い換えると、今を生きる私たちは、この国を、子々孫々に託すに値する国、それも本物の国家としての国を実現させるには、今、何をしたらいいか、ということである。

 その場合、土台に据えるものの考え方や生き方は、これまで述べてきた《第1部》の内容のものである。それらに忠実に歩みを進めてゆくことこそが、この私たちの国日本を、途中、脱線したり、道を踏み間違えることもなく、そして最短で、真に持続可能な国へと生まれ変わらせられることになるのではないか、と私は考えるである。

 

 そこで、《第2部》のここからは、そうした、真に持続可能な国、そして本物の国家を建設してゆくことを具体的に考える。それは、民主主義を実現した上に、さらにそれよりも高次元の生命主義をも実現した国である。

 もちろんその国づくりは、徹底的に、主権者である国民の総意に基づいて民主主義的に行われる、いわば“人民の、人民による、人民のための新国家づくり”である。断じてこれまでのような、明治薩長政権以来の、そして今日に至ってもなおそれが続いている、“官僚の、官僚による、官僚のための国づくり”ではない。

そしてそれは、文字通りこの国の有史以来初めての、全国民を挙げての大事業である。

 

 ではそうした国づくりと国家づくりに着手しようとする際、私たち国民が、建国事業の主体者として、真っ先に明確にしなくてはならないことは何だろうか。

それは物事を始めるときには何でも、そしていつでもそうであるが、この場合もやはり、どのような理念に基づきそれを進め、最終的には何を実現し、どのような状態の国を目指すのか、そしてそのためには、どのようなしくみや制度から成り立った国とするのか、ということであろう。

つまり、新国家建設の理念であり、目的であり、形をまず明確にすることだ。

もちろんそれらは、新国家建設に当たって、真っ先につくられなくてはならない新憲法の中に明示されるべきものでもある。

 そしてその次に明確にされねばならないことと言えば、そのような国はどうやって、つまりどのような手順あるいは工程を経て、最終的にはいつまでに完成させ実現させるかという全体行程であろう。言い換えれば国家創建のための戦略である。

 

 では新国家建設の理念と目的と形を定め、しかも国家創建のための戦略を定めるにはどうしたらいいか。

そのためには、先ずは、こうした新国家の理念・目的・形を、「たたき台」として誰が作るのか、である。次は、作ったそれを、大至急国民の前に明らかにすることである。そして国民全員にわかりやすい言葉で筋道を立てて説明することである。そうしては、国民各層の率直な意見や要望を汲み上げて、たたき台の中身を修正し、実行可能な内容のものへと高めてゆくことである。

 実は、この国の政府は、日中戦争を起こすときにも対米戦争を起こすときにも、これをしなかった。いかに天皇を絶対視し欽定憲法下にあったとは言え、国民の理解と協力なくしては戦争遂行など絶対に出来るものではないのに、である。もちろん、開戦に当たって国民の合意を求めることなども一切しなかった。それは、開戦と戦争遂行上の最終的責任を有する統帥権統治権を所持する天皇も、また戦争を実際に遂行する軍部も同様だった。戦争で何を目ざすかについても、誰も国民に説明をしなかった。というより、そのようなものは最初からなかったのだ。そんな状態であるからもちろんのこと、戦争がどうなったら止めるのか、あるいは引き返すかについても、誰も全く考えてもいなかったであろう。

 そうしては、軍部と一体となり、また軍部に流された政府は、国民を「赤紙」一枚で戦場に駆り出したのだ。

 無条件敗北を喫した時にも、これら三者———天皇と政府と軍部———は自国民に経緯を説明することなど全くなかった。ましてや国民に謝罪することなども、である。またそんな状態だから、起こしてしまった戦争の全体を振り返って公式に総括し、そこから教訓を引き出すなどといったこともしなかったし、そんなことは誰一人考えもしなかったであろう。

 そのうちに占領軍が入ってきてしまったのである。

 

 そこで、《第2部》の最初のこの章では、予め明らかにされていなくてはならない前述の2つの事柄のうちの前者である、新国家建設の理念と目的と形について、私なりの考え方を《第1部》に基づいて、「たたき台」として、明らかにする。

本当ならば、国の最高指導者兼最高責任者の公式の命を受けて、本物の知識人・人格の優れた専門家集団がそれを作ってくれるのがふさわしいと私には思えるのであるが、今のところ中央政府にはそうした動きは全く見られないし、またそのような動きを待っている時間的余裕もないからだ。

 なお、新国家建設に先立っての、理念・目的・形等を含む国家存立の基本的条件を定めた新憲法については、後の第16章にて、これも私の考えるものとして示すつもりである。

 また、後者の全体行程あるいは国家戦略については、第14章と17章にて明らかにしてゆくつもりである。

 

目ざす国家の理念:

 《エントロピー発生の原理》と《生命の原理》を国づくりの二大指導原理とする。

それは、私たち人間が、地球資源の有限性を前提として、現在世代が人間として生きて行く上で必要なものを満たし続けることができるようにするためというだけではなく、将来世代・未来世代も同様に人間として生きてゆける条件を満たし続けることができるようにするためである。そのために、新国家では、政治制度としての民主主義を実現させながらも、それをも超えた生命主義の実現を目指す。

 生命主義、それは、人は本質的には何によって生かされているかという真理と真実の理解の上に立つ考え方である。そしてそれは、これまでの近代を貫いてきた人間中心・市民中心の民主主義を超えるものである。もともと民主主義あるいはそれを考えた市民の視野には他生物の存在は入っていなかったがために、結局は、人間がそれによって生かされて来た地球の自然を汚染し破壊して来てしまったという教訓の上に立つものである。

 さらにその新国家は、世界のいかなる軍事ブロックや軍事同盟にも与せずに、また特定の軍事超大国にも依存せず、国民一人ひとりの“自らの祖国は自らの手で守る”という精神と気概の下で、真の主権国家となる。そこでは、全方位平和外交を主軸としながら中立を維持して、国の平和と安定を維持してゆく。

 その中で、国民が生きて行く上で絶対に不可欠な食糧とエネルギーについては、国民自らの手で自前で確保する。

 したがってここで目ざす国家とは、当然ながら、もはや、たとえば明治政府の「富国強兵」と「殖産興業」を国策とするような国家でもなければ、戦後の保守政権が一貫して取って来た「軽武装で、果てしなき経済発展」を暗黙の国策とするような、祖国防衛を他国に任せた、半人前の、しかも国家ですらない国でもなく、国民から直接選ばれた真の指導者の下で、社会の全ての構成員が統合された、統治の体制を整えた本物の国家である。

そして、いつでも、どこででも、人類愛に基づいた自らの国家理念の下で、自国の主権を堂々と主張し、また堅持しうる真の独立国である。

 さらには、国際社会の平和と人権そして地球の自然環境の蘇生に具体的に貢献できる国となることを目ざし、支援を求める国と地域に対しても、いつでも相手の立場に立って最大限の支援の手を差し伸べられる国家となることをも目ざす。

 そのためには、私たち国民一人ひとりは、日本国籍を有するという意味での日本人としての自覚と誇りを持ちながらも、もはやその日本人としての意識を超え、アジア人でありながらアジア人としての意識をも超えて、これからは陸続きのアジアとヨーロッパを融合した「ユーラシア」の一員としての意識を持って、国を支え国の発展を図る。

 それは、現状での世界における様々な形での対立や紛争、またそこから絶えることなく生まれて来る莫大な数の難民とその悲惨な暮らしを見るとき、そしてそうでなくとも今、人類の存続の危機が目の前に迫っているという事実を直視するとき、私はこれからの日本の世界における位置付けについて、次のように思うからである。

 アジアとヨーロッパの中にあって、互いの信教となっている仏教、ヒンズー教イスラム教、キリスト教ギリシャ正教ユダヤ教ではあるが、そして、アジアとヨーロッパの中には実に様々な文化と伝統があるが、これからは、これらを互いに認め合いながら、共に地球人としての意識と自覚を大切にして生きて行ける国になる必要があるのではないか、、と。

 そしてそうした考え方と生き方を通して、この日本国を、「人間教育」と「福祉」と「文化」の大国、さらに願わくば、「思想」と「実践」の大国となることをも目ざすのである。

 

国家の目的:

 前記した国家の理念を実現できる条件を創り出すことである。

 

国家としての形:

 政治体制としては、民主主義の実現の下に、もはや議院内閣制によるのではなく大統領制をとり、連邦と州と地域連合体よりなる連邦国家とする。

そして日本連邦は、共和制の統治形態をとる、連邦制法治国家とする。

 

連邦国家とは、複数の州や地域連合体を支分国とし、中央政府である連邦政府———この場合、大統領府となる———の下で、それぞれが互いに権限を明確に分ち持ちつつ、全体として統合された国家のことである。

 したがって、新国家では都道府県や市町村は廃止する。

そしてそれは、明治政権でさえ寡頭政治家の下で「廃藩置県」をやり遂げられたことを考えれば、今の時代、可能だ。それが成し遂げられないはずはないからだ。

共和制体とは、主権が国民にあり、国民が選んだ代表者たちが合議で政治を行う体制のこと。その場合、国民が直接・間接の選挙で国の元首を選ぶことを原則とする(広辞苑第六版)。

大統領制の下では、大統領が元首となる。

 以上が、新国家建設にあたっての私の考える理念と目的と形である。

 

 なお、新国家建設の理念と目的と形をより明確にするためには、またその新国家はどのようなしくみや制度から成り立った国とするのか、それをより明確にするためには、例えば次の諸事項も具体的に明らかにする必要があるのであるが、しかしそれらの大部分は新憲法の中でも明らかにされねばならないことなので、以下の諸事項の説明は、後述する連邦憲法の中で行うこととする(第16章)。

例えば、国家の義務、国民主権、国民の個人としての基本的権利とその保障、立法権と執行権と司法権から成る三権分立、大統領と首相の役割、国を構成している構成主体間での権力の関係、およびそれらの法的地位と権限と管轄事項との関係、連邦大統領の役割りと権限、連邦大統領の軍指揮権、連邦議会の役割、とくに上院(参議院)と下院(衆議院)の管轄事項、連邦政府の管轄事項、司法権の独立等についてである。

 そこでここでは、目ざす国家での連邦と連邦構成主体との間の権力の関係、およびそれらの法的地位と権限と管轄事項との関係についてのみ、予め、ここで、私の考えるそれを明確にしておく。

 それは、これまで、この国では、戦後、都道府県や市町村は自治体と呼ばれ、とくに市町村は基礎自治体と呼ばれながらもそれは名ばかりで、実態はとても自治体と呼べるような公共団体ないしは共同体ではなく、むしろ権力を集中させて、財源を自ら確保する権限も手放そうとはしない中央政府への、誇りも気概も見せず、卑屈な従属体でしかなかったことへの反省に基づくものである。

(1)連邦と州との権力関係と法的地位、および権限と管轄事項との関係

 連邦政府は、各州の政府を通してその州の人々と産業に対して、憲法と法律に拠り自立性と自律性を保障すると同時に、各州の人々の暮らしと産業の存続のための財政的かつ人的な助成をしながら、全州にまたがる次の5つの分野の事業とそれにまつわる事務を責任を持って行う。

−−−−外交、防衛(対内外に対する民生と国土の防衛、すなわち国内的には大規模広域災害に対する予防と対策、対外的には国土防衛を担当する)、通貨(ここでは全国通貨であって、地域通貨は除く)、鉄道、郵便(通信は除く)

(2)州と地域連合体との関係

 州は、集落ないしは集落群と都市とから成る多数の地域連合体から成り、その地域連合体は、それぞれがそれぞれの統治機関としての地域連合体政府(地方政府)を持つ。

州政府は地域連合体政府に対して、三種の指導原理に違反する事業と行為、そして国家の基本法である憲法に違反する事業と行為を除けば、ほぼ完全な自治権を承認しながら、各地域連合体独自の後述する12種にわたる事業に関して財政的にも人的にも支援すると同時に、集落単体あるいは単一の地域連合体では負いきれないたとえば広域の安全と保全(森林警備・山岳警備、河川警備等)や、大規模な人的あるいは自然の災害に遭遇した際の救助・救援活動の場合にも、財政的かつ人的支援を積極的かつ速やかに行う。

(3)地域連合体

「都市と集落の三原則」(第4章4節)に基づき、集い住む人々自身の責任において政治・経済・社会の運営面のすべてに対処(自治)できる限り、集落協同体単体ないしは集落群と都市とから成る地域連合体という協同体は、人口面でも面積面でもその規模は互いに隣接する地域連合体相互の協議により自由とされると同時に、ほぼ完全な自治権憲法により保障される。それだけに、責任も伴う。

 反対に、住民になろうとする人々のうち、その規模では自治に責任を持てないという人の数が過半数を占める場合には、責任の持てる規模にまで分割し縮小しなくてはならない。

 集落協同体単体ないしは一つの地域連合体として、自治権(とくに計画権限と財源確保の権限)を持って行える12種の事業の分野は次のとおりとする。

−−−−①食料の自給。②エネルギーの自給。③自然環境(生態系)の活性化と保全。④教育。⑤福祉。⑥産業。⑦都市(街)づくり。⑧文化。⑨芸術と芸能。⑩科学。⑪外交。⑫安全

  なお、これら12種類の事業の具体的内容については、第13章にて記述する。

 

 なお、以下は、補足説明である。

では、なぜ大統領制とするか。

その主な理由としては3つある。

 一つは、国の政治的最高指導者を国民が選挙で直接選べるようにするためである。

これまでは違った。この国では、議院内閣制の下では、公式に最高指導者兼最高責任者とされてきたのは総理大臣または首相と呼ばれる者だったが、しかし、国民にとっては、彼は国民が直接選んだ人物ではなく、むしろ各政党間での権力をめぐる打算の結果でしかなかったがために、“自分たちの指導者”、“自分たちの首相”という気持ちはどうしても持てなかった。だから、“彼の指示には従おう”という気持ちにもさほどなれなかった。

 このこと自身、国民にとっては淋しいことであるし、またそれだけ国民にとっては、政治を身近なものとは感じられないものとしてしまうことでもある。

 一つは、国民から直接選ばれたわけではない首相自身も、当然ながら自分にはいつも国民が直接付いているという自覚も持てないために、国民の福祉や利益のための行政を思い切って行えないからだ。むしろ、自分は各政党間の利害の産物でしかないと考えてしまいがちだろうから、何をするにも、国民の利益よりも先ずは自分を選んでくれた与党政治家の利害を考えなくてはならなくなってしまう。

 それも、国民にとっては、不幸なことなのだ。

 事実、これまで議院内閣制で来たこの国では、国民の意思が首相に迅速に届いたこともなければ、首相が国民のために迅速に決断し行動したこともなかった。

 一つは、さらに、議院内閣制のこの国では、首相自身もそうであるが、その首相が任命し組閣した閣僚たちは、政治家として不勉強・無知・無策・無能・怠慢・無責任、そして愛国心に乏しく、国民に不忠であって、気概乏しく依存心過多であるために、もっぱら官僚に依存しないでは大臣職を務めることはできなかったのだ。

 ということで、これまでこの国では、首相は、実態としては官僚あるいは官僚組織の「お飾り」でしかなかったし、大臣は大臣で、管轄する当該府省庁の官僚たちにとっては、いずれすぐにさり、抗体が来るまでの「お客さん」に過ぎず、それだけにまた、配下の官僚の「操り人形」でしかなかったのだ。

 そんな首相や大臣だから、官僚や官僚機構をコントロールできるはずもなかったし、思い切った行政的的指導性を発揮することもできなかった。

 要するに、この国を国家としてこなかったのは、歴代の首相であり、また閣僚の全員なのだ!

 

 しかし、国の最高指導者兼最高責任者が国民から直接選ばれたとなると、上記3つの事情は全く変わってくる。

その役を為す大統領は国民に対して直接責任を負うことになり、常に国民の方を向いていればいいことになる。したがって官僚のロボットになる必要もなくなるし、国家としての統治体制も明確になり、それだけ政策執行の機動性も増すことになるのである。

 実際、アメリカやロシアあるいはフランスを見ても判るように、政策は大統領の一声で執行されている。国民の意思も国家のトップに直接伝えやすいのである。

 

はじめに ——— 今のままでは、早晩、日本はもちろん世界人類も生きてはいかれなくなるという私の危機感が本書を書かせた

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itetsuo.hatenablog.com

 

 できたら紙の本にしたいと思い、タイトルを「持続可能な未来、こう築く」として書き溜めてきた原稿を、私の息子の手を借りて、これまで私は30数回にわたって公開してきました。

単行本にしようとしたその内容は《第1部》と《第2部》とから成っています(2020年8月3日公開済みの「目次」をご覧ください)。

《第1部》は、持続可能な未来を築いてゆく上でのこの国と国民のあり方として、土台に据えるべきではないかと私が考える一連の基本的な考え方を明らかにしたものです。

《第2部》では、《第1部》の考え方に基づいて、この日本という国の仕組みや制度を含めて、その具体的な姿や形を明らかにしたものです。

IPCC(気候変動に関する国連の、政府間での専門家集団によるパネル)が幾度にもわたって全世界に向かって警告を発していることからも判るように、人類には今、これからも存続し売るか否かの危機が迫っています。私もそう考えます。しかし、その危機の中で、特に最も早くそれが現実化し、大混乱に陥ってしまうのは、多分、私たちの国日本であり、私たち日本国民であろう、とも私は推測します。

 だからこそ、私は、「持続可能な未来、こう築く」というタイトルの下で、《第1部》と《第2部》の原稿を書き続けてきました。

そして《第1部》の内容はまだ全て公開し終えたわけではありません。《第2部》に至っては、1節も公開してはいません。

 しかし、私は、この辺で、なぜ私が今から20余年も前に「持続可能な未来、こう築く」を書くことを決意したのか、それをより明確にする必要を感じます。それは、本ブログを書き始めた2020年7月27日で述べた内容よりも詳しいもので、この拙著の「目次」における「はじめに」として当初から書いていたものです。

 

 

はじめに

——— 今のままでは、早晩、日本はもちろん世界人類も生きてはいかれなくなるという私の危機感が本書を書かせた

 本書は、もうすぐそこまで迫っていると私にはずっと感じられてきた、日本のみならず地球人類にとっての有史以来最大の危機に対して、その回避策、できれば克服策を、私の考えの及ぶ限り具体的に表わしたものである。

 私が最初にこうした危機の到来を予感したのはサラリーマン時代だった。しかしその時には、私にはまだ世界人類に対する危機感はなく、日本の近未来に対する危機感だけだった。

しかしその後の世界の状況の変化を見渡すと、日本ばかりではなく世界全体にも、それも一部の危機ではなく全般的危機が迫っていると感じられるようになった。

 本書は、私の単なる思いつきの書ではない。当時私の勤務する企業内でのある出来事をきっかけにサラリーマン生活に途中で見切りをつけ、家族を引き連れて思い切って農業へと転向し、その生活と格闘しながら20余年にわたって思索を重ねて来たその結果である。

 具体的な経緯を概略的に記すと次のようになる。

 私は当地に移住する一ヶ月前までは、都内に本社を持つ某ゼネコンに勤務していた。

そこでの在籍期間の大部分は構造力学関係の研究ないしは技術開発の部門で過ごした。

二十数年間勤めたその会社では、多くの有能な上司、人間的に魅力を感じる先輩や同僚に恵まれ、仕事にも、日々、大いにやりがいを感じてもいた。

 しかしその私に、ある大きな決意をさせる出来事があった。

 それは、この国がバブル経済の全盛の時で、日本中が、文字どおりバブルに浮かれ、踊り狂っていると言ってもいい時でのことだった。

 私は、所属長から、これから社内で立ち上げようとしていた研究プロジェクトについてやってくれないかとの打診を受けた。それは、「これからの首都東京の将来像を描いてもらいたい」というものだった。

 それは、それまではずっと構造力学や熱力学また流体力学に関係する分野の研究を主な仕事として来た私だったが、しかし、ちょうどそうした打診を受ける少し前頃から、日本の都市がますます無秩序化して拡大してゆく様を目にする度に、そして全国的にも、それぞれの地域で、かつての特徴あった地方都市の姿が失われて行くのを目にする度に、残念な思いやら淋しい思いを感じていた時であった。と同時に、心のどこかで、果して都市がそのように急速に変貌してゆくことは果たして正しい姿なのか、そもそも都市とはいったい何なのか、どうあるべきものなのか、そしてその時建設会社はどう関わるべきなのか、ということをもしきりと考え始めていた時でもあった。

 だからその時の打診は私にとってはまたとないチャンスに思えたのだった。不思議な偶然を感じた。それまでの問題意識を突き詰められる機会がやって来たと思えたからだ。

 いずれにしても、そのとき私は2つの事象の行方をも考えていた。1つは、今、目の前に展開するバブル経済についてである。こんな異常な事態がいつまでも続くわけはない、しかしそれが破綻した時、この国は一体どうなるのだろう、ということについてである。いま1つは、これからは地球規模での「温暖化」を含む環境問題が、早晩、人類全体にとっての最大の脅威になってくることは間違いないと想われるが、そのときこの国はどうなるのだろう、というものだった。

 それだけに私は、そのプロジェクトをやってみることは、自社の社会的な使命と責任を世に知らしめる絶好の機会にもなるのではないかとの思いもあって、その打診を受け入れた。

むしろその後は、これまでの研究とはまた違う熱の入れようで、そのプロジェクトにのめり込むようにして全精力を傾注したのだった。

 ところが、である。最終報告書を提出したとき、そこに盛り込んだ研究の成果は会社からはまったく評価されなかったのである。少なくとも私の目にはそう見えた。

その報告書は、私たちプロジェクトメンバーの次のような結論を示したものだった。

これからの首都東京のあり方は、これまでのような精緻な人工空間ではなく、環境、とくに生態系との共存を実現させ、人々が人間らしく持続的に暮らして行ける空間でなくてはならないし、そうあってこそ都市なのだとして、その具体的な姿を例示していたのだ。

 ところが、会社側が私たちのプロジェクトに期待していたのはそういう都市ではなかったのだ。バブルがますます盛り上がる中で、文字どおりの超々高層ビルが林立する姿だった。

 実は私はそのことにはプロジェクトを進める途中で薄々気付いていた。そしてそれには私はプロジェクトリーダーとして、どう対処したらいいのか、とひどく葛藤してもいた。

 しかし結局はこう判断したのである。

———こんな狂気じみたバブルがいつまでも続くはずはない、必ずはじける。それにこれからは温暖化はもっともっと加速して行く。そのとき、人々は思ってくれるはずだ。自然と共生する首都で良かった。仮に、あのとき超超高層ビルが林立する都市を造っていたなら、都市市民は取り返しのつかないものを造ってしまったと後悔することになるだろう、と。

 そこで私は、結果については自分が全責任を負うからと前置きし、我々が信じる都市の姿を描き、それを報告書としよう、とプロジェクトメンバーを説得し、決断したのだった。

ところがそのようにして生まれた報告書が見事に無視されたのである。

 私はそのとき思ったのである。「もはやここは、自分のいるところではない」、と。

しかし、その時同時に、私の頭をよぎったものがある。それは、私がこの会社に就職する時、全く初対面かつ突如目の前に現れた某大学院生を信頼して下さり、私が入社できるよう社内で奔走してくださったF氏(後述)の顔だった。

 その方は、その時は既に定年を迎えられて退職され、奥様共々、東京の雑踏を嫌って遠くに引き込まれてしまっていた。

 私は迷った。あの方は、今の私のこんな気持ちをどうお思いになるのだろうか。あの方だったら、こんな時、どう判断されるのだろうか、と。またあの方には、今のこの自分の気持ちをどう説明したら理解していただけるのだろうか、とも。

 しかし、いく日か迷い、葛藤した挙句、私はこう思った。

“結局のところ、これは自分で決断するよりない。あの方に相談したところで、こうした方がいいとか、あーした方がいいと、あの方が言うわけはない。”

 ただ、そこで、私は、最終決断を下すとき、自分にこう言い聞かせたのである。

“あの方にはあれだけのお世話になっておきながら、会社在籍中はその期待に十分に応えることはできなかった。だが自分で決めたこれからの人生ではきっとあの方の期待に応えられるだけの生き方はしてみせる。それが唯一、あの方のご恩と信頼に報いることのはずだから。”

 私はそれからというもの、連日、日中の日常業務が終了して、周囲の社員が三々五々、帰宅し始める頃から自分の第二の進路を定めるための検討を始めた。

それは終電車の時間帯近くまで続くこともしょっちゅうだった。しかし一日の中で、その検討に割ける時間はわずかだったので、遅々として進まなかった。土曜日に出社して、一人、広いオフィス空間で机に向うことも幾度あったろう。

 そうしている中、バブルはやはり崩壊した。そしてそれ以後は、案の定というか、この国は、全体として、急坂を転げ落ちるように転げ落ち始めた。ついこの間までの国を挙げて見えていた勢いは嘘のように消え、産業界や金融業界そして不動産業界はとくにひどく、政府も打つ手なしという感じで、誰もが自信をなくし始めていた。

 私はそのとき思ったのである。このまま行ったらこの国の近未来はどうなるのだろう。それを予測してみれば、その中に自分の第二の進むべき道は見えてくるのではないか、と。

 幸い、その予想を立てる上では、先の都市研究プロジェクトを進める中で集めた様々な資料やデータが手元にあり、それが大いに役立った。

 ところがそれらを綿密に見つめ、照らし合わせながら総合して見てゆくうちに、そこに驚愕すべきというか、震撼させられる日本の近未来の姿が見えて来たのだ。

“今のまま行ったらこの国と国民は、地獄図を見ることになる”、と思えたのである。

 その地獄図とは、この国のあらゆる政治的行政的機能や法制度だけではなく、交通・運輸・物流等ほとんどすべての社会的機能も停止し、人々も何をどうしたらいいのか皆目見当がつかなくなって、日々の生活どころか喰い物すらもほとんど手に入らなくなり、そんな中、もう日常的に略奪や窃盗、さらには殺人が横行するようになって、人々は絶望状態に置かれたままになっているこの国の社会の姿だ。つまり、事実上の無政府状態に陥ったこの国の姿だ。

 私はまたそこで思ったものだ。そんな状態を少しでも回避しうることに貢献できるようになるためには、自分は一体どの方面に進んで行き、そこで何をしたらいいのか、と。

 とにかくその時点までに私がはっきりと認識し始めていたのは、この国は、景気がいい時とか調子がいい時には国民みんなが威勢いいが、一旦予期せぬことが起ってそれまでの状態が続けられなくなると、一気にそれまでの元気をみんなで失ってしまい、狼狽え、誰も新たな方向を見出そうとはしないまま崩れて行ってしまう国だということだ。それは正に、この国は、集団ヒステリー的で情緒的で、冷静に先を見通せない、あるいは起こりうる事態を論理的かつ理性的に想像することもできなければ想像しようともしない国民気質の国であり、それだけになおのこと脆弱ぶりを露呈してしまう国だということだった。

 その脆弱ぶりをもたらしてしまう要因は少なくとも5つあるのではないかと思えた。

1つには、いつもみんなで群がり、同じことを同じようにするだけで、いろんな意味で、多様な人が育っていないことだ。2つ目は、何か事が起こると、その問題の解決を自分たちで議論して図ろうとするのではなく、他者、とくに「役所」に依存してしまう体質が骨身に染み付いていることだ。3つ目は、それだけに一人ひとりは物事を自分の問題として深く考えようとしないし、それに、それぞれが、自分が置かれた状況を冷静に、客観的に知ろうとしないことだ。そして4つ目は、自分が日々暮らして生きている地域社会において、互いに深い信頼関係も連帯感もなく、むしろ互いに孤立している。したがって一旦事が起これば、みな右往左往するばかりとならざるを得ない。5つ目は、都市と田舎は完全に乖離している。都会はもっぱら消費地で、生産地とはかけ離れていることだ。

 そういろいろ思案しているうち、私の頭の中で次第に重みを増して来たのは農業への道だった。農業こそ、いろいろな意味で、自分が家族を引き連れて生きてゆくにはふさわしい道なのではないか、と思えたのだ。

確かにそのとき既に私は、“日本では農業では喰って行けない”ということが巷ではほとんど定説になっていることは知ってはいた。そして実際、地方ではとくに、農業後継者ですらどんどんサラリーマンになって行っているという話も聞いてはいた。

 でも、私はそんな話を耳にするたびに不可解に思ったものだった。農業は人が生きて行く上で不可欠な喰い物をつくり、それを提供してくれる、国の基幹産業のはずだ。そのことは、多分誰もが頭では知っている。なのに、なぜ、そんな大事な農業で人は食ってゆけないのか、と。要するに、そもそも「喰い物」をつくっているはずの農業で、この国では、なぜ「喰っては行かれない」のか、という根本的な疑問だ。

 そこで私はさらに思ったのである。

なぜそうなるのか、自分で農業に飛び込んでみて、そこで生きてみれば判るのではないか。また自分が実際に飛び込んで体験してみれば、喰っては行けないとされる今の農業に代わる新しい農業のあり方というものもひょっとすれば見えてくるかもしれない、と。

それに、我が身は安全地帯に置いていながらただ論評をしているだけの評論家に、日本の新しい農業のあり方が確信を持って見出せるはずもない、と。

 これが私が農業に進むことを最終的に決意した理由であった。それは文字どおり、“虎穴に入らずんば虎児を得ず”の心境だった。

 しかし、そこでもまた疑問と不安が浮かんで来た。

農業とは言っても、どこで、どんな農業をしたらいいのか? そしてその農業で、儲けることは考えなくとも、せめて家族を喰わせて行けるのか? 家族を、とくに幼い子どもたちを路頭に迷わせることになりはしないか?

 しかし、ともかく少なくとも自分が進んでゆこうとしている農業における農法については、農薬も化学肥料も一切用いないものであることには迷いはなかった。とくに農薬は、人間の土地の乱「開発」行為と並んで、否、それ以上に自然環境や生態系を最大に駄目にしてしまうものだという点については、すでに会社時代、私は最後の仕事で十分に知っていたからだ。そしてその農業は、畑一面に単一作物を栽培して、収穫するときには人手を使って一気に収穫しては大消費地にその収穫物をその日のうちに送って生活するという、機械化大農経営というものでもないことも心には決めていた。それは、人間は、自然の中で、自然の力を借りて多様な喰い物をつくり、それを摂取することで生きて行くことがもっとも理に叶っていることであるし———だからこそ人類はこれまでの何万年も生きて来れたのだ————、それに、人を含むいかなる生命体も、たった一種類の他生物を喰うだけでは自己の生命体を維持して行くのに必要十分な栄養素は確保できず、絶えず多様な他生物を喰わねば生きては行けないからである。

 こうして私は、この後は、農業の営み方の具体的な計画に入って行ったのである。

そして、こうした計画がほぼ出来上がったところで会社に「退職願」を出した。西暦1998年2月1日のことである。2ヶ月間の猶予を見て、3月末日で辞めようと考えていたからだ。52歳、定年まで8年を残していた。

 そして退職して一ヶ月後、引っ越しを決行し、私たち家族は当地の住人となったのである。

 

 私は農業を始めてからというもの、会社時代とは違う意味で、一心不乱に農作業に打ち込んだ。少しでも早く農業を確立させ、生活を成り立たせねばと思ったからである。

 しかし、農業を始めると、これまで見えていなかったこと、余り深く考えたこともなかったことが、それも農業分野以外のことが、気になり始めた。とくに政治(家)に対してである。

そして気付いた。この国の政治家という政治家は、その本来の役割・使命を果たしてはいない、その結果、この国の政治全体が機能していないなんていうレベルではなくもはや麻痺している、と。それだけではない。この国は、実態を知れば知るほど、どういう観点から見ても、またどの分野について見ても、既に実質的には崩壊している、と。

たとえば、憲法を含む法制度、経済制度、教育制度、福祉や年金を含む社会保障制度、政治制度、選挙制度、租税制度、公務員制度、科学技術および職人養成制度等々についてである。

またそうした中、政治家はもちろん、その政治家が依存して来た官僚・役人も、これからの時代、何をどうしたらいいのか、もはやさっぱり判らなくなって来ている、とも感じた。だから、これまでやって来たことと同じことを、やって来たとおりにただやっているだけなのだ、ということにも確信を持った。

 そしてこうも思った。本当はこんな時こそ、たくさんいるこの国の各分野の専門家と呼ばれている人たちが、それぞれの立場から、それまでに得た知見を生かして、現状を打開する意見を勇気を持って政治家に向って発言すべきなのではないか。そして、このまま行ったなら近い将来、コレコレしかじかの事態に直面するといった警鐘を鳴らし、だから現状を今のうちにこう変革すべきだ、と提言すべきではないか。そしてそれこそが日頃国民の税金で研究ができている専門家と呼ばれている人たちの、自身と自国民への義務なのではないか、と。

 しかし残念ながら、それぞれの分野の専門家は、大学など公的機関の人も含めて、多くの書物を著してはいるようだが、私の知る限りのそれらの著作物のほとんどどれもこの国の全体状況の中の一部について論じているだけで、目ざすべき方向を語るにしても、抽象的な説明に終始しているだけで、「では具体的には何をどうしたらいいか」、あるいは「こうすればいい」という、現状を変革する上で最も肝心な具体案を示しているものは、ほとんど見当たらなかった。

 しかし、その時も私は思った。もはやこの国は、政治的、経済的、あるいは社会的な諸制度の中のある特定の一部の制度を手直しすれば済むというような状態ではとっくになくなっているのであって、そのような一側面だけを、それも他分野との関連性も考慮せずに、自分の専門分野だからと言って提案したところでいったいどれだけの意味や実現性があるというのか、と。

むしろ、その提案内容が斬新であればあるほど、あるいは画期的であればある程、既存の諸制度との間にはギャップあるいは乖離が生じ、整合性が取れなくなる可能性が高くなることが予想されるわけで、その場合、そこをどうやって調整して行こうとするのか、と。

それと、既往の関連制度の中に旨味を感じていたり既得権を所持していたりする人々や集団にとっては、提案されているその新しい内容は歓迎できないとされる可能性は十分にある。そうなれば、その人たちは改革や変革への抵抗勢力となるであろう。そこをどう考えているのだろうか、と。

 そうでなくても、私が知った限りでも、この国は、戦後ずっと、国民から選ばれた代表である政治家が政治を行っているのではなく、現状維持に固執し、既得権益を守ることを最優先する官僚が事実上独裁して実質的に国を運営してきているのだからだ。つまり現状を変えられることは、現状の制度の中で既得権益を保持して来ている官僚と官僚組織にとっては至って不都合なのだ。

 こうして、私は、世の中に提言された現状変革の構想が受け入れられ、それが実現にまでこぎ着けられるためには、どうしても、一部分だけではなく、あるべき全体あるいは全貌を描いて提示しなくてはダメだ、それにそのようにして全貌を示せば、それを目にする人は、少なくとも次のようには感じ取ってくれるかもしれない、とも思ったのである。

 ある人は、これだったら賛成できる、あるいはできない、と。またある人は、描かれている全貌の中の一部あるいは大部分には同意できかねるが、残りの部分には自分なりの新たな利益と立脚点を見出し得るから賛成できる、と。またある人は、現状の日本を見ると難しい面が多々あるが、長い眼で見たなら、その全体は自分だけでなく自分の子々孫々のためにもなるかも知れないから賛成し得る、と。またある人は、この構想だったら、これが早期に実現されたなら、この国の来たるべき全体的危機は避けられるかもしれない、よしんばそれに近い事態に直面しても、この構想に基づき、本物の国家指導者の下で国民が結集して総力を挙げれば、事態を克服できるかもしれないから賛成しうる、と。またある人は、こんな社会が日本に実現し得たら、日本人全体がこれまでのような閉塞感から脱して、希望と展望を実感できるようになるかもしれないから大いに賛成だ、等々と。

つまり、専門家の書いたものは、その内容は、言ってみれば、森を見ないで、あるいは森との整合性を考えないで、特定の木ばかりを見るような内容になるのであろうと予想されるのに対して、私の書く内容は、各部分は稚拙で未完成ではあっても、全体は一貫した筋が通り、全体を矛盾なく見通してもらえるだろう、と。

 私が本書を書こう、書かねばと決意したのは、こうしたこと諸々を思案した結果だった。

 ただその場合にも大きな問題はあった。

それは、全体像を示すことで、目指すこの国の姿と形、そしてそこに至る道については、これをきちんと読んでもらえる限り、大方の人には判ってもらえるだろうが、では、この国が時々刻々、これまでの制度や体制によって現実に維持されている中で、その制度や体制を根本的に転換させることになる私が描いてみせるこの構想をどうやって実現させてゆくのか、という問題である。

 ここから先は、私には、純粋に方法論の問題となった。

それは、この国は、もはや財源はまったく余裕がないこと、動ける人もきわめて限定されていること、しかも達成しなければならない残された時間は、多分世界中のどこの国よりも短いと想われるということを考慮しなくてはならないからである。

そのため、最大の効率をもって最大の効果を上げ得ると考えられる方法を考え出さねばならない。

 だからと言って「革命」とか「クーデター」というのはこの国には相応しくないし、第一、それでは国民の真の支持を得られないだろう−−−150年前、薩摩長州藩の下級武士が中心となって起こした明治維新は、国づくりの明確な計画もビジョンもないままの、天皇を人質にした上での軍事クーデターだった(原田伊織「明治維新という過ち」毎日ワンズ)———。

とは言え、「世直し」というのは、歴史上、どこの国でも、どうしても一時の大混乱、場合によっては動乱ということも避けられないものだ。

それだけに、その混乱を最短で最小限のもので済ませるためには綿密な計画と戦略が必要となる。

と同時に、まずは国の主権者である国民の大多数に理解してもらえ、協力してもらえるよう、国の指導者となった者から、事前に十分な説明を尽くすことが何と言っても大事なことだ。

その際特に重要となるのは、何のために現状のこの国を大変革するのか、そしてそれは誰のためにするのか、さらには、どのような段階あるいは過程を経て、遅くともいつまでにこの大変革をやり遂げようとしているのか、ということを簡潔明瞭に説明することだ。

言い換えれば、脆弱なこの国を変革し、真の国家、それも持続可能で真の意味で民主主義が実現した耐性のある国家を創建するのだということである。

 なお、ここで、本書の本文の中で、これから頻繁に用いられることになるであろう「持続可能」なる疑念の元になった「持続可能な開発」という言葉の意味を正確に表現しておこうと思う。これは、国連総会の決議の下に設けられた「環境と開発に関する世界委員会」が1987年に国連総会に提出した報告書「Our Common Future(私たちの共有の未来)」のキーワードとなっている重要な概念である。

 持続可能な開発(Sustainable Development):

未来の世代が自らの必要を充足しようとする能力を損なうことなく、しかも現在の世代の必要をも満足させることができるような開発。

 これをもっとわかりやすく表現すると、「われわれの世代だけでは終わりにならない、そして子孫の世代までいつまでも続くことができる開発」、もっと簡潔に言い直せば、「地球の有限性を自覚した開発」となる(林智、西村忠行、本谷勲、西川栄一著「サステイナブル・ディベロップメント」法律文化社 p.23)。

 ともあれ、そんなこんなの経緯をたどりながら書き綴って来たのが本書である。

 なお私は、この本の原稿を書き進める過程で、いつも自分に言い聞かせたことがある。

それは、既存のいわゆる「常識」や「通説」と言われるものには極力惑わされずに、むしろ可能な限り疑ってかかること、というものだった。

それは、それを示して見せてくれたのがデカルトだった。彼はそうすることで、「近代」という時代の幕を明ける上で最大の貢献をしたのである。それがあの「我思う、故に我あり」による、「個」の発見である。

私も、つねに、本当にそれで正しいのか、本当にそれは必要なのか、必要だとしても誰にとって必要なのか、本当にそれがあるべき本来の姿なのか、もっと別の相応しいあり方があるのではないか、等々という姿勢を貫いて来たつもりである。

 そしてこうなるともう、本書を書き進めるに当たって、私には、無関心でいられるモノやコト、ただ漫然と見過ごしていられるモノやコトはなくなったのである。

 本書の内容の全体を、副題にあるように、2つの原理に貫かれた一貫したものにするにも膨大な時間がかかった。

それは「目次」の構成に現れた。

当然ながらそれは一度では定まらないため、幾度も構成し直した。

アッチコッチと部分を執筆しながら書き進めるのであるが、その場合、目の前に私には本の内容と関連する重要な出来事だと思われる出来事が生じると、それをきっかけにして、“この項目も加えねば”、“あの項目も加えねば”と、付け加えるべき新たな項目が頭に浮かんできた。

ところがそれらのほとんどは、それまで自分としてはまったくと言っていいほどに関心を持たずに来たこと、考えてみたこともなかった分野だった。

そんなときには、将来いずれ必要になるだろうと思って買い求めておいた書籍を自分の本棚から引っ張り出して開いてみたり、外国のニュースに登場する人たちのものの考え方や言動を注視したりして自分の考え方を広げようとしてみたのであるが、それでもいつまで経っても自分が納得行くようには内容をまとめらない状態が続いた。そんなとき、“やはりこんな作業、自分には無理なのか”と何度落ち込んだことか知れない。

 やっと書いても、それを全体構成の中に組み込むと、今度は部分的にこれまで書いてきた内容や流れと整合性が取れないところが出てくるのである。そうなるとそれまでせっかく組み立ててきた全体の流れが乱れてしまうので、その場合には改めて全体の流れを再構成しなくてはならなくなったのである。

 こういうことを繰り返しては、全体の流れ、すなわち「目次」を組み立てて行ったのだった。

しかし、幸いにしてその作業は、それまで私の頭の中でゴチャゴチャになっていたこの国にとっての諸問題・諸課題を重要度・緊急度の観点から整理する上で、きわめて役立った。

 結局、こうして目次の全体構成が定まるまでには、少なくとも2年は要したように思う。

 しかしそれが定まると、後は、ひたすら執筆に取りかかるだけだった。

 とはいえ私の場合、専業で農業をしていたから、そして幼い子ども二人を抱えていたから、執筆に避ける時間は、1日の内でも、朝起きた直後のせいぜい2時間程度であった。大部分は家事、育児、そして農業に費やさなくてはならなかったからだ。その日の農作業が終わって、夕食の準備をし、子供たちと夕食を済ませると、もう体も頭も疲れて、執筆どころではなかった。

それだけに、自分で決心したことであるとはいえ、先のことを考えると、果たしてこんな大それたことをやりきれるのか、と、気の遠くなるような思いに襲われることも幾度もあった。

 その上、私は物書きではないし文章力がない。果たしてこんな拙文、人は読んでくれるのだろうか。そんな思いにも幾度駆られたか知れない。そのため、少しでも読んでもらえる文章にしなくてはと、時間をおいては幾度か見直してみたり、またより適切と思われる言葉や表現を捜したりもした。また、寝ていても、ふと新しい発想が浮かんだり、こっちの方がより適切だと思われる表現を思いついたりすると、慌てて寝床から起きて電気をつけ、紙と鉛筆を枕元に持ってきて、忘れないうちにそれをメモしては、朝になってから、これまで書いてきた原稿に反映させる、ということも幾度あったことか。しかし、それとて私には自ずと限界があった。

 そんなことをし、そんなことを思う間にも、私には、この国は崩壊の速度を早めているだけではなく、どんどん世界に後れをもとっている、と感じられるようにもなって行った。それだけに、“一刻も早くこの本を完成させて世に出さなくては”、という焦りも一方ではますます募って行った。

 本当はこんなこと、私のような者がすることではない。この国の政治家という政治家が、とくに国の指導者であり最高責任者でもあるはずの内閣総理大臣が、いわゆる知識人あるいは専門家と呼ばれていて、人格的にも優れた人たちを結集させ、その人たちの手で、言って見れば「救国の書」とでも言うべき提言書をまとめて欲しかった。なぜなら総理大臣こそ、国の舵取りのはずだし、公的研究機関の専門家こそ、国民の税金を受けて、それを為すべき社会的使命と役割を担っている人々のはずなのだからだ。

 だが、この国では、石橋湛山を除く歴代の総理大臣はもちろん、メディアに登場してくるような著名人を見る限り、真の知識人としての役割を果たしている人、この国の危機的状況を真に認識し得ていると思える人は————それに近い人はいたが————、私にはついに一人として見出せなかった。

それだけに私は、“こんなことをしているのは、日本中で自分一人だけなのではないのか”、と思うようにもなって行った。

 考えてみれば、専門家(スペシャリスト)の宿命なのであろう、そう呼ばれている人ほど、その分野の知識や情報は誰よりも詳しくまた豊かであろうが、その専門分野に隣接する分野あるいはそれから遠く離れた分野にはあまり関心がなさそうな人が大部分なのである。

ましてや全体を見渡して、その中に自分の専門分野を位置づけようとしている人などは皆無に見える。

 しかし特に今日の日本にとって本当に必要なのは、全体を俯瞰できる目を持ったゼネラリスト、あるべき国の全体の姿を描き出すことのできる人なのではないだろうか。それも、自然と調和した持続可能な国の全体の姿と形を、抽象的にではなく、具体的に示すことのできる人なのではないだろうか。

そう考えれば、「群盲、象をなでる」の諺が示すとおり、専門家による専門分野の知識の単なる和では、それを示すことは多分無理なのだ。少なくとも一つの考え方で貫かれた全体を示すことは。何故ならば、一国の諸制度や諸要素というのは、互いにバラバラなものではなく、むしろ互いに内的な関連をもって全体を構成しているものでなくてはならないからだ。

 そう考えると、かえって、「農」をすべての土台にして今後の国の全体としてのあるべき姿を捉え直してみようとして農夫になった私のような者こそがこうした本を書くべきではないか、否、私のような立場の者にしか、こうした書は書けないのではないか。

そう思うようにさえなった。そして書いているうちに、誰も私のやっているようなことをやっている人はいつまでも現れて来る風も見られないところから、さらに私は、ひょっとすると自分は、これを書くために生まれて来たのかもしれない、とも思うようになって行った。

 幼い時から、学校から帰ると、毎日のように友と暗くなるまで外で遊び、いたずらもし、またしょっちゅう川(千曲川)や山や池でも遊んで過ごして来た。中学や高校での記憶中心の勉強は楽しいと思ったことは一度もなかったが、大学に進学しては物理学を学び、先輩の影響もあって、そこで本当の意味で物理学を学ぶことの楽しさや面白さを知った。大学院では航空工学を専攻した。しかしイザっ就職しようと思ったら、日本では国際線を飛ぶ大型旅客機を作っている会社はないと知って愕然とした。だからと言って、私は人殺し兵器である軍用練習機の設計に関わるつもりはなかった。結局、考え抜いた末、総合建設業へと進んだ。“破壊のあるところ、つねに建設あり”と信じたからだ。

 そこで、私は大学院在学中、上京の折に、某会社を飛び込み訪問したのである。その時、対応して下さった人事課長Kさんが、“自分は技術的なことはわからないから”と言ってある建築設計部長Fさんを呼んでくれた。実はその方こそ、その後、私が「生涯の師」と仰ぐ人となったのである。

私はその方が社内での仕事上のことを熱く語ってくれている姿を見ているうちに、自分がその方にどんどん惹きつけられてゆくのを感じた。そして思った。“こんな方のいる会社なら、思いっきり、仕事ができるのではないか”と。後で知ったことだが、その方は社内でも「万年青年」の異名をとっておられたのだ。

 結局、その方の人間的魅力に魅せられて、私は、その場で、決意し、なんとかして採用してくれるようその方に強く懇願した。ガッカリするから考え直すようにと一旦は諭されたが、食いつく私を見てか、終いには、そこまでの思いならばと、F部長さんが社内で責任を持って私を紹介して下さるとのことになった。

 私は入社してすぐに研究所に配属され、力学関係の研究を中心とする仕事をすることとなった。上司や人間関係にも恵まれて、仕事も会社も本当に楽しかった。仕事は本当にやりがいがあった。

 なお、サラリーマンとしての最後に携わった仕事は、環境技術の開発だった。

 私は、一度離婚をして再婚した。しかし退職後、当地に来て再び離婚。“農業では喰って行けない”というのが伴侶の言う理由だった。その後は一人で幼児二人の育児をし、家事をしながら農業をした。その農業は、春先、2月に農作業が始まれば、年末のクリスマスまでは、事実上、年中無休だった。

 確かにそれは大変だったが、でもそれを続ける中で、私は実に重要なことを学んだ。

人間が日々を生きるためには少なくともどれだけのことをし続けなくてはならないか、その全体を知り得たことだ。子どもをある年齢にまで育てるということがどういうことであり、どうすることか、何があるか、についてもその全体を知り得たことだ。

 そうしたことの体験のすべてが、そしてその過程で考えてきたことのすべてが、今のこの執筆に直接間接に役立っているからだ。

 実際、その他のことでも、本書に表現されている私の考えは、そのほとんどが、畑や田んぼといった農作業の現場にて、気象や気候の変化を肌で感じ取る中で、成長過程における種々の野菜の姿の変化を観察し、また野菜の種類によって違った棲息の仕方をする虫たちの姿を観察し、気づいたものであるし、思いついたものである。家に帰っては育児・家事をする中で気づいたことだった。

 それらをその都度、忘れないようにと、その場でメモし、帰宅してはパソコンの中にメモした内容をバラバラに書き貯めていって、後々、それらを論理的に組み立て直したのである。

 それだけに本書は内容と論理の厳密さが要求される学術書ではない。あくまでも現状のこの国を変革するための概略的な考え方と具体的な方法を示した提言書である。それに、本書は、現状の行き詰まった国のありようを根本から変革するためには、せめてこの程度のことは事前に考えておかなくてはならないし、この程度の視野で先を見て考えておかねばならないと思って認めたものである。

 だから本書は、たとえば、人間にとって労働することの根本的意義を問わないままの、すなわち「人間」そのものを相変わらず考えないで、単に産業界発展のための安い労働力商品を大量に確保するためだけの安倍晋三の「働き方改革」に見るように、あるいは打ち出す政策すべてが場当たり的でしかもバラバラで、長期的視野に基づくものなどまったくなかったと言っていいこれまでの政策に見るように、これまでの日本政府の事業の提示の仕方や進め方とは、あらゆる意味で対極を成す内容の書である。

 それに、この国は、少なくとも明治以降、国づくりをするにも、戦争をするにしても、目ざすべき目的と目ざすべき姿を明確に描き、それを実現するための戦略を明確にした上で実行に移すということをしたことは一度もなく、また何か事を起こすにも、現場の実情をよく把握した上で論理的に詰めてするということも一度もなく、どちらかといえば常に情緒的気分的で出たとこ勝負といったあり方だったが、本書は、そうした観点からも対極を成すものである。

 したがって読者の皆さんには、本書を読み進められる際には、できるかぎり、絶えず、次の諸点に着目して読み進めていただけるとありがたいのである。

 ①論理的整合性が取れているか。②情緒に流れず、客観的であるか。③誰のため、何のため、といった目的が明確であるか。④細部よりも、まずは大局的な見方や方向性は妥当か。⑤自分だったら、これに代わるどんな新国家を具体的に構想するか。⑥そしてその時の実現手順はどのようにするか。

 

 とにかく本書が、とくに明治政権以来植え付けられて来た私たち日本人のものの考え方と生き方を根本から見直してみるきっかけとなってくれると共に、この日本という国が、惨めな末路を回避しうるようになるというだけではなく、真に持続可能な国へと生まれ変われるための国民的本音の議論が巻き起こるきっかけとなってくれたら嬉しい。

またその際、本書が「カーナビ」ならぬ一つの羅針盤として、議論の方向を指し示し得る一冊の「たたき台」となってくれたなら、私としてはこれ以上の歓びはない。

 そしてその国民的議論の結果として、この国の老若男女一人ひとりが、それぞれの立場で、もはや「自分のできるところから」とか「みんながやっているから」という姿勢ではなく、祖国のために、また愛する子孫のために、「自分として為すべきこと」を自分の頭で考えて見出し、日本国民全体で真摯な議論を起こし、連帯して総力を結集し、この日本が、世界に先駆けて新時代の先頭を行くという意味での真の「先進国」となり、世界に範を示しうる国になって行ったなら、私として万々歳なのである。

そうなったなら、この国は、どんなに希望と活力に溢れた国へと変貌し得ていることだろう。

 

 今、私が何とか本書をここまでの形にし得たのは、何と言っても次の5人の方々に支えられて来たお陰と思っている。その人たちは、そのそれぞれの辿った生き方により、私をいつも無言のうちに、私の信じる道を行けばいいと、励まし導いてくれた。

 その一人が、真下真一先生である。

この方は、私には、先生としか言いようがない方だ。

先生は私が学生時代から私淑して来た、もっとも尊敬する哲学者である。

一度でいいから、先生の講義をお聴きしたかった。

私にとっては、先生は、今もなお、道に迷ったときには決まって、人間としての生き方、立ち返るべきところを教えて下さっている、文字どおり「生き方の師」なのである。

 もう一人は、E・F・シューマッハー氏である。

 私は同氏も直接は存じ上げない。あくまでもその著書を通じてその存在を知っただけである。しかもその著書はたった一冊である。

 でもその書は、私に、思想の面で、そしてとくにこれからの経済のあり方をまとめる上でこれ以上にないヒントを与えてくれた。

 もし同氏の著書に巡り会うことがなかったなら、本書は生まれることはなかったかもしれない。

 もう一人は、K.V.ウオルフレン氏だ。

 この方にも、その著書を通じて私が知ることがなかったなら、本書は確実に生まれてはいなかった。

 同氏は、日本にもすでに何十年と住まわれ、日本のことを、それも日本の現状と将来について、心から案じてくれている著名な国際的ジャーナリストである。

私が同氏の言わんとしていることのどれほどを正確に理解できていたか疑問ではあるが、それでも、書くべき方向を見失うことなく書いてくることができたのは、ひとえに同氏のお陰である。同氏が半世紀以上にわたってオランダと日本に掛け持ちで住みながら、日本を愛し、その二十数冊にわたる日本に関する著書を通じて日本の現状と将来を心配してきてくれたその事実一つを取ってみただけでも、私は、日本人の一人として、同氏の存在と貢献に心から感謝するのである。

 そしてそれと同時に、同氏は、私に、一個の人間として、誰にとっても母国を愛するということはどうすることなのかということをも、身をもって教えてもくれた。

 そしてもう一人は世界中で知らない人はいないL・V・ベートーヴェンである。

 自らの音楽的才能を認めながらも、聴覚を失って行く自分に絶望して、一旦は自分の命を自分で断つ覚悟まで決めた彼ではあるが、彼の音楽的そして人類愛的使命感がその決行を許さなかった。

 そして絶望から蘇った後の彼の生き様こそが私を支え、導いてくれたのである。

 具体的には、着想を得てから40年近くをかけて完成させた彼の人生の集大成とも言える交響曲第9番はもちろん、交響曲第3番、5番、6番、7番。ピアノソナタ第14番、17番、23番、31番、32番。ピアノ協奏曲第4番、5番。そして第9交響曲の直前に作曲された彼の最大の自信作でもある作品123の荘厳ミサ曲。そして最晩年の弦楽四重奏曲第14番と15番。

 作品のどれをとっても、聞き込めば聞き込むほどにそこに現れるベートーヴェンの、自らの運命を鷲掴みせんとするような強固な意志と生き方に圧倒されてしまうのであるが、しかし、私にとって彼から何よりも学ばせてもらったのは、人類愛に基づく音楽的使命感を持って、作曲を重ねる度に、人間精神が昇華して行く階段を上って行くその姿であった。最期は、世界中の苦しみ病める人々に向って、自らの生き方を振り返るようにして、「苦しみを貫いて歓喜に至れ」と呼びかけるその精神の気高さは、もう私には言葉もなく感動的だった。

 一人、身をもって示して生き抜いて見せてくれたその生き方は、ともすれば次々と目の前に展開する現実に挫けそうになる私をどんなにか励まし、勇気づけ、支えてくれたか知れないのである。“自らの信じる道を行け”、“自らの運命に挑め”、と。

 そして5人目は高木史人氏である。

彼は私のサラリーマン時代からの親友である。私が入社し、配属された研究所には既にその部署にいた人物だ。互いの会社時代も、そして私が既述したように先に中途退職した後も、その後、彼が定年退職した後にも互いにずっと家族ぐるみで交友を続けさせてもらって来た親友である。それは、「カイシャ」という営利集団の中にあって、きわめて得難い出会いだった。

 その彼は4年前に物故したが、農業生活に入った私と私の家族を経済的にも精神的にも支え続けてくれた。

 本書をここまで書き続けて来ることができたのも、その彼の存在と励ましを抜きにしては考えられないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

7.6「人類存続可能条件」が私たちに要求する生き方とは何か。そしてそれを私たちはどうしたら受け入れられるか

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 スエーデンの若干16歳の環境活動家グレタ・トウーンベリさんに触発されて、2019年、数百万人の若者が世界の路上や広場を埋め尽くしました。止まらない地球の温暖化に因る気候変動に危機感を抱いたがためです。それも、あらゆる手段を尽くして、既存のあらゆる社会システムを変えさせようと、政府や企業に訴えるためです。

その運動の中心にいたのはフランスはパリの若き環境活動家たちでした。彼らがそうした抗議行動に出る根拠とした主張はこうです。

“これは私たち人類が、地球で尊厳を持って生きるための闘いです。”(ポリーヌ・ボワイエ)

BS1スペシャル「クライメート・ジャスティス パリ“気候旋風”の舞台裏」2021.1.3NHK

BS1

 彼らはその環境活動の拠点を「ラ・バーズ」と命名しています。

 思えば、あの「ベトナム戦争」を契機にして起り、それが瞬く間に全世界(ロンドン、サンフランシスコ、ローマ、サンパウロ、ベルリン、ハノイ、ワシントン、東京)に広がった、1968年の学生を中心とした運動も、やはりフランスから起りました。

 パリ郊外のナンテール大学の学生たちからでした。それは、既存の社会システムに対して抗議し、それの全面的変革を迫る運動でした。その運動はその後、フランス全土に拡大してゼネスト状態をも現出し、「5月革命」とも呼ばれるようになったのです。

 しかし、それよりもはるか230余年を遡れば、長く続いた近世絶対王政の社会を打ち破ろうとして、「自由・平等・友愛」をスローガンに掲げて立ち上がり、世界に先駆けて「市民大革命」を起こし、近代という民主主義の時代の幕を開けたのもフランスでした。フランスの都市市民でした。

 では果たして、「近代」を超えて、ポスト近代、すなわち私の言う「環境時代」を到来させる上でも、世界をリードし、世界に先駆けて環境時代先進第1号国の名乗りを上げることになるのもフランスなのでしょうか。若者を中心とする市民に導かれたフランスなのでしょうか。

そしてその時、そのフランスとは対照的に、「先進国」と呼ばれながらも、世界で最も恥ずかしい振る舞いをするのは、やはりこの日本なのでしょうか。

 それは、国民一人ひとりが相変わらず自分の頭では考えず、またかつての「江戸時代」には、世界に誇ることのできる世界の最先端を行く「自然と社会の持続を可能とさせる文化」があったことを顧みることもせずに、またこの国には他国にはない地形的な特質があるのにそれを生かそうともせずに、さらには、環境時代に移行すべき意味も目的も深く考えずに、ただ世界の趨勢に乗り遅れまいとして、よその国がやることと同じことを真似しては、「金魚の糞」のごとくにくっついて行こうとする様を意味します。

 もういい加減にそんな情けない状態は返上しようではありませんか。

自分自身と祖国の将来に対して、責任と覚悟を持って立ち上がろうではありませんか。

 

7.6「人類存続可能条件」が私たちに要求する生き方とは何か。そしてそれを私たちはどうしたら受け入れられるか

 

 表題のこの問いに答える前に、私たちが先ずはっきりさせておかねばならないことがある。それは、3.2節にて明らかにして来た、人類存続可能条件としてのエントロピーの総量とは、私たち現在の地球上の人口およそ77億人にとって、平均すると一人当たりどれほどのエントロピーを生じさせることまでを許されることを意味するのだろう、ということである。さらに言えば、その量とは、たとえば石油を燃やす場合を想定したとき、一人当たりどれだけの石油を燃やし、消費することを意味するのか、ということである。

 ただし、3.2節では、私はその概略の数値を計算してはみたが、その計算法方法が本当に正しいのかどうか、計算に入る際の仮定が本当に妥当なのかという点も含めて、世界の関係科学者の協力の下、全世界に共通に通用する、より詳細で信頼できる数値を算出することがどうしても必要であると考えるのである。

 そうすれば、少なくとも、あらゆる個人にとっても、また団体にとっても、そこで定まるある制限値を守ればいいことになるので、2015年の「パリ協定」の三つのポイント(①産業革命前からの気温上昇を1.5℃に抑える努力をする。②21世紀後半には、温室効果ガスの排出量を実質ゼロに。③5年ごとに削減目標の見直しを義務づける。)を守るよりもはるかに判りやすくなるのではないか、と私は考えるのである。

 その際重要なことは、そこで得られた結果は、私たち地球人のすべてに平等に適用される、ということである。先進国の人間だからとか、新興国の人間だからとか、途上国の人間だからという区別や差別はされないものだ、ということである。

 そこで問題となるのは、そうしたことを、特に先進国の人々はそのまま受け入れられるか、ということだ。

 それだけではない。そこで得られた結果は、もはや経済社会が資本主義経済社会であることを、さらにはグローバル経済システムの社会であることを否定し、言葉だけではない、本当の意味での物質循環型経済社会を要求するものであるはずであるが、それをも、特に先進国、ついで新興国の人々は受け入れられるか、ということである。

 このことが意味することは、要するに、もはや地球人類である私たちにとって最も重きを置かれなくてはならないことは、万人が等しく生きて行けること、それも、子々孫々にわたって生きて行けるということなのである。それもできれば、誰もが「幸せ」と感じられて生きて行けることである。決して一部の人、例えば金持ちだけが生きて行ければ良いとか、先進国だけが、新興国だけが生き永らえられればよいということではない。

 だからと言って、私は「共産主義」の社会が望ましいと言っているのでもない。

 そして万人が等しく、永続的に生きて行けるようになり、それも、子々孫々にわたって生きて行けるようになるためには、好むと好まざるとにかかわらず、多様な他生物との共存を実現しなくてはならない。多様な他生物が永続できるためには、それが可能となる自然を人間が回復し、人間が維持しなくてはならない。それは、大気と水と栄養が大地をあまねく循環する自然のことだ。

 こうした関係が維持されていなくては人類の存続は間違いなく不可能となる。

実はそうした関係を図式的に示したものが、4.3節で述べて来た「人間にとっての基本的諸価値とその階層性」の図である。その図において、生命一般にとっての普遍的原理が一番土台の位置を占めているのはそのためである。その原理がまず実現され、しかも常に実現されていることが、万人が等しく永続的に生きて行けるようになるための前提条件となるからだ。

 この図が意味している真理には、多分議論の余地はないであろう。なぜならヒトは、自分(の力)だけで、それも一人で生きているのではなく、常に、必ず、他生物の命をいただくことで生きることが出来ているのであるのだからだ。そういう意味で、私たち人は、「万物の霊長」などと言われてはきたが、実際は、とんでもない。紛れもなく、他生命に生かされて来ているのだ。そのことは、普段、私たちが食べているものは、植物動物あるいは魚介類を含めて、すべて、他生命であることを思い出していただければわかる。そしてそれらを生かしているのも、無数の種類と数の昆虫であり微小生物でありバクテリアまたはプランクトンである。

それらは土壌という生態系あるいは海または水系という生態系に生きている。

 こうしたことを知ってしまえば、当然ながら、そんな人間に、他生物に対して、生殺与奪の権利などあるはずはない。存続しうる他生物の種類を選定できる権利などもあるはずはない。そういう意味では、雑草、雑魚、害虫、害鳥、害獣とみる見方も同類だ。

そもそもそうした他生物に対する見方が、あるいは、自然は人間が豊かになるための手段であるという見方が、今日の生物多様性の消滅の危機を招いてしまったのだからだ。

 こうしたことを考えると、本節表題のテーマである、「『人類存続可能条件』が私たちに要求する生き方とは何か。そしてそれを私たちはどうしたら受け入れられるか」との問いは、私たち日本国民にだけ突きつけられるべきものではなく、むしろ、全人類に共通に突きつけられたものと捉えるべき問いなのである。なぜなら、《エントロピー発生の原理》も《生命の原理》も一国だけで実現できる原理ではないし、『人類存続可能条件』も一国だけで実現できる条件ではなく、いずれも全世界、全人類が協調し、協力し合わねばならないものだからである。

 

 では、全人類に共通に突きつけられたものと捉えるべきその問いに対して、私たちは、まず日本国民として、どう答えるべきなのだろう。

その場合、重要なことは、私たちは誰かの出した答えを真似するのではなく、それぞれが、自分で、自分の責任において出すべきだと考えます。それも、地球市民の一人として。

 では各人が自分に向けられたと考えるべき問いとはどのようなものなのだろうか。

 それは、例えば次のようなものではあるまいか。

 一つは、“ 今、目の前の経済あるいは経済システムを直視しながら、あるいは今、当たり前とされている世界の主流ないしは支配的とされる価値観を直視しながら、このままのシステムそしてこのままの価値観を持ち続けて、このままの暮らし方を続けて行ったなら、自分たちの子どもたちや孫たちの10年後、30年後、80年後の暮らしは、またその彼等の子どもたちの暮らしは、どうなって行くのだろうか。彼らを等しく窮地に追い落とすことになりはしないか。”

 一つは、“そもそも「消費」することが経済活動の唯一の、あるいは主たる目的なのだろうか。消費は目的などではなく、人間が幸福を得る一手段に過ぎないのではないかシューマッハー「スモールイズビューティフル」講談社学術文庫 p.74)。”

 一つは、“多くを消費する人は少なく消費する人より「豊か」なのだろうか。

 そもそも「豊かである」とはどういうことか。私たちが求めて来たのはどういう種類の、どんな中身の豊かさだったのか。それは量の豊かさだったのか、質の豊かさだったのか。”

 一つは、“人間は、生きる上で、「お金」は、いつでも、どこでも、必要なものと思わされ、信じさせられて来たが、とくに前記の二つの問いを考慮するとき、それは真実か。

お金を得る目的のほとんどは、「消費」することを煽られてのものだったのではないか。

 そもそも人が人間として「幸せ」と感じられるようになるために、お金があることは不可欠なのか。何を消費するために「お金」が要るのか、そしてその消費は、本当に自分を幸せにしてくれるのか、それこそが考え直されねばならないのではないか。

なぜなら、その過剰な消費こそが、今日、地球人類が直面している、その存続を危うくしているあらゆる大問題————例えば気候変動問題、生物多様性消滅問題、化石資源のみならず海洋資源・森林資源等すべての資源の枯渇問題、核兵器の拡散と核戦争の脅威の問題————の根源的原因となっているからだ。”

 一つは、“そもそも人間にとっての「幸せ」、それも一時的な幸せだではなく、永続しうる幸せ、しみじみと感じられる幸せとはどういうものなのか。

 今の経済社会、すなわち資本主義経済社会、正確に言えば、一人ひとりの人間を競争に駆り立て、人間を一個の歯車、それもいつでも取っ替えられる安価な歯車としてしか扱われない経済社会、貧富の格差を激化させ、人間同士を分断し、人間同士を切り離してゆく経済社会においては、そんな本当の「幸せ」や「豊かさ」は果たして手に入れられるのか。”

 一つは、“それに、そもそも私たちは、人間として、何のために生きているのか。その目的や意義とは何なのか。また「進歩」とはどういうことなのか。何がどうなることか。

果たして、その資本主義競争経済は私たち一人ひとりにそうしたことを教えてくれたことがあったか。否、資本主義競争経済はそのようなこと、人間に教えられる経済なのか。” 

 一つは、“私たちの子どもたちや孫たちに、私たち以前の大人世代が破壊してきた自然を、温暖化する一方の地球を、多様な他生物がどんどん消滅して行くばかりの地球を残したまま、逝っていいのか。その上、「便利がいい」、「快適がいい」と言っては化石資源を浪費しながら無用な道路や公共事業をはびこらせては、自分では返済する気もない超莫大な借金を国に残したまま逝っていいのか。”

そしてもう一つは、次のような前提に立っての問いである。

 今、人類の存続を脅かしている既述の種類の問題は、どれも、一国だけで対処できる問題ではなく、どうしても全世界が協力し合わねば、実効ある対処も克服もできない、しかし喫緊の問題である。

 ところが今や、「世界のリーダー」としてのかつてのアメリカはない。共産党一党独裁権威主義的政権が続く限り、中国も、どんなに経済力を増大させても、世界のリーダーにはなり得ない。ロシアも同様だ。なぜなら、人間は、誰も、本能的に、自由と尊厳が守られることを欲するからだ。

 また、今、世界では、国のあり方や社会のあり方において人類存続が可能となる模範を示し得ている国はない。

 日本は、「先進国」とは言われるようになっても、国際社会の中で、それにふさわしい責任ある行動をとってきたことは一度もなかった。いつでもアメリカに追従し、アメリカの傘の中で行動して来るだけだった。つまり、こと国際政治の中では、日本はいてもいなくてもどうでも良い国だった。

 そこで、問いである。

 “世界と人類のこうした現状を直視し、それを認識して、日本が本当の意味で、世界平和に貢献でき、人類的課題の解決に貢献できるようになることを望むならば、その時、日本国の主権者である私たち日本国民は、まず私たち自身、これまでのものの考え方や生き方の何をどう変えて行ったらいいのか。またその時、どのような価値観を重視し、どのような社会のあり方をビジョンとして描き、世界のあり方をビジョンとして描き、その実現に向けて、どのような責任ある行動をとってゆけば良いのか。” 

 ・・・・・・・・・・。

7.5 生物としての「ヒト」と社会的存在としての「人間」

 

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今、世界では、特に先進国になればなるほど、人々は、「人間の疎外化」という状況が深まる中に置かれています
7.4節。疎外化、それは、人間が、それぞれ、統一的、全体的視野が失われて一面化あるいは断片化し、互いの関係がバラバラになる孤立化を招き、そして内面的空洞化あるいは人間として浅薄化してゆく、この三つの現象をひとまとめにした言い方です。

そしてその結果として、社会は壊れつつあること、同時に自然も人間の手によって壊れつつあること、さらにその中で、気候変動は半ば必然的に進み、生物多様性の消滅も進んでいること等々についても、すでに述べてきたとおりです。

そんな状況であるからこそ、私たちは、改めて、「人間とは何か」、それは「生物としてのヒト」とは何が違うのかということを真剣に考えてみる必要があるのではないか、と私は思うのです。

なぜならば、資本主義経済に支配されたがゆえにそんな状況をもたらして来てしまった近代という時代は実質的にはとうに終わっていて、すでに「環境時代」に突入してしまっていると私は観るのですが、そしてそうした見方をもし読者の皆さんも少しでも受け入れていただけるのであれば、なおのこと、一人ひとりがそうした問いを発し、一人ひとりがその答えを見出しておくことがとても大切なことになるのではないかと考えるのです。

これからの環境時代においては、近代のそうした失敗を二度と繰り返さないようにして、今度こそ私たちは皆、本物の幸せを実感できるような時代にしなくてはいけないと思うからです。

 

7.5 生物としての「ヒト」と社会的存在としての「人間」

 古くから問われて来たことではあるが、改めて人間とは何であろう。とくに社会的存在とされる人間とは? 一方、生物としてのヒトとは何であろう。両者の間では何が違うのか。

そもそも、ヒトはどうやって人間になれたのであろう。あるいは、どうなればヒトは人間になったと言われるようになるのだろう。

いずれにしてもこれらは難しい問いだ。とくに「人間とは何か」については、古代ギリシャの時代から今日まで、哲学者だけではなく、どれほど多くの人が問い続けて来た問いであることか。それでいていまだに最終的に統一された見方には至っていない。というよりもむしろ、この「人間とは何か」という問いについての答えはますます判らなくなっているというだけではなく、むしろその答えを真剣に求めようとさえしなくなって来ているのではないか、とさえ私には思われる。一方では科学はますます進んでいると言われながら、である。

それほどに、これは難問なのだ。何せ、人間とは何かを問う以前に、「自分とは一体何者なのか」さえ、自信を持って答えられる者はほとんどいないのだ。

それだけにここでは、私は、その問いの答えについて一般的に考えるのではなく、これからの「環境時代」における社会や国家のあり方を考える上でのヒントになるのではないかと思われる範囲に限定して、その範囲内で、生物としての「ヒト」と社会的存在としての「人間」とは何か、について考えることにしようと思う。

それは、これを考えておくことは、これからますます「人間」にとってその是非や扱い方について判断することが難しくなると推測されるバイオ・テクノロジー(生物工学)AI(人工頭脳)のあり方を考える上でもとくに意義があるのではないか、と私は考えるからである。

ところで、生物としてのヒトとは何かについては、ヒトも生物そのものであるという意味で生命一般の中に括れるのではないかと思うので、それは4.1節で明らかにして来た「生命」の定義の範囲に納めて理解しておこうと思う。

その定義を改めて確認すると次のようになると私には思われる。

「生命」:外界から取り込んだ水と栄養(物質あるいはエネルギー)をその個体の内部の全域に分配し、その結果生じた廃物と廃熱と余分のエントロピーを外部に捨てるという循環過程を持続させることによってその個体としての全体を維持してゆく熱化学機関としての物質的実在であり、さらに、性的に相異なる雄と雌という個体の「調和」的合体により、その雌雄の存在期間を超えて行く新たな個体を生み出す能力を持った物質的実在のこと。

なおその物質的実在としての個体は、その内部と外界との関係が、内部での循環と外界への廃棄ということを通して調和して連結し得ているときには「健康」であり、内部に溜まった廃物・廃熱・余分のエントロピーを外界に捨てることが困難になったときには「病気」になり、それらを捨てることができなくなったとき、あるいは外界との関係が遮断あるいは分断されたとき、さらには外界に捨てる場所・空間がなくなったときには、内部の循環も止まり、全体を維持できなくなって「死」を迎えることになる。

 

そこで本節では、人間とは何か、とくに「社会的存在としての人間とは何か」に主眼をおいて考えてみる。それも、ポスト近代の、すなわち環境時代における「社会的存在としての人間とは何か」についてである。

そこで先ず、ポスト近代ということに拘らずに、いつの時代においても、社会的存在としての人間になる一歩手前の段階において、つまりこのような能力や特徴を備えていたから社会的存在としての人間となれたと言える特徴とは何かということについて考えてみる。

それは、いくつかの書籍を参考にすると、少なくとも次のようなことが言えるように私には思えるのである。

立って歩く生物である。

考えることができる生物である。

目的を持つことができる生物である。

集団で目的を共有できる生物である。

道具をつくる生物である。それも、ただ単に道具をつくるというだけではなく、加工のための道具をもつくり出すことのできる生物である。

物事を事前に計画することができる生物である。

時を選ばずに食欲を持つ生物である。

時を選ばずに性欲を持つ生物である。

愛の感情を持つ生物である。

つまり、この限りでも、人間とは、必ずしも本能が主導的にはならない生物、少なくとも本能だけでは動かない生物である、と言えそうである。

では、「社会的存在としての人間」となるとは、こうした基礎的な生物状態である上に、さらにどうなることであろうか。

それについては私は、一人ひとりが集団を構成する中で、その集団の中でのそれぞれの体験を通じて、考え、迷い、判断しながら、次のような行動グループに分けられる段階を経て、能力面でも感情面でも豊かになってゆくことなのではないか、と考えるのである。

(段階Ⅰ)

信じること、予想すること、ができる。

思い出すことができる。過去を記憶できる。

孤独を感じたり、淋しさを感じたりすることができる。

他者の感情に共感できる。

(段階Ⅱ)

個としての自己の存在を認められるようになる。

自己の存在を認められようとする。認められたいと思うようになる。

誇りを感じられるようになる。

悩んだり、不安になったりもするようになる

他者を憎んだり、嫉妬したり、羨んだりするようになる

他者の物を盗んだり、嘘をついたり、他者を殺したりするようになる

(段階Ⅲ)

他者と約束を交わし、それを守ることができるようになる。

規則を作り、それを守ることができるようになる。

未来に向かって計画したり、目的を設定したりできるようになる。

みんなで一つのことを信じ、その信じたものの下で、集団を構成することができるようになる。

過去と現在と未来を連続させて考えることができるようになる。

物事の意味や価値を考え、判断することができるようになる。

自分の行動に責任を持てるようになる。無責任とは何を意味し、どういう結果をもたらすかを判断できるようになる。

自分の言動に反省できるようになる。良心を持てるようになる。

恥を恥と感じられるようになる。良心の呵責を感じられるようになる。

美しいものを美しいと感じ、醜いものを見にくいと感じられるようになる。

他者のために自分が役立ち、自分の存在を他者に認められることに喜びを感じられる。

嘘をつくことは集団の秩序を壊す最も悪いことだと判断でき、真実を大切にし、善なること誠実であることを大切にし、美しいと思えることを大切にできるようになる。

  

結局、ヒトが人間になる、より正確には、「生物としてのヒト」が「社会的存在としての人間」になる、あるいはなれたということは、私は、「生物としてのヒト」が上記したような幾つもの段階からなる過程を経て、最終的な段階と私には考えられる(段階Ⅲ)へと進みゆく状態を言うのではないか、と考えるのである。

なおその場合、「社会的存在としての人間」になる上でとくに重要だったのは、集団を構成しうる契機になる要素としての、信じるものを共有し、意味や価値を考え、未来を考えて計画することが出来たことであり、また、計画したその方向にみんなで行動できるようになったことだったのではないか、と私は考える。

そしてその場合、人と人との間で、関係を急速かつ飛躍的に深め合って行く上でだけではなく、互いに深い信頼関係で結ばれるようにもなってゆく上でも欠かすことの出来なかった要素が、他者を思い、他者への尊敬と愛を土台にした「自由」、とくに「表現の自由」を互いの間で価値として共有したことだったのではないか。それによってこそ人間は、「社会的存在としての人間」に留まらず、互いに初めて「人格的存在」にもなり得たのではないか、と私は考えるのである。

ここに、人格的存在とは、明日の約束ができる存在、昨日の言動について責任をとれる存在、現在の言動に統一性のある存在、ということである(高田求「未来への哲学」p.41と47)。

なお、ヒトが人間になる上で、さらには人間が人格的存在となる上での表現の自由、すなわち、自分の信じるところや思うところを自由に表現できることがどれほど大切なことか、その意義については、6.4節を参照していただきたい。

 

7.4 便利さ・快適さを追い求めることが意味するもの————————その2

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7.4 便利さ・快適さを追い求めることが意味するもの

                    ————————「その2」

これは「その1」に続くものです。

7.4 便利さ・快適さを追い求めることが意味するもの

                       ————————「その2」

これは「その1」に続くものです。

 

ⅵ.AI(人工知能

 AIは正に、今、発展途上にある技術で、結果は未だはっきりとは出ていないし、評価も固まってはいない。しかしそれが目ざしていることが「自ら学習することによって、人間がすること、できること、考えることが人間に代わってできるようにすること」であるとしていることである以上、今後どういうことになって行くかは大凡ながら推測は付くのではないだろうか。

そこで、ここでは、その推測の結果、どういうことになるか、ということをも含めて、検討し、また推察してみる。

人間にとって実現されるであろう便利さ:

・問われたことに対する回答が内容的にも、また文法的にも、適切で正しいかどうかはともかくとして、つねにそれまでに習得した知識や情報そして学習した事柄に基づき、その知識や情報あるいは事柄が多かろうとも、事実上瞬時に分析し、判断して何らかの答えを見出してくれる。・そしてその速さは、人間の比ではない。・それだけに、その時だけは、目的を素早く達成できたと思え、効率も上がったと思える。

その便利さを実現するとき不可避的に同時に招いてしまうであろう負の事態:

・仕事の進め方がいつも定型化している職業分野・産業分野においては、多くの人から職を奪い、その方面での失業者を増やしてしまう。・資本主義の社会である以上、その宿命として、生産性や効率化が優先され、ますますコストが削られて行くことになるから、労働者は、いずれ自分の今の職もAIによって奪われてしまうかもしれないという恐怖を抱くようになり、今の仕事に全身全霊を持って打ち込めなくなる・また、職を持っている人々は、その職を失いたくないがために、賃金の高低には目をつむる傾向が現れてきて、結局今まで以上に自分で自分を無理させ、心身の健康を害しがちになるのではないか。つまり、人生に時間的・精神的ゆとりなどとても持てなくなってしまう人を多く生み出すことにもなるだろう。・否、そのレベルに留まらず、多くの人々は仕事で人生を燃焼し尽くしてしまうか、それまでの職場での人間関係上でのストレスの上にさらにAI によるストレスが増し加わって、精神に異常をきたす人が今まで以上に続出するようにもなるであろう。・仕事を持てている人とAIのために失職した人との間でも分断や分裂が生じ、それは社会的格差を一層拡大させ深化させ、それだけ社会全体は不安を増し、緊張を激化させてしまう。・一方、AIを導入した企業の経営者や、その企業に投資している資本家は、利益が上がれば上がるほど、そこに働く人々に比べてはるかに多くの所得を手にすることができるようになる。つまり「持てる者」だけがますます多くの富を独占できるようになる。・しかしまた、そうなると、社会の購買力を左右する中間層は全体として賃金が伸びないために購買力がつかないから、企業がAIを導入して効率性を上げて生産性を向上させて物を作っても、売り上げは伸びないどころか、却って落ち込んで行くことにもなる。それは結局のところ、企業そのものの首を絞めることにもなる。・つまり、AIは、それがどんなに発達しても、最終的には、社会に分断や格差の拡大による不安や緊張を高めてしまうことにしかならないだろう。・またAIは、それを支えるコンピューターが今後ますます記憶容量を増やそうとも、また計算速度を今後どれほど速めてゆこうとも、人間の必要に応じて物を「創造する」ということもできなければ、人間の良心を「信じる」ということもできないだろうし、人間的な感情を持てないために、他者の苦しみや悩みや痛みを「思いやる」ことなどもできないだろうし、未来を「計画する」ということもできないだろうから、人間の社会の中で大切にされて来た倫理や道徳、あるいは「真・善・美」の意味も価値も失われた、殺伐とした社会しか生み出さないだろう。・さらには、このAIという自律的自己発展型技術は、例えば兵器システム、とりわけ核兵器に搭載されたなら、そのAIは兵器として殺戮の効率性しか考えないだろうから、またその時AIがどのように判断しているかについては誰もわからないし、したがって誰も制御できないから、AIが行動した結果は、核戦争を引き起こし、人類を滅ぼすという最大に悲惨な結果しかもたらしかねない・もちろんその時でも、AIは倫理観も人間的な感情も持たないであろうから、自らの犯したことに「責任を取る」ということもしないだろう。・また、AIが間違った判断をした時、誰が責任を取ればいいのかをも判らなくさせる。・かといって、戦争も常にルールに則って行われなくてはならず、民間人と戦闘員は区別しなくてはならないという戦争を行う場合のルールがあるが、AIは、その場合、何をどのように判断して攻撃対象を決めているかは誰にもわからないから、戦争犯罪とか国際法違反ということを無意味化させてしまう・要するに兵器にAIを搭載することは、殺人を自動化させることであり、人間の生死をAIの意思決定に委ねることでしかなく、これも人類が長きにわたって築き上げて来た人道とか人権という概念、さらにはその行為は正義か悪かという区別をも無意味化させてしまう。・こうしたことから、武力行使の決定に関して、実際にどのような形でそこに人間が関わり、コントロールしてゆく責任を維持するのか、そこを極めて難しくしてしまう。・また、兵器にAIを搭載するということは、国家の責任ある行動とはどのようなものであるべきか、それを明確にすることをも極めて困難にする。・同じく、そもそも人としての判断とは、どういうことを意味するのか、そのことを明確にすることすらも困難とさせてしまう。・こうしたことから、AIは従来の戦争の概念や戦争の形そのものを変えてしまい、誰の目にも明らかな武器や兵器を用いた、これまでの流血の伴う戦争とは違い、そこに特にサイバー攻撃も加わったりすれば、戦争がすでに生じているのか否かさえ、すぐには判断できないような形での攻撃さえ可能とさせてしまい、人類の長い歴史の中で繰り広げられて来た全ての戦争や争いの概念を根本から変えてしまい、人間に対処の方法を失わせてしまう。例えば、敵国内を混乱状態に陥れるために、偽りの動画(フェイク動画)をその場その場で瞬時に作っては、それを敵国内に拡散させて撹乱する、あるいは敵国内のインフラストラクチャーライフラインを機能停止させるという仕方で大混乱に陥れる、という形での戦争をも自在に起こし得るようになる〔7〕。また、生成AIは、その時はそれを活用する者に対しては至って便利という快感をもたらし、その時は効率をも格段に上げるだろうが、しかし、それも結局は、長い目で見れば、それを活用する者や企業の真の能力や実力を停滞させ、さらには劣化させることにもなり、「急がば回れ」という真理を思い知らされることにもなるだろう。・このように、AIは「便利さ」をもたらしてくれる物あるいは技術といった次元をはるかに超えて、人類を滅ぼすという結末すらもたらしてしまいかねないのである。

 

ⅶ.お金

 ただしここでは、実体ある物の交換手段としてのお金というものだけに着目する。したがって、たとえば、証券(債券)、株券あるいはその他の金融商品あるいは金融派生商品については考えない。なぜなら、それらは既に、当初、それを持って誕生した「交換手段としてのお金」という意味も役割も果たさず、むしろ社会構成員間の格差を拡大し、実体経済そのものを撹乱し、社会に賭博(ギャンブル)的性格を蔓延させ、社会の健全性を失わせるだけの存在でしかなくなっているからである。つまり、もしそれらの得失をも検証しようとすれば、その存在自体が既に社会的にはマイナス(負)の面をもたらすだけのものになっているからだ。

実現された便利さ:・その地あるいはその国が貨幣経済の社会である限り、どこででも、その所持金以下の金額の物ならばそれをもって何でも買える。・人間固有の能力の1つである労働の対価として支払うのに手軽である。・銀行あるいは金融機関に預けておくだけで、普通は、利子がつき、元金を増やすことができる。だから便利で都合がいい。

便利さを実現したとき不可避的に同時に招いてしまう負の事態: ・上記「便利さ」の理由により、お金を持てば持つほど自己の物質的欲求を満たしやすくなると考えがちになることから、ますます「お金を持つこと」、「物を持つこと」に執着するようになりやすい。その結果、お金さえあれば幸せでも人の心でも手に入れられる、何でもできるという錯覚に陥りやすくなり、それが社会の秩序を乱す原因となりやすい。・また、お金を貯めることや貯める方法には関心は持っても、持ったお金・蓄えたお金を何か社会のために生かして遣うとか、有効な使い途あるいは意味ある使い途については考えようとはしなくなりやすく、「持つこと」、「貯めること」それ自体が目的となってしまいやすくなる。その結果、持つことや増やすことにますます執着しやすくなり、そのために時には自己の理性を失わせ、自制心を効かなくさせ、社会の弱者や自然界の他生物をも含めた意味での他者の生存の権利や自由の権利を侵すことに鈍感になりやすくなる。・また所持金を預貯金銀行に預けることで、あるいは投資銀行に預けることで利子や儲けを生む経済社会では、ある程度まとまった額のお金を持っている人は、自らは働かなくとも預けるだけで財産・資産を殖やせることになることから、生きるためのお金を稼ぐ他者の大変さや苦労を次第に理解し得なくなりやすい。・さらにこれが高じると、持っているお金をもっと増やそうとするために、より高い利子を支払う借り手に危険を承知で貸せること、より手っ取り早くより多くの儲けを期待できる投資先に危険を承知で投機することに心を奪われてしまい、自己の本来持っていたであろうと思われる人間性あるいは理性をいっそう失って行ってしまいかねなくなる。・そのようにして次第により大きな資産・富を形成してくると、それにも飽き足らなくなって、ひたすらより多くの富を蓄えることのみが目的となる。そのために、そのような野心を抱く者たちが裏で結託し、自分たちの持っているお金にものを言わせて、政治献金や賄賂という形で特定の政党の有力と見られる政治家に働きかけ、政府を動かして、社会の既存の税制・金融・経済システムそのものを自分たちのみに好都合なように変更させてしまおうとする。そのことによって、本来「最大多数の最大幸福」をもたらすはずの民主主義政治を歪めてしまうと同時に、国家の構成員の間に経済格差を一層拡大させてしまっている。・そしてそれ自体、「真面目に働けば報われる」とされてきた社会的約束を裏切っていることでもある。・こうして、「儲けることは自由だし、またそれは善である。その際、道徳は無用」という考え方を当然視する経済社会となってゆくのであるが、そこではお金は、当初それに課せられた交換手段としての役割の比重は軽くなり、持つこと・貯めることそのことが目的化してしまい、またその使い途を問われることもなくなって来て、むしろ社会の中で滞留してしまいかねなくなる。その結果、お金はますます当初の交換手段という役割とは矛盾する性格と機能を持つようになり、社会構成員一人ひとりの暮らしを支えるという役割を軽くもしてしまっている。・持てる者は他者の苦しみや傷みを理解しにくくなり、持たざる者は、お金を得ることが最大の関心事となってしまい、社会を成り立たせている人々相互の支え合いや助け合いの精神をかえって失わせてしまっている。・こうして今やお金そのものが、私たちの先人たちが築き上げて来た社会共同体を衰えさせ、自然環境を破壊し、個々人の心から他者への思いやりや寛容の精神を失わせ、結果として、社会の中に正義が行われにくくさせてしまっているとともに秩序をもますます乱し、かえって人々の暮らしの上での不安を高める直接間接の最大要因となっている。等々。

 

 以上の考察から判ることは、近代という時代を生きてきた私たちが、その近代を貫く価値観としての「豊かさ」を成立させる要素の一つとして来た「便利さ」という価値観とは、結局のところ、次のように定義できる概念だった、ということだ。

 

「便利さ」:

 人間の行為と関連する概念であって、ある物事の目的を達成あるいは実現するために、本来ならば最初から最後まで自分の頭で考え、自分の手足を動かして対処しなくてはならないものを、その全行程あるいはその一部を利器あるいはシステムに代行してもらえることであり、またその時に味わえる気分ないしは境地のこと

 

 次に「快適さ」についてである。

もちろんこの場合の快適さをもたらす物についても、それは、自然がもたらしてくれるそれではなく、あくまでも人工的に創り出された物、それも工業的に大量生産された物についてである。たとえば、それに該当すると思われる物にはクーラー、エアコン、水洗トイレ、抗菌グッズ、消臭剤、除菌クリーナー、等々といったものが考えられる。

 しかしここでの検討方法は、既述したとおり、具体的工業産物を取り上げて、そのそれぞれについて検討するというのではなく、「快適」という快感の持つ一般的特性についてである。

そしてその場合も、ここでは、誰もが毎日利用し、その中で一度は実感したことがあるであろうと想われる真実を直視するという方法によってである。

それを、ここではトイレを例にとって検討する。

 そこで、今、読者のあなたには、所用を催して、ある場所の、あるトイレに入ろうとしているという状況を頭に思い描いてみていただきたいのである。

ただしそのトイレは水洗トイレではなく、昔ながらの、いわゆる「ぽったんトイレ」である。そしてそのトイレには消臭剤も芳香剤も置かれてはいないし、換気扇も置かれてはいないし、開いた窓もない、とする。

そしてその場合、あなたは今入ろうとしているトイレは、誰か他の人が利用した直後だと仮定する。もちろんあなたは普通の嗅覚の持ち主とする。

 すると、あなたは、入った瞬間、どうだろう。他者の残した特有の「匂い」を感じるはずだ。そしてそのとき、あなたは多分それを「不快」と感じるのではないだろうか。

でも、その時、それでも少し我慢してそこにいるとどうだろう。いつのまにか、入った直後に感じた匂いは気にならなくなり、不快感もいつの間にか消えてなくなっているのではないだろうか。

 そうやって、用が済めば、あなたはその密室空間から出るわけである。

 ところが、今あなたは用は済んだと思ったのだが、その日はたまたま腹の調子がよくなくて、しばらくしたらまたトイレに行きたくなったとする。そしてそのとき入るトイレはさっき自分が利用したばかりのトイレとする。

 ではそのときは、どうだろう。たとえ自分の残した匂いでも、なんらかの不快感というか違和感を感じるのではないだろうか。でも普通の嗅覚を持っているあなたには、それはごく自然のことで、いつものことだとして受け流すのだろう。

 つまりこうした経緯は、一般に「快適」とか「不快」、あるいは「快適感」とか「不快感」という言い方で表現される刺激に対する人間の反応の仕方、つまり感覚についてのある真理を表している、と私には思われるのである。

その真理とは次の3つからなる。

 1つは、その物によって醸し出された状況または環境が同じ程度あるいは同じ状態で続くならば、しばらくすると、最初感じた「快適感」とか「不快感」といった感覚は必ず薄れてゆき、やがては感じなくなってしまう。つまり麻痺してしまう。

 2つ目は、しかし、同じ場所において、最初感じた「快適感」を持続させようと思ったら、その状況あるいは環境をより刺激の度合いの強い状態に変化させなくてはならない。

 3つ目は、でも、さっき浸っていた状況や環境から一旦抜け出て、しばらく時間経過した後、もう一度その状況や環境の中に戻れば、当初感じたと同じ「快適感」とか「不快感」といった感覚が蘇る。

 以上のことから、同じく近代という時代に生きる私たちが「豊かさ」を実現するもう一つの価値観としてきた「快適さ」とは、次のように定義できる概念だったことが判る。

 

「快適さ」:

 その人がいる状況や状態によって生じる気分と関連する概念であって、その人があるモノによって醸し出された一定の状況や状態の下に置かれ続けたなら、その人が最初に感じた気分は必ず麻痺してゆかざるを得ず、もしも当初感じた気分と同じ気分を持続させたいのなら、その状況や状態を醸し出すモノの量を増やすか、あるいは一旦その状況や状態から離れて、間を置いてから元の状況や状態に戻るかしなくては感じられないという特性を持つ気分であり境地のこと

 

 なお、この定義からも明らかなように、この「快適さ」という気分あるいは境地は、「快適感」だけではなく「不快感」という気分や境地についても、またその他のたとえば「満足感」や「幸せ感」、さらには一般に「○○感」と表現できる気分あるいは境地についても同様に当てはまる、と言えるのである。

そしてまた、このことから、この「快適さ」という気分あるいは境地というのは、それを持続させるためには、何人に対しても、「飽くなきまでに」、あるいは「際限なく」それを求め続け、その状態や状況の度合いを増し加えていかなくてはいられないような心の状態にさせてしまう、ということも判るのである。

 

4.検討から判ったこと

 以上の検討結果だけからでも次のことは明確になる。「近代」の資本主義の中で科学と技術が生み出したそれらの産物は、どれも、例外なく、その産物によって「実現された便利さ」や「実現された快適さ」という正の面よりも、「負の面」、すなわち「便利さや快適さを実現したとき不可避的に同時に生じさせてしまう不都合で望ましからぬこと」の方が、内容的にも種類的にもそして規模的にも圧倒的に多いということである。しかも、人間に「便利」あるいは「快適」と思わせ、感じさせる度合いや規模が大きい工業産物であればあるほど、実は、それらが人間や社会や自然に対してもたらす「不都合で望ましからぬこと」の度合いも規模も、桁違いに大きくなる、ということである。

 このことは、私たち人類に、今後の工業産物のあり方を考える上で、極めて重大な教訓をもたらしてくれる。それは、せっかく人類が科学を発展させ、その科学を法則的に応用した技術によって生み出した産物は、いずれをとってみても、正の意味で効果があったと言えるのは人間に対してのみであり、それも、負の面との間で差し引きすれば負の意味での効果、つまり不都合で望ましからぬ状態を招いてしまっていたということの方が圧倒的に多く、その上特に、人間の集合体である社会や人間を生かし社会を成り立たせて来た自然に対しては、正の面は全くなく、ただそれらを害するだけのものでしかなかったということである。

 もっと言えば、「便利な物」あるいは「快適な物」と喧伝されてきた物とは、つまるところ、ヒトが生物として生きてゆく上ではもちろん、人間として生きてゆく上でも不可欠な物では決してないどころか、せいぜい「あれば便利」、「あれば快適」といった程度の物でしかなかった、並行して生じさせられた負の面からすれば、まったく取るに足らないほどのものでさえあった、ということなのである。

 

 それだけではない。近代のその科学と技術が生み出したそれらの産物のうち、特に「便利さ」をもたらしたとされる工業産物は、それを用いないで自力で行為した場合に比べて、はるかに早く目的を果たし得るために、その結果として、それを用いる人間をして、次のような様々な事態や状況を生じさせることになったのである。

 それを用いれば、他者の手を借りずに、いつでも好きな時に目的を果たせるようになるために、利己的あるいは自己中心的になりやすく、互いに助け合い励まし合うという精神を失わせてしまい、結果として互いに孤立させてしまう。またそれを用いないで人力だけで対処する他者に対して、その苦労を思いやることもできなくなり、共感力を失ってゆく。また、それを用いれば、他者の手を借りずに、状況に左右されずに、いつでも好きな時に目的を果たせるようになるために、何かと自分の頭を使って工夫することをも忘れさせ、先人たちが築き上げてきた偉大な功績を評価することも忘れがちにさせるとともに、先人たちの人智や人力を超えた存在への畏敬の念や謙虚さをも忘れさせてしまう。

 

 さらには、それを用いる人には、一般に次のような状態をも生じさせてしまっているのである。

例えば、根気の要ることや手間のかかることを「めんどくさい」として敬遠しがちになる。物事を継続して努力したり、物事を自分で工夫しては創造したり思考することを苦手とさせてしまう。好奇心や探究心をもますます失わせてしまいかねなくなる。我慢することや待つことをなかなかできなくさせ、物事の過程や経緯を問うことなく結果のみをすぐに求めるようにもさせてしまう。さらには、その地の気候風土や歴史の中で培われて来た、人間関係を円滑に保ち、団結させるための智慧とも言うべき伝統の行事や生活文化に対しても無関心とさせがちになる、等々である。

そしてそのこと自体、かつてあった人々相互の間の強い絆や信頼関係を弱め、あるいは失わせてしまうことであり、それは忘れた頃にやってくるとされる災害に対して、そうした人たちからなる地域社会を、脆弱な社会にしてしまうことを意味し、かえって自分たちを危険に陥らせてしまうことをも意味するのである。なぜなら、つねに、科学技術が生み出した利器が手元になかったなら自力で対処することもできないようになっているからだ。

 要するに、現代に生きる私たちは、「便利さ」や「快適さ」をもたらすと喧伝されている物を手に入れることに拘れば拘るほど、また、それを多用すればするほど、自分自身を肉体的に衰えさせるだけではなく精神的にも虚弱にさせ、また一人ひとりを互いに孤立させたり、本来、互いの欲求を満足させるために共に住み共に働いては成り立たせてきた社会をも脆弱な社会にしてしまい、その上、人類誕生以来、人も社会をも生かしてきてくれた自然をも汚したり壊したりしてきてしまったのである。

 このように、「便利さ」や「快適さ」をもたらすと喧伝されている物を手に入れることに拘る一人ひとりは、結果として、図らずも現実社会を生きにくくし、住みにくくにもしてしまっていると同時に、広大無辺の宇宙の中で、あらゆる生物が共存できる条件を備え、人間が裸でも生活できる唯一無二の奇跡の星である地球をも、そこで生物が生き続けて行くことをますます困難とさせてしまってさえいるのである。

 そこで、以上のことから、次のような教訓が、いわば箴言として得られるのではないだろうか。

  “人間、誰でも、楽(らく)すると、それは、必ず、いつか、どこかに、楽(らく)した分の何千倍、何万倍、否、取り返しのつかないツケとしてその人に回ってくる。”

 

 では、これまでの便利さや快適さを止揚する便利さや快適さとは何か。

 私はそのことをも、後の章で展開してゆこうと思う。

それらも、全て、これまでの25年間の農業生活の中で考え続けて来たものである。

7.4 便利さ・快適さを追い求めることが意味するもの————————その1

 

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 今回に先立って4.5節では、「人間にとっての豊かさ感」について、私の考えを述べてきました。そこでは、経済が発展すればするほど、そして金銭も含めて、物質的に、あるいはそれらが量的に豊富になればなるほど、時代も、人も、精神面あるいはこころの面では貧しくなる、ということを仮説として結論としてきました。あるいは経済が発展すればするほど、人は、目に見えて、数えられて、計量できる物を持つことに拘り、目に見えないもの、数えることも計量することもできない、しかし確実に存在していて、「人間」を土台から生かしてくれているものを失って行ってしまう、と仮説として結論づけてきました。

 今回は、果たしてこの仮説としての結論が、正しいかどうか、本当にそう言えるかどうかを、この節にて検証してみようと思います。

 なお、ここでのことも、私たち日本国民が、主権者として、真の意味で持続可能な本物の国家を創建しようとするとき、予め確認しておかねばならないことではないか、と私は考えるのです(2020年8月3日公開済みの、拙著タイトル「持続可能な未来、こう築く」の目次をご覧下さい)。

 

7.4 便利さ・快適さを追い求めることが意味するもの

                    ————————「その1」

 私たち日本人は、否、今日を生きる世界の大方の国の人々は、これまで、学校で、より良く、より高い教育を受けようとする目的については、ほとんど疑問にも思わずに、当たり前のように、次のように考えてきたのではないだろうか。それは、社会に出たとき、より多くの収入を得られる仕事に就けるようになるためであり、より多くの収入を得る目的は、それをもって自分や家族の生活を支えられるようになるだけではなく、さらには自分の人生をより充実させ、生活の質をより豊かなものにすることができるようになるため、と。

 ではそもそも、そこでいう「豊か」とはどういうこと、どういう意味と捉えてきたのであろうか。それについては、ものの辞書によると、「①物が豊富で、心の満ち足りているさま。②財産がたくさんにあるさま。経済的に不足のないさま。富裕。」とある(広辞苑)。

 

 では、そうした目的を持って教育を受け、職に就き、働いては来た私たちではあったが、果たしてその時、その辞書が説明するような豊かさ、すなわち、物が豊富で、心の満ち足りているさまと言えるような豊かさを実際に手に入れられただろうか。

 私は「ノー!」とはっきり言える。その場合、その「ノー!」には二つの意味が含まれている。

一つは、どんなに物が豊富であっても、あるいはどんなに物を豊富に手に入れられても、それだけで、人間、心が満ち足りるなどという状態が得られるわけはない、という意味において。もう一つは、人間、心が満ち足りている状態というのは、物を持つことよりも、むしろもっと別の形でこそもたらされるものであろう、と思われるからだ。

 それに、物を持つこと、それもお金を含めて、より多くの物を持つことによって得られる豊かさ感というものは極めて脆く、また頼りないものであろう。なぜなら、そういう状態にあったとしても、たとえば、ひとたび健康を害したり、不治の病にかかったりしたなら、持っている物は役立たないし、お金も治療費の支払いには役立っても、場合によっては、その後長く、不自由で規則正しい闘病生活を孤独のうちに強いられることになるかも知れず、そうなれば、それまでの豊かさ感などたちまちにして無意味となってしまうだろうからだ。また、どんなにお金や物を持っていても、飢饉や食糧危機を含む自然大災害や大惨事に遭えば、その場合も、豊かさ感など、我が身を、あるいは家族を守る上でほとんど何の役にも立たないからだ。

 

 では、人間一人ひとりにとって本当の豊かさとは、あるいは本当に意味のある豊かさ、価値ある豊かさとはどういうものなのであろう。

それは、少なくとも、その人が、いま例として挙げたような事態に直面しても、無意味化することも崩壊してしまうようなこともない豊かさ、ということになる。言い換えれば、その豊かさというのは、物質的あるいは金銭的な、言って見れば「測ることのできる」量によってもたらされるものではなく、むしろ「測ることのできない」質によってもたらされるものなのだろう、と私には思われる。そしてその質とは、自分と他者との関係、自分と社会、あるいは自分と自然との関係のあり方のことであり、また、その中で誰もが自身の個性やアイデンティティーを大切にして生きられる状態にあることであり、生き方の上での選択肢が多様にあることであり、そして同時に、社会の制度や法律がそうした状態を保障していることではないか、と私は思う。つまり誰にとっても、本当の豊かさ、真の豊かさとは、持続しうる豊かさであり、危機においても耐えられる豊かさであり、むしろ、そんな時でも自分を精神的に成長させてもくれる豊かさのこと、となるのではないか。

 だから、その本当の豊かさとは、「自分さえよければいい」とか、「誰にも先んじて我先に叶えばいい」とか、「自身のステータス感が満たされればいい」とかいう自己中心的に「心の満ち足りているさま」とは対極をなすものでもあることが判るのである。

 私は第1章では、既に「近代」という時代は終ったと見ると記して来たが、実はその近代という時代を貫いて人々を虜にして来た価値観の一つが先に見た辞書的な意味での「豊かさ」あるいは「豊かさ感」であったのではないか、とも考える。そして、その豊かさあるいは豊かさ感を支えてきた価値観の一つが「便利さ」であり、もう一つが「快適さ」であったのではないか、とも見るのである。

 そこで以下では、「豊かさ」あるいは「豊かさ感」を支えてきたと考えられる「便利さ」や「快適さ」を実現してきたとされる、近代文明がつくり出した代表的産物の幾つかを例にとって、それら産物が「便利さ」や「快適さ」を実現することを通じて、上に述べた、個々の人間にとっての「本当の豊かさ」をもたらしてきたのかということについて、検証のための考察をしてみようと思う。

それは、つまるところ、近代文明は私たちに何をもたらしたかということを考えてみることでもあるのである。

 ただしその場合、「便利さ」についての考察の仕方と「快適さ」についての考察の仕方とは区別する。前者の便利さを実現してくれたとされる近代文明の産物については、それが実際にもたらしてくれた面をプラス面として、またその物が不可避的に同時にもたらした面をマイナス面として併記する形で考察する。

 後者の快適さについては、便利さについて採るような、個々の代表的産物を取り上げて、それらについて個別に得失を比較するという方法は採らず、誰もが毎日利用し、その中で一度は実感したことがあるであろうある真実を直視することによって明らかにしてみようと思う。

 そこで、先ずは「便利さ」を実現したされるものについて、その実際について、検証する。

そのために、ここでは、近代文明がもたらした代表的工業産物としての、自動車、テレビ、インスタント食品、インターネット、農薬と化学肥料、AI(人工頭脳)について、そして最後に、これは何も近代文明が生み出したものではなくずっと昔からあったものであるが、しかし、いつの時代も、人々の欲求を持たすものとして、人々の心を虜にしてきたお金についても、取り上げてみようと思う。

ⅰ.自動車

実現された便利さ:・渋滞が無い限り、道路のある限り、自分の行きたい所へ、行きたい時に、比較的容易に行ける。・手に持てないような重量物でも運搬できる。・自分だけの、動く密室空間を持てる。・走りながら、周囲の景色を楽しめる。・自分だけではなく、親しい人(恋人・家族・友人・知人)と一緒にドライブもできる。

便利さを実現したとき不可避的に同時に招いてしまう負の事態:・歩かなくなるので足腰が衰える。体の衰えが早まる。・運動神経や反射神経を衰えさせてしまう。・運転中、横断歩道でも、歩行者や弱者(高齢者、身障者、他生物)に対して横柄になりやすい。・交通事故死者を生み、それを増大させ、結果として、他人の人生や家庭を破壊するだけではなく、悲惨な交通遺児を増やしてしまいやすい。その結果、加害者も、生涯を罪の呵責に苦しめられるようになる。・運転時、自動車というマシーンの中にいるため、同じ土地に住む人間どうしでも、人との目と目を合わせた交流、言葉と言葉を交わした交流が難しく、お互いの人間関係をますます希薄にさせてしまいやすい。・運転時、自分の思うように操れるマシーンを扱っていることから、心の穏やかさを失いがちになり、ちょっとしたことで他者とトラブルになりやすい。・他者の持っている車の性能やかっこよさが気になり、欲望をいっそう膨らませ、物にいっそう執着するようになりやすい。・自動車メーカー側も、企業を成り立たせるために、次々とモデルチェンジしては大量製造しなくては企業として成り立たないために、そしてその経営規模をどんどん拡大させて行かねば企業を維持できないために、掛け替えのない地球資源をますます大量収奪し、大量消費しては、未来世代に遺すべき分をどんどん枯渇させてしまう。・また、自動車に乗る者にも、自動車の便利さを楽しむだけで、そのことに配慮する心を失わせてしまいやすい。・また自動車は、それが普及すればするほど、半ば必然的にそれが走る道路を、それもますます「便利」で「快適」なコンクリートアスファルトで舗装された道路を人々も産業も求めるようになるため、一般道路、高速道路、農道、生活道路等々、いたるところにさまざまな道路が建設されるようになり、それが、さまざまな悪影響をさまざまな分野にもたらすようになっている。たとえば、森林や田畑の激減という生態系破壊。森林の立ち枯れの主原因の一つとなり、酸性雨の原因となるSOX硫黄酸化物)やNOX(窒素酸化物)の大気中への大量廃棄に因る局所的大気温暖化。自動車がとくに集中する都市空間でのヒートアイランド化。もともと他生物の棲息域であった領域の分断あるいは消滅。その結果として他生物とくに野生動物の人里や人家への接近による鳥獣被害の誘発とその増加等々。・都市計画の杜撰さもあって、道路の新設あるいは拡幅等が不必要なまでに強行され、街の通りが人々の行き交う場ではなく、車がスムーズに通り抜けできる道になるだけで、町並み・商店街を廃れさせ、シャッター通りにしてしまっていること。同じく、歴史的街並をも廃れさせ、いたるところ消滅の危機に至っていること。・そして道路建設を望む人たちは、それを造ることがますます財政を悪化させることになることに思いが及ばないだけではなく、その道路を造ることによってできる借金を自分たちで返済するという覚悟もなく、未来世代に返済を肩代わりしてもらうことを当たり前として、道路ができれば便利になって快適になるということしか考えていない者がほとんどなために、自動車そのものが、ますます社会に自分勝手な者を生み出す原因にもなっている。・こうして、結局のところ、自動車は、運転する者自身の心身の衰退と劣化、交通事故の激増あるいは慢性化、人間関係の希薄化、環境破壊と他生物の生存権の剥奪、再生不可能資源の浪費、異常気象と気候変動をもたらし、一人ひとりをしてますます自分勝手にしては孤立化させ、社会から寛容を失わせ、人間集団である社会を、当初望んだはずの、あるべき人間共同体としての姿からますます遠ざけてしまう主要因の一つとなっている、等々。

 

ⅱ.テレビ

実現された便利さ:・音声だけではなく映像としても見ることが出来るので、物事をより現実味をもって知ることが出来る。・記者さえその現場にいれば、あるいは現場からインターネット情報が提供されれば、新聞などの紙面に拠る情報伝達手段と比べて、圧倒的に早く出来事を人々に視覚的に知らせることが出来る。・居ながらにしてさまざまな娯楽や芸術や演劇を臨場感を感じながら楽しめる。・各種の余興を手軽に楽しめる。・選ぶ番組によっては考えないで見ていられるから、あるいは気分転換のために見ていられるから、息抜きや暇つぶしにはうってつけとなる。・スイッチを入れれば、常にそこには誰かが写っていることから、孤独を幾分かは紛らわせる。

便利さを実現したとき不可避的に同時に招いてしまう負の事態:・テレビ画面に映るものに気をとられ、画面にあるものがすべてと思ってしまいやすいから、想像する必要性を感じないし、見えないモノ(たとえば人の心、空気、極微と極大の世界)を見ようとはしないから、想像力や観察力を衰えさせやすい。・その上ラジオなどと比べると、想像する楽しさそのものを奪ってしまいやすい。・大量情報を提供する画面が次々と代わるため、見る者の思考力や判断力がついて行けなくなり、結果、ますます見る者は考え判断することをしなくなり、思考力や判断力を低下させたり失わせたりしてしまう。・人は何かを見たり聞いたりすると瞬時に大脳は反応して体を動かそうとするが、TVは、見ている人はじっとしているだけなので、大脳と身体の自然な反応を分断してしまう。・核家族化現象、個室化現象の中で、テレビを自分だけの部屋で見ようとすればするほど、家族同士の孤立化をますます進めてしまう。・姿・色・形といった視覚を通じて訴える面が強いことから、見る者に、ラジオよりもはるかに強烈な印象や刺激を与えることになり、その結果、神経がすり減り、感覚が麻痺し、繊細な刺激や微妙な味わいといったものには今度はかえって感じにくくなってしまい、ありきたりのものでは満足できなくなり、ますます強烈な刺激を求めやすくなってしまう。・そのことによって、TVから流される特に娯楽性の高い番組の内容は、視聴者の気をひくために、ますますどぎつくなるし、ますます軽薄さを増し、視聴者の判断力や思考力を失わせてしまう。・とくにテレビを通じた情報の大量伝達の結果、実体験がほとんど伴わないまま知識だけが頭に蓄積されて行くようになるため、現実の社会や自然の中での体験の乏しい者ほど、現実と虚構との区別や識別が出来なくなりやすい。・このことは時として、事の重大さや難しさを判断できず、自分でも簡単にできるものと錯覚して、無謀な行為に走らせやすい。・これはテレビその物がもたらすものではなく、テレビを自己の経済活動に利用するこの経済社会の仕組みがもたらすものであるが、とくに民放では、「視聴率」に拘るスポンサーに満足してもらえる番組制作をつねに求められるため、視聴者に考えさせ、判断させる番組よりも面白おかしい番組制作を優先させるようになることから、視聴者をして、知らず知らずのうちにものを考える力、判断する力、批判や評価する力、論理的に思考する力等を失わせて行く。・直接的でありのままであるためにインパクトが非常に大きいことを利用して、TVは制作者側あるいはスポンサー側の視聴者に対する「心理操作」「情報操作」の道具に使われる可能性がきわめて大きい。例えば特的企業の特定商品に対する視聴者の購買欲を煽るための道具として使われることであり、政権の意向に沿う形で、世論を誘導する道具として使われることである。しかしそのことは、結局、人々一般にとっては、安心できない社会、信頼できない社会、落ち着いて暮らせない社会にして行ってしまうことである。・と同時にそのことは、地球資源の大量収奪に始まって、遠距離大量輸送、画一化商品の大量生産、大量消費、大量廃棄を促進させては、かけがえのない資源の浪費を促進し、人間にとっては果てしない宇宙の中でここしか暮らせる場所はない地球の自然環境をますます汚染しては破壊し、温暖化と生物多様性の消滅を加速化させて人類存続の危機の到来を早めてしまうことでもある、等々。

 

ⅲ.インスタント食品

実現された便利さ:・時間がないときでも手っ取り早く一応の栄養を取ることができる。・手軽に運搬できる。・現地でそれを食べられるように加熱できる設備や道具さえあれば、どこへでも持って行って食べることができる。・工業的にそのように加工されていない食品や食べ物に比べて、はるかに長い期間、保存が利く。・子どもでも誰でも、容易に食べる準備をすることができる。

便利さを実現したとき不可避的に同時に招いてしまう負の事態:・「料理をする」というのは、単に食べるためというだけではなく、とくに母親の家族の健康を気遣う愛情表現の一つだったはずだが、ただそれを買ってきて家族にあてがうというだけでは、あるいは電子レンジか何かで暖めるだけで食卓に並べるというだけでは、最も身近な「愛の表現」が見られないため、その家族間、親子間の絆をますます薄れさせてしまう。・それに、そのような状態をしょっちゅう繰り返していたなら、それを見ている子どもは、家庭で食事をするということはそういうことかといつしか思い込んでしまい、家庭で食事をすること、食べることの意味を考えたり理解したりすることのないまま自分もいつか人の親になってしまう。・そうなれば、その家にはその家独特の料理の種類、料理の味が伝承されて来たものなのに(そういう意味で典型的な「文化」である)、インスタント食品はそうしたその家の秘伝を子に伝えて行くことを不要とさせてしまうものであるため、親から子へ、そして子から孫へと、これまで伝承されてきたその家の食文化=「我が家の味」をそこで途絶えさせてしまう。・そしてそのような食生活をその地域の多くの家庭がするようになれば、それは、その地域の社会から、かつてあったその地域固有の食文化そのものを廃れさせてしまい、先人たちの長期にわたる多くの努力や知恵は、書物か何かに記録されて残されない限り、そこで消滅してしまう。・「喰う」ということは生物としてのヒトの最も基本的な行為であるが、それに対して料理というのは、ただ食べるためというのではなく、また、どこかの料理の本に載っているもの、あるいはテレビで紹介されたり新聞で紹介されたりしたものをそのまま作ればよいというものでもなく、いま手元にある様々な食材を前にして、そのそれぞれの食材の持っている本来の味、調理後の味、また栄養をどう組み合わせれば自分と家族の健康にとってよりよいか、どうすればよりおいしい味を創り出せるかという工夫を要求するものであると同時にそこにまた面白さを感じさせる、人間の、きわめて創造的な行為である。だから、それを廃れさせてしまうインスタント食品は、人間に、その最も基本的な行為に対する創造性や独創性を萎えさせてしまう。・インスタント食品の包装紙に書かれたレシピに頼るだけで食べることができるし、自分で工夫する必要もないから、必然的に他者の作る料理、土地の料理、他所の料理、世界の料理、・・・というものへの関心を薄れさせてしまう。・それが手に入るとか入らないといったことや、また食べることそのものが、食品メーカー任せ、輸送力や流通任せになる結果、その土地の材料を使ったその土地独特の料理(郷土料理)というものは生まれにくくなるし、育ちにくくなる。・料理に対してなおざりになる結果、「美味しい料理はレストランで、あるいは料亭で」という安易な態度になりやすく、その人の「味」に対する味覚は衰えて行きやすくなる。・インスタント食品を含めて、保存料・人工甘味料・着色料等の人工的に作られた、人体にとっては本来「異物」でしかない食品添加物を多く含んだ食品を繰り返し食せば食すほど健康を害しやすくなる。・また、そうしたインスタント食品を繰り返し食うことで、それを食した人が健康を害することは、それだけ国家としての国民医療費を増大させ、結局国民の税負担を増やすことでもある。等々。

 

ⅳ.農薬と化学肥料

実現された便利さ:・除草や虫駆除のための労働の必要性から著しく解放される。・病虫害を一時的には激減させられる。・化学肥料は粒の形も大きさも一様化でき、農薬も最終的には液状にして用いるようにできているため、いずれも機械化して使用できるために、施肥にも散布にも、あっという間に済ませられる。また肥料の量や重量も、有機質肥料に比べてはるかに少量で済み、軽量で扱いやすい。・同じ野菜の種類で比べても、有機質肥料で栽培する時に比べて、肥料成分が根から直接吸収されるので、成長が著しく早い。・一時的には、反収の増加が期待できる。

便利さを実現したとき不可避的に同時に招いてしまう負の事態:・土壌表面に散布された農薬は、降雨により、陸上では、細菌であるバクテリアから土壌中の微生物、昆虫類、鳥類、爬虫類から大型動物に至るまでの間に食物連鎖を通じて影響をもたらす。そしてその影響は、土壌中のバクテリア等の細菌や微生物を死滅させて、生き物のいない土壌にしてしまい、それ自体、自然界での食物循環の土台を崩してしまう。・一方では、農薬の多用や多投によって、微生物や菌に耐性を誘発させ、これまで効いていた量あるいは種類では効かなくなり、投入農薬量を次第に増やさざるを得なくなったり、新農薬を用いなくてはならなくなったりして、ますます土壌生態系を破壊していってしまうようになる。・農薬を用いることによって、農薬中毒を含めて、農業に従事する人自身の健康を害する可能性を高めてしまう。・農薬、とくに枯れ葉剤などに含まれるサリンの2倍の毒性を持つダイオキシンは、その土地の空気や土壌や地下水を長期にわたって汚染してしまう。・地下水がそうした化学物質によって汚染されれば、地下水脈中の水は広く汚染され、それはやがては河川をも汚染し、したがって海をも河口域から汚染し、結局は、河川、湖、海の水を広範囲に汚染してしまい、すべての水生生物、海洋生物、海産物をも農薬で汚染してしまう。そして、その農薬の影響は、海の浮遊生物であるプランクトンから魚類や哺乳類を含む大型海洋生物に至るまでの食物循環が進む間に、何百倍、何千倍にも濃縮され、それがやがては広く人体内にも摂取されるようになり、人体にかつては見られなかった様々な病気を誘発しやすくしてしまう。・なお、これは私の仮説に過ぎないが、今日、人類、特に先進国の人々の間で重大な難病になってきている様々な病、例えば軟組織肉腫や悪性リンパ腫や呼吸器癌等の様々な癌、認知症パーキンソン病あるいはトウレット病といった病気や、さらにはLGBTQ等の性的マイノリティと呼ばれる人たちを生んでしまうのも、また発達障害と診断される症状を持った人々を生んでしまうのも、これら全て、たとえ一回一回の摂取量はいずれも許容量以下とされる量ではあっても、農薬や保存料や人工甘味料や着色料等の本来自然に存在している物ではない工業的人工的に作られた、生命体にとっては異物でしかない物の混入した喰い物を長年にわたって、あるいは世代を超えて摂取して来たことによって、人体内の遺伝子が傷つけられあるいは変異したためではないか、と私は推測する。・また農薬は、畑や田んぼという生態系において、絶妙なまでに保たれてきた多様な生物の間での共生関係や拮抗関係を崩し、互いの天敵をも殺してしまうために、かえって特定の生物だけを異常に繁殖させたり、特定の病気を発生しやすくさせたりしてしまう。・また化学肥料を連続的に投入することにより、土壌は硬くなり、病害虫を発生しやすくし、次第に、そのままでは作物栽培に適さない土壌にしてしまう、等々。

 

ⅴ.インターネット

実現された便利さ:・ネット上に発信された情報でありさえすれば、誰でも、世界中から容易く集められる。・それも、出版物とは比較にならないほど早く入手できる。・相手がホームページやアドレスを持っていてそれをこちらが知ってさえいれば、世界中の誰とでも、瞬時にアクセスできるし、交信も出来る。・交信をする気があれば、交信を通じて多様な国々の多様な人々と知り合うことができ、相互理解をも深められる。・一国内にとどまらず、世界中に知って欲しい情報や訴えたい実情を、文書の形であれ動画の形であれ肉声であれ、それらを一瞬にして発信できる。・そして正にこのことにより、世界中の同じ考えの人々を結びつける効果的な手段となりうる。・実際にあちこち店を探し回らなくとも、ネット通販等により、それが本当に自分が欲していた物かどうかはともかく、それに近い物は容易に手に入れられる。

便利さを実現したとき不可避的に同時に招いてしまう負の事態:

・情報を伝えたいと思っている人は、伝えたい情報を、匿名で発信できるため、その情報を発信したのが誰なのか特定されにくい。・それだけに、その発信行為に対しては、責任を問われることは少ないし、また発信者は、責任を曖昧にできてしまう。・昨日までお互いに全く知らなかった、違う場所にいた者同士が、ある目的のために結託して共同行動を取ることができる手段として使われやすい。特にそのように使われて、社会に犯罪を多発させている。・インターネットのシステムに関するそれなりの知識があれば、国家や社会基盤あるいは企業の情報システムに不正に侵入でき、秘密の情報を盗み出すことができるだけではなく、そこにあるデータの破壊や改ざんなどを行なって、国家や社会基盤そして企業の機能を不全に陥らせてしまうこともできるようになる。・しかもその行為をなしたものが誰か特定が難しいために、容易に制止あるいは阻止ができない。・また、同じように、インターネットのシステムを悪用すれば、「サイバー空間」の中で「攻撃」あるいは「戦争をしかけること」さえできてしまう(これについては、次に検討するAIについての「望ましからぬ面」とも関係している)。・しかもその場合の攻撃についても、具体的な武力による攻撃ではなく、例えばあえて嘘の動画(フェイク動画)や嘘の情報(フェイクニュース)を流すことで相手の国内や社会を撹乱する、相手の社会資本を機能麻痺に陥らせるという方法による攻撃もありうるため、その攻撃を受ける側にしてみれば、一体いつからそうした攻撃が始まっていたのか気づかないことが多く、また気づいた時にはすでに国内も社会も大変な事態になっていたということにもなりかねないのである。・しかもその場合、攻撃して来た者をすぐには特定することができないために、反撃することをも困難とさせてしまう。・これと全く同じく、匿名で情報を流すことができ、しかもその情報を誰が流したのかは特定しにくいというインターネットの弱点あるいは特性を利用して、自分が直接手を下さずとも、特定の相手をイジメる、あるいは精神的に窮地に追い込むという攻撃をして、最悪の場合、自殺へと追い込むこともできるようになる。・社会に対して権力を持つ者が、社会や国家の「安全保障」あるいは「セキュリティの必要性」という名目の下で、文字通り世界中の一般人や普通の人々のプライバシーを無差別に、しかも当人の知らぬ間に盗み出すということもできてしまうし、盗んだそれを個人の監視や社会全体の統制に利用することもできてしまう。つまり超監視社会を生み出してしまう。・その結果、社会から「個人の領域」や「プライバシー」という概念を消滅させ、人々あるいは国民が自分の領域を守りながら安心して暮らすことを、また人々が互いに信頼し支え合うこと、あるいは団結することをますます難しくさせてしまう。・その結果、「プライバシーは保護されるべきだ」などといった掛け声や法律を実質的に無意味化させてしまう。・むしろ互いに監視し合うことでしか平安や秩序を維持しえないような社会にしてしまいかねない。・そもそもインターネット上に飛び交っている情報は、必ずしも事実あるいは真実とは限らないし、また受け手も、一般にはそれが事実か否か確かめようがない。また、それを信じた人が信じたことによって不利益を被ったとしても、その情報提供者が責任を問われることは、余程のことがない限りない。・その結果、そうした情報がネット上に氾濫すればするほど、社会そのものを信頼性の乏しい社会にさせてしまいやすい。・またインターネットによれば、欲しい情報が、真偽のほどはともかく、それなりのものを、自分がどこにいてもすぐに手に入れられるし見ることもできることから、またどんなに遠くの人にも、瞬時にして自分の思いや情報を指先を動かすだけで伝えられることから、これまで私たち人間が、長い歴史の中で生み出し、培い、洗練させてきた生活文化———母国語としてのひらがなや漢字やカタカナという文字を正しく、また美しく書き、その文字をもって事実や人の思いを紙に書き残し、また残された書物から先人の知恵を学ぶといった文化、———そのものを衰退させてしまいやすくなる。・また、情報を求める人は、ネット上で検索して見出せる情報だけで自然や社会が判ったような錯覚に囚われがちとなる。つまり、自ら足を運んで現場に赴き、自分の目と耳と肌で確かめながら事実や実情を確認し、理解しようとはしなくなりがちとなる。というより、そういうことを面倒くさい、億劫、と思うようになる。その結果、実体験が乏しく、裏付けの乏しい知識だけを頭に詰め込むようになるため、自分で自分の想像力や共感力をますます弱め、創造力をも弱めてしまうとなりがちとなる。その結果、現実に対する適応力や対応力をも弱めてしまい、イザというとき、危険から自分で自分の身を守るということを出来なくさせてしまいやすい。・あるいは、自分の意志や思いあるいは情報を伝達するのに「メール」等による伝達手段の方が手紙や葉書によるよりもはるかに手っ取り早いために、そしてそれは普通、限りなく話し言葉に近い表現で伝えることができるために、無作法や不躾をなくし唐突感を出来るだけ避けるための知恵として人間がその長い歴史の中で生み出してきた一定の様式とか作法が伴った意思伝達手段としての書き言葉や書簡の様式というものを、それも美しい書体の文字をもって伝えるという伝え方の文化も、自分の考えや主張を論理明解に相手に伝えるという伝え方の文化も衰退させあるいは消滅させていってしまう。たとえそうした一連の伝統文化を知っていたとしても、いつしかそれに則ることを億劫とさせてしまう。そうしては、社会における人間関係を軽薄で唐突でガサついたものとさせて行ってしまう。・その結果、そういう軽薄でガサツな文化で育った人がいよいよ社会人となり、然るべき場に臨んで、一定の様式で他者や企業とやり取りをしなくてはならなくなったとき、自分ではどうしたらいいのか判らなくなり、その時点で早くも当人には自信を失わせてしまいかねなくなる。・またインターネットに繋がっていれば、いつ、誰から、どんな情報が入って来るか判らないため、いつも精神はそこに向けられてしまい、落ち着いた自分なりの生活をしにくくさせてしまう。・またそんな中、インターネットは、概して若者たちに対して次のようにして、彼らを苦しめてしまう。すなわち、他者には自分のことを認めてもらいたくて、また「いいね」と評価してもらいたくて拡散してくる見せかけの「幸せ」な姿に惑わされ、その姿を羨ましいと思うと同時に、自分もそんなみんなに認められ評価されようとして自分を偽り、無理して輝いているように見せることに夢中にさせてしまうというものだ。その結果、それぞれ、特定のイメージに合わせては作った自分を見せることを繰り返す中で、いつしか自分を失い、あるいは本来の自分を否定するようになり、いつも他人の「幸せ」を閲覧しないではいられなくなり、依存状態にも陥らせてしまう。中にはそれを続けることで、燃え尽き症候群になり、自分を崩壊させてしまう者すらいる〔6〕。恐ろしい仕掛けだが、このように仕組めるのも、ほんの一握りの人間が巨額の利益を得ることを可能にする資本主義による経済なのだ。・インターネットはデータそのものがカネになる市場であり、そこでは、私たち一人ひとりは、感情や理性を持ち、尊厳を持った人間としては扱われず、もはや顧客でもなく、単なるデータとみなされてしまい、情報の対価としてカネを要求し合う企業間での商品でしかなくなる。つまり、インターネットは資本主義の本質を貫徹させるための手段であり道具でしかないのである。そこでは人間は人間扱いされないのだ。

・インターネット上のたとえばオンラインゲームに打ち興じることにより、家族や友人と会話して一緒の時を楽しんだり、互いに議論をして一緒に同じ物事や出来事を考えたりすることをしなくなり、家族や友人とのふれ合いや心の結びつきを希薄にさせてしまいがちとなる。つまり、インターネットに熱中することにより、かえって他者との人間的なつながりや相互理解の機会を自ら失わせてしまい、人との関係の持ち方を判らなくさせ、また人間関係をますます希薄にさせてしまう。・またそうしたインターネットとの関わり方をする人には、「ニート」や「引き籠り」といった社会から遠ざかった生き方をする若者をますます多く生んでしまいかねなくなる。

・インターネットに依存する人々が増えれば増えるほど、伝統の文化を軽んじ、事実や真実や誠実を軽んじ、本当に信頼でき頼れるものをますます失ない、繋がって居ないとますます不安で居られない人々の社会にし、精神の自由と自律を失い、根無し草の生き方をする人々を増やし、それだけ社会を軽薄にさせ、危機に対する抵抗力のない社会、人々をしてますます将来不安を募らせるだけの社会にさせしてしまう。・結果、かつて先人たちが構成員一人ひとりの「生命・自由・財産」を安全に守るためにと望んで集住し、社会契約を結んでつくりあげて来た社会という共同体を、現代に生きる私たち自らが崩壊させてしまいかねないのだ。

 

4.5 人間にとっての「豊かさ」感についての仮説

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国連のIPCC気候変動に関する政府間パネル)、その他の科学者集団によると、地球温暖化が加速し、生物多様性の消滅も加速度的に進んでいる今、人類が存続をかけて対策の手を打てるために残された時間はもうほとんどない、とされています。

そんな中で、持続可能な未来に向けて、私たち日本国民の全てが、世界の人々と共に、それぞれが希望と展望の持てる新しい国づくりに挑戦しようとするとき、失敗したり手戻りしたりすることなどはもちろんなく、最も効率の良い、そして確かな道を歩んで行けるようになるためには、私たちは、少なくとも、本節で取り上げるような問題をも、きちんと、それも事前に考えておかなくてはならないと考えるのです。

本節で考察するのは、産業革命以降、世界の大多数の人々を、強迫観念のように虜にしてきた価値観としての「豊かさ」感についてです。

そしてここでの考察内容も、私のオリジナルです。

 

 

4.5 人間にとっての「豊かさ」感についての仮説

特に産業革命以降、人は経済を発展させればさせるほど豊かになれると信じて、その豊かさを求めて、文明を発展させてきた。その先頭を走ってきた国々がいわゆる先進国と呼ばれる様になった。そして比較的最近その先進国に近づいてきた国々は新興国と呼ばれる様になった。一方、先進国のようになることを目指して、その新興国の後を追いかけている国々は(発展)途上国と呼ばれている。

 

しかし、ここでまず問題としなくてはならないことがある。それは、先進国と呼ばれている国ほど、つまり経済を発展させればさせるほど、第1章で考察してきてわかったように、その社会では貧富の格差も並行して確実に増大しているし、それだけにその社会では人々相互の関係にも分断が進み、個々の人間についてカール・マルクスが言う「疎外」と呼ばれる現象が同時進行しているように見えるのである。疎外とは、「人間が自己の作り出したもの(生産物・制度など)によって支配される状況」を言う。それは、哲学者真下先生に言わせれば、次の3つの現象から成るとする真下信一「学問・思想・人間」青木文庫p.35)

1つは、人間個々人の断片化あるいは一面化、さらには「かたわ」化と言ってもいい現象。つまり人間としての統一的、全体的な視野を失ってしまう現象。1つは孤立化、すなわち人間たちのバラバラ化、別の言い方をすると人間的な連帯性の分断。そしてもう1つは、人間としての浅薄化とも呼んでいいであろう内面的空洞化、過疎化、あるいは底が浅くなった状態である。 

その結果、先進国と呼ばれる国になればなるほど、そこの人々は、概して、安定的な平和、安らかな社会、人々が互いに他者を思う優しい社会を実現し維持することがますます困難になってしまっているのではないか、ということである。

言い換えれば、先進国と呼ばれる国になればなるほど、社会の混迷状態をますます深めてしまい、社会の諸矛盾をいっそう露呈させるようになってきて、“これが自分たちの望んだ社会のありようなのか”と誰もが思い感じるようになっているのではないか。

実際、先進国になればなるほど、人々の間の格差の拡大が果てしなく続く中で、核家族化も進み、詐欺、窃盗、殺人、暴力、テロ、自殺、イジメ、鬱症状、肥満、引きこもりという現象が増大している。

それに対して、途上国では、物やお金はなくとも、人々は、おしなべて心はやさしく、思いやりがあり、穏やかで、互いに助け合い、家族を大切にし、自然を大切にしているように見える。そしてそのことは、人々一人ひとりの表情にも現れている。とくに子どもたちの瞳の輝きや笑顔は、物に溢れて満ち足りた先進国の子どもたちにはもはや見られないものだ。

 

では、近代が既に終焉を見たと私には考えられる今、振り返って、言葉として一般化した「豊かさ」ではあったが、その言葉の概念に私たちが意味を持たせて来たものとは一体何であり、どんな豊かさだったのだろうか。

その答えを求めて私は本書の7.4節で具体的に考察するが、そこで得た結論から言えばこうなるのである。

その「豊かさ」とは、私たち人間をして、本来備わっていたはずの「人間」としての特性の数々を失わせるか劣化させるか退化させてしまうしかない質の豊かさだった。

具体的には、忍耐力あるいは持久力を失わせ、想像力を失わせ、他者への共感力を失わせ、肉体的にも精神的にも虚弱にさせ、利己的で自己中心的にさせてしまい、その結果、一人ひとりを孤立化させ、孤独にさせてしまうしかない質の豊かさだった。それだけではない。人々が互いの「生命と自由と財産」を安全に守ろうとして集住し築いてきた共同体としての社会をも瓦解させかねない事態を生んでしまう質の豊かさであり、私たちが動物のヒトとして生きることをずっと可能とさせてきてくれた自然の環境を自ら汚染し、また破壊してもしまう質の豊かさだった。

さらには、私たちの先人たちが築き上げ洗練させて来た、人間相互の関係をより円滑に維持するための智慧として人々の生活の中に根付かせてきた文化をも次々と衰退させ、あるいは消滅させてしまう質の豊かさだった。

したがって、その豊かさとは、私たちをして、人間として豊かにさせてくれる性質のものであるどころか、かえって、私たちの人間性を衰えさせることになるだけのもの、私たちと私たちに続く子々孫々が生きて行くことを不可能とさせてしまう質のものであった、ということだ。

そしてこのことは人類史あるいは人類の歩みから見れば、「一体何のための豊かさだったのか」という意味で、あるいは「一体、どうしてこんなたちの豊かさを私たちは追い求めてきてしまったのか」という意味で、決定的な矛盾であり、また悲劇でもあるのだ。

が、しかし、これこそが近代の私たち人間が一途に追い求めてきた「豊かさ」の正体だったのだ。

 

では、なぜ、こうした結果になってしまったのか。人類はなぜこうした結果を招いてしまったのだろうか。

私は、それについては、決して結果論から言うのではないが、こうした結果になるのはむしろ必然だった、成るべくして成ったこと、と言えると考える。

そう考える根拠は主にデカルトにある、と私は考える。

近代合理主義は、ガリレオデカルト、ベーコンを経て確立されたとされているが、その中で、ものの見方や考え方において後世にもっとも大きな影響を与えたのはデカルトだった第1章

その彼の世界観の中には、宗教的なものはもちろん、精神的なもの、感覚的なものは省かれていた。それは彼が教会の権力を恐れたがゆえだった。彼は、自分に先立つジョルダノ・ブルーノが宗教裁判にかけられ、自説を撤回しなかったために火あぶりの刑に処せられことを知り恐怖した。また、ガリレオが教会権力の前に自説を撤回してしまうのも見たのである。そのため彼は、神には触れないように自分の世界観と理論を組み立てた。それは、「個」である自分を中心にして、あくまでも見える世界について、そして量的に測れる世界についての理論であった。

その詳細は第1章を見ていただくとして、彼は物事の認識方法として要素主義と呼ばれるものを示して見せた。

ところがその要素主義は、少なくとも次の二つの大きな欠陥を内に含んでいた。

第一は、彼がキリスト教会の権力を恐怖した経緯から判るように、人間の精神面のように、人間の眼には見えないもの、数えられないもの、計量できないものを彼は最初から認識の対象から除外してしまっていた、ということからくる欠陥である。

しかし、現実の自然や世界というものは、今日の時代に生きる私たちは、すでに人間の眼に見える物と見えないものとからその全体が成っていることを知っている。むしろその眼に見えるものは、その眼に見えるものよりも圧倒的に多くを占める見えないものに拠って支えられていることをも知っている。ところが、その見えないものを認識すべき対象から最初から除外してしまっていたということは、自然や世界を成り立たせているものの半分以下の部分しか見ようとはしてこなかった、言い換えれば自然と社会と人間のあり方の全体のうちの半分以上の面を、最初からあえて見ようとはしてこなかった、ということになるからだ。

欠陥の第二は、さらに3つの理由から成っている。これについても、第1章を見ていただきたい。そしてこの欠陥がその後の世界に、とくに科学の世界や、自然や社会や個々の人間を統治する役割を負う政府・役所の世界にもたらした影響には計り知れないものがある、と私は考える。

つまり、もともと連続して一つの統一体を形成していた自然と社会と人間を互いに切り離し、切り離してはそのそれぞれの中を細分化してしまい、その細分化した部分それのみを他から切り離して観察あるいは統治して来ただけだからである。そこには細分化した部分から得た知識や知見を綜合するという考え方も視点もなかった。

そして、その無数に細分化された各部分を研究する者が「科学者」あるいは「専門家」と呼ばれ、何か特別な知識を持ち、特別なものの見方や特別な知識を提供してくれる人として重用されて来たのである。もちろんその彼らは、自然を、社会を、人間を綜合するという視点を持たなかった。

こうなるのは、元を辿れば、デカルトの要素主義に支配されて来た結果だった、と私は推測するのである。

もしこの推測が正しいとすれば、私たち人類は、既述の決定的な矛盾を克服するためにも、ここから次のことを自然界の真理として謙虚にかつ誠実に受け入れなくてはならないのではないか、と私は考えるのである。

なお、それは、後述の7.4節の結果を受けたものでもあるため、そちらをもご覧いただきたいのである。

それは、便利さも快適さもどちらも、それが実現されると、その時は、その人には“豊かな”気分、“満ち足りた”気分をもたらしてくれはするが、実はそうした自分だけの気分を求めようとする人が増えれば増えるほど、そしてその物が、それを手にした人々にもたらす「便利さ」感や「快適さ」感が大きければ大きいほど、その物は作られる過程で他の何かを犠牲にしてきているものだけに、犠牲にさせられたその何かは、犠牲にさせられた分、否、その分の何百倍、何千倍、何万倍もの代償、あるいはそれでも償いきれないほどの代償を、いつか、必ず、その人に求めてくる。その時、もしその人がその代償を支払いきれなければ、その物は、償われなかった分を後世の世代や他生物にツケとして回すことになる、ということである(7.4節を参照)

このことは実際、私たちはよく目にする。

たとえば、自然界や社会の中に生かされている私たちは、たとえ法律条文のように明文化された規約はなくとも、自然の中での役割や社会の中でそれぞれがそれぞれの責任や義務を負っているが———たとえばゴミを捨てるな、社会の秩序を乱すな、他者のものを盗むな、人を騙すな、というのもその一つ————そのとき、特定のある人が、負っている自分の責任や義務を果たさなかったなら、果たさなかった分のツケは、集団内の他のある者や周辺の自然界に必ずしわ寄せとなって降り掛かかってくる、というのがそれである。

あるいは、自然界や社会の中に生かされている私たちは、たとえその社会が資本主義の経済社会であろうとも、商品を作るメーカーが極力コストを削って、より多く儲けようとして商品を安くつくろうとすればするほど、その行為は、周囲により大きなツケとなって降り掛かってゆく、というのもその一例だ。

たとえば作る商品が食品である場合、それを買う消費者は安くて一見助かったような気分になるかも知れないが、長い目で見れば、健康を害する可能性は高くなる。それだけではない。消費者から排泄された物も自然により大きな負荷をかけることになり、土壌を汚染し、河川を汚染し、またその中の生物の棲息可能性を奪うことにもなりかねない。また、より安い物を買って消費者が病気がちになれば、それだけ国民医療費を増大させることにもなる。それは結局、当初、極力コストを削って、より多く儲けようとして商品を安くつくった者に、負担増という形で跳ね返ってくるのである。・・・・。

なぜこうなるかというと、そうならねば、人と社会と自然、すなわち個人としての人間とその集合体である社会とその社会を取り囲む自然という三つどもえの複合体と、さらにはそれを大きく取り囲む全宇宙は、科学で言う法則、つまり大いなる自然界の摂理や秩序というものを維持し得なくなるからであろうと、考えられるのである。

しかし、社会の中で犯される秩序撹乱の度合いや、自然の中でもたらされる負荷の大きさがある程度の範囲内であれば、社会も自然も、自己治癒や自己修復ができる。それはちょうど、人の体を例にとって見たとき、何らかの原因によって体の一部分に不具合が生じたとき、体そのものがその不具合を直して元通りにしようとする自然治癒力を働かせることに似ている。あるいは、それはちょうど、静寂の池に一石を投じたなら、それによって生じた乱れあるいは歪みが波となって現れ、それが同心円状に池全域に広がり、境界に達するとそこで反射して戻って来ては一石によって生じた乱れあるいは歪みを修復し、そしてそれが繰り返されてやがては元どおりの静寂な姿が復元される、という現象に似ている。

実際、人と社会と自然と宇宙とは一体を成し、連続した複合体であり統一体を成していることについては《エントロピー発生の原理》が明らかにしている。人が発生するエントロピーの捨て場は社会が引き受ける。社会が発生するエントロピーの捨て場は地球上の自然が引き受ける。その地球上で発生するエントロピーの捨て場は最終的に宇宙が引き受けるというように、それらは互いに連続した関係を維持して成り立っているからである。それはすでに第4章で見て来たとおりである。

 

以上のことから、近代が求めてきた「豊かさ」とは、既述のとおり、人間にとっては実は幻想でしかなかったとなるのであるが、そこでその結論に基づき、最後の考察課題として、次の問いを発してみようと思う。

それは、果たして洋の東西を超え、そしてポスト近代にも通用しうる「人間」一般にとっての「豊かさ」という概念はありうるのか、ありうるとすればそれはどのように定義できるのか、そしてその豊かさの概念は時代とともに変わりうるものなのか、それとも不変なものなのか、という問いである。

その場合、これまでの文脈から既に判るように、人間一般にとっての豊かさを定義できるとするならば、それはもはや、デカルトの世界観や認識方法論を超え、近代の価値観を超えた中に見出せるものとなるはずであるということである。同時にそこでは、物質的満足度だけではなく精神的満足度をも同時に考慮しなくては意味がないということになり、それも、その両者を足し合わせた結果において吟味しなくては意味がないということになる。

では、足し合わせたその和とは時代によって変化するものなのだろうか、それとも一定と見なすことができるものなのだろうか。

それについて私なりの結論を先に言えば、その和は時代を超えて一定である、となる。

もちろんそれは、あくまでも私の仮説である。

それを数式で表わせば次のようになる。

〈物質的豊かさ〉+〈精神的豊かさ〉=一定

つまりこれは、物理学の分野などに現れる、いわゆる「保存則」が成り立つとしていることに他ならない。

物理学の分野では《エネルギー保存則》や《質量保存則》がよく知られている。

例えば、《エネルギー保存則》とは、摩擦がないという条件の下では、位置エネルギーと運動エネルギーの和は一定である、とするものである。


今、こうした関係が成り立つと考える背景には2つの仮定がある。

1つは、肉体と精神は不可分の関係にあり、肉体の状態と精神の状態は互いに連動し、作用を及ぼし合うという仮定。

2つ目は、もともと生物としてのヒトは社会という集団の中で、すなわち人の間で、初めて「人間」になる。また、その人間は社会の中でしか生きられないし、その社会の中でしか人間性は磨かれないし、発揮もできないという真理からくる仮定である。

つまり、その真理の上に立ってなお上式が保存則として成り立つということは、個々人の人間性を磨いたり発揮したりすることを阻んできたのは、実は、人間が生み出してきた生産物であり諸制度が人間を疎外してきたからだ、ということが暗黙のうちに前提となっているのである。

 

ではここで、上式の右辺の一定値とはどういう値になるのか。

それについては、そもそも「豊かさ」とはどのような単位で表されるのか、それすら今のところ曖昧どころか判らないままだから判らないが、少なくともその値は、左辺のいずれか一つの項をゼロとしてみれば判るように、その時の残りの項の持つ値である。

そこでこの式を人類史を例に当てはめてみると、次のように言えそうであることが判る。

人類誕生の頃、すなわち今からおよそ500万年前、人間がアフリカの森の樹上生活を止めて草原に降り立ち始めた頃は、今の時代と比べてみれば、人々の間には経済という概念もなければ損得という概念もなく、他者と比較しうるような物質的な面だけから見た豊かさは実質的にゼロに等しかった、と見ることはできるのである。

とすれば、右辺の一定値とは、500万年前の人類が平均的に持っていたであろう〈精神的豊かさ〉のこと、と見ることができる。

多分それは、次のような生き方・暮らし方からくるものであり、またそうしたあり方に裏付けられたものだったのではないか。

————いつでも、みんなで協力しあって獲物を捕らえ、捕らえた獲物はみんなで等しく分け合って食べ、みんなで協力しあって住処を作り、みんなで協力しあって身に付ける物をこしらえては、みんなで協力しあって自分たちの住んでいる場所の安全を守る。そしてそれらを行うことにつけては、誰彼分け隔てなく、いつでも、支え合い、助け合う。そして嬉しいことがあった時にも悲しいことがあった時にも辛いことがあった時にも、みんなで共感し合う————という。

そしてそれは、言ってみれば、純真無垢で、汚れなき〈精神的豊かさ〉とでも表現しうるものだった、となるのではないか。

そこで先の式を次のように書き換える。

〈物質的豊かさ〉+〈精神的豊かさ〉=〈物質的豊かさ〉+〈精神的豊かさ〉

ここに、添字の1と2は、それぞれ1という時代、2という時代と読んでもいいし、同じ時代でも、1という人間、2という人間の場合、と読むこともできる。あるいは両辺は同じ人間について、1という境遇の時と2という境遇の時、と読み替えてもいい。

そこで、上式において、添字1が過去のある時代の人間について、添字2が現代の人間について表わしているとすれば、既述の考え方に基づいて、明らかに

〈物質的豊かさ〉 < 〈物質的豊かさ〉

であるから、

〈精神的豊かさ〉 > 〈精神的豊かさ〉

となる。

つまり、このことから、大雑把には、現代に生きる私たち人間の方が、添字1で表わされる時代の人々よりも「精神的」には貧しくなっている、と言えるであろう、ということになる。

そしてまたこのことから、金銭も含めて、物質的に、あるいはそれらが量的に豊富になればなるほど、時代も、人も、精神面あるいは心の面では貧しくなる、ということも言えるであろう、ということになる。

これを言い換えると、目に見えて、数えられて、計量できるものを持つことに拘り、そして実際それを持てば持つほどに、目には見えない、数えることも計量することもできない、しかし確実に存在していて、「人間」にとって不可欠で大切なもの、人間を実質的にそして土台から生かしてくれているものを失って行ってしまうということが、普遍的に、すなわち時代を超えて言えそうだ、ということにもなる。

 

次の言葉は、今は亡き写真家星野道夫氏の言葉である。

 

アラスカのめぐる季節。そしてその半分を占める、冬。だが、この冬があるからこそ、かすかな春の訪れに感謝し、あふれるような夏の光をしっかり受け止め、つかのまの美しい秋を惜しむことができる。

 

 

今を生きる私たちがこれを読んで多くの人が感動するのは、そこに、現代では誠に得難い、純真無垢で、汚れなき〈精神の豊かさ〉を見、また感じるからなのではないだろうか。